内倉真裕美の晴耕雨読

恵み野は「花の街」と言われています。HP「内倉真裕美のガーデニングダイアリー」もご覧下さい。

2、恵庭市と恵み野の歴史

2019年09月29日 06時52分14秒 | まちを舞台に

恵庭市はJR函館本線にあって、北海道の玄関口千歳空港の隣で北海道の政令指定都市

札幌に向かう途中にあることから、北海道の中で最もJRの本数が多い場所で、利便性が高い位置にある。

恵み野は恵庭市と島松の間に作られた住宅街で札幌までJRで35分、札幌のニュータウンと呼ばれていた。

 

ここで、恵庭市の歴史を少し辿ってみよう。

1969年(明治02年)蝦夷地を北海道と改称して11国86郡が置かれ、胆振国千歳群なった。

1873年(明治06年)中山久蔵が島松で水稲(赤毛種)の栽培に成功。

  北海道でお米が作られるようになったのは中山久蔵の努力の賜物。

1880年(明治13年):漁村、島松村が千歳郡千歳村外五ヶ村の管轄となる。

1886年(明治19年)山口県岩国・和木地方から団体移民が漁川沿岸に入植。

1906年(明治39年):漁村と島松村を合わせて恵庭村とし、北海道二級町村制施行。

1970年(昭和45年):市制施行し、恵庭市となる。

1980年(昭和55年):恵庭ニュータウン恵み野分譲開始。漁川ダム竣工。

1982年(昭和57年):恵み野駅開業。イトーヨーカ堂オープン。恵み野小学校開校


恵庭市は明治39年漁村(いざりむら)島松村(しままつむら)が合わさり恵庭村になりその後、恵庭市になった。

漁村島松村は小さな政権争いがあって、漁村のある地域に北海道二級町村制施行され、恵庭村になった。

島松村は、ある意味漁村に敗北したことになる。

恵庭ニュータウン恵み野分譲は、島松と恵庭市の中心に出来た住宅街で、

仲が悪かった漁村(恵庭のある場所)と島松村の縁を取り持つ役割を持っていた。と聞いたことがある。

こうして1980年ニュータウン恵み野の分譲が開始。

分譲の2年後1982年、恵み野駅が出来、恵み野駅の隣にイトーヨーカ堂がオープン、恵み野小学校の開校となる。

37年間、恵み野の歴史と共に歩んできたイトーヨーカ堂が住民から惜しまれながら、

2019年9月29日、本日閉店となる。

やはり寂しい~~!

 

2013年東4丁目に「イーストガーデン恵み野」完成

2016年 北5丁目に「ノースガーデン恵み野」完成。人口12,023人、5,182世帯

2018年南5丁目に「スマートタウンふれる恵み野」完成

恵み野はこうして伸び続けてきた。

 

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