茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

消息

2009年01月31日 | Weblog
上野毛の五島美術館に行ってきました。
『千利休消息 横雲の文(よこぐものふみ)』を
しみじみ眺めてきました。
消息というのは手紙のことです。
1591年2月5日の書、
つまり利休さんが亡くなるほんの3週間ほど前に
大徳寺珠光院の住持あてに書いた手紙です。
利休さんが所持する「橋立」という壺を
預けるという内容のものです。

古筆学者の小松茂美氏は、
この手紙への思いを以下のように述べておられます。
橋立の壷を預けるから、私(利休)の判(自筆の文書)のない限り、
だれにも渡さないでもらいたい、という文面である。
「橋立」の壷とは将軍足利義政(1432~90)遺愛の茶壷である。
当時、利休が伝得して愛蔵していた。
秀吉が大層この茶壷に執心したが、再三の懇望を利休は退けた。
そのいわくつきの茶壷が、この「橋立」の壷なのだ。
手紙の背後には、
秀吉が一計を巡らして利休の手から取り上げようと画策したことが、
ありありと思い浮かぶのである。
***

大切な「橋立」を秀吉の手から守ってくれと
秀吉には渡したくないと
大徳寺に頼んだ手紙ということでしょうか。

この手紙には歌が添えられてありました。
レプリカの画像ですが左の部分です。
 「よこ雲のかすみわたれるむらさきの
       ふみととろかすあまのはしたて」

ヒントになるような定家の歌を見つけました。
 「春の夜の夢の浮橋とだえして
            峰にわかるる横雲の空」
「むば玉の夜わたる月の澄む里は
            げに久方の天の橋立」

春の歌は幽玄の極みとも解釈されている歌だそうで、
幽玄とは、
「心にあって言葉には言うことができないもの」とありました。

利休さんはどんな思いであの手紙の前に座っていたのでしょう。

風邪の予防

2009年01月30日 | Weblog
静岡県は富士宮の小学校では
インフルエンザが流行ってきたので
必ず水筒にお茶を入れて持たせるようにと
通達があったそうです
感動!
さすが静岡県!
そんな通達がこの辺りであったら
ペットボトルを持ってくる子が
結構いるのではないかと思います

以前京都に行った時に
水道の蛇口からお茶が出る小学校があるというので
見学させていただいたことがありました
画像が悪くて恐縮なのですが
本当にお茶が出てきました
水飲み場の横に
給茶器の大きいのがあって
水道管に直結しているのです
すご~い
このお茶は
主にうがいをするのに使われているとのことで
飲むお茶はマイボトルで家から持ってきているし
給食の時には大きなやかんでお茶が回るそうです
さすが京都!

その小学校では
すべての子が茶の湯をたしなむし
闘茶大会などもよくある行事で
かなりの達人がいると言っていました
さすが京都!

闘茶のようなゲームは子どもたちは大好きですから
もっとたくさんの学校で
こうした五感を使う企画をとりあげたら楽しいでしょう
キットやプログラムを開発して
全国から名人を発掘
今年は「お茶王子」を売り出すってのどうでしょうね!
京都や静岡だけの習慣ではもったいないもの

食後のお茶は
脂肪の分解にも
虫歯予防にも
口臭予防にも
そして
口内体内のウイルス退治に効果大
熱い温度のお湯(80度以上)でお茶をだして
水筒に入れて持ち歩きましょう
急須で入れた緑茶のカテキンの量は
ペットボトル茶のカテキン量の2~4倍
安いし効果あるし
マイボトルで風邪をのりきりましょうね

でもヘルシアのカテキンは急須で入れた緑茶の2ヴァイ・・・

風邪かな?

2009年01月29日 | Weblog
子供が喉が痛いと言っています
風邪撃退粥の出番です
粥と言ってもお粥が嫌いな子供には
お出汁の中にご飯投入
長ネギ2本投入
ハム投入
そしてお抹茶ドバドバ

先日お友達が
抹茶粥で風邪気味の胃も
すっきりさわやかと言っていたので
自信を持ってドバドバ
お塩で軽く味付けして
みーどりもーえる草原をこーえーて~♪
という感じの
お餅入り抹茶雑炊の出来上がり~

さあ風邪なんぞ追い払え!
と差し出した自信の一品
「なんなのこの緑は・・・」
恐ろしそうな顔をするので
「ね、ねぎだよ」
と目をそらす
「どー見ても抹茶だよね」の一言に
すごい!
抹茶ってわかるなんてすごい!
さすが利休さんの命日に生まれた子だ!
と一人で盛り上げるものの食べようとしない

んーちょっと緑すぎたかなあ・・・
と思いましたが
お!おいしいい!
でも、彼は
「まずくはないけど
 普通にご飯食べてから抹茶飲んだ方がよかったし」ですって
お子ちゃまね
なんて
試してみたいの一心で
人を実験台にしてはいけません~
それに抹茶はカフェイン強いですから
いっぱい入れては胃に優しくないですね~

伊藤園さんのHPに
お茶を使った恵方巻きが紹介されていました
こちらはプロが開発したレシピ
安心して皆さん試してみてください
でも
お抹茶のお雑炊だって
ほんとにおいしかったですう

牛肉の恵方巻き:
千切りにした生姜60g
牛肉400gと茶葉大2を炒め
砂糖みりん醤油各大4酒100ccを加えて弱火で煮る
お米は酒・塩・煎茶で炊く
これでくるくると簀巻きにします

切り落としのお肉でも
さっぱりおいしくいただけるそうです

冬の茶畑

2009年01月28日 | Weblog
京都和束の「おぶぶ茶苑」さんから
朝の茶畑の画像が届きました
夜明け直後に撮った様子だそうです
葉っぱ一枚一枚に霜がびっしり!
まず
「きれい」と思ってしまいました

私が湯たんぽ抱っこしてぬくぬく寝ている間
私のお茶ちゃんは静かに冬に耐えている
(私しょうもないオーナーさん)
夜の静けさの中で
ピーンと張った寒さの中で
目を閉じて微笑んでいるようなお茶の姿
生きるということの美しさを
どかーんと感じさせてくれました

8世紀、唐の陸羽が記した『茶経』に
「茶者南方之嘉木也(ちやはなんぽうのかぼくなり」と
あります
暖かい地域の植物のようですが
お茶の樹は寒さにも強く
日本での経済的北限は
新潟県村上市と茨木大子町を結ぶライン
販売できるくらいの収穫が
雪の新潟であるということです
経済性を考えなければ
北海道でもお茶は育っています

ただし
お茶が雪や霜に打ち勝って元気に育つためには
人の手が必要です
秋から冬になってくると
お茶は休眠に入ります
そんな時はー10℃くらいまでの寒さに
耐えることができるのですが
だんだん暖かくなり
お茶が目覚めてからは
-2度ほどでも被害を受けるようになります
葉が枯れてしまうのです

ですからこれから春先にかけての
霜には注意をしなければなりません
防霜ファンを回したり
被覆をしたり
畝根を覆ったり
お茶農家さんは
毎朝毎朝
暗いうちから茶畑に出て
茶表面の温度に気を配るのです

美味しいお茶は
人の愛情と技術があってこそなのです

実朝忌

2009年01月27日 | Weblog
大概のお茶屋さんのHPに登場する実朝
800年の時の向こうで
「お茶で二日酔いが治った人」として
こんなに引っ張りだこになるなんて
まさか思いもよらなかったでしょうね~

この話が記されているのは『吾妻鏡』
鎌倉時代の歴史書です
1214年2月4日の条に曰く
「将軍家(実朝)聊(いささ)か御病悩。
 諸人奔走、但し是れ若くは去夜、御淵酔の余気か。
 爰(ここ)に葉上の僧正、
 御加持に候するの処、此事を聞き、
 良薬と称して、本寺より茶一戔召し進めらる。
 而して一巻の書を相い副え、之を献ぜ令しむ。
 茶徳を誉める書也。
 将軍家其の感悦に及ぶ。」

この葉上(ようじょう)の僧正が栄西禅師
茶徳を誉める書が『喫茶養生記』
感悦に及ぶというのが
お茶の効き目で頭痛が癒えたということらしく
その後実朝は
日本全国に茶の栽培を奨励するようになります

『喫茶養生記』というツールがあったことも
お茶を広める上で有効であったのでしょう
栄西が住職となった鎌倉寿福寺には
今もこの『喫茶養生記』が
重要文化財として納められてあります

宋より禅を学んで帰国したものの
京で延暦寺の反対にあって
思うように活動ができず
鎌倉に庇護を求めにやってきた栄西
北条政子が帰依するところとなりますが
実朝が
お茶は体に良いぞと広めるその心には
栄西の禅の教えを保護せんとする
茶禅一味の想いがあったのかもです

「瑞垣のおおしききょうよりゆうだすき
 かけし心は神ぞ知るらむ」

画像は鎌倉鶴岡八幡宮にある実朝の歌碑
「山はさけうみはあせなむ世なりとも
 君にふた心わがあらめやも」
和歌の好きな実朝さん
いろいろストレスが多く深酒の傾向にあったそうな

泉屋のクッキー

2009年01月26日 | Weblog
とても疲れて
甘いものが食べたくなりました
クッキーが食べたい!
と思ったらもう頭のクッキーだらけ
しかもそれは泉屋のクッキー

以前あったはずのデパートにない
疲れていたはずなのに
泉屋さん探してあちこち回り道
そりゃ私も数々の新しい洋菓子屋さんに浮気しましたが
帰ってきたよ~
泉屋のクッキーが食べたいよ~とうろうろ
やっと横浜ジョイナスで
懐かしい包みを買ってきました

そして
ルンルンと釜炒り茶を淹れたんです
いける!と思ったんです
ところがダメでした
釜炒り茶は強い!
クッキーの味を丸ごと消し去ってしまうのです
え~~~と
次に「あさつゆ」を淹れてみました
悪くはないけれど合ってはいません
そしてぶつぶつ言いながら
ダージリンにしたら
お~~~紅茶がクッキーの甘味を優しく包み込んで
双方がとってもおいしー

そうか
ヨーロッパに紅茶が定着したのは
クッキーの国だったからだ!
釜炒り茶は
なんてったって
お漬物に会うんです
沢庵なんて最高
緑茶はお醤油と塩の国の飲物なんだ!

と、パクパクしながら泉屋さんのHPで学んだことは
オランダ語「クオキエ」(小さな菓子)が
アメリカで大人気となり
後にクッキーと呼ばれるようになったというお話
日本で初めてクッキーのお店を開いた(昭和2年)のが泉さん
宣教師夫人が子供に栄養のあるおやつを
自ら焼いているのに感動した泉夫人が
米国からオーブンをとりよせて焼き始めたのがきっかけだそうです


きれい

2009年01月25日 | Weblog
お茶の勉強をしてきました
たくさんの茶葉を鑑定するのです
摘採の時期の早さを見たり
上級なお茶の順に選ぶため
お茶の葉を握ったり嗅いだり
重さを感じたり肌触りを確かめたり
葉の艶や明るさを見比べます

また熱湯を注いで
水色(すいしょく)を見たり
開いた葉の様子を観察したり
嗅いでみたり
遠目で見たり近くで見たり
いろいろ検討して
お茶の素性を当てるわけです

でも、何度この場に立っても
「わっかんない・・・」
いろいろな情報が頭の中でぶつかりあって
ちっとも素直になれずに
正しい判断ができないのだと思います

解説は極めて単純
水色が明るくて透明度があるのは良いお茶
「ほら、これが一番きれいでしょ」
うんうん、そういわれると
今何を悩んでいたのだろうと不思議になるほど
明らかにそれが一番きれい!

「きれい」と感じるものは
みんな一緒なんだ
多様性の時代といっても
いい香りと感じるのも皆いっしょ
周りの人の反応を見ていて
面白いなと思いました
それでもまだたくさんのお茶に順番が付けられない・・・
そう簡単にお茶の鑑定はできるようにはなりません

「ティーブレンダー」というプロがいます
いくつものお茶の微妙な特徴を認識し
それを上手にかけ合わせて
一つの「おいしさ」を作り上げている茶師です
もんのすごく繊細な感性と
チャレンジ精神に富んだ仕事ではないでしょうか

昨日、ルピシアさんの文章で気になったのは
 「ティーブレンダー」の五感によってただ混ぜるだけの
 「ミックス」とは大きく異なるブレンドティー
というところです
 「ティーブレンダー」の五感による合組という伝統的な技に
 近代的な挑戦を加えたブレンドティー
ではどうかなあ。

焙煎豆々茶

2009年01月24日 | Weblog
『焙煎豆々茶』という名前が
今日のような寒い日には
なんだか温まりそうな感じ~と
お正月にいただいていたお茶を
開けてみました

おお~
なあんと香ばしい!
節分の日の香りがいたします
これはもう
お茶というよりか豆?
よく見ると
ほうじ茶が姿がちらほら
原材料名は
大豆、黒豆、緑茶(日本)、小豆、マイロ
とありました
甘いです
でも、ほうじ茶の甘さではないです
お豆って焙煎するととても甘くなるんですね

こんな
面白い商品をどんどん開発しているのは
ルピシアさん
緑茶・紅茶・中国茶
いろいろな種類のお茶に
さらにひと手ひとヒネリを加えて開発する
その商品の数と言ったら
眺めているだけで楽しくなります
人気なのは
桃や梅やライチなどの加わったフレーバードティー
我が家はどうも苦手なのですが
ルピシアさんの店頭の人だかりを見れば
これらのお茶が人気なんだなと
勉強させられます

そんな
フロンティアスピリットに
以前から敬意を払っておりましたが
今HPを見ていて
ちょっとびっくりした表現にぶつかってしまいました
私だけかな?
皆さんは違和感なくお読みになるでしょうか

 世界のお茶専門店ルピシアでは
 世界30カ国で生産され世界中で飲まれている
 紅茶をはじめ、お茶のルーツ・中国で生まれた緑茶や烏龍茶
 「ティーブレンダー」の五感によってただ混ぜるだけの
 「ミックス」とは大きく異なるブレンドティー
 現代感覚でさまざまな香りをつけた
 いわばお茶の花束と言えるフレーバードティーに
 アロマテラピーに根ざした
 バラエティー豊かなハーブティー(健康茶)などなど
 年間400種類以上ご紹介しています。

地球温暖化

2009年01月23日 | Weblog
温暖化が進むと
お茶の育成にはどんな影響があるでしょうか
お茶はもともと亜熱帯性の植物ですから
少しくらい平均気温が上がっても
そのこと自体はそんなに影響はありません
むしろ
現在の生産地の北限が移動し
もっと広範囲でお茶の栽培が可能になるような気さえします
ところが
現実的には多くの問題が起こります

温暖化は
気温が高くなるという変化だけでなく
少雨と豪雨が極端になるという現象を起こします
お茶にとって
水不足は命取りなのです
真夏の暑い時期
お茶は自ら温度調節をして
葉温を40℃ほどに保っているのですが
水不足だとこの調節作用が機能停止し
47℃になった時点で枯れてしまうのです

また冬が暖かいと
新芽が不揃いになり
機械摘みが不可能になります
インフラの面で
お茶の生産性が保てなくなってくるといった
問題も出てきます
ほかにも
お茶につく病害虫の多発やパターンの変化が起こり
健康的な栽培が困難になることも予測されているなど
問題がいっぱい

こうした問題に関しては
独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構
という組織があって
野菜茶業研究所安濃本所ほか
つくば野菜研究拠点
金谷茶業研究拠点
武豊野菜研究拠点
枕崎茶業研究拠点において
お茶をはじめあらゆる農産物の
温暖化による影響と対策が研究されているのですが
ワシントンに本部のある国際農業研究協議グループは
温暖化で平均気温が2度上昇すると
茶やコーヒーの生産は困難になると
警告しています

無事に飛び立った温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」
温暖化防止・抑制のための大切なデータを
じゃんじゃん収集してくれるそうです
オバマさんも
京都議定書にじゃんじゃんサインしてくださいね

まいど1号

2009年01月22日 | Weblog
温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」が
明日種子島から打ち上げられる予定です

今まで観測衛星の打ち上げに
それほど関心をもったことはなかったのですが
今回の打ち上げは
何とか見届けたいなという思いがあります

「いぶき」には
相乗り衛星というのが7機あって
その中の一機に
「まいど1号」という衛星があります
いくら大阪人でも
ジョーダンやノリでロケット飛ばせるものではありません
さて、そのバックグラウンドは?

以下、「まいど1号」のHPからです



大阪府東大阪市は
中小企業が集まる"モノづくりのまち"として知られています
工場集積率は全国No.1で
各分野のトップシェアを誇る会社やユニークな製品を開発する
オンリーワン企業もたくさん集まっています
しかし
高い技術力の誇るこのまちでも
不況の波は厳しく
加えて技術者の高齢化が進む一方で
モノづくりに関心を持つ若者が減少しており
貴重な技術の継承が危ぶまれています
そんな中
「苦しい時こそ夢を持たなアカン!」と
職人集団が立上りました
「中小企業の技術力を結集して、人工衛星を打ち上げよう」と
2002年12月に設立されたのが
東大阪宇宙開発協同組合(Astro Technology SOHLA)です

「夢を打ち上げるんやない。夢で打ち上げるんや」

新しい宇宙開発を目指し
匠たちは日々挑戦し続けます



この「まいど1号」に
寄付という形で乗船している
「真ML茶の湯Community」というグループがあります
流派を超えてお茶を趣味とする人たちのMLです
ものづくりあっての茶道です
職人の技があっての茶道です
夢があっての茶道です
私の流派はこのMLです
といえるぐらい
多くのことを学び
素敵な茶人に出会うことができた
素晴らしいMLなんです

明日12:54打ち上げです
ネットで中継もあります

私は
「茶を点てるんやない、茶で点てるんや」
という気持ちで一緒に飛び立って行きたいと思います
え?茶で何を点てるの?と思われた方は
今度tea-literacyのお茶会に来てね







空海

2009年01月21日 | Weblog
今日は初大師さま。
弘法大師空海のご縁日です。
空海と言えば高野山、
真言宗の開祖ですね。

空海は遣唐使とともに804年に入唐し、
お茶を持って帰ってきました。
いや、お茶 も 持って帰ってきました。 

『弘法大師年譜』には、
「大師、入唐帰朝の時、
 茶を携え来たって嵯峨天皇に献ず」
とあります。
806年のことです。

空海の詩文集『性霊集』には、
茶に関する詩が多く見られ、
空海が茶を好んでいたのであろうことが
感じられます。

唐に渡った僧たちを受け入れたのは、
杭州界隈の寺院。
そしてこれらの寺院の周辺では、
当時からお茶の栽培が盛んで、
多くの修行僧たちが
仏教とともに茶に親しんでいたと
考えられています。

そのお茶は、
当時の唐のお茶ですから、
数少ない史料から想像すると、
団茶という固型茶を
薬研で砕き粉状にして
煎じ出していた感じかもしれません。

空海が持ち帰った石碾(石臼)が
奈良県の仏隆寺にあります。
高野山には茶畑が確認されておらず、
空海は持ち帰った茶の種を
仏隆寺の開祖堅恵(けんね)大徳に与え、
今の宇陀郡棒原町赤埴の地に撒いて、
そこで茶の製法を伝えたと
いわれており、
それが今の大和茶の起源だそうです

ところで
「曼荼羅」の真ん中の文字は何でしょう!
「茶」とは違いますが、
「荼15束」などと
茶を数えている記述と思われるものにも
この字が使われていたりしています。
そもそも
サンスクリット語のMANDAL-LA
「本質を持つもの」の音を漢字にしたものですが、
曼陀羅であったり曼荼羅であったものが
どうして曼荼羅という表記に統一されたのかなあ。

風花

2009年01月20日 | Weblog
今日は大寒
ちらりときたのは
雪だったか雨だったか
こんな風情を
誰が「風花」だなんて
名付けたのでしょうね
日本語って美しい

「渓梅一朶香(けいばいいちだかぐわし)」を
体感したくて
寒い街をさまよえば
ああ
どここらともなく
梅の香り
なんてことは
無理~

ナビで
梅林マークを探して
やってきました
梅林ちゃん
なのに
薫るは焚き火の香りなり

固い蕾と
ほころんだ紅と白を愛でながら
寒さにも負けず
梅の中にただずめど
焚き火はおわらな~い
こんな寒くて煙くて
野点なんてできるかしら
YES! WE CAN!
林~間で愛を叫ぶ  

お正月のお床には
「瑞雲」とか「無事是吉祥」とか
おめでたいお軸がかかりました
2月になると
「雪裏梅花開」とか
「寒月照梅花」とか
寒さにあって春の兆しを観る
そんな禅語が見られるようになります

「渓梅一朶香」も同様で
私の大好きな禅語です
修行中の僧が
まだ寒い谷間を歩いて行く
ふと甘い香りに気づき
その香りに誘われてゆけば
そこに一枝の梅に出会う
はっと仏を観る瞬間
まさに
今日の私の愚行の真逆であります~

梅の香の下で一服はできなかったけれど
山々のいたるところで
草も木もみんな
もう春だよ~と
うきうきと空を見上げている様
そんな気配を感じられて
佳い一日でした

桜の花びらが散る速度
雪が舞う速度は
ともに1秒に1メートルだそうです
やわらかな舞ですね

苦味

2009年01月19日 | Weblog
『所さんの目がテン』という番組で
苦味についてその正体を究める!
という企画があり、
苦味を持つ食品として
抹茶が登場することになりました。

とげぬき地蔵さんで有名な
巣鴨の高岩寺さん境内で、
元気あふれるお母さん方に
お抹茶を飲んでもらい、
その後、
池袋サンシャインシティを行く
若い学生さんたちに、
同じ濃さのお抹茶をお点てする。
さて、
両者のご感想はいかに!
ということで、
シャカシャカとお抹茶を点てて参りました。

最近、
苦味というものがダメ、
という若者が増えているとのこと。
コーヒーやビールもだめだそうです。
小さい頃から、
小松菜などの青菜を食べなかったり、
お魚離れでワタやこげの苦さを知らない。
お茶もあまり飲まないから、
カテキンやカフェインにも慣れていない
のかもしれません。

抹茶の苦味というのは、
お茶の持つカテキンに由来するものもありますが、
カフェインの苦味が強いのです。
両者のバランスによって
苦渋味がいろいろに感じられるようです。
これらカフェインとカテキン類は
他の植物にはあまり存在しないため、
お茶は昔から養生の仙薬として
注目され続けてきたわけです。

でも、
番組では、
人が苦いと感じるものが、
本当に体にいいのか!?
という疑問から苦味を検証していくようです。
おお!確かにそうですよね。
苦くてイヤ
というのは体の拒否サイン。
さあ、
はたして「苦味」は人に必要なのでしょうか!?

巣鴨のお母さんや池袋のお姉さんの他にも
○○クンや××ちゃんまで動員しての
テイスティング!
楽しみです。

放送は2月8日(日)朝7時から
日本テレビ系列さんです。
MINAKOの「手」が出演しま~す。


初観音

2009年01月18日 | Weblog
毎月18日は観音様のご縁日
お友達に誘われてお寺さんに行ってきました
ジュータンが敷かれた本堂では
たくさんの人々が熱心に
ご法話に耳を傾けていらっしゃいました

その後
坐禅をするお部屋へ行き
半跏趺坐の練習をしましたが
体が硬くてできません
若いころからできませんでした
でも
瞑想は得意!
昔からよく白昼夢のMINAKOさんと言われていました
違うか

栄西が
宋の修行僧たちが
眠気覚ましにお茶を喫しているのを見て
おおこれはいい!と
茶の実を日本に持ち帰ったというお話は
修行僧さんに失礼なお話と思っていましたが
眠気との戦いは
現実的に大変な試練なわけですね

昨日
ちょうど『禅』という映画を見ました
建仁寺で栄西の弟子明全に師事し
宋にわたり曹洞宗を修め
後に永平寺の開山した道元の物語です
道元は
「ただ座りなさい」と説きました
「死んでからあの世で仏に会ってどうするのです
 今、ここで仏を見なさい」と

座るということは大変です
足が痛い、眠い
そんな体の苦痛も大きいでしょうし
多分
こんなことをしていて何になる
という思いが勝ってしまうのかもしれません
求める気持ちが本当でなければ
挫折してしまうでしょう
座り続けるということは
求め続けることで
求める気持ちがあること自体
そのことがそのまま
仏に向かっていることになるのでしょう

そうそう座ってはいられないけれど
ご縁日の日にお寺さんに行って
和尚さまのお話を聞いて
手を合せ
少し座ってくる
そんな時間を過ごしている老若男女が
都会にはたくさんいるんだということが
冬の寒空に春を感じさせてくれました

お寺さんのポットに入っていたお茶は
山草茶でした
眠気覚ましのカテキンは
なしでした

おばあちゃん

2009年01月17日 | Weblog
かおりさん、こんにちは
小学生でクラスの8割が
急須でお茶をいれたことがあるなんて
さすがお茶どころ!
「急須でお茶」が
日常の生活の風景になっているんですね

myuさんのように
私もお茶と言えば祖母です
キビショでお茶を入れていました
あの急火焼、どこへ行ってしまったのかな
母はどうだったかと思うと
母がお茶を入れている場面は思い出せません
食後はコーヒーでした

私の祖母は明治33年生まれです
myuさんのおばあちゃまと私の祖母とは
ずいぶんと年代が違うと思いますが
私の祖母が育った時代は
「急須でお茶」という風景は
そんなに一般的ではなかったはずです

お茶の消費量がピークを迎えるのは
昭和50年
祖母が75歳の時です
私が学校から帰るとお茶を入れてくれていた頃は
お茶の消費がどんどん高まり
まさにピークを迎える時代だったのです

「三時のおやつは文明堂」という
コマーシャルも少し前に流行っていて
祖母とよく文明堂のどら焼きでお茶をしました
「三時のあなた」というテレビ番組も人気でした
お茶は
そんな三時の文化に支えられて
需要が伸びたのかもしれません

と同時に
母のように
三時のおやつはケーキとコーヒーというお茶の間も増えました
インスタントコーヒーやティーバックの紅茶に加えて
さまざまな清涼飲料水など
それまでなかった嗜好飲料がどんどん増えて
競争が激しくもなったわけです

コーヒーもいいし
ペットボトルのお茶も結構
これからもっといろいろな飲み物がでてくるかもしれません
そんな中で
急須でお茶を淹れる風景が
なんかいいものだなって
記憶に留めてもらえるような
そんなおばあちゃん私もなりたいです