茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

高遠焼

2010年07月31日 | Weblog
高遠焼は、
長野県高遠町(現伊那市)で焼かれている陶器です。
1812年、
月蔵山(がっぞうざん)から高遠城内に水を引く際に、
土管が必要となり、
それを焼くために窯を開いたのが始まりだそうです。
その後は、
御庭焼として
日常雑器を製造してきました。
現在でも、登り窯で焼かれています。

高遠焼の特徴は、
釉薬の二重掛けです。
深い青を出す瑠璃釉と
高遠名物のコヒガンザクラに因んだ桜色の桜釉が、
春の山の遠景を表しているようでもあります。

タカトオコヒガンザクラは、
ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みがあり、
古くから「天下一の桜」と称されている花です。
城址公園が1500本の桜でピンクに染まる
という光景が見たくて
日帰りバスツアーに参加したのは
もう何年も前のこと。
画像は、その時買ったお湯のみ茶碗です。
お抹茶茶碗が高くて買えなかったので
お手頃のお値段のお茶碗を買ったものの、
ずっと使うこともなく
戸棚の奥で眠っていました。

この度、
茶箱の和敬点前をするに当たり、
今持っている抹茶茶碗の中に
重ね入れられるサイズのお茶碗が必要となり、
やっと日の目をあびたのです。
茶筅を振るにはかなり厳しいサイズですが、
今日からこの子は立派な茶道具です。

空気までピンク~♪
肺の中までcherry~♪みたいな
甘い春の山を見つめ、
子どもはいつまで
こうしてお花見に付き合ってくれるのかなあ
と、遠い日を思ったことを思い出しました。
今、桜の季節は、
お茶会とお茶摘みで忙しいから
ぜーんぜん寂しくなかったもんね。

夏休みの宿題

2010年07月30日 | Weblog
学校のお茶室には冷房がありません。
扇風機もありません。
みんな、
ゆでだこ状態でじっと座っています。
しかも、
文化祭に備えて、着物に慣れるべく、
足袋をはいて浴衣を着ています。

時々、ごっ!と後ろの壁に頭をぶつける音が・・・。
気を失っている・・・
え!
茶室で熱中症!?!
と、焦りましたが、
みんな寝不足だったのです。
今週は試験週間で、
今日の午前中で試験が終わったばかり。
2~3日まともに寝てない~ところへ
水泳2㎞泳がされた~で、
この暖かい部屋で座っていれば
仕方あ~りません。

それでも、
茶巾絞りの「ほら、水の音がいいわね♪」なんてノリに
ようつきあってくれました。
お疲れ様。
ひと月、部活もお休みです。
今日は、3年生に宿題を出しました。

一人には、
『利休道歌に学ぶ』阿部宗正著2000淡交社と白い本をわたして、
毎日2首か3首を書き写し、
感想とか絵とか好きに添えてみる、ってのはどう?と提案。
一人には、
『キッチンでつくる茶席の和菓子』金塚晴子著2002淡交社と白い本、
つくってみたり、絵を写してみたり、
新たなる創作を加えてみたり、ってのはどう?と提案。
もう一人には、
『茶花』庄司信州監修2000西東社と白い本で、
とりあえず全頁開いてみるだけでも、どう?
押し花つくってもいいよと提案。

三人の顔を思い浮かべながら
我が家の拙い本棚を眺め選んだ三冊でした。
「本は返してね♪
 白い本は一生かけて書き足していくのよ。
 じゃあ、Have a nice summer vacation!」
ん~、なかなか良い〆だったかもお~。

簡単抹茶アイス

2010年07月29日 | Weblog
とても足りない~。
この暑さを処すのに
アイスの数が足りない!ことに気付き、
アイスクリーム一つ分のお値段で
生クリームを買ってきて、
抱えて食べられるほどの
抹茶アイスクリームをつくりました。
満足。

美味しいアイスの作り方はいろいろございますが、
やる気のない暑い日でもできる
アイスの作り方をご紹介します。
耐冷容器に生クリームひと箱200mlをあけます。
空いた箱に牛乳を同量入れて容器にあけます。
容器をチンして沸騰寸前くらいに温めておきます。
抹茶を適当に空いた生クリームの箱に入れます。
水を少し加えて練ります。
卵を2つ割ってその箱に足します。
お砂糖も適当に(50gくらい)箱に足します。
箱の中をよく練り練りして容器にあけます。
牛乳を少し箱に入れて箱の中をお掃除して容器にあけます。
容器の中の生クリーム、牛乳、砂糖、抹茶、卵をよく混ぜます。
そして、ラム酒をどかどかと投入。
ん~、いい香り。
あとは、冷凍庫に入れて、
30分おきに2~3回かき混ぜます。
(ここは手を抜かない)

今朝は、突然、肌寒い陽気でしたが、
朝からラム抹茶をいただきました。
美味しく作るアイスと違う点は、なめらかさです。
白身も2つ分入っているので、
アイスなのに、どこかシャーベット的な?
でも、それがまたいいのです。

朝パソコンを立ち上げると、時間が狂っています。
時刻をクリックすると
2006年9月26日の30分後の時を刻んでいました。
私、何かした?
昨夜送信したメールなどは過去に飛んでいったのか
エラーになって帰ってきています。
焦る場面ですが、
ラムで酔っているのか、ちょっとときめきました。

『吾妻鏡』

2010年07月28日 | Weblog
暑さを逃れて図書館へ。
考えることはみな同じで、
人口密度が高く生暖かい館内でした。
人気のないコーナーへ吸い寄せられると
そこにでーんと異彩を放っていたのが
『吾妻鏡』でした。

鎌倉時代の書物です。
美しい装丁のその書を手にとると、
後ろに烏帽子の君が立っているような~。
筆を手にした烏帽子の君は、
「後の世でこんなにたくさんの人が読んでくれるとは♪」
と喜んでいるようでもあり、
「僕が書いたことと随分違ってるし・・・」
と泣いているようでもあり。

『吾妻鏡』は、
1180年頼朝の時代から1266年六代将軍までの幕府の事績を
編年体で記した歴史書ですが、
成立時期は鎌倉時代末期の1300年、
北条の時代になってから編纂されているので、
史実性にいろいろ解釈があるようです。

江戸時代には、
林羅山などの国学者が『東鑑』として解説を行い
その成果が後に
水戸黄門の着手した『大日本史』に反映されてもいますが、
近代になって、その解釈にも問題が指摘されたりです。

ネットで現代語訳を発表しているサイトがありました。
以下は例の栄西登場の場面です。

 建保二年(1214)二月大四日己亥。晴れ。
 将軍様(実朝)がちょっと具合悪いので皆バタバタとしましたが、
 大した事はありません。二日酔いなのでしょう。
 祈祷に来た栄西がこれを聞いて、
 良い薬ですと云って寿福寺からお茶を取り寄せ進呈しました。
 そして一巻の書物を一緒に差し出したのが、
 茶の効果が書かれた飲茶の進めの本でした。
 將軍様(実朝)はたいそうお喜びになりました。

800年前が昨日のことのようですね~。

2010年07月27日 | Weblog
仕事の打ち合わせで車を走らせていると
どうも見知った山に向かっています。
そう、ここは、
春に苗を植えた畑の近く。
近くなのはわかるけれど、
方向音痴アンド地図の読めない私は
誰もいない畦をぐるぐるぐるぐる歩いて
ほぼ迷子に、
というより熱中症で遭難するかと思いました。

夏の畑には誰もいません。
いえ、朝のうちに仕事を終え、
昼間は休憩時間なのです。
ほんとーに都会の人(私)は困ったもんです。
とにかく、頭痛がおさまらなくて・・・
おやすみなさい~。


和敬点前

2010年07月26日 | Weblog
もわんもわん暑いです。
固ゆで卵になりそうな毎日、
家で、皆さんはどんな服を着ているのですか。
冷房をかけない私は、
突然ピンポーンなんてなると
あたふたしてしまうような格好をしています。
「日常」が超おろそか・・・
意を決して、
午後からのお稽古に
絽の着物を着ることにしました。

髪を上げるだけで汗がどーっ。
肌襦袢を着て、襦袢を着ていると
湯気が立ってくるようです。
それなのに、
着物に袖を通して帯を巻く頃には
暑いという感覚を忘れていました。

汗かきたくない!
という指令が、
無意識のうちに全身に行き渡ったようです。
偉い!深層の私。
鏡の前で最終チェックして
帯をぱしっと叩いて
日傘をさしていざ出陣です。

陽の中を歩いていても茹だらない、
電車で座れなくても疲れない、
お稽古には気が入る、
とにかく、
心地よい一日を過ごして戻ってきました。

着物が決して廃れないのは
日本の伝統衣装だから、
なんとなく和だから、だけでは十分ではありません。
着物を着るときれいになれる、
自分の心が律せられる感覚を
多くの人が体験しているのでしょう。

今日のお稽古は茶箱の和敬点前。
最も簡略なお点前でありながら、
もっとも重い「和敬」という名を持つ点前です。
引いて引いて引いていった時に
「なぜ、お茶を振る舞うのか」が残るからなのでしょう。
小さな道具を開き一服のお茶を点てる時間、
物の動きに誘われて
静かで涼やかな世界へ入り込みます。

あ~、お茶やっててよかたなあと思うとき、
心の中で風鈴が鳴るようです。

カステーラ

2010年07月25日 | Weblog
『龍馬伝』を見ていたら、
こちらまでお茶が飲みたくなりました。
お金を稼ごうとしてカステラ作りにトライする龍馬達、
美味しいのができなくて
もさもさのカステラをお茶で流し込んでいます。
最初に美味しいカステラを食べたときも、
片手にはお茶でした。

そっか、
長崎でカステラが流行った背景には、
お茶が日常的に飲まれていたということも
あったのかななんて思いました。
大浦慶さんも登場で
いよいよ物語はお茶へ!
茶うか。

ところで、
彼らが美味しいカステラを作れなかったのはなぜでしょう。
「まぜてまぜて」と
随分よく混ぜていましたが、
ホットケーキの具みたいでしたね。
カステラたる大事なポイントが抜けていたのです。
カステラの語源です。
日本人にこのお菓子の作り方を教えた宣教師が、
ツノがたつまで卵白を泡立てるというポイントを
「城のように高く!」
(バーテル・アス・クラーラス・エム・カステロ)
と言ったからだそうです。
カステラはキャッスルだったのですね。

さて、
オランダ・ポルトガルがもたらしたシュガー、
ではそのヨーロッパの人がいつ砂糖に出会ったかというと
それは紀元前のインドに遡ります。
紀元前327年、
アレキサンダー大王がインド遠征にでた際、
甘い葦(砂糖きび)から蜜がとれると伝えているそうです。
Sugarの語源も
サンスクリット語の「Sarkara」(砂粒の意味)に由来するのだとか。
紀元前5~10世紀のインドの仏教典には
砂糖やさとうきびに関する記述があるようですが、
ヨーロッパの人は
お砂糖のところだけ持っていたのですね。


河童忌

2010年07月24日 | Weblog
1927年7月24日、
芥川龍之介は36歳の若さでこの世を去りました。
彼はお茶好きとして知られている作家です。
1925年の『文藝倶楽部』に掲載された
「現代十作家の生活振り」の中に
その様子が記されてあります。

 茶は隨分飮む。
 机の側の火鉢に始終鐵瓶をかけて置くが、
 この鐵瓶の湯を日に三度はからにする。
 それほど茶好きだ。
 茶は煎茶を用ゐてゐる。
 珈琲紅茶折々飮む。
 然し、夜は眠れぬことを恐れて、
 紅茶は決して飮まない。

ということは、
カフェインについてはよくわかっていたのかしら。
でも、不眠症で苦しんでいた芥川、
高級煎茶を鉄瓶の熱々のお湯で淹れて
飲んでいたとしたら、
そりゃー、夜、眠れません。

旧家の士族芥川家は、
徳川家に仕えて茶の湯を担当した
お数寄屋坊主の家であったそうですが、
芥川の身辺からは
抹茶よりも煎茶趣味が感じられます。

『芥川龍之介全集第四巻』の
「身のまはり」には
こんなことが記されてあります。

 夏目先生はペン皿の代りに煎茶の茶箕を使つてゐられた。
 僕は早速その智慧を学んで、
 僕の家に伝はつた紫檀の茶箕をペン皿にした。
 この茶箕の窪んだ中へ
「本是山中人愛説山中話」と刻ませることにした。
 といふと風流に聞えるかも知れない。
 が、生来の無精のために埃やインクにまみれたまま、
 時には「本是山中人」さへ逆さまになつてゐるのである。

ん~、茶合をペン皿に・・・、
しかも埃まみれ・・・。
文人趣味という形容は、やめておきましょー。
(イメージ画像)

静岡コーラ

2010年07月22日 | Weblog
5月に発売になった話題のお茶コーラ、
やっといただくことができました♪
こんな暑い夏のために生まれてきたんだ
と言っているよう。
ビンなのが、いいです。
夏という季節は
子どもの頃をよく思い出させてくれますが、
サイダーはビンでないといけないのです。
コーラだけど。

製造・販売元は木村飲料株式会社さん。
「一部消費者から圧倒的な支持を集めている会社」
と紹介されていましたが、
HPを拝見して確かにファンになりました。
「私のお願いかなえてくだサイダー」とか、
好きかも。

 ほのかなお茶の香りとコーラの炭酸と爽快な刺激が特徴。
 新茶らしい緑色と、“コーラと緑茶のバランス”に苦慮して
 企画から5年、開発に1年かかったという。
 静岡県内の小売店を中心に取り扱っており、
 静岡を訪れる観光客や県外へ帰省する際の
 手土産としての需要を見込む。
         (oriconグルメ」より)

ん~、お土産には重いかもしれないけれど、
冷蔵庫に何本かあると、
冷蔵庫あける度に幸せになれる気がする~。
木村飲料さんは
オリジナルのサイダーなど、
瓶ドリンクをつくってくれるそうです。

今日は、朝から番茶を煮出して
雑巾浸してぎゅっと絞って家中を雑巾がけしました。
床も畳もドアもジュータンも・・・
家中フローラル~~~
しっかし、喉、渇きました。
こんなときは、番茶サイダー!
やかんの中のお番茶をサイダーで割ればいいのですが、
瓶がいい!
冷蔵庫に、
「静岡コーラ」や「番茶サイダー」が並んでいて欲しい~♪

ピラジン

2010年07月21日 | Weblog
玄関に一歩入ると
甘く優しい香りが漂っています。
深呼吸を重ねたくなるような
涼やかな甘さです。
お茶の葉から立ち上がってきているのです。

先日、
一番茶の最後のお茶の火入れをした際に
はじかれてきた茎とか葉脈といった部分を
お茶工場からどーと掻き集めていただいてきました。
通常、肥料などに使われる部分です。

お茶染めをしよう、
お茶染め教室をジャンジャンやろうと思って
この「くず」のお茶をよいこらしょといただいてきたのです。
ところが、
このお茶の袋を開くと
素晴らしく甘い香りが発せられているではありませんか。

大量にあるものですから、
ひとつかみをお皿にのせて
家のあちこちにおいてみたのです。
すると、
時に紅茶の香り、
時にスズランの香り、
時にクチナシの香りと
家の中で風が動く度に
びっくりさせられるのです。

しかも、
もう一週間にもなるのに、
その香りが落ちることがないのです。
この暑さで、
お茶の葉がじわあと汗をかいているよう。
その香りが長く長く続いているのです。

お茶には300もの香り成分があるといわれています。
微量なため、
それぞれの成分の香りの効き目や
関係性など
まだまだ研究することがたくさん残っているそうです。
今、感じている甘い香りはピラジン?
荒茶を火入れした時に増加する成分であると
教科書に書いてありました。
香り成分は揮発性があるとも書いてありますが、
家中に香り立って、久しいです。
お茶って、不思議で、素敵。

塩茶

2010年07月20日 | Weblog
暑いです。
体から湯気が立っているようです。
クラクラしながらお煎茶のお稽古場に着きました。
今日は塩茶のお手前です。
熱々のほうじ茶に半茶筅で塩を振ります。
一日暑い中働いて生ビールでもカアーといきたいところですが、
この塩ほうじ茶!
体が、大喜びです。

普通に熱いお湯でほうじ茶を出して、
濡らした半茶筅に塩をつけて
お茶碗に注がれたほうじ茶に振るだけです。
塩加減はお好みで。
汗をかく夏にはもってこい。
喉の渇きも即座に癒えますし、
汗で失った塩分の補給にもなって
体が元気になります。
「暑気払い」は、
体に溜まった熱気を取り除くことですが、
その方法は、冷たいもので冷やすとは限らないわけです。

江戸期から明治にかけては、
枇杷や桃の葉を煎じた「枇杷葉」というものが
利用されていたようです。
夏の果物の葉には
体を冷やす効果があるのですね。
江戸後期の風俗を記した『守貞漫稿(もりさだまんこう)』からは、
担い箱を肩にかついだ枇杷葉湯売りが、
市中を歩き回っていたことがわかるそうです。
「行商人は人の集まる道端でコンロを火にかけ、
 やかんで煎じた枇杷葉湯を試飲させて売りました。
 江戸では、橋のたもとなどで立ち売りをしました。
 また、一般の薬屋の店先でも、
 夏になると道行く人に振る舞うことがありました。
 一包みの値段は蕎麦の3杯分ほどで、
 それほど安いものではなかったようです。」
     (内藤記念くすり博物館 野尻佳与子)

緑茶も陰の飲み物。
体を冷やしますし、カテキンが菌から守ってくれます。
熱い夏、食中毒の夏こそ、
急須でお茶を淹れて体を大事にしましょう。





浴衣

2010年07月19日 | Weblog
今日は朝から浴衣で出かけました。
お茶のお稽古です。
浴衣というのは、
本来、夕方、もう人に会わない時に着る和服です。
「ゆかた」という言葉は、
平安時代の湯帷子(ゆかたびら)に遡りますが、
『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という
平安時代の辞書によると、
湯帷子は「内衣布で沐浴するための衣」とあります。
入浴する際に使われたもので、
水に強い麻が素材として選ばれたそうです。
それが、
安土桃山時代頃には、
湯上りに着るものとして
庶民の間に一般的に広まり、
現代では、
お祭りや旅館の館内着やお稽古着として
使われているわけです。

茶道だけでなく、
日本舞踊や演劇の分野でも
浴衣をお稽古着に使うことがあるようですが、
(そんなことはありまへん!というご社中もあり)
この場合は、
本来素肌に着る浴衣ではありますが、
肌襦袢と襦袢の上に着ますから
実は浴衣の軽さはあまりありません。
汗をかいても、
帰ってからザバーと洗えるというのがメリットですね。

今の公共のお茶室は、
礼房がしっかり効いていますが、
それでも障子一枚向こうは36℃の熱気。
ミンミンミンミン響く小間で膝を寄せていると
アツイです。
汗がつーと落ちてきます。

それでも、これが和服の不思議。
タンクトップでいるよりも落ち着くのは
ベタベタ感がないからでしょうか。
そして葉蓋の露に心を置いて
深山の泉水に想いを馳せるなら
ほーら涼しくなってくるではないですか。
。。。


帰りの電車も
洋服ならガーと寝てしまう私も
さすがに和服の時は
ガーと寝てはいけないと気を張ります。
「気を張る」
こが夏を乗り切る処方ですね。
平安時代の湯帷子の流れに律せられ
1時間読書ができました。

てんとう虫

2010年07月18日 | Weblog
お茶の葉っぱに
派手にかわいい虫がくっついていました。
葉っぱごと取り去ったのですが、
「あ、それはナナホシテントウ。
 アブラムシとか食べてくれるいい子だよ」
とのことなので、
また、お茶の畝の中にそっと戻しておきました。

ところが、午後からは防除の研修。
畝に農薬を散布しました。
あ・・・・・
あの子はてんとう虫にならぬうちに・・・
さっき、畝に戻さなければ良かった。
(合掌)

農薬は、
これから出てくるアブラムシの発生を
抑制するためのものでした。
それなら、あの子が働いてくれたのに・・・。
てんとう虫をたくさん連れてくれば
農薬を撒かなくてもアブラムシを駆除できる?
てんとう虫が多すぎては何か問題が出る?
いやいや、虫の発生を抑えるには、
土を元気にすればいい、
ちょっと出たときに取り去ればいいのでした。
そのためには、
毎日見回って手をかけるだけの
マンパワーがあればいいのです。

マンパワー。
それがないから、茶ポーター制度ができたわけでした。
お茶畑はあるのに人がいない
という問題の上で
茶畑の運営を考えていかなくてはならないのです。
私は有機がやりたい!と言って
他に飛び出していくという選択肢もある中、
ここの苦しみが、捨てられないという思いがある。

隣の畑のおじさんが、
丹精込めたスイカが猪にやられたと嘆いていました。
「でも、あちらも事情があるんだからなあ」
ダムに追われて降りてきた猪なのです。
「茶だって、こんな薬まきたかねえけどよ。
 高いしさ」
しんどいところです。

Sunshine on my shoulders

2010年07月17日 | Weblog
軽トラの荷台に寝っころがって
この写真を撮りました。
荷台はフライパンみたいですが、
畳んだ段ボールを腰に敷いて、
あ~気持ちいい。
風は涼しく子守歌のよう。

足には長靴、
首にはてぬぐい、
腕には手甲、
頭には農作業用日除けひらひら帽子。
形だけは農家のお母さんなのですが、
キャリアが伴わずで、
陽の中にいるだけで
もうクラクラ来てしまいました。

あ♪
外で寝っ転がるなんて
とっても久しぶり。
青空と
緑の茶畑。
思わず出てきた歌はジョンデンバーでした。

Sunshine on my shoulders makes me happy
Sunshine in my eyes can make me cry
Sunshine on the water looks so lovely
Sunshine almost always makes me high

If I had a day that I could give you
I'd give to you a day just like today
If I had a song that I could sing for you
I'd sing a song to make you feel this way

今日は成木園の防除と施肥、
それから、幼木園の施肥の研修です。
長い鍬がまだ使いこなせず、
首も肩も腰も重いです。
「休憩~、アイスだよ~」
なんてかけ声が、うれしくてうれしくて。
大の大人が10人木陰に集まり、
宇治金時をシャカシャカしました。

畑に立って初めてわかるお茶の事がいっぱい。
茶ポーター制度に感謝です。