茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

夏越の祓(なごしのはらえ)

2009年06月30日 | Weblog
2009年も半分が過ぎました
今日は夏越の祓(なごしのはらえ)
神社に設けられた茅の輪をくぐると
この半年間の罪穢を祓われるそうな
まあなんて便利な~という感じですが
701年の大宝律令によって正式に定められたという
立派な宮中の年中行事です

なにか罪が思い当たる人も
何も悪いことはしてないぞという人も
この半年の言動を振り返り
次の半年を新たな気持ちで迎えるのに
良いけじめとなりますね

今日はまた
「水無月」という名の和菓子を食べる日でもあります
これは白いういろうに小豆を乗せた
三角形のお菓子です
小豆は悪霊ばらいの意味があり
(節分の鬼払いに豆をまくのと同じですね)
三角の形は暑気を払う氷を表しています

冷蔵庫のない時代
京都の北山では地下を利用して
冬の氷を夏まで保存していました
その場所を「氷室(ひむろ)」といいますが
旧暦6月1日になると
御所では氷室の氷を取り寄せて
暑気払いの儀式を行い
この氷の解け具合でその年の豊凶を占ったといいます
(『延喜式』)

この日、氷を口にするということは
夏の間、健康が保てるという意味がありましたから
臣下にも氷片が振舞われたようですが
当然貴重なものでしたから
庶民の口にまでは届きようがありません
そこで
庶民の暑気払いのために
氷を型どったお菓子が作られるようになったわけです
めずらしい三角形の和菓子
とても歴史のあるお菓子なのです

ちなみに茅の輪は
「水無月の夏越しの祓する人は、ちとせの命のぶというなり」
と唱えつつ
正面からくぐって、左回り・右回り・左回りと
八の字を書くように3度くぐり抜けるのですよー

成り上がり者

2009年06月28日 | Weblog
笹野高史さんの秀吉がとても好きです
「自分は成り上がり者だから
 自分を信頼している家来など無い・・・」
そんなセリフが今日はせつなかった
でも
そんな哀しみが
秀吉という人の審美眼に磨きをかけていったのかもです

「成る」という言葉も「上がる」という言葉も
大変素晴らしい言葉なのに
「成り上がる」は蔑視の言葉
いえ、努力しない人のひがみの言葉?
対極にあるのは・・・
セレブ?
celebrityという言葉は
本来「習慣や儀式を十分守ること」
何百年にわたって続く名門という
すでに「成って」もう「上がりきって」いる地位
でも最近使われている「セレブ」も
「あの人の努力じゃないし」みたいな蔑視とひがみの言葉?
お互い様ですね~

陸羽という人も
自分の努力で立派に道を究める人に「成り」
「茶神、茶聖、茶王、茶仙、茶祖」といわれるまでに
名を「上げた」人です
世界で初めての茶について記した書『茶経』の作者ですが
お寺のお坊さんに拾われて育った捨て子だったのです
素晴らしいお茶を点てると評判の小僧さんでしたが
そのお坊さんの仏教の教えに疑問を抱き
儒教を学びたくて寺を出たのが12歳の時
劇団で仕事をするうちに
彼の才能を見いだした人に学問の機会を援助され
文人に交わり
茶學以外にも詩、書道、史学、地学、文学でも
名を上げていきました

少年老い易く学成り難しですが
古今東西
きちんと努力をして「成った」無名の偉人が
たくさんいるように思いますが
名が「上がる」のは必然でしょうか
他人様の目のことはおいておいて
自分の素敵な今日のために
「成る」べく
一日一日をしっかり生きたいと思います




雨音

2009年06月27日 | Weblog
え・・・
カエルちゃんの和菓子です
よく見れば
雨の雫をほほに受け
大きな目は宙を見て
幸せそうに雨音を聴いているよう
ご銘は「あまね」

ちょうど
今日お借りしたお茶室にあったお茶碗が
鳥獣戯画だったので
もうカエルづくし
鳥獣戯画は
なんか楳図かずおさんの絵とかぶって、こわい・・・
貧相な感性ですみません

区のあちこちのお茶室をお借りしての
放浪茶稽古で
今日はお隣のお部屋から
20年代の歌謡曲が漏れ聞こえます
アラ70のお姉様達の踊りの会です

渋谷の交差点を駆け抜け
炎天下の三軒茶屋の人混みをかきわけ
公民館で懐メロを聴きながら
カエルやウサギが笑い転げるお茶碗を前に座っていると
栂尾の高山寺を訪ねた日が思い出されました
(日本最古のこの漫画は高山寺に保管されているのです)
本茶と非茶を当てる闘茶で
本茶とされたのが栂尾のお茶なのですが
その栂尾の明恵上人の茶畑に行きたくて
栂尾がどんなところかただただ見たくて
山道をてくてく登っているその日の自分の姿が
なんか
ウサギにもカエルにも見えてきて

明恵上人が何を考えながらお茶を育てていたのか
鳥羽僧正が何を思いながら鳥獣戯画を描いていたのか
そんなことを考えながら石段を登っていたあの日
答えなんて、絶対に、ないのに
どうしてそんなことを考えるのでしょう
どうして栂尾まで出かけていくのでしょう
笑ったり喜んだり悩んだり求めたり
そんな一生懸命が
なんか
ウサギにもカエルにも見えてきて

「森の中虫たちが空見上げてる」
これは息子が小さい時
伊藤園の「おーいお茶」で選ばれた俳句です
そんなものまでがふと思い出され
いろいろな一生懸命を感じながら
一服ちょうだいしていました
そして
有意無意のことははわからないけれど
アラ70になっても
一生懸命踊って笑っていられる人で
私もありたいかななどと思いました

雷記念日

2009年06月26日 | Weblog
雷の神様といば「天神」
天神様といえは菅原道真公
今日は道真公の怨念で
大納言藤原清貴公が雷殺しにあった日だそうです(!?)
930年の平安京
その清涼殿に落雷があり清貴公が亡くなったのは
政治的策略で太宰府に左遷され
そこで死を遂げた道真公の怨念である
なんて物語が
1000年後まで伝わっていることが
とにかくすごいです

左遷された道真公
太宰府でお茶を飲み飲み学問を続けていたと
『菅家公集』に記されていますが
遣唐使が持ち帰ったほかほかのお茶が
太宰府の道真の元にはたくさん集まっていたことでしょう

唐のお茶と喫茶の文化は
最澄や永忠、円仁などが伝えています 
760年頃に
唐で陸羽が『茶経』を記してますから
彼らがそれを手に取る機会もあったことでしょう
814年
時の嵯峨天皇が作った漢詩には
「詩を吟じ、香茗(茶)を搗くのをいとわない、
 興にのって宜しく雅弾などの音楽を聴くべし」とか
「静まりかえってかすかな興をもよおすところ、
 院裏に茶煙が満ちる」
という喫茶の様子を詠ったものがあります(『凌雲集』)
団茶をあぶっては搗いて
粉にして飲むという
当時の唐の飲茶の方法です

このように遣隋使遣唐使のおかげで
日本の支配階級にお茶という文化が伝わっていたのに
それを廃止したのが
ほかでもない道真公です
これによってしばらく
日本のお茶文化は停滞してしまいます

どうして遣唐使を廃止してしまったかは諸説ありますが
道真公自身が遣唐使大使に任命されたので
行きたくないから廃止したという説もあり
当時多くの船が沈没していましたから
頭のいい道真さんが
唐はもう衰退しているから学ぶものなしと進言したのも
わかります
でも、それによって
お茶文化が大きな影響を受けていることは確かです
あ、あんまり恨みごと書くと
雷落ちる?


アナタのために

2009年06月25日 | Weblog
品川プリンスホテルの
「茶のしずく」さんに行きました。
この春開店したばかりの日本茶カフェです。
「日本茶インストラクターが
 アナタのために直接淹れる!」
とHPにありましたが、
その通り、
店長のorプロデューサーの岩田氏が
メニューをもって現れ
注文を聞いてくれました。

「煎茶セット」とだけ書いてあるメニューを見て、
どこのお茶がいただけるのか尋ねると、
「はい、それをこれからお客様と決めていきたいと思います」
とおっしゃいます。
「濃いめのお茶と薄いのとどちらがよろしいですか?」
・・・濃いの
「甘みの強いのとすっきり系とどちらがよろしいですか?」
・・・甘みかな
「かしこまりました、甘みの強い濃いお茶をお持ちいたします」
わあ~。

緑の濃いお茶がマグカップにたっぷり入って登場。
とろっとしたお茶飴みたいなお茶でした。
少しすると岩田氏がまた現れ、
「いががでございますか?」
・・・はい、大変おいしくいただいています、どちらの?
「知覧のおくみどりというお茶です」
・・・きれいなみどりですね。
「はい、ご満足いただけましたでしょうか?」
コミュニケーションを大事にされる岩田さんの方法。
美容院にいるみたいな感じでした。

岩田園のHPにその沿革がありました。
「当園は嘉永2年(1849年)に
 初代岩田嘉右衛門が
 お江戸日本橋より中仙道一番目の宿場町板橋宿より
 半里ほど日本橋よりの滝野川村三軒家で
 お茶の栽培と製造を始めました。」

昨日、私のために(♪)お茶を淹れてくれたお若い岩田さんは
嘉右衛門さんより何代目なのでしょうね。
品川宿でお茶を振る舞う当代の姿を
ご先祖様はどのように見てるのかな、
なんて思いながら、
昨日とても迷ったけど注文しなかった
「ほうじ茶プリン」をつくってます。

雨香(うこう)

2009年06月24日 | Weblog
雨が降り出しそうなとき
まだ、雨は降っていないのに
雨のにおいを感じることがあります
空を見上げたりして
ちょっと空気を意識するからでしょうか
土の匂いのようであったり
葉の匂いのようであったり
かすかな花の香のようであったりします
この雨降り前の香りを
雨香というのだそうです
そして
降り出した雨がまた
目を閉じて息を深く吸いたくなるように香しい時
その雨を香雨というそうです

『日本植物方言集』には
「雨降り花」という花が紹介されています
その花を摘むと雨が降るといわれている花で
ホタルブクロ、ヒルガオ、ギボウシ、シロツメグサ、イチリンソウ
などです
雨の頃、はっと気持ちを和ませてくれる花たちですね

しとしとと降り続く小雨を見つめていると
まだ降っているのに
空がふと明るくなって
あ、やむのかなと思わせるとき
これを白映えといいます
空の心を読むような気持ちで雲を見つめていると
また暗くなってしまうほんの少しの間の
雲のいたづらです

何とか雨を楽しみたいと思っても
いつもいつも心に余裕があるわけでもありません
心が疲れているとき
気持ちが晴れないときの雨は
目も口も鼻も塞がれそうな陰鬱さを連れてきます
そんな気分の時の雨を
鬼雨(きう)というそうです
鬼はおっかない赤鬼ではなくて
姿の見えない亡霊のこと
沈んだときの長雨は
亡霊に取り憑かれたかのように
さらに心を落ち込ませるものです

でもそんな時は
そう
熱いほうじ茶をいれて
おいしいお菓子を並べて
ヘキサゴンでも見て
大きな声で笑えばOK!
いつのまにか雨も笑い出します

雨後清雅

2009年06月23日 | Weblog
今日の煎茶のお稽古は
紫蘭の葉っぱをお盆にしました
瓢杓という柄杓を使って
お水で遊ぶような
それはそれは楽しい夏のお手前です

花は紫陽花と百合と枝ものの青葉
紫陽花が「雨後」を表し
百合が「清」を表します
雅題は「雨後清雅」
梅雨といえば雨ばかりでうっとうしくて
という印象は
こうした工夫で
視点を変えることができます
雨が降れば雨の後が楽しみになります
素晴らしいですね
文人エライ

今日、先生が選んだ百合は
ひめゆりでした
今日がちょうど沖縄慰霊の日だからです
1945年(昭和20年)の今日
太平洋戦争の沖縄戦が終結したとされています
小学校一年の時
学校の図書室で
ひらがなの『ひめゆりの塔』を読んで
その夜怖い夢をいっぱい見たというお話を伺いました

私も
ずいぶん小さいときにこの映画を見て
「何」と戦っているのかと
母に聞いたことを思い出しました
「何」に彼女たちはおびえ
「何」に彼女たちは殺されなくてはならないのか
わからなかったのです

犠牲者は20万人にも及ぶといいます
一人一人の名前も
それぞれの死にゆく過程も
すべてを語り伝えることすらできない今
ただただ
人の心の弱さを思い
強くありたいと改めて思いました
人の命を奪うような解決策に
間接的にでも関わるようなことの無いよう
賢くありたいと思いました

こうして
静かにお茶をいただけることが
本当にありがたい
今、どこかで
人を傷つけようとしている人に
強くあって欲しいと祈るばかりです

ふわっとした抹茶

2009年06月22日 | Weblog
カプチーノのように
ふわっと泡だったお抹茶は
舌触りもクリーミーで
甘みが増すような気がします
お稽古をしていても
みんな
このふわ~を目指しています
やはり明らかにおいしいからです

『茶の湯の科学入門』(堀内国彦著淡交社)には
茶筅強く使うと
茶葉のサポニンの界面活性作用により泡が立ちやすくなり
この泡が茶に含まれる刺激の強い物質を囲むので
お茶がまろやかになる
といった説明があります
科学的に「ふわ~→甘い」でよろしいようです

ですから
イベントでお抹茶を紹介するときも
このふわ~をお伝えしたいと思うのです
でも
これはなかなか熟練の技
そう簡単にはクリーミーなお抹茶はできません
とすると
お抹茶と茶筅があっても
「うで」がなければ
おいしい抹茶が飲めないと言うことになってしまいます
これではお抹茶の販促になりません
ただでさえお抹茶というと
お茶碗は何回まわすのかとか
お茶は何回で飲むのかとか
そうしたルールを気にしてしまう方が多いのですから
ますますお抹茶は遠いものになってしまいます

国際交流の時も悩みました
おいしいお抹茶をお点てして飲んでいただくか
各自茶筅を振ってもらって自分で点てたお茶を飲んでいただくか
「体験」は楽しく盛り上がるのですが
お茶を口にしたときの皆さんの反応が
私的にいまいちなのです
ふわ~としたお抹茶を口にしたときは
目が違う
星マークいっぱいで「オイシー」と喜ばれるのです

気楽に抹茶を飲んで欲しい
ふわ~でもぱしゃぱしゃでも
でも
茶農家さんが少しでも甘くおいしくと
努力して育てた茶の葉のことを思えば
少しでも甘くおいしく飲んでもらうように伝えることが
やはり私の仕事だろうと思うのです
茶筅一本、さらしに巻いて、世界に旅立たねば!
(古っ)

茶禅一味は必然なんだと思う今日この頃です
何を考えながらお茶を点てるか
それが「ふわ~」の秘訣だと思うからです

氷出し

2009年06月21日 | Weblog
「おぶぶ」さんのお茶会で、
かぶせ茶の氷出しをいただいてきました。
じっと待つこと3時間。
小さなお煎茶茶碗に6分目ほどの
その冷たいお茶が、
いつまでもいつまでも舌の上で
じわじわじわじわと迫ってきました。
氷出し、おそるべし。
お水出しより感じられる味が多いかもです。
7月のイギリス館の冷茶講座で、
私も、これ、いたします。
お楽しみに!

6月いっぱい、
早稲田にあるリーガロイヤルホテルでは、
和束茶フェア開催中です。
日本料理なにわでは、
煮出した番茶で炊き上げた茶飯と、
煎茶仕立て玉子豆腐・おぼろ昆布・白身魚葛叩き・木の芽ほか。
カフェコルベーユでは、
オマール海老を煎茶風味のクリームで和えたグラタンや
煎茶風味の小海老入りピラフ、
鯵の天婦羅と葉ワサビを添えたところへ
白出汁で煎じたお茶を注いでお茶漬け風。
ガーデンラウンジでは、
大納言の入った「和み抹茶チーズケーキ」や
抹茶パフェ。
セラーバーでは、
チョコレートのリキュールを使ったクリーミーな抹茶カクテル。
テイクアウトショップでは、
抹茶のミルクコンフィチュールや抹茶練乳かりんとう、抹茶ブラウニーや抹茶クッキーがありました。

ご家庭では、
練乳におぶぶさんのお抹茶をまぜたりして
かき氷にかけたり
クッキーにのせたりしても、
とっても簡単でおいしいですよ。
製菓用なのにボールミル挽きでなくて
石臼挽きですから、
クリーミーですしとっても香り高いです。

2009年06月20日 | Weblog
6月は水無月
旧暦の水無月は梅雨が終わって夏本番
からからの季節だから水の無い月という
という説もありますし
「無」という字は「の」という助詞で
つまり水無月は「水の月」という説もあります
神無月が
日本中の神様が出雲に行ってしまうので
神の無い月という考え方と
出雲から見たら神様大集合の「神の月」というのと
両方にとれるのと同じです

「水の月」の水は
雨のことではなくて田んぼの水のことです
苗が落ち着いて
きちんと並んだ緑が揺れる水田が
さわやかな風を届けてくれる頃
それが旧暦の6月

「さみだれ」は五月雨と書きますが
梅雨である今は
旧暦では五月だからです
まったく
旧暦に戻そう運動したくなりますねー
「さみだれ」という言葉は
神の意の「さ」と
雨の意の「水垂れ(みだれ)」から成っています
天の恩恵である雨に感謝して
聴雨の候
本を開いては語源を辿る旅などに遊んでみたいです

ちなみに
鮎という字も
鮎が縄張りを持つ魚だから
場を占める魚で鮎という説と
日本書紀にある魚占いに由来するという説と
まだまだいろいろな考えがあるようです

さて
来月の横浜山手イギリス館での講座は
「水」をテーマにします
お水が変わるとお茶のお味もかわるのか
数種類のお水で試してみます
それから冷茶をおいしく出すこつ
ペットボトルのお茶と急須で淹れたお茶と何が違うのか
といったことをお話しします
マイ冷茶で暑い夏を乗り切っていただきましょう

BRUTUS

2009年06月19日 | Weblog
ただ今書店に並んでいる『BRUTUS』
7/1号は「おいしいお茶の教科書」とな
「厳選、紅茶と日本茶108種、購入ガイド。
 いま行くべき紅茶サロン、日本茶カフェ案内。」
とあります

お茶の水色(すいしょく)の微妙な違いが
鮮やかに映っていてお見事
抹茶スイーツも
お大福のふにょふにょ感が伝わってきて
いくつでもオーダーしてしまいそうです

面白かったのは
ワインと重ねてお茶を語っているところ
1983年のピノノワール
シャンパーニュでデシャンの
なんて言われると
ぎゃ~~いや~~きざ~~
などと思っていた私でしたが
気が付いてみれば
4月27日に摘んだお茶と
5月3日に摘んだお茶を
キャーキャー言って楽しんでいたり
○○さんのあの斜面のお茶とかいわれると
飲みたい飲みたいと騒いでいる
一口いただいては
その茶師の真剣な瞳や茶畑の風が思い浮かんでくるわけです
好きって
そうなっ茶うのですね

「ワインを愉しむようにお茶を愉しもう」
というのは
室町時代の闘茶の世界をおもわせます
お茶センサーが動き出すと
気候と土と感性と技といった
天地人の妙が楽しくて楽しくて
たまらなくなります

番茶のコーナーでは
碁石茶や美作番茶など
かなり心していただかないとなお茶が
さらっと紹介されていました

しもきた茶苑大山の抹茶のかき氷が
目に焼き付いています
でも
たとえば下北沢には「つきまさ」という
素敵な日本茶喫茶もあるのに
こちらは紹介されてませんでした
「行くべきカフェ」はまだまだたーくさんありますよ

葉っぱの毒性

2009年06月18日 | Weblog
八つ手の葉っぱの毒性について
改めて調べてみました
 「毒成分は
  サポニンの一種ベータ・ファトシンとアルファ・ファトシン
  葉と根に存在します
  誤って食べると
  嘔吐、腹痛、下痢、胃腸粘膜のただれなどの障害を起こす」
16日の画像のように
お茶碗を伏せている限りにおいては
「問題が起こるとは考えにくい」
というのが厚生労働省の監視安全課のご回答です
八つ手の毒性は喫食して生じるものだそうです

紫陽花の葉についても聞いてみました
去年「紫陽花の葉で食中毒」がニュースになりましたね
厚生労働省の今日現在の見解は
 「喫食したときに嘔吐、下痢といった
  食中毒症状がでることがあるので注意」
というものでした
この季節になると
紫陽花のお菓子を紫陽花の葉に盛っていたので
この点も確認したところ
 「喫食したとしても必ず嘔吐するわけでもないようで、
  お菓子を盛ることで問題が起こるとは考えにくい」とのこと

でも
八つ手には毒があると認識している人が
八つ手に、口をつけるお茶碗が伏せてあるのを見たら
それは気持ちのいいものではないですね
紫陽花の葉に直にお菓子が載っていたら食べたくないかもです
お客様が「イヤだな」と感じてしまわれたら
茶会は失敗です
そう考えると
毒がある植物は茶会では使わない方が無難でしょう

さあどうするかな
八つ手は私の中では使用続行という感じです
説明する準備をいつも心に持ちつつ
紫陽花の葉っぱはやめとこうかな
楊枝で葉脈を傷つけるかもしれませんものね
ゆうさん、おかげさまでよい勉強になりました

素直さ

2009年06月17日 | Weblog
今日は学校茶道の日
先月から入った一年生に
先輩達がとっても優しい
この学校に来たとき二人だった茶道部も
今は8人でとってもにぎやか
他の人が点前座でお稽古をしている時
隅の方で
新入生に帛紗のさばき方を教えている先輩
棗がふえて茶杓がふえて
お茶碗と茶筅と茶巾が出てきて
新入生の膝前がどんどん賑やかになっていきます

あ、今度は水指まで出てきた
建水を前に置いてお釜代わりにして
ふんふん
おお、柄杓の扱いやっちゃうわけね・・・
「そんなにいっぺんにやってもわけわからなくなっちゃうから、
 棗と茶杓の清め方とか、茶巾の扱いとかピンポイントにしたら?」
と、ちょいと言葉をはさみました

そうしたら
「私は、一番最初の日に、お茶を点てるまで全部やらせてもらって、
 それがすごくうれしかったんです!!!!!」
って、真っ赤なほっぺで言うんです
お茶室の中は時季的にかなり暑くなっているのですが
先輩のハートもすっごく熱くなっていました

二人の時と違って
今年はお稽古の時間内に全員が全工程はできない
でも、今日初めてお茶を点てる後輩に
できる限りのことを
自分がしてもらってうれしかったことをしてあげたい
そんな思いで必死だったのですね

「相客に心する」というのは利休七則の一つ
同席した人に心を配りなさいという
当たり前と言えば当たりまえな事ですが
それを第一義に行うことはとても難しい
大人はつい恥ずかしいとか、やりすぎかなとか、失礼かなとか
余計なことをいろいろに考えてしまう
彼女たちの今日の言動は
素直で思いやりにあふれていて
見事でした
「心する」ということを
いろいろに考えさせられました
もう一度「素直」に還ってみよう

水淹(すいえん)

2009年06月16日 | Weblog
大きな八つ手の葉っぱをお盆にして
その上にぴょこんと座っている白磁の茶碗。
葉脈が元気で、
お茶碗達はちょっとあちこち傾いで、
その様がとってもかわいいのです。

水指の蓋も八つ手の葉っぱ。
お水を掬うたびに葉っぱを下ろしたり戻したり。
「間」ひとつで、
その移動は涼やかにも見えるでしょうし、
暑苦しくもなるのでしょう。
大きな葉っぱがゆらりさらりと動いて、
宙に涼しさが舞うように、
そんなことを考えて葉を扱ってみました。

柄杓で摂ったお水を茶器にあけるときは、
葉の上にお水がこぼれてもいいのです。
水の動き、水の音、ころがる水滴、
それらが全部涼しさを演出してくれます。

今日は玉露をお水で淹れました。
たっぷり時間を取るために、
花のお話などをします。
本日のお花は、
紫の紫陽花と枇杷。
この組み合わせで、
「紫球琥珀」という雅題となります。
雨のこの季節、
外に目をやれば、
紫陽花や枇杷に
雨のしずくがきらりと光る。
そんな様子を、
アメジスト(紫球)と琥珀に見立てています。

お水でゆっくりと抽出された玉露は、
すっきりとした深い甘みが味わえます。
葉っぱのお茶托(托子:たくし)に乗せて、
それらを葉盆(葉っぱの形の木地)に乗せて、
ご正客の前にお運びします。
「どうぞお流しください」
お一つずつお茶碗を取り入れ、
葉盆が涼しげにお隣の膝前に流れていきます。

お手前の最後は、
「お暑うございました」とご挨拶し、
ご正客は、
「涼ませていただきました」と受けます。

ピカッごろごろ~と空が騒がしい中、
最後は、
暑い茎茶に梅干しを入れてごくん。
お土産の黒糖ういろうがおいしい♪
あ~、涼しい演出もいいし、
熱いお茶もいい!
梅雨もとっても楽しいです