茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

お茶壺道中

2009年06月08日 | Weblog
塩尻市楢川の奈良井宿で
お茶壺道中に出会いました。
将軍家に献上するため、
宇治から中山道を通って
江戸へ新茶を運んだ行事の再現です。
「下に~、下に!」という声が響き、
ゆっくりと行列が前進します。
当時は千人を超える大所帯で、
100以上の茶壺運んだと言います。

お茶壺の中には、
紙袋に包まれた濃茶用の上茶200匁(もんめ)=750gと、
防湿を兼ねてすき間をうめるように
薄茶用の茶が1貫=3750g詰められました。
五月を過ぎて宇治を立ちますが、
信州の奈良井にこの伝統行事が残るのは、
甲州谷村(やむら=都留市)の勝山を経由するルートが
あったからです。
東海道ルートと別に
この中山道・甲州街道ルートがあったのは
天然の冷蔵庫といわれる涼しいこの場所に
お茶を保管しておくためです。
いったん勝山城の茶壺蔵に預けられ夏を超したお茶は
11月の口切りに江戸に届けられていました。

1618年から1867年まで250年にわたって
この一大行事が続いたということは、
茶道の形骸化云々という問題はあるにせよ、
お茶自体のもたらす効用がいかに大きかったかを
思わされます。
社会的・経済的・政治的効果はもとより、
抹茶を飲んでいると調子がいいと
たくさんの人が体で感じたことでしょう。
茶禅一味も武士のたしなみであったでしょう。
でも、250年です!
お茶自体に力があればこそ続いた歴史だと思います。

東海道ルート500キロを約12日。
中山道・甲州街道ルート約580キロを14日といいます。
街道の人々は田植えの忙しい頃なのに
土下座で見送らなくてはなりません。
「お茶壺様が来たら、戸をぴしゃんと締め、
 ごま味噌でもなめてじっとしていよう。
 お茶壺様が通り抜けたら、
 どんどんこしょと戸を開けて外で遊ぼうよ」
ずいずいずっころばしはそんなわらべ歌です。