茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

マイ茶杓

2008年09月30日 | Weblog
ちょっと前ですが、
みんなで茶杓削り大会をいたしました。
木を削るということからして、
ほとんど経験のない日常、
小刀を買いに行くのもなんとなくウキウキ。
中には、日本橋木屋さんで「怪しい人?」な目で見られたとかいう方もあり。

竹藪に踏み入り竹を切って・・・
からやっていると、マイ茶杓が出来上がるのはいつ?になるので、
それは今後のお楽しみ。
まずは、
あと幅を整えて櫂先を整えればよいというところまでできている
キットを利用。
それでもはじめは大変なんです。
なんせ、相手は竹。
竹を割ったような性格という時に使われる竹!
ちょっとした、「あっ」で、
すい~と思わぬ結末になってしまうわけです。

簡単な説明をして、
とにかく削ってみるのが一番!と
各自思い思いに竹に向かい合いました。
性格が出るんです。
見ていると楽しい。
ええっというほどにザクザク行く人、
いつまでも細くならない人、
ふんふんなるほど。

出来上がったマイ茶杓も姿は様々。
それぞれに、「銘」をつけて次のお稽古の時に披露しました。

マイ茶杓を作ると、
今までただお茶を掬う道具であった茶杓の見方が
変わってくるのです。
おお!この腰はすごい!とか、
なんてうつくしい櫂先の丸み!とか、
何とも手になじみますね~、とかが
心から自然に賛美の言葉として出てくるわけです。

そうでないと、
「お茶杓拝見」なんていっても、
「お作は?」「ご銘?」とファーストフード店のような質問ばかりで、
それ以上の言葉なんてとても出てくるわけがありません。
自分が苦労して削った経験があるからこそ、
畳に這いつくばって「蟻腰」にため息をついたりしちゃうわけです。

雨の音を聴きながら、
手慰みにちょっと茶杓削っちゃったりする、
そんな秋の長雨もよいかもです。






お茶卓

2008年09月29日 | Weblog
先日、とってもおいしいお食事をしました。
お魚もふんわり焼けていて、
卵もお出汁がきいていて、
煮物もお野菜の味がたまらなく甘く炊けていて、
ご飯も一粒一粒つやつやしていて。
おー、技あり、
おなかペコペコで急いで作るいつものお料理とは
味の重ね方が違う!
と、思えると、外でのお食事も満足ですよね。

ところが、なのです。
お茶が、お茶卓に乗ってこなくて。
あたりを見回しても、
ここだけ忘れられているようではありません。
ハタと考えました。
あれ?レストランって、最近、お茶卓使わなかったかしら?
お寿司屋さんみたいなお湯飲み茶わんの時は、ないかもです。
ファミレスとかもないかもです。
でも、やはりそれらはお湯飲み茶わん。

このお茶碗には、なんと、高山寺の銘が。
そして、高山寺で有名な鳥獣人物戯画もあしらわれています。
高山寺といえば、日本最古の茶園があるお寺さん。
(8月19日のブログの答えでーす)
栄西禅師より茶の種を譲り受けた明恵上人が、
そこで茶を育て、
それが宇治に拡がっていったわけです。
お茶に大変ゆかりのあるお煎茶碗です。

こんな立派なお茶碗に、
あんな立派な日本料理屋さんが、
どうしてお茶卓をやめてしまったのでしょう。
一手間省くためだとしたら、
ちょっと哀しい。

猿島茶

2008年09月28日 | Weblog
茨城が呼んでいる・・・

ちょっと前にお土産にいただいたお茶が、
「猿島茶」でした。
茨城のお茶です。

今、「篤姫」を見ていて、
日本の扉がガガガっと開かれているこの時、
そういえば、
海を渡って行ったお茶があったなあと、
調べてみました。

今日の「篤姫」の舞台は薩英戦争勃発の1863年。
その10年前、浦賀に黒船がやってきた1853年に、
開国を迫るペリー提督との折衝の場にいたのが中山元成。
彼は、猿島郡辺田村(現・坂東市辺田)生まれの人でした。

天保の飢饉に苦しむ猿島の住民を救うため、
当初、江戸の市場ではあまり競争力のなかった猿島茶の
品質改良に取り組み、大成功をおさめた人です。
宇治から茶師を呼び寄せ、製法改善に尽力し、
ついには、猿島茶は「江戸の花」という名前で、
安定した人気を得るまでになったそうです。

利根川の水運を利用して、
おいしくなった猿島茶がどんどん江戸に出てきていました。
時代が世界に向かって開かれていく時、
中山元成は、次は、アメリカだ!と燃えたのでしょう。

1854年に日米和親条約が結ばれると、
彼はさっそく猿島茶のPRを開始。
下田の玉泉寺にハリスを訪ね、
猿島茶を紹介しています。
こうしてお茶の売り込みを行う中、
ついに1858年、日米修好通商条約が締結。
アメリカやヨーロッパの国々に横浜が開港されました。

1859年には、アメリカのポール商会に猿島茶の売り込み交渉を行い、
見事成功。
猿島茶は世界市場を手に入れました。
猿島茶は海外でも非常に好評で、
その後、生糸と並んで外貨の獲得に大きな役割を果たしたそうです。

今、鹿児島は荒茶生産量第2位のお茶の国です。
茨城は?
生産量はあまり多くないですが、さて、どんな香り?
では、これから猿島茶、いただきま~す。









身に付く

2008年09月27日 | Weblog
今日は羽根木公園にあるお茶室をお借りしてのお稽古日。
お茶初めて~というメンバーが集まり月2回のお稽古。
まだ1年もたっていないのに、
お水屋の準備をばっちりして、
お軸を飾り、
花を活け、
お炭点前も何とか行い、
お薄を点てて、
お道具を拝見に出すというところまで、
すごーい!
出来たではありませんか。

「手順を覚える」というところから、
「身に付く」という段階への移行がする~りと来ています。
いろいろなお客様を呼んで茶事をしよーという日も、
そう遠くはないようです。
正座をすることも、
手をついてお辞儀をすることも、
お茶碗を丁寧に扱うことも、
最初はなんだかしっくり来なかったり、
ちょっと恥ずかしい感じがするのに、
半年もしないうちに、
そうしたことが、
もう、ずっと昔からやっていたかのように、
馴染んでくる様子を見ていて、
遺伝子の記憶というのでしょうか、
なんか昭和に入ってからちょっとさぼってたけど、
実はずっとこんな感じで生活してたよね、
というような遠い遠~い日に続く不思議な安心感、
のようなものが感じられるのです。

お稽古が終ると、
緑ヶ丘駅前の美登利寿司へ。
旦那さま方が合流して楽しい宴へ。

いつの間にか、
旦那さま方も一緒に茶杓削りをしたり、
旅行に行ったり、
次の茶摘みはみんなでGO!みたいなことにもなっています。

「淡交」というのは、
裏千家の機関誌の名前ですが、
荘子の「君子之交淡若水」に由来しています。
意味は、立派な人同士の交わりは、
水のように淡々として、清い関係である。
私心のない交わりは壊れることがない、
というようなこと。

印象としては、このメンバーの関係は、全然淡くない、
濃い~関係ですが、
清く、壊れることがない、という交わりでずっと続きたいですね。
「お茶が好き」というところで、
みんなの和のスイッチが作動している感じです。 

利休の瞳

2008年09月26日 | Weblog
熊倉功夫氏のご講演「利休の茶の湯」を聞いてきました。
大阪の正木美術館、開館四十周年記念イベントです。
東京美術倶楽部で行われました。
日本社会に価値の大転換を図った二人のつわもの、
アーティスト利休とパトロン秀吉の心の葛藤に想いを馳せる2時間。
長谷川等伯筆の千利休図を前に、
400年昔にタイムワープです。
62歳のこの利休さんの瞳は、
400年も時が経って、
手製の茶杓がガラスの中に飾られて、
書簡をいろいろに読み解かれ、
心の内をいろいろに推測されている今日のこのひとときを、
どんなふうに観ているのでしょう。

ほー、千家は3通りに分かれたんだあ。
宗旦、なかなかよのお。
しかし、どうして、世の人は、
「茶道は堅苦しいもの」と思っているのじゃ。
堅苦しかった茶の設えを草にしたっていうのに。
なぜ、茶会が品のない祭りのように騒々しいのじゃ。
なぜ、庭の井戸から清き水が汲めないのじゃ。
なぜ、畳や箒まで、唐物になったのじゃ。
和物でいくばいと頑張ってきたのに。
ええっ、茶筅や茶杓まで唐物?
しかも、茶を知らぬ人々が工場で作っているとな。
何故、茶人は自分で作らぬのじゃ。
野菜かごを炭斗に、
魚の魚籠を花入れに、
見立ての心とはそういうことぞ。
なに?竹林が消えそう?
茶農家の後継者がいない?
いったい、今はどういう時代なのじゃ。
講義を聞いておしまいか?

なんて声が聴こえてきたような・・・。
この利休さんの顔、
爆笑問題の太田に似てるなあなんて思っていた私に
降りてこないかあ。

インタラクティブ

2008年09月25日 | Weblog
ブログを始めて、今日で50日です。
昨日は初めてコメントがつきました。
プリンス、ありがとう。
プリンスというのは、その名のとおり、和服も白衣も美しいお兄様、
いえ、私よりずっとお若いのですが、
いつかファイバースコープのような茶杓を削ってくれて、
繊細で美しい・・・
でも、お茶掬えないんですよね~(笑)

ずっとコメント拒否という設定でしたが、
かなざわゆうさんより、
「コメントって大事で、おもしろい・共感した!って思った気持ちを
書くことで共有できる場所だと思うんです。
だから、書けないとどうも一方通行でつまんないっていうか・・。」
というメールをいただき、双方向にしてみました。
そしたら、そこへするっとプリンス登場。さすがだし。

ゆうさんの
『東京の日本茶カフェ』は東京在住の方、必携の書です。
「本当に美味しい日本茶が楽しめる33店」が紹介されています。
いつの間にこんなにたくさん・・・。
私は、築地の「茶の実倶楽部」の熱さが好きです。
一番多く通っているかな。

東京地図出版発行、
1400円です。
つい最近出版されました。
ほかほかです。

急須のない家が増えている一方で、
日本茶カフェが増えている、おもしろいですね。
日本茶カフェが増えたことで、
急須を買って帰る人が増えたら、また素敵。

今、ふと、
「おーいお茶」って、
なかなかいい言葉だなあと
あらためて思いました。


きもの

2008年09月24日 | Weblog
茶道部のお稽古が着物教室化してきました。
きれいに着たい、かっこよく振る舞いたいという気持ちが、
どんどん育ってきているようです。
すっと立ちたいのに、前のめりになる。
踵を開かないと立ち上がれない。
お辞儀の手がなんかきまらない。
「くそっー」と畳を叩いて、頑張っています。

それでも、まだ数回の浴衣でのお稽古ですが、
初めの頃、床の間に体育座りをしていた子たちが、
すり足で静かに畳を歩き、
筋肉を震わせながらまっすぐに立ちあがろうと粘り、
お辞儀もゆっくりと顔をあげるようになり、
なにも「指導」したわけではないのに、
美しいということを求める心が、
自ずと彼女たちを変えてきています。
この年代の女の子というのは、
こうした変身ぶり、成長ぶりがとってもまぶしいです。

茶道は、別に着物でなくてよい、と私は考えていました。
「不易流行」ということを想う時、
着衣は、その時代の型のものでよいのではないか、
肝心なのは、
清潔な身支度、お茶に添った仕様を考えることであろうと思っていました。
でも、きものという衣服は、
なかなかなものであると、
着れば着るほど、
そうして、彼女たちの変身ぶりを見るほどに、
感心せざるを得ません。

背筋が伸びると気持ちいい、
歩くこと、座ること、振り向くこと、お辞儀をすること、
すべてが超気持ちいい!
平成生まれの彼女たちにこう言わせるものは一体何なのでしょう。
きものという型が、
時を超えて何かささやいているようです。

画像は、校庭にあった白い彼岸花。
先生に、ですって。
うれぴ~~~。

ほいろ

2008年09月23日 | Weblog
今日もすすり茶のご紹介をしていました。
すると、テーブルの女性の方が、
「昔はよく実家でお茶を作ったわ」と話して下さいました。
それが、茨城だというのです。
い、茨城!
水戸から北へ車で1時間位のあたりとか。
久慈茶ですね!
「え?久慈茶っていうのがあるの?」
地元の方のほうが案外ご存じないのですね。
特に茶畑というわけではなく、垣根や、道路の境界や、
とにかく町のあちこちにお茶があって、
新茶の頃にはみんなで摘んでお茶を作ったのだそうです。
お話によるとどうもホイロを使っていらしたよう。
でも、いつの頃からそんな年中行事もなくなり、
お茶のことも忘れていた、
ホイロはたぶんもう無いでしょうと。

ホイロ欲しいです。
ダイニングテーブルどかしてちゃぶ台にしても、
ホイロにスペース譲るのに。

茨城のホイロ達はどこへ行ってしまったのでしょう。

家に帰ると、新米が届いていました。
毎年、友人のお母様が送ってくださるのです。
そういえば、下館・・・い、茨城!
お礼の電話をして、お茶のことを聞いてみると、
「うちの垣根はお茶だよ~、もう茶摘みはしないけどね~、
だって、買った方が簡単だよ~」
ホ、ホイロは・・・?
「今度探してみとくよ~」って、
どんだけ広い生活スペースなのでしょう。
「しかし、この間来た時は、竹伐り倒して担いで帰るし・・・、
ほんとおもしろいもん好きだね~」
と言われてしまいましたが、
インストラクターの人は、彼女も彼女も彼女も…思い浮かぶ限りみんな
ホイロが欲しいに違いない。
お茶って不思議。

2008年09月22日 | Weblog
武田双雲さんの門下生による書道展にくっついて、
お客様にお呈茶をしてきました。
主催者も予想外!という大入り満員。
何人の方に足柄のすすり茶のご紹介をしたか・・・

どあーと疲れた体を引きづって、
せっかくだから書道展を見て帰ろうと立ち寄りました。
最初のコーナーで、
なるほど、これが武田双雲なのか!と、納得しました。
展示されている書は、お弟子さんたちのものです。
プロでもなんでもない人たちの書の展示。
そのあちこちから、ういんういんとエネルギーが出ているのです。

そして、見ているうちにじわーと熱くなってきました。
筆を持ち、真っ白な紙に向かい合っている人の
自分を見つめる熱い吐息がすぐそこに感じられるのです。
和紙が鏡のようにその人を映しているのです。
みんな伝えたいことがあるんだ。
思いを伝えたいから言葉があるんだ。
言葉を伝えたいから文字があるんだ。
書道展というイメージが変わりました。

我が家の床(とこ)を思いました。
私はお軸が大好きです。
でも、立派なお軸などはありません。
イクスペンシブなのです。
それで、色紙をかけるお軸を利用しています。
禅語も利休百首も聖書の聖句もあいだみつおの言葉も、
いろいろな言葉を行書体で打ち出して色紙に張っているのです。

でも、今日はちょっとノックアウトでした。
自分の怠慢を突かれてしまった。
お茶の道を究めるというのは、ほんとーに大変で、
書も作陶もお花もお香もきものもお菓子も歴史も宗教も外交も建築も・・・
茶室に隠れている扉はいくらでも増えていくばかり。

墨をすって
白い紙に向かい合ってみるべし!
いつ・か・な・あ・・・・。
あああああ。

2008年09月21日 | Weblog
お墓参りに行ってきました。
家から駅へ向かう道も、
一緒に歩いてくれない息子。
とっとこ先のほうに行っちゃって。

すると、
指がつんつんと上をさしています。
何してるのかなあと、不思議な彼の背中を見ていると、
ちろっと振り向いて、「見ろよ」と怒っている。
見上げると、
柿が色づいていました。
「ったく、気が付かねえんだから」と言いたげな顔。
そういえば、
小さい時から、よく、花を摘んでくる子でした。
タンポポだったり、桜の花びらだったり、色づいた葉っぱだったり。
時には自分の顔よりも大きなアジサイだったり。
うちにはお庭がないので、
花を育てるというお茶人必修科目が凹っと抜けている私。
その分、子どもの手を引いて、よく花を探して野山を歩いたものです。

茶席の花というのは、
野の花を連れてきて、
野にあるように活けるわけです。
もちろん、花屋さんで季節の花を買うことはできます。
でも、なんか違う気がします。
お稽古の前に、お金でお花を買ってきて、
そして花入れに活ける練習をして・・・
茶の花というのは、
活ける術ではなくて、
連れてくる心を培うものなのではないでしょうか。
丹念に育てたり、
人知れず咲いている花に目をやったり。

少し前から、家でのお稽古で花を買うのをやめてしまっていた私。
そんな葛藤があったのかもしれません。
でも、お花屋さんの店先を飾る秋の花たちに心惹かれて、
秋明菊や吾亦紅を連れて帰り、
部屋に飾って愛でるのも、
それもやっぱり素敵です。

アスファルトの道を歩き、
いろいろ考える秋です。
人里とか里山という言葉を思いつつ。

縄文の茶

2008年09月20日 | Weblog
友人から「雨引の里と彫刻2008」という案内が届きました。
なんて美しい地名・・・。
地図を見ると、水戸ICから車で一時間ほど内陸に向かったところ、
JR水戸線の大和駅から近いあたりになります。

パンフレットを見ていてびっくり。
以下の文章にもう、ときめいてトキメイテ。
「縄文海進の時代には、人々は山麓の汀線に沿って生活し、
海の恵みと山の幸の恩恵に授かった。
その後、シイやカシの林に覆われたこの地では、
野生のイモ類を食し、
茶葉を加工して飲料とする生活を始める。
照葉樹林帯文化と言われるものだ。
後に稲作が伝わり農耕文化はあっという間に伝播し、
つい先ごろまでその文化は続いた。」

「縄文時代に茶葉を加工し飲用する生活があった」と、
文化庁やら教育委員会やらが主催するイベントのパンフにあったのです!
うれしかったです。
なぜうれしいのかを説明できるまで、
頭の中が整理されていないのですが、
雲南を起源とするお茶がいつ日本に来たのか、
たまらなく興味があるのです。
どーしてだろうと不思議なくらい、気になって気になって眠れないほど。

他所でも、縄文・弥生の遺跡からお茶の種に似たものが見つかってはいるのですが、
確実ではない、と言われています。
いつか、お茶の博物館に
「卑弥呼がお茶を飲んでいたのではないかという仮説を立てたとすると、
 それを裏付けることはできますでしょうか」
と、今、冷静に考えれば、ちょっと変な人?みたいな質問をしたことがあって、
「考古学というのは資料がなければ何も語れません」と教えていただきました。

ああ。雨引の里、行かねばなるまい。
ああ、どこでもドアーが欲しいです。
ちなみに、茨城はイバラギではなくてイバラキだそうです。

子規忌

2008年09月19日 | Weblog
今日は子規忌です。
子規の俳句にお茶を詠んだものがあるかなと探してみたら、
ぞろぞろありました。

気の軽き拍子也けり茶摘歌
茶つみ歌東寺の塔は霞みけり
顔見ねば恋にぞ似たる茶摘歌
うら若き声のみ多き茶摘哉
我庭に歌なき妹の茶摘哉
木隠れて手拭赤き茶摘哉
人も見ず山の凹みの茶摘歌
旅人や茶摘を尋ね山の裾
茶畑やところところに梅の花
木の上に見ゆや茶摘の顔許り
寝ぬ恋の眠たき節や茶摘歌
摘みためし手のひらの茶のこほれけり
茶を摘むや桃散る畑の別霜
夜芝居や昼の茶摘の労れ顔

だあーと読んでいるうちに、閃いてしまいました。
大学生を茶摘みに誘おう。
「茶摘みをしてみませんか:という言葉にフト目が止まったのは誰だい?
 同じ感性の人との出会いが茶畑で待ってます」
いいコピーだなあ。
以前、お茶の講座で、お茶食べたの初めて~な女子大生が、
「今日はすごく感激して、もう、頭の中、
茶摘み娘衣装で茶摘みをしている自分でいっぱいです!」
と言っていたのを思い出しました。

知り合いの茶農家の娘さんは、
毎年ゴールデンウイークが茶摘みでつぶれるのはもうごめんと
東京に出てきてしまいました。
たしかにそうですよね。
でも、任せて。
日本の大学生が、日本の茶を守るよ!
動機はなんであれ、
ちゃんとレクチャー付きのツアーを組んで、
まっとうな茶摘み隊に育て上げるわ!

などなどと願い並べて獺祭忌

画像は昔の大学生たちです。あしからず。

行台子

2008年09月18日 | Weblog
今日は行台子(ぎょうだいす)のお稽古でした。
天板と地板の間に風炉、水指、杓立て、建水を配置します。
台子には、
桧の真塗の板を使う真台子、
木地の板に竹柱を使う行台子があります。
裏千家では上級以上のお点前です。

このような形式で茶の湯が行われていたのは室町時代です。
なぜ、室町時代のお点前のお稽古をするのかといえば、
それは茶の湯の歴史を学ぶためでしょう。
「稽古」という言葉自体、
古(いにしえ)のことをかんがみる、という意味があります。

室町の東山文化に見る書院造りでは、
唐物と呼ばれる中国からの道具を賞玩する傾向がありました。
当時の日本にはなかった美しい焼き物や釜が、
危険な危険な航海を経て渡ってくるわけですから、
唐物はそりゃー大切だったと思います。
ですから、それらを真塗の台子に飾ったりして、
うやうやしく、
時に、もしかしたらかなり道具自慢的に、喫茶がなされていたのです。

そこから、徐々に、
日本で作ることができる道具(和物)での喫茶に移っていくわけですが、
同時に、天板がなくなり、地板だけになり(長板)、
長板がもっと小さくなって、釜だけが乗るようになる(敷き板)というように、
どんどん簡素化されてもいきました。

画像の台子には唐物と和物が両方使われています。
こうした、「和漢のさかいをまぎらかす(調和させる)」こと、
「不足の美を楽しむ心」を唱えたのが村田珠光でした。
侘び茶は、この珠光を祖とし、竹野紹鴎を経て、
利休さんによって完成されたわけです。
道具がなければ茶ができない、
そう思っている人が多いようですが、
それは利休さんの茶の湯ではありません。

「月も雲間のなきは嫌にて候」とは、珠光さんの言葉。

せっかくの月見る月なのに、雨ばっか~なんて嘆いてる私、
あ~、茶の道は、まだまだじゃ。

和敬清寂

2008年09月17日 | Weblog
高校の茶道部のお稽古の日です。
もうすぐ文化祭で、皆、熱が入っています。
茶室に入ってくると、
「やべー、何これ、コスモスジャン、超秋だし~」
「あ~、和ですね~、先生~、なんだっけ、あれ、ワケーでしたよね~」

テンションが高くて、いろいろなことに気がついて、
そして、とっても表現豊かなみんな。
この時間が大好きです。

「文化祭に来た人に、茶の心とは!とか聞かれたらなんて言えばいいんだ?」
「そりゃワケーだよ。何だっけ、その次」
「和系?」
「和形だろ」
「わ、和敬清寂ね」と先生(私)。
「あ、知ってる、最初の頃に聞いたやつだ。
 やな奴がいても、てめーこのやろーってしかとしないで、
 この人はどうしてそう言ったのかを考えるんだよね」
「あたし、それいいと思った!覚えてる」
「そーいうふうにしたら、みんな和ジャン」
「でも、そーうまくいかないんだよね、これが」
「でも、あたいらは、いい感じだよね」
「でも、ちっとも静寂じゃねえよな」
「おめーがうるせえんだよ」

うん、確かに、うるせえんですが、
彼女たちの、お茶を点てている時の一所懸命ったら、
時が止まったように、いつしか私の心も引き込まれています。

手順を間違えないかなとか、
上手に点てられるかなとかは一切考えないで、
目の前の人においしいお茶を点ててあげるぞ!という思いで、
お茶に向かい合ってね。
そしたら、誰だってうれしくなるから。
手順なんて、間違えたってどーてこたないのよー。
なんて指導している先生、超やべーかも?

品種

2008年09月16日 | Weblog
品種のお茶を8種も楽しんでしまいました。
「品種」というのは、
お米でいうところの「こしひかり」とか「あきたこまち」です。
有名な「やぶきた」は、
日本の茶園の7割強で栽培されているほど流通していますが、
他にも、個性のある美味しいお茶があるのです。

「やぶきた」が多く栽培されるようになったのは、
おいしくてよい品種であることが理由なのはもちろんですが、
お茶の輸出振興期に海外で人気があったため、
地域特有の山茶を「やぶきた」に転換する農家が多く出たことにもよります。

でも、日本中の茶園が「やぶきた」ばかりだと、
一斉に茶摘みをしなくてはならんくて大変なのです。
そこで、早晩性をとりいれて、
茶摘みの期間に一ヶ月くらい幅ができれば、
新茶の時期が長く楽しめるというわけです。

色も香もとても特徴のあるお茶、
ブレンドしてマイティーを作るのも楽しみです。
1.やまかい
 渋いけど、濃いけど、おいしい。澄んだ緑がきれい。
2.おおいわせ
 甘味がある。マイルド。
3.おくみどり
 濃緑色で、さわやかですっきり。でも、奥深いうま味が感じられる。
4.さえみどり
 明るいさえた緑色。渋みが少ない。かるい。
5.つゆひかり
 明るい緑色、遠くでフルーツのような爽やかな香り。かるい。
6.あさつゆ
 草の香りがする。少し青みがかった緑色、甘み強く渋みが少ない。
7.山の息吹
 いい香り、渋みが少ないのに濃厚な旨みがある。
8.香駿
 清涼感がある。かるい。

みなさんの感想では、おくみどりが人気がありました。

今回は、豊好園、片平さんのお茶でした。
まだまだいろいろありまーす。

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