耶馬渓に来ました
羅漢寺の総本山を訪ねました
このお寺の開山は約1300年前
645年にインドの僧、法道(ほうどう)仙人が渡来した際
ここの地形が釈迦聖跡の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)に良く似ているとして
奉持された金銅仏一体を残したことに遡ります
羅漢寺と呼ばれるようになったのは
1337年に臨済宗祖の円龕昭覚(えんがんしょうかく)が
十六羅漢の画像を描いて洞窟のなかに掲げてからのことです
さらに中国から逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)が訪れ
五百羅漢像を安置したり
室町期に普覚禅師(ふかくぜんじ)が千体地蔵を刻んだりで
羅漢寺には3770体の石仏が並んでいるそうです
しかし戦国期に大友宗麟の邪宗焼き打ちで伽藍を焼失
1600年に鉄村玄さく(てつそんげんさく)が入山し曹洞宗に改宗し
細川忠興の援助を受けて羅漢寺は復興されたそうです
キリシタン大名大友宗麟は
寺社仏閣をどんどん焼き払っていたようですが
山伏からはお茶をもらっていましたよね・・・
茶人であったから
茶園経営をしている山伏の寺に手を出さなかった
なんてこともあるのでしょうか
というか
政治のためにたくさんの人を殺す人が
茶人であったりキリシタンであったりするのですから
あまりきっちり考えても仕様がないのでした
細川忠興の援助と聞いて
この広い羅漢寺の山に茶畑はないか聞いてみました
茶室はあるけど茶畑は知らないというお答えでしたが
リフトを降りたところに
ういういと新芽が揺れるお茶の木を発見
この山には絶対もっとあるはず!と確信しました
本当はインドの法道仙人がお茶を持ってこなかったかな
なんてワクワクしていたのですが
史料は全く無かりけりでした
羅漢寺の総本山を訪ねました
このお寺の開山は約1300年前
645年にインドの僧、法道(ほうどう)仙人が渡来した際
ここの地形が釈迦聖跡の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)に良く似ているとして
奉持された金銅仏一体を残したことに遡ります
羅漢寺と呼ばれるようになったのは
1337年に臨済宗祖の円龕昭覚(えんがんしょうかく)が
十六羅漢の画像を描いて洞窟のなかに掲げてからのことです
さらに中国から逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)が訪れ
五百羅漢像を安置したり
室町期に普覚禅師(ふかくぜんじ)が千体地蔵を刻んだりで
羅漢寺には3770体の石仏が並んでいるそうです
しかし戦国期に大友宗麟の邪宗焼き打ちで伽藍を焼失
1600年に鉄村玄さく(てつそんげんさく)が入山し曹洞宗に改宗し
細川忠興の援助を受けて羅漢寺は復興されたそうです
キリシタン大名大友宗麟は
寺社仏閣をどんどん焼き払っていたようですが
山伏からはお茶をもらっていましたよね・・・
茶人であったから
茶園経営をしている山伏の寺に手を出さなかった
なんてこともあるのでしょうか
というか
政治のためにたくさんの人を殺す人が
茶人であったりキリシタンであったりするのですから
あまりきっちり考えても仕様がないのでした
細川忠興の援助と聞いて
この広い羅漢寺の山に茶畑はないか聞いてみました
茶室はあるけど茶畑は知らないというお答えでしたが
リフトを降りたところに
ういういと新芽が揺れるお茶の木を発見
この山には絶対もっとあるはず!と確信しました
本当はインドの法道仙人がお茶を持ってこなかったかな
なんてワクワクしていたのですが
史料は全く無かりけりでした