内倉真裕美の晴耕雨読

恵み野は「花の街」と言われています。HP「内倉真裕美のガーデニングダイアリー」もご覧下さい。

1989-10えにわ広報座談会「まち・ひと・ぶんか」

2021年01月20日 13時59分54秒 | まちを舞台に

私は1988年4月に恵庭に移り住みました。子育て真っただ中の30代の私は、お母さんたちと読み聞かせをスタートさせました。そんな私が、まちづくりに目覚めたのは「恵庭まちづくり研究会(恵庭まちけん)」との出会いが切っ掛けとなります。

自宅を開放して、読み聞かせをしたことが新聞に大きく掲載されたことがありました。その記事を見て恵庭まちけんメンバーの中島興世(前恵庭市長)氏が訪ねて下さいました。恵庭市職員で当時恵庭RBPに出向していた中島さんが「是非、恵庭RBPで活動をして下さい」という申し出に、「おはなしさんた恵夢」は何度となく恵庭RBPを使わせていただきました。例会をするごとに会場には200名以上の親子が詰めかけてくれました。

 

翌年の1989年のまちけんの例会に来て欲しい。との申し出をいただきましたが、「子ども3人置いて、夜の会合には出られない」とお断りした所「それじゃあ家に行きますから」と即決!あれっ?

恵庭まちづくり研究会は恵庭市職員の方々で組織されていて、聞くところによると

「別に規約も無し、会費も無し、会員も自由。月1回の例会をする。そんな緩やかな会で、市民の声を聴くのに自らの足で動き、声を聴き市民と共に恵庭をいい街にしていくんだ」中島さんからそんな話を聞いて、私がビックリ!!

恵庭の印象がスッカリ変わって「なんていい街に来たんだろう!!!」と胸をワクワクさせました。

ちなみに「恵庭まちづくり研究会」は全国沢山ある「まちけん」の先駆けでギネスにも掲載された実績を持っています。

その「えにわまちけん」が例会として我が家に来た時に、何か出し物を、といわれて、まちけんの為に講談を披露しました。

それがこちらで、扇子を持ってババンとやりました。

講談 期待を込めて

『まちけんを称える唄』内倉真裕美

恵庭のまちけん知ってるかい

驚きましたねこのまちけん

市の職員とは思えない

「小さな声で言いますが」

警察市役所 堅いとこ

用がなければ行きたくない  

でもでも違うこのまちけん

世なおし市なおしまちづくり

遠山の金さんもあっと おどろく外遊は

市民の声を聞きましょう。

手をつなぎましょう。ポンキッキ

恵庭を愛する心意気 内部のガンもスパーッと切る 

「いいのか いいのかオットット」

 建て前多い世の中で本音で生きるこの姿勢 

男のロマンはまちづくり

時間外も何のその  夢を求めた男達

役者を使えば映画になるよ

『イヨーッ』『金さん』

 これからの行く末は

多難の道も乗り越えて

3歩進んで2歩下がる

 市民の期待を背中にしょって 

そこのけそこのけまちけん通る 

「フレーフレーまちけんガンバレガンバレまちけん」

この時は約20名近くのメンバーが来られていて、7時~9時までの約束で、子ども達のお土産のお菓子に、自分たちの飲み物持参。市役所の部署は様々で、バリバリ仕事をしているみなさんという感じでした。気持ちが良かったのは、9時になったとき「さあ、9時だ帰るぞ~~」と波が引けるがごとく去って行ったこと。 

この時のみなさんとの出会いで、私が直面する様々なまちづくりの出来事に、色々とご支援やご協力いただいたのは間違いありません。

 

1989-10えにわ広報座談会「まち・ひと・ぶんか」

を仕掛けたのは当時広報室長だった林義男さん。林さんには、この後も随分公報に取り上げていただきました。

ちなみに恵庭の広報は林義男さんが室長だった時、広報で「総理大臣賞」を獲得した実績を持っています。

 

ぶんか鍋、ぶんか包丁の イメージしか浮んでこない 文化ってなあーに一

粟津  今度、何人かのお母さん方と一 緒に子供たちの前で即興の寸劇のようなことをやるの。上手にやる秘訣のようなものがありますか?

内倉  まあ、むずかしい.たとえば私 の場合、新しい人が会に入ってくるでし ょう。そうすると、初めての方はどうし てもはずかしがったり、緊張をするのね、 そんな時、私はいつも馬鹿をやってしま うの。すと~んと自分を落すというのかそうすると、自然とはずかしさをぬぐい さって、皆さん、役になりきっていくから不思議。はずかしささえぬぐいされば 皆、役者さんになれると思う。

粟津 まず私がすと~んと落ちればいいのね。 |

内倉 そうですよ。それと粟津さんがちょっと、はじめに、こんなふうにすればと、やってみたらどうかしら。そうしたら、新しい方はとても気持が楽になると思う。

粟津  そうですね。なんだか私があがりそう。(笑い)

内倉  今日のテーマは「まち・ひと・ ぶんか」ですが、文化ってなんでしょう ね。この前、あるグループの方と文化の話しをしたら、どうも文化鍋とか文化包丁のイメージしか浮んでこないって、皆 で笑ってしまったけれど。

掛水  なにか、文化、文化と叫ぶ人は 信用したくない気がします。語源がカル チャーで耕すということだから、内倉さ んや、粟津さんのように子供たちの心を 耕している方が、本当に文化の名にあたいするのではないかしら。

お金を払っても見れない ホタル。あれは自然の バロメーターだった。

斉藤 3人とも、観客とか読者とか対 象がはっきりしていて、その対象を引きのつけるための努力をしているわけだけど、 私の場合、いかにしたら、人が自然に目 を向けて、引き込むことが出来るか、そ れを今、真剣に考えているわけ。

粟津  私は恵庭に来る前、大雪山の見える自然にかこまれた場所に住んでました。でもはずかしい話、木の名前も、植物の名前もあまり知らない。

斉藤 名前を覚えることも大切だけれ 。 ど、私はまず自然の中に入るのが先よっ て言うの。このあいだ、茂漁川を上流から 歩いてみたんです。そうしたら、根の張った太い木があって、そこに子供たちが 基地をつくっている形跡があるのね。私こんな子供たちがまだいたことにとても嬉しくなって。

内倉  以前いたところはすぐ裏が山で、 お寺があって、子供たちは山を駈けまわって遊んでいたの。ところが恵み野に来て、子供たちに、日本庭園も公園を流れる小川もきれいでしょうと言うと、「な んにもきれいでない、嫌だ」というのね。 それでちょっと考えてみたわけ。本物の自然と比べたら、子供たちにとってみれ ば、みおとりもするし、遊ぶのにも限ら れるわけでしょう。子供のいう意味が本当にわかった。

掛水  子供は人工のものの中では十分 に満足しないのね。それよりも、本物の 自然の中に大きな魅力を本能的に感じて いるんですよ、きっと。そういう意味で は、今、恵庭のすすんでいる方向に、私 は危機感を感じている一人よ。 斉藤 川でも山でもきれいになり、整備され、衛生的になっていく。そのことが、近代的、文化的だと今までの開発者 は考え、計画をすすめて来たわけだけど、 今、これでいいのかという議論がでてきたのね。ふるさととか、回帰という言葉が使われだしたのは、やはり、人間が自 分たちの造って来たものに、不都合な部分が出て来たからではないのかしら。

掛水  私は皆さんと違って、恵庭で生 まれ、恵庭で育った。だから、ある時、 娘がホタルを見たいと言ったのね。昔は 川沿や田んぽによくいたの。でも、もういない。見たいものはお金を払えば、な んでも見ることの出来る世の中だけれどホタルはもう、お金を払ってもみれないのね。あれは豊かな自然を象徴するバロ メーターだったわけよ。

斉藤  恵庭はいま、あらゆる面で整備が進んでいる。そんな中で、恵庭の本来持っている豊かさ、よさ、そん なものを切り捨てていってしまっているのではないかと言う気 がします。

掛水  人口が増え、りっぱな建物がたち、都市化が進むことはいいことかもしれないが、私たちが年をとって、横文字だら けで、外に出ても歩くことも出 来ず、電車のキップも買えないような世の中だったら、ぞーッ とするわね。そんな風にだけは

施設はたくさんほしいけど - 禁止の貼り紙や注意事項の 多い建物はいらない

掛水  たとえば公共施設の庭の芝生は とてもきれいだし、広いスペースなので、 そこでお弁当でもひろげて食べたいなあ と思うのだけれど、「芝生には入らない でください」と書いてあるし、すぐにも おじさんが飛んで来そうで、とても気軽 に利用できるという具合にはなっていな いのね。

粟津  みどりのふるさと森林公園も桜公園もそれぞれ素晴らしいのですけど、 車でないと行けないという難点はあります。気軽にぶらっとくつろげる場所は意外とないんです。

内倉  市民のための施設は、本当にたくさんほしいけれど、走ってはだめ。あ れをしてはだめ。禁止の貼り紙や注意事 項の多い建物はほしくないの。やはり建物は人が利用するものだから、ただきれ いにしているだけのものであってほしく ない。絵とか、飾り物的な感覚で建物を管理しているのをみると情けなくなる。

斉藤  市民のための施設ではなくて、 施設を管理する職員のための施設になっ ているのね。行政の方でも、建物をつくったことに意義があるのではなくて、い かに使われているかに意義があるか、と いうふうに発想の転換が必要だと思うの。

内倉  施設を借りるのに、申請書とい うのがあって、印かんを持っていって、 手続をとるのね。それは必要なことだと思うけれど、有料、無料で係の方と一度議論したことがあるけれど、入場料をとったら使用料が有料という発想はおかしいと 思う。いずれにしても、こんなことなら、やめた!と言いたくなることもあるわ。

掛水  施設を管理する人の問題もあると思うの。文化に理解のあろ人が、もっと増えてほしいし、どんどん改革してほしいと思う。

時間をかけて話し合う、 その中から市民同志の 交流が出来て街が一つに

粟津 ふるさと創生資金というのがありましたね。

斉藤  水と緑のやすらぎプラン計画に7千万円と広報紙に書いてありましたけれど、私は個人的に言うと、ソフト面に 使ってほしかったな。

掛水  私もそう思う。たとえば留学資金とか人材育成にね。

内倉  どんなかたちで使われてもいい と思うけれど、決める過程というのかな あ、それがとても重要だと思う。市民が 喧々ごうごうとして討議しながらやって、 結果的には整備面に決めましたというこ とであればいいけれどね。アンケートをとるとか、意見を聞く場がほしかったわ。

粟津 時間もあまりなくて、まとめるにも大変だったでしょうけど.....。

斉藤  でも、時間をかけるということはとても大切なことだと思うわ。施設を 一つ造るのだって、住民の偉い人ばかりで決めるのではなくて、いろ んな人の話を聞いて、造って いく時期にきていると思う。 その中から、市民同志の交流もできて、まちそのものが一つにまとまっていくような気 がするのだけれど...。

|今日はお忙しいところ、 御出席いただき貴重な御意見 をお聞かせいただきありがと うございました。

 

 

 

 

 


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