茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)七十二候第十二

2010年03月31日 | Weblog
春雷は豊作の兆しとして喜ばれますが、
それは、
落雷によって空気中の窒素が田畑に固着されるので、
雷の落ちた田畑では
農作物の生育が良くなるということを
昔の人は体験的に知っていたからだそうです。
でも、現代では、
窒素肥料があり、
雷が落ちたからといって
蒔く窒素を減らすわけでもありませんし、
神鳴りに感謝する感覚はなくなったようです。

それよりも、
啓蟄をとうに過ぎているのに
まだ眠っている虫たちが、
雷でびっくりしてやっとこさ目を覚まし、
もごもご活動し始めて土を元気にしてくれる、
そんな目覚ましの働きが春雷にはある、
のかもしれません。

そんなこの時期、
三月中旬から4月上旬にかけてが、
茶の苗を定植する季節となりますが、
この春植え付けたポットの苗は、
5年たって、
やっと収穫が可能な大きさに育つのです。

先日、中学生達による
お茶の苗の植え付け大会が
宇治の和束にある畑で行われました。
「おぶぶ」さんの企画です。
和束町には高校がないため、
中学卒業と共にみな町を出て行くのですが、
それきり戻ってこない若者がたくさんいるわけです。
そんなみんなに、
今から5年後の成人式で
自分たちが植えたお茶を贈ろう、
故郷にあった日々を思い出してもらおう
というのです。
素敵ですね!
お茶とともに
何かが育つことを願ってやみません。

私もこの春に苗を植えますが、
私の場合は、
5年後に収穫できるよう、
10年後にも収穫できるよう、
15年後にも・・・と、
お茶と一緒に健康で元気でいなくっちゃと
思うのでした。

ひよこ

2010年03月29日 | Weblog
昨日のお茶会に
参加したいけど遠くて行けない~という方が
お菓子を送って下さいました。
コトリノイエにぴったりな
かわいい「ひよ子」のお菓子です。

小さい時から馴染みのあるこのお菓子のご製は
ひよこ本舗吉野堂。
九州は博多のお菓子屋さんでした。
特に今回のひよこちゃんは、
福岡県内限定・春期限定の「桜ひよこ」。
刻んだ桜の葉が入った桜餡いりで、
とおっても美味しかったです~。

「ひよこ」が生まれた筑豊飯塚というところは、
金平糖やカステラが入ってきた
シュガーロード<長崎街道>にある
炭坑の町だそうです。
炭鉱で働く人々が甘いものを好み、
街道を往く人々も手土産として求め、
菓子作りの盛んな町だったようです。

「ひよこ」の誕生は大正元年、
それまでお饅頭といえば、
丸いか四角いかが当たり前の時代に
ひよこの形をしたお菓子が登場したのですから、
話題騒然です。
とっても織部的ですね♪

吉野堂という店名は、
長崎街道の峠に咲く染井吉野に因んだものだそうです。
見事な桜が咲くそうです。
ひよこちゃんのお陰様で
筑豊のイメージが広がりました。

  筑豊飯塚に多くある4世紀の前方後円墳。
  逗子桜山の古墳も4世紀の前方後円墳。
  どちらにも染井吉野が春を告げる。
  夢に現れたというひよこのお菓子は、
  よく見れば美しい勾玉(まがたま)にも似ており。
  西からの来た3つ・・・
  さくら前線・お茶・ひよ子

なるほど、勾玉ね!
店主様の夢に現れたお告げは勾玉だったのかも、
それを、あ、ひよこだって思っちゃったのかも
素敵なメッセージとともに、
ありがたく頂戴いたしましたピヨ。


心の桜

2010年03月28日 | Weblog
息も白く見えるよな今日の逗子桜山。
ほころびかけていた山櫻も肩をすぼめ、
暗い空に寒そうに映っていました。
それでも、
オカリナが「さくら」を奏でると
背の高い山櫻は大きく息を吸い、
風が動き、
桜が匂うようでした。

今日のピクニック茶会アラウンド古墳は、
イン・コトリノイエに変更とし、
山の息吹の中に敷こうと用意した茣蓙(ござ)を
リビングに敷かせていただきました。
ソファーをよいしょと移動して
あっという間に山上の茶室。
(あ、三畳の茶室がナイス誤変換。)
窓の向こうにまだ笑わない山を眺め、
茶箱の「花点前」で一服いただきました。

ほどなく、
おちゃけのお席に座は展開。
桜のお椀で暖まり、
お持ちよりのご馳走を茣蓙に並べ、
手になじむ家主様ご趣味の杯にお酒が満ちれば、
寒さも忘れて、みんないいお顔。
宴は車座ですすみました。
茣蓙はいいかも♪
人数が増えても、お皿が増えても
空間を自由自在につかえます。

宿題の「桜を携えてくる」を肴に
これまたお酒が美味しかった♪
いくつもの桜の詞が紹介されました。
推古の時代の古墳をいただく山で、
万葉人の詠んだ桜の歌を味わい、
芭蕉や良寛の胸の桜に思いを馳せ、
ご自作や俵万智の句に時めいたり、
桜の回文に感心したり、
桜の語源に人と桜の歴史を感じたりしました。

皆さんが連れてこられたたくさんの桜で、
本当に佳い花の茶会となりました。
桜は自らも咲き、
見る人の心の中にも咲き続けるのですね。
胸中の桜、ありがとうございました。


さまざまなこと思い出す桜かな  芭蕉


八重奏(やえのかなで)

2010年03月27日 | Weblog
大妻女子大学で開催された
さくらお茶フェスティバルに行ってきました。
こぢんまりとした会場でしたが、
話題のお茶がたっぷり楽しめる
濃い~お茶の世界でした。

極茶人の比留間さんが点前座を広げておられました。
比留間さんご自身に
八重を奏でていただき、
ほんのひとなめ×8なのに、
ほろ酔い気分になりました。
盧仝(ろどう)だって
七碗で蓬莱山に飛んでいってしまうのです。
8煎も淹れていただいのですから
もう桜吹雪です。

名人がつくられた針のようなお茶は、
宝瓶(ほうひん)に丁寧に寝かせられ、
お箸で寝相を整えられています。
特注のお醤油さしの様な湯冷ましから
さらっとお湯が注がれます。
お茶の葉に直にはかかっていません。
そして、
掌で宝瓶を抱きしめると
すぐに一煎目を注がれました。

煎茶道では
茶心筒(ちゃしんとう)というお茶入れを
八の字を描くように振るって
蓋碗(がいわん)や宝瓶に
茶葉を落とし入れます。
磁器の器にピンと撚れたお茶が落ちて
水琴窟のようなきれいな音を出すので、
私はこれが大好きだったのですが、
今日は、
お箸で丁寧に茶葉を揃えておられるお点前の前で
背筋がピンと延びるような気持ちになりました。

宝瓶の形とサイズ、
お茶の葉の置き方、
お湯の量、お湯の入れ方、
さりげないお点前の中で
8煎の味が楽しめるようにはかっておられました。
9煎だって、いけそう♪と感じたので、
比留間さんにとっては、ここまで、
ということなのですかと伺うと、
「8」というのは、
手揉みの工程の数であると教えていただきました。
つまり、それを遡っていると。
そう、8煎いただいたあとの宝瓶のなかには、
摘み立てのお茶が横たわっているようでした。

善哉(ぜんざい)

2010年03月26日 | Weblog
春分が過ぎて、
雀始巣(雀始めてすくう)第十候を迎え、
今日は、
桜始開(桜始めて開く)第十一候。
どんどん春が来ているのに、
今日も雨で、
またまたお茶の苗植えが中止になりました。
これ以上順延では、
茶ポーターとしましても、
本来のお仕事の都合がつきませぬ。
苗ちゃん~~~。

暇ができたので
夜のお稽古のために和菓子を作ろうかと思いましたが、
非常に寒かったもので、
お汁粉にしちゃいました。
白玉派、お餅派に分かれること、
つぶ餡派が多く、
御前汁粉派は私だけだったこと、
「お汁粉」より「おぜんざい」と呼ぶ人が多いこと
などの発見のあった楽しいお稽古となりました。

『語源由来事典』によると、
一休禅師が、初めてお汁粉を召し上がった時に、
「善哉此汁」と言って喜んだので、
それ以来、この汁を善哉と呼ぶようになったそうです。
仏典の記述には、
仏様がお弟子さんを「それでよい」と褒める時に、
「sadhu」と言うとあるそうです。
サンスクリット語の「sadhu」=「すばらしい」=「善哉」とか。

善哉の由来はもう一つあって、
出雲地方では
「神在祭」に小豆とお餅を煮たものを振る舞う風習があり、
この「じんざい」が「ぜんざい」に訛ったとか、
都に伝わっていた「善哉」と習合したとか言われているようです。

一休さんの善いお顔を思い浮かべつつ、
雨もまた善きかなと
お汁粉三杯完食♪
そして、濃いお抹茶をいただいたらもう泣かない!
苗ちゃんに会える別のチャンスを待ちます!

リチャード・ジノリ

2010年03月25日 | Weblog
川俣良実さんのお宅に伺いました。
テーブルの上に、
またまたときめきを呼ぶかわいいボックスちゃん。
ひとつひとつ開いていくと、
桜なお点前セットが現れ出でました。

テーブルフェアフェスティバルで
桜のポイントが愛らしいジノリの酒器を見つけ、
お家にあった漆の小皿と合わせ、
さくさくっと茶壺と茶海を揃え、
カルトナージュでパタパタと器据もどきを造り、
それらを収めるボックスも、
お茶入れとお揃いの生地で
きめてありました。
中国茶のセットです。
かっこいい~。

今日は、
梅山高山茶の冬片を淹れていただきました。
目ですっかり酔ったところへ、
甘~い香りがふわかふわかと立ち上がってきます。
ジノリのお茶碗(?)は
香りをきくのにぴったりの形。
もしかしてシノワズリ?
朱の漆器にとっても似合っていました。

つい最近、道場茶会という場で、
このお道具で茶藝をなさったそうです。
どこかの道場をお借りしての
オープンスペースのお茶会かと思ってましたら、
なんとなんとなんと、
その日に渡されたお茶を見て、
その場で美味しく淹れてお客様にお出しするという
お茶会なのだそうです。
修行が必要です。
だから、
「道場」茶会。
猛者でなくては名乗り出られません~。
おっそれいりやしたです。

皆さん、お心入れの道具を持ち寄って
道場にやってきて、
お茶をもらい、お茶を見て、お茶を淹れる。
お客様もきっと、強者なのでしょう。
いやあ、本当に、中国茶をなさっている方々というのは、
ふだん普通の人で、
なんとか千家でございますのなんてのもないですし、
個々人で磨きをかけている実力派。
かっこいいです。



桜雨

2010年03月24日 | Weblog
桜が咲く頃の冷たい雨をこう呼びます。
咲き初めて、
ほんのり柔らかな桜色が
小さな雫に包まれて寒そうです。
でも、こうした行きつ戻りつは、
天候に恵まれて一気に開花していく春よりも
風情があるのかもしれません。
雨もまた良いかと感じさせる雨の名前です。

愉英雨(ゆえいう)という
雨の名前もあります。
「英」は花を表します。
ひと雨ごとに蕾がやわらかく解けていく様を
花が雨を愉しんでいると見た言葉です。
冷たく降り続く雨も
花を愉しませる春の雨かと思えば、
そうか、ま、いっかと
許せるような気もします。
その雨の向こうに
山笑う春が待っているのですから。

な~~~んて言い聞かせても、
この雨で、お茶の苗の植え付けが延びていて、
実はちっとも許せない~~~~。
養花雨(ようかう)とか華雨(かう)とか
甘雨(かんう)とか万物生(ばんぶつしょう)とか
雨に素敵な名前が付いているのは
そうだわ、
こうしてやきもきする気持ちを鎮めるための
美しい智恵なのですね。

はやくお茶の苗ちゃんを大地に植えたい。
土にまみれてじゃんじゃん植えたい。
そうしたら、いくら雨降ってくれてもいいのにな。
おお、万物生の雨よ~なんて踊っちゃうし、
養茶雨だわ~とか甘露の雨~とか舞っちゃうのに~、
なんて、
まったく、こんなわがままでは、
農業という忍耐と知性のいる仕事はできませぬね。

『雨の名前』
高橋順子(文)
佐藤秀明(写真)
(株)小学館
2001.6.20発行

供茶

2010年03月23日 | Weblog
お彼岸のお茶ということで、
「供茶(くちゃ)いたします」という
お点前をいたしました。
仏様にさし上げるお茶ですから、
一碗を
いつもより丁寧な方法で淹れます。

お茶碗には蓋が付き、
それが台に乗ります。
茶合は通常手なりに置くところを、
まっすぐに置きます。
お茶碗の蓋をとっている間は、
懐紙を口にはさみ、
仏様のお茶に息がかからないようにします。

2煎目は皆でいただきます。
ふだん、お水をお供えしていても、
お彼岸の時など、
お茶を淹れて、
訪ねてくださった皆様と
お茶をご一緒すれば、
仏様も喜ばれるでしょう。

お道具組も、手順も、
さほど特別なことではないのに、
茶合の置き方がひとつ変わるだけで、
常とは違う厳かさが感じられました。
ちょっと工夫をする心で、
ハレとケの境を作り出し、
日常の中で、
特別な時間をとりわけることが
可能になります。

お茶はぐり茶がいいです。
屈輪(ぐり)とは仏画で仏様が乗っている雲のことです。
唐紋です。
釜炒り茶の別名ですが、
釜で炒ってできあがった形が
ちょうど屈輪のようなので
そのように呼びます。

お茶碗を清める時も、
通常は、
お水を注いだお茶碗を
3回くるくるくると回して空けますが、
供茶の時は、
お水を注いだお茶碗を向こうへ倒し手前へ倒します。
こちらとあち、。
此岸と彼岸を意識するのです。

こんなふうに丁寧にお茶を淹れてあげたことなかったなと、
私は母のことを思います。
悔いというのは数えたらきりがないですが、
だから、悔いの分だけ、
誰かに優しさを示すことを学ぶのでしょう。

調和

2010年03月22日 | Weblog
来週のピクニック茶会の下見に
桜山古墳近辺を散策しました。
背の高い山桜は、
まだまだ蕾をぐっと閉じたままでした。

お庭を、いや、山を(?)提供してくださる
お稽古を始めたばかりの方のところへ伺うと、
『裏千家茶道の教え』と素敵なお盆とお茶入れがありました。
古いこの教科書には
若き日の鵬雲斎大宗匠のお点前の画像があり、
そのお姿がかっこよくて♪
お稽古に励んでおられるとか。
ただ今正座との闘いに明け暮れておられますが、
正座でかっこよくお点前がしたい!
というのが
茶道を学びたいという気持ちの中でも
重要なポイントなのだとおっしゃいます。
私は立礼推進派なのですが、
なるほど、そういうこともあるのかと思いました。
足腰を強くするための鍛錬を日々なさっているという
常日頃のご努力に頭が下がりました。

岡本太郎さんの講演のCDがありました。
「あら、これいいわねえ、なんてのは
 全然いいことない。
 いいものというのは、
 なんだこれは!?!
 と人をおどらかせる」
懐かしい岡本太郎さんの熱いメッセージです。
「調和ってのは、
 ぶつかり合うこと。
 その考えも言いなんていうのでなくて、
 僕はそうは思わない!
 僕はこれがいいと思う!と、
 みんなが言い合あえることなんだ。」

こんな調和で一座建立がかなうならば、
それは本当に素敵な仲間に恵まれた時でしょう。
互いに心を開いて(和)、
互いを認めて(敬)、
常識に毒されず(清)、
どんな時も動じない(寂)。
岡本太郎さんの言う調和は
和敬清寂の極みだと思いました。
心に深い愛を抱いている人同士なら
太郎さんの言う調和に満ちた一期一会を
楽しめるのでしょう。

千里眼

2010年03月20日 | Weblog
横浜中華街で飲茶をいただいていると、
耳をつんざく爆竹の音!
外を見れば何やら山車(?)がでています。
「媽祖(まそ)祭」というお祭りです。

媽祖様というのは、
航海・漁業の守護神で、
中国沿海部に伝わる道教の女神様だそうです。
宋の時代から、
浙江省でも渡航の安全を守る神様として
深い信仰を集めていたといいますから、
栄西禅師も手をあわせておられたかもです。
期せずして航海の神様に遭遇し、
春からの息子の航海の安全を祈ることができ、
とってもうれしかったです。

媽祖様は、
千里眼(せんりがん)と順風耳(じゅんぷうじ)という
二神を脇に付き従えているそうです。
四天王の1尊、広目天の有する能力と同様の
特殊な目を持った鬼が
千里眼と呼ばれるようになったそうですが、
背の高い千里眼さまと目があって、
思わずパシャと写真撮っちゃう自分が情けない・・・

陰点てのタイミングをはかるお水屋に
透視力のある千里眼様がいて下さったら
それはありがたい!
でも、
タイミングをはかるという能力が育たない。
相客の来し方行方千里が見えてしまったら、
喫茶の楽しみもなくなる。
もっと知りたいという気持ちは、
もっと知りたいということなのに、
千里眼はいらないと思う気持ちは不思議です。

本牧市民公園はもう満開というので、
ランチのあと、桜の下で一服と思い持ってきたお茶セットですが、
あまりの強風に友人宅でのお茶となりました。
30年来の友ですが、
お茶を啜りながらいろいろ話をする、
凡人には、それが、やっぱり、いい時間です。

花点前

2010年03月19日 | Weblog
茶箱の「花」の特訓をしています。
来週末、
桜の良いところで、
宴会、あ、ちがった、お茶会を
もとうと思っています。
場所の候補は、
逗子の桜山古墳の隣、というか、古墳でというか、
そんなあたりです。
桜みっけたら、お茶を点てる、
おちゃけをいただく、
朝から晩までただ桜を感じていようという
そんなピクニック茶会です。

桜に関するものを携えてくる
という宿題、
みなさ~ん、忘れたらダメですよ~。
桜の歌を披露する、
桜を詠んだ詩を集めてくる、
自作大歓迎、
万葉の桜を語っちゃう、
桜染めの何かを身につける、
桜と舞う、
などなど~
たくさんの桜に会えますことを
楽しみにしていますからね♪

今日の特訓では、
すみ取りにして絞った茶巾の耳を
どうつまんだら、
しかるべく取れるか、というものでした。
みんな、今まで、
なんとなく、偶然とれた、というままできていたらしく、
茶巾が乾くまで練習しました。

つまり、
こう開くためには、
こう取らなくてはならなくて、
そのためには、
こう折って、こう絞っておく・・・
なんてことのない小さな所作に、
きちんと意味を見つけて、
後先をつければ、
落ち着いて美しくお点前ができるということです。
お茶というのは、
本当に「常」を見直させてくれます。

歌いながら、
おしゃべりしながら、
桜を感じながら、
それでもお点前はきちんと。
いえ、
それだから、お点前はきちんとです。
遊ぶ時こそ、かっこよく、遊ぼうね。
よろぴくです。


菜虫化蝶 (なむし、ちょうとかす) 七十二候第9

2010年03月18日 | Weblog
中国へ行ってニイハオしているうちに、
草木が芽吹き始め(第6 草木萠動)、
冬蘢りの虫が出て来て(第7 蟄虫啓戸)、
桃の花が咲き始め(第8 桃始笑)、
いよいよ蝶々が羽化する頃となりました。
世は啓蟄を迎えています。
柳の若芽も芽吹いてきました。
(画像は西湖)
まもなく春分です。

中国では、
春分の次の清明までの間に摘んだ茶葉が
一番高級とされています。
特に、
清明節直前に摘採されたお茶は明前と呼ばれ、
香りと甘みが大変豊かなのだそうです。

確かに、上海の茶葉市場に行った3月6日には、
すでに新茶の袋詰めが行われており、
今年の甘い香りが漂っていました。
龍井(ろんじん)茶の村の茶農家さんを訪ねた時も、
新茶でおもてなしを受けました。
氷点下すれすれの
凍るような茶畑で
あつあつの龍井茶をいただきました。

明前西湖龍井茶といえば、
最高級のお茶に数えられますが、
その摘採の状況に応じて、
厳しく7段階に仕分けされるのだそうです。
一日違うだけで、お茶の生育は大きく違います。
特に、この春は、
いよいよ摘採という時にあの寒波です。
等級が厳しく審査されることでしょう。

日本でも、
沖縄や種子島で、
すでに新茶の摘採が行われています。
去年は、
沖縄の「印雑」と種子島の「松寿」をいただきました。
今年は、
日本茶の明前で釜炒り茶がいただきたい!
あ、急いで探さなくては・・・
一芯三葉で
小指の第一関節にも満たないような
小さな新芽を摘んでザッと釜で炒った
そんな新茶、
wanted!

径山茶

2010年03月17日 | Weblog
深い緑色ですが、
白いという印象のあるお茶です。
径山香茗、徑山雲霧という別名があり、
「葉は嫩く外形繊細にして繊毛あり、
 翠緑色で香り爽やか。
 茶湯は味まろやかで翠緑色をなし透明」
と記されてあります。
見るからに美しい~。
そして、おーいし~~~。

宋の時代に径山寺の僧侶が栽培を初めたお茶ですが、
清代には、杭州の6大銘茶の一つに数えられています。
そんないいお茶なのに、
清代末に径山寺が力を失うのと同時に、
径山茶も途絶えてしまったのです。
その後、余杭一体で細々と続いていたお茶を
1978年に余杭県農業局が復刻し、
全国銘茶コンテストで受賞するまでになり、
現代において
その銘茶振りが再び認められたと言うことです。

製法は、
お茶を摘んだあと、
風通しの良い籠に敷きつめ、空気に晒します。
香りが立ってきます。
次に釜で茶葉を炒り、
手で丁寧に揉捻します。
その後、
竹製の籠に入れて布をかけ
炭火の上で乾燥します。

日本の急須に入れて熱湯で淹れてみました。
なかなか開きません。
ゆっくりと抽出して、
甘い甘い中国茶らしいお茶になりました。
でも、
やっぱり違うのです。
少しずつ少しずついただくのがおいしい。

径山のお茶が日本茶の祖先だとしたら、
静岡で杉山彦三郎さんが育てたやぶきたと
この径山茶はとても近いということでしょうか。
日本のやぶきたで、
このような釜炒り茶ができるのでしょうか。
釜炒り茶名人に聞いてみるしかありません。
もしもし?