茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

売茶翁調査員その5:菓子「高遊外」

2009年10月31日 | Weblog
売茶翁調査員の田中新一先生が
売茶翁の気持ちになって考案した和菓子だそうです。
銘は当然「売茶翁」としたかったところ、
仙台にある『売茶翁』という和菓子屋さんに
商標登録されていて使えず、
「高遊外」の方を冠するにいたったとのこと。

茶の実に茶の葉というイメージですが、
練り切りの繊細な技術を用いず、
茶巾でさくっとまとめてあります。
茶巾絞りがつける皺は、
禅僧の衣の流れに似たり。
そして、
核の黒あんは禅の心、
その周りの白あんは茶の心、
三重目の黄身あんは三千世界、
という円相を表現なさったそうです。
その三重が確認できるような
切れの良い黒文字も田中先生のご考案。

売茶翁自身は、お茶を出すときに
お菓子は添えていないので、
売茶翁がこれを使いたかったと言うことではなく、
いま、茶席でこのお菓子をお出しすることで、
そこからいろいろなお話を引き出せる、
そんな素敵なナビゲーターをしてくれるわけです。
89年にわたる売茶翁の人生を、
茶巾に包まれた茶の実が語り、
三種のあんが彩っていくのですね。

「到処煎無人買
 空擁提藍坐渓辺」
(あちこちで茶を煎ても誰も買わず
 むなしくかごをかかえて川べりに座っている)
若冲の画に付された自賛の一部ですが、
250年の時を経て、
美味しいお菓子と美味しいお茶をいただき、
売茶翁の歴史を熱く語る御仁がいて、
へえ~と感動しているおば様方がいる、
翁はこんな図をどう思うことでしょう。
「へえ~~」はかえってむなしい?
いえいえ、
100のへえ~200のへ~の中から
売茶婆が生まれるかもです♪

お茶を介して人の思いがつながっていく。
あ~お茶っていいなあ。

秋の新茶

2009年10月30日 | Weblog
「おぶぶ」さんから
オーナー様の秋の新茶が届きました
名付けて「お月見煎茶」
今年は夏から秋にかけて雨が少なかったので
新芽が伸びず秋の収穫が遅れたとのこと
なので
「お届けが予定より遅くなって申し訳ありません」なのですが
なんも申し訳なくないですよね
茶畑の都合でいってくださいませ

今日横浜のデパートを歩いていると
お茶屋さんはどこも
「秋の新茶」ブームでした
デパートさんは
茶畑の都合というわけにはいかないのでしょう
春の新茶の時のように
一番が命
大変なことです
伊藤園さんがルピシアさんのように
ディスプレイ式の店舗になっていました
お茶屋さんの風景が
どんどん変わってきています

さて「おぶぶ」さんのお届け品には
いつもパロディー物が入っているのですが
今回は茶藝春秋社「オール飲物」
茶川賞決定発表:「茶畑の中心で愛をさけぶ」
とか
お月見対談:千利休×加藤茶
タイトルだけなのが残念~
アッキーさんは
もくもくと茶畑で働きながら
頭の中はこーゆー楽しいことを
考えているのか
それがお茶の味になっているのか
などと思いながら一服いただきました

「日本の農業を現場から盛り上げ」、
「日本茶の魅力を世界に伝える」
そんな「おぶぶ」さんの茶畑オーナーに
是非皆さんもなってくださいね
一日50円で一坪分の茶畑のオーナーになれます
オーナーになると年6回合計1.2kgのお茶が届きます
その他面白いことがいろいろあります
茶摘みも茶会もヨガも飲み会も
そして何よりも
お茶の吐息が聞こえてくるようになります
茶畑の風景が近くに感じられるようになりますよ

海苔とお茶

2009年10月29日 | Weblog
人生で初めての歯痛に襲われ
夜は眠れない朝は起きられない
お弁当など作れない
ちょー手抜きで
海苔弁をつくったら
たいそう喜ばれました
ラッキー

ところで
海苔といえばお茶屋さんで
よく扱っている商品です
海苔とお茶は一緒に売られていますね
なぜかというと
海苔もお茶も取り扱いが似ていて
繁忙期がずれているから
一つのお店で両方を取り扱うようになったのだそうです

どちらも湿気を嫌い
香りが命です
海苔は10月初旬に種付けがはじまり
11月初めから3月下旬まで
のりの原藻の摘み取りが行われます
海苔もお茶のように
初摘みのものは柔らかく香りがよいそうです
そして2週間もすると海苔芽が伸びて
二番摘みができるそうです
これもお茶と同じで
回を増すごとにこわくなるのだそうです

海苔も古代から食されていた記録はあるものの
流通が整うのは江戸の後期
お茶と同時期なのですね
3月で海苔の仕事が終わると
4月からはお茶の季節
夏の番茶が終わって畑を整えると
海苔の種付けの季節
山と海のよいサイクルがあったのですね

お茶に海苔のような香りを
感じることがあるかと思いますが
これは
いつも一緒にいるからではなく
お茶の中に
ジメチルスルフィドという海苔香の
成分があるからなのです


吉田松陰

2009年10月27日 | Weblog
「アメリカが飲ませにきたる上喜撰
 たった四杯で夜も寝ラレズ」
これは吉田松陰の作。
萩市内の民家で見つかった吉田松陰直筆とされる
『燕都流言録』にあったそうです。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰
 たった四杯で夜も眠れず」という有名な狂歌は
松陰からきているのでしょうか。

喜撰というのは上等なお茶のこと。
上喜撰はうんといい宇治の玉露、
もしくは当時、
上喜撰という銘のお茶があったのかも。
よいお茶を4杯も飲んでしまうと
カフェインで眠れなくなるというのは、
当時から根付いていた概念なのですね。

松陰が処刑をされて150年になりました。
萩の松陰神社では記念行事が相次ぎ、
昨日は裏千家のお家元の献茶式、
今日は表さんの呈茶があったようです。
本をたくさん読んだ松陰、
どんなお茶を愛飲していたのでしょう。
「酒と茶に徒然しのぶ草の庵」
なんて句もつくっています。

平戸滞在中に松蔭が読んだとされる書物に
「阿芙蓉彙聞」というアヘン戦争の記録があります。
その中の「阿片始末」という巻は、
必読書として弟子達にも読むことを勧めています。
松陰はアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って、
山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感し、
西洋兵学を学び始めているのです。

アヘン戦争については8月6日に少し触れましたが、
この時期に隣国で起きたこの事件は、
吉田松陰を走らせ、
日本の歴史に大変大きな影響を与えることになりました。
お茶がアヘン戦争につながり、
そして日本を開国に向かわせた。

でも、
明治政府は一生懸命、
外貨獲得のための輸出品目として、
お茶に力を入れるのです。
あれ?なんか変ですね。
日本が清国の二の舞にならなくてよかったです。

画像は、
久里浜のはしもと茶舗本店さんのお茶。


被綿(きせわた)

2009年10月26日 | Weblog
菊の花に綿を置いて一晩
朝露がしみ込んだところで体を清める
なんてことを今年こそはやるぞ!と楽しみにしていましたが
今朝は被綿(きせわた)どころか大変な風で
我が家の鉢植えのお茶の花が
もうボロボロを落ちてしまったり
かなりセットが乱れた風情になってしまいました
菊はないので
この甘酸っぱいお茶の花の香を綿に移して
おほほほほ~と体を清めたかったのです

楊貴妃や清少納言の時代は
これは本当にアストリンゼンであったり
コロンであったり
旬の材料で作りました無添加化粧水
という感じだったのかもです
女性はみな重陽の朝を楽しみにしていたのでしょう
今で言うコエザイムとかQ10とか

今はヒツヨウはないけれど
その水分の薬効よりも
花の朝露をいただいて体を清めるという
そのことがとっても素敵
皇室や神社では
きっちり続いている行事で
菊であることが重要ですが
もっと簡単に
お家にある花に綿を着せてみてもいいでしょう

本当は菊なんだけど・・・
どうして本当は菊かというと・・・
菊の伝来は・・・
あたりを押さえておけばいいのです
毎年この季節になって
お菓子屋さんに菊が並ぶようになると
お茶を初めてから
ずいぶんと歴史を振り返るようになったなと
思います

南北朝
後醍醐天皇
皇室の菊の紋章
花から花へ
たくさんのドラマが託されているようです



『いもくりかぼ茶』

2009年10月25日 | Weblog
ベースは、
カメリアシネンシスのお茶ではなくて
ルイボスティーです。
水色(すいしょく)は紅茶のような
明るいオレンジ色。
そして香りはイモ栗カボチャ!
石焼きイモ屋さんのあま~い香りの向こうに
カボチャのスイーツの甘みと
焼き栗のほっくりした甘みがかさなって、
ああ癒されていくうという幸せを感じ、
衝動買いしてしまいました。

マメ科のルイボスには
抗酸化作用があって、
南アフリカでは古くから
コイサン族が薬草として利用していたそうです。
カフェインもないので
疲れた夜などには最高。

ルピシアさんのハロウィン限定のお茶ですが、
お月見の夜のお茶にもいいかもです。
月みる月の夜を楽しむのに、
芋・栗・カボチャを入れちゃったお茶、
というのもアルトオモイマス。
とにかく、
いろいろに楽しめる今がとてもうれしい。
お団子でお抹茶もいい。
月餅で中国茶もいい。
お大福で煎茶もいい。
パンプキンパイで紅茶もいい。

ただ・・・
この素晴らしき幸せな香りは
香料のなせる技・・・。
ならば、
本物の焼き栗を食べながら
普通のお茶をいただけばいいわけです。
きっとその方がおいしい。
でも、
こうした面白い企画商品は、
楽しいコミュニケーションの時間を作り出すでしょう。
それがとっても素敵だと思いました。

この『いもくりかぼ茶』にミルクとお砂糖を加え、
あつあつの大きなカップをふーふーしながら
次回の満月を楽しみたいと思います。
だんだん風が冷たくなってきましたからね。

『いもくりかぼ茶』(フレーバードティー)
原材料:ルイボス茶、ドライサツマイモ、
    フリーズドライカボチャ、パンプキンパウダー、
    香料
株式会社ルピシア


くんち

2009年10月24日 | Weblog
重陽の節句(9月9日)のころは
菊を楽しむにはまだ暑くて
やはりこれは旧暦があっていると思うのですが
肝心の九から離れてしまいます
今年は10月26日が旧暦の重陽の節句
もうすぐです

九州ではおくんちの季節を迎えていますが
「くんち」は「宮日」とか「供日」
という字があてられることがあるものの
旧暦の重陽の節句にあたる9月9日に行ったことに
由来するという説が有力です
9日(くにち)は九州北部地方の方言で「くんち」
とウィキに書いてありましたが
我が家でも
ここのかと言ったりくんちと言ったりです

今日は博多のおくんち
櫛田神社では1200年も前から
秋の収穫を祝うお祭りが続いています
日本三大くんちは他に
長崎くんちと唐津くんちがあります
地域のイベントや土日との関連で
旧暦の重陽の日にあってはいませんが
やはり北九州には
こうした伝統が根付いているのですね

ところで
九と言えば
この季節に素敵な香りを立たせている
九の付く花があります
九里香
シルクジャスミン(月橘)のことで
夜に白い花が放つ甘い香りが格別とか

また
金木犀を九里香
沈丁花を七里香といって
それぞれの際立つ香りを現すこともあるそうです
とにかく
九というのは
極まっている、という感じ

一里というのは人が1時間に歩く距離で
おおよそ4キロ
九里は36キロ
すごい
金木犀のようにがんがん良い香りもいいですが
利休さんを現した菊の香りにも
静かに心を傾けてみたいですね
隠逸の花の香り
それは清香です




通仙亭

2009年10月23日 | Weblog
売茶翁が構えた喫茶店「通仙亭」の名は、
盧仝の「茶歌」(または「七碗の句」)という詩から
きているものといわれていますが、
「仙台に通じる」で通仙なんて思いがあるかどーか!
茶坊主様、
明日また田中先生に是非!伺ってみて下さい~。

心はですね、
売茶翁は22歳に大病を患って後、
何かにひかれるように仙台に向かっているのです!
その何かが何か。
月耕和尚とか芭蕉とか、
何か発見があるかもです。

以下は2009年4月4日にご紹介した盧仝の「茶歌」
原文です。

走筆謝孟諌議寄新茶

柴門反關無俗客
紗帽籠頭自煎喫
碧雲引風吹不断
白花浮光凝椀面
一椀喉吻潤
両椀破孤悶
三椀捜枯腸
唯有文字五千巻
四椀発軽汗
平生不平事
尽向毛孔散
五椀肌骨清
六椀通仙霊
七椀喫不得也
唯覚両腋習習清風生
蓬莱山在何處

玉川子
乗此清風欲帰去



画像は
別冊太陽 summer82から
1982年6月25日発行
平凡社


売茶翁調査員その4:近江の茶

2009年10月20日 | Weblog
引き続き茶坊主様リポート

===
◎売茶翁は、お茶だけを1杯づつ飲ませていた。
 菓子は出していない。
 茶托も使っていない。
 良質なおいしいお茶だけを出していた。
 原価は高かったはず。
 儲けは考えていない。
 お気に入りの茶は江州茶
  (近江の国の茶:湖北永源寺付近か:田中先生談)

・・・売茶翁は、
すでに現れていた近江商人のネットワークで茶を入手か。
天秤棒かつぎで信用第一の近江商法に販売手法は近いのかも。
有名な、「鍋ぶたを売る」の近江商人の心得話は、
禅の境地にも通じる。   (茶坊主 説)

売茶翁を調べていくと、いろ~んな世界へ通じていますね~。
長崎貿易にも、流通経路にも、営業手法にも、
茶の技術開発にも、ですね。
江戸の中期だからそんなに古いわけでもないし、
この人はもっと身近に感じられるかもしれませんね。
(茶坊主 感想)

===

煎茶道でもお菓子は添えますが
席でいただくことは前提とはしていません
お茶を味わう妨げとなるからです
そのためにはおいしいお茶が必要

近江商人ネットワークって何かなと調べてみたら
「買い手良し、世間良し、売り手良し」の
「三方良し」を家訓とするとあり
近江商人の流れを汲む主な企業に
高島屋、大丸、西武グループ、西武百貨店、伊藤忠商事
丸紅、トーメン 、ニチメン、ヤンマー 、三中井、日清紡
東洋紡、東レ、日本生命 、ワコール、西川産業など
大企業がどーと名を連ねていました
恐るべし近江商人

近江と言えば最澄が茶を植えたところ
あ、今日飲んでいるお茶はたまたま滋賀の朝宮茶です
「忍者の里ですからね~
 昔から忍者が作ってたんですよ~」
プチ道の駅のようなお店で
おじさんが言ってたのを思いだしました
とってもさっぱりスッキリしたお茶です

ん~、田中先生のそのご本はいつ世に出るご予定なのでしょう

売茶翁調査員その3:中国茶の記憶

2009年10月19日 | Weblog
今日も嬉しいばい茶Oh!
茶坊主様からのリポートその2です

===
田中新一先生が講演でおっしゃったことで印象的なことは、

◎売茶翁は佐賀で出家して間もない頃、
 師に連れられて長崎へ出向いた形跡がある。
 13歳頃か。
 このとき、明から渡来していた中国茶を
 はじめて飲んだらしいことがわかっている。
 この茶はとても美味しかっという。
 唐人居留地で飲んだらしい。

◎14歳で、佐賀の雷山で仏道修行・滝行など行を行っている。

 ・・・ここは鎌倉時代に栄西が日本に持ってきた茶の初期栽培地に近い。
 当時の寺なら寺社経営の茶園があったとしてもおかしくない(茶坊主 説)
 
  後年、釜炒り茶が伝わった佐賀嬉野にも遠くない距離。(茶坊主 説)
 
◎ 宇治・万福寺の隠元さんの頃は、お茶は黒茶で、苦くて飲めない
  という世間の評判だったらしい。・・・(当時の文献から田中先生談)
  ・・・売茶翁が京の街に出る少し前の頃ですね。

◎ 売茶翁終焉の地とその遺構の幻玄庵の場所が判明。

===

13歳の売茶ボーイが喫したお茶は
何だったのでしょうね
そのおいしいと感じた記憶をたどって
近くの茶園でいろいろに製茶を試みたりもしたのかしら
その後どこでも体験できなくて
万福寺でも体験できなくて(?)
え?ほんとに黒くて苦くて飲めたものではなかったのですか~
釜炒りが過ぎていると言うことですね
隠元さんは製茶できるお伴を連れてこなかったの?
でもその頃の九州には
おいしい釜炒り茶を作る人はたくさんいたはず
ん~
当時のお茶の流通はどんなだったのでしょうね

熱意

2009年10月18日 | Weblog
今日の東京大茶会は
暑すぎます~という好天に恵まれ・・・
ご来場の皆様ありがとうございました
我が中国茶ブースの対面がメインステージで
あちらはマイク使用
こちらは声はりあげ
平野啓子さんや赤坂の芸者さんと張り合いました

そんな中
どうしてもステージに意識がとられてしまうことがありました
外人さん達による茶道の紹介コーナーでした
お着物の女性は
英語と日本語の一人同時通訳状態で
茶道の魅力を語っていました
息もつかぬようなものすごい早口で
1時間?

彼女にとっての日本文化
茶道を学んではじめて気が付いた日本文化
着物を着て正座をしてみてやっとわかった日本文化
社中に属しおばさん達と触れ合いながら感じ取った日本文化

和室とか花とか道具とかいった
茶道の芸術性を讃美する外人さんはたくさんいますが
今、彼女を機関銃のように語らせているものは
たぶん
「天心の伝えたかった東洋の考え」への気づき
そんな感じを受けました

聴衆から
茶道は禅ですかという質問がありました
そういう面もあります
と言うようなお返事をしていたように思います

かたや中国茶ブースも燃えていました
中国茶の魅力を伝えたくて伝えたくて
皆さん本当にお茶がお好きなんだなあと
感じる場面がいっぱいでした

求めることと伝えることは
セットかな
茶は禅かな
茶の湯は求道の場かな
数寄者は何者かな
鳳凰単叢の「蜜蘭香」に酔いながら
そんなことを考えました


がーん

2009年10月17日 | Weblog
今日は高校の文化祭。
耐震工事で茶室が使えないため
被服室でお抹茶喫茶の開店とあいなりました。
「デコレーションもバッチリ~!
 先生早く見て見て~」
と家庭科室に案内される途中、
うおっ!

「抹茶一杯100円」のポスターを
見つけてしまいました。
え・・・
私の日頃の言葉使いに何か問題があっただろうか・・・
いや、いくら何でも一杯とは言わない・・・
みんなも言わない・・・

「ねーねー、下のポスターだけど」
と指摘してみると
「だって、一服ではわからないから」
「一服はみんな読めないし」
とのこと。
なるほど、
教室の黒板には
ちゃんと「一服100円」と
書いてありました。

そ~なのか~~、
え、そーなのお?

和風喫茶のように設えた
テーブル席は、
16席がいつも満席状態。
次から次から人が来て
大変忙しい一日でした
去年までの茶室での喫茶とは
断然人の入りが違います。

お抹茶とおまんじゅうは魅力的、
でも茶室はちょっと敷居が高いのですね。
そうしてみると、
今回のような和風喫茶もなかなかよいかもです。
先生方も去年は一人しか見えなかったのに、
今回は大勢立ち寄られました。
小さなお子さんもたくさん来ました。
「おいしい」
と、うれしそうに召し上がっていました。

若い子たちは、
たこ焼きを食べながら、
片手でお抹茶を飲んでいました。
「けっこううまい」そうです。

「お茶碗は何回まわすんですか」
と作法について2回ほど聞かれました。
お母さんがお子さんに飲み方を教えている姿も
ありました。
いろいろ研究しちゃった一日でした。