MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-6-3

2010-05-30 | オリジナル小説


(違うのにょ)『ジンさん・・・ジンさんって・・・!うわっ!ひどい!』
ジンの頭を見た香奈恵は思わず両手で顔を覆った。
『これって大丈夫なの?ドラコ、ジンさんってもう死んでるんじゃないの?』
『あのなぁ』ジンは鼻から息を吐いた。『俺っちはまだ、死んじゃいないぜ。死ぬ予定もないからさ。』無数の泡を分けてワームドラゴンは近づく。
(香奈恵ちゃん、この人がデモンバルグにょ。デモンバルグは人間じゃないからこんなになってもまだまだ大丈夫みたいなのにゃ。)
『えっ!どういうこと・・・!って、嫌、とても見れない!』
香奈恵は悲鳴を押さえて、再び顔を覆う。
『おまえ・・・ひょっとして・・・ガンタとかいうあいつの使い魔か?』
(だ~か~ら~にょ~!)ドラコはヒレの一つで思わず、ジンの痛んだ体をペシペシと叩いている。(ドラコは使い魔じゃないって言ってるにょ~!何度言ったらわかるのにょ!ガンちゃんがちゃんと説明しないからいけないのにょ!ドラコはワームドラゴンにょ、ガンちゃんとは大人の契約で結ばれた対等な関係なのにょ~)
『なるほど・・・』ジンは小さくなっていく自身の鼓動に耳を済ました。
『どうでもいいけど、俺っちの体はもう死ぬから。もう、ダメみたいだな。』
(そうするとどうなるのにょ?)
ドラコはジンの正面に顔を降ろした。『とぼけた顔してやがるぜ・・・』ジンは内心思った。『お前が・・・その・・・例の次元生物ってわけだ。』(そうなのにゃ!)ドラコが胸を張ると抱えられた香奈恵は思わず手を放して胴体にしがみつく。『あわわわ・・・!』ジンの壊れた頭がますます近くで目に入るようになった身震いして顔を反らした。『ちょっとドラコ、気をつけてよ!』
『どうも・・・俺自体は大したことはないが・・・死んだら沈むとか言っていたのが気になるくらいかね。』『そうね・・確かにそんなこと聞いたわ』香奈恵もつぶやく。
(ジンは・・・その体は借り物にょ?憑衣してるのにょ?毎回、その体はどこから借りてくるのにょ?)ドラコはジンのことより、自身の興味を満足させるつもりだ。
『・・・まあ、いなくなっても誰もあまり問題になんないような奴からね。』
(その肉体に目くらましを施しているのにょ?)
『正確には似た奴を捜してるのさ。俺っちに掛かれば細胞だって変化すんだぜ。』
(ふにょ~ん、なるほどにょ。どっちにしろ借りてくるわけにょ。勿論、ドラコの知ってる悪魔の知識によるとにょ?当人の承諾なんて受けるわけないのにょ。そういうのってあまり良い感じしないのにょ)
『ほっとけ。』ジンは口から血の固まりを吐き出す。『人が死ぬって言ってるのにさ。』
(でも、悪魔は死なないにょ?香奈恵ちゃん、だからそんなに心配することはないのにょ。死ぬのはこの人が拝借している善良な一般市民の体なのにゃ。)
『善良じゃないっていってるだろが』とジンが舌打つ。
『さっきから、疑問なんですけど・・・悪魔って・・・この人が悪魔なの?』香奈恵は夢との符号に困惑しつつ『確かに、ユリちゃんや渡がそう呼んでたけどさ・・・私は冗談だと思ったんだけど。ねぇ、どういうことなの?』
(この人は本当の悪魔で、ユリと渡は先刻承知なのにょ。そして、このジンさんって人が、なんとさっきから話題のデモンバルグなのにょ。だからって香奈恵ちゃんが怖がる必要はないのにょ。ドラコが香奈恵ちゃんと真由美さんを守ってるからにょ。ドラコはがんちゃんの期待に答えるのにょ。使えるドラゴンだってところをバラキにもみせるのにょ。)
『悪魔・・・本物の悪魔?』ますます夢のようではないか。
『まあ、話半分に聞いとくといいさ。』ジンは顔の半分で笑った。香奈恵はジンの壊れた顔が目に入らないようにすればなんとかなることを知る。『ちょっと・・・慣れたかも。』『だけど・・・おい、ミミズの王様よ』ジンはドラコの言葉を反芻する。
『真由美って・・・あの行方不明の女か?』
(ミミズ呼ばわりする悪魔の質問は無視するにょ・・・って虫って言葉も嫌いにょ~)首を巡らせたジンはドラコがシッポに巻き付けている浴衣姿の女に始めて気が付く。
『おい、それは・・・?』唖然とした。『そいつは・・・渡?・・じゃないよな。』
(どうみても違うのにょ)
『だから、さっきから、渡じゃないって言ってるじゃないですか。』香奈恵が口を尖らせる。『人の話を聞かないんだから・・・誰のせいでこうなったと思ってるの?』
ジンはしばらく呆然としたのち、一瞬ですべてを悟った。ジンは大声で笑い出す。
口から泡と血が噴き出し、その姿の余りの壮絶さに香奈恵はドラゴンの背で縮み上がった。『ちょっと~ドラコ~、この人なんとかして~怖いんですけど』
『そうか、そういうことか!俺っちとしたことが・・・!』借りてる肉体の死期を早めることがわかっていても爆笑は止まらない。ジンは自分の知りうる長い歴史の記憶の中で意識的に埋没させていたある魂のことをようやく思い出したのだ。
『そうだ、そうだった!渡と間違うはずだぜ。渡は唯一無二じゃなかったんだっけな。剣と盾は対だからな同じ波動を持つのがあったんじゃないか。まったく俺としたことが、抜けた間違いをしたもんだ。・・・すっかり、はめられたもんだ。』
ふいに笑いを辞める。『そうか。だから・・・あの女。』
ジンはユリが祖母だと言った、渡の大大叔母の面影が誰に酷似していたかついに思い出したのだ。『似てたわけだ・・・あの女が・・・依り代だったに違いないんだ』
(何言ってるかわかんないにょ)
ドラコは香奈恵と真由美の体を落とさないようにしっかりと抱え上げる。
(どっちにしてもにょ、ジンの借りてる体はもう死ぬのにょ)
『ドラコ、ジンさんを助けないの?』
(ドラコの乗員は一杯にょ。これ以上は面倒見切れないのにょ)
顔を巡らす。(ガンちゃんが心配しているのにょ。上で困ったことになってるの、ドラコ感じるのにょ。ガンちゃんも助けなくちゃならないにょ。手のかかるガンちゃんなのにょ。だから取りあえず、この二人を連れて脱出するにょ)
下に漂う体に声をかける。
(もし、余裕があったら助けに来るのにょ。でもにょ~ここに入れたのは香奈恵ちゃんにくっついていたからだとドラコは思うのにょ。だからにょ、もしも来れなかったらにょ、悪魔は自分でなんとかするしかないのにょ。なんとかするといいのにょ)
ジンは痙攣を始めた体に手こずっていた。
『おい、待てよ!俺はいよいよ死ぬぜ!』
おかしな感じにエビ反る体に香奈恵は思わず禁じられた声を出す。「ドラコ!」
その口を混沌を飲み込まないようにヒレがすばやく覆った。
そして、そのままドラコは無情にも体を翻し始めた。
『おい・・・待てって・・・』
鼓動が完全に止まった。

スパイラルツウ-6-2

2010-05-30 | オリジナル小説


「ちょっと待ちなさいよ。」
香奈恵が声をかけた。
廃屋のドアに手をかけていた飯田美咲は振り返る。ニコリと笑った。
「香奈恵ちゃん、来てくれたんだ。」
「なれなれしく呼ばないで。」何がカナエちゃんだ。心中ふつふつと煮え立つマグマと化した香奈恵の声は押さえようもなくいらだった。
「さっきからずっと付けて来たんだからね。あんたがコソコソ出て行くのを私は見てたのよ。」
「ふ~ん。あんたって・・・」美咲の笑みは媚を含んで例えようもなく美しい。今の香奈恵には嫌悪を呼び覚ますだけだが。「お父さんとお母さんの欠点を見事に引き継いでいるのねぇ。カッとすると回りが見えなくなってしまうわけだ。勇気があると言えば聞こえがいいけど、ただの単細胞の無鉄砲とも言えるわねぇ。」
言いながら、木製のでかいドアを軽々と美咲は開く。
昨日、ジンとガンタが開けようとしても・・男二人がかりでも開かなかった扉。そんな違和感が香奈恵の心にポコリと澱のように浮かんだが、残念なことにすぐに滾るマグマの底に沈んでしまった。
「・・・知ってたよ。」開いたドアに凭れて美咲は微笑む。「あんたがあたいを付けてることぐらい。・・・入ったら。」
始めて香奈恵の心に葛藤が産まれた。たった1人で美咲を追って、誰にも言わずにここまで来た事。そして何より、夢で見たこの場所、この屋敷。
後を付けている間は、美咲がここへ向かってることになんの不信も抱かなかった。むしろ、自分の予感が当たっていけばいくほど凶暴な興奮を覚えていた香奈恵だった。それは考えて見るとおかしなことではないのか。危険なことではなかったのだろうか。立ちすくむ蒼白の顔に、美咲が嘲るように言葉を投げる。
「怖いの?」
「怖くなんかないわ。」そう言ったが足が動かなかった。躊躇うのは本能だ。
「そうぉ?そうは見えないけど。」その本能を玩ぶように喉の奥で笑う。
「恐がりさん、いらっしゃいよ。中に真由美さんもいるわよ。」
「真由美さんが?!」やっぱりと香奈恵は思う。夢は当たっていた。でも・・・。
「大丈夫。誰もいやしないわよ。」美咲は導くように足を一歩、中に引いた。
「あたいと真由美さんしかいないよ。」
「・・・あんたが真由美さんを隠していたってこと? なんで・・どうしてこんなことするの?」
「あんたの思った通り。あたいは真由美さんが嫌いだから、懲らしめてやりたかったのよ。」美咲は本当におかしそうに笑い出す。
「なんてね!あたいと真由美さんがグルだったとしたら? 」
「・・・おかげで私のママが疑われたのよ!」押さえに押さえた声が爆発する。
「あたいと真由美さん、二人でしめし合わせてあんたのママを陥れるのが目的・・なんて言うのもどう?だって、まったくその通りになったでしょ?ね?」
見つめる美咲の顔は涼しいままだ。
「そんなに怒らないでよ。いいから。入りなよ。話すからさ。」
美咲が身を引くと薄暗い入り口だけがポッカリと目に入った。あそこに入っていいのだろうか。今なら戻って誰かを呼んで戻って来れる。国道まで行けば誰かしら捜索隊がいるはずだ。香奈恵は2階の窓に蜘蛛の巣のようにヒビが走る不気味な廃屋を見上げた。時刻はまだ昼前。庭にはふんだんに太陽の光が注ぎ、そよ風がふわりと頬を撫でる。こんなに明るいんだもの大丈夫かもしれない。
その時、中で美咲の反響する声がした。
「真由美さん、大丈夫だった?香奈恵ちゃんが来たわ。もう、全部ばれちゃったみたいよ。あきらめるしかないわね。」
はっきりとしないが誰か女の声が答えるのがわかった。真由美さん?
「そう、もうダメよ。お遊びはお終いにしましょ。」
そう続けると美咲の声がこちらに向く。
「香奈恵ちゃん、来てよ。真由美さんが全部、説明するから。」
その声で決意が決まった。
廃屋の入り口へと香奈恵は1歩を踏み出した。



まさに間一発。
香奈恵の姿が廃屋に消えてからいくらもしないうちに、人影が屋敷を見下ろす細い坂道に現れた。
ガンタとジンである。
ここのところの訪問客の多さに埋もれかけていた道がずいぶんはっきりとしたようだ。二人は足を止めて樫の巨木に後ろから押しつぶされているようにも見えるその家の残骸を見つめた。ジンが空気の匂いを嗅ぐ。
「なんだか、荒れているな。」
「見りゃわかる、廃屋だもの。」ジンはガンタを横目で見た。
「そういう意味じゃないさ。空気だ。いや、空気というか・・」
(ドラコも賛成するにょ。空間が変にょ。この間よりさらに変にょ。)
また次元の話かよと、ガンタはため息を付いた。
同じ次元生物?同士、仲のいいこって。
「そう、次元って言えばわかるかい。なんか断層が出来てる感じさ。」
ジンは草木が茂りっぱなしでそんな意味でも荒れているエントランスに降り立つ。
「どこに巣食っていやがるのかな・・・ここの持ち主さんは。」
「まったく、悪魔にも縄張りがあるなんて。お前らは野生動物か。」
「魔族に縄張りがあって何が悪い。もっとも縄張り意識が強いのは人間だろさ。」
ジンがそう言った時だった。どこかで声がした。
「あれ?」ガンタも耳をすます。「子供?」
(ガンちゃん、何か変にょ。気を付けるにょ。)
「この間も・・・誰かいるような感じで、ここって気味が悪いよな。」
ガンタの隣で硬直しているジンを振り返る。
「渡?」ジンが目を見開く。
「渡のわけないだろ。」ガンタは即座に否定したが、その時確かにどこかで複数の子供の声が響いた。「ん?」
「渡の声だ!間違いない。」
棒を投げ捨て、足を速めるジンの後を棒を拾い追いかける。
「渡のわけないぞ。だって、あいつらは今、学校だもの。ここに絶対にいるもんか。」しかし念の為『ドラコ、ちょっと見て来てくれ。』(お茶の子にょ!)ドラコが意識の範囲から身を翻して消える。ガンタはジンの腕を引くが悪魔は歩みを止めない。
「おい、見ろ!」ジンが叫ぶ。「正面ドアが開いてやがる。」
「本当だ。」ガンタも引きずられるままに続く。反響して割れた声は尚も近くなる。言葉は聞き取れない。
「声がするのはこの家の中だ。」
「まあ、ちょっと待てって。」
ガンタは2本の棒を前方に突き立てて、ありったけの力でジンを引き止めた。
屋根の残る玄関先で辛うじて二人は踏みとどまる。
「話を聞け。渡とユリは学校だ。今、俺の相棒が確かめに行っている。」
落ち着けと言われてジンは呼吸を整えた。悪魔のレーダーと言われる感覚を研ぎすます。このレーダーには欠点があって、実体を持った肉に隠れている間は実体がない時より働きが鈍い。それでも人間の超能力よりも何倍も強い。それによりジンには館の中の空間に闇が坩堝のように渦巻いているのがわかった。
暗い重い波長にびっしりと満たされている。怨念や憎悪といったマイナスに満ちた
危険な場所。普通の人間にはなんらかの影響がでないはずはない。過度に敏感な者ならば、気が狂ってしまうかもしれなかった。
・・・そんな中に紛れもない気配。ジンには忘れようにも忘れられない長年なじんだある魂の放つ息吹。間違えるわけがない。
中にいる、俺の唯一無二のとジンは確信した。
「まちがいない、渡は中にいる!」低い声が凶暴に高まる。「俺にはわかる。」
ジンはガンタを振り返った。「ここは危険だ。渡は俺が連れ出す、お前は中に入るな。」「おい、そう逸るな。今にももう知らせが戻るから。」
「待ってられるか!」渡が・・大事な獲物が確かに中にいるのだ。もしもまた、死んでしまったら!。長年の染み付いた保護者意識。ジンは焦りは頂点に達する。
「おい!待て!」ジンがガンタを振り払う。そして声を限りに叫ぶ。「渡!」
(ガンちゃん、渡達は大丈夫にょ)ジンが飛び込むのとほぼ同時館の中から悲鳴。
「香奈恵!?」咄嗟だった。
『ドラコ、中へ!』
そして、ガンタも開け放たれた玄関ドアから建物内へと飛び込んだ。


溺れる!と思った。香奈恵には何が起こったか、わからない。

真由美がいると誘われた部屋はへんてこな部屋だった。見た事もない。あの夢のように歪んでいる。そして真由美さんは確かにいた。大きな鍋の縁に。
背の高い鍋の中味は香奈恵には見えないが、何があるのか光は鍋の中から差しているようである。強くはないがほのかな灯りの中に真由美の伏せた青ざめた顔が闇に浮き上がっていた。その鍋の縁に危うくも真由美は座っているのだ。『竹本』の浴衣を着たままで。夢とは違って、裸体ではないのでほっとする。しかし。
本当に、真由美さん?と香奈恵は思う。真由美さんのような真由美さんじゃないような。ぼんやりと憂いを含んだ、かつて香奈恵が平凡と評した顔は・・美しかった。
それにこんな巨大な壷のような鍋は昨日はここにはなかった。大きな玄関は薄暗く、とにかく暗い。大きな穴蔵のように。そして饐えたような不快な匂いがする。
「真由美さん?」美咲はどこへ消えたのか。香奈恵は真由美に恐る恐る近づいた。
「どうして・・・いえ、それよりも、帰りましょう。みんな心配しています。私の父も。」真由美の顔が僅かにこちらを向いた。その表情は・・・おかしい?
薬でも飲まされてるのか?。香奈恵は逸る心を抑えて、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「そんなところに乗ってたらあぶないですよ・・・もしも落ちたら・・・」
辺りを見渡すが足がかりがない。1人でどうやってあそこにあがったのだろう?。
香奈恵は真由美を見上げながら、言葉に力を込める。
「私の父親、あなたの旦那さんです。鈴木誠二、ここに来てるんですよ。」誠二と聞いて真由美の唇が動く。言葉は聞こえない。香奈恵はさらに近づく。
「あなたの大事な赤ちゃんのお父さんです・・・心配しています。」そして私の母があなたをどうにかしたんではないかと疑われているのですよ、と言葉を飲み込む。
「ダメだわ・・・」
おっかなびっくり鍋の肌にまで顔を寄せるとやっと真由美の声が届いた。鍋の肌はゴツゴツとして冷たい。何かが足に当たる。足場が悪い。足下に目をやるが暗くてよく判読できない。薪だろうか・・・白い棒が散乱している。それに何の匂いなのか、嫌な匂いがますます強くきつくなって行く。思わず口元と鼻に手を当てながらも、耳をすまし声を聞き取ろうとした。
「行けない・・・」「なんですって?」思わず、顔を顰めて聞き返す。
「だって・・私の大切な人は・・・まだここにいるもの・・・この中に・・・」
「何、言ってるんですか。」香奈恵は呆然とする。つい抑制が外れる。
「真由美さん、正気に戻って!お願いだから・・・!」
その時、後方の空気が激しくかき乱された。
「渡!」振り返った香奈恵は固まる。
これではまさに、あの夢と一緒ではないか!
ジンが立っていた。言葉を失った香奈恵は恐怖でパニックを起こしかけた。これって、デジャブー?真由美さんが襲われる?真由美さんを守らなくてはいけないのかしら、私?。香奈恵は無意識に垂れ下がる真由美の裸足の足に寄り添った。
神興一郎は真由美の前に立つ香奈恵なんか、まったく眼中にないようだった。
状況を把握するや、一足飛びに真由美に向かってやってきた。
「渡!あぶない!そこから離れろ!」
「渡?」何かがおかしい。香奈恵はジンと真由美の間に飛び出した。
「何言ってるんです?ジンさん!」「放せ!」「ジンさん、これは渡じゃないでしょ!真由美さんでしょ!」「うるさいっ!」ものすごい力だったジンは香奈恵を引きずりながら、真由美の足を掴んだ。その瞬間、真由美の体は大きく傾ぎ、後ろ向きに鍋の中に転落した。「渡!」「真由美さん!」香奈恵も真由美の足を掴み、引き戻そうとする。二人の注意が完全に鍋の中だけに向いたその時、何かが淀んだ空気を裂いてジンの頭蓋骨にめり込んだ。不可解な鈍い音に振り返った香奈恵はありったけの悲鳴をあげざるを得ない。男の首があり得ない方向に曲がっていたからだ。頸椎を損傷したジン、魔族であるデモンバルグは構わずにまがった首を振り向けた。傾斜の付いた視界いっぱいに満ちた黒い影をジンは認める。香奈恵も闇の中に黒い女の影を認めた。それが飯田美咲ではないことはわかった。獣のように闇に光る眼?
咄嗟にジンの警鐘が鳴る。しかし、渡。渡を助けなければ!・・・という思いはあまりに強い。その想いに邪魔されたデモンバルグは最後の反撃のチャンスを失ったのだった。悪魔にも油断があり、思い込みがあるのだった。デモンバルグの躊躇、その判断ミスを敵は見逃さない。
「たばかられたな、デモンバルグ!」黒皇女が体一杯に含んだ邪気が二人に放たれた。長年の経験から人間じみてしまったジンの本能が思わず、香奈恵を体の下に庇った。黒く密度の濃い邪気、重い風に二人の体はたちまち縁まで浮き上がった。
「昔の借りを返させてもらうよ!」皇女の体は空間一杯に広がったまま、バランスを失った二人に蓋のように覆いかぶさる。
「バカめが!、今度こそ、地獄に堕ちるがいい。」
そして、二人は折り重なって鍋の中へ落ちた。

溺れる!香奈恵は思った。ドロドロとした水のような固まりに身体が飲み込まれようとした瞬間、何かが香奈恵の腕の中にスルリと滑り込んでいったが無我夢中で気が付かない。視界の全方向を無数の泡が辺りを包む。神興一郎とも手が離れ、二人はバラバラになっていた。ひたすらもがきながら、香奈恵は遠ざかる鍋の口を見上げていた。ぽっかりと開いた窓のように見える、暗い海の底から見上げるような穴の口に見覚えのない女の影がふたつ。1人は・・・飯田美咲?もう一人は黒い顔に黒い歯を見せて笑っていた。手には白い棒のようなものを振りかざしていた。
「デモンバルグ、お前がこの混沌の中で生き延びられるのかどうか、見せてもらおうじゃないか!その身体の中にいる間は大丈夫だろうよ。でも、どうだろうね。その体はもうすぐダメになるだろう・・・死んだ体は沈むばっかりだよ。溶けるのが怖かったらずっと沈んだままさ。」黒皇女は高らかに叫ぶ。側に寄り添う女。
あれは、飯田美咲・・・なぜ?わけがわからない。唖然としたまま香奈恵は沈む。
「悪いね、デモンバルグ。好いた恨みってやつなんだよ。叶わぬ恋なら、いっそ混沌の中で溶けてしまうがいいさ。あたいもいい加減、恥をかかされたからね。」
美咲の顔をした女の声は香奈恵だけに寄り添う。
「しばらく、そこで眠んなよ。そいつが沈んじまったら引き上げてあげるからさ。」
闇雲にあがく香奈恵の耳朶を声が噛んだ。身体が痺れて、動かなくなる。
「約束したろ?あたいがじっくりとかわいがってやるよ。お前の初夜はあたいのものだからね。」不愉快な陶酔と恐怖に香奈恵は突き動かされて再び、もがき出す。
その時。
(いたずらに動かない方がいいと思うにょ)
声がすると、身体が下から持ち上げられた。突然出現した足場に驚いた香奈恵は自分の両足が巨大な蛇の身体の上にあることに気が付いた。
(怖がらなければ、ここは呼吸もできると思うのにょ。)
何これ?これも夢の続き?香奈恵は不思議なドラゴンのような、鯉のぼりのような、ウーパールーパーのような顔を見つめていた。
(香奈恵ちゃん、ドラコにょ。)
『ドラコ・・・?』香奈恵は繰り返す。もうやけっぱちと言ってもいい。頭がおかしくなってしまったのかもしれない。あれも幻、これも幻、すべて幻覚・・・
(幻覚じゃないのにょ。ここは変な空間にょ。本来なら香奈恵ちゃんはドラコが見えるはずないのにょ。ドラコがこの空間にできるだけ合わせてもにょ、香奈恵ちゃんは見えないドラコの気配しか伝わらないと思ったにょ。でも、香奈恵ちゃんの網膜でも実体化できたみたいにょ。)
香奈恵はひたすらこれは夢だ、夢だと頭の中で何度も繰り返している。
(そんな風に現実から逃げたら、あいつらの思う壷だと思うのにょ。意識を失ったら最期にょ、がんばるのにょ香奈恵ちゃん。)
ドラコと名乗った大きな鯉のぼりは香奈恵の身体にするすると巻き付くと身体がフラフラと揺れ動かないようにしてくれた。
(深呼吸するにょ)
深呼吸した。「あら。」思わずつぶやく。「本当だ、息ができる。」
(ドラコの言った通りにょ?ドラコはいつでも正しいのにょ。帰ったらガンちゃんに自慢してやるのにょ。)
香奈恵は恐る恐る口を開いた。
「ガンちゃんって・・・ひょっとしてガンタのこと?」
(そうだけど。口は利かない方がいいにょ。心で話すにょ。ここの水をあまり飲み込まない方がいいとドラコは思うにょ)
慌てて口を押さえると、香奈恵は心で話しかけてみる。
『あんた・・・じゃない、ドラコって・・・ガンタと知り合いなの?』
(そうにょ。ほら、いっぱい飲み込むとああなると思うにょ。)
ドラコが尾で示した方向には漂う浴衣を纏った女の体があった。
『鈴木さんっ!』
(意識不明にょ)
ドラコがその方に泳ぎよる。
『そう言えば・・・ジンさんもいたんだけど。』
(それはとりあえず、後回しにするにょ)
『ねぇ・・・デモンバルグって誰?あなたじゃないよね・・』
(ドラコにょ。その話も後にょ)
香奈恵はドラコに掴まりながら手を伸ばし、鈴木真由美の身体を引き寄せた。
『大丈夫?この人、妊娠しているのに』
ウーパールーパーは頭を左右に振った。真由美の体を香奈恵から受け取るとシッポを巻き付け、何枚かのヒレでそっと掴んだ。
(ドラコの勘では大丈夫だと思うにょ。この人にはなんだかわからないけどにょ、何かいいものがついてるみたいなのにゃ。)
確かにこんな状態にあっても真由美の顔はなんだか・・・香奈恵は驚いた。
『この人、光り輝いているわ・・・なんだか、幸せそう・・・』なんで?
『いいものって・・・お腹にいる赤ちゃんのこと?』
(わかんないにょら)
ドラコはそう言うと辺りに頭を巡らせた。複数のヒレが盛んに辺りを掻いている。ゆっくりと回転しているようだ。
(香奈恵が捜してる・・・ジンさんていうのは、あそこにいるにょ)

混沌に落ちたジンの困惑は計りしれない。
ジンは割れた頭に手をやり、肉体の損傷を確認する。
『どういうことだ???』
確かに渡がいたのに。渡・・・あれはまぎれもない渡だった。他の誰かとどうして間違えよう。しかし、やはり・・ここにいるってことは。はめられたのか?
『あいつは確か・・・』ジンは思い出す。
『混沌・・・そうだ。この糞壷にぶち込んでやった女がいたっけ。』
この万物の底に存在する混沌としかいいようのない暗闇の存在を把握していたのは、長い間デモンバルグ一人であった。ジンの獲物に手を出し、獲物の死を招いた魔物にデモンバルグは容赦ない返礼をした。
『あの女、生きていたのか。ってことは・・ここに落ちてもなんとかなるってことか?いや、あの時は突っ込んですぐに出しただけだったか。それでも死んだと思ったのにな。しぶとい野郎だ。隣にいたのはシセリか・・・旅館にいたのはあの女だったのか?あのアマ・・・邪険にする以外にどうしろって言うんだ。』ジンは頭から流れ出す脳漿を手で押さえた。どんな似姿を取っていたとしてもよく見ればすぐにわかったはずだ。渡の側にいれたということだけで、警戒をまったく怠っていた自分を笑った。『このままでは確かに死ぬな。鼓動が止まるのもそう長くない・・・』覚悟を決めて、近づいて来る影をジンは見つめた。
『混沌にすむ魔物か?俺を食いに来たのか・・・?』

スパイラルツウ-6-1

2010-05-30 | オリジナル小説

     6. 罠は甘く、深い



捜索隊に加わったジンとガンタは棒を手に神月の道を歩いている。
子供達を学校に送り届けた後で、二人は『竹本』に戻ることなく人々に合流した。
マイクロバスを路側帯に停めた国道沿い。そこでは『竹本』の祖父、ゲンさんと親友のセイさんが、沢や里山に人々が分け入ろうと班分けをしている最中だった。
「おおい!変更だ!」そこへ深刻な顔をした駐在が手を振りながらやって来た。
白峰巡査は真新しいタオルで汗を拭き拭き、疲れた顔で声を張った。
「山はやらんでいいことになった!国道中心だそうだ!」
その一言で、ゲンさんとセイさんが棒と鉈を配っていた手を止める。
「何か、わかったんか?」
15人弱の人々を纏めていた二人が後はほったらかして、警官に小走りに駆け寄った。白峰巡査は交番から駈け通しで来たので、セイさんが差し出すペットボトルをぐいと飲むと息を整えている。残った人々は別に不平を言うでもなく、自分達でグッズを作業用の箱から手にしながら談笑を続けた。既に棒を手にして世間話をしていたおやじ達は、気がかりな視線だけを駐在に送った。
駐在は咳き込みながら続ける。
「手紙が出て来たそうだで、市警から応援が来て国道沿いの聞き込みと検問と行うだそうだ。だから、消防団のみんなはここから神月の村一帯の沢とか畦をやってくれとの仰せだで。」
「手紙?」ガンタはジンと顔を合わせると、祖父達に歩み寄った。
「その・・・手紙が見つかったって、どういうことよ?」
「くわしいことはわからんが、不明者は深夜に『はずれ橋』のたもとに向かったらしいんだな。」白峰巡査は大声で捜索隊全員に叫ぶ。
「ひょっとして、どこかの自動車に乗せられたんかもしれんが、一応、側溝とか作業小屋とかも覗いてみてくれんかね、みんな頼むで。」
うなづきながら三々五々、ぞろぞろ動き出した捜索隊を見ながら駐在の白峰は竹本の祖父にそっと顔を寄せた。
「・・寿美恵さんを呼び出そうとしたらしいべや。」
「寿美ちゃんを?!」祖父は驚きで息を飲み込む。
「冗談じゃねえよ。」セイさんが祖父の後ろでポツリと呟く。
他に駐在の話を聞き取ったのは、近くにいた浩介とガンタだけである。
ジンは彼等に近寄っては来なかった。離れたところで動向を見ているが、地獄耳の悪魔であるから当然のごとく耳に届いていた。
「どおいうこっちゃ。」祖父は声を潜める。
「そうだ、くわしく聞かせろや。」セイさんは既に不機嫌だ。
「まだ、わからん。だけど、まずいべな。」巡査も二人の耳に口を寄せる。
「寿美恵さんは行ってないらしいんだけんど・・・香奈恵ちゃんの証言だけだと、市警から刑事が来たらどうなるかわからん。」
「どうなるって、どういうことだで?。」
セイさんの声に、浩介も思わず声を挟んだ。
「それは、いったいなんでですか? その・・行方不明の人がどうして寿美恵を呼ぶんです? 寿美恵は・・・取りあえず、関係ないでしょ。」
「そうだよ、どうして、寿美ちゃんがその・・・まさか重要参考人ってことかい? どうしてそうなるんや、ちゃんと聞かせてもらわんと。わしらだってよう納得せんぞ。」
「まだ、なんともいえんが・・・寿美恵さんの、ほら、元旦那の、大学教授がうるそうてよ・・・」
月城村出身の巡査は露骨に困った顔をしていた。白峰巡査はゲン&セイのじじいコンビからみて高校に至るまで後輩に当たるので今だに頭が上がらないところがある。
「鈴木さんいうて、K大の助教授だろ。取り合わんかったら、その人が市警に直接携帯で電話しちまってな。それで、どうしようもなくなったで。」
「誠二さんが来てる?!ここへ?なんで?」寿美恵の兄は唖然とする。
「不明になった真由美さんって人は、その人の奥さんだそうなんよ。」
3人は一瞬、呆然として黙り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
いの一番に口を開いたのは、寿美恵の実の兄、浩介だった。
「その、鈴木真由美って人は誠二さんの奥さんなんですか!?なんだって、なんで、そんな人が『竹本』に?ええっ? ぼく達、知りませんよ!もう5日も泊まってるんですからね。 誠二さんの奥さんだなんて、そんな。絶対・・絶対に寿美恵だって気づいてないです、まったくどうしてそんな!」
「ああ、そうか。スズキ、鈴木と、寿美ちゃんの離婚前の名字は鈴木だったんやな。確かに、一度その話は聞いたことはある。あるがの、そうは言ったって、鈴木なんてまあ、よくある名前や。浩介さんが気づかなくたって仕方ないんとちゃうか。寿美ちゃんだってご同様にきまっちょるで。」
珍しく顔に血が登った浩介を祖父がやんわりとなだめた。
「大丈夫や、ただの言いがかりやろ。とにかく、えげつないことしよったのはあっちの方じゃないんかの。なあ、セイさん。」
「寿美ちゃんを陥れる陰謀に決まってるべ。」セイさんが陰気に吐き捨てた。
「浮気野郎なんだべ?、香奈恵ちゃんの父親なのに陰険なやつめが。」
「よく、わからんがワシらは一旦、竹本に戻った方がいいのと違うか。」
ゲン&セイコンビは、そう言うと浩介の肩に手を回しながらガンタを振り返る。
「ガンタさん、ジンさんもすまんの。ワシらはちょっと家に戻って・・・その野郎の話を聞いてくるから、先に行っててくれんか。」
「そうだで。」セイさんも顔を朱に染めて唸った。「寿美ちゃんが疑われるなんて冗談じゃないで。」
「白峰も悪いが、ちょっと案内せいや。どこにおるんや、その大学教授とやらは」「そうです。誠二さんに会わせてください。」
祖父と婿は板さんと共に、困り果てた巡査を引きずるようにして国道を引き返して行った。

それを見送ると、ガンタはジンを振り返る。肩を竦めた。もう空地には人気がない。
「なんだか、ばれてるじゃん。せっかくガキんちょが秘密にしていたのにな。確かにどうしたんだろな。」そっちの事情を把握するのはドラコに任せることにする。
「ま、でも、まだ香奈恵ちゃんの例の話は出てないようさね。」
「それだけでもマシか・・・」じきにドラコが戻って来るだろう。
ため息を付くガンタにジンが声をかける。
「早くさ、その妊婦さんを見つけた方がいいんじゃないかい。」
「人ごとだな。」
「そうでもないぜ。こうやって俺っちがわざわざ出刃って来ているんだからさ。」
ジンは頭を巡らせた。
「なんといっても、愛しい寿美恵ちゃんのピンチじゃないさ。」
「嘘つきが。2度と言うな。」
「いや、そうでもないさね。」
ジンのにやけ顔にガンタは渋面になった。
「おまえ、どうせ寿美恵さんを利用しようとしてるんだろ?お見通しだかんな。ユリと俺が許さんぞ。勿論、アギュ・・・社長だって許さんぞ。」
「それが問題さね。」今度はジンがため息を付いた。
正直、ジンは渡と一緒に暮らせるなら寿美恵と結婚してもいいとさえ思っていた。
ジンが見たところ、渡の祖父と母親の綾子は難物である。二人には悪魔が取り入る隙がない。二人は正攻法で信用を積み重ねて行くことが信頼を勝ち取る一番の近道という、時間のかかる面倒くさい人間に分類される。
別の意味でボオッとした父親の浩介と女将の地位を娘に譲って以来緊張感を解いてしまいがちの渡の祖母の二人は、簡単に手玉に取れるが旨味が少ない。
ジンが一目で最も有望だと見抜いた相手は、浩介の妹の寿美恵であった。
悪魔が人間と婚姻生活を営むのは始めてではない。お茶の子と言ってもよいこと。かつてジンは渡の前世の一つに置いて、彼の義理の父親となっていたことさえある。その時は、第一次大戦の混乱のドイツで渡は幼くして命を落とした。そのように、自らの大切な獲物の側にいつもいる為にデモンバルグはいかなる苦労も惜しまなかったのだから。
ただ、もしもそんなことをこの『竹本』で企めば、きっとあの蒼き光が黙ってはいないだろうということはわかっている。
そのことさえなければ・・・寿美恵さえその気にさせてしまえれば、宇宙人だろうがどんな外野が反対しようが・・・例えば娘の香奈恵だって大した問題ではないのだと過去からのしたたかな確信を持ってジンはうぬぼれている。

「ところで。」ガンタが尚も仏頂面で聞く。
「この間の・・あの屋敷には何があるんだ。わかってるんだろ?答えろよ、悪魔!」
「まあ・・・ちぴっと怪しい場所ってことさね~。」
ジンはちょっと考え込む様子を見せる。
山よりあの屋敷を先に調べるべきだったのかもしれない。
「怪しいってどういうことだよ?」
「そうさな。あそこには俺っちとは別の魔族が巣を張っていると思うわけさ。」
「まぞくぅ?」ガンタの語尾が高くなる。
「本当かよ、それ。だいたい俺はさぁ、そういうの信じない方なんだよな。悪魔って言うとさ、どうしても人類が作り出した観念って話になるじゃん?。俺の故郷にもそおいう話はあったけど・・実物っていなかったんだよなぁ。でもアギュがさ、お前は実在する生物だって言い出したりするから・・仕方なく付き合ってるんだけどさ。実際は俺は半信半疑なわけだ。そもそも、お前が悪魔・・いやさ次元生物だって話だってな・・・パッと見、お前って肉体があるし・・・霧みたいに溶けてくれるとか、消えるとかないとさ・・人間とどこが違うのかわかんないよ。だから、俺はお前の本当の実体ってのを見るまでは絶対にそんな存在、信じないからな。」
ガンタの剣幕にジンは少し身を引いたが、内心おかしくて仕方がなかった。
「霧みたいにか~消えるのか~」
「できんのか?」
「いや、今はやめとく。」ふん、できないんだろっとガンタは鼻をふくらました。
「だいたい、朝帰って来る香奈恵を目撃したってことは、お前が一番怪しいじゃないのか。その時間その辺、うろうろしてたってことはだ、あの鈴木さんって人を連れ出したのはお前かもしれないってこともあるんじゃないのか。」
「よしとくれよ。俺が連れ出したんだとしたら、ちゃんと朝、返しとくさ。」ジンは笑いをこらえて勢い良く肩を竦めた。
「俺はハラボテに手を出す趣味はないいでね。どっちかと言えば、寿美恵さんの方が好みなんさ。」
「まだ、言うか。」ガンタは息巻く。「もう速効、アギュに言いつけてやるからな!」
「もう、いいかげん光は知ってるんじゃないのさ?」ジンは涼しい顔。
「実は半場、期待してたんだけどさ。一向に現れないから、拍子抜けたぐらいさ。」
それを聞くと怒りも消え、ガンタは深いため息をついた。
「アギュも忙しいんだろうけど。何してんだか・・・早く、帰って来て欲しいよ。」
まあ、それまでは仲良くやろうさとジンはガンタの肩に手を回した。
(ガンちゃん、バラキ通信にょ。アギュはまだ戻って来ないそうにょ。シドラとバラキは天界ってとこで油売ってるのにょ~鴉と遊んでるってどういう状態にょ)
『知るか』
耳元で声がしたのだが、慣れたもののガンタはジン対策用に顔色一つ変えなかった。
その甲斐もなくジンはビクリと肩を震わせると、ガンタの肩の後ろに視線を投げる。
「・・・ビックリした!お前の使い魔か?気配がする。」
(使い魔じゃないにょ。ドラコは使われたりしないにょら。)
ドラコの声は聞こえないみたいだなとガンタは判断する。
「そうだ。俺が付き合ってるこいつは、正真正銘の次元生物だ。」
「そのさぁ、次元生物っていうのこそいったいなんなのさね。俺っちの方はそっちの方が信じられないけどねぇ。俺のことをしきりにそれってことで片付けようってのがお前らの魂胆みたいだけどさ。結局お前らも、自分達の知らない常識を受け入れたくないだけなんだろ?」
ガンタはめんどくさいので、議論には引き込まれずにいい加減に答える。
「ああ、そうだよ。それがどうした。そういうもんだろ?普通。」
宇宙から来たって言っても人間は所詮変わらないってことなんだね~と今度はジンが嘯いた。
「とにかく、俺のココにいるのはだ。」むかっぱらを押さえてガンタは続ける。
「使い魔なんて漠然とした迷信じゃないぞ。正真正銘、宇宙の異次元に住むワームドラゴンってやつだ。認定済みの、存在する生命だ。」
「ほおお。」ジンは面白がりつつも、露骨に疑う様子を見せつける。
ガンタは顔を顰めてダメを押す。「おまえとは違うんだぞ。」
そう言いつつ、ドラコには意識で語りかけた。
『それでドラコ、旅館の方はどうだったんだ?』
(ガンちゃん、ドラコがガンちゃんとは対等だってちゃんと言わなきゃダメにょ。
ドラコはそこらのガキの使いとは違うにょ、心外にょ。)
『誰がガキだよ。わかった、わかった後で言っとくから。教えて。』
(竹本にょ?もう、大混乱にょ。ドラコとっても面白かったにょ~香奈恵ちゃんの父ちゃんと母ちゃんが大喧嘩にょ、じいちゃんとセイさんが火に油を注いでるにょ!中居の田中さんも参戦していたにょ~もう、大炎上にょ!綾子さんと浩介さんが困り果ててもう、倒れそうだったのにょ~お婆ちゃんは諦めて駐在さんとお茶飲んでたにょ。さすが年の功、一番利口なのにょ~)
『それはわかった。それはもういいから。香奈恵の外出のことは?』
(それはにょ、大丈夫にょ。話題にも上がってないにょ。だから、香奈恵ちゃんはリングにも上がってなかったのにょ~それ、ちょっとだけ残念にょ。そういえば香奈恵ちゃんは旅館に見当たらなかったにょ。)
『いないって?どこにも?』
(部屋にはいなかったにょ。トイレかと思ったにょ。ドラコそっちは深追いしないのにょ。でもガンちゃん、香奈恵ちゃんのことは話題になっていたのにょ。手紙のことにょ、なんだか不可解な展開があるみたいにょ・・・)
「ふんふん、よくわかった。」ガンタは今度は声に出して言うと肩から顔を戻して、隣でドラゴンの気配をしきりに探っているらしいジンに説明する。
「今のところ、香奈恵の外出ことは誰にも気づかれていないみたいだ。だけど、どういうわけか・・・香奈恵が処分したはずの寿美恵さんを呼び出した手紙ってのが見つかってしまったらしい。それがさっき白峰さんが言ってた話の始まりだそうだ。」
「ふーん。捨ててなかったってことかね。」
ジンが棒を手にするとガンタを促すように国道から神月に上がる道に曲がった。
「さっきも言ったけど。俺っちはさ。どうもあの屋敷が気になるんさね。」
「香奈恵の夢の話を信じるんだな。」ガンタもうなづく。
「俺もあそこが気に入らない。ミーツーだ。だいたい、仙人の姿が消えたってとこからな。俺の相棒にも見つけられないなんておかしい過ぎる。」
ガンタは腕組みをする。
(相棒って言い方はいいにょ。)
ドラコが両肩に頭を乗せる気配。次元が重なっているだけなので、重くはない。
「とりあえず、もう一つの目的もあるし。徹底的に家捜しでもするか。」
まだ肩に未練気に送っていた視線をジンはガンタに戻した。
「魂の方さね。渡の大大叔母さんの墓はさすがにないだろうが。調べて見るにこしたことはないさね。」うなづくと足を速める。
捜索隊のしんがりを歩いている二人が国道をずっと後にしたことは幸い、誰も見とがめなかった。ジンが先に立つ。阿牛の家が見えて来た。昨日見た、その家に現れる巫女の幽体のことをジンは考える。どこで会ったのだろう。渡のどの前世で?。それも気にかかる。
「人探しは人間の警察で充分だろさ。俺らは俺らの捜索をやるさ。今なら、邪魔なお子ちゃま達もいないし。」
「そうだな。そうするか。」ガンタもユリや渡がいない方が好都合だと思う。
「危険はないんだろうな。その魔族・・?」
「それはわかんないさね。」ジンはチロリと口をなめた。
「もしも、あぶなくなったら遠慮なく逃げていいさ。」
ガンタのような気質の人間はおそらく危険なことにはなるまいとジンは考えた。
それこそお互い様なのだが、ガンタ達が宇宙から来た人類という話は悪魔にもそんなに実感はない。しかしユリとは違い、ガンタやタトラ・・・特にタトラは、もともとの人格の乗ってる土台が違うことを感じている。魔を信じる背景のない器に盛られた魂ならば、魔からは安全なのではないだろうか。固定観念の異なる器はそれらから彼等をきっと守るだろう。魔族は触れることも叶わないはずだ。
ジンのような実体を持ったものには人と信じて惑わされるかもしれないが。
「お前には・・・人間の手には負えないだろうからさ。」
「よし、。そうさせてもらうぞ。」
ガンタはそう言うと前を行く、ジンに歩調を合わせた。
そうやって、あっさりと悪魔のペースに乗ってしまったわけだった。


その頃、渡とユリ、正虎の3人のいる小学校は休み時間だった。
月城村にいる子供は隣り合う区画の神月と城下、南城下村の全域を足しても100人もいなかった。今はより大月に近い南城下の小学校に通っているが来年からは市内の学校に統合されることになっている。スクールバスで通うのだ。
でもそれは、渡達が卒業した後の話である。
現在のところ、南城下にあるこじんまりとした分校に3人はいる。子供達が移った後は地域のコミュニティ活動の拠点になることが決まっている。
渡達は同じ6年生、1クラス。17人が6年生であった。遅刻してホームルームの途中で登校した3人は辛怖じて1次元目には間に合った。始まる前に好奇心に膨れ上がったクラスメートから色々、聞かれた3人であったがすぐにユリの『家庭の事情!』一言で収まりがついた。あっちょやシンタニだけではない、ユリには学校の大抵の男の子は逆らえない。ただでさえ男子は7人と少ないのだ。女の子のクラスメートには旅館のお客さんが病気になったと紙を回した。あとでバレたところで子供はたいてい本当のことは教えてもらえないのだから支障はあるまい。旅館『竹本』の泊まり客が行方不明であることは教師はともかく、まだ生徒達までには伝わっていなかった。
だから、こそこそと30分の2次休みに校舎の影に集合した3人である。
「捜索はどうなっておろうの。」
「トラだけでも休めば良かったんだ。」ユリは不満をもらす。
「ガンタのバカ、アタシのお守りなんて必要ないのに。カナエだって心配だぞ。ユリならワタルが守ってくれる、なあ?」
うんと渡がうなづいた。ユリが渡をの間違いではないのかと、タトラは密かに肩をすくめる。
「まあ、ジン殿にはガンタが付いてるから渡殿には手出しができないからのう。」
渡は更に敷地の外れに向かって歩いて行った。あっちょ達が自分達を捜してる姿が目に入ったからだ。色の変わった桜の木の下、枯れたあじさいが塀に沿って並んでいる。学校の裏は山に面していて、裾には竹林が広がっている。敷地の際には今は使ってない畑があり、渋柿だという噂の誰も取らない柿の実がなったままだ。側にはどんぐりやトチの木が植わっている。もうすぐ、ここは落ち葉でいっぱいになるはずだった。
「あっ!」ぼんやりとそちらに目をやった渡は思わず声を上げた。
「どうした、渡?」すぐにユリが飛んで来る。
「今、そこに・・・」渡は畑と竹林の境の獣道のようなところを指差した。
「あの人・・鈴木真由美さんがいた。」
「ナニ!?」ユリが目を見張った。
「どうしたんじゃ?」トラが駆け寄る。
「スズキマユミがいたのか?」
「竹林の中、入って行ったよ。」渡は自分でも信じられないかのように繰り返した。
「よしっ!ユリに任せろ!」
「どうするんじゃ?」ユリは塀に手をかけた。
「フフン、ユリに乗り越えられないものはないぞ。」

さっそく訂正の嵐

2010-05-24 | Weblog


何をどう勘違いしたのか。
飯田美咲が香織になっていました。
後半、ずっと・・・
この間気が付いたばかり
これから6~全部直さないといけません。
お恥ずかしい。
途中から香織さんの方がしっくりすると思っていたのでしょうね、きっと。
まだまだ直しが出ると思いますが
もしまだ『香織』になってるところが今後出たとしたら
それは『美咲』ですのでそう思って読んでくださいませ。
よろしくお願いします。


スパイラルツウについて

2010-05-17 | Weblog



とうとうツウの5まで載せてしまいました。。。。。
迷いつつです。
まだ先は完成していません。
今、8あたりを彷徨っています。
色々と不備があると思います。
誤字脱字、矛盾無茶メチャクチャ
後で大幅な直しをしなければ済まないかもしれないし。
今まで載せたものは基本的に直しておりませんが
これから折りをみて改訂したものに直して行くか
スパイラル0~2に関しましては
別にちゃんと1から順番に読める
ホームページを開設するつもりでいます。
(いつになるのか・・・)

あと
とうとうイラストが描けなくなりまして
これはソネットブログの方に既に載せている
コラージュ作品を使用しています。。。。。。。
もともと好きなインディーズバンドのカセットレーベルとして
作成していたものなのですが。
これならたくさんあるんで
どうにかこうにか。


近々、坊さん漫画家である友人の仏像の本が出る予定です。
自慢にはならないがその漫画の主線は私が入れさせて頂いています。
(絵は彼女の絵なんですけど、私風になってしまったところも)
諸事情あってそういう展開になってしまいましが
この本はとってもいい本なので(面白いし勉強になります?!)
出版されたら紹介しますのでぜひ手に取って見てくださいまし。

なんでも友人の霊感によると
(坊主のランクアップで更にヴァージョンアップ?!)
神仏がその本の出版をすごく喜んでいるとか。
でもそれを望まない勢力もあるとかないとかで
色々な妨害が・・・・?
我が家まるごと結界を張ってくださったらしいのですが
外に出れば・・・うちも色々なことがありました。
そのうちここに書けるといいのですが。
ちょっと観念的で人に伝えづらいエピソードなのです・・・

こんな罰当たりな話を書いていながら思うのは
つくづく霊感がなくて良かったな~ということです。
(ここで言う霊感とは普通以上のお力のことでありんす)
見えない世界の色々なことまでわかっていたら
こんな話はけして書けなかったと思います。。。。。

ところで
今年はなんだか季節が変でした。
それとはおそらく絶対に関係ないのですが
妙にボケまくっているCAZZであります。
仕事でもポカばかり。
皆様も体と精神をくれぐれもご自愛なさってくださいませ。


CAZZ 拝

スパイラルツウ-5-4

2010-05-17 | オリジナル小説
涙を流しながら微笑む妊婦を二人の女が見下ろしていた。
時経系列にならべるには難しい、異次元での話である。
混沌の海を今度は二人の女が覗き込んでいるとしよう。
「どうやら。」黒い肌の女が笑った。「入ったようだね。」
より興味津々で見ていた、白い肌の女が口を尖らせた。
「フーン、こんなところに隠していたんだ。」
縁から落ちそうな程、身を乗り出すのを片方が押し戻した。
「よしな、シセリ。あんただって落ちたら、助けることはできないよ。なにせ、混沌だからね。肉のない私達じゃどうなるかわかったもんじゃない。万物が生み出される前の状態、イザナギとイザナミ・・・神々が大陸を生み出した坩堝ってわけさ。」
「ふーん、それって本当の話なの、皇女様?あたい、半分もわかんないんだけど。」
「さあね。」一見、あどけないシセリの問いにも皇女はそっけない。
「これってどこまで続いてるの?」
「それこそ、私にもわからない謎だ。おそらくは、本物の地獄ってとこだろうさね。私らの足下に開いている糞壷ってわけさ。この上を人間も魔族もなんにも知らずに歩いてるってわけだ。」黒皇女の薄い笑いには満足が現れている。
「こういう鍋、あたいにも作れるのかしらね。」
「開くのは思ったよりも簡単だと思うよ。問題は開く場所のはずだ。なるべく歪んだところに開けないとすぐに塞がっちまうんだよ。手間かけて熟成させた場所だからね、ここは。腹を空かせた入り口が開いたままってことだ。やろうと思えば、あんたにだってきっとできると思うよ。」
窓となる鍋を作る力と歪んだ人の情念が溢れる程あれば、と皇女は笑う。
皇女は今も空間から湧き出る、しょう気のような濁った霧を鍋に投げ入れた。
産まれてからこの方、一所にとどまることをしなかったシセリは肩を竦めた。
「あたい、やめとく。糠床みたいじゃん。手入れが大変なのはあたい、苦手。」
鍋から身を引くと、長く美しく伸びた両の手の爪をこすった。
「この後、いったいどうするつもりなの。」
ずるい上目遣いで皇女を伺った。
「あんたが。」皇女は楽し気に首を傾けた。「良い入れ物を用意してくれたからね。」
「なんで妊婦が必要なのかは教えてくれなかったけど。」
「ああ、あれは、胎児の中にしか入らないんだよ。そうやって、人の世に産まれて来るんだ。私が何度か確かめたからまちがいはない。」
皇女が顔を向けるともう既にシセリの様子は変わっていた。
「どう?あんたのいい人に似ている?」
皇女は不愉快そうに顔を顰めた。
「下品だね。それじゃ、似ても似つかないよ。」
「あんたって・・・」シセリは黒髪を口にくわえた。
「心底、その女に惚れてたんだ。」
皇女はフンと顔を背けると、鍋の底に目を戻した。
揺らめいていた光はもはやない。膨らんだ身体を庇うように丸まる浴衣姿の妊婦が見えるだけだ。その遥か下にもう一つの体が沈んでいる。
「ところでさ。あの男はなんなのさ。」シセリは漂う男をよく見ようとするかのように縁に肘をついて顎を乗せた。「ちょっとくたびれてるけど、いい男じゃない。」
「昔はもっと、いい男だったんだけどね。」黒皇女はため息を一つ、付いた。
「付きいる隙のない、好敵手だった、と言ってもいいさ。今じゃ、すっかり見る影もないけどね。所詮、人間なんて脆いものだね。しゃぶる肉もない抜け殻さ。」
「あんなとこに落としてさ、大丈夫なの?」
「人間は溶けやしないよ。試したんだ。死んだも同然だけど・・何年だって夢を見ているだろうよ。近くに愛した女の骸があるっていうのに気が付きもしないでね。」
「骸?どこにあるの? あたいにはあの女と男しか見えないよ。」
「魂の抜けた肉は役立たず容れ物なんだよ。あの遥か下に沈んじまったよ。」
黒皇女は魔族には珍しく思い出す目をする。記憶が甦る。
「おかしなことばかりでさ。死んだ女にはあの男がいた・・・子供もいたんだ。今は誰も覚えていないけどね・・・何がどうしてなのかは、私にも謎だよ。」
「へーぇ、誰も?」シセリはゆっくりと指につややかな髪を巻き付ける。
「あの男は覚えているみたいじゃない?」
「ああ、だけど、あいつの頭の中はどうしても覗けりゃしない。」皇女は舌打ちした。
「昔も今も。その点は一緒だ。今までどこに姿をくらましていたのかはしらないが。
そんなことより、変なのは記憶だ。一斉に関わった人間共の記憶が消えたんだ。」
皇女は悔しそうだった。「誰が、どういう手妻を使ったんだか。」
「ひょっとして・・・天使族?」シセリはゾッとして身震いをした。「あたい、あいつらはどうしても肌に合わないんだけど。」
「天使どもはそんなに暇じゃないよ。」皇女はあざける。
「そうね、基本、無関心だもんね。」
黒皇女はもうこの話はお終いと、手を打った。
「さあ、引き上げるよ。」シセリは尚も動かない。
「ねぇ、本当にそれってデモンバルグが欲しがるものなの?」
「さあね。」皇女は巨大な鉤を手にする。何で作られたものかはちょっとわからない。「ただ、あれは奴の宝物とすごく似ているだろう?。私は昔、あいつの魂にちょっかいを出したわけだ・・・そして、報復された・・・」
「マジで?」軽々と熊手のような鉤を皇女は差し上げる。
「よく生きていたね。」
「・・・私は混沌に焼かれた・・・」黒皇女は顔を歪めた。
「私が混沌を知ったのはそれからなのさ。」




本当に具合が悪くなってしまった香奈恵は『竹本』に戻ると、自室に引きこもってしまった。他の子供達も今日は学校を休みたいとうるさく主張したのであるが、綾子とガンタには受け入れられることはなかった。
ただでさえ、旅館は朝から人の出入りが激しくなっている。消防団や山狩りの応援の警官も到着し始め、人が錯綜し出入りが激しい。
残された関係者の飯田美咲もいる。香奈恵の父親,鈴木誠二も彼の教え子の学生達と共に今にも現われそうだ。よって子供達にうろうろされるのは、大人達にとっては好ましくないと言う結論がなされた。
3人はガンタによって小学校へと送り届けられた。
旅館の送迎用の小型マイクロバスの中で、ユリと渡、トラから香奈恵の話をガンタは道々聞かされる事となった。なぜか、運転席のすぐ後ろにジンも座っている。
「ひょっとして、ジンは香奈恵が外出していたのを知っていたんでしょ?」
渡が後部座席から身を乗り出した。ユリも背もたれに顎を乗せる。
「まあ、ね。」ジンが頭を巡らせるとすぐ近くに渡の顔があった。
「俺っちは、別に夜寝る必要ないからね。」
「悪魔だもんな。」ガンタがぼそっとつぶやく。
神興一郎と名乗る男は悪魔と呼ばれる、デモンバルグである。悪魔が昼間の疲れを取る為に、夜は睡眠を取らねばならないなどと言う話は聞いた事もない。
「おまえらの旅館は居心地いいから、ちょっとのんびりしちまったんだけどさ。」
ジンは言い訳する。その辺りは、ユリに先刻、怒られた通りだ。
かりそめの肉を纏っている時には肉自体を休ませる必要もあるのかもしれなかった。
ジンは居心地悪気にユリの凝視から目をそらした。
竹本に泊まってからのんびり過ごしていた4日ほど、ジンは渡と正々堂々と同じ屋根の下にいられることで浮かれていた。躁状態の悪魔など、あまりカッコがつくものではない。ニヒルに眉間に皺を寄せて口の隅で笑いながら、常に悪い企みを巡らせていなければ悪魔という看板を掲げる以上はひどく納まりが悪い感じがする。
「毎晩、いったい何をしていたんだ?」
「そうさね、何をしてたと言うほどのものでもないさね・・・。」
実は毎晩、『富士の間』をこっそりと抜け出して(誰もその気配を知ることはない。唯一、ジンをも畏れさす直勘の持ち主、ユリは渡から隔てられた離れで休んでいるのだから。それをいいことに)ジンは飽かず、渡の寝顔を眺めていたと知ったら渡はいったいどう思ったであろうか。ユリに至っては怒り狂うことは必然だ。
ユリの仏頂面はその辺を何気に察したのかもしれない。
「ナマケモノめ。昨夜はナニ、してたんだ、アクマ。」
「ほら、そうやって呼ぶから、香奈恵ちゃんまで俺をそう呼ぶようになったんさね。」
「身体からにじみ出す、悪魔の正体がおのずと知れたのかもしれぬの。」
「トラちゃんまでそんなこというんかい。」
「もうすっかり、お前のニック・ネームだからな。感謝しろ!」
ガンタはそういうと国道の路側帯にマイクロを停めた。小学校まではいくらの距離もない。どんだけゆっくり走らせてもすぐに着いてしまうのだ。
「やっぱり僕ら、学校に行かなきゃダメ?」渡が聞く。
「取りあえず、午後まで大人しくしていろ。」ガンタはサイドブレーキを引いた。
「もう遅刻だけど、それは仕方がない。普通の子供らしくしてるんだ。」
「つまらん。」ユリが背もたれに顔を埋める。「カナエが心配なんだ。」
「それは俺らに任せてさ。」ジンの軽い請負に目だけで睨んだ。
「キノウだ。カナエは本当に外出したのか、アクマ。」
昨日の昼間のささやかな冒険の後、己に寄せられる渡の期待と自分にまったく期待していないユリの蔑む視線に一念発起したジンは昨夜、肉の衣から抜け出て、1人近隣を徘徊してみた。勿論、御堂山を中心とするエリアの探索だ。
御堂山にあった幾つかの歪んだ空間を片端から探ってみたものの、渡の大々叔母の死体を見つける事はジンにもできなかった。見つかったのは、古い埋葬の歴史が積み重なる幾つかの沢。沢沿いの洞窟の中には風葬の後もあった。ここが汚れの地、埋葬の地として使われていたのは確かなことだということがわかっただけだ。
それらの空間は確かに奇妙な捩じれ方をしていた。悪魔にも心地はけして良くない。
その事は、埋葬が色んな意味合いを兼ねていたことを現している。つまり、姥捨て山であり、赤子の間引きであったりと。障害のあった子供や見限られた病人を生きたまま置き去りにして、村の共同体から排除してきたという重い歴史。
いずれも焼き付いた古い記憶は日々にさらされ沢水に洗われ既に風化しつつあった。新しくても、せいぜい明治後期・・・近代になって使われた形跡はなかった。
「戻って来たのは、そうさね・・・4時前、ぐらいさ。その時にあの娘が勝手口から入って行くのを俺は見たわけさね。」
「カナエの様子はどうだったんだ?カギは自分で開けたのか?」
「開いてたみたいさね。それに見たところ、目を開けて普通に歩いていたけどね。裸足かどうかは気が付かなかったさ。」
「なんで気がつかないんだ? そんな時間に香奈恵が、おかしいだろ普通。」
「あの子には、興味ないもんね。」ジンはペロリと長い舌を出す。そしてチラリと渡を見た。渡はちょっと動揺する。「俺っちが興味あんのは・・・」
「ワタルを見るな、アクマ!。」ユリが渡の服を後ろに引いた。
「ワタルもコイツに話しかけるな、コイツに頭から食われるぞ。」
「食わないって、ケチだなぁ。」
「すると、香奈恵どのが夜中にどこかに行ったのは本当のことらしいの。」トラが話を進める。『ドラコどのは何か、目撃していないのかの』(ドラコはガンちゃんと一緒にぐっすり寝てたのにゃ)役に立たないな~とガンタは密かに呟いた。
「わしはあの別荘跡地が怪しいように思うの。」
「香奈恵の夢を意味のある話と思うんだな。」ガンタは腕組みをした。「夢遊病中の記憶が反影しているってわけか。」
「行きたい!行ってはダメなのか、ガンタ!ワタルはダメだが、ユリとトラの保護者はガンタだ、どうにかして休ませてくれ!」
渡がズルイッと呻き、ユリが身を乗り出す。
「駄目。」ガンタはにべもない。
「まずは、俺らが偵察に行った後だ。タトラも面倒だろうが、ユリと渡の護衛をしていてくれ。」




香奈恵は布団に横になったものの、眠ることはできなかった。
時計を見ると9時、少し前。渡達は学校に着いただろうか。
休みたいとごねていたので3人とも遅刻だ。
自分だけ、こうして学校をズル休みしてしまっていいのだろうか。
さっきは本当に気分が悪かったのだが、今はそれほどでもない。
気が付くと半身を起こして足を見ていた。朝、こっそりと洗面所で足の裏の泥を落とした時には、目に見える事実をとても受け入れることができなかった。
これも、もしかして夢だったりして。
靴下を脱ぐ。夢じゃなかった。やはりそこにはキズだらけ、痣だらけの足がある。
ミミズ腫れの中には赤く腫れているものもある。今朝、こっそりと下の救急箱から持って来た消毒薬の匂いが微かにする。血が出るほど、深い傷がないのがかえって不可解な気がした。特に細かいキズが多い足の裏を見ながらぼんやりとしていた。
意識は昨夜見た夢の事に漠然と戻って行く。
階下が騒がしい。その中に香奈恵は自分の父親と母親の声を聞き分けた。
オヤジ、誠二が来たのだ。香奈恵は跳ね起きると襖を開け、廊下を進んだ。父親の声は大きくて、簡単に聞き取ることができる。
「そりゃ、俺だって疑いたくはないよ、だけどね・・・!」
「人聞きの悪いこといわないでよ!。いくらなんだってやめてよね、私だって怒るわよ!こんだけ人を馬鹿にしといて、よくそんなこと言えるじゃないの!こんなことになったのは、私のせいじゃないでしょ! 真由美さんを送り込んで来たのは、あんたなのよ! 責任なんてこっちには、ないでしょ!」
争う父と母。誠二と寿美恵。
かつて何度もこうやって二人の言い争いを、2階から聞いたことがあったような。それはもう、遥か昔、まだ二人が離婚していなかった時の幼い記憶だろうか。
「悪かったよ、君には内緒にした、ああ、確かにそれはこっちが悪かったよ。だけどさ、君は知っていたそうじゃないか? 真由美が来てることを、飯田君から聞いていたんだろ? 君のことだ、お腹の子供のことだって、気が付いていたんじゃないか?」

「あたしがどうすれば良かったっていうの? 元旦那の子供を孕んでくれてありがとうとでも、真由美さんに言えっていうの! いったい、何しに来たんだって正直に聞いてやれば良かったの?! だいたい、あきれちゃったわよ、あなたそれでも父親なの? 真由美さんのことを香奈恵だけに教えてたってこと、よくヌケヌケと言えたわね! あたしが怒ってるのはね、あんたが香奈恵を巻き込んだからよ! 香奈恵が板挟みになって苦しむとは思わなかったの? あの子、今、受験生なのよ!」
「寿美ちゃん、わかるけど、寿美ちゃん、落ち着いて。」
綾子がしきりに寿美恵をなだめるが、寿美恵はやめなかった。
「ええ、そうよ、あの人が妊娠していることぐらい一目見れば、すぐにわかったわよ。私はあんたの子供を2人も産んでるんだからね。当然、あなたの子供なんだろうぐらい思うのは常識でしょ!それのどこが悪いの? いったい、自分をどんだけ色男だと思ってるのよ!そりゃ、愉快には思えないけどね、もう私はあんたなんかなんとも思ってないのよ!馬鹿じゃないの?!」
寿美恵の声もどんどん大きくなる。
「なあ、寿美恵。君の気持ちを考えなかったことは謝る。香奈恵を巻き込んだ事もわるかった、短慮だったよ。申し訳ない。だから、なあ。」
寿美恵のご機嫌を取るように誠二の声は低く一見、穏やかになる。
「だけどなあ、真由美を恨むのはお門違いだぞ。俺たちの結婚生活は真由美がいてもいなくても破綻していたんだ。」哀願の声はビロードのように滑らかに囁きまでに潜められた。寿美恵は返事もしない。
「なあ、寿美恵、頼む。正直に話してくれないか、真由美をどこにやったんだ?」
それは寿美恵の一番、嫌いだった誠二の話し方。
今となっては、その声と話し方ほど寿美恵をカッとさせるものはない。かつてはこの声を世界中で一番ステキだと思っていたことがあるから尚更に。
「言いがかりは、やめてよ!今更、私が何をするっていうのっ!」
寿美恵の怒号に瞬間、香奈恵はすくみ上がった。
厨房から祖母も間に入って、二人をなだめ始めたようだ。
怒髪天を付いた寿美恵にも、誠二の非難の矛先は納まらない。
香奈恵は身を低くして階段の上から、階下を覗き込んだ。
どっちかと言うと身だしなみのキチンとした男であった父親だったのだが、久しぶりに見る父親は寝癖の付いた髪で急いで着替えたのか作業着も着乱れた感じだ。
誠二は手に丸めた紙切れを握っており、寿美恵はそんな男を正面から冷ややかに見つめている。顔に朱が登り、その顔つきから激高しているのを寿美恵が必死で押さえているのがわかる。綾子に背中から肩を押さえられているが、腕は誠二を殴らないで済ます為なのか胸で組み、それでも足りずに身体に巻き付けていた。
「とにかく、この手紙は警察に提出する!」誠二の手に握られたモノ。
「君は、この手紙を読んだはずだ!」
「読んでないわよ!知らないわよ、そんなもの!」
手紙?香奈恵は思わず、階段を降りて行った。まさか?。
「じゃあ、なんでこの手紙が捨ててあったんだ?!」
父親が持っているのは香奈恵が昨日、破って捨てた手紙だった?
そんなはずは・・・ない。
「香奈恵ちゃん!」綾子が香奈恵に気が付く。「こっちに来ちゃ駄目よ。」
「あんた達もやめんさい、子供の前だろが。」祖母が誠二の腕を強く引く。
こちらを向いた父の顔は顔色が悪く目が充血し無精髭がでている。やつれて汗が光り、口の隅に泡が浮いている。他人のような始めて見る、父親の顔だった。
「その手紙・・・」手を差し伸べた香奈恵の手を父は振り払った。
「ダメだ、これは、証拠だ。」
その仕草にショックも感じないほど、香奈恵は必死だった。
「どこにあったの?」
「香奈恵?」寿美恵が腕を解いて、こちらに身を乗り出す。心配そうな母の顔、それを横目で見ながら香奈恵はこれも夢の続きのように感じていた。だってその手紙は破いて、ガムテープで巻いて捨てたはずだ。さっきもう、ゴミ車が来て回収されたはずなのだ。ゴミ回収車が流すいつものメロディを香奈恵は先ほど、確かに聞いたのだ。
「それ、どこにあったの?」香奈恵は祖母に抱きとられる。
「ねえっ、どこにあったのよ!」誠二は香奈恵に射すくめられ、目を反らした。
「香奈恵ちゃん?」綾子も香奈恵をマジマジと見つめる。
「それ、私が捨てたの。」だからここに、あるはずはない。
「香奈恵ちゃん、嘘ついちゃ駄目だよ。」祖母が声を上げる。
「嘘じゃない!私が昨日、読んで捨てたの!だって、ママに、ママに読ませたくなかったからっ!」
「香奈恵・・・!」寿美恵の声は悲鳴に近い。
誠二は手の中の手紙を香奈恵から遠ざけながら、一瞬迷う様子を見せる。
「これは・・・これは飯田さんが・・今朝、脱衣所のゴミ箱で見つけたんだ。」
「嘘!」香奈恵は叫ぶ。「そんなはず、ないっ!」
「香奈恵!」寿美恵が横から香奈恵を抱き取った。
寿美恵が泣いているのがわかった。
「飯田美咲は、嘘ついてんのよ!」香奈恵は誠二の背中に尚も必死で叫ぶ。
「あの人は真由美さんが嫌いなの!大嫌いなのよ、パパ!怪しいのはあの人よ!だって、その手紙をあの人が見つけられるはずないんだもの!そんなの偽物よ!」
「いいのよ。いいのよ、香奈恵。」涙ぐむ寿美恵の声はやさしかった。
「ママは大丈夫。ママは何もやってないんだから。平気よ、平気だから香奈恵。」
「そうだよ、香奈恵ちゃん。お父さんもすぐに間違いに気が付くからさ、落ち着くんだよ。」祖母の声はおろおろと揺れていた。
綾子はなすすべもなく、そんな3人を見つめていた。寿美恵の肩に顔を埋めた香奈恵の青ざめた顔がどんなに幼く見えることか。まだ17歳でしかないのだ。
その実の父親の誠二は巡査を捜しに、警察にあの手紙を届け出る為に行くのだ。香奈恵の実の母、かつての妻である寿美恵にあらぬ疑いをかけることになろうとも。誠二が必死なのも痛いほど、よくわかる。彼の妻は妊娠5ヶ月なのだ。夏の暑さは遠のき始め、夜に戸外は思わぬほど冷え込むようになって来ている。
行方不明の真由美と腹の子供の為に彼は出来うる限りの手を打つしかないのだ。
せめて浩介がいてくれたら、と綾子は悔やんだ。大人しくぼおっとしていると日頃言われる夫だが、実は特技がある。こういう頭に血が登ってしまった相手をなだめるのが実にうまい。独特のマイペースな雰囲気が相手に理性を取り戻す余裕を与えるのだろうと、常に感心していた。しかしその尊敬する夫も、若い頃に鍛えた身体でいざとなったら強権発動の祖父も、気は短いが曲がったことの大嫌いな板長のセイさんも今は捜索隊に借り出されている。
鈴木誠二を止められる男手はここにはなかった。
田中さんや近所から手伝いに来た主婦達がこちらを息を潜めて伺っていた。
この話はすぐに村中に駆け巡るだろう。
ああ、真由美さんはいったいどこへ消えたんだろう。
なぜ、ここにいないのか。
自分の父親である男が玄関から逃げるように出て行くのを、香奈恵もまた無力感と共に見送った。父の背中は固くまっすぐで、手にはあの手紙が強く握られたままだ。あれは、香奈恵が破り捨てた手紙とまったく同じものなのだろうか。
それとも、破って捨てたと思った記憶が間違っていたのか?。それこそが、夢?。
見知らぬ数人の若者が躊躇いがちにこちらに視線を送った後でわらわらと誠二に付いて出ていく。父の教え子の学生達に違いなかった。
母親の震える背中ごしに、香奈恵は戦っていた。
例え、無力感に打ちのめされようとも。
香奈恵の中には怒りが燃え上がり始めている。
その目は飯田美咲を捜し求め、見つけられないままに旅館の廊下を彷徨っていった。

スパイラルツウ-5-3

2010-05-17 | オリジナル小説

「カナエ!」バス停の前でユリは香奈恵に追いついた。ランドセルを持ってないユリは1年の時から使ってるピンク色のリュックを背負っている。紺色のブレザーの制服に手提げ鞄を持った香奈恵は頬だけが赤い、妙な青白い顔で振り向いた。
「どうした?様子がヘンだぞ!ヘンな時はすぐにわかるんだっ、ユリにはお見通しなんだからな!ユリに話せ、カナエ!」
勢いのいいユリに香奈恵は元気なくため息をつく。ユリを見ない。
「だいたい、バスにはまだ早いだろ?まだ、10分以上あるぞ。いつもはもっとゆっくりしてるだろ?こんなに早くでるのもヘンだ!ダイジケンが起きてるのに話もしないで!タイヘンなジケンじゃないか?」
竹本の玄関を出た渡が辺りを見回してからこっちに駈けて来るのが見える。
「だって、ユリちゃん・・・あの人が・・・いなくなったなんて・・・」
香奈恵はあの人というところを微妙に躊躇った。
「それだけじゃないな。」ユリがきっぱりと断定した。
「ナニかある、他に心配。」
ほんとユリは鋭い。なんでもお見通しだ、と香奈恵は思った。でも、だからいつもこの年下の幼なじみはほんとに頼りになるんだ。
一人きりで抱え込むのを諦めた瞬間、それは香奈恵をひどくほっとさせた。
バタバタと足音が近づく。置いてかないでよと息を切らせた渡。背中の黒いランドセルは端がこすれて皮の色がところどころ覗いている。男子の証、傷だらけだ。
香奈恵はますます赤くなって、二人に横顔を向けた。「実はさ。」
香奈恵にはなんで自分があんな夢を見たのか、その切っ掛けはわかっていた。
その話から始めなくてはならない。
「見たんだ、私。」
「何を?」飲み込みの早い渡は、よくわからないままにも即座に参加する。
「何かを見たの?かなねぇ。」反らした燃える頬。香奈恵の唇が複雑に歪んだ。
「昨日の夜・・・ママリンがお風呂に入った時に。」
旅館『竹本』の各部屋には小さい内風呂とおトイレが付いている。それとは別に客は順番で露天とこじんまりした大浴場を利用することができる。客が少ない時は時間で区切ってかし切りにし、多い時は1時間ごとに男湯と女湯に分けている。女湯になっている時は、酔った男客がまちがえて入らないように祖母や寿美恵が交代でロビーでさりげなく目を配っている。先々代が富豪竹本八十助の援助で掘ったという源泉は温泉としては水温が低いので、旅館『竹本』は最近では温泉宿の看板はかかげていない。湯は毎日ボイラーで炊いている。経費がばかにならないので客のいない時は、露天も大浴場も使用していない。家族は普段は母屋の風呂に順番で入っているのだ。ただたまに客が入ったのを確認した後で、せっかくだからと露天を利用する事があった。勿論、浩介とか祖父達の場合は身体の汚れを落とした後で、ついでにそのまま掃除に突入するわけだ。
それを待ってると小学生の渡には寝る時間が遅くなるから、子供達が露天を利用することはあまりない。ガンタやトラとユリは主に離れの風呂を使っているし。
露天に入るのは寿美恵親子が多かったのだが、受験生になってからは香奈恵もあまり利用していない。
「ママリンが外から帰って来て・・・」
香奈恵の頬が更に赤くなった。寿美恵がジンさんに凭れるようにして帰って来たのは10時を過ぎた頃だった。受験勉強していた香奈恵は厨房で綾子にココアを入れてもらった時、たまたまその様子を廊下から見た。
祖父が『梅の間』の客達はもう露天は入ってしまったので、後はジンさんが好きに入って構わないと気楽に告げた。後でオレも入るかもしれないけどよ、と最早客というより準家族扱いのようであった。その時にふざけたジンが「寿美恵さんも一緒に入らないか」と冗談で誘った。その時、寿美恵は少女のように「いやだぁ、ジンさんったらぁ!」と嬌声を上げたのだった。香奈恵の心に不愉快玉がフッと湧いてはじけた。「ママったらいいかげんにしてよっ!」自分でも思わぬくらいに大きいきつい声が出てしまった。戯れていた玄関先の大人達は一瞬、黙った。
「香奈恵!お客さんの前でしょ!」少しだけ素面になった寿美恵が、むっとした声を返した時には、ジャージを着た娘の姿は階段を母屋へと駆け上がっていた。
「おや、嫌われちゃったみたいさ。」
ジンの笑う声と彼に謝る大人達の声を背中に聞きながら部屋に戻った。
怒りでむかむかしながら。
『富士の間』の客が寿美恵をなんとも思ってないのは香奈恵にはよくわかっていた。
過去の経験から、寿美恵に好意を持つか既に何かあったのかな的な男達(客とは限らない)は娘である香奈恵にも取り入るような様子を見せたものだ。香奈恵は母親とその相手の行状にはまったく気が付かない振りをするのが身に付いてしまっていたが、そういう雰囲気には敏感だった。神興一郎にはそんなそぶりが微塵もない。
彼にとっては香奈恵はただの宿の子供の1人に過ぎない。そんな態度なのである。
寿美恵とは遊びなのだ。たまたま泊まった宿にいた手軽な相手。
自分の母親を軽く見ているのだと思うと、驚く程ジンへの怒りが湧いて来た。
そして、そう思われても仕方がないジンの肩にまつわりついていた母親にも。
香奈恵は受験勉強がはかどらなくなる。心配していた母親の足音が上がって来た時にはホッとした。それからはまさかとは思いつつも、母親が下に降りて男客の入っている露天に行かないようにと身を固くしていた。
綾子が上がって来て、ジンさんはもう出たから露天を使うならどうぞと寿美恵に声をかけた。ジンさんは祖父と背中を流し合ったらしい。すると、風呂掃除は浩介おじさんだろうか。「はあぃ」と寿美恵が襖を開けて出て来る気配。足下が危ないのか、襖に足がぶつかる音がする。「大丈夫?寿美恵さん」綾子の声に大丈夫と答え
「綾子さんは入らないの?」と誘いながらあぶなっかしい足取りで降りて行った。
香奈恵はそっと廊下に出た。綾子おばさんは夫婦の寝室にいるらしい。灯りが付いて浩介おじさんと話をしているのがわずかに聞こえる。
香奈恵はそっと下に降りて行くと、玄関脇の小さいロビーの大きい椅子に腰掛けた。膝を上に乗せて丸くなる。こうすれば、露天から戻る寿美恵の目にはわからない。香奈恵は客達の泊まっている2階の踊り場を睨みつけた。
もしも、あのジンって男が降りて来たら・・・香奈恵は拳を固めた。階段を降りる時は、いの一番に自分に気が付くはずだ。もしも・・・ママの入ってる露店に入り込もうとでもしたら・・ほんの2年間でも空手部に在籍したこの岩田香奈恵が不埒なる振る舞いを鉄拳制裁で阻止してやるつもりだった。


「でもさ。」ここで渡が口を挟んだ。
「ジンはそういうこと・・・デバガメっていうんだっけ?そういうことはしないと思うよ。」ユリもあきらかに賛同していない様子。
「あんた達は騙されてるのよ。」香奈恵は赤い頬を膨らませて怒った。
「顔がいいからってだまされちゃダメ!男っていうのはさ、みんな悪魔なんだから・・あ、勿論、渡やおじさんやじいちゃんは別だよ。ジンさんみたいな、軽くてオンナたらしな男の話だからね。」
「ああ。」渡がホッと息をつく。「そういう意味の悪魔かぁ。」
「どういう意味だって」ユリがケロッと舌を出す。「アクマはまちがいないんだ。」

脱衣所のドアが閉まる音がしたような気がしたのだという。
寿美恵がもうでたのかと香奈恵は急いで振り向いた。寿美恵にしては鴉の行水過ぎる。旅館の浴衣を着た髪の長い女の後ろ姿が見えた。お腹がぽっこり突き出ている。
鈴木真由美だ。ギョッとすると香奈恵は慌てて椅子を回す。香奈恵が隠れている間に、足音は階段を上り2階の『梅の間』へと入って行った。
香奈恵は困惑する。客はもう露天を使った後だと聞いたのに。それとも。
大浴場の脱衣室のドアを香奈恵はそっと開いて見たのだという。
脱衣所には寿美恵の服が残されているだけだった。湯煙で曇ったガラスの向こうからエコーがかかった寿美恵のご機嫌な鼻歌が炸裂している。
別になんらかの対決的シーンが行われた様子もそんな余韻もない。
安堵して、なんのきなしに寿美恵の服の入った脱衣籠を覗いたのだ。
なんでそうしたのか、自分でもわからないという。
その時、香奈恵は服の間に差し入れられた紙を見つけてしまった。


「読んだのか。」
香奈恵はうなづく。「・・折り畳んだだけの紙だったから。」
折り畳んだ紙を裏返したら、鈴木真由美と書いてあるのを見たら読まない訳には行かなかったのだと香奈恵は渋い顔で続けた。
「いったい、ナンテ書いてあったんだ?」
香奈恵の頬がさすがに強ばる。
「話があるって・・・外で待ってるって書いてあった。」
聞いた二人は一瞬、顔を見合わせた。用心深く口を開いたのは渡が先だった。
「カナエはスズキマユミが脱衣所に入るのは見てないんだろ?オバさんが入る前に既に中にいたってことは?」
「それはわからないけど・・・」
「香奈ねぇ・・・寿美恵おばさんがそれを読んだと思うかい?」
「読んでないと思う。」香奈恵は激しく首を振った。
「捨てちゃったんだもん、その手紙。」
「捨てた?」
「ママには絶対、読ませたくないと咄嗟に思ったから。隠して持って帰ってズタズタにして捨てた。」冷たい手を両頬に当てると実に気持ちが良かった。
「自分の部屋のゴミ箱に捨てたの?」香奈恵は首を振る。
「今朝、ビニールテープでグルグル巻きにして下のゴミに混ぜたから、見つかることはまずないと思う。」
今の段階で、竹本のゴミが調べられることはまずあるまいとユリは胸を撫で下ろす。
「ヨシ、ちゃんと処分したってわけか。」
ヨシじゃねぇよと、渡。
「でもさ。それって・・・その人が行方不明になった原因ってことじゃない。」
「・・・そだな。」
「オバさんは絶対にそれを見てはいないんだな。」ユリが念を押す。
「もし、入れ違いだったとしても、寿美恵おばさんは香奈ねぇのパパの奥さんがここに泊まってる事は知らないんだからさ。それは、安心していいんじゃないかな。 でも、なんで呼び出そうとしたんだろ?。」
ユリが首を振る。「オトナのオンナの考えることはわからん。」
「私さ、約束の時間が過ぎるまで起きてたんだ。確か、12時って書いてあった。ママリンは絶対に出かけなかった、それは確か。」香奈恵はほっと息をつく。
「相手が出かけたのは確かめたのか?。」
「ううん。」香奈恵は乾いた唇を舐めた。
「あの人なんか、待ちぼうけにあえばいいんだって・・・思ったから。」
「でも・・・妊婦さん、なんだろ?」2人はその話を昨日、聞いたばかりだ。
「妊婦だってよ!」思わず、ヒステリックな声が出る。
それと同時に、変な笑いが喉から出るのを香奈恵はどうしようもできない。
向かいの商店のガラス戸の向こうの老婆がこちらに目を向けた。
ユリはなだめるように香奈恵の腕をさすった。
「落ち着けカナエ。まだ、ナニカあったか、わかったわけじゃない。」
視線を反らした渡は、店番の老婆と目があってしまう。何事もなかったように笑って頭を下げていつもの挨拶をした。ばあちゃんは笑顔になり奥で電話がなったらしく、店先から離れて行った。
「香奈ねぇ、スズキマユミはどこで待ち合わせだって書いてあったの?」
「はずれの橋のとこで待ってるって。」
急に香奈恵は体温が低くなったように感じる。
そこは、国道をずっと行って民家が絶えるところ。権現山から下ってくる沢の水が川となってる上を道路は橋で越える。そこが『はずれ橋』と呼ばれている。両側にお地蔵様が立ち並ぶ、昔からの村の境目。そこからしばらく進むとこの間、香奈恵が仙人を尾行したユリの家にと向かう遠回りの十字路のところへ出る。
彼等には馴染みの場所だ。しかし。
「よく知ってたな。スズキマユミ。」ユリが首を傾げる。
「このアタリにくわしいのかな?」
「・・・夜中の12時なんて・・・危ないよね・・・。」
「クルマの通りはあるな。国道だからトラックとか・・・」
「じゃあ、車に拾われたとか?・・・乗せられたとか?」
「私のせいなのかな?」急に香奈恵は泣きそうになる。
「私が・・・ママはこないよって言うべきだった・・・?。」
「カナエ、あくまでカノウセイだ。」
「その話さ・・・話さなくていいのかな。捜索隊出るのに・・・」
渡は香奈恵の顔色をうかがいながらも勇敢にくちに出す。
「そんなこと言ったら」香奈恵の声が小さくなる。
「ママリンが警察に疑われたりない?」
「もう、疑われてるかもしれないのう。」真後ろでトラの声がした。
彼も屈辱のランドセル姿を拒否してリュックを背負っている。
(そんな姿、イリトに見られたら100年がた笑い話にされるわい)
「多かれ少なかれなんでも警察はその内、探り出してしまうじゃろよ。何か、おまいさん達には秘密があると睨んどったのじゃが・・・すっかり話してもらおうかの。」
その時、国道の彼方に香奈恵の乗るバスが現れた。
「どうする?」渡が香奈恵を見る。香奈恵は涙で滲んだ目でユリを見た。
「学校に行ってるバアイじゃないぞ。」ユリが重々しくうなづいた。
「・・・わかった。」香奈恵がうつむくと涙が一筋、頬を伝った。
「実はさ・・・まだ、あるのよ。ユリちゃん。」
香奈恵はユリだけに聞かせたいように身をかがめた。
それを察した渡とトラは先に歩き出す。
「今朝起きたらさ・・・私の足、傷だらけなの。」
驚きで見開かれたユリの目が先を促す。
「寝違えたんじゃなかったのか?」香奈恵が激しく首を振る。
「まるで・・・まるで、どこかへでかけたみたいに・・・」
香奈恵は制服をまくって痣だらけの足を見せた。無数に細かい傷やミミズ腫れが走っている。ユリはかがみ込んで確認する。「まだ、新しいキズだな。」
「これだけじゃないんだ、足の裏も泥だらけだったんだ。」寿美恵は泣きそうな顔で足に触れているユリと振り向いて見守っている渡とトラを見回した。
「私、身に覚えはないんだよね。変な夢を見ただけなんだ、夢だったのに。」
「そのユメ、くわしく聞かせろ。」
香奈恵の顔がみるみる真っ赤になるのをユリは見た。
「く、くわしくは言いたくないな。」小学生に話せる内容ではない。「でも、とにかく私は昨日の屋敷にいてさ・・・そこに鈴木真由美がいたんだよ。」
「スズキマユミが、いた?はっきり、見たのか?」
「そうだ!・・そこには、なぜか仙人もいたんだっけ。」
「権現山の仙人が?」渡が思わず声を出す。「ほんと、香奈ねぇ?」
「夢だよ、夢!夢の中で見たんだって!だって、飯田美咲だっていたもん!夢なんて支離滅裂だよっ、だけど・・・私の足は嘘じゃない」
咳き込んで声を張り上げた香奈恵の声が泣き笑いに変わった。
「ねぇ、どう思う、ゆりちゃん。まさかさ・・・もしかして、私なの?私、何かしたのかな? 私、裸足でどこへいったんだろ? どうしたらいいと思う?」
顔を覆う、頭一つ大きい香奈恵の肩をユリは手を伸ばし抱いた。
「大丈夫だ、カナエ。ユリに任せろ。ユリに任せれば万事、大丈夫だっ!」
きつく寄せられた眉の下で、大きい瞳が決意を抱く。
ユリは肩越しに渡とトラを見た。渡は心配で青ざめて、トラは無表情だが深刻に受け止めているのがわかった。ユリは急いで頭を働かせる。
「そのユメの話はひとまず、ダレにも言うな。アシの話もだ。」
渡とトラもうなづく。
「・・・あの屋敷は調べなくてもいいの?」渡は今から行きたいと思っていた。
「夢じゃからの・・・取りあえず、カナエどのは夢遊病の疑いがあるってことだけじゃないかの。念のため、ガンタどのには報告しておくがの。」
香奈恵が乗る予定だったバスが、ゆっくりと4人の横で一旦止まる。
「香奈恵ちゃん、乗らなくていいのかい? どうしたの、具合悪いの?」
ドアを開けた馴染みの運転手に「気分が悪くなったみたいだから竹本に帰る」とユリは説明した。クラクションを一つ鳴らすとバスが脇を抜けて遠ざかって行った。





黒い混沌の中で女は繭のように身体を折り曲げていた。
寒い・・・冷やしてはいけない。女は眉間を曇らせて無意識に自分の腹を身体で温めようとする。ふいに光を感じ、女は無意識の中で薄く目を開ける。
「大丈夫・・・」ぼんやりとした輪郭・・・見知らぬ女が手を差し伸べてくるのを感じる。その指先が身体に触れた瞬間、全身に暖かさが広がった。
「その子は必ず助かる・・・」怜悧な切れ長の瞳を意識で感じた。
「・・・もうすぐ・・・時が動く・・・」
そういうと女が自分の中に重なってくる感覚があった。これは夢?
思い出そうともがいた。ついさっき・・・自分は布団に潜り込んだはずなのだ。
旅館『竹本』の梅の間で。
すると、ふと記憶が甦った。
寿美恵を哀れに思ったことも。
そう、それから再び、自分は深いため息を付いたはずだ。
明日は早い、早いから寝よう。思えば思う程、目は醒えていった・・・


真由美は隣で眠っている飯田美咲の方に寝返りを打ったのだ。
唯一、自分と同じく最期まで残った誠二の教え子。
床の間の常夜灯の暗い照明だけに照らされた枕に乗った美咲の後ろ頭が見える。
つやつやとした真っすぐな髪が敷き布団の上に広がっている。いつから、黒くしたんだろう。確か、この子は茶色い巻き毛が特徴だったはずではないのか。
いったい、何を考えているのだろう・・・
世代の違いというものも当然なのだが、この飯田美咲は同世代の仲間からも少し浮いてる感じがする。大学にいる時は気が付かなかったのだが、今回の発掘作業でそれがより顕著になった気がする。
考古学を希望する娘は自分や今日帰った他の二人を見るように、やや地味目の娘が多い。顔立ちが奇麗であっても、身なりや持ち物に執着するタイプは少ない。
黙々としゃがんで手を動かしてるようでいて、美咲は大して働いてはいない。汗をかくことや、日に焼けることを拒むのならば、泥と埃にまみれて黙々と手を動かすようなゼミを選ぶべきではないのだと毎日、真由美は美咲を目にする度に思っていた。
彼女が今日、見つけたと称する石器も、他の男子学生が最初に見つけて場所を譲った節があると真由美は睨んでいる。それだけじゃない。今まで意識もしなかった、発掘作業の底に流れていた不協和音。男子学生の間で、この美咲を巡る密かな鞘当てが行われているのではないかとも疑っている。この娘の目的は女気のない発掘現場で男達の関心の的になることなのではないだろうか。今日、帰った二人の学生もそれらの不満を真由美にしきりにもらしていた。
引率者としての真由美は二人の学生の前ではそれらを思い切り笑い飛ばさねばならなかったが。


そう、その調子。よく思い出すのよ。
こんな娘が考古学に興味を抱くはずはない、と私は唇を噛んだはずだ。
美咲がなぜ、今ここにいるのか、と真由美は煩悶していたのだ。
真由美が最も畏れていたことは美咲の狙いが、夫の誠二なのではないかと言うことだったはず。


その時、寝ていた美咲がふいに寝返りを打った。寝ていなかった。
真由美と美咲の眼がかち合う。それは思いがけない火花を散らした。
「・・・真由美さん。」美咲の大きな眼が嫌な光に輝いていた。
「ここの女将さん、先生の元奥さんなんですってね。」
真由美は言葉がでない。
「奇麗な人。真由美さんよりずっと奇麗だわ。あんな奇麗な人から先生を奪ったんだから、さぞや鼻が高かったでしょうね。」言葉を続ける美咲の顔は今まで見た事もない表情をしていた。呆然と見つめる。それは、まるで知らない女。
4日間、一緒に作業をしていた美咲とはまるで別人。いや、もともと美咲はこんな顔だっただろうか。
しかも、なんと美しい。驚きと恐怖で真由美は強く何度も瞬きを繰り返した。
知らない女の口が言葉を続ける。
「ここには、自分が不幸にした女を笑う為に来たんでしょう?ほんとに真由美さんって、嫌な女ですね。自分でもそう思いませんか?」
「真由美さんはあの人に勝ったつもりなんでしょう?。でも、本当に勝ったのかしらね?。先生が前の奥さんのことを本当に忘れたと思ってますか?」
「そんな人が先生の奥さんにふさわしいんですかね?」
「なに・・?」唖然として聞いていた真由美は思わず、上半身を起こした。
つい、声がきつくなる。
「美咲さん!何がいいたいの?あなたには関係ないでしょ?」
「あら、関係ありますよ。」
美咲も上半身を起こした。黒いつややかな髪が両肩を滑り落ちる。
そうだ、この娘・・・やはり違う、こんな顔じゃない。こんな娘は知らない。
どっと吹き出る汗が身体を冷やす。
『肩に流るる黒髪の・・・』真由美の頭の中で声がする。
『その娘はたち・・・おごりの・・美しきかな・・・』目眩だった。
「あなた今、妊娠してるんでしょ?だから、先生がお寂しいって思わないんですか。満足し切って醜くなった妻を前にして・・先生がどんなに我慢していることか。慰めて欲しがっているか。」
寒い。身体が震える。冷やしちゃいけない大事な身体なのに。無意識に身体を温めようと腕を巻き付けたがバランスが取れなかった。美咲がひどくぶれて見える。
真由美は倒れまいと、目の前の若い女に負けまいと必死に戦う。まさか、誠二がこの人と?。そんなはずない。自分が命を授かって浮かれていた日々、唯一夫の行状に眼を光らせられなかった、つわりがひどかったあの頃・・・
「真由美さんが前の奥さんから、先生を最初に奪ったのも・・・奥さんが二人目を妊娠した時でしたんですよね・・・」
意味深な笑いが耳鳴りと重なり、真由美は耐えきれず布団の上に昏倒した・・・

やっと、思い出せた。目尻から涙がゆっくりと流れ出る。信じたくなかった。
「信じないで。」自分の中から女が答える。「悲しまないで。」
身体が芯から、熱く満たされて行くのを鈴木真由美は感じる。
「悲しむことは何もないの・・・」
ほおっと満足のため息が開いた口からもれたが、意識には残らないことだった。

スパイラルツウ-5-2

2010-05-17 | オリジナル小説

既に起きて登校する準備をしていた渡と香奈恵は、慌ただしく食事をするように告げる両親の口調で何か起きたなと感じた。
離れからユリがトラと飛び石を飛びながらやってくるのが窓から見えた。
開き戸を開けながら子供しかいないのでガンタが首を傾げる。
「何かあったのか?」
ガンタは廊下に耳をすますと、朝食を後回しにして靴を脱いで廊下に出て行く。おりしも駐在さんが玄関口から顔をのぞかせたタイミングだった。
「騒がしいな。又警察が来てるの? いったい、どうしたんだろ?」
渡はお箸を持った手がさっきから止まったままだ。
「とりあえず、たべろ、ワタル。何があったってアタシらは学校に行かされるんだ。」
ユリがクールに卵焼きを口に運ぶ。
「誰か、お客さんに何かあったのかしら?」香奈恵は不安を隠してユリに習う。
「お客と言うと・・・富士の間か、梅の間しかないけど。」
ジンのはずはないだろうと渡は思う。好奇心から、食欲が沸き出る。早く食べて出かける前に話を聞きに行きたい。ジンの名前が出て、香奈恵の箸がちょっと止まったのだが、誰も気が付かなかった。気を取り直すように香奈恵は再び、箸を動かす。
客用の建物と渡達が生活する母屋とは朝食を食べている台所で繋がっている。隣の旅館の厨房に大人の姿は1人もない。客の朝食は綾子と祖母が子供達のご飯は寿美恵が分担して、ほとんどを賄っている。セイさんがそろそろ来る時間だが、まだ原付バイクの音は聞こえて来ない。
と、母屋の階段を下りてくる足音と共に香奈恵の母親が顔を出した。すっぴんで寝癖が付いた髪のままだ。客の人数が少ない時は子供達のメニューも同じになる。3人のうちの1人はゆっくりすることにはなっているが、今朝は寿美恵の番だったらしい。それにしても、珍しいことに寝過ごしたらしい時間である。
「どうしたの?何かあったの?誰もいないじゃない。」
寿美恵は欠伸をしながらテーブルの端に座り、お茶の入ったやかんを手に取る。
「遅いよ、ママ。」そう言いながらも香奈恵の顔が少しだけ赤くなり、すぐ目を反らしたのだが寿美恵はそれを見てちょっと後ろめたく感じた。
「えっと・・・昨日、ちょっと・・・飲み過ぎちゃったかもね。」
涼しい顔を装いながらも、こちらも娘の顔から意識的に目を反らす。毎度お馴染み、富士の間の客と昨夜も陽気に杯を重ねたことは周知の事実。
しかも昨日は、ジンさんのおごりで月城村ただ1軒のスナックでカラオケ三昧までしてしまった。帰ったのは閉店の10時。もう、村の噂の的だ。見合いも向こうから流れるだろう。いけない、いけないと思っていても誘われると断らない寿美恵だ。だって、ジンさんと飲んでると最高に楽しいんだもの。寿美恵は自身に言い訳する。どうせ2週間だけだからね・・・。ほんと、いい男なんだけどなぁ、気も合うし。バツイチの子持ちの年上熟女が何より好きってことはないだろうか?。
やっぱり、そううまいことはいかないわよね。
寿美恵はため息を押し殺した。
湯のみを捜していると、奥からガンタが戻って来る。
「あら、ガンタさんおはよう。」
寿美恵はこの姉と弟も好きであった。何より、2人とも顔がよい。見ててあきない。ただし、姉は熱烈ファンを自認してるが女だし、弟は年齢的に若過ぎるから不埒の対象としては却下であった。
立ったままお茶を飲んでいた寿美恵は、ガンタの深刻な顔に思わず茶碗を置いた。
食堂でもガンタを見ていた全員の動きが止まる。
「寿美恵さん、聞いた? 梅の間の客がいなくなったらしいよ。」
「梅の間?」大声を出したのは、香奈恵だけではない。トラとガンタを除いたほぼ全員がややすっとんきょうな声をあげた。寿美恵も息を飲む。
「いなくなったってダレだっ?」ユリが卵焼きを皿に投げ出す。「まさか・・」
目を見開いた香奈恵と目が合った。香奈恵が激しく首を振ったので言葉を選んだ。
「ええっと、ドッチかが・・・いなくなった・・・わけなのか?」
「確か、お客さんは女の人、2人だよね。」如才なく渡。
「ガンタさん・・・いなくなったのは、若い方?それとも・・・」
寿美恵の声は我ながらややうわずっていた。
「年上の方みたいですよ。若い人はいて、駐在さんと話をしているよ、今。」
ガンタはヒッと声を詰まらせ顔を伏せた香奈恵に怪訝な視線を走らせた。
逆に寿美恵は動揺をおくびにもださずに、蒼白な顔のまますぐさま廊下へと出て行った。中身が飲み干されないままの茶碗が流しの横に残されている。
「どうしたんだ?みんな。」ガンタが椅子を引くと座る。顔を見回した。
「まあ、とにかく俺らは食べよう。その後、お前らをを送り出すのは俺の役目になったから。」この家の大人は誰もが今日は忙しくなる予感だった。
「ねぇ、いなくなったってどういうことなのさ?」
顔を伏せたままの香奈恵を目で気遣いながらも、渡が用心深く情報収集を始めた。
「喧嘩でもして先に帰ったんじゃないのかな?。」
「それはわかんないけど。今朝同じ部屋の人が目が覚めたら、いなくなってたらしいよ。すごく心配してるんで綾子さんが白峰さんを呼んだんだけど。でもまあ、荷物は部屋に全部あるみたいだからね、帰って来るつもりなんじゃないかなあ。お前らが心配する事もないんじゃないよ。この旅館の落ち度じゃなんだからさ。きっと、どっかまで散歩でもしてるんじゃないか。」ユリが声を潜める。
「それってアレだ。いなくなったのは、スズキマユミだろ?」
「なんでフルネームで知ってるんだよ?」
「それはヒミツだっ、なぁカナエ!」
返事はなかった。「どうしたのかの?香奈恵どのは」
「足が痛いのよ。」香奈恵は顔を伏せたまま口ごもった。
「今朝、起きたらなんだか痛いの。」「なんだ、寝違えたのか?」
「ね、ねぇ!いなくなったといえばさ、権現山の仙人もじゃない?」
渡がやや、甲高い声を出した。
昨日、彼等は例のお化け屋敷にたどり着きおっかなびっくり中にも入って見たのだが・・・仙人どころか、浮浪者も何も発見できなかったのだ。
「それは違うんじゃないか?」ガンタが顎に付いた飯を口に入れる。
「あの家を隅々まで調べ尽くしたわけでもないし。1階をざっと見ただけだからな。」
2階より上は階段が壊れていたこともあり、あきらめさせたのだった。その代わり、庭園や外の廃墟後はかなり丹念に見回った。この前、渡とユリが怖い体験をしたという工場跡も出来る限り覗いて回ったが今回は何も起こらなかった。
何の怪異もなかったのは、お守りの悪魔のおかげであろうか。
ジンは盛んに自分の手柄だと吹聴していたが。
「でもさ、ドラコも見失ったのは変だってガンタも言ってたじゃない?」
「確かにのう。」トラも口の中のモノを飲み込むとうなづく。
ガンタの頭の上でプリプリしてる鯉のぼりのようなドラゴンを渡は盗み見た。この席でワームドラゴン、ドラコが見えないのは香奈恵だけだからといっても会話には気を付けなくてはならないはずだ。
しかし、渡とユリがさっきから観察しているところでは香奈恵はただただ、固まって虚ろにぼんやりとしているだけに見える。やけに顔色が悪い。何も耳に入っていないのではないだろうか。チチオヤの新しいオクサンが行方不明になると言うことはそれほどまで、ショックなことなのか?、ユリは首を傾げた。
外でバイクの音がしたが、勝手口から入ってくる姿はいつまで経ってもない。セイさんも異変に気づいて直接、表に回ったのだろう。家が近いから、もう田中さんも駆けつけてるかもしれない。田中さんどころか、隣近所の人達が全部だ。
その時、相変わらずざわついてる廊下から、台所の入り口に顔を出した者がある。
「あっ!アクマ。」ユリの声にガンタは飯が逆流しそうになる。
顔をあげてジンを見た青白い香奈恵の顔に朱が登って不気味なまだらになったのには、誰も気が付かなかった。
「よう!この旅館はほんと退屈しないさね。」
「何しに来た?!」胸を思わず、叩きながら。
「この騒ぎで飯が遅れそうだからさ、気にしないならこっちで食べてくれってさ。」
ジンはめざとく客用の茶碗を見つけると自分で飯をつぎ出した。
「なんだって?」「さすが、綾子殿は大胆な判断をするのう。」
仲良くご飯なんて冗談じゃないぜとガンタが思わずつぶやく。
「客は3人しかいないし、1人は行方不明でもう1人は飯どころじゃないってわけさ。この後、下手したらみんなで捜索ごっこだってさ。お前も借り出されるんじゃないのか?」ガンタが余計なお世話だ、と小さく呟く。
「おい!そんな奴にやってやることないぞ。セルフだ、ここは。」
テーブルの端に椅子を引き寄せたジンが箸を抜き取り大皿からおかずを取るなり、感嘆の声を上げてユリがみそ汁を注ぎに立っていた。
「スゴイぞ、ガンタ!アクマがシャケの切り身を食べてるんだ!ノリ、ウメボシ、タマゴヤキ、和食のアクマだ!アクマとドライブじゃなくてアクマとゴハンだぞ!」
「面白がるなよ。和食なんて、ここんとこ毎日食ってただろう。」
「実際に目の前で見るのは始めてだもん。」渡も醤油と取り皿を回してやる。
香奈恵は無意識に痛む足をさすった。痛いのはここだけではない。夢の記憶。
心配でたまらない。うわっと叫びたい。ジンが見られない。
うつむいた口から思わず微かな声が出た。「悪魔・・・」
それが聞こえたのは地獄耳の悪魔だけだったのか、ジンがチラリと香奈恵を見る。

「どうも申し訳ありませんね。」綾子とセイさんが厨房に戻って来た。
「お客さんに自ら給仕させるなんて。」
「気にする事はないさね。なんせ、非常事態なんだからさ。」
「飯はもっと炊いた方がいいかい?」セイさんが大きな電子ジャーを覗き込みながら声をあげ、綾子は海苔やウメボシを流しの下の戸棚から調理台に並べ始めている。
「女将さん、やっぱり捜索隊出すことになりそうなのさ?」
「あ、そう、そうなのよ。今もう、父さんや浩介さんは白峰さんと出かけたところ。場合によっては消防団や自治会にも声をかけなきゃならないでしょ。災害無線で呼びかけるって言ってたから。また山狩りになるかもわからないから、炊き出しの用意だけはしておかないと。」壁の時計を見る。午前7時45分になるところだ。
寿美恵が飯田美咲を連れて入って来た。
「ほら、飯田さんもお腹が減ってはダメでしょ。一緒に食べちゃって。迎えの人ももう着くわね。」その人達が捜索隊に加わる可能性もある。
「はい。」顔色の悪い飯田美咲は寿美恵に腕を掴まれたまま、ジンの隣の椅子にストンと腰を下ろした。大家族用の広いテーブルだが、さすがに今日はキツキツである。
「さっき、電話しましたから・・・みんな驚いちゃって・・・鈴木先生に相談するから、少し遅れるかもしれないです。」
泣いているのかタオルを顔に押し当てている。声は不鮮明だった。
香奈恵は美咲からも目を反らしたが、発言を反芻すると更に顔色が白くなった。
と、いうことはだ、まさか・・・オヤジ、鈴木誠二も来るのではないだろうか?。香奈恵は更に固まってしまう。しかし、寿美恵の方は発掘を取り仕切ってるらしい鈴木先生と言う名前を聞いても美咲の背中で微かに眉を上げただけだ。
香奈恵も寿美恵も何もしようとしないので、再びユリが気をきかしてお箸を差し出すが美咲は顔の前で手を振って断った。
「ごめんなさい。食欲がないの・・・何も食べれそうにないわ。」
「その・・・鈴木さんという人は昨日・・その、何かあったのかい。」
ジンが美咲に尋ねる。美咲の顔はジンからは、両側に垂れ下がる髪によって隠されている。
「いいえ・・・何も。何も・・・なかったはずなんですけど。いつものようだったし・・・何も変わらなかったのに・・・」
美咲の声は聞き取れないくらいに小さい。
「喧嘩でもしたとかはあるのかの。」
子供であるトラさんの質問も誰にもとがめられなかった。
美咲は黙って首を振る。
美人は得だな、と香奈恵は不機嫌に上目遣いでその横顔を睨みつけた。
夢の中であんなに淫らだった美咲は短い間に輝くようだった張りのある頬がこけ、眼の下に隈までできてるようだ。わざとらしい。真由美さんが嫌いなくせにさ。
「・・・ごちそうさま。」箸を置くと立ち上がる。
「香奈恵、あんたいくらも食べてないじゃないの。」
寿美恵がめざとく非難する。「なんなのその顔色?ひょっとして、あんたさ・・・」
何かを言いかけて言いよどんだ時、不意にジンが箸を置いた。
「ねえ、香奈恵ちゃんさ。」肩頬に探るような笑みが浮かぶ。
「昨日は、よく眠れなかったのかな? どうなのさ。」
香奈恵の背中がピンと緊張した。
「・・・うるさい。」小さい声で毒づいた。「悪魔には関係ない!」

振り向かないまま、足早に出て行く姿に寿美恵が慌てる。
「こらっ!香奈恵!なんてこというのっ!ジンさん、ごめんなさいっ、ほんとあの子ったら・・・どうしたのかしら。」
「いいってことよ。スミエちゃんが気にすることじゃないさ。」ジンはニヤニヤ笑う。
「スミエちゃんだとぉ?」ガンタの足が水面下でジンを直撃したことは言うまでもない。「香奈恵の前で、2度と言うな。」
「あっ、いいのよ。ガンタさんまで。」心なしか寿美恵の顔は嬉しそうというよりも物憂げであった。食卓にシラケた空気が流れる。ユリがこそこそと渡に囁く。
「カナエ・・・いつからジンをアクマと認識したのか?」
「アクマには違いないんだけどね。」と首を傾げると真正面に座るジンを見た。
「ジンさん、今のどういう意味なの、香奈恵が寝たとか寝ないとかさ?」
渡はジンに詰め寄る。ジンは面映そうに鼻の頭をかいた。とても嬉しそうだ。
「いやさ、なんとなくの挨拶さね。・・・気にしなくていいよ。」
寿美恵が困惑顔で娘の出て行った先に視線を走らせる。後を追いたいが、飯田美咲の世話を子供と客に丸投げする訳にいかないといった感じだ。
「それにしても。」トラも渡にささやく。「香奈恵どの、なんか心配じゃの。」
「う・・ん」渡はユリ、ガンタ、ジン、うなだれた美咲の順番に目を走らせたが最期に妙に青い顔色の寿美恵を見て何も言わないことにした。
「ゴチソウ様だっ!ワタル、先に行くぞ。」
セイさんの奥さんの漬けた絶品のタクアンを最期に続けざまに口に放り込むとユリが勢い良く、立ち上がった。
「あっ、待ってよ、ユリちゃん。」渡はご飯の残りをかっこみ、最初からマイペースで食事を続けていたトラも箸を置いた。
「わしも、今日は調子が良さそうじゃから学校に行くかの。ここにいても邪魔になるだろうし。」もとよりインフルエンザは仮病なのだ。
こういう時は子供は得だよなとガンタは、出て行く小学生と小学生に成り済ましてる同僚を見送った。
「あんたも手伝ったらどうだい。」ガンタは寿美恵が新しく入れてくれたお茶を飲みながらジンに顎を向ける。
「そうさな。暇だから、手伝ってもいいさね。」
子供達が学校から帰るまで、1人であのお化け屋敷でも回ってみようかと考えていたジンであったがそう答える。あそこは色々とおかしなところがあった。1階から上に子供達を行かせなかったのはその為。どんな魔族が潜んでいるのかは知らないが、一度面通しをしておくつもりだ。物騒な相手かもしれず、自分一人の方が都合が良かったのだが、それは後回しでも一向に構わない。ジンとしては今回の旅館のトラブルに乗じて渡の回りに人間に少しでも恩を売って置きたかった。
「まあ、そんな。」「ジンさん、申し訳ありません。」
綾子と寿美恵が口々にジンを持ち上げるのを、ガンタはつまらなそうに見つめた。
俺だって、仕事あんのに。まあ、表の仕事の財務整理や在庫管理はあってないようなお体裁だけの仕事だけど。イリトに書く報告書だって、実際はたいした仕事ではない。
そんな浮かないガンタの表情にもいち早く、綾子が気が付く。
「ガンタさんもすみませんね。お仕事はいいの?」
「まあ、急ぐことでもないんで。」ガンタは多少、気を良くして答えた。
こういう人間の表情を読むのは渡の母ちゃんは実にうまいなといつも感心していた。
さすが、ユウリの血縁だ。
「二人とも・・・皆さんも・・・ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
会話を黙って聞いていた飯田美咲がテーブルに付くくらいに頭を下げた。
その為、ジンはまたも美咲の顔をはっきりと見ることはなかった。

スパイラルツウ-5-1

2010-05-17 | オリジナル小説

      5. ゆっくりと。そして、猟犬が走り出す



鈴木真由美は、隅々まで満ち足りていた。
発掘もあらかた、先が見えて来ている。縄文時代、中期。やや中規模の集落の跡と思えた。貴重な、鏃や石斧、土器の欠片などが沢山見つかった。
土の中から何かを掘り出す時の興奮が何より真由美は好きだった。この共通の感性が誠二と自分を強く結びつけた絆であることを彼女は知っている。
その遺跡は道路予定地にあり、一刻も早い調査が望まれていた。
今日、学生のうちの二人が帰って行った。ここにいるのもあと2日。
そう思いながら、膨らんだ臍回りをゆっくりと撫でていた。
ぽっこりとしたそれはまだどうにか服の下に隠せる。
勿論、締め付けるような服はもうずっと着ていない。
5ヶ月、安定期に入っていた。
寝る前の布団で腹の中の命に語りかける・・・それは密かな喜びだった。
このおかげで、岩田寿美恵と顔を合わせた時もまったく平静でいられたのだ。
相手の営業スマイルに宿泊客として平静に答えることも簡単だった。
宿では最初から発掘の話をしたわけではない。最初は大学のゼミのフィールドワークだと説明していた。
なんと言っても、4人のうち一番年かさは自分である。あとは学生なのは見ればわかる。自分が引率者であることが自ずと知れるのは承知の上だ。
早まる鼓動を押し隠しているとも知らず、真由美は一番たくさん寿美恵に話しかけた。挨拶に不慣れな学生達から自分から進んで、会話を引き取りもした。
初日に宿帳を持って現れた寿美恵が女将ではないことを知っていたのは自分だけだ。
寿美恵は女将ではないし,女将と結婚した男の妹に過ぎないのだと学生達に後で教えてあげた時の意地の悪い快感。それが寿美恵に対してずっと抱いていた罪悪感の裏返しに過ぎないということも真由美にはわかっている。
枕元の薄明かりに浮かび上がる梅の間の中を改めて見回す。
彼女がとても気に入ってしまったこの旅館はあの寿美恵のものではない。
今後も絶対に、寿美恵のものになることもない。
この旅館・・こじんまりしているが、想像していたよりは新しくて立派な旅館だった。清潔で調度も趣味が良い。食事もおいしくて量も的確だし、ほどよく手がかかっている。お風呂も脱衣所もハーブの香りが漂い、露天は小さいが山や星が望めた。若い学生達は屋内の個室風呂を好んだが真由美は毎日、露天に通っている。作業の腰の痛みとどんなに気をつけても爪や耳に入る土ぼこりや汗の垢を欠き落とす時、それらは堪え難い程の旨酒のように真由美の疲れた体全体に染み渡った。
汚れた作業着と着替えは宿からクリーニングに出せたし、細かな軍手や靴下、下着類は自分達で簡単に洗って、備え付けの個室風呂の乾燥にかければ翌朝にはもう乾いている。こんな上げ膳、据え膳の発掘作業なら女子学生でなくたって癖になってしまいそうだ。
真由美は自分の腹の中の命を再び、強く意識する。交際して15年、正式に結婚して9年・・・やっと授かった、もう誰にも文句を付けられない命。
旅館に女性陣が泊まることになったのは、この命の存在が大きかった。そうでなかったら、今までのように真由美も現場で寝泊まりすることを選んだだろう。
つわりがひどかった2、3ヶ月は事実、ろくな手伝いもできなかった。久しぶりの作業だって、真由美が強く希望しなかったら叶わなかっただろう。
誠二は心配していたし、危ぶんでもいた。発掘に参加するならば、真由美はどこかのホテルに泊まるということが条件だった。そして皮肉な事に、唯一近場で条件に合ったのがこの『竹本』だったのだ。そこに離婚した前妻がいることを知っていた誠二はもともと『竹本』を眼中に入れていなかった。その夫を説得したのは真由美だった。
我ながら悪趣味だと思ったが、寿美恵が現在どんな生活をしているのか知りたい気持ちがなかったとは言えない。
残りの女子学達を同宿させることに決めたのも真由美だった。自分が宿にいる間、他の女子学生と誠二が一緒に寝泊まりしているというのも嫌だったからだ。
「俺はもう40後半のおっさんだぞ。」と誠二は笑って真由美の心配を受け付けないのだが。真由美自身が問題にしなかったように、誠二が妻帯していてもモーションをかけてくる学生がいないと安心仕切ることはできなかった。
自分では意識していなかったが、かつて自分をあっさりと受け入れた誠二を・・・不倫していた男を自分はどこかで信頼できてなどいなかったのかもしれない・・・真由美はいつまでも、ぼんやりと天井を見つめていた。





香奈恵は自分が夢を見ているのを感じていた。
これは夢の中。
わかるのはそれだけ。
昼間、みんなで行った屋敷の前に自分は立っている。
『さあ、おいで。入っておいで。』
白い手が開いたドアの中から差し招く。
すると香奈恵の足は勝手にずんずんとそこへと進んで行く。
行きたくない、とどこかで思っている。
でも、これは夢だから・・・まあ、いいかとも思う。
中に入った感覚がある。香奈恵は昼間の記憶を辿る。
どこか違う。まあ、でもこれは夢だからと又思う。・・・こういうものかと。
そこは景色が水底のように歪んでいる。
床に横たわっているのは、鈴木真由美だった。
裸で、膨らんだ腹部が露になっている。うわっと嫌悪感を抱きながらも目が放せない。他人の体、しかも妊婦の身体をここまで露骨に見るのは始めてだった。露になった腹の下の濃い茂みといい、生々しすぎてグロテスクだと高校生の香奈恵は思う。横に流れた乳房が重みで垂れ下がりながらもどこか果実のように張っていて乳輪も乳首も大きく黒ずんで見える。今はまだ小振りのあの腹の中に自分と同じ命が宿っていると思うと不思議だった。成熟しきってない命の種と思う。
『ねえ』驚いて振り返ると、すぐ後ろに飯田美咲が立っていた。身体を押し付けて来るが、抵抗することができない。背中に押し付けられるぬくもりと丸い柔らかい二つの肉の感触から相手が裸だと感じる。昼間、香奈恵が強く感じた香織への嫌悪感が薄らいでいるのが我ながら不思議な気がしたが、思えば、相手は女の香奈恵でもつくづくと見とれるほどの美少女なのだ。勿論、シドさんとは比較にはならないけど・・・と頭の隅のどこかが『浮気者!しっかりしろ!』と、責めてくる・・・それが、すごく遠い昔の記憶のようだった。後ろから覗き込んで来る美咲の笑みも水底からの微笑みのようにおぼろで現実感がない。
やはりここが、夢だからだ。と、香奈恵は確信する。
背中からもたれかかるようにして、美咲が耳元で口を開く。
『いい気味じゃぁなぁい?』さっき、自分を呼んでいたのはこの声だと気が付く。
高らかに美咲が叫んだ。
『罰を与えてあげましょうよぉ。』
すると、黒い影がどこかから現れると真由美の肉体に覆いかぶさるのが見えた。
香奈恵はどこかの遠くで悲鳴をあげるが、その場の身体は痺れたように声も心も何もかもが動かない。
『赤ちゃんなんかぁ、流れてしまえばいいじゃないねぇ。』美咲が囁く。
香奈恵には刺激の強過ぎる光景だった。心臓が早鐘のように打つ。
意識のない真由美を犯し始めたのは、『富士の間』の客だった。神興一郎。その顔には香奈恵が見たこともない淫らで残忍な表情が浮かんでいる。
悪魔だと、香奈恵は思う。渡やユリが当てこすっていたのはこの為だったのだ。
この人が悪魔だったんだ。
足が震えた。しかし。
気が付くと、勃起した裸体の下に組敷かれ催促の声を上げて男に甘えているのは自分自身の母親であった。
寿美恵は涎を垂らしながら、神興一郎に下半身から絡み付いていく。あられもなかった。風呂場で何度も見慣れた母親の裸。
自分がこれを吸っていたのかと不思議に思った乳房が下に垂れ下がり、身体を動かす度に激しく揺さぶられている。見たくない。目をそらしたい。
でも、香奈恵の目は食い入るようにそれから目を離すことができない。
これは夢、なのに。下半身が熱くなる。
信じられない、自分の親の情事を見ているのにだ。
恥ずかしさで涙が出そうになる。香奈恵はハッと息を吸い、身体を固くする。
気が付くと美咲の手が自分の乳房を掴んでいたのだ。パジャマの中に手が差し入れられて、冷たい手が肌に触れて来る。撫で回すようにそれが肌を這う。鳥肌が立った。しかし、拒もうにも体は動かない。
じらすように円を描いた後に指先が乳首に触れて来て、それを掴んだ。
快楽よりも痛みの方が強かった。もう一つの手が自分の顎を横に引く。美咲の口が自分の口を吸う。女の唾が気持ち悪く、汚い、怖い。美咲は糸を引いて口を放すと、繁々と香奈恵の目を覗き込んだ。
『そういえば・・・あんた処女なのよね。』
美しい黒い瞳に香奈恵が写っている。それは青ざめて、怯えて震えている。
しかし、香奈恵の目にはそれらが写る余裕がない。
背景では今も寿美恵と神が絡み合っているその音が響いているからだ。男の荒い息づかい。やがて寿美恵が獣のような声を上げ始めた。泣くように呻く、おねだりと哀願の呻き。耳を塞ぎたかった。
香奈恵の目から涙が一筋、流れ落ちる。香奈恵は人形のようにただそれを感じているだけだ。身体の奥を火照らせたまま。
美咲が身を寄せ、そっと耳たぶを噛んだ。
その瞬間、始めて味わう感覚が全身をぞわぞわと嬲った。それに反応して、身体の奥がキュッと収縮するのがわかった。
『さぁて・・・次はあんたのお母さんを玩んだ、あの男に罰が当たる番・・楽しみにしていましょうよ・・・』
するりと、美咲の白い手が闇に溶けるように翻った。姿が消える。声だけが続く。
『あいつに罰があたったらさぁ・・・もっともっと気持ちよくしてあげる・・・約束する・・教えたげるよ、あたい、処女は男のより好きなのさ・・』
その声と歯の感覚が耳たぶに残ったまま、すべてが闇に飲まれた。
しかし。どこかから、微かに音がする。
足下に泣いている男がいた。それはもう、悲しそうにむせび泣いている。
香奈恵は男がこんな風に泣くのを見るのも始めてだった。
火照っていた、身体が冷やされるぐらいそれは哀切を極める声だった。
『レイコ、レイコ・・・』
慟哭が揺らぐように繰り返された。
香奈恵はその顔を見て、はっきりと驚きを覚えた。
「あなた・・・仙人・・・・?」
男が顔をあげる。髪は黒く、顔は若々しかった。
結構いい男じゃんと、つい心が思う。
『死んでしまった・・・私のせいだ・・・』
『もう、何も残っていない。誰も覚えていない。死にたいのに、死ねない・・』
死にたい死にたいと、嘆く男の顔には次第に深い皺が刻まれていく・・ああ、この人をこんな風にしたのは絶望なんだ・・・と、なんだか香奈恵にはすごくよくわかった気がした。





旅館『竹本』から鈴木真由美が消えたのは翌朝のことであった。
朝6時半、目が覚めた飯田美咲は隣の布団が空っぽであっても最初は気にしなかったという。露天風呂は朝の6時からやっている。ちょっと準備がバタバタになるが、入ろうと思えば入れないことはない。もしくは、その辺を軽く散歩でもしているのではないかと思っていたのだと、彼女はロビーに降りて来て綾子に相談した。
その時点で7時。通常なら身支度を終え朝食を食べている頃、その後はお弁当を受け取ってロビーで迎えの車が8時前に到着するのを待つのだった。
前日に4日間、発掘を一緒に続けていた4人のうちの2人が帰宅。宿泊6日の予定を最期まで残っていたのは、真由美と美咲の二人だけであった。
厨房に引っ込んだ綾子は調理場勝手口の内鍵が開いていたことを朝の5時には起きていた浩介から知らされる。祖父が下足を確認し、真由美の靴は残されているが客用サンダルが一組なくなっていることを発見した。これによって宿泊客はおそらく、自らの意志で出ていった可能性が高まったわけだが疑問が残る。
部屋に荷物が前日寝る前のままの状態で残されていたのだ。後で駐在さんが香織の見守る前で旅行鞄とハンドバックの中身を検分したところ、貴金属や銀行のカード、保健証等の貴重品(その中には布のカバーに包まれた真新しい母子手帳もあった)や現金の類いがすべて残されていた。さらに当日の発掘に出かける為の準備、枕元には作業用の服と下着がキチンと畳まれて置かれたままであった。
綾子が美咲から話を聞いた時に真由美が寝間着から着替えた形跡がないという点が何よりも彼女の非常警報を刺激していた。
そのことがなければ綾子も、欠伸を噛殺してばかりの白峰巡査を即座に呼ぶことはしなかっただろう。
鈴木真由美は寝間着のまま、『竹本』の浴衣の姿にサンダルのまま施錠されてはいないが[従業員以外立ち入りはご遠慮ください]と張り紙された厨房の中に入り、玄関が開かれる6時を待たずにおそらく午前5時よりも前に自ら裏口の鍵を開けて何処かに出て行ったまま、今だに帰って来ていないということなのである。
綾子は浩介と祖父に二言三言相談するなり、すぐさま駐在所に電話をした。
7時を少し過ぎていた。

スパイラルツウ-4-4

2010-05-05 | オリジナル小説



彼は重い足を動かし続けていた。
また、戻って来てしまった・・・
何年も何度も捜し続けて、ここにはない、ここにはいないとわかっているのに。
かつて愛し合った人はもういない、たった1人ぼっちであるという思いが深くなるばかりであった。来るべきではなかった。年を追う度にもう心は折れそうであった。
それでも、ここに彼女がいる。どこかにいるはずだという思いが捨てきれない。
それは、根拠のない確信だった。ここをうろつけばうろつくほど・・・ここにいるという気持ちが高まっていく。そして捜せば捜す程、どこにもいないのだと言う思いも彼の心を蝕んで行く。
あれほど、幻聴であろう『声』に幾度も否定されて。
それこそが自分の内なる声。
とうとう本当に狂い始めているのだとしても。
彼女を見つけ出せないのならば、自分の存在価値などないも等しい。
残された生をその為に捧げる意外に彼にはもうできることなどないのだ。
各地をさすらった末にそれを何度も確認する。
だからまた、ここに戻って来た。
山の中の廃屋の前に再び、彼は立っていた。
この家の辺りが一番、想いが強い。なんでだろう。
彼女はここに特に縁があったわけでもないのに。
ここにあるのは彼女の腹違いの姉が嫁いでいた家の残骸に過ぎない。
二人は、仲が良かったわけではなかった。
妹はともかく。
仲が良いどころか、姉は妹を憎んでいた。妬んでいた・・・呪っていたかもしれない。その旦那と共に。姉は妹に手を差し伸べることを拒み、結果として妹の死を早めた・・・。そして自分は・・・それを防ぐ事ができなかった。自分の油断。
そしてたった一つの拠り所であったものも、失った。
なんという無力感。自分のできることはもう本当にないのか。
ここでこうして、次第に狂って行く以外に?。
絶望を重荷のように背負った男は背中を丸めて再び、窓の入り口から中に潜り込む。
埃が舞い上がり、嗅ぎ慣れたカビ臭い匂いがする。その薄暗さは彼を安心させた。
『おや・・・帰って来た・・・』
再び、物陰から囁く声がする。彼は暗がりに目が慣れるのを静かに待つ。
この『声』も帰っていたのか。この間は、つかの間消えていたのに。
目が慣れると床に自分や侵入者達の付けた泥の足跡が無数についているのが確認できたが、やはり誰もいはしない。『なぜ・・・あきらめないんだろう・・・』
姿の見えない崩れた階段の作る暗がりから声は囁いてくる。
『しつこいこと・・・お前には、絶対に見つからないのにね。』
「なんでだ。」思わず、始めて男は『声』に答えていた。
「見つからないはずはない。」思ったよりも大きい声が出た。
『彼女は私が持ってるのよ。』
「持ってる?何を?彼女の何をだ?」
男は自分が発狂する恐怖と戦いながら会話を続けた。
『あなたの愛おしい女のしゃれこうべ・・・』声が耳元でささやく。
『欲しいでしょう?』勿論、側に誰もいないことは男にも痛烈にわかっている。
「欲しい。」はっきりと自分の声が虚ろに響くのを男は聞いている。
その声は切望のあまり語尾が甲高い。
『手に入れる為なら、何をする?』耳に熱い息がかかる。
『あなたは何をしてくれるの?あなたはその為に・・なんでもするのかしら?』
「なんでもする・・・レイコ。レイコの為なら。」
もう一度、会いたい。別れの言葉もなかった・・・もう一度、話せたら。
権現山の仙人はとうとう耐え切れずに、頭を抱えて廃墟の真ん中にしゃがみ込んでいた。丸まった背中に静かな声がした。
「本当になんでもしてくれるの?」その声を聞いた仙人は弾けるように顔をあげる。
「レイコ・・・!」彼の喜びは確信に変わる。自分はとうとう気が狂ったのだ。
「私はずっと寂しかった・・・1人ぼっちで・・」
レイコと呼ばれた女はひっそりと笑うと寄り添う黒い影の中から歩み出た。




「でもなあ、ユリ達の思い違いじゃねえの。」
数日前に子供達が竜巻のように駆け抜けた山道に慎重に足を運ぶ集団がいる。
そのしんがりを行く、ガンタにはまだ信じられない。
「だってなんだか・・・だとしたら、すごく老けたんじゃないか?」
「そうそう、私もそう思った。確かさ、あの人って白髪なんか全然なかったじゃない。汚かったけど、髪も黒かったし背だって真っすぐ、ピーンって感じだったよね。さっき、見た感じじゃ、今じゃしょぼくれちゃって見る影もないってことになっちゃうよ。」香奈恵も並んで木の根を跨ぎながら、賛成する。
「でも、事実だもん。」
ユリが先頭に立つジンのすぐ後ろに続く。
「センニンにナニカがあったのかな。どう思う?アクマ。」
ジンは黙って肩をすくめる。そんなことは悪魔にもわからない。興味を持って追いかけていたならともかく。この3年、ジンは相変わらず渡のいる神月を遠巻きにしてチャンスを我慢強くひたすらに待っていただけなのだ。
懐疑組の筆頭は列の最後を歩く、ガンタと香奈恵。
間に挟まれた、渡とトラはどっちつかずの半信半疑組に分類される。
「この間、後ろ姿しか見てないからなぁ。」今更、渡は後悔している。
「わしはの次の日、確かに見たんじゃが。まったく、気が付きもしなかったの。60歳ぐらいの普通のおっさんじゃと思っただけじゃからの。」
首を振って、トラもしきりにぼやく。
「あの顔じゃと言われれば、そんな気にもなるが・・・どっちにしろ、仙人殿は前会った時は髪も髭もぼうぼうだったからの。」
「あれを全部、剃ったんだったら?。だったら、あり得るのかも。」
「実は髪も染めてたってこと?髭も?」
「・・・一夜にして白髪になることもあると言うからの。」

ガンタが空気を嗅ぐような仕草の後で、足を止めた。
「仙人らしき人物は、この間の廃墟に入っていったみたいだぞ。」
「みたいだぞって、なんでわかるのかな。」ジンが口の端を歪めて振り返る。
そしてガンタの肩の辺りにモヤモヤしたものがあることに、始めて気が付いた。
「おやおや。」
心地よい驚きと共にジンが眼をすがめるのを見て、ガンタは身を竦める。
「使い魔ってわけか。」何よりも退屈を嫌う悪魔に取っては、おもしろい展開である。「使い魔?」「ドラコって言うんだ。」「教えるなよ、渡。」
「ドラコ?ドラコって何よ、ガンタ。」「使い魔なんかじゃないからな、怒ってるぞ。」
「ガンタのペットだ。」「飼い主じゃなくて?」
「うるさいぞ、ユリ。余計な事言わなくていい。」
「ペットって・・どこにいるのよ?」香奈恵が不機嫌につぶやく。
渡がこっそりとトラに囁いた。
「どうしてジンさんには今まで見えなかったんだろね?」
思えば御堂山での出会いからドラコはガンタと共にいたのである。

(それはにょ)ガンタの肩から伸びた影が自ら渡に説明した。
(いるとこが違うのにょ。もともとドラコがいるのはワームホールにょ。ドラコは大きな次元にいると同時に、ガンちゃんの回りのエネルギーに隠れていたにょ。今は地球のミルフィーユの間に潜り込んでいるにょ。でも、悪魔の感知できる次元とは微妙にずらしてみたのにょ。隠密ドラコにょ。)
ここで、鯉のぼりは大きく反り返る。
(これはでっかいバラキにはできない技なのにゃ!ドラコだって、ワームドラゴンなのにょ!日々切磋琢磨進化してるのにょ、とっても偉いのにょ!)
この発言が聞こえるガンタは口をへの字に曲げ、顔をしかめた。
ユリは歩きながら笑いだし、トラと渡は顔を見合わせて互いに首を傾げた。
香奈恵だけがきょとんとし、居心地の悪さを覚えている。
デモンバルグが神興一郎の姿を取っていなかった時には、バラキはまったく掴めずドラコも気配しか辿ることはできなかった。逆に物理的な存在と化している今のジンのことは人間とまったく見分けがつかない。
渡やユリのような霊感があると言われる人間に感知されるようにと、ドラコの方が自分を近づけて行くことによって、ジンはようやくドラコの気配に気が付くようになったということらしかった。
「まったく、わからん話だのう・・・」
「私もだわよ。」ドラコの声が聞こえない香奈恵は違う意味で共感。
しばらく無言で草を踏む音が続いた。
「まあ、いいさ。」怪訝な顔でジンがもう一度、目をやるが、既にその影は悪魔の視界から消えていた。ドラコがいる場所をずらしたのだろう。ガンタは香奈恵が脇からしきりに覗き込む視線を他所に、何食わぬ顔で足を動かしている。
「宇宙人にも色々と秘密ありか。」
「宇宙人って?」
「地球人も宇宙人だって話だよ、香奈ねぇ。」
「ああ、そういう比喩ね。」
「比喩ねぇ。」ジンは小さく笑って前を向く。
「悪魔だって人間からみたら、宇宙人みたいなものだろ。」
「悪魔? 唐突・・・どうしたの、ガンタ、何の事?悪魔って???」
「世の中には、悪魔みたいな人間もいるってことだよ、香奈ねぇ。」
「ああ、形容詞みたいなもののこと?。で、誰が悪魔みたいなの? まさか、私のことじゃないわよね?」
「形容詞か、フン、形容詞だってさ、ジンさんよ。」
「聞こえてるよ。」
「やれやれ。」トラが最期にため息を付いた。ほだ木の並ぶ杉林は、下り道に入っている。大きな樫の巨木が見えて来た。
「また、あそこに行くのかの。どうも気が進まぬのう。」
トラにとっては自分が何も感じられなかった不可解な場所、よって不気味な場所なのである。(ドラコに任せるにょ!)「わしとガンタはお前だけが頼りじゃ。」
ドラコの気配にジンは後ろ髪がザワザワすることに気が付いたが、何も言わなかった。


その頃、旅館『竹本』の富士の間で寿美恵がえらい腹を立てていた。
名目上は、泊まり客の神さんに頼まれて近隣の伝承を集めた本を図書館で借りて届けに来たということにしている。しかし、その本心は個人的にむかつく出来事があったので泊まり客を誘ってドライブにでも行こうかと思った為であった。
ここ数日は梅の間と富士の間だけしか客はいない。夕餉までの僅かな数時間は、寿美恵にとって自由時間である。
なのに、寿美恵が退屈しないいい男だと現在ぞっこん?の神興一郎は残念ながら留守であった。
なんでも綾子の話では、ガンタや子供達と出かけたらしい。
寿美恵はがっかりしてしまった。
本当はいけないことであったが、富士の間の座布団に腰を下ろすとため息を付く。
身一つでフラリとやってきたジンである。荷物は小さなディバックだけで、身の回りはキチンとし過ぎるぐらいに片付いている。
勿論、寿美恵だっていくら乗りがいいとはいえ、この泊まり客と本気でどうにかしようとか、どうにかなるとかとは思ってはいない。
過去にはそういうこともあったが。公にはできないことだ。
母屋の自室にはこの間から、返事を迷っているお見合い写真がまだ置いてある。
セイさんの奥さんから持ち込まれた話で、断りづらい。仲人趣味の奥さんに辟易としている、旦那のセイさんからは断っちまっていいと言われている。
ただ、寿美恵にだって本当はもうわかっている。
いい男ばかり、追いかけるそんな年齢では自分はもうないのだと。
そしてそんな自分の面食いのせいで過去、いつも幸せを逃してきていたのだと。
そもそも最初の結婚から。
香奈恵の父親である誠二は彫りが深く顔立ちが良いうえに哲学者のような知的な風貌が漂っていて、寿美恵の一目惚れであった。親のコネと地道な情報収集、加えて奥手の相手に反撃を許さない猛アタックと既成事実&強引親披露でもって押しに押し、結婚まではとんとん拍子にこぎ着けた。寿美恵がはたと素面になり、相手の気持ちを考えたのは・・・果たして誠二の趣味嗜好に自分があっていたのかどうかなどとフト思った時には、既に二人は結婚した後でありお腹には最初の子供がいた。
その妊娠中から、誠二の浮気が発覚し始めたのだった。
苦い思い出である。自分から離婚を切り出し三行半を突きつけたように見えるが、実は自分の方が捨てられたのだと言う思いがどこかにある。
結局、自分は誠二にとって共に人生を歩むパートナーとしては役不足だったのだ。
彼が自ら選んだ相手が、考古学の彼のゼミの教え子で発掘のパートナーであったことがそれを如実に現していた。
離婚した後で、自分は誠二を本当には愛していなかったのだということを寿美恵はもう思い知らされている。
誠二は自分をうっとりとさせる顔、そんな記号でしかなかったのだ。
寿美恵はため息をつく。
同じ間違いをまたするつもりなのか。しかも、10歳も年下の相手に。
本をテーブルに重ねて置くと寿美恵は立ち上がった。ここに来るのも控えなくてはなるまい。娘の香奈恵だって、もう色々なことがわかる年頃だ。
それなのに。疫病神の鈴木真由美め。寿美恵は唇を噛んだ。
それよりも、不可解で不愉快なのはその情報を自分に伝えて来た女。
飯田とかいう真由美と同じ部屋の女だった。
ああいう手合いは理解に苦しむ。おそらく、真由美に含むところでもあるのだろう。
まさか、又誠二が・・・?
どっちにしろ、飯田とか言う女にもキッチリ言ってやったようにもう、自分には関係ない話だ。もしも仮に、誠二が真由美を裏切ったのだとしても、真由美をいい気味だとも思わない。それはもう過去の遠い話なのだ。
なぜ、それがわからないのか。
寿美恵としては、鈴木真由美にまったく気づかなかった自分をむしろ誉めてやりたいくらいだった。
既に古い傷跡となっていた証なのだから。腹立たしいのは、ずうずうしい元の夫の方だが、女性達を野宿させるのが忍びなくて一番近いこの旅館を選ぶしかなかったのだと思えば理解もできた。むしろ、日頃お世話になっている『竹本』の為には本当にありがたいと思える部分もある。この年月は無駄ではなかった。そんな風に考えられるようになった自分は、あれから随分と大人になったのだなと寿美恵はしみじみと年月を振り返った。
なんと言ったって、誠二と言う男は発掘さえとどこおりなく済みさえすればご機嫌な男なのだ。そんな職人的な誠二の気質を結婚していた当時の寿美恵はまったく理解しなかった。理解しようともしなかったと言っていい。少しでも、仕事が伸びれば、帰りが遅くなれば毎日うるさく電話して責め立てて・・・そんなカビ臭い仕事と家庭のどっちが大事なのかとか、今思い返せば顔が赤くなるような罵詈雑言を浴びせかけていたわけで・・・嫌われるのも当然かもしれない。
もしも寿美恵が彼の趣味でもあり生涯の仕事と思っている考古学に少しでも理解を示し、安心して機嫌良く発掘できるような環境を自宅に作り上げてやっていれば誠二も家に寄り付かなくなることもなく、浮気することもなく二人の結婚生活はもっと続いていたのかもしれなかった。
寿美恵はともかく、富士の間を出ると鍵をかけた。今、客は誰もいない。
何かこんな気分を吹き飛ばすものを見つけなくては。
兄の浩介には悪いが、寿美恵の足はカラオケのある宴会場へと自然に向いて行った。

スパイラルツウ-4-3

2010-05-05 | オリジナル小説

その男の選んだ道の先にある神月の阿牛邸ではある奇妙な現象が奇妙な面々によって見守られようとしていた。

「見て。」ユリがたいへん緊張した面持ちで、2階から玄関エントランスへと降りて来る階段を見つめていた。
『見て』と言われた他の面々、渡とトラ、そして悪魔と呼ばれる神興一郎は促されるままに一列に並んだままその階段を見ている。
かつてその現象に遭遇したものの今だに何も見ることのできないガンタは無言でその間抜けにも見えるずらりと並んだメンツから少し距離を置いて立っていた。
見える人には見えていたが、ガンタの肩から頭へと蛇のように絡み付いているのはワームドラゴンのドラコである。
ドラコも野次馬ならぬヤジドラと化して再度参戦、参加している。
「来た・・・」ユリが渡の手をギュッと握る。
トラには何も見えなかった。この間の廃屋で起きた出来事とまったく同じ、無力感がこの宇宙のエリート、宇宙人類ニュートロンのプライドをいたく傷つけていた。
『わからぬのう・・・』しばし、自分をこの部隊に選抜したイリト・ヴェガを恨みつつため息を付く。『何もあるはずないという先入観がいけないのかもの』
ガンダルファはドラコを通して揺らめく空気の固まりを今度は感知することが出来た。これ以上はまなじりが切れるかと自分でも思うぐらいに目を見開いていた。その陽炎のような揺らめきに、かつて恋した少女の面影を捜して。
そして、渡とユリの目にはおぼろな影・・・女性のように見える・・・白い裸足の足先がつかの間、閃いて歩み消える・・・を見て取ることができた。
そして。
人ならぬ、魔性、デモンバルグである神興一郎の目には・・・。
空間の裂け目から突然に現れた鮮明な映像。
ジンは食い入るようにそれに魅入られた。
それは1人の女性だった。その女性の面影にジンは記憶を呼び覚まされる。
美貌と言っていい女だった。白い着物に日の袴・・・巫女の装束に身を包んでいる。長い髪を乱したままの人形のように整った面には一切の表情がない。
目は虚ろであった。何も写ってはいまい。そして女の手に肩に美しい金色に輝く光の糸がまとわりついている。
その巫女の装束のせいであろうか。記憶がデモンバルグの封印を揺さぶった。
この女・・・見たことがある?
いや、違う。しかし、已然としてその感覚は消えなかった。
この女ではない。似た女だ。いったい、どこで?
「そうさね・・・巫女さんさね?」
ジンはやっと声に出して呟いた。
その声はガンタも渡もうっかりしていたら聞き逃すほどに小さかったのだ。
「巫女?」ガンタは見開きすぎて乾いた瞼を瞬いた。
「そんな細かいとこまでよくわかるな。」(さすが、悪魔はすごいにょ。)
「ねぇ、巫女さんって・・・それってきっとじいちゃんの叔母さんだよね!」
思わずこだわりを忘れて渡は直接、ジンに話しかける。珍しくユリも睨んだりしなかったのだが、肝心の悪魔は放心しているようだった。
「まちがいないよ。ねぇ、ユリちゃん!」
「・・・そだな。」ユリには心のうちにもう一つの名前があったのだが、それを口に出すのははばかられた。その名は・・・母と言う存在は・・・その胎内を通して誕生した訳ではないユリにとっては口に出すのももったいないような、複雑な思いにかられるのだった。(自分がどうやって誕生したのかは早い時期にアギュの細心の注意と愛情を払った丁寧な説明によって、既に知っていた。ニュートロンであるタトラ達などはむしろ人工的、機械がかりな産まれと育ちの方が当然の常識であったのだから、ユリの抱いた感情は心配されたよりもずっと浅いものだった。)
ユリが見たかったもの、ユリが気にしていたのはジンの反応だけである。
そのジンの様子にユリはいぶかし気な視線を投げる。
「・・・ジンはどう思った?見えたんだろ?」声は慎重であった。
ジンはフッと力を抜いた。ジンの見つめていた女の幻は壁の先へ、もう一つの裂け目へと吸い込まれるように消えて行った。
「・・・戦時中さね・・・」
感じ取ったことの一端をもらしながら、ジンは先ほどの面影に目の前の少女を重ねた。巫女装束の女性の青ざめた顔には、目の前のユリにある強い生命力は微塵もない。しかし、間違いなく強い血縁を感じさせた。
まさか悪魔が苦手だと感じる女性達特有の共通点というわけではあるまい。
そんな馬鹿な。
口の片側で笑いジンは額の冷たい汗を拭った。悪魔が冷や汗をかくなどと。

「僕の大大叔母さんなんだよ。」渡がもう一度、繰り返した。「ねえ、さっき始めて知ったんだけど。あの人ってユリのおばあちゃんなんだって?僕ら、そうなると・・・はとこなの?はとはとこ?」
「はとはとこはないだろ?親戚ってことだ。」ガンタが訂正する。
「お前らさ、つまり・・親戚ってこと? 宇宙人と・・・この渡が親戚?」
「宇宙人じゃないよ。」「ウチュウジン違う!」同時に渡とユリ。
「・・・同じ人類なんだ。」ガンタが呟いた。
「話せば長くなるから短くまとめるとだ。俺らとここの人類はさ、こっちとあっち・・・育った場所が違うだけで根っこが同じなんだ。」
「へーぇ、ふーん、ほんとにそうなのかい?」ジンはあくまで疑う姿勢。
「俺にはおまえらはおいしくないんだけどさ。」
「おいしくてたまるか。」
「とにかく、」渡がユリの手を掴む。
「僕らは親戚なの!あの人は、僕にとっても関係ある人、大事な人なんだからね!」
じいちゃんに会わせてやりたい、と渡は思う。初恋の人だ、じいちゃんは泣いてしまうんじゃないかしらん。
「正確に言うとの・・・ユリ殿は渡の叔母さんになるのではないかの。曾祖父さんの兄弟の孫だからの。渡は曾孫だし。」
「オバサン?!」二人は大きな声を合わせる。「オバサンだって!」
渡はおもしろがったが、ユリにはおおいに気に入らないらしい。
「そんなことより、アクマ、だ!」足をドンと鳴らす。
「ジンが見たのはミコさんだけなのか?」
「他にいなくちゃいけないのか?」逆にジンは聞き返す。
「俺が見たところ1人だけに見えたが。」
「能力ねえなあ。」ガンタがブーイングする。
「もう一人、いるんだってよ。ユリちゃんに言わせると。ユウリって、ユリちゃんのお母ちゃんだよ。」
「知らんよ。」ジンは肩を竦めた。「まあ、悪魔に多くを期待するもんじゃないさね。」
「ユリのお母さんは宇宙に行ってたんだね。すごいなあ。もっと早く教えてくれれば良かったのに。阿牛さんが話ちゃいけないって言ってたの?」
渡はユリをそっと振り返る。
ユリは悲しそうに首を振った。「そじゃない・・」だけど。
「前言ってた、秘密ってこれだよね?死んでるけど・・・死んでないって・・・お母さんのことなんだ?」ユリは無言でコックンとうなづく。
この話題になると爆裂はしないんだな、とジンはユリの一面を心に留める。
しかしすかさず、爆裂よりも冷ややかな氷の視線が向けられた。
「アクマ、役立たず・・・」
「失礼さね。失礼極まるさね。」
ジンは再び自分の記憶に立ち返る。しかし、進展は見られなかった。
「・・・いつもこの時間に現れるってわけさね?」
「ううん。いつもここと・・・ここを彷徨ってるカンジだ。」
ユリは階段の上から下を指差す。その線はジンが確認した空間の裂け目、玄関の敷居辺りで消えている。渡が首を傾げる。
「それって・・ぐるぐる回ってるってこと?」
「時間は決まってないんだろ。」ガンタが口を挟む。「俺なんか、何回もここで気を付けてみていたら段々、前よりは感じるようになって来たんだ。タトラも精進すればいまにもっと感じるようになるんじゃないかな。」
「なるほどのう」タトラは残念そうにまだ階段を上から下へと何度も視線を走らせていた。「せっかくなんだから、ぜひ見てみたいものだの。」
「で、どうなんだ?アクマ。」ユリも最初程の勢いはなかった。
「うーん。」ジンはやっと眉間から手を放した。「なんか記憶が・・過去の一部がここに刷り込まれているみたいだな・・・亡くなったのはここだっけ?」
「ここじゃないよ。」口々に声が上がる。
「死んだのは神社の跡地だって聞いたよ。」「死体も見付からなかったらしいの。」
「軍隊がどこかに運び去ったとか。」
「殺されたって聞いたけど。」ガンタの爆弾にみんなが黙る。
「ユウリが・・・ユリの母ちゃんから直接聞いた話だと・・・巫女さんだった母親は誰かに殺されてユウリは他の誰かによって逃がされたんだって言ってたんだ。」
「役立たず。お前の情報だって漠然としてるさ。」ジンはため息を付く。
「まず・・・その叔母さんのフルネームはなんて言うんさ。」
「神代麗子。大大叔母さんはレイコっていうんだ。死んだのは確か28歳。」
「9人兄弟の末っ子で母親が他の兄弟と違うのじゃ。竹本の家から、養子に行って神代神社の巫女を継いだらしいの。」
「なんか、複雑さね。誰か当時のことを知ってる人とかいないんかさ。」
「もう60年以上は前のことだし・・・」ガンタは唸る。「当時の人って言っても・・渡のじいちゃんなんか子供だったわけだしなぁ。この月城村の中でも、当事者はほとんど死んでんじゃないの?」
「ナァ!」ユリが躊躇いがちに声をあげた。「ガンタ・・・その人の・・・そのカアサンの・・・アタシのオジイサン・・・には・・ほんとにもう何も聞けないのかな?」「う・・・ん」ガンタの唸りがさらに大きくなる。「実は・・・アギュから聞いたとは思うんだけど。ユウリのお父ちゃんは・・・行方不明なんだよ。」
問い合わせた先からは死んだんじゃないかという回答が帰って来たとは言えなかった。遺伝子保存法を破り、派遣されたこの果ての地球で未分類の人類と子供を作ったユリの父親はオリオンの中枢にある特別な監獄で自分が囚われる一因でもあった愛娘の訃報を聞いたはずだ。彼の罪はその娘の消滅によって減刑になり、即時解放となった。任務を永久に解かれて特権もすべて奪われ故郷に護送されたそのあとに、その男は脱出をはかり失敗し行方知れずになったと見られている。警備隊の追跡部隊は故郷の太陽系の別惑星の軌道に破壊された船の残骸を発見している。ゆうりの父親の乗っていたと見られる旧式の船はワープ航法の途中で破損しバラバラに砕けて異次元から投げ出されたのに違いなかった。遺体等とも言えない極少量の人体の破片が回収されたが、爆発の衝撃と熱にさらされた上に宇宙線と絶対零度によって細胞が完全に破壊されていて特定の人物であるのか、ないのかと言った複雑な鑑定は不可能であった。わかったのは確かに人類らしき生物の肉と骨の成れの果てではないかと言うことだけであった。
「そうなると・・・そうさなぁ。」ジンは顎をこすった。「どうしてこの場所に記憶が傷を残したのかも調べる必要があるが・・・その亡くなったという場所にも行ってみるさね。遺体もないんじゃあ、それも捜す必要もあるしね。」
「御堂山に葬られたって噂もあるんだ。」渡が咳き込むように「ねぇ、ジンの力でさ、
なんとか、見つけられないの?」
ジンは3年前を思い返す。あの山は、中腹や沢に2、3歪んだ場所があったような気がする。あの時は特に関係なかったので、くわしく調べてもないし近寄ってもいない。地中に葬られた遺体があるのならば、自分だったら調べようと思ったら雑作もないことだ。
邪魔者は多数だが、長年追って来た今は渡となっている魂と行動を共にするのは久しぶりである。爆裂ユリが睨もうが、渡と眼を合わせると自然に顔がほころんで来るのは防ぎ用がなかった。
「なんとか、その・・・やってみるさね。」
期待に満ちた渡のうなずきに久しぶりにジンは充実感を覚える。
「とりあえずは・・まず、その神社跡へ行くとして・・・この空間がどこをリンクしているのか、捜してみるとするか。」



総勢、5人。普通の人が見たところ、大人二人、子供3人は阿牛邸を出た。
そこでバッタリと出会ったのが、香奈恵である。
「あー、どうしたの?みんな!」香奈恵は手を振って駆け寄り、門扉の前で合流した。「揃ってどこ行くのよ、ずる~い。」チラリとジンに眼を走らせたのは言うまでもない。「ねぇ、観光?ジンさんを案内してるんだ~名所巡り?でしょ?」
4人がちょっと説明に詰まったところで、ジンが如才なく応答する。
「そうさ。これから、御堂山に行くつもりなんさ。君は・・・噂に聞く、香奈恵ちゃんさね?」
「私の名前知ってたんだ~!うっれし~!」
寿美恵からに決まってる。どんな噂なんだかと思ったが、顔が赤くなった。
「ママリンがいつも、お世話になっています。」
お世話と言うのもなんだが、と更に顔が赤くなる。寿美恵のことをなんだと思っているのか、問いただすいい機会かもしれない。飯田美咲のことは意識的に黙殺。
「君もお母さんに似て、美人さんさね。」
「やっだー!」
回りの外野、特にユリの眼が細くなって来たのに香奈恵は気が付かない。
「お前も面食いなのは、寿美恵さん譲りだな~」とガンタがボソリ。
「うるさいぞ、ガンタ!」
「香奈恵はさぁ、勉強だろ?家にも帰らないで、何、こんなとこうろついてんだよ。」
「あ、そうそう!」思い出してキョロキョロする香奈恵。
「ナニ、どうした?なんか、あったのか?」
「私さぁ、尾行して来たんだよね。」香奈恵は峠に続く道を指差した。
「尾行?」
「香奈ねぇ、誰をだよ。」
「それは穏やかではないのう。」
「ほら、この間、うちに泊まった浮浪者じゃなくて、遭難者・・・」
「あの男がどうしたんだ?」ガンタとジンの声が重なる。ジンの方がやや鋭い。
「まだ、この辺にいるのか?」
「いるのよ。さっき、村をフラフラしてて。」香奈恵が声を潜める。
「おかしいでしょ?だから、私追って来たんだ。また、遭難されてもなんだし。」
「確かにおかしいのう。」トラが香奈恵の意を理解するや、道に足を踏み出す。
「そもそもいったいなんだって、この土地に来たんかの?釣り客でも登山客でもないのにの。命からがら救助されて、又もやノコノコやって来るとは・・・」
「確か、横浜からよ。」香奈恵が補足する。「それに又、荷物とかなんにも持ってないの。いったい、どうやって来たのかしら?日帰りに来るのも変じゃない?」
「おい!アタシ達は、御堂山に行くんだろ?」ユリが峠に歩き出した全員に苛立つ。
「どっち行くんだよ。」ジンの手を思わず、掴んだ。
「アクマ、旅行者なんてどうでもいいだろ?」
「おや、そうかい?」1人、ずっと無言だったジンが振り返る。口元には馬鹿にしたような笑いが張り付いている。「御堂山はいつでも行けるだろ。なぁ、お嬢ちゃん。」
「あ、でも確かにそうだけど・・・ジン、ユリちゃんの用事の方だって大切だよ。」
渡が足を止め、振り帰った。自然に呼び捨てにしているが、気が付かない。
「なんだ、お前も、気がつかないの?そりゃ、残念さね。」ジンが声を落とす。
「特にお転婆はもうとっくに気が付いてると思ったのにさ。」
ユリは一瞬、不信な顔をするがすぐにマジになる。
「やっぱりそうか・・・!あいつ・・・会ったことあるか?」
「えっ?誰々?」
「ちょっと様子が変わったけどさ。あいつはこう呼ばれていたさ・・」
ジンが得意そうに口を開く。
「権現山の仙人とさ。」

スパイラルツウ-4-2

2010-05-05 | オリジナル小説

「ごめんなさい。」若い女が華やかな声で謝る。
まず、背が高いなというのが第一印象だった。香奈恵は160センチあったが、見下ろされるのは好きではない。
銀の鋲が羽の模様を胸に形づくる華やかな色彩のパーカー、この辺ではあまり見かけない。セレブ風ファッションというのだろうか。Gパンのカットも狭く複雑な加工、煌めく縁取りが豪華だ。靴も香奈恵が通販雑誌でチェックしたような流行の形。色は銀色。同じ色のバック。
それだけを見て取ると、香奈恵は旅行者にまちがいないと判断した。
黙って頭を下げてやり過ごそうとすると女が呼び止めてきた。
「あなた、竹本旅館の娘さんよね。」
怪訝に思い顔をあげ、香奈恵は軽く驚いた。とびきりの美人だってことは女の香奈恵にだってわかる。こんなあか抜けた女はなかなかいない。まして、この月城村に。ちょっと化粧が濃いがこんなのは最近の流行で許容範囲内だ。ただ髪は今時にしては珍しく、黒く長くてまっすぐで完璧な卵形の顔の両脇からたらしている。香奈恵は思わず魅入ってしまう。テレビで見た女優さんみたい。そんな既視感があるが、絶対に知らない顔なのはまちがいなかった。
「ほら、竹本旅館にね、」女はしきりに思い出させようとする。「私も泊まってるのよ。私は、飯田美咲。さっきここに一緒にいた人、鈴木さんでしょ? ほら私はさ、鈴木さんと一緒に泊ってるうちの1人・・・わかる?」
ああ~、と香奈恵はお愛想の声を出す。
鈴木真由美は4人連れで1部屋に泊まっている。そう言われれば、なんとなく見覚えがあるような気がした。しかし、こんな美人がまったく印象に残ってないなんて不思議な気がした。確かに初日は、真由美にしか全神経を集中していなかったし、後は梅の間の客達にはあまり会わないように、見ないようにしていたのだから仕方がないのかもそれない。でもそのせいで着こなし見本のようなこんなファッションモデルを見逃すなんて、ちょっともったいなかったかもなと香奈恵は思った。
ほんとじいちゃんじゃないけど、まったく目の保養だよ、これは。
そんな香奈恵の心情を見透かすかのように女が小さく笑った気がしたが気のせいだろうか。ここで相手は急に馴れ馴れしくなる。
「ねぇねえ、今ちょっと偶然、小耳に挟んじゃったんだけど、あなたって鈴木先生のお嬢さんなのよね、それってほんと?」
偶然、小耳って?本当かよと、香奈恵はちょっと用心深くうなづいた。
ただ、頭はまだ相手の外見が与えたショックに酔っている。頬が熱い。
「まあ、戸籍上ですけど・・・」
「私はさあ、先生の教え子なの。今はさあ、発掘の手伝いをやってるわけなのよね。」
「・・・知ってます。」
急に不安がわき上がって来た。こんな美人が教え子で、発掘手伝ってて、大丈夫なのか誠二?。浮気者の残念なおやじ。安心仕切ったような真由美の顔が苦痛と共に甦る・・・まさか、ねぇ?子供産まれるってんだから。
幸いなことに、誠二の過去の浮気がいずれも寿美恵の妊娠期間中だったことまでは香奈恵はしらない。
「ねえ、あの旅館の女将さんって、先生の離婚した奥さんなんでしょ?きれいな人だよね、あなたのお母さんって。なんで先生と離婚しちゃったのかしら?、信じられないんですけど。私は、鈴木先生が離婚した時にはさあ、まだ大学にいなかったの。考古学ゼミを取って始めて知ったんだけど、その時には真由美さんが助手でもういましたから。真由美さんて、面倒見はいいんだけど、先生とちょっと二人で話してたりすると、すごい目で睨んでくるからうざいって言うかやりづらいのよね。先輩達の間にも色んな噂が流れていてさ。ねえ、ずばり聞くけれど、先生が離婚したのってさ、やっぱり今の真由美さんとの不倫だったわけでしょ?違う?あっ、いいのよ、安心してくれて。私はあなたの味方なんだからね。」
美咲の赤裸々な言葉とあけすけな質問に香奈恵は混乱した。こんな話し方はこの絵に描いたような美人には似合うはずもない。美咲は婉然と笑いかけたが、その笑いにもどういうわけか媚を感じた。どうしてこの人が私に媚びてくるんだろう。
香奈恵はわき上がる疑問の嵐と共に強い嫌悪感を覚える。
「あなた、あの人嫌いでしょ? だったら、私とおんなじ。幸せな家庭を崩壊させた嫌な女ですものね。いっそ、消えてくれた方がいいと思ってるでしょ? 私にはわかったわ。だってさっき、あなたのあんな表情を見たら誰だってわかるわよね。わからないのは自分勝手で超鈍いあの人ぐらいよ。自分が妊娠したって、あなたに向かって勝ち誇ってどういうつもりよね? きっとあなたからお母さんに伝わるのを期待してるんだわ。そんな話聞かされたらばもう、あなただってあの人のお腹の中の子供も大嫌いになるしかないわよね?。」
先ほどの自分の気持ちを驚くほど正確に言い当てられて、香奈恵が感じたのは押し付けがましいこの共感者への恥辱と怒りだった。顔に血が登るのがわかる。
香奈恵に作用していた美咲の魅力は、急速に薄れていった。

「ところでさ、あと一つ疑問なんだけど。」怒りで言葉を失う香奈恵に気づいたのか気づかないのか、美咲はここで急に話題を変えた。「あなたのお母さんって、富士の間の人とどういう関係なのかしら? 疑問なんですけど。」
ドキリとした。この問題も、香奈恵自身あまり触れられたくない。
「あの人、すごくかっこいいじゃない。私達、ちょっと興味あんのよね。でも、いつも女将さんが部屋にいるじゃない? まさか一緒にご飯、食べてたりするの? そういうのって、もう、付き合ってるってことなのかしら? 私、どうしても知りたいんですけど。今日、帰った友達からも頼まれているんですよ。」
香奈恵はどうにか美咲の美しい顔から目を反らすことに成功した。でも、追いかけるように美咲の視線は追いかけて来た。
「でも、あの男も軽い男よね。あの人、私達にも東京に帰ったら一緒に会わないかとか誘ってるのよ。あなたのお母さんをどういうつもりで口説いてるのかしらね。遊ばれないように、あなたがちゃんと見張らなくちゃいけないんじゃないかしら。」
今や、香奈恵の疑惑は確信に変わっていた。この人って見かけは本当に素晴らしいけれど、中身はちょっと嫌な性格なだ。やはり天は二物を与えていなかったのだ!と、心のどこかで意地の悪い勝利感。真由美も嫌いだが、こいつも嫌い。いくら奇麗だってお客さんだって、もうこれ以上の詮索は我慢の限界だった。
どっちみち、親の離婚の経緯にしても母親の男関係にしても香奈恵に答えられるものではないのだ。
もう美咲には、返事はしないことに決めた。

「失礼します!」断固とした声で視線を振り払うと、鼻息荒く足を踏み鳴らし真っ赤な頬で香奈恵は裏道を突き進んだ。
美咲が笑いを押し殺したような気配が感じられたのは気のせいだろうか。
鈴木真由美よりは歳若い分、押しが弱いのか追ってまでは来なかった。
美咲へ感じた急激な好意の反動で、香奈恵にはたまらなく不愉快な後味が残る。
かなり進んでからもう行ったかと、振り返ると飯田美咲はまだそこに立ってこちらを見ていた。
どうにか笑顔を取り繕って会釈をする。
それを待ち構えたように相手は何事もなかったかのようにニコリと笑い、手を振って踵を返した。自分の言葉が香奈恵に与えた不愉快を自覚しているのか。
なんなんだ、なんだか気持ち悪い。その上、スタイルも完璧で抜群ではないか。
その後ろ姿に、香奈恵は忌々しく思う。
オヤジや鈴木真由美とどういう関係で、どう思って一緒に作業しているのかはしらないが、香奈恵には関係ない。関わりにもなりなくなかった。私の味方だって?そんな安っぽい言葉で私の信頼が勝ち取れると思ったのなら馬鹿にされたもんだ。
神興一郎とか言う、富士の間の客に興味があるなら勝手にアタックすればいいのだ。あんな美人に言いよられたら、男なら絶対に悪い気はしないはずだ。寿美恵だって美人と言われるが、あんなすごいデルモもどきの敵ではない。寿美恵は美咲の母親といっていい年齢なのだ。どっちがお似合いと言われたらひとたまりもない。そこまで考えると香奈恵は急に母親が可哀想になった。ジンさんは確かにかっこいい。面食いの寿美恵のことだ、今回も悪い癖がつい、出たのに決まってる。
寿美恵が特定の客に馴れ馴れしかったことは、過去に何度かあった。
でも、旅館の評判を傷つけるような、それ以上の問題を与えたことはないと香奈恵は信じている。
香奈恵は役場で見た見合い相手の姿をぼんやりと悲しく思い出した。どんなにママリンが面食いだったとしても、40歳を越えた寿美恵に紹介されるのはああいう中年の独り者か、再婚の後添いしかないのだろう。・・田中さんがそう話していたから。
そうもう、それがお似合いだと、誰もが思ってるのだ。
なんだか、どんどん悲しくなってくる。
あの客も客だ。1人で寂しいからってママリンに晩酌の相手を頼むなんて。エントランスにあるちょっとしたカウンターで就寝前に二人でよくグラスを傾けてたりするが、どういうつもりなんだろう。カウンターだって、浩介おじさんがいるし厨房からも丸見えだし。1人で寂しいなら1人で旅行なんかするなっての。ガンタとかと親しいのかとも思ったけど・・・そうでもないらしいし。ひょっとして、マザコンなのかもしれない。それにしたって、断らない母も母だ。綾子おばさんやおじいちゃんが内心、どう思っているのだろうかと香奈恵は苦い気持ちになる。
役場の人ももっさりしてて嫌だが、私と付き合ってもおかしくないようなあんな若いお父さんも嫌だな。
香奈恵は再びズンズンと当てもなく歩き出した。
友人のアキラの家が近いが、彼女は今日はピアノの塾に・・・ピアノ教室の個人授業に大月に行って留守のはずだ。音大を受けるから、香奈恵とは進路が違うのだ。香奈恵は頭を巡らす。
しばらく行ってなかったが、村はずれの親戚のおばさんのとこにまで行ってみるか。
今日はもう夕方まで家には帰る気がしない。旅館と同じ竹本姓のおばさんは竹本にも野菜を提供している。正月ぐらいしか親戚の家に顔を出さない香奈恵が1人で挨拶に現れたら、びっくりするだろう。でも話好きなおばさんは子供も好きで子供からも好かれている。香奈恵が急に来ても嫌がらない自信があった。運が良ければお茶とお菓子ぐらいはありつけるだろう。
学校帰りの鞄と手提げをもったまま、香奈恵はやけくそで足を速めた。

消防団の倉庫と半鐘の前を過ぎたところで、香奈恵は前方をフラフラ歩く男の後ろ姿に気が付く。
香奈恵は立ち止まった。
あれは、先日うちに泊まった遭難者ではないか?
『竹本』に泊まった翌日、あの男は早朝に迎えに来た駐在さんに引き取られ帰っていったが、どうやら無事に自宅に戻れたらしく宿泊料を書留で送って来たはずだ。駐在さんに借りた電車賃も律儀に送って来たと聞いた。
確か・・・住所は横浜だったはず。
その横浜に帰ったはずの男がなんでまた、月城村をウロウロしているのだろう。
香奈恵は不信に思う。なんだか様子が変であった。
始めは他意はなかったのだが、方向が一緒だったので香奈恵は距離を置いて男を付ける形になった。男は白髪の混じった短めの髪を振りながら、やや前のめりに肩をすぼめるように歩いている。相変わらず、所持品の類いは見られない。服装もこの間、保護された時とひょっとして同じものなんではないだろうか。じいちゃんが、あの日裏で浩介おじさんとあの男は本当は旅行者ではなくて浮浪者なのではないかと疑っていたのを思い出した。当然宿泊料なんて払われないだろうと半ば期待していなかったのに、送って来たから渡の祖父達がすごく驚いていたのだ。
やがて、家並みが途絶えるところまで来た。男はフラフラと国道を横切る道を進んで行く。香奈恵は足を止めて、男がトラックに警笛を鳴らされながら道を横切るのを見ていた。あぶなっかしい。あのままでは又、遭難するんではないだろうか。
親戚のおばさんの家はすぐそこである。香奈恵は迷う。
しかし、男が国道を渡り神月に通じる道の方向に曲がって行くのを見ると心を決めた。携帯を取り出す。3時を過ぎたところ。まだ、時間は早い。勉強もあるが、まだ竹本に帰る気にはなれなかった。
香奈恵は足を急がせた。

スパイラルツウ-4-1

2010-05-05 | オリジナル小説


     4.悪魔が来たりて期は熟す



さて山間の小さな家庭経営の温泉旅館、「竹本」に悪魔が逗留したこの2週間弱の日々を後々ガンダルファは冷や汗と共によく思い返したものだ。
ガンダルファことガンタの同僚である、手厳しいご隠居的宇宙人類の正虎ことタトラをどのように言いくるめたものか。その片棒というより全責任は彼らの幼い被保護者に当たる阿牛ユリ、小学6年生の力が大変に大きい。
とにかく悪魔が日本式和室旅館の富士の間にしっかりと宿を定めてしまったのであった。(開いていた2部屋のうち後に遭難者に貸すことになる通常の4人部屋ではなく、6人部屋である『一番でかくて広くて眺めも最高』の富士の間を選んだのは女将の綾子である。彼女は後に「だってなんとなくあの人って富士山とかダイナミックなものがいかにも似合いそうだったんだもの。それに他に泊まり客いなかったしね、ほほほ。」と語っている。)
間新しくなって以来、書き込まれる人名がめざましく増えたわけでもない、厚さも古さもまだほどほどの宿帳に神興一郎はどうどうとした太い達筆で筆跡を残した。住所は東京都港区なにがし~とあるが確かめようがない。ただそこには家賃数十万はするのではないかという有名高級マンションの最上階がそこに記されていたとだけ書いておこう。どうせ偽住所だろと難癖を付けたガンタをジンは軽く鼻でいなしただけである。
勿論、これは後日、インクが炎となって燃え尽きたり消え失せたりはしなかった。
悪魔は板さんの清さんが腕を振るった料理を毎日たらふく食べ、それを運んで来た仲居の田中さんや寿美恵叔母さんと陽気に語らい、渡の母綾子が干したふかふかの布団で眠り、渡の父と祖父が磨き上げた小さいながらも清潔な露天風呂に朝夕3回はつかっていたのである。勿論、その他泊まり客とも如才なく日常会話を交わす事も忘れてはいない。
職業はフリーのトラベル・ルポ・ライターであるから、これはもう下へも置かぬおもてなしを受けないわけがなかった。代金をポンと2週間分前払いしたこともある。
当然、この金も偽札ではない。帳場を経て寝室の簡易金庫から無事に取引先の銀行の口座に振り込まれている。



「不思議だのう。」富士の間に置かれた祖父が我が家の一財産と呼んでる、先代からの古い屋久杉のテーブルの前に2人の宇宙人類が悪魔と向かい合っていた。
「こうして見ると、人類とまったく区別がつかん。」これはタトラである。
タトラはデモンバルグであるジンがこうして『竹本』に腰をすえているのは渡のいるこの家に入り込む手段だと見抜いている。
主を射んとすればまず、馬から。竹本家の歴史における客員メンバーにでもなる魂胆なのだろう。まずはその足がかりか。

「ちょっともう一度、脈を取らせてよ。」
これはガンタだった。ガンタとなっているガンダルファは、アギュが興味を抱いている次元生物を調査&観察するにはこれがまことに重宝なのではないかと開き直り始めたところだ。悪魔が不吉とされていようがこの際、関係ない。
悪魔と言う存在自体には懐疑的であったが、現実に目の前に存在するジン、次元生物かもしれない神興一郎には興味が尽きない。
そんな様子に自らを売り手市場とみたジンは軽口を叩く。
「俺っちさ、ちょっとお金とか取っていいかい?」
「1回、脈取らしてくれたら、100円やるよ。」
「安っ、宇宙人と来たら、けちくさいったらないさ!。」
ジンはちょっと面倒くさくなる。
「もういい加減慣れるってことさ。俺っちはさ、見せ物ではないんさよね。」
ふーんと息を吐き出したガンタとタトラは目を見合わせる。
「見せもんだよね。」「見せ物だの。」
ジンはそれを無視する。
「それより、あんた達さ。本当にあの光には連絡していないの?。」
「アギュだよ・・・阿牛社長だ。」ガンタは苦い顔。「してないって。」
「信じられないねぇ。」
「神・・・じゃなくて、悪魔に掛けて誓う。」勿論、心で舌を出していわけだが、きっと舌を出しているだろうなということは、悪魔もお見通しなのだ。
「連絡なんかしてませんて、ねぇタトラ。」狐と狸の化かし合い。
「こればかりは、信じてもらえなくても仕方ないのう。」タトラも肩をすくめた。
二人が投げやり&やけくそ気味にこう言うのも無理はない話なのである。

実は。
ドラコとバラキを通じて悪魔が旅館逗留中の困った顛末は、既にアギュに逐一報告されている。しかし、そのアギュからの返事が又、宇宙人類達を困惑させる振るったものであったのだ。四角四面と言われがちなニュートロン、タトラまでが成り行き任せの仲間と化したのはそのせいであった。
アギュからの返事は要約すると・・・ようするにデモンバルグは泳がせておくこと。油断なく目を光らせて自分が行くまでできるだけ逃がさないようにと言うものであった。しかし、そのすぐに駆けつけられない理由とやらが問題であった。
アギュの方は、天使と戦い、その中で話のわかる天使と天界に向かうと言うのだから。魔族と同じ次元生物であるはずの天使族と共に、4大天使とやらの話を聞きに行くのだと言う。
その話を聞くことはデモンバルグに深い関わりがあり、今後の彼との交渉に有利をもたらすかもしれず、この地球全体の次元を知る上でも性急を要するのだと。
そういうわけですぐに日本に戻れないから、まぁよろしくというようなことを伝令ドラコの口から言ってきたわけだ。
『天使ってあれ・・・あれだよね?あの、羽の生えた・・・』ガンダルファは開いた口が塞がらなかった。『そうらしいの。』タトラは思い切り顔を顰めた。表情の乏しいと言われるニュートロンであったが、果ての地球に来てからのタトラの顔の筋肉は随分と鍛えられたらしい。又そうでなくてはユリや小学生と張ってはいけまい。
『悪魔だの、天使だの・・・訳わからんの・・・』
『向こうは天使で、なんでこっちは悪魔担当なわけ? ずるいぞ、シドラめ!もっとも天使から遠いやつのくせして。』
シドラから遠く離れていることから安心し切った、ガンタの本音はそんなところである。バラキの地獄耳については警戒を怠っている。
勿論、アギュと連絡を取っていることはユリと渡には言っていない。
ちょっと考えれば、彼等は駐留部隊なのだ。毎日遊んでいるように見えても、これは任務なのである。ユリに頼まれたからって、素直に上司であるアギュに報告をせず、秘密にするはずもないのであるが。
なんだかんだ言っても、子供であるユリと渡はそれを信じているようで・・・それはそれで板挟みと言った、二人は心苦しい二重スパイなのであった。


「さて。」と悪魔は体を伸ばした。
「そろそろ重い腰を上げるとするか。」
「出て行くのか?」無責任なガンタの顔が輝く。それでは困るとタトラ。
「チェック・アウトではあるまいの?」
「まさか。」
ジンが肩をすくめた時だった。
「そうだ、約束を守れ、悪魔!。」離れの入り口に子供の影が差した。
「ユリ、学校から帰ったのか?」ガンタが首を回す。
ユリは彼に無言でうなづくとズカズカと悪魔の前に立ちふさがった。
「いい加減にしろ!毎日、食っちゃ寝、食っちゃ寝!いつになったらアタシとの約束を守るんだ!」床を踏み鳴らす。
「嘘つきは泥棒の始まりだ!悪魔のくせにみっともないぞ!こそ泥になってもいいのか?」
「こそ泥も悪魔も似たようなものじゃないのか?」とガンタ。
ジンは舌を出す。悪魔の舌は長いなとガンタは思う。
後ろから心配そうに渡がマスクをした顔をのぞかせている。
ユリのランドセルを自分のと合わせて隅に置いた。
「渡殿もご苦労なことだの。」
「ほら、トラちゃん休んだろ。これ、プリント持って来た。」渡が宿題を差し出す。
「久美子先生が心配してたよ。」インフルエンザというのはずる休みの口実だった。
ガンタはにらみ合うジンとユリにハラハラと目を戻す。
「来い。」ついにユリが声を出した。
「ここで毎日、ダラダラして働きもしない。悪魔っていうのは怠け者なのか、ジン。アタシだっておまえの力なんか借りたくもない!借りたくもないが仕方がないって思ってるアタシの気持ちがわからないのか。」
「わからないね!悪魔がボランティアじゃないのは確かだ。ちなみに怠惰は悪魔のよき美点とされている。」
しかし、怠け者と言われるのは数千年も渡の魂を忙しく追い回してきた働き者のデモンバルグとしては正直不愉快であった。ジンに言わせると怠け者なのは『天使』の方であるのだ。
フンとジンは立ち上がった。ユリをその酷薄な目で見下ろす。
しかし、ユリも1歩も引かない。金太郎の眉の下の目は大きく黒目もでかい。黒々と深い目は眼力で一杯だ。
つい目を反らしたジンは、後ろの渡の目と合ってしまう。
こちらの目もユリには劣るが、なかなかの真っすぐな目だ。
もう駄目だった。
「あのさ、だいたいさ、」ジンは仕方なく、咳払いをする。
「くわしい話も聞かさないで、怠け者呼ばわりはないもんだ。ほんと言うと、俺ぐらい働き者の悪魔はいないんだからさ。まず、ちゃんと話してもらわなきゃ。」
「遊んでばかりで聞きもしなかったくせに!言い訳悪魔!言い訳ばっかりだ!」
「ユリちゃんに一本!」ガンタの判定が割り込む。
ジンは自分に目を反らさせた、12歳の少女の眼力に密かに舌を巻いていた。
こいつは俺の知ってる手強い人間の歴代の最年少だぞ。
「よし、わかった。お前の勝ちさ。」ジンは折れた。
「どこに行けばいいんさ?」
「家だ。」ユリは重々しくうなづく。「アタシの家。」
「いいの?アギュさんの留守に・・・」マスクを引き上げた渡がコソリとつぶやく。
ジンの視線が渡に再び逸れる。
しかし、ユリがそれを遮った。渡を見るな、渡はあたしが守っているんだ。
ジンは笑うと、内心で舌打ち。ユリが更にギロリと睨みつけた。
「約束だ。いいな、アクマ!。」




その頃。月城村のバス停前の国道を香奈恵が歩いていた。
受験生となって以来、部活には出ていない。
旅館『竹本』はこの国道に面している。
バスに乗っていたのは香奈恵ともっと奥の神月村の老人の二人だけだった。
突然の低気圧に荒れた日の翌日、学校から速効で飛び帰った香奈恵は渡やユリと市役所前で待ち合わせた。間諜田中さんから再度確認した母の見合い相手と同じ名前の男は、カウンターの奥で暇そうに仕事をしていた。小太りで顔もコロコロと丸かった。3人は壁際のチラシや情報誌を手に取るふりをしながら、20分近く観察を続けた。同じく暇そうな女の職員が何か用なのか的に近づいて来たので、3人は図書館の日程表を手にそそくさと退散した。結果は大満足。
目的の見合い相手は、面食いの寿美恵にはまったく問題外であると彼等は結論ずけたのだ。人が良さそうだ、やさしそうだと渡がしきりに感想を述べたところで、そんなものでは寿美恵が動かされることがないということは香奈恵には自信があった。あとは財産?っといったところだが・・・そんなに金持ちそうには見えないというのも3人の一致した意見だった。安そうなサンダルを履いてた。靴下もズボンも月城の洋品店で購入した安物だと彼等は容赦なく断定した。
竹本の日常は変わりなく、毎朝、お弁当を注文して例の発掘隊4人組は迎えの大型車で出かけて行った。大学生らしい青年が運転しており、当然父親は影も見せない。ただ、彼等が発掘の手伝いをしていることや大学名とかが知れるのつれ、少し不安になったが寿美恵は相変わらず気づいたそぶりもなかった。考えて見れば・・・父は以前とは違う大学に勤めているわけだからと香奈恵は楽観的に考えるようになっていた。
他の2組が帰ったあと、寿美恵は逗留中のジンさんに近隣の観光名所を勧めることに夢中になっている。本当は2人きりで自ら案内したいのではないだろうか。

そんなわけでバス停を降りた後、香奈恵は久々に訪れた幸せを噛み締めて歩いていたから回りにはまったく無防備だった。
香奈恵が国道を『竹本』にあと50mといったところまで進んだところで脇道から声がかかった。
「香奈恵さん。」
ん?とぼんやり顔をあげた香奈恵はしばし金縛りになる。
「岩田香奈恵さん、あなたを待ってたのよ。」
「・・・・・」
もはや姓が自分とは変わってしまった父親の結婚相手を香奈恵はマジマジと見つめていた。
いったい、自分に何の用?。なぜ、今ここで声をかける?
なんの目論みが?誰かに見られたらなんとする・・・香奈恵の中に言葉が渦巻く。
しかし、目の前の香奈恵のかつての名字、鈴木になった女はまったく意に介していないようだった。
「お久しぶりね。会いたかったわ。」私は全然、会いたくなかった。
「この前お会いしたときより、背が伸びたんじゃない?」そりゃ、3年も会ってなけりゃね。プレゼントをエサにまんまと父親に誘い出された高校1年の誕生日のことが香奈恵の脳裏に浮かぶ。てっきり久しぶりに父と二人きりで食事かと期待していたら、やっぱりこの人がいた。あの時の父とその奥さんのいちゃいちゃぶりに、もう2度と父との食事には行くまいと誓ったのだった。それ以来、何かと理由をつけて誘いを断り続けていた。
そんな香奈恵の胸中にはまったく構わず、父の妻であるスズキマユミはまだ話続けていた。
「ただ、やっぱり旅館じゃ話しかけずらいじゃないの。寿美恵さんもいらっしゃるし。寿美恵さんには内緒の私達だけの秘密ですものねぇ。誠二さんにもね、泊まってる間はずっと知らんぷりするようにって言われていたんだけどねぇ、やっぱり、それじゃあ、寂しいじゃないねぇ。」寂しかねえよ、なんでオヤジに禁じられてるのに話しかけてくるんだよ。自分の父親の名をこの女の口から聞くのは抵抗があった。
「・・・何か、用ですか?」我ながら愛想のない、迷惑そうな声しかでなかった。
しかし、相手は動じないっていうか、通じていない。
「そうねぇ、用っていうかぁ」母よりは若いが30代の後半にあたるはずの女が語尾を伸ばして話す、その話し方に思いがけないほどの嫌悪感が湧いた。
何、モジモジしてんだ、オバサンがっ!
「用がないんでしたら、私・・・」今にも道路の向かいの商店から(雑貨店だったお店はおばちゃんが足を痛めてからガラス戸の向こうは人気がない)今いる民家の窓から(婆ちゃんは今日はディ・サービスではなかったか)誰かがひょっこり現れそうで、香奈恵は気が気ではなかった。後ずさる香奈恵を鈴木真由美が慌てて追いかけてくる。かえって目を引く。「ちょっと待ってよ、香奈恵さん。実は、私・・・」
香奈恵は渋々、仕方なく脇道に戻る。女の頬が上気したように赤くなっていることに気が付く。そうなると、自分の母親にはない妙にねっとりとした色気が漂うようで香奈恵は辟易する。
「あのね・・・」女が耳に顔を寄せて来る。鳥肌が立ちそうだ。突き放さないでいるのがやっとだったが、次の言葉には耳を疑う。
「実は、私、妊娠してるの。」
その言葉とまなざしには明らかに勝ち誇った色があった。
「まだ、あなたには話すんじゃないって言われたんだけど。でもねぇ、産まれてから知らされたって、あなただってきっと水臭いって怒るんじゃない、ねぇ?。あなたはたった1人の、誠二さんの実の娘さんなんだし。」女は自らの腹に手を当てる。「ここにいるのは、あなたの兄弟なんだし。男の子か、女の子かはわからないけど・・・検査したいけどまだ早いから・・・誠二さんたらね、そういう検査は反対なんですって言うのよ。僕はどっちでもいいなんて言っちゃって・・・」
そりゃ、本当にどっちでもいいと思ってるんじゃないか?。オヤジは発掘しか興味がねぇんだよ。そういう男なんだって。だいたい、私だってどうでもいいんだ。実の父親の鈴木誠二とその2番目の妻、鈴木真由美に子供ができようが、できまいが。赤ん坊が男だろうが、女だろうがだ。今、自分にとって弟とも妹とも、そう感じることのできる子供は・・・自分の実の母、寿美恵が産んだ子供だけに決まってるだろうが!という激しい思いが突き上げて来る。
香奈恵はものすごく腹が立って来た。女の腹を蹴ってやりたいぐらいだ。
早く、どこかへ行け!私があんたの腹を蹴ってお腹の子供を殺す前に。
ああ、ユリちゃんがここに一緒にいてくれたら。ユリちゃんだったら、私のいいたいことの何倍も言いたい事を言ってこの女をコテンパンにしてくれただろうに。ひょっとしたら『竹本』から永久に追い払ってくれたかもしれない。
香奈恵が黙り込み、拳をプルプルいわせてる間に話したい事を話終わった鈴木真由美はにっこりと笑って離れて行った。
「だから、無事産まれたって後で誠二さんから聞いてもお父さんを責めないであげてね。じゃあ、私は先に旅館に戻ってるわ。」
幸せいっぱいの未来の母親が国道に出て歩いて行くのを香奈恵は暗い目で睨みつけていた。父の再婚相手はそれを自分に話したかったのである。自分が奪い取る結果になった妻の座とやらに、かつて座ってた寿美恵、その娘に。香奈恵は急に家に帰りたくなくなった。まして鈴木真由美の後から国道を行くのは絶対に嫌だ。
香奈恵は踵を返す。と、知らない女にぶつかりそうになり慌てて飛び退いた。