いつものように榴岡公園に散歩に出かける。コースを時折変え、今回は宮城野中学校脇を通る道を選んだ。最近は学校安全のためか校門を閉じ、不審者の出入りを防ぐ方策を取っているところが多い。中学校の校庭の一角に大きな石碑が建っている。いくつかあるが「陸軍幼年学校」跡地。そして、そのとなりにはかなり大きな石碑が置かれている。」工藝発祥」と銘板が埋め込まれている。そしてその脇には由来を書いた副板が置かれている。
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実はこの地には陸軍幼年学校があり、その一角に工芸指導所が置かれた時代があった。その指導教官としてドイツのブルノノ・タウトが招かれている。昭和8年のことだ。タウトは4か月、仙台に滞在し、指導にあたっている。漆工芸,、鋳金、木工などだ。現在の仙台市にもこれらの技術を伝承する工芸技術が伝わっている。玉虫塗などがそれだ。わずか4か月の滞在だったがそれらの技術は現代に繋がっている。そのもとになる場所がここ宮城野中学校にあったのだ。歴史はあまり知られていないことが多い。
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実はこの地には陸軍幼年学校があり、その一角に工芸指導所が置かれた時代があった。その指導教官としてドイツのブルノノ・タウトが招かれている。昭和8年のことだ。タウトは4か月、仙台に滞在し、指導にあたっている。漆工芸,、鋳金、木工などだ。現在の仙台市にもこれらの技術を伝承する工芸技術が伝わっている。玉虫塗などがそれだ。わずか4か月の滞在だったがそれらの技術は現代に繋がっている。そのもとになる場所がここ宮城野中学校にあったのだ。歴史はあまり知られていないことが多い。