内倉真裕美の晴耕雨読

恵み野は「花の街」と言われています。HP「内倉真裕美のガーデニングダイアリー」もご覧下さい。

1993-10広報えにわ やったぞ!恵庭てづくり野外劇

2021年01月15日 13時24分21秒 | まちを舞台に

1993年8月28日恵庭市恵み野にある中央公園の野外音楽堂で市民手づくり野外劇を行いました。

準備期間2か月半で本番まで行った無謀といえる大イベントに総勢251名の出演者とスタッフが挑み。2000人の観客動員がありました。

前日の台風を吹き飛ばす程のエネルギーで実現した野外劇「エエンイワ」3日前に書類整理していて見つけた広報は、見返しても色鮮やかに当時のことが思い起こされます。

「エエンイワ」が出来たのだから、なんだってできる!!!と30年前のこのイベントは何時も私の中で残っている。

私、内倉真裕美は演出総括、衣裳担当しました。

※「エ・エン・イワ」は恵庭岳のこと。アイヌ語でとんがった山の意味

台風一過、星空が広がった8月28日夜。市民手づくりの野外劇「エ・エン・イワ」が恵み野中央公園で行 われた。幼児からお年寄りまで、出演者とスタッフを合わせると、総勢251 人が取り組みました。

芝生の観客席には親子づれや若者など約2,000 人が詰めかけ、野外堂開設以来、初めての野外劇を楽しみ ました。今回は、野外劇に携った方々に取材し、手づくり文化のあり方について特集しました。

 

台風11号が道東に上陸。27日夜 半から強い雨が降りだした。

雨は、28日早朝になっても、いっ こうに止む気配がない。それどころか雨 はより激しくテントを打つ。舞台設営の総括を担当する野呂田信義 さんのイライラも頂点に達した。舞台を 設営するために、三日前から泊まり込み で準備にあたって来たが、遅々として進 まないからだ。仲間からも焦りがひしひ しと伝わって来た。それからどれ程の時 間がたったことだろうか、そっとテント を開けて空を見上げると、幾分、小降り になってきたような気がする。

恵庭で初の市民野外劇「工エンイワ... ふるさとは時のながれを越えて」の開演は午後六時三十分。身動きがとれないま ま時間だけが過ぎて行く。このままでは 六月から手弁当で、こつこつと積み上げ て来た努力が無駄になる。 「晴れてくれ!」と、心で祈った。

遅い朝食をすますころ、嘘のように雨 が上がった。どうしてもやりたいという皆 の願いが天に通じたのだ。そして、正午、 「やるぞ!」と実行委員の一人が叫んだ。 作業が開始された。でも開演までに作業 が終えられるだろうかと思った。なんと かしなければと無我夢中で走り回る。

午後6時、ざっと見て1000人はいるだ ろう観衆が、ジーッと開演を待つ。

合言葉は楽しくやろう。 251人の気持が ひとつになった野外劇

「話しは、脚本も無いうちから盛り上が りましてね。そして、やるんだ!やるん だ!エエンイワ!ですね。とにかく人を 探せというところからスタートしたんで す。その根底にあったのは、吉弘さんの 活動してきた実績が、信頼されていると いうことです。いくらいい話しであって も、楽しくならない話しに人は乗らない んです。乗っかったら必ずいいことある よという信頼関係がありましたね」と、 演出総括、衣裳担当の内倉真裕美さん。

5月に、夢音館コンサートや恵夢のメ ンバーが中心となり準備会を発足。

6月10日に実行委員会を結成。80人 の会員が集まった。その後も、広告や会 員の口コミで仲間は増え続けた。

事務局を中心に大道具、会場、記録、 宣伝、プログラムなど9つの部で準備を 進め、それぞれ分担された。運営費は参 加者の入会金でまかなうシステム。大人3000円、中高生1,000円、小学生が500円。 。 しかし、これだけですべてをまかなうの

は難しい。PRも兼ねて市内の仮装盆踊 りに出場。獲得した賞金を運営費にあてた。 「なんで皆、こんなに夢中でやるんだろ うって考えたこともあります。後ろから 何かに押されているみたいに夢中なんで す。衣装や舞台づくりにしても普通は恥 ずかしいって考える仮装盆踊りにしても そうなんですが、外劇という目的に向 かってまっしぐらなんです。一人では弱 くても、目的持った仲間が集まると2倍、 3倍のパワーになっていくんですね」と 企画担当の野呂田佐智子さん。

自分たちで、楽しいことしよう。も 呼んで、楽しい思いをしてもらおう。そ れも、身銭を切って、準備して、演じて、 喜んでもらおうという気持ちが一つにな って、野外劇は創られていった。 「恵庭を、好き、嫌いは別にして、ふる さとの象徴となる山となれば恵庭岳と、 だれしも言うだろう。それは古い人も新 しい人も含めて皆の心のどこかに象徴と してあるだろうと思うんです。皆とコミ ュニケーションを図る基になれればと思 いましたね。もちろん、スタッフの間で

も合い言葉になりました」と、古山克之 さん。 狙いは成功した。ふるさとの野外劇活 動に共感が広がり、はじめは家族的なつ ながりが、やがて地域へ、そしてまち全 体へと大きな輪となっていった。

ふるさとの山 *工・エン・イワ、だから、 皆が集まり、燃えた」

主人公は「エエンイワ」。脚本は、「漁 川物語」や「シランパカムイ...森のカム イ...」などで、子供たちにふるさとの自 然の大切さを身をもって指導している、恵み野小学校教諭の吉弘文人さんが書き 下ろした。

「テーマを恵庭岳にしようと決めた時に、 え~、恵庭岳!市民の人は聞き飽きてる よ。と、僕は反対したんです。しかし、 そうは言っても市民は見てないと諭され、 そうなのかという感じ。要するに、頭で 分かっていてもやっていないことってよ くありますよね。それが恵庭岳なのかな。 市内ではキャッチコピーみたいに、どこ にでも出てくるんですが『ふるさとの山』 として見つめる取組みはどういうものな のかな?と考えたら、もしかしたらこれ かもしれないって思ったんです」と、吉 弘さん。

私たち恵庭市民が、朝な夕な仰ぎ見て きた恵庭岳。最近は、ビルの谷間で見え ない所も増えた。

恵庭岳が工エンイワだと知らない子供 も多い。親たちもそれほど関心がなくな って来ているのかもしれない。 「恵庭岳はこの辺で一番高い山ですよね。 僕は登山が好きで登ってみたいと思って いたんです。工エンイワと聞いたとき、 それは恵庭岳だというのが分からなかっ た。演劇で、山がどういうかかわりを持つ のか興味があったんですが、この山が、 ふるさとの基なんですね。そういうもの がテーマ的に凄くいいなと思いました」 と、種本肇さん。

皆が忘れかけたふるさとを、もう一度 見直す取組みを訴えかけようと脚本も出 来上った。実行委員会は、28日の公演実施を目指し、フル稼働し始めた。

応援にかけつけてくれた お父さんたち。すぐに スタッフとして大活躍

女性スタッフは、午前中恵み野西会館 で衣装づくり。午後は音楽堂や恵み野小 体育館で練習、手の空いてるものは資材 集めに奔走した。大道具担当の男性陣も 練習場に顔を出しては、場面に合う照明 や音響効果のチェックに余念がない。 「う~ん、低いな」と、スタッフ。舞台 バックの工エンイワが、スケッチと現場 イメージが合わないのだ。音楽堂の写真 を撮り、その上にイメージを描く。「奥 行きは」「風に耐えるか?」と、議論が 進む。最初、七mの梯子を三本組む計画 が、11の足場に変更された。

藤棚に敷くコンパネも不足している。 これでは演技に支障が出る。わずかな望 みを頼って交渉にいく。

「この時ばかりは、手伝ってくれたお父 さん方、すごいなと思いました。舞台の 主役である工エンイワは雄大でなければ ならないし、藤棚に敷くコンパネも安全 性に配慮しなくてはだめだとか、本格的 に計算し出したんですね。「出来上った山 は、私たちが初めにイメージしたものと ほとんど同じものが出来上ったんです」 と、事務局長の佐々木容子さんは感慨深げに話す。 「 方々から集められたシーツは、次々と

裁断され衣装に変身する。恵庭北高から 寄せられた学校祭の衣装も改良が進んだ。

公演も押し迫ったある日、「開拓者の 衣装は?」と、中学生が申し出る。衣装 部では用意する時間がない。「自分で考 えて用意しなさい」と、努鳴るスタッフ。 事情を知る中学生には、もう言葉はない。

8月26日に資材を搬入。トラック を運転し、先頭に立つ佐々木事務局長に 女性スタッフが続いた。

27日から舞台づくりに入ったが、 またまた男手が足りない。「助けて」の 悲鳴に、「手伝いますよ」と、お父さん たちが一人、また一人と応援に駆け付け てくれた。初対面のお父さんたちも、十 分後にはもうスタッフになりきっていた。

たがいに教え合い、 助け合う これが本当の教育の姿だ

演じたのは、幼児や小中高校生、大学 生、主婦や会社員など全員が、ステージは初めてという素人ばかり。

白鳥、ガン、鳥・動物、友人、捜索隊 とグループに分けられ、それぞれに分か れてのけいことなった。主婦や子供が多 い白鳥、ガングループは午後から、働い ている人が多い、その他のグループは夜 間に恵み野小体育館や野外音楽堂での練 習に励んだ。 「一番けいこができなかったのは動物さ んグループだったんです。このグループ には役員を兼ねた人が多くて、あちこち 動き回っていて、結局、本番を迎えたと いう人が多かったと思います。反省点で すね」と、振付担当もした内倉さん。

最終的にスタッフ全員が揃ったのは本 番の10日前。4歳から65歳までの二200数10人が出演者となった。連日、夜を 通うしての猛げいこが続いた。真っ暗な 野外音楽堂での練習もしばしば。

割りあてられた役どころには先輩も後 輩もない。皆が心を一つに演じなければ 成功しない。中学生の指摘にも、大人た ちは素直に従う。役にはまろうと必死な のだ。

しかし、台風などの影響で、一場から 十場まで、通しげいこはたった一回。音 合せや、照明の色合せはまったく不可能 だ。不安は残った。

本番の前日、けいこ中の出演者は一箇 所に集められた。 「いいか、もう誰も頼れないんだぞ。役 になりきり、自分で演じ切るんだぞ」と 演出の吉弘さんが皆に言い切った。

 

「練習を見ていたら、これはすごいわと思 ったんですね。教育そのものが目の前で 展開してるんです。互いに教え合い助け 合う。各人がそれぞれの意思で行動する。 盛り上がらせて引っ張って行くリーダー の情熱。それに引きずり込まれました」 と老人役の若浜五郎さん。

小川は漁川に、 藤棚は恵庭岳に みごとによみがえった

会場に一歩踏み込んだ観客は、そこに 造られた「エ・エン・イワ」の舞台に圧 倒されたことだろう。 「え〜!ここがあの野外音楽堂」と、観 客の声。

紺碧の空に向かい、毅然としてそそり 立つ恵庭岳。藤棚は裾野の台地に、ステ ージは広々とひろがる平野に、前を流れ る小川は漁川に変身していたのだ。 「恵み野に住んでみて、野外音楽堂は現 実には愛犬家たちの糞場所になっている んですね。昭和57年に造られ、その 後、活用がないまま古びていったのが恵 み野の野外音楽堂の実態ではないでしょ うか。恵庭の特徴というのか、施設はあ るんだが市民が利用しない。特に、屋外 施設や文化施設はね。これは、だれに責 任があるわけでもないと思うんです。で も、文化を創っていくのはやっぱり市民 じゃないのかなって。それと、施設を造 る時は、いろんな活動してる市民の声を聞いたほうが、よいと思います。

野外音 楽堂で、なにかやりたいって思ってたん です。そんな時、函館の野外劇を見て、 すごく悔やしかったんですね。函館は恵 庭よりボランティア活動盛んじゃないん ですよ。それなのに、あそこまでのもの 創れるんですから。恵庭だってできると 思ったんです。まわりを見渡すと『夢音 館コンサート』を主宰して演劇やミュー ジカル活動してる吉弘さんや、人形劇や ってる『恵夢』の内倉さんがいたんです よ」と、古山克之さん。

2000人の観衆が総立ち 「感動をありがとう」の 聞架が夜空に広がる。

かっさい

午後7時 老人と主人公の少年が立つ 客席中央にスポットがあてられた。この 光に導かれるように、2人はゆっくりと ステージに向かう。251名の願い がやっとかなった瞬間でもある。

物語は、すべての生命に道を示し、敬 愛される山工エンイワ。この山にまつわ る「伝説の火祭り」の真実を確かめよう とする創作劇。主人公の原野(げんや) 「の少年時代から、青年期、そして父親と なるまでを、恵庭ゆかりの人物も登場さ せて描いている。

自然に恵まれたかけがえのない故郷を |みつめ直し、心から愛していこうと、道 を見失いかけている現代人に切実と訴え

たものである。(全十場で構成)

ライトの光もようやく届こうかという 遠くから、ガンや白鳥たちが豊かな水と 大地を求めて飛来する。川をそ上するサ ケの群れ。ひょうきんで注意深い森の動 物たち。次々と繰り広げられる華麗な 「群舞」。イカダが川を行く。 「会場全体を舞台として熱演する出演者 や野外劇ならではの演出に引き込まれま したね」と、観客の一人。

月明りに照らされてうっすらと浮かぶ 工工ンイワの頂上に火が灯る。火祭りの 始まりだ。火は、頂上から裾野へとゆっ くりと広がる。「きれい!」と、女の子 が叫ぶ。さらにステージから会場へと広 がり、幻想の世界をかもしだした。

客席から自然と拍手が沸いた。2000人の観衆の中にもふるさとの山への思いが 広がった瞬間だ。

フィナーレを迎えたのは午後9時過ぎ。 出演者が舞台の中央に立つ。夜空を突い て「うぉ~」という、喚声と拍手。どの 顔も、成し遂げた者だけが得る、充実し た笑顔と涙にあふれている。 「感動をありがとう」

2000人の観衆が総立ちで称賛を送る。 あいさつの度に、かっさいは大きなうね りとなって夜空にこだました。

演技中にケガ でも、治療して参加。 舞台の外でもドラマ。

終演後、観客を見送るスタッフ。 「よかったよ、ありがとう」「またやっ てね」 と、たくさんの声が掛かる。 「上演中にケガをしてしまった中学生が いて、病院に連れて行ったんです。そし たら、病院の中で、最後まで皆と一緒に いたいから、治療がすんだら、会場に連 れていってねっていうんです。驚くやら 嬉しいやら、子供も舞台に魅せられてい たんですね」| と、古山さん。

「とっても良かった。誘われたのに参加 しなかった自分がくやしい。今度、やる 時は絶対声かけてね」 と、泣きつく子もいた。 「私は生まれた時から恵庭に住んでいる んですけど、中学校の時までは恵庭岳を 毎日見て生活していたんです。グランド からも見えました。それがいつの間にか 見なくなって。恵庭岳があることは頭の どこかにあっても、本当に見る機会はな かったです。忘れていたのかもしれませ んね。今回、工・エン・イワの歌詞を作 らせていただいて、もう一度、昔の自分 を思い出せるいいきっかけにさせていた だきました。一人一人がふるさとの山を持 って、その山を見る場所を持つってこと がとても大切な気がしました。それがま ちづくりにも活かされてくると思うんで す。そんな、まちに住みたいな」 と、中村春織さん。

キャプション 暗い舞台のそでで演出効果を高めた合唱団

「エエンイワってなに? という子供も多かった んです。でも、この劇 を通じて恵庭岳のこと だ、これがふるさとの 山だって、子供たちも わかったと思います。 これからも、ふと仰ぎ 見るとき、思い出して ほしいですね」と、野 呂田佐智子さん。

手づくりの温さと先 駆者の開拓者魂がひし ひしと伝わった。

演じた人も、観た人 もそれぞれに何かを感 じた野外劇。

恵庭のまちに広がれ、 手づくり文化のあり方を 示めした野外劇の心意気

「ご苦労さん」と、翌日後片付けに集ま る人々に声をかける佐々木容子さんの声 も明るい。何日もかけて造った舞台も、 あっという間にかたづけられた。 「やったという充実感。これはなにもの にも変え難いことです。自分一人で達成 した喜びでなく、大勢の人と一緒に完成 したという気持は、今の世の中ではあま り体験できないことです。本当に皆さん ありがとうと言いたい」と、佐々木さん。 「舞台が終わって『楽しかったね。また、何かやりたいね』皆がそう言ったんです。

これが何より素晴らしいことでした。そ して、大勢の市民の方々に協力していた だきました。この助けがなければ野外劇 はなかったと思います」と、内倉さん。

「一生記憶に残ることですね。まさしく、 文化が生まれたんですよ。今回の経験が 参加した人たちの人生観を変え、価値観 を高めたことと思います。一人一人が独 自の世界をつくることが大切で、それを つくるために文化があります。明治以来、 日本は文明を文化と勘違いして育ててき ました。文明は生活を便利にする技術な んですよ。ビルや車、テレビがそうです ね。文化は、人の心を育てるんです。価 値観ですね。しかし、文化を育てるのに はお金も掛かります。でも、文化のある 所には人も集まります。楽しいし住みや すいですから。この野外劇が、そういう まちづくりに発展していってほしいです ね」と、しみじみ語る若浜五郎さん。

野外劇「工エンイワ」は、文化の火を 灯した。この火が、あの火祭りのように 恵庭全体に広がる日もそう遠くない。

見てるよりも参加する。やらないより も何かする。そこから何かが生まれる。 それが文化の火かも知れない。 「ね~、恵庭岳登ろうよ」「えっ、いつ いつ」「皆はいつがいい」と、反省会の 席上で9月23日と決まった。

当日、小学校一年生から大人まで五十 人余りが参加。それぞれ一歩、一歩自分 でふるさとの山を確かめるために。

 

 


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