朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

あの日から6年、港は、波、静かだった

2017-03-12 05:23:02 | 日記
テレビラジオ各局は、
昨日今日、東日本大震災から6年の特番を編成。当時の様子を交え伝えていた。
私は、震災以来、海を見ることに何か違和感と恐れを抱き、
なかなか近づけない時期があった。
それでも震災一年目には、蒲生の中野小学校での慰霊祭と
かつて訪れた日本一低い山のあたりを歩いてみた。

二度目は一昨年になるが、石巻日和山に登り、改めて、
いまだに家々の何もない光景に改めて息をのむという現実に直面した。

そして今回、まさに6年目の日、仙台港に出かけた。
フェリーの経由地として知られる仙台港、
掘り込み式の岸壁が整備され、貨物の流通ルートになっている。

この辺りも、一メートルぐらいの津波が押し寄せ、
以前訪問したキリンビール仙台工場には、津波の到達の高さが線で描かれていた。
さて、仙台港には丁度、フェリーが到着する時刻だった。
太平洋から、ゆっくり、ゆっくりと船は接岸をめざし、港に進む。
1万4千トン近くあるフェリーで名前は「きたかみ」
全長が193m、幅が27m、速力は25ノット出るという。
700人ほどの乗客と車147台を積むことができる、船だ。
この「きたかみ」は東日本大震災時、港に接岸していたが
、津波の襲来を受け、港を緊急脱出、津波を乗り越え太平洋に脱出した。
まさに、九死に一生という奇跡的な脱出を果たした。
東日本フェリーは苫小牧=仙台=名古屋を結ぶ。

地震当時、仙台港も被害を受けた。
特に、下水処理場はその処理能力が限界になり、
し尿の処理をどうするか大問題だった。
フェリーの発着場も被害を受け、
平常に運航するにはやはり時間がかかった。

あれから6年、表面上は随分と復旧しているかに見えるが、
仮設住宅での生活者はまだまだ多い。
災害国日本、備えは確実に、
そしてイザの際はどうするか。
ある意味イメージトレーニングが日々必要だ。
コメント
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