茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

雷記念日

2009年06月26日 | Weblog
雷の神様といば「天神」
天神様といえは菅原道真公
今日は道真公の怨念で
大納言藤原清貴公が雷殺しにあった日だそうです(!?)
930年の平安京
その清涼殿に落雷があり清貴公が亡くなったのは
政治的策略で太宰府に左遷され
そこで死を遂げた道真公の怨念である
なんて物語が
1000年後まで伝わっていることが
とにかくすごいです

左遷された道真公
太宰府でお茶を飲み飲み学問を続けていたと
『菅家公集』に記されていますが
遣唐使が持ち帰ったほかほかのお茶が
太宰府の道真の元にはたくさん集まっていたことでしょう

唐のお茶と喫茶の文化は
最澄や永忠、円仁などが伝えています 
760年頃に
唐で陸羽が『茶経』を記してますから
彼らがそれを手に取る機会もあったことでしょう
814年
時の嵯峨天皇が作った漢詩には
「詩を吟じ、香茗(茶)を搗くのをいとわない、
 興にのって宜しく雅弾などの音楽を聴くべし」とか
「静まりかえってかすかな興をもよおすところ、
 院裏に茶煙が満ちる」
という喫茶の様子を詠ったものがあります(『凌雲集』)
団茶をあぶっては搗いて
粉にして飲むという
当時の唐の飲茶の方法です

このように遣隋使遣唐使のおかげで
日本の支配階級にお茶という文化が伝わっていたのに
それを廃止したのが
ほかでもない道真公です
これによってしばらく
日本のお茶文化は停滞してしまいます

どうして遣唐使を廃止してしまったかは諸説ありますが
道真公自身が遣唐使大使に任命されたので
行きたくないから廃止したという説もあり
当時多くの船が沈没していましたから
頭のいい道真さんが
唐はもう衰退しているから学ぶものなしと進言したのも
わかります
でも、それによって
お茶文化が大きな影響を受けていることは確かです
あ、あんまり恨みごと書くと
雷落ちる?


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