茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

好奇心

2009年02月28日 | Weblog
朝早く南宗寺さん近くのホテルサンルートを発ち
てくてくと堺港へ
途中利休さんの屋敷跡から時間を計ると
やはり約15分
昨日と打って変って春の日差しが気持ちいいです
抹茶色の川がだんだんと広くなり青い海になっていく
大きな船が出入りしている

南蛮のものを積んだ船が九州からやってくる
異国の人がやってくる
そんな堺の街は
中世ヨーロッパの世界地図に記されている
経済も文化も成熟した東洋一の大都市だったのです

堺市博物館での講義と
そのあとのスタディーツアー
どちらも80歳を超えた先生方の
情熱と愛と美学に
胸の熱くなるメッセージを感じました

それをご紹介するのは明日か明後日になります
夕食の後もホテルのロビーになんとなく立ったままで話が続き
気がつけばもうすぐ日付が変わります
日本茶インストラクターの勉強会はいつも本当に面白いです
みんなお茶が大好きだから
次から次から話題が絶えません

「どんなことでも好奇心や」
学閥や常識や体裁や利害や
そーんなもんぶち壊して研究してこその真実や
それを突き動かすものは好奇心や
超かっこいい~

明日もう一日、目からうろこのスタディーツアー
体力つけて臨まねばです
おやすみなさーい!

画像は堺港
海の向こうに淡路島と六甲山
その向こうに瀬戸大橋が見えました


南宗寺大茶会

2009年02月27日 | Weblog
利休忌大茶会に参禅し、
三千家のお席にてご相伴させていただきました。
本坊の実相庵では表さん、
本源院にてお裏さん、
海会寺は武者小路さん。

賑やかなお茶席を失礼し、
一歩庭に出ると私だけの世界~。
水禽窟の音にしばし酔いしれ、
お茶の木を見つけて茶の実をひろったりして、
予期せぬところで素敵な時間に恵まれました。
(賑やかとは、待合での談笑のこと)

夏に堺に来たときも海を感じなかったのですが、
風花の舞いそうな今日の堺にも
やはり海風は感じられませんでした。
外洋に向いている湘南とは海が違います。
明日は堺港に歩いて行ってみようと思います。

利休さんの家から南宗寺さんは歩いて10分くらい、
師、武野紹鴎の家がほんの5分ほど、
海までは15分くらいでしょうか。
そして海と反対に20分ほど行くと仁徳天皇陵があります。
利休さんの切腹説の一つに、
天皇陵から持ち出したものを茶道具に見立てて使っていた、
というのがあったと思いますが、
近いし、
面白い焼き物見つけてしまったら、
そりゃあ気になりますよねえ。
日本と大陸との関係についてアートからヒストリーから
いろいろ洞察が生まれたことでしょう。

今日のお裏さんのお席に、
鵬雲斎大宗匠のお茶杓がありました。
ご銘は「香」。
大寄せのお席では残念ながら
梅も時も感じることはできませんでしたが、
地図を片手に堺を歩くほどに、
寒さの中に少し400年の風が香った気がしました。

アフガニスタンの茶畑

2009年02月26日 | Weblog
今(25日24:30)から15分後に始まります
見てください!!
8月27日に記した伊藤さんの活動です
=====
NHKスペシャル「菜の花畑の笑顔と銃弾」
チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2009年 2月25日(水)
放送時間 :翌日午前0:45~翌日午前1:35(50分)
 アフガニスタンで殺害された青年が遺した3千枚の写真をもとに現地を訪ね、
 戦乱の地の過酷な現実、国際援助のあり方を浮き彫りにするドキュメンタリー
=====

と書いたのは、約23時間前

ブレ様、はじめまして

昨日の映像では
伊藤さんが植えた小さな苗が
立派な茶に育っていましたね
遠目でもしっかりと根付いているのがわかりました

空爆の犠牲者の映像は痛々しいものでした
伊藤さんのカメラに映る人々の表情が
どんどん変わっていくのがこわかった
対照的に
最後の菜の花畑は夢をつないでくれました

銃を持つ人と鍬を持つ人は
どこでどうそれぞれの道を歩み始めるのでしょう
生まれた時からどんな情報に包まれて育ってきたか
それが大きな影響力を持つように思います

番組の最後に
映像提供、電波ニュース社という名前が見えました

援助の仕事をしていた時に
飢餓の現場の真実が正しく報道されない理由を知りたくて
日本のマスコミを集めて勉強会を開いたことがあります
「また、飢餓? 全然ニュース性がない」
「飢えた子の写真はもうみんな飽きている」
「もっと凄いものでもあれば」
耳を疑うような発言ばかりでした
でも
電波ニュース社という会社だけは違っていた
報道というものに責任があるのかはわかりませんが
電波ニュース社の人たちは責任を背負っていた
それは職務とかいうことではなくて
自分を突き動かす何かを持っていた

伊藤さんのような活動をしている人はたくさんいます
事件がなくても
そうした人たちの見つめる世界をテレビで映してほしいです
生きていく勇気の湧くような情報が毎日いっぱい降ってくるといい
菜の花畑は本当に優しくて切ないメッセージをくれました
(画像はペシャワール会)


利休遺偈(ゆいげ)

2009年02月25日 | Weblog
1591年2月25日、
自刃の3日前、堺に蟄居していた利休さんは、
以下のような辞世の偈と和歌一首を
したためていました。(400年忌にて初めて公開)

 人生七十 (じんせいしちじゅう) 
 力囲希咄 (りきいきとつ)
 吾這寶剣 (わがこのほうけん)
 祖佛共殺 (そぶつともにころす)
 堤る我得具足の一太刀 
(ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
 今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞてんになげうつ)
  天正19仲春二五日 利休宗易居士

利休さんの年齢は、
ここにもある通り70歳というのが定説ですが、
様々な文献を読み合わせると
71歳であったのではないかという説もあり、
まだまだ研究の途にあるのか、
いろいろ公にならぬ史料があるのか、
今後どのような解釈が出るか
楽しみとしておきましょう。

2行目の「力囲希咄」も
五山禅林の解釈では
「船を出す時の掛け声」だそうですが、
「禅僧が忽然と大悟した時に発する声」というのが
定説です。
こんな具合ですから、
この辞世をどうよむかも実にいろいろ。
私は、
「この一太刀で神の裁きをいざ受けん」
という解釈が好きです。
自分の人生、
自分の死の決定(とりなしを拒否したこと)を
正しく判断し、正しく評価できる人(神仏)に
命を委ねる!
というような気分の偈に読めました。

同じ日に、
 利休めはとかくみやうかのものそかし
 かんせうしやうになるそとおもへは
という歌も詠んでいるようです。
   (『茶の湯お歴史』熊倉功夫 より)

利休は冥加の者(果報者)だ。
菅承相(同じように讒言で不遇の死を遂げた菅原道真)と同じ運命となろう
というような歌です。

確かに
道真は学問の神として祭られるようになりました。
そして、利休さんも
茶聖として世界中に茶の湯の心を伝え続けています。

茶櫃(ちゃびつ)

2009年02月24日 | Weblog
八角形のかわいい茶櫃に
玉露のお道具が組み込まれ
点前座で展開され
蓋の上でお茶が淹れられます

「茶櫃で租茶さしあげます」

寒い季節に
暖かい懐に抱えるように持ち出したお道具でお茶を淹れ
またすべて仕舞って持ち帰る
展げておくと鬼に持っていかれちゃうから
2月らしい趣向です

小さなお茶碗に小さな宝瓶(ほうひん)を
これまた小さな茶櫃に入れたり出したり
物の居場所
物と物との関係
出し入れの後先など
よく考えられた手順で
手が水がそしてお道具が
小さな空間の中を舞い始めます
静かに潔く
あるいは軽くあるいは重く

その間
じーっとその動きを見つ
水の音を聴き
茶の立つ香りに目を閉じる
たったひと啜(すす)りの茶が
幾重にも喜びを奏でる
本当に
茶道というのは
何と言う装置なのでしょう

ちょっとハードな日が続き
電車の中で口あいて寝ていたかもしれなーい
ほど疲れていましたが
這ってでもお稽古にきてよかったです
戻るべき所にやさしく自然に戻っていける気がします
やっぱり帰りは口あいて寝ていたかもしれなーい
ですが
表情が違っていたと思います!

お稽古は先生の職場で行っています
先生だって一日の仕事を終えてくたくた
でもみんなが集まるまでに
職場のフロアの隅にパーテーションを立て
半畳の畳を敷き詰め
100円ショップで見つけた小物を利用して
すばらしいお茶の空間を作り出して
待っていてくださるのです

どこでだって茶はできる
どのようにでも茶はできる
そんな煎茶の心で
今日も癒されて帰ってきました♪

江戸の銭湯

2009年02月23日 | Weblog
こちらは日本茶インストラクター協会の会報誌
「茶論(さろん)」です。
なかなかお洒落なネーミングです。
いつも表紙がとても楽しみ!
今回は江戸時代のお風呂屋さんの情景で、
番台に座る女性の右膝元に見えるのはお釜です!
七輪のような竈(かまど)にかけられています。
そしてその向こうには茶碗が見えます♪

この絵は、
三代歌川豊国作「睦月わか湯乃図」。
埼玉県にある入間市博物館所蔵の浮世絵で、
学芸員梅津さんの解説によると、
『守貞謾稿』という書物にある記述、
「或ハ煎茶、多クハ素湯二香煎ノ類ヲ入レ浴後ノ客ニ出之」から、
江戸の湯屋では正月三が日、
客に湯茶を振る舞う習慣があったことがわかるといいます。
煎茶といっていますが、
粗末な番茶の類を火にかけて煮だしている様子とか。
湯上がりの喉をさっぱりと潤してくれたことでしょう。

仕事帰りの列車の中でこの「茶論」を読んでいて、
急に子どもの頃に行った銭湯の匂いがよみがえりました。
匂いの記憶ってすごいですね。
脱衣場でフルーツ牛乳の瓶を持っている自分を
うん十年後にこんな形で思い出すなんて。

江戸の煎じ茶は、
着流しで評判の髪結いさんの話でもしていたのかななんて、
湯気の中にそんな会話を思わせてくれました。
昭和のフルーツ牛乳は、
おばあちゃんとお風呂屋さんに行くと
フルーツ牛乳を買ってもらえる、
そんな秘かな小学生の楽しみを思い出させてくれました。
フルーツ牛乳がダメだった日は、そう、麦茶でした。
大きな薬缶にいつも麦茶がいっぱいできていたことを思い出しました。
そして今、お風呂上りに飲んでいるのは、
中国福建省の紅茶ラプサンスーチョン。
KIOSKで買ったペットボトルで~す。



極上

2009年02月22日 | Weblog
『夫婦道』というドラマがありました
狭山の茶農家を舞台にしたホームドラマです
ご覧になった方はご記憶かと思いますが
武田鉄矢さん扮する茶匠の手揉み茶は
針のように細く艶やかで芸術的な美しさを放っていました
その鉄也さんに指導をなさっていた本物の手揉み名人
いいお言葉を伺いました

色沢は内質の鏡

とても当たり前の言葉なのですが
極上のお茶はどのように作られるか
というお話の後に聞いたこの言葉は
とてもどきっときました

手で摘んだお茶と機械で摘んだお茶の断面の違い
細胞の破壊のされ方の違い
それによる味の違い
そうしたことを熟知しているから手で摘む
摘んだ葉は握りこまずに
一本一本(一芯二葉)籠に入れる
酸化を即効止めるために
ただちに次の作業に入る
ほいろに落ちる葉の音に全身の注意を払い
乾燥の度合を計る
一日に260~270gのお茶しかできない

こうして作られたお茶が全国から集まり
品評会で審査されることになります
手揉みのお茶は
静岡の藤枝と埼玉の狭山が一流の座を握っています
手揉み名人が若手を熱心に指導している地域です

お茶の審査には外観と内質があります
外観とは形状と色沢
内質とは水色、香気、滋味です
内質こそ大切なようですが
品評会では外観のポイントが高いのです
なぜかと言えば

見ればわかる

一本の色沢に
お湯を注いだ時の香りも旨みも見えてくる
製茶の工程が見えてくる
茶農家さんの一年が見えてくる

新芽を摘むその瞬間のために
後の一年を過ごす
その仕事の成果が
色沢として現れるのです

ちょっと
鏡みちゃった
こわ~い

ぞぶついた茶

2009年02月21日 | Weblog
うきうきとお茶を買ってきても
あ、今日のお茶はちょっとタイプじゃなかったわ
なんて日もあります
でも、その日その時に「いい感じ」でなかっただけで
別の日にいただくと
あら、悪くないわと思うこともまたあるものです

お茶は嗜好品
好き、嫌いがあって当然です
でも
かなりの割合でだれからもそしていつでも
え~?と思われてしまうお茶もあります
生産の過程でちょっと間が悪かった場合
それらは欠点茶と呼ばれることになります

今日は
たくさんの欠点茶を試飲してきました
でも、かなりの割合で
これが欠点茶なの・・・?というのが
私の正直な感想でした
本当にわからないのです
でも、プロにはこれらが「やっちまったな」なのですね

テキストにはいろいろと
好まれるお茶や嫌われるお茶の説明があるのですが
お茶の葉の形状として嫌われるものに
「ぞぶついた茶」という記述があり
初めて出会った言葉なのに
なんか感じが伝わる言葉で
いや~~~面白い!と
そっち方面で大いにうけていた私

ぞぶついたお茶ってどんな印象を受けますか?
「剣先や葉尺がなく、粗揉工程の遅出しのため上乾きで破砕し、
 太く、しまりのない葉の総称」だそうです
その他に
葉傷み臭、むれ臭、変質臭、青臭
火香、萎凋
などなどを体験しました

お茶農家さんの
秒単位の
摘採後の茶葉との勝負が臨場感をもって思い浮かべられました
加工までの保管温度や時間
蒸しや乾燥の加減に
大変な集中力と勘が求められます
その茶葉の持つ味と香りを一番引き出すような技の数々に
あらためて感謝しました


おいしいねえ

2009年02月20日 | Weblog
最近しょっちゅう煎茶道具を抱えて歩いている気がします
ちょっと手土産を買っていく代わりに
玉露を淹れさせていただきます

玉露はあまり家ではいただかないですし
手つかずのいただきもの玉露を
持て余している方が結構いらっしゃるのは大発見
一煎目は低い温度で
二煎目は温度を上げて
三煎目は熱いお湯で
最後は葉っぱも食べちゃいましょう
たったこれだけのことですが
目から鱗~と大好評

そして
家族に最近お茶が美味しくなったと言われたの♪
なんて素敵なお話を伺うと
ますます
怪しいおかもちおばさんになってしまいます

茶道のお稽古にいらしている方も
旅行先で女将さんに
お茶をなさっていらっしゃるのですか
食器を扱われる手がとてもおきれいですね
と言われて
ご自身もとっても嬉しかったそうですが
きっとご主人さまは鼻の下を長くしていたに違いないです

お茶っておもしろい!と思った方が
お茶っておいしいねとか
お茶やってて良かったねなどと言われて
それがまたうれしくて
どんどん人の輪が広がっていきます

今日も新しい出会いに恵まれて
とってもサブい一日でしたが
春風に包まれているような心地でした
お茶やっていてよかった

春から新しいお茶の講座を始めます
場所は横浜山手、港の見える丘公園にあるイギリス館です
詳細は追ってアップいたしますので
お近くの皆様、どうぞいらしてくださいね

今日のお稽古のお菓子は「つくし」
花言葉は「向上心」「意外」「驚き」「努力」
勉強勉強!



宇宙で緑茶

2009年02月19日 | Weblog
「ディスカバリー号」の打ち上げ日が、明日決定します
若田光一宇宙飛行士の搭乗するスペースシャトルです
それに先立って
宇宙ステーションへの物資補給船が出発
宇宙勤務の皆様への宅急便ですね

プレゼントの品は
酸素、空気、食糧、衣服、衛生用品ほか
いろいろ難しいお道具の数々
食料品は
米国食、ロシア食、日本食とちゃんと分かれていて
今回、宇宙日本食に選ばれたのがこちら
  白飯・赤飯・山菜おこわ・お粥・おにぎり
  卵スープ・わかめスープ・お吸い物
  醤油ラーメン・シーフードラーメン・カレーラーメン
  ビーフカレー・ポークカレー・チキンカレー
  鯖の味噌煮・鰯のトマト煮・サンマのかば焼き
  粉末緑茶・粉末ウーロン茶
  野菜飲料ゼリー
  羊羹・黒飴・ミントキャンディー
  ケチャップ・ソース・マヨネーズ

お茶の説明に
宇宙での厳しいミッションにおいて
「お茶を飲んでホッと一息つく」安らぎ、リラックス効果は有効です。
この緑茶は、茶葉からの抽出液を濃縮、噴霧乾燥する
スプレードライ方式で製造され、
その香りと味を封じ込めた顆粒タイプのお茶です。
茶殻などのゴミを出さず、
軽量でお湯にサッと溶けお茶を楽しむことができます。
とありました。

若田さんのミッションとは
氷結晶成長実験
地上約400キロメートル上空の宇宙ステーションにある
日本実験棟「きぼう」で
これから3か月半をすごされるのなか
お茶と羊羹でほっと一服されるのですね
でもお湯のみではなくお湯を注入した容器なのが気の毒です~
(画像・宇宙食説明文は宇宙航空研究開発機構提供)

次回はおせんべいと番茶も外せないでしょう!
そして練りきりと抹茶~!
おみそ汁がないのはどうしてかなあ

「茶碗の中には宇宙があります」で始まる私の講座
今度から
「宇宙の中に緑茶があります」バージョンも開発しないと~。

蕗の薹(ふきのとう)

2009年02月18日 | Weblog
「春の皿には苦味を盛れ」と言います。
蕗の薹の苦味は、
ケンフェノールやアルカロイドという成分によるもので、
肝機能を強化し疲労を解消したり、
新陳代謝を促進して細胞を活性化させる働きがあるそうです。
冬眠から目覚めた熊は、
春一番に顔を出す蕗の薹を見つけては真っ先にこれを食すとか。
いや~、すっきりてな感じ?

このかわいい蕗の薹は、
お茶のお稽古の時に、
お庭にでてたのよと摘んできて下さったものです。
土の匂いとともに春の息吹が届きました。
彼女はサンドイッチも作ってきてくれました。
先週のお稽古の時、
ちょっと時間帯がかわったもので、
我が家の子供の食事の用意が間にあわず、
おなかペコペコで静かにお稽古が終るのを待っていた彼が
とてもかわいそうだったと言うのです。

家でのお稽古は、
生活のにおいがいっぱい。
お水屋もないのでキッチンを使っていただいていますが、
時に今日はキッチン立入禁止デーと宣言して、
私がお道具を清めに走ることもありです。

露地を渡り、蹲を使い、
世間の塵を払い、
整えられた方丈にて茶を点てる。
その時のその精神性こそが茶道の醍醐味であります。
でも
そうしたお約束の装置がなくては
茶の心に至れないのであれば、
そうした装置を作ってしまったこと自体、
失敗だったことになってしまいます。

そこがきちんとした茶室ならそれなりに、
足りないならばそれに副ったように、
服良き茶を点てられるのが本望かと思いますが、
それはとても難しいことです。
どうしても別世界という装置がほしくなる。

でも逗子のお稽古は茶の心の達人に恵まれ、
こんな生活臭の中で、
楽しく美味しく優しくお稽古の時間が流れています。

お稽古の在り方については本当に葛藤の連続です。
アルカロイドですっきりして今年も大いに悩みます!
茶の実は刻めないけれど蕗の薹は刻めるのはこれいかに~。

保富良(ぼうふら)

2009年02月17日 | Weblog
今日は、
「保富良で一煎さしあげます」
というお稽古をしました。
保富良というのは
お急須サイズの湯沸かしです。
煎茶のお手前で使うもので、
素焼き(白)のものが好まれていますが、
扱い(きれいに使い続ける)が難しく、
焼き締めのものや
最近では釉をぬったものなども使われています。

「ぼうふら」という言葉は、
カボチャという意味のポルトガル語「abobora」からきているそうです。
中国では明のころから使われていたこの型の湯鑵(ゆかん)を、
オランダ商人がカボチャの形の湯沸かしということで
aboboraと呼び、
それが日本人にはボーフラと聞こえたのでしょうか?
漢字はあとから音に合わせてつけたもので、
保夫良とか保富良とかになったとの説が一般的です。

茶道では
お湯は金属の釜で沸かしますが、
これは炉の中に木火土金水があるという点で
重要な意味があります。

煎茶道では
金気がある湯ではお茶が美味しくないという理由で
鉄の釜は使わず、
お湯が一番まろやかに沸く道具として土物を使います。
白磁のものもありますが、
素焼のぼうふらを利用すると
うむ、確かにお湯が一層まろやかです。

茶道はお茶のお味よりも陰陽五行?
いやいや
お抹茶はカフェインが強いですから、
過度のカフェイン摂取は貧血を招くため、
鉄分のあるお湯を使って貧血を防ぐ!
なんて効用もあるかも?
なんてことは「利休さんも目からウロコ」かな。

ちなみに
蚊の幼虫もぼうふらですが、
彼の場合は
棒を振る動きに似た泳ぎ方をするので
ぼうふらとよばれるようになったそうです

高麗美術館

2009年02月16日 | Weblog
京都市街の北の方に
高麗美術館はあります
閑静な住宅街に
「石の文化」を感じさせる建物
あ、韓国で見た博物館!と感じました

高麗というのは
朝鮮半島の新羅・百済・高句麗が統一され
統一新羅の時代を経て
918年に建国された王朝です
では、そのころの美術品が展示されているのかと思うと
そういうことではありません

1700点に及ぶコレクションの年代は様々
共通項はすべて日本で収集されたものという点です
創設者の鄭さんが
日本に散らばる祖国を探し訪ねるうちに
出会った考古美術品の数々は
朝鮮半島の古代から近代にいたるまでの歴史を
雄弁に物語るものでした

高い技術や洗練された美のセンスが堪能できる
朝鮮民族の青銅器や金銅製品、陶磁器や彫刻、絵画などの展示や
古代の朝鮮半島と日本の歴史の研究に関する多くの書からは
茶道具の原型についても多くのメッセージをいただくことができました

また
上賀茂神社や下鴨神社、広隆寺や八坂さんなど数々の京都の史跡が
古代朝鮮文化ゆかりのものであることも発見
たとえば清水寺の開山にかかわる坂上田村麻呂は百済の人であったとか
興味深い史跡めぐりマップもありました

で、なぜ高麗美術館かといえば
北朝鮮と韓国に家族が住まう鄭さんは
望郷の念がどんなに強くても帰る祖国がない
朝鮮半島が統一され栄えていた高麗を想い
38度線が消える日を願っての命名ということでした

韓国の美術館!ではなくて
朝鮮の美術館!だったのです


高台寺

2009年02月15日 | Weblog
春うらら 鳩も小石を 蹴っている

ってなぽかぽか日和に恵まれ
高台寺さんの夜咄(よばなし)のお茶会を楽しんできました
高台寺といえば秀吉の奥様ねねさんの菩提寺です
陽が落ち人もまばらになって
夜の山の風が静けさを際立たせます

三つ四つ立てられた燭では
お道具組もお点前さんの手の動きも
はっきりとは映りません
水屋からお薄が運び出される段になって
足袋の畳擦れの音が近づき
なんとも想像力をかきたてました

明かりがつけられると
点前座にどーんと座っていた大きな水指が
よく見えました
草花が描かれた仁清写しの大きな水指は
両腕が回らない様な大きさの手あぶりに水が湛えられ
そのサイズに作ったという山道盆が蓋となって
敷き板の上に中置きにされていたのでした
(写真はどんどんどうぞとのことでしたので)

掛け軸は『美意延年』
美しいことを美しいと感じる心
美しいことを求める心で
長生き~だそうです

出張で飛んできた京都
忙しかったけど潜り込ませていただけていかったです
ライトアップされた竹林の美しさは
グループから脱走して迷い込んでいきたかった
ほんとに「Be 延年」な夜でした

ねねさんは明るく闊達な人で
誰からも愛される女性だったそうな
そのねねさんが亡くなるとき
秀吉のそばで秀吉を見つめるように埋葬して欲しいと遺言したそうです
自分だけはずっと貴方を見ています
ずっと貴方の味方です
そんな思いを抱かれていたのでしょうか

秀吉という人はどういう人だったのかな


結界

2009年02月14日 | Weblog
春一番がどんな流木を届けてくれたか
楽しみに逗子海岸に行きました。
といっても、
すっかり寝坊をして、
さらにフキノトウ探しなどしてたので、
出遅れました。
流木マニアさんがすっかりさらっていかれたのでしょう、
海岸で待っていてくれたのは海草のみ。

姿のいい流木があっても、
軽いものは中が虫にやられていて使えません。
蹴飛ばしてみたり、
ホンダワラの中から引きづり出してみたり、
いろいろ発掘作業をしましたが、
釣果なし。
朝寝坊がいたい。

いい感じの流木があった時は、
きれいに洗ってよく乾かして
サンドペーパーで削ったりして、
結界に利用するのです。

結界というのは、
煎茶のお茶席で
点前座とお客様の座を仕切るために置くものです。
衝立を使ったり、
花を流したり
流木をおいたりします。

結界というと、
こちらとあちらという二つの世界を仕切るもののようですが、
文字通り、こちらとあちらの世界を結ぶものでもあります。
一方で主客の違いを際立て、
一方でそれらを結ぶ。
部屋に置かれた一本の流木が、
空間に意味を立ち上げ、
席中の人の役割をしめすのです。

結界はもともと仏教用語。
聖と俗、浄と不浄、修行の内と外を区切ります。

お茶を淹れるのは修行。
お客様と同席させていただいてますが、
茶の葉の加減に、湯の加減に意識を集中している
そんな半人前の者です。
どうぞお許しください。
そんな控えた気持ちが
「こちら」にいるものにはあるのです。