茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

2011年05月04日 | Weblog
千日前の空を
なぜかはっきりと覚えています。
朝、ゴミを出しに
広い駐車場を横切って歩いていた時、
目に飛び込んできた青に吸い込まれ、
しばらく空を見上げていました。

デジカメを取りに行って撮った
第1日目の画像の空は
刻一刻と表情を変えていました。
そしてその日、
不思議なくらいにふと
このブログを始めて、
そして今日が1000日目だよと
goo が教えてくれました。

当初は、千夜で終える予定でした。
書きたいことはたくさんあるものの、
毎夜700字程度の文章を挙げるのは
なかなかに大変な日もあるからです。
それでも、ほぼ続けてきたのは、
たとえば1000年たった時に、
21世紀を迎える頃に
お茶で一日一日を楽しく過ごしている
こんな人もいたんだなと
そんな史料になったらいいななんて
思っていたからのような気もします。

今、私達は様々な文献を辿ってお茶の歴史を探っています。
温度のない史料から
いろいろにお茶と人の来し方を想像しているわけですから、
せめて後の時代の人には、
とにかく生の言葉を記して置こうと
そう思ってきたかもしれません。

いったい何故、
とっても普通の生活の中で
戦国時代の茶の湯を追いかけているのか、
そして何を思い茶を点てるのか、
何を憂い、引き継ごうとするのか、
何を願い、伝えようとするのか。

そして。
そして今、私はどうしてしまったのか。
桜も遅かったけれど
咲く時に咲きました。
お茶も遅れているけれど
まもなく摘む時を迎えます。
私の中の時計は
震災後
幾度となく過去への旅に
私を引き戻してしまいました。
そしてその混沌は、
私がなぜこうまでお茶に惹かれたのか
思い起こさせてくれたようです。

少しずつ記していこうと思います。
1000年後の誰かに向けて。