茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

熱々のお茶

2010年11月30日 | Weblog
「ぼうふらで一煎さしあげます」
というご挨拶で始まるお点前です。
お茶を淹れる急須と
2煎目のまわし急須と
熱々のお湯をつくるぼうふらと
3つのお道具が涼炉の上へ下へと
くるくる移動します。

上手(うわて)のぼうふらは
土モノです。
土モノで沸かしたお湯が一番よいと
考えられています。
カタカタ沸いたお湯を急須にとって
お茶の葉を投じます。
上投法です。
急須は磁器です。

90℃くらいで
淹れていることになるでしょうか。
茶葉を投じると
お茶の香りがぱーと立って
わくわくしてきます。
お茶碗を胸元にとりこむと
熱い茶の気が目を醒ましてくれます。
はあ~
かりんとうが美味しい♪

煎茶道では
磁器の急須を涼炉にかけて
カタカタ沸いたところで降ろして
すぐに茶葉を投入するお点前もあります。
どちらにしても
良いお茶を使います。

茶業では、
お茶の鑑定の時に
熱湯をさして品質をみます。
そのお茶の欠点がよく現れるからです。
ですから、
熱々でお茶をいただくためには
よいお茶でないと
ただ苦いだけのお茶がでます。

煎茶道のお点前は
様々な時代の茶を伝えています。
熱々でお茶を淹れていた時代の茶葉は
どんなだったのかなあと
茶の香りの中で思ってみました。
道具は残りますが、
茶の葉は残っていません。
お茶の味も香りもそのひとときだけのもの。
お茶は
その時その時の一期一会なんですね。

それにしても・・・
どうして今、
お茶業界は
「お茶はぬるい温度で」
を提唱しているのかしら。



片付ける

2010年11月29日 | Weblog
近くの本屋さんへ寄りました。
さすが厚木!
農業の本がたくさん並んでいるではありませんか。
有機の本がたくさんある中で
農薬が大事であるという本もありました。
対で読んでいこうと思います。

帰ろうとしたときに目に留まった本に
「片付けるとは人生に片をつけること」
とありました。
ぎょ~~~!
ハウツー本は好きでないのですが、
引っ越し後まったく片付かない空間に
嫌気がさしていたところで、
この本につい手が伸びました。
あれ、なんて本だったかな・・・。

とにかくポイントは
使うか使わないかで分けて
使わないものはどんどん捨てろと
いうことです。
そんなこと、わかってるもん。
それができないから片付かないのだ。
人生に片がつかない?
ん~、困りました。

使わないのに捨てられないモノは、
思い出の品。
母が大事にしていた木箱とか
祖母の「がま口」とか
母が作ってくれたスカートとか
絶対に使わないこういった類のモノに
どうさよならをすればよいのでしょう。
しまう場所がないなら
片をつけなければダメだ
と思ったとき
嫌だ!これは孫にお話をするときに使うのだ!
といういいわけが出てきました。

孫とお茶をしている光景・・・
初めて思い浮かべました・・・。
なんか、
しっかりしよう!と思いました。


鎌倉時代

2010年11月27日 | Weblog
鎌倉観光フォーラムで
「為政者と庶民
 癒しのひと時を何処に求めたか
 喫茶の伝統は今日どこに」
というお話を聞いてきました。

鎌倉武士にとっての癒しとは
何であったかというお話で、
どうお茶に結びついていくのか
とても楽しみでした。
講師は、
東京大学史料編纂所の本郷和人准教授です。

鎌倉武士にとっての憩いは、
文献で見つけうる限りにおいては、
伊豆権現と箱根権現に詣でることと
狩りを楽しむこと
あたりではなかったか。
婚姻も権現様を介し、
戦さの日時も卜筮(ぼくぜい)によって決め、
頼朝の一言で人生が決まるというように、
すべて上から与えられることを
喜んで受け入れる、
ありがたく受け入れるという人生観があった。
そんなバックグラウンドの武士の元に
入ってきたお茶は、
実は茶と禅というよりも、
自分のお小遣いで
中国の文化を楽しめるという
歓びに通じたのではないか
というようなお話でした。

画像は
大巧寺(だいきょうじ)さんで見つけたがまずみ。
頼朝がこのお寺さんで練った作戦で
平家に大勝したため
大巧寺と呼ばれるようになったそうです。
「頼朝戦評定所」の碑がたっています。

頼朝の血を自分の家に入れるためには
妻を喜んで差し出すというほど
主、命。
頼朝のために死ねば
主が家を守ってくれるから
安心して死ぬという死生観。
観光客でにぎやかな若宮大路を歩きながら、
そんな先生のご説明を思い出し、
不易流行という言葉を思っていました。





お茶とブタちゃん

2010年11月26日 | Weblog
養豚場は
道路の向こうの谷を下りたところにありました。
風の具合で
豚舎の匂いがぐおおっと上がってくるのです。
引っ越し後二日目に気付いたこの事実、
それならブタちゃんにお茶を飲ませて
消臭しようと思った事
などを
あちこちで話していたら
なんと
いろいろご縁が出てきました。

飯山に越してきたの?
養豚場のそば?
あー、あそこに茶畑あんだよねー。
ほったらかしだなー。

え?
茶畑があるの♪

ブタにお茶?
そんな話を以前にも聞いたことがあるなあ。
今度紹介しますよ。

え?
それはだ~れ~♪

豚舎や餌にお茶を使う効果ねえ。
うちの弟、食肉センターの幹部よ。
聞いておいてあげる。

え?
幹部~~~♪

そこで今日は、
♪♪♪な気持ちで自転車に乗り
坂を下っていざ視察に!
養豚場に近づくと
ぶーぶーいう声と
ドスドス歩き回る音がすっごく大きくて
なんだかとってもこわくなりました。

豚舎にいたお兄さんたちは
とっても若く、
白いつなぎのユニフォーム姿は
ジャニーズ系!
窓越しに
なんだこのおばさん?
と不審な目で見られてしまいました。

画像で
茶畝の向こうにあるのが豚舎です。
お茶の畝はきれいに整っていましたが、
ぼうぼうでした。
お花畑のように
白いお茶の花がぎっしりと付いていました。
この花ごと豚ちゃんに食べさせたらいいのに♪
頭の中は
畝間でのんびりお茶をもぐもぐしている豚ちゃんの絵。
放豚。

そんなアニメ世代の走りな私、
誕生日の本日、
この一年の課題を
目の前にしているようでした。
その角を曲がったところに
何があるかわからない。
それが人生ですね~。




160日

2010年11月23日 | Weblog
仮に5月2日を茶摘みの日とすると
今日は160日ほども前になります。
そんな前から
5月2日のウイウイした新芽を想定して
畝の評価をします。
ここで刈ってあれば
ここから分枝して
こう育ってこう広がるから
一番茶はこのラインで
芽を揃えて刈ることができるだろう
という目で畝を見ていきます。

山は赤く黄色く深みを増してきました。
お茶は常緑ですが、
葉相というものがあります。
どんよりした緑や黄色がかった緑はダメです。
ツヤのある明るい濃い緑が◎です。
大きさも重要です。
幅2㎝で長さが7㎝を基準として見ます。
大きさに差があると
一番茶の収穫物も揃わないことになります。

風の強く当たる茶園には敷藁をします。
葉が丸まっていれば虫を探します。
花の数も数えて樹勢を観察します。
とはいうものの、
虫はどの程度が「いる」なのか
わかりません。
冬の堅い葉は
元気なのかどうかよくわかりません。
160日でどのくらい育つのかもわかりません。

これから寒さの中で
お茶の葉がどう表情を変えていくのか
観察をするのが楽しみです。
虫たちが寒さに負けるかどうかも
楽しみです。
お茶の花がいつまで付いているか
見届けるのも楽しみです。
けっこう、長期にわたって咲いているようです。

今まで
冬の茶畑を意識してみたことがありませんでした。
記憶にあるのは
春の黄緑色のやわらかな畝ばかりです。
この季節もまた
あちこちと茶園を見て回りたいものです。
葉相とか園相とか
なんとなく感じられるようになりたいです。





炊き出し

2010年11月22日 | Weblog
11月10日に
『いつも何度でも』という
「千と千尋の神隠し」のテーマソングを紹介したところ、
毎朝炊き出しをしてお弁当を配る時に
この曲をかけているという方から
お便りをいただきました。
「こんなところでこの曲に逢えるとは」
とありました。

お茶をする人が朝散歩をしながら口ずさむ歌と
炊き出しのおにぎりを作りながら流す曲が
同じだったことが、
なんかちょっと「こんなところで~」
だったのかもしれません。

利休さんは
権力者に命がけで
もの申した人です。
秀吉が楽しみにしていた
数え切れないほどに続く朝顔を
ことごとく切り落とし
たった一輪を床に飾って迎えたりしました。

茶の湯には
芸術的な楽しみや
人と心を通わせる楽しみや
自然の恵みに感じ入る楽しみや
いろいろな素晴らしさがありますが、
私にとっては、
「かなしみの数を言い尽くすより
 同じくちびるでそっとうたおう」
という、
そんなところが
お茶の魅力なのかもしれません。

一輪の花で伝えたいことが
ある。
露地を清め
炭をおこし
お膳の用意に心を尽くし、
向かい合い語り合いたいことが
あっての
お茶なのです。

炊き出しの時、
おにぎりと味噌汁と海苔と・・・
お茶はどうしていらっしゃるのでしょう。
番茶がいいです。
安いのにカテキン豊富で
風邪予防にもなります。
冬は緑茶は体を冷やしてしまいますが、
アフガニスタンの皆さんのように
玉緑茶を煮出してお砂糖をいれるのは
お勧めです。
暖まります。
みんなでお茶を飲むひとときは
体にも心にも光を届けてくれます。

影点て

2010年11月21日 | Weblog
お茶会のお手伝いをさせていただくと
いろいろと
お~というワンポイントに
感動することがあります。
それぞれの社中に伝わる
スキルがあるのです。

古くなった茶筅の外穂一本を
茶掃き箱にしのばせておいて
杉形(すぎなり)にはいたお茶を
整えるのに使うと
とてもきれいにお茶の形が整うという技も
今ではしっかり自分のものとなっています。

あ、湿し灰がない!というときは
スーパーの袋に灰を入れて
霧吹きで軽く湿らせて揉むと
あっというまに
なかなかいい感じの湿し灰ができるとか・・・
なかなか目鱗でした。

今回は
水屋人数が少なくて
一人で何十人ものお茶を点てねばならぬ
という時の技です。
使い慣れた茶筅、
つまりすぼまっている茶筅を2本握り
しゃーっと点てるのです。
あっという間に
ふわふわのお茶が点ちました。

これって、
そうです!
ばたばた茶みたいです♪
そういえば、
北陸出身とおっしゃっていました。
ん~、
ばたばた繋がりかもしれません~。

画像は
茶筅二本がくっついている
ばたばた茶の様子です。

宮崎茶房

2010年11月19日 | Weblog
引っ越しの前後は
さすがに
急須でお茶を淹れている暇はなかろうから
こんなときぐらいは是非と
ティーバッグのお茶をいただきました。
おお!
五ヶ瀬の釜炒り茶のティーバッグ♪
しかも
「農薬も化学肥料も一切不使用」の有機茶です。

大きなひと包みをマグカップに入れて
熱湯を注ぐと
黄色の水色(すいしょく)がとっても鮮やかです。
香りも良いです。
おいしいです。
20袋飲みきりました。
実に簡単においしいお茶がいただけることを
再認識しました。

最近、
茶ポーターになって
茶畑に通っている話をすると
是非、有機栽培のお茶をつくってくださいと
誰もが言うのです。
私もそのつもりでいるのですが、
今のところ
茶ポーター制度の中に
有機農法の茶園の計画はありません。
人手がないから茶ポーター制度ができたのですから、
手のかかることはやってられないのです。

でもね。
有機茶はどんどん増えてきているように思います。
農家さんからの発信が増えたことが
そういう印象につながっているのかもしれませんが、
生産者に思いがあり、
土に温度が感じられ、
葉っぱに元気があふれているような
そんなお茶をつくりたいものです。


稽古

2010年11月16日 | Weblog
韓国の蓋碗です。
まあるくてきのこみたいです
日常的にも使っている道具だそうです。
韓国ではご飯茶碗もお湯のみ茶碗も
こうして蓋付きが多いですが、
それはオンドルの床の上に置いて
その上から座布団を被せておくと
いつでも暖かくいただけるからだそうです。

といっても、
今ではオンドルのある家も減り、
レンジを利用するのが普通で、
こうした蓋碗にお茶を淹れて
暖まりながらお茶を飲んだのは
懐かしい昔の記憶になっていると
先生はおっしゃってました。

今日はこのお茶碗で
ききょう茶を淹れてくださいました。
ききょうの根は
肺と胃に良く作用して
鎮咳・去痰効果があります。
咳が長引いている私にはバッチリでした。

お茶をいただきながら
大変興味深いお話をうかがいました。
先生は、
日本の茶道で井戸茶碗が尊ばれていることに
とても違和感があるのだそうです。
あれは男の人達が
ご飯をわしわしと食べる時のお茶碗だから
その飯盛り茶碗が
茶室の中で
大切に扱われているのが
とても奇妙なのだそうです。

なるほど、
自分が日常的に使っているお茶碗が
他の国で恭しくセレモニーで使われていたら
それはおかしな感じがするかもです。
「日常を尊ぶ」ためとか
ご飯を食べた後そこにお茶を注いで
家族と共に過ごす暖かい団欒のひとときこそ
人の求めるべき道であり
井戸茶碗はその象徴として道具に用いらたのかなとか
そんなことを考えていましたが
○かも?
井戸茶碗が飯茶碗だったことはわかっていたのですから、
あえての井戸茶碗だったわけです。

などと、
遠い昔の誰かの思いをあれこれ考えたりする
そんな時間が楽しいです。
稽古とは「古(いにしえ)を深く考えること」
「昔のことを調べ、今為すべき事を正しく知ること」
なり。