茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

まっすぐ

2010年04月30日 | Weblog
畝をつくりました。
そこら辺に落ちてる枝をぐさっとさして
麻紐を巻き付け
25メートル先に同様に枝をさします。
30㎝開けてあと二列。
ふかふかの土の上に三本のまっすぐな線が置かれ、
その線に沿って20㎝間隔で苗を植えていきます。

足が痛い、腰が痛い、肩が痛いなどと作業を進めていると、
「まがってるよー」のお声。
顔を上げてみると、
どーして?!と摩訶不思議なほどにずれています。
疲れているので、もう、笑っちゃうしかない。
ちゃんと紐に沿って植えていたはずなのに。
作業をしているうちに紐に触ってしまい
紐がずれてしまう?
あーん、魔界だ魔界だ。

見れば、20㎝という間隔も怪しいです。
移植ごて(シャベル)が28㎝なので、
それを利用して、
時々気にして測っていたはずなのに。
どーして?
ぼーぜんです。

そう、
般若心経を写経している時も
行がまっすぐにならない私。
文字の大きさが揃わない私でした。
でも、
キュウリだって大根だって
ちゃんと等間隔に切れます。
キャベツの千切りだってできます。
畝もきっと慣れてくるに違いありません。

畝間が等間隔でないと
機械を入れることができません。
ここは幼木園なので構いませんが
ニッポンの農業には「等間隔」は必須科目です。
よし、無心!無心!
いや、ちゃんと顔を上げてチェックしながら
作業すれば良いだけのことです。
ひとつひとつの作業をきちんとこなしていくべし。
修行です。

あ~畝ちゃん。
まっすぐ、というだけのことが、本当に難しい。


新茶の天ぷら

2010年04月29日 | Weblog
ゆうべ五明の茶畑からちょっと連れ帰ったお茶で
おいしい夕餉のひととき。
素揚げしたほろ苦さで一盃。
桜エビとタマネギと一緒に掻き揚げして一盃。
お塩でも天つゆでもお~いし~。

生でもいけました。
塩からとクリームチーズで一盃、
ちょっとしょっぱいのでお茶の葉をもぐもぐ。

掻き揚げ用と素揚げ用と仕分けしていると
ミートソーススパゲティーを食べていた息子が
どわっとミートソースを茶葉にひっかけました。
なぬっ!
なんてことを!と
ミートソースのついた茶葉をそのまま食べてしまうと
あら?お~いし~。

いきおいで
ポタージュスープに一芯三葉を浮かべてみると
美しい美しい♪
そして、お~いし~。
エスカレートして
ブラハムクラッカーにクリームチーズを塗って
新芽をトッピングすると
色も鮮やかで、お~いし~。

先日飲みに行った逗子の「満天さん」にあった
パクチーをわしゃわしゃドレッシングで和えただけのサラダが
おいしかったので
新芽ちゃんもかるく和えてみたら
お~いし~。

サイダーのコップにいれて
水中花みたいになったらきれいだろうと試しましたが
これは立ってくれませんで失敗。
あら、いったいどれだけ持ち帰ったのやら・・・。

新芽の美味しさは
お茶摘みをした人だけが味わえる特権です。
是非、
汗を流して(そんな重労働ではないですが)
おいしいお茶の天ぷらを
味わってみて下さい。


満月の茶摘み

2010年04月28日 | Weblog
掛川に行ってきました。
満月の茶畑でお茶摘みをしました。
15:30に逗子を出て5時間のドライブ。
腰が痛い~と唸りつつ、
蝋燭の明かりに導かれて山を上がっていきます。
蛙の声、蚯蚓(みみず)の声、
夜の山は賑やかです。

空には白い雲が流れています。
満月の気配はあります。
雲よ動け!と祈りつつ
2時間のお茶摘みを楽しみました。
五明(ごみょう)の茶畑にはランタンの明かりが並び
ムーンライトセレナーデや虹を越えてなどが
Jazzyな感じで流れています。
月明かりの下の新芽の表情は
月と交信しているみたい♪

約130名の人が集まったそうです。
レールの入った茶畑で
かなり畝幅が広いのですが
皆ちゃんとぐっと手を伸ばして摘んだのでしょう、
本当にきれいに丸刈りになりました。

途中、雲も晴れて、
清かな月明かりを浴びることができました。
掛川わらびもちとお茶と甘酒が振る舞われ
ちょっと冷えてきた体を温めました。
23時、イベントは終了。

新月伐採木が最高の素材であるというのは、
含有水分量が少ないから。
植物は満月に向かって栄養を取り込む
というサイクルがあるそうです。
それならば逆に満月のお茶は
最も栄養分を蓄えているのではないか
というお話をうかがいました。
では、新月の茶摘みも是非!と思いましたが、
暗いか・・・。

とんぼ返りのドライブで3:30に帰宅。
家を出てちょうど12時間の旅となりました。
往きは大磯で道路に吹き上がる波が恐ろしく
帰りは箱根で霧が深くて恐ろしく
疲労マックスですが、
今日摘んだお茶が届く日を楽しみに
バタンキュウ~。

『水はなんにも知らないよ』

2010年04月27日 | Weblog
先日のお茶会では
体に少しでもいい
というお水で
お釜をかけようと思ったのですが、
いろいろ検索している内に
何がよいのかわからなくなってきて
今回は環境省の名水百選にたよりました。

そこで、
積ん読状態だった本書をひもときました。
『水は答えを知っている』という
2001年に出版された江本勝氏の本が
「バカバカしい内容なのに、
 その後何十万部も売れていて
 今でも教育の現場で使う教師が多いことに
 ただ笑ってみていられなくなってきた」という
左巻教授の著書です。

「ありがとうと声をかけた水は良い結晶び、
 ばかやろうといわれた水は不完全な結晶となる、
 人の体は7割が水だから、
 優しい言葉をかけると健康になる」
というような教育が
『水は答えを知っている』をもとに
日本のあちこちで行われている幼稚さを嘆いています。

うわ~、こまった。
私こそまさにこの幼稚な教師・・・
「お茶を点てる時は何を考えるの?」という質問には
「茶畑を思い浮かべ、軟らかな土、恵みの雨、働く人に感謝して
 そしておいしいお茶になあれって気持ちをこめるのよ。
 そうするとおいしいお茶になるからね」
なーんて子供達に言ってるわけです。
「あー疲れた、しびきれた~なんて言いながら
 お茶を点てるとにがくなるわよ」って。
左巻教授に「あーあ」ってため息つかれそう。

ん~、
そうしたら、茶道って、なんなのでしょう。
もう少し読み進めてみましょう。


左巻健男 著
同志社女子大学現代社会学部教授
2007年2月初版
共同印刷(株)

ごろごろ水

2010年04月26日 | Weblog
プチプチ「お菓子の茶事」稽古をしました。
4月がお誕生月のUちゃんをお正客に迎えての
道具組みです。
分担をして、
Uちゃんに捧げる言葉を軸にかけ
Uちゃんをイメージした花を入れ
同様に、
お抹茶もお菓子もお茶碗も
それぞれ想いを込めて準備しました。

私は水探しをしました。
環境省選定の名水100選、
昭和バージョンと平成バージョンを眺めて
今回選んだのが、
奈良は吉野の水
洞川湧水群のごろごろ水でした。
200もある選択肢でしたが
さくっと決まったのは
吉野の地の水がいいなと感じたためです。

先月、桜な茶会をしたとき、
桜の歌を紹介するUちゃんの言葉を聴いていて
皆で吉野に行きたいなと感じたのが
心に残っていたらしいです。
吉野から届いた20リットルの箱には
「大峰山の超名水」とありました。
旅行会社で働くUちゃんは
大峰山は今でも女人禁制の場所がある
とっても不思議なところと教えてくれました。

大峰山は山岳信仰の里として名高い所です。
修験の山です。
修験の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)は
名を小角(おずぬ)といいましたが
1799年、千年も後の時代になって、
光格天皇から神変(じんべん)大菩薩の名が
贈られています。

修験の行者は
山で茶を栽培しては里で売って
生活をする人が多くありました。
健康によい飲み物を届けてくれる存在だったわけです。
でも、吉野では「陀羅尼助」という胃腸の薬が有名です。
怪しげな箱に入っていますが
とっっっっっても効いたのを覚えています。
紀伊半島には
もっとお茶があって良さそうだと思うのですが。
どうして陀羅尼助になったのかしら・・・。

利休心

2010年04月25日 | Weblog
鶴屋長生さんのお菓子です。
その名も「利休心(りきゅうしん)」。
安土桃山時代だけに(?)桃山です。

利休さんの心をお菓子で表せといわれたら
何を考えるでしょう。
花なら菜の花とかムグンファ?
はたまた朝顔?

このお菓子はお釜です。
「釜ひとつあれば茶の湯はなるものを
 よろづの道具をもつは愚かな」から
とりあげたそうです。
なるほど。
そうくるなら、
竈もいいかな。
菊炭とか、
魚籠(びく)とか、
こまとか。
独楽は千家の家紋です。

さーて。
利休さんの心をお菓子にするなら。
私なら、
船にします。
利休さんの家は納屋衆。
魚々屋(ととや)といい
廻船業とか倉庫業とか干物を扱っていたとか
いわれています。
若き利休さんは、
堺から船に乗って瀬戸内をわたり
玄界灘を越えて
朝鮮半島まで
ほいほいと行っていたのではないでしょうか。
たくさんの船が往き来する環境に育ち
乗り込まなかったわけがない、
と思うのです。

荒れ狂う海の上で
利休さんの精神力は培われ
世界の富が集まってきた堺で
利休さんの審美眼は研ぎ澄まされ
瀬戸内玄洋朝鮮半島と渡り行く内に
利休さんの歴史観は形作られていった。

ブログのない時代の
利休さんの主張が
茶室の中に鏤められているようです。
茶の湯の道具って
言論が不自由な時代の
未来に渡したバトンのようです。

海の風を受けて深く思索する与四郎くん(利休さん)が
思い浮かんできます。

炒青

2010年04月24日 | Weblog
先日、3年目の茶畑で
ホニョホニョと出てきている新芽を摘んできました。
指導員の方が、
10㎝ほどプチッと折ってはもくもく食べて、
「たべてごらん」とか
頭の部分を摘んで、
「ちょっとポケットに入れておいて
 香りが変わるから試してごらん」など
楽しいご提案をたくさんして下さるので、
作業の合間、
プチプチポキポキと
すべてのポケットいっぱいに摘みました。

画像は新芽の部分をフライパンで炒ったお茶です。
炒青(しょうせい)という製茶法です。
雀の舌ほどの小さい新芽の部分を持ち帰りましたが、
すばらしく鮮やかな緑でした。
それが、
炒っているうちにどんどん緑が薄くなってきて、
(この過程を青を殺すといいます)
次に白くなってきました。
どんどん表面が白く白くなってきました。

10㎝ほどにポキポキしてきた方は
短く切って焙じてみました。
なんて甘い香り♪
フライパンの上で深呼吸~。
整枝で切り落としてしまう部分で
こんなに素敵な体験ができました。
今度は袋をたくさん持って行って、
じゃんじゃん拾ってこようっと。

今回は、
お昼のサンドイッチのパックに入れて帰りました。
11時頃に摘んで、時々開けてクンクンすると
確かに、その度に香りが変わっていました。
プラスチックのパックは密封状態。
あ、密封するとギャバロンティーが作れるのかな、
と化学の弱い私はふと思いました。
お茶の葉は、摘採後、酸素のない状態に置くと
ガンマアミノ酪酸が多くなって
血圧上昇抑制作用が大きくなるそうです。
でも、
パックで密閉しても空気はあるので全然違いますね。
窒素ガスに置き換えるという処理が必要なのでした。
それにしても、
11時から19時まで密封されていたお茶は
呼吸できていたのかしら~?

休憩時間

2010年04月23日 | Weblog
農作業の時は
缶のお茶が
ハンディオアシスという感じでした。
持っていった水筒のお茶は
とっととなくなり
午前3時間の作業の間に
足柄の缶茶を3本も飲み干しました。
どろんこの手で冷たい缶を受け取ると
ほっとしました。

お昼は木陰に集まって
干し草のベッド~ならぬ
カラスノエンドウのクッション~で
お弁当を楽しみました。
お母さん達からいろいろなご馳走がまわってきます。
蕗、からしな、ヤーコンのきんぴらさん、
昨日摘んだヨモギで今朝つくったんだよっていう草団子。

私のお弁当は途中のコンビニで買ったサンドイッチ。
あー、情けない。
前日2時までメールなどしていて
6時には家を出るのでちょっとお弁当つくれませんでした。
炎天下農作業する前日に3時間しか眠らないなんて
あー、情けない。
あっちに矢車草がいっぱい咲いてるよって
少し摘んできてくれたのに
立ち上がる元気がありません。
あー、情けない。
ごちそうさまとありがとうございますの
ランチタイムでした。

「人」+「木」=「休」
木陰には日向のむんむんした感じがなくて、
風さえ感じられて、
草の匂いも懐かしく、
カラスノエンドウを摘んでは食べたり、
昔プープー吹いていた葉っぱで遊んだり、
(いえ、音の出し方思い出せぬまま・・・)
お茶の新芽をかじったり。
「したかったこと」がいっぺんに叶ったみたい。
「叶う」は「十回、口にする」
うんうん、
畑、畑、畑のある生活がしたいと叫んでいました。

このランチタイムの状況で
どんなお茶をご用意できるかな?
お母さん達が「え~っ」と喜んでくれるようなお茶を
青空を見上げながら考えていました。

茶禅一味

2010年04月22日 | Weblog
昨日は、土を掘り起こしてつくった畝に
お茶の苗を仮植えしました。
1年間、ここで育ってもらう幼い苗ちゃんです。
1年後に別の畑に定植します。
しゃがんでひと苗植えては
蟹歩きで移動して次の苗。
苗を置いて土をかけてぎゅっと押さえる、
こうした単純な作業なのですが
数をこなす内に
要領がよくなってきます。

先に苗を等間隔でポイポイと置いていきますが、
その時根の太い部分の先が土の谷にあると
次の工程がスムーズです。
苗を左手で立てて右手で土をかけて
次に左の土をかけて
ぎゅっぎゅっとしておいて
あとで足で踏んで水を遣ります。

右で取って左で受けて右で置く・・・
あ、お茶のお点前みたい。
それはルールではなくて、
一番理にかなった手順。
合理的だけど優しくて、
集中すると無になって、
無になっている時の畝は
まあっすぐ♪
つまり、美しい姿。
うん、茶道だし。

でも、そうそう集中などしていられません。
足の痛さは正座なんてものではありません。
10も植えないうちに腰が辛くて蟹歩きできません。
農家のお母さん達を観察して、
腰を曲げて作業する姿を見習いますが
もっとできません。
どーしてあの姿勢でさくさくとこなせるのやら。
私はほどなく膝をついてしまいます。
膝をついて移動しているから
土との密着度が高くて
裾から虫も入って来ちゃうわけです。

ここが斜面だったら
作業はもっと大変でしょう。
昔は運動靴もないしゴム手もない、
ペットボトルのお茶もないしムヒもない。
もっと辛かったのだろうなあ、
でも、それなりに方法もあったのだろうなあ
などと思いました。
お茶の栽培自体が修行です。
栄西禅師は、けっして座禅時の眠気覚ましのために
お茶をもちかえったのではないと、
確信したのであります。

すぎな

2010年04月21日 | Weblog
苗を植えて3年目の茶畑です。
今日は、
雑草を抜いて、
育っていない苗を差し替えて、
マルチ(黒いシート)をはがす
という作業をしました。

茶畑はスギナでいっぱいでした。
これを全部抜くのか・・・
夏日の畑でさらに頭がクラクラしてきます。
どうせ抜くなら土筆の時がよかったのに・・・
ひと月前はここに
大好物の土筆がジュータンのようになっていたなんて。
来年のために、
手帳に「土筆の畑」と記しておきました。

でもでも、
スギナは残しておいてよいということでした。
丈がこれ以上大きくならないので、
お茶の作業に差し支えません。
かつ、根がしっかりしているので、
他の雑草が生えないのだそうです。

1年目は
とにかく人海戦術で雑草を抜いたそうです。
お茶の木を埋め尽くす背の高い雑草、
お茶の苗を踏まないように雑草を刈る作業は
失神しそうだったと
お手伝いのお母さんが話してくれました。
熱さと草と虫と蚊との戦いだったそうです。
「汗で顔が水をかぶったよう。
 そこに蚊が集まってきてね・・・」
お、おそろしい・・・
2年目は除草剤をまいたそうです。
なんて楽に澄むんだろうと思ったそうです。
さあ、この夏は?
スギナちゃんが頑張ってくれるといいのですが。

山蛭の恐い話もたくさん聞きました。
「本当に、気づかないうちに血だらけになるの」
引っ越しやめよっかな~と気持ちがふわふわ。
おまけに帰ってきたら、
背中から腕から「はしか」のようにポツポツだらけ。
うう、山、こわい、と簡単に萎え気味。

いや、
蛭が現れたら肩の血を吸ってもらい
肩こりを治してもらう!
お腹の脂肪もすってくれるかもしれないし。
何か方法があるはず!
そう、
まず、農家のお母さんの様な作業着を揃え、
作業スタイルもとにかく真似て見るべし。



2010年04月20日 | Weblog
韓国茶礼で
今日はお煎茶のお点前を学びました。
パニッパニッパニッパニ
パニパニパニック

お煎茶道では
お茶碗を基本6客使います。
向こうに3客、手前に3客ならべ、
向こうの右から左へ1,2,3
手前の右から左へ4,5,6という順番です。

韓国茶礼では、
5客のお茶碗を
向こう3つ、手前2つに置きます。
向こうの左から右へ1,2,3
手前の左から右へ4,5

煎茶道では1つの茶巾で
一気に5客清めてしまいますが、
(自分の分は清めないから6客ではない)
韓国茶礼では1つの茶巾ではありますが、
場所を変えて清めるのです。
茶巾は乾いています。
煎茶道では茶巾は濡れています。

そうした手順などがいろいろ微妙に違っていて、
これは林檎の皮の剥き方が違うのと同じかな
などと思いながら見ていました。
その中でも最高に面白かったのが、
お茶の入っている急須にお湯を投じてからの時間です。

煎茶道では、
お茶を抽出するこの時間に
お茶碗を清めるのです。
お茶の葉を見て、お湯の温度を感じて
どのくらい時間を取ろうか考えて、
それによって
お茶碗を清めるスピードを調整するのです。
お客様からは、
ただの手順にしか見えない過程で、
実はお茶が美味しく出る時間をはかっているわけです。

韓国茶礼では、
お茶碗を清め終えてから、
急須にお湯を注ぎます。
それから、2分とか3分とか
何もすることがないのです。
ただじっと待っているのです。
お客様もお点前さんも心を1つにして
お茶の葉がじわあ~と開いていく様を
感じているのです。

この間(ま)!
小宇宙です。

月夜の茶摘み

2010年04月19日 | Weblog
ここ3回ゴールデンウィークは
大分の友人の茶園にみんなで援農に行っていました。
連休の度に毎回同じ場所に赴くというのは
かなりしんどいことでした。
他の茶園にもいろいろ行きたいからです。
それでも、
観光農園でない農家さんの畑に入る以上、
気持ちをぴっと切り替え
真剣にそのお茶の今後を考えていました。

4回目のこの春は
新月の夜と満月の夜とにお茶摘みをして
2種類のお茶を造り
秋に月をテーマにしたお茶会をしたいなと
そんなことを考えていたのです。
そして、そんなお茶が製品化できればと。
ロハスとかルナアグリカルチャーとか、
そんな分野でいけるかもとか。
もしかしたら、
お茶に何か大いなる違いが発見できるかもとか、
とにかく夢は広がっていました。

でも、
茶園は閉鎖
青い空、五月の風、そしてあのウイウイとした新芽、
この五月、あの茶園のお茶達はどうしていることでしょう。
茶園のみなさんは
どんな気持ちでこの茶摘みの季節を迎えるのでしょう。

いま参加している神奈川の茶ポーター事業も
放置農園はたくさんあっても
携わる人がいないという問題を抱えています。
日本全国に共通した問題です。
足りないのは人ではなくて方法、
つまり本気。
大分のあのお茶園を思うと
自分のなかの本気の足りなさが哀しくなります。
それでせめて地元の茶畑でと
今頃から茶園の勉強をしているのかもしれません。

さあ、このグリーンウィークは
どこの茶園に行こうかなといろいろ探していると
「月夜の茶摘み」見つけちゃいました。
掛川からなら茶摘みのあとブイーンと
帰ってこれなくもないかな。
にわかに、わくわく。

虹始見(虹始めてあらわる)七十二候第十五

2010年04月18日 | Weblog
空は虹が現れるどころか
雪が舞うよな冷たい春。
七色の代わりに五色の吹き流しが、
早く夏よ来い、
もうすぐ茶摘みだ、
と空にメッセージを送っているようです。
鯉ちゃんたちは
風邪をひくと行けないのでまだ登場しません。

今日は晴天に恵まれ、
香集寺さんの境内で
足柄の「花里の雫」をご紹介させていただきました。
足柄のすすり茶です。
あ、ご報告が遅くなりましたが、
以前募集していましたすすり茶の名称は
2332点の応募の中から
「足柄うまみ茶 花里(はなり)の雫」に
決定いたしました。

私も応募したんですけど・・・
3煎いただいて最後は食べちゃうというスタイルですから、
お抹茶のようにお茶の栄養を丸ごと吸収できるので
茶は延命の妙薬(『喫茶養生記』)というところから
「足柄フェニックス」と名付けました。
すっごくいいと思ったのになあ。


40℃の低い温度で
トロッとした甘みを感じていただく一煎目、
絶対に、「わ~」と歓声があがり
皆様のお目々がハートになるお約束の瞬間に
今日は、
「げっ、にげえー」
という声が聞こえて来るではありませんか。

30歳くらいの男性です。
彼はもうそれ以上飲めないでいます。
2煎目用にまたお湯を足しても
ますます顔がよじれていくばかり。
周りの人が皆「甘~い」とにこにこしている様子を見て、
「これは濃いということなのか・・・」と
濃縮青汁でも手にしているような顔つきでした。
「お茶は飲んだことないと言ってもいいかも」という彼、
微量の苦渋味に
舌が危険信号を出していたのかもしれません。

「あら、もったいない」
って、隣のおばさまが彼の分も完食して下さいました。
味覚って、こうも、違うものなのですね。

『禅の世界』

2010年04月17日 | Weblog
足柄に香集寺という
美しいお名前のお寺さんがあります。
曹洞宗のお寺さんです。
明日はそちらの檀家様に
お呈茶をさせていただきます。
せっかく、お寺さんで
お茶の紹介をさせていただけるので
ちょっと「禅とお茶」あたりにも
ふれたいなと思いました。

図書館でふと手にした本書に
栄西禅師のことがこう書いてありました。
 栄西が幕府権力に接近したことは、
 都の人士にあまり評判がよくなかった。
 栄西と同時代の天台座主慈円は、
 名誉欲や権勢欲の固まりのような人物だと
 栄西を批判している。
 歌人の藤原定家も、
 栄西は賄賂を使って
 一身の栄達をはかるような人物だと
 『名月記』にはっきり書きつらねている。
また、
 政権というものは、
 武断だけでは世間を治めることはできない。 
 政権を安定させるには
 文治の要素を打ち出すことが必要であり、
 特に宗教的光背をもつ事が効果的である。
 鎌倉幕府はその辺の事情をよくわきまえ、
 禅を幕府の宗教的光景に仕立てようとして、
 栄西を庇護したのであった。

道元さんについては、
我が国の大師と呼ばれるような高僧が
みな土瓦のように見えてきて
入宋求法した道元でしたが、
帰国の際に師、如浄より授かった教誡が
「国王大臣に近づく事なかれ。
ただ深山幽谷に居りて一個半個を接得し・・・」
であったにもかかわらず、
朝廷に『護国正法義』を奉呈した行為は
この教誡からすでに逸脱、
とありました。

これは部分的で極端な引用ですが、
そういう見方もあるのかと知りました。
人はいろいろに言います。
人の行動の「動機」は知るよしもないですが、
名声欲であの時代に船には乗れないだろうと
私は思います。
ただ、寺という組織にする以上、
いろいろ世俗のことはでてくるでしょう。
どうして、
組織が必要なのかしら。

ですから、
やっぱり、禅は、茶の間でも、と思うのです。
子育てをして親の介護をして
三度の食事を用意して
その度に家族の体調に合わせて茶を淹れる。
清き水を求めて歩き、
道ばたの花を持ち帰る余裕を持つ。
そういう日常茶飯のことをきちんとするのは
簡単なことではありません。

でも、
曹洞宗は、在家否定の徹底した出家主義です。
方丈でも、家庭、会社でも、
道を求める心があれば・・・
ではないのか、
道元さん。

振り

2010年04月16日 | Weblog
新学期を迎え
部活見学の生徒達が覗きに来たりして
作法室も賑わいを見せています。
みな、テンションが高くなり、
後半のお稽古の時も、
おしゃべりがやみません。
お点前さんにかける私の言葉もかき消されるほど
大変なガールズトークの場となってきました。

そこで、
今日は「振り」という宿題を出してみました。
よい亭主振り、よい客振りをするにはどうしたらいいか、
1週間考えてもらいます。
「振り」はぶりっこの「振り」です。
かわいこ振る、いいこ振るっていう
あの「振り」。

亭主は「いい亭主になりたい!」という気持ちを高め、
お客様を良くもてなすために
自分が持てる力を最大限に振り起こします。
お客様もそれを受け、
亭主のおもてなしを最大限に受け止めて感謝できるよう
自分が持てる力を振り起こすのです。
会話も沈黙も
お互いがそれぞれを思う心で
保たれていくと、
素晴らしい一座建立となります。

一寸法師が打ち出の小槌をひと振りすると
グン!と大きくなるように、
みんなも心の中で小槌を振って
力をグンと振りだして
この茶室を素敵な「気」で満たそうね♪
なんて話をしていると、
さっきまでのやかましさは消え去り、
みんな真剣に耳を傾けてくれるのです。
この瞬間、
ほんとにウルウルってきます。
ジュブナイルがまぶしいです。


いい子ぶるって言葉は
悪い印象がありますが、
それは偽っていい子を演じる時のことで、
いい子になろうって気持ちでいい子の真似をするならば、
それはとても素敵だと思います。
ありのままでいんじゃない?なんて風潮は
ちょっと寂しいね。