茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

雨音

2009年06月27日 | Weblog
え・・・
カエルちゃんの和菓子です
よく見れば
雨の雫をほほに受け
大きな目は宙を見て
幸せそうに雨音を聴いているよう
ご銘は「あまね」

ちょうど
今日お借りしたお茶室にあったお茶碗が
鳥獣戯画だったので
もうカエルづくし
鳥獣戯画は
なんか楳図かずおさんの絵とかぶって、こわい・・・
貧相な感性ですみません

区のあちこちのお茶室をお借りしての
放浪茶稽古で
今日はお隣のお部屋から
20年代の歌謡曲が漏れ聞こえます
アラ70のお姉様達の踊りの会です

渋谷の交差点を駆け抜け
炎天下の三軒茶屋の人混みをかきわけ
公民館で懐メロを聴きながら
カエルやウサギが笑い転げるお茶碗を前に座っていると
栂尾の高山寺を訪ねた日が思い出されました
(日本最古のこの漫画は高山寺に保管されているのです)
本茶と非茶を当てる闘茶で
本茶とされたのが栂尾のお茶なのですが
その栂尾の明恵上人の茶畑に行きたくて
栂尾がどんなところかただただ見たくて
山道をてくてく登っているその日の自分の姿が
なんか
ウサギにもカエルにも見えてきて

明恵上人が何を考えながらお茶を育てていたのか
鳥羽僧正が何を思いながら鳥獣戯画を描いていたのか
そんなことを考えながら石段を登っていたあの日
答えなんて、絶対に、ないのに
どうしてそんなことを考えるのでしょう
どうして栂尾まで出かけていくのでしょう
笑ったり喜んだり悩んだり求めたり
そんな一生懸命が
なんか
ウサギにもカエルにも見えてきて

「森の中虫たちが空見上げてる」
これは息子が小さい時
伊藤園の「おーいお茶」で選ばれた俳句です
そんなものまでがふと思い出され
いろいろな一生懸命を感じながら
一服ちょうだいしていました
そして
有意無意のことははわからないけれど
アラ70になっても
一生懸命踊って笑っていられる人で
私もありたいかななどと思いました