茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

お涼さん

2009年06月15日 | Weblog
NHKの『天地人』で
利休さんの娘のお涼さんが登場しました
来週からは利休さんも出てくるようです
昨日は
お涼さんのお点前がありましたが
あれが肥後古流(ひごこりゅう)のお点前なのでしょうか

表千家・裏千家・武者小路千家が
現在三千家として続いていますが
それぞれの初代は
利休さんから数えて4代目です
利休さんの息子の道安の堺千家は続きません
利休さんの後妻の連れ子の少庵が2代目となりますが
利休さんとは血のつながりがありません
少庵が利休さんの娘と結婚したことで
その子三代目宗旦は利休さんの血筋に戻りました
この宗旦の息子たちが
現代の三千家の祖です

三千家はそれぞれに点前が違います
では
利休さんはどのようにお茶を点てていたのかといえば
その流儀をそのまま受け継いできているのが
肥後古流さんといわれています
肥後古流は
熊本藩に伝わる茶道の流派の一つで
利休さんの女婿・円乗坊宗圓の女婿・古市宗安を祖とします

利休さんは
子にも伝えなかった「極真の台子」の茶法を
本能寺の僧侶であった宗圓に伝授していて
それが宗安に伝えられ
その宗安が茶頭として細川忠利に迎えられています
忠利の父、細川忠興は利休七哲の一人で
利休さんの最期を織部と共に見送った人でもあります
熊本の細川家は
利休さんを学ぶ上で多くの資料を今日に残しています

最近、小説や漫画で
黒い利休さん像が描かれています
表現する人たちが茶道を学んでいるのならともかく
茶の湯を情報でとらえている限り
真の利休さん像には迫れないと思います
火をおこし水をくみ露地を清め
そうしたことに身を置いて
そこから堺を、戦国時代を、茶の湯を見て欲しいものです
さて、『天地人』の利休さんはどんなかな
お涼さんは何番目の娘かな
         

シェイク抹茶

2009年06月14日 | Weblog
「墨田の花火」というあじさいを初めて見た日
ちりばめられたその紫が息をのむほどに美しくて
大きな鉢を抱えて帰りました
季節が終わり
その子はお庭のあるお友達の家にもらわれていきましたが
今年も美しく花を咲かせ里帰りしてきました
おいしいお抹茶を連れて

お友達のお嫁さんが
お義母様はお茶がお好きだからと
いろいろなお茶をお中元に届けてくださったとか
宇治辻利平衛のお茶シリーズでした
良くできたお嫁さんですね~

さっそくシェイク抹茶のお試しタイム
「宇治有機たべる抹茶」をお水に少しとって
シャカシャカ
あっという間にきめの細かいアイスお薄のできあがり
結構なお点前でした
粉末茶でなく
ちゃんと石臼で挽いた甜茶というだけあって
こくと甘みのあるおいしいお抹茶となりました

有機栽培のお抹茶は
うんと手をかけたお茶か全く放っておいたお茶かです
宇治辻利平衛さんのHPを見ると
手をかけておいでのようです
「有機農業といえば土づくり、堆肥づくりといわれますが、
 野菜くず、豆殻、道端の草、落ち葉、木の皮といった有機物と、
 家畜糞を交互に積んで、微生物によって分解されたものを堆肥いいます。
 この植物の残りかすの中に、土から吸収したカルシウムやマンガン、
 マグネシウム、鉄、亜鉛、銅などの微量要素が含まれており、
 これを土に返すことによってミネラル分豊富な土ができます。
 そして、このミネラルこそが甘味、旨味、コクといった
 農産物の味の決め手になります。」

お茶はまるごと摂ってこその養生の仙薬
忙しい朝に
このシャカシャカ抹茶はちょっとはまりそうです


2009年06月13日 | Weblog
同じ想いの人たちと過ごす時間は
なんと快く軽やかなことでしょう
その人の生きざまを尊敬し信頼しあえる時
こんなうれしいことはありません

今日は二十代を過ごした職場の同窓会でした
懐かしい顔が五十人も
四半世紀ぶりの再会もたくさんありました
月160時間を超える残業の日々が何ヶ月も続いて
入院したこともあったっけ
そんな忙しい環境だったのに
そーいえば女の子にはお茶入れ当番がありました

毎朝、お盆にたくさんの湯飲み茶碗をのせて
ちゃんと急須でお茶を淹れてました
あっついのが好きなボスや
温いのが好きなボスや
あいつは出がらしでいいみたいなボスや(え?)
不思議とそれぞれのお湯のみが思い出されます

熱い時代でした
何がそうさせていたのでしょう
「飢えた子供の画像」がいろいろなメディアを通して目に入り
それが
どんどん心のどこかに蓄積されて
気が付けば
今ある援助や、今ある国際関係に
そうじゃないだろと言わんばかりに働いていた
私には何の専門もなかったけれど
何があるべき道かは何もわからなかったけれど
それはイヤだ、と何かがいつも叫んで
イヤでない世界を求めて必死だったのかもしれません

帰りの電車で
加藤登紀子さんの「時には昔の話を」がリフレインしていました

(1) 時には昔の話をしようか
  通いなれた 馴染みのあの店
  マロニエの並木が 窓辺に見えてた
  コーヒーを一杯で一日
  見えない明日を むやみに探して
  誰もが希望を託した
  揺れていた時代の 熱い風に吹かれて
  体中で瞬間を感じた そうだね
(2) 道端で眠ったこともあったね
  どこにも行けない みんなで
  お金は無くても なんとか生きてた
  貧しさが明日を運んだ
  小さな下宿屋に いく人も押しかけ
  朝まで騒いで眠った
  嵐のように毎日が 燃えていた
  息が切れるまで走った そうだね
(3) 一枚残った写真をご覧よ
  ひげづらの男は 君だね
  どこに居るのか 今ではわからない
  友達も何人かいるけど
  あの日の全てが 空しいものだと
  それは誰にも言えない
  今でも同じように 見果てぬ夢を描いて
  走り続けているよね どこかで

同窓会の最後で
「みんな志があった」と挨拶された方がいらした
4次会まで続いたお酒が冷めたら
お茶を淹れよう
志のゆくえを見つめてみたい

お茶の魅力

2009年06月12日 | Weblog
開成町のあじさい祭りのイベントで
「瀬戸屋敷」という奇棟造りの茅葺民家で
すすり茶のご紹介をさせていただきました
富士山の白い雪
酒匂川に立つ鮎釣りの人々
田んぼには雲が映って
畦にはずっと続くあじさい
こうした美しい田園風景の中
水車の水音が届く奥の間で
設えを考えていました

ダイニングテーブルを入れるのも面白うそう
ちゃぶ台のオープンカフェふうも面白そう
寺子屋ふうも面白そう
煎茶席ふうにすると
お茶=茶席
お茶=正座
というような堅苦しさを引きづりそうだったので
古民家の生活感の中で
すすり茶をさりげなく試していただけるような
工夫をしたかったのです
縁側に座布団を置いておいて
適当に人が集まったらさあ一服みたいな

でも、結局は
ちょっとお煎茶席ふうな「和」な感じにしました
それはお客様がそれを求めていた
というような印象があったからなのです
蓋碗でお茶をいただくこともびっくり
お茶の甘さにびっくり
お茶の葉を食べてびっくり
たくさんのびっくりがあって
皆さん、本当に喜んでくださるのですが
でも一番多いご感想が
「ちょっと違う時間」がいい
たった15分
ちょっと違う空間に身を置いて
こうして3煎のお茶をいただくことで
こんなにほっとするなんて、とおっしゃいます

喉が渇けば水を飲み
心が渇けばお茶を飲む

お茶って
本当にただの飲み物ではないのですね
今日のお客様は年配の方が多かったのですが
お茶とじっくり向かい合って
お茶と良い時間を過ごされて
「あ、そうだった」と
なにか思い出したかったものに気づいたような瞳

皆様の「ありがとう」が本当にあたたかく
私もとても気持ちのいい一日を
過ごさせていただきました
本当にこちらこそ、ありがとうございました

茶友の会

2009年06月11日 | Weblog
経堂駅のすぐそばに
「茶泉」という中国茶のお店があります
明るくてフルーツパーラーみたい♪
大変な専門店ですが、こわくないです

そこに
仕事帰りのお茶好きがぽつりぽつりと集まってきます
「茶友の会」の会合です

この会の名は
「以茶会友(いちゃかいゆう)」からきています
「茶を以て友と交わる」をモットーとし
流派や所属団体の枠を超え
個人個人が自らの意志で参加し
幅広いネットワークを作り
中国茶が文字通りの「日常茶飯」となることを
目指して活動する集まりだそうです

龍井茶と釜入り茶について
餅茶と碁石茶について
陸羽の抹茶と利休の抹茶について
そんな話のできる人をずっと探していたのです
「日本茶」とか「中国茶」とかいうくくりを越えて
それぞれの違いを考えたいと思うとき
なかなか勉強のできる場が見つかりませんでした

でも
ご縁とはありがたいものです
いっぱいいらっしゃるではありませんか
枠とっぱらってお茶だーすきな方々が
早速七月に
とても面白いお茶会のお手伝いを
させていただくことになりました
是非お立ち寄りください

テーマ: 日中お茶の饗宴
開催日: 2009年7月4日(土)
時 間: 11:30~16:30 (一席30分・入替制)
会 場: 高輪福祉会館(東京・品川)
席 料: 一席500円 (会員300円)

緑茶(不発酵茶)席  台湾碧螺春 VS 熊本釜炒り玉緑茶
青茶(半発酵茶)席  台湾文山包種茶 VS 狭山微発酵煎茶
紅茶(全発酵茶)席  雲南金亳滇紅 VS 嬉野紅茶
黒茶(後発酵茶)席  雲南プーアル茶 VS 高知碁石茶
発酵度別飲み比べ席  高山烏龍茶 VS 安渓鉄観音 VS 岩茶 VS 東方美人

お申し込みはこちらです

私は青茶席を担当します
「狭山の微発酵煎茶」とは
極茶人比留間さんの
萎凋香をもつ素晴らしいお茶です
どうぞお楽しみに


時の記念日

2009年06月10日 | Weblog
今日は「時の記念日」です
漏刻(ろうこく)と呼ばれる時計によって
時刻を人々に知らせることが始められたことを記念する日で
日本書紀によれば、天智天皇の10年4月25日
これがグレゴリウス暦では671年6月10日

この時計は水時計で
水を入れた水槽が5段あり
上の断から順次水が満たされていき
最後の水槽に浮かべた人形が指す文字盤で時を計るというもの
それを見て係の人が鐘を鳴らして
時を告げたそうです
陽の高さや月の高さで
共通の時を計っていたものが
かなり「共通性」を増したことでしょう

時を告げる方法は
この10年でさえ大きく変わっています
「暗くなる前に帰っておいで」と子供に言っていたものが
町中に響く5時の鐘がなったら帰るようになり
今は
携帯で帰る時間にアラームが鳴るそうですね

時を計るのに
お茶が使われるなんて事はなかったでしょうか
茶がおいしく出る時間を一福という単位で表す
お菓子や会話を愉しみながら
2煎、3煎といただいて
そのお茶を十分に愉しみつく単位を一幸と表す
みたいな
お茶によって時間、違っちゃいますけど~

でも
「一服したら行くわ」と言う事はありますね
お茶を一服する時間って
どのくらいをイメージするでしょう

午後はもう仕事なんてしないで
ゆっくりお茶をいただいてお話をしましょうという国の
一服の時間
ベンダーでガチャンと取り出した午後ティーを
ゴクンゴクンと立ったまま飲み干す国の
一服の時間
一服指数はなにかの指標になるかもです

酒樽茶室

2009年06月09日 | Weblog
2畳をぎゅっと円にした茶室
これこそが酒樽の中に作られた茶室です
座すだけで酔っぱらいそう~
酒樽は足柄の松田町にある中澤酒造さんで使われていた本物
それが酒屋さんのイベント用とかではなく
どこにあるかといえば
なんとお寺さんの境内にあるのです

松田駅から徒歩5分の延命寺さんは
ボタンで有名な花の寺
花見の頃には
こちらのお茶室で呈茶があるそうです
なんて粋なご住職
市中の山居ならぬ禅寺の酔狂
あ、失礼しました

ご住職が数年前に亡くなられ
このいきさつを知る中澤酒造のおじさまに
ただ今コンタクト中~

お茶壺道中

2009年06月08日 | Weblog
塩尻市楢川の奈良井宿で
お茶壺道中に出会いました。
将軍家に献上するため、
宇治から中山道を通って
江戸へ新茶を運んだ行事の再現です。
「下に~、下に!」という声が響き、
ゆっくりと行列が前進します。
当時は千人を超える大所帯で、
100以上の茶壺運んだと言います。

お茶壺の中には、
紙袋に包まれた濃茶用の上茶200匁(もんめ)=750gと、
防湿を兼ねてすき間をうめるように
薄茶用の茶が1貫=3750g詰められました。
五月を過ぎて宇治を立ちますが、
信州の奈良井にこの伝統行事が残るのは、
甲州谷村(やむら=都留市)の勝山を経由するルートが
あったからです。
東海道ルートと別に
この中山道・甲州街道ルートがあったのは
天然の冷蔵庫といわれる涼しいこの場所に
お茶を保管しておくためです。
いったん勝山城の茶壺蔵に預けられ夏を超したお茶は
11月の口切りに江戸に届けられていました。

1618年から1867年まで250年にわたって
この一大行事が続いたということは、
茶道の形骸化云々という問題はあるにせよ、
お茶自体のもたらす効用がいかに大きかったかを
思わされます。
社会的・経済的・政治的効果はもとより、
抹茶を飲んでいると調子がいいと
たくさんの人が体で感じたことでしょう。
茶禅一味も武士のたしなみであったでしょう。
でも、250年です!
お茶自体に力があればこそ続いた歴史だと思います。

東海道ルート500キロを約12日。
中山道・甲州街道ルート約580キロを14日といいます。
街道の人々は田植えの忙しい頃なのに
土下座で見送らなくてはなりません。
「お茶壺様が来たら、戸をぴしゃんと締め、
 ごま味噌でもなめてじっとしていよう。
 お茶壺様が通り抜けたら、
 どんどんこしょと戸を開けて外で遊ぼうよ」
ずいずいずっころばしはそんなわらべ歌です。



japan

2009年06月07日 | Weblog
木曽漆器祭に行ってきました
漆器店が軒を並べる木曽平沢の古い町並み
工房の見学もOKで
暖簾をくぐり漆器の街の奥へと入ります
漆のぬられた大きな一枚板の襖は
大きく傾いで
江戸の頃より続く街の歴史を物語っていました
樹木豊かな山から吹いてくる風は冷たく
店と母屋と蔵を繋ぐパティオの蛍袋の花を
優しく撫でていました

漆の抹茶茶碗を見せていただきました
木の器に漆を塗ったものと
土と○○と△△を混ぜて焼いたものに漆を塗ったもの
(企業ひ・み・つ)
どちらも手によく馴染んで温かく
お茶の緑がさぞかし美しく映えるだろうと思われました
茶筅で点てても漆は大丈夫とのことでした
石本玉水さんの作品ですが
まだ販売ルートにはありません

「奥でお茶していって下さい」
そう声をかけていただき
漆塗りのテーブルで
漆塗りの器で
たくさんの手料理をいただきました
ちらし寿司 山菜のしょうじあげ 蕗 蕨 独活の汁物 梅のワイン煮など
日常の空間に外の人をあげて食事を出すスタイル

お茶を一服のつもりが
すっかりリッチな旬のご馳走に預かり
木曽という街の文化をまるごと堪能させていただきました
木の国は豊かでした

文京区

2009年06月06日 | Weblog
文京区のシビックセンターで
『お茶のいまむかし展』が行われています
文京区というのは後楽園ドームのある大都会ですが
台地と谷と坂の町
神田川が流れ
水の豊かな地域で
「お茶の水」という地も文京区です

お茶の水という地名の由来は
江戸の初期に遡ります
当時のお茶の水一帯は
緑が深く蛍が舞う美しい渓谷で
質の良い清水が湧く場所だったそうです
二代将軍家忠が
この水をお茶用に献上したことから
このあたりが
「茶の水」とか「茗渓(めいけい)」とか
呼ばれるようになりました

そのような地域ですから
『お茶のいまむかし展』といえば
文京区にあった茶畑の地図!をイメージしたのです
ちらしにも
「わが国におけるお茶の歴史は古く、
 文京区にもお茶の歴史に関する資料や施設が多くあります。
 日本人が慣れ親しんでいるお茶に焦点をあて、
 お茶の歴史、茶道具、区内のお茶に関するマップ、
 和菓子の型、茶葉などを展示します。」
とありましたから、わくわくしていたのです


「お茶のマップ」は
茶道ゆかりのマップでした
これ、普通ですか?
茶畑のマップと思うのはビョーキ?

でも
会場には茶道、煎茶道の本だけでなく
中国茶関係の本や茶業の資料が展示されていて
その空間はとてもうれしかったです
不思議なのは静岡茶の宣伝がいっぱいあったこと
「まちこ」の鉢もありました

「お茶マップ」を手に
細川家の永青文庫で
じっくり茶の湯の歴史を学ぶのも良いですし
六義園、小石川後楽園、椿山荘の茶室で
都会とは思えない深い緑の気に包まれるのもいいですね
7月下旬まで
ヘイケボタル、ゲンジボタルが観賞できるようです



食べていい?

2009年06月05日 | Weblog
小学3年生の生活科で
ホットプレートでお茶を作ろう!と
解凍した茶葉を使って
1時間かけてお茶作りをしました
休み時間のうちから覗きに来ては
「早くお茶作りた~い」と
意欲満々

冷たい茶葉を触りながら
「草のにおいがする~
 食べていい?」
ホットプレートの上の茶葉を
菜箸で炒め(?)ながら
「お茶のにおいだ~
 もう食べていい?」
手でぎゅうぎゅうもみながら
手にまとわりつく茶葉を
「ぺたぺたしてる~
 食べていい?」
なんてすばらしい好奇心

「先生は手で触って熱くないの?
 僕も触りたい」
熱いけど我慢しているの
お茶の水分の量が知りたいから
手で触らないとわからないのよ
なんて言っても
「じゃあ、僕も我慢するから
 さわっていい?」
そんな真摯な目で見つめられては
よし!やってみろ!
と、こちらも勇気をだしちゃいます
水道のお水を出して
あちっと思ったらすぐ
水に手をつけるんだよ

とってもお互い緊張~
そおっとホットプレートの中の茶葉を握る
「葉っぱ、すごい熱い!」
「手、すごいいいにおい!」
みんなでクンクンが始まって
みんなの手が伸びてくる
「あ~、お茶、いいにおい~」

こんなに草っぽいのにいいにおいなの?
と、思っていると
最後にみんなに淹れてあげた上級煎茶より
自分が作ったお茶の方がおいしいという感想が
つづいたりして
するとさすが先生
「じぶんがやった!」のは最高なんですよ、とのこと
そうか、それが3年生
「僕は今日お茶を作った!最高においしかった」
そう記憶に留めてもらえたら最高にうれしい

一期一会

2009年06月03日 | Weblog
昨日の港の見える丘公園は
熱い陽射しのもとで
バラの香がよけいに強く感じられました
海風は涼しく
ベンチには本を手にする方の姿がありました
前回もそう思ったのですが
一人でおしゃれをして
バラを見て
ゆっくりベンチで本を読んでいる
そんな方々がけして少なくないのです

イギリス館に置いた「どうぞお立ち寄りください」という
案内をご覧になって来てくださった方々も
皆さんお一人でした
そして
「これだけご準備するのは大変だったでしょう」
「横浜のことがよくわかりました」
「お茶がこんなに歴史を語るなんて思いもよらなかった」
「戦後の横浜を思い出した」
「おいしいお茶を本当にありがとう」

あたたかい言葉をかけてくださって
なんだか昨日という一日は
お茶のご紹介をしたというより
とても励まされた、不思議な一日でした

窓越しの枇杷が色づいていて
また母を思いました
私が嫁いだ後
自分に課すように「一人を慎む」とよく言っていました
一人でも
一日だらりと過ごしたり
食事をいい加減にしたりしない
一人でもきちんと過ごす
そう言って母は俳句を始めました
頑張っていた・・・
私のお茶もきちんとした老後のためかもしれません

初めてお会いする方で
もう二度とお目にかからないかもしれない方に
お茶をお淹れして
相対してお話をする時間
戦後の横浜の話をたっぷり聞かせてくださったり
来月は枇杷のむこうに合歓の花が咲くと教えてくださったり
いろいろお話をうかがっているうちに
胸が熱くなることもありました
お立ち寄りくださった皆様
本当にありがとうございました

お茶って
しみじみ
ありがたい



横浜開港150年

2009年06月01日 | Weblog
明日6月2日は
まさに横浜港開港から150年目
当時横浜港から輸出された緑茶を
アメリカの人はどうのように飲んでいたのでしょう
急須でまったり?
ポットで豪快に?

横浜山手のイギリス館で
当時のお茶がどのように飲まれていたか
是非体験してください

画像は明日淹れさせていただくお茶です