茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

埋火(うずみび)

2008年12月31日 | Weblog
除夜の鐘が聞こえ始めると
釜を上げ
釜に水を足し
炉中の灰を整え
火をまとめて
周りに丸毬打(まるぎっちょ)をぐるりと立て並べ
これらを湿し灰ですっぽりと覆い
釜を懸け
助炭(じょたん)で覆うということをします
これが
炉の火種を新年に持ち越すための
埋火です

百八つの鐘の音を聞きながら
炭をつぐ風情は
趣のあるものですね
(残念ながら私は未体験
 初詣で火を置いておけません)
家の中に火があるというのは
炉に限らず
暖炉でも囲炉裏でも火鉢でも
ありがたいことです
必ず誰かが家にいる
火の存在はそんなイメージがあります

埋火をする意味は
ただ火を受け継がせるということではなく
家が途絶えることなく
子孫が繁栄して
永久に続くように
という願いを込めてのことで
床に置く水仙と同じ意味があるのだそうです

水仙は香りが強く
お茶席に使ってよいのかよく聞かれますが
花が絶えぬように蕾が出て
次から次へと咲き継いでゆく性が
年の暮から春への橋渡しになるということで
松の内の茶の湯の花として
好んで使われています

水仙を床に置き
百八の音を追いながら
このwindowの前にいらっしゃる皆様に
心から御礼申し上げます
ブログを立ち上げて
今日は147日目
訪問して下さる人数がどんどん増え
お目にかかったことのない方のことを思うと
なんだかとてもくすぐったい感じです
本当にありがとうございます

このブログも友人に勧められて始めました

HPも作ってくださるというお申し出もあり
少しずつ Tea-Literacy のページが出来上がっています
皆様たくさんたくさんありがとうございます!
まもなく
うっしうっしの2009年
お茶の和がどんどん広がりますように!
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます




茶の世界史

2008年12月30日 | Weblog
『茶の世界史』という本があります
著者の松崎芳郎氏は故人となられましたが
ご自身のメモをもとに
茶業組合中央会議所の蔵書を整理しつつ
お茶に関する記述を書き抜いては
年代順にまとめられ
1985年に発刊されています

去年ハードカバーで新装版が出されました
紀元前2780年の『食経』という書に
「茶茗久しく服すれば、人をして力あらしめ
 志を悦ばしむ」という記述がある、から
始まっています
この『食経』の著者が
神農帝と伝えられているのです

その次には
「このころ中国において茶樹が発見されていた」
という記述が
『茶作学』にあると記されてあります
紀元前2737年の書です

ちょうどひと月前
11月30日の新聞に
中国で最古の茶畑発見のニュースが載りました
推定5500年から6000年前の茶畑で
場所は
中国浙江省の初期稲作集落跡・田螺山遺跡
数メートルおきに
植樹してあるといいますから
単なる茶樹ではなく
明らかに茶畑ですね!

松崎先生が御存命であられたら
どんなに胸ときめかれたことでしょう
お正月休みは
先生のこの夢の綴りをひもとき
良い夢を見たいと思います

それにしても
11月30日に発表だなんて
まさに私が杭州にいたころ
すぐそこの遺跡で
そななときめく発見がなされていたということですね
うーん、くやしい~
発見されたのは
金沢大学考古学の研究グループです
海に近い茶畑
交易もされていたかもしれませんね
今後のさらなる発掘が楽しみです

『茶の世界史』
八坂書房発行
2007年12月25日発刊
松崎芳郎編著


忙中閑

2008年12月29日 | Weblog
ご近所のママちゃん達と
お茶しました
お仕事アンド育児でフル回転
一年お疲れ様でした~の気持ちを込めて
なんかほっとする空間・時間をと思い
明かりをあーだこーだ取り換えたり
葉っぱを拾ってきたり
お煎茶道具の設えで釜炒り茶を淹れ
その後
お抹茶を各自しゃかしゃか
なんてことをやってみました

でも
みなさん
足のしびれとの闘い~~~
足くずしていいんですよー
と言っても
お茶というと正座でなくてはいけない
と頑張っています
ほっとするどころか
しんどい1時間だったろうにな

お茶=正座
そしてなんか緊張のひととき
というのは
とても素晴らしいことなのですが
畳のない家が増え
正座を普段しない人が増え
そんな時代での畳みで正座について
なかなか
どうしたもんか
未だわかりません

リビングのテーブルでお茶にしようかな
とも考えました
でも
茶室という空間は
やはり市中の山居
我が家は特別な茶室ではなく
普通の和室ですが
ふすま一つで別世界が立ち上がります

リビングは
女の人には職場
いろいろ見えちゃって
あれもしなくちゃこれもしなくちゃ
そう思うと
くつろぎきれませんね
ふすま閉めたら
お茶飲んでいればいいの
他に何もしなくていいの
という自由を手に入れたような感じ
押入れのなかとか
結構好きでした
同じにしちゃダメ?

うーだとかいーだとか呻きつつも
カテキンたくさんいただいて
次なる飲み会への準備万端
地元で飲むというのは
這って帰れるので安心ですね~

十牛図(じゅうぎゅうず)

2008年12月28日 | Weblog
まもなく丑年。
十牛図のお茶碗が人気ですね。
十牛図というのは、
禅宗的画題のひとつで、
牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を
十の絵で表しているものです。
牛は、心理、本来の自己。
仏教における悟りを象徴するもので、
牛を得ようとする十の過程は、
すなわち本来の自己を探し求める旅、
悟りへの道程ということになります。

十の過程を一言で掬う(無茶苦茶ですが)と、
尋  牛:牛を捜そうと志す
      →どう悟りを開くのかわからない
見  跡:牛の足跡を見出す
      →経典や古人の公案を探る
見  牛:牛の姿をかいまみる
      →優れた師に出会う
得  牛:力づくで牛をつかまえる
      →悟りの実態を見るが自分のものにならない
牧  牛:牛をてなづける
      →悟りを自分のものにするための修行
騎牛帰家:牛の背に乗り家へ帰る
      →悟りをようやく得て世間に戻る
忘牛存人:家に戻り牛のことを忘れる
      →悟りの中にある自分を見る
人牛倶忘:全て忘れ無に帰る
      →悟り得ることは特別になるのではないと気づく
返本還源:原初の自然の美しさが見えてくる
      →己もまた本来の自然にいる
入鄽垂手:街へ出て別の童子と遊ぶ
      →人を導く和尚になっている

先日、
牛の夢を見たんです。
牛が次から次から現われて、
半身に構えて、
「ふっ」とか「ニッ」とか笑うんです。
牛の大きな顔がたくさん!

で、目を覚ました私。
きっと来年いいことがあるんだわ
と解釈する以外、
どーしようもないですよねえ。

お母さんオーラ

2008年12月27日 | Weblog
友達との長電話だと
一歳に満たない子供は膝の上で
電話のコードをあぐ~と噛んだりしながら
機嫌よく遊んでいました
ところが
仕事の電話となると
受話器を奪おうとしたり
ビービーうるさかったりでホントに困りました
退職後、ちょっと仕事を引きずっていた頃のことです
仕事の電話といっても
意見をたたかわせるような内容ではなく
ほんの打ち合わせみたいな会話なのに
子供の様子が違うのです
しばらくは気づきませんでしたが
意識し始めると見事に
仕事の電話の時の彼は駄々をこねるのです

面白くて面白くて
いろいろ実験をした(?)結果
子供には
お母さんオーラが見える!という結論に至りました
怖い顔して怒っていても
子供を案じるお母さんモードである時は
子供はかわいい顔をしてべそをかきます
でも
仕事の電話が聞こえなくて
ちょっとうるさいなという顔をして怒ると
とても怯えた顔をします

そんな実体験があるものですから
お茶を点てる時も
緑の茶畑~
そよぐ風~
小川のせせらぎ~
などを思いながら
お茶と水が「ありがと~」って喜ぶように
しゃかしゃかしてごらん
ぜえっっったいにおいしいお茶ができるよ
と言っちゃいます

小学生の子たちは
「おいおい、おばさん、きちゃってるよ~」
みたいな目をしつつ
でもなんかお茶碗の中の世界に集中して
しゃかしゃかします
そして
「やばい、これはすっごうまいかも」
「なんだかいけそうな気がする~」
などど好評です

画像は杭州龍井の里で激写

忘れな草

2008年12月26日 | Weblog
茶の交わりは「淡交」と
以前書きましたが
今日は濃交な宴会をしてきました

もう10年来のお付き合いのお仲間です
10年という月日の間には
それぞれ数々の別れがありました
死別、離別、門出・・・
私にもいろいろありました
母の介護の時期には
しばらくお稽古を休ませていただきました
母子家庭で育った私が母を失った時
ボーっとする日々から立ち上がれたのは
お稽古再開しなくっちゃという思いでした
皆さん、待っていてくださっていて
お稽古の日を起点に気持ちを立て直していった様に思います

他の皆さんにもいろいろなことがありました
辛い気持ちにある時も
「お茶に行かなくちゃ」という思いがあって
籠りがちな気持ちを奮い立たせて
人の中に出てくる
そうすることはとても大切なことだと思いますが
「お茶」がそんな働きになっていたら
うれしい限りです

仕事を辞めて家庭に入ったとき
三日で戻ってくると言われていた私が
その後ずーっと専業主婦を続けたのは
「主婦」のものすごさを知ったからです
「お母さん」のものすごさを知ったからです
アフターファイブのない日々の中で
お茶の時間が英気を養う場となるならば
願ってもないことです

今日は母の命日
母の短かった人生を想うことで
今日をしっかり生きようとしみじみと思います
世の中がどんなでも
大切なことを大切に生きていきたいです
お茶の時間は
大切なことをふと忘れてしまうかもしれない自分を
しっかりと見つめなおす時間
私にとってはそんな時間です

いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
定めは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
忘れな草を あなたに あなたに
   「忘れな草をあなたに」より




クリスマス

2008年12月25日 | Weblog
お茶というと
禅とか仏教とかお寺とか
そんなイメージがあるかと思いますが
キリスト教にまつわる要素もたくさんあります

にじり口という小さな入口は
「小さき門より入る」
茶室の中では皆、平等
俗世のことは忘れる
「そこは楽園、悲しみは拭い去られる」
茶巾でお茶碗を清める様子は
「ミサで聖杯を清める」手順とそっくり
一碗を連客で回し飲むのは
最後の晩餐の「イエスの血であるワイン」
などなど
いろいろな研究があります

茶室を持つ教会もあります
そこでのお茶会では
バチカンにある資料が公開されれば
安土桃山時代の認識が変わる
などというお話を牧師様が熱く語っておられました

確かに
1549年にザビエルが来日しますが
その後のイエズス会の活動期は
まさに茶の湯の形成期と重なります
高山右近、織田有楽、蒲生氏郷など
利休さんのお弟子さんにはキリシタン大名がいっぱい

しかし
キリシタンになっても刀を振り回したり
聖書に手をおいてイラクを空爆したり
そんなんですから
イエス様は気の毒です
伝言ゲームだって10人目に正しく伝わるのは難しいのに
国境を超え時代を超えての宣教なんて
あー、本当に大変

今日
素敵なクリスマスプレゼントが届きました
白磁のお抹茶茶碗です
真白ですが
銘は「虹」とつけました
初使いはお正月にしようかな

今日は
真っ白なクリームに
どんだけ~というほど抹茶をふって
私にとってはケーキを食べる日であるクリスマス
メリークリスマス



茶畑オーナー

2008年12月24日 | Weblog
10月29日に
宇治和束のお茶青年アッキー君のご紹介をちょいとしました
今日は彼の「おぶぶ茶苑」さんが始めた
「茶畑オーナー」のご案内です

和束町は宇治の南
奈良県に近いところにあります
800年の歴史を持つお茶の産地です
「宇治茶」というブランドは有名ですが
去年、宇治に行って驚いたことは
いくら車を飛ばしても
茶畑がないということ
茶畑はみーんなマンションになってしまったそうです
京都近郊で土地高いですし
茶畑の肥料の魚かすのにおいが
近隣住民の苦情の対象になるそうで
畑を手放してしまったのですね

では
宇治茶というのはどこのお茶のこと?
宇治川水系あたりの茶畑で生産されたお茶たちが
宇治茶と呼ばれています
もしかしたら
もっと遠くのお茶も入っているかもしれません
宇治あたりのお茶ということですね

その宇治あたりの和束にあるアッキー君の茶畑一坪の
オーナーさんにならせていただきました
うれし~~
一日50円ですよ~~
オーナーになると
お茶も届くし
なんてったって
アッキー君と仲良くなれますよ~

今、日本のあちこちの茶園に
30代の若者が力強くカルチャーしている姿が見られます
とっても頼もしい!!
アッキー君の土に傾ける情熱
そしてそれを守り育て広めている
松さんのマーケティングセンスは見事です
開拓精神に富んだお二人の活動は
まさに
お茶の可能性を物語っていると思います
フロンティアオーナーは100名限定です
さあ「おぶぶ」さんへGO⇒

釜炒り茶

2008年12月23日 | Weblog
釜炒り茶というお茶の話が
何度となく出てくるけれど
「釜炒り茶」を見たことがない
「釜炒り茶」はどこで買えるの?
というご質問がありました
確かにお店で見かけませんね
本当にもったいない

釜炒り茶というのはですね
こちらのHPを見てくださいませ~
釜炒り茶ドットコム
わかりやすい説明があります

そして
どれか飲んでみようかなあ
どれにしようかなあと迷われたら
五ヶ瀬緑製茶さんで
送っていただきましょう

五ヶ瀬緑の興梠さんには
去年製茶工場に伺った際に
お茶を淹れていただきました
なんといいますか
興梠さんがお茶を淹れるその手続きが
とっても心に残りました
手続きという日本語はなんか適当でないのですが
所作でもないですし、手つきでもないですし
ん~~~
赤ちゃんをお風呂に入れているような
娘の結婚式の祝辞を聴いているような
ん~~~

そうだ
ずっとお茶と会話をしている
というような
そんな感じでしょうか
お茶師さんが
かくも細心の思いでお茶を淹れてくださる間
私は風の日や雪の日や霜の日の茶畑の様子が
フラッシュバックしていました
このような細心の思いで
毎日毎日畑を見て回っておられるのだろうなと
そんなことを思っていました

畑や水が違えばお茶の味は違います
特に釜炒り茶は火入れの加減で大いに違います
どうか皆さんも
大好きなお茶に巡り合えますように
釜炒り茶、試されたら
ぜひご感想をお聞かせくださいね


洗脳~~~

2008年12月22日 | Weblog
高校生くらいの男の子は
あまりお茶を飲みません
正しく言うと
おやつに急須でお茶は
なかなかないだろうと思います

ドカドカと男の子達が集まると
みんな持参しているのは
コーラなどのペットボトル
日本茶ペットボトルもないことはないです
健康の為だとか

うちに来た子は
もうみんなカモちゃん
お茶と和菓子のおやつです
「ええ‥だんご?」とか
「ま、饅頭だ‥」とかいう時の顔が楽しい
なぜか恥ずかしそうな顔をするんです
不思議

「ま、付き合ってやってよ」と息子に促され
恐る恐る(そう見える)お茶を手にする大きな男の子達
「う、うまいっす」
ま、状況からして、そうとしか言えまい
そして早々に飲み干し食べ干し
部屋に消えていく
ドアが閉まると必ず笑い声

そんなことも何度か続くと
「お母様、今日は何のお茶ですか」
などと言いだし
さらに
「教祖さま、やはり2煎目がおいしいかと」
とまで、ほざきおる

大きな体の男の子達が
小さな煎茶茶碗を手に
ゲームをやっている姿は本当にかわいいんです

ある時
「休みに家族で旅行にいったので」と
旅先から和菓子を買ってきてくれたのです
泣きそうになりました
嬉しいったらありゃしない
「親が持ってけって言ったんじゃないっすよ、僕が僕の小遣いで買ってきたんす」
胸が熱くなったあの日
お茶だしてよかったよ~

みんなどうしたかな
お茶飲んでるかな

ババンババンバンバン
お茶飲めよ~
ババンババンバンバン
体にいいからね~
ババンババンバンバン
歯みがいてね
ババンババンバンバン
アービバノンノン

ほっとする

2008年12月21日 | Weblog
10月に海洋実習に出かけた息子が帰ってきました
ふわふわしていた私の魂も戻ってきたみたい
空は青く風は優しく
目に見えるものすべてが輝いている♪

冷奴の生姜に涙する子
太平洋のど真ん中
満天の星空の下で聴くナンバーワンは
ロッド・スチュワートだったそうな
ルイ・アームストロングの
What a wonderful world も
クラシックもよかったけれど
とにかく
ipodに持ち込んだ800曲中
ロッドの歌声がよかったそうです
ロッドは私も大好きで
この子がおなかにいる頃よく聴いていたかも
懐かしかったのかなあ
そんなのあり?


さっそく龍井茶を飲め飲めと
いつものお湯呑茶碗でだすと
「おー、これはおいしいじゃないの、
 でも、こんなに葉っぱがきれいなんだから
 ガラスのコップで淹れればいいのに」
とぬかすのです

ちょっとびっくりしていると
船の上で見たwowwowで
杭州の龍井茶特集をやっていたといいます
畑も見たし製茶工程も見たし
ガラスのコップでのお点前も見たって
え~~~

食堂にあるたった一つのテレビ
チャンネル権主張したわけ?
18歳の男の子たちが
皆で龍井茶の番組見たのですね
偉い!
なんだかとっても嬉しくなりました

そして
「すっごくおいしい」と飲んでいます
今日は
日本の釜炒り茶を出しました
「きた~、いや、これはやっぱりすごい」
と言っています
船から戻ってきた子は
五感がとっても研ぎ澄まされているので
いろいろテイスティングさせちゃいます

結論
釜炒り茶はうまい!
中国のも日本のもどっちもうまい!
そしてなんてたってほっとするっ!て
言うよねー
母も同感



心づくし

2008年12月20日 | Weblog
今日はお煎茶のお友達と
行徳を訪ね
ひろみさんのおそばをいただいてきました
明日は冬至だからということでご用意くださった
かぼちゃのポタージュに始まり
2種のデザートまで
何べん「お~いし~」と叫んだことでしょう

まず、十割そばというのはモソモソしているもの
という認識が改まりました
みずみずしくて
おそばだけでしゅるしゅるといくらでも食べられちゃう
おそばの甘味
おそばそのものの味がひろがって
もう、「おそばさん、こんにちは」って感じでした

それから
おそばを塩でいただくおいしさ!
梅塩でいただくのも
塩汁でいただくのも
さっぱりすっきり
大変な量をぺろりと食べてしまった気がします

そして
泣きたくなるほどおいしかったのは
そば湯
素材が良いからこそのこのそば湯だそうで
どんな病気も治っちゃいそうな
本当に体が喜んでいるのが感じられました

たくさんの
飛び交った午後のひととき
素材を愛するひろみさんの心が
お皿の中に煌めいて見えました

煎茶道には
「茶の葉見て法とけ」という言葉があります
目の前のお茶の葉を見て
それが一番おいしくいただける方法をとりなさい
ということです
茶の葉を知り、お湯を操り、間を計り
とにかく心をつくして一服のお茶に向かい合うわけです

今日はひろみさんの
そばを見て法とく料理人魂が
ビンビンと伝わってきて
とても励みになりました
お心づくしのおもてなしに心から感謝!
ほんとーにおいしかったよ~~~

東京の茶館

2008年12月19日 | Weblog
Planet 3rd というカフェに行きました
今日から始まったイルミネーションで
シャンパンゴールドに輝く丸の内
な~んともったいないと思ったら
85万球のLEDは
太陽光や風力発電による
グリーン電力使用だそうです
光都東京の地下街は
飲み屋さんもレストランも人でいっぱい
大変なにぎわいでした

駅から5分ほどのそのカフェには
紅茶も中国茶もありましたが
日本茶はありませんでした
軽いおつまみからスイーツ
ユーロアジアンクイジーンなお食事
そしてインターネットフリーのPC席

そうか
これが日本の茶館
パソコンが使えてワイワイ話し合えて
食べて飲んでのコミュニケーションの場

日本茶喫茶というのは
静かで
ほっと一息
コミュニケーションというよりも
癒しの場みたいな感じなのかもです

Planet 3rd さんには
もんのすごい企業理念がありました
以下 HP の Cafe Spirit をご紹介

日本の現代都市生活がいつの間にか忘れ去ってしまった
地域に根ざしたコミュニティを再生し
活き活きとしたライフスタイルを提案し続けていく
CAFEは単なるコーヒーショップを意味するのではなく
「CAFE」=「Community Access For Everyone」
みんなが集まるコミュニティの場という意味
街の食堂として、打合せの場として、酒盛り場として
そして自分らしさを取り戻す都会のリビングとして
CAFEを、人と人との感性・共感コミュニティを創造する
次世代に不可欠なインフラ・社会基盤として位置づけ
みずみずしい情緒感あふれる地域社会の実現に寄与する

素晴らしいではありませんか
これで日本茶があったら言うことなし!

2008年12月18日 | Weblog
一酸化炭素中毒っているかもです
頭痛がやみません
お昼すぎ
先生のところでお稽古を終えたとき
ご一緒だったお二人も
クラクラすると言っていて
立ち上がると膝ががくっときて
とにかく眠くて
辛いです

炉の季節は
お炭が落ち着くまで
ずっと部屋を閉め切らずにいたり
それなりに工夫をしているのですが
やはりお年を召した先生はお寒いので
早々に閉めてしまうことがあり
そんな時は
この頭痛がやってきます
ひどい時は
周りが白いね・・・なんてこともありました

今までにどれだけの細胞が破壊されてしまったことやら~
私の健忘症はお炭によります~
でも不思議なのは
先生はぜーんぜん感じないのです
個人差がかなりあるのでしょうか
以前お茶室に来ると気分が悪くなる人がいました
彼女はカナリアのような人だったのかも知れません

皆さん、気をつけてください
おやすみなさい

愛してる!

2008年12月17日 | Weblog
年末のお稽古納めは
ご社中によっていろいろな
納め方があるようですね
最近は大晦日の除夜釜は
なかなか体験できるものではありません
最後のお稽古の日に
おそばやお汁粉をいただいたり
カラオケや温泉やお食事に行ったり
楽しい忘年会が増えているようですね

今日は学校茶道のお稽古納めでした
設備も限られているので
メリークリスマスのチョコレートと
お汁粉を持参しました
女の子の目が輝き
熱いハグを受けました
「キャー、先生、愛してる~~~」
「お汁粉なくても、いつでも愛してるけど
 すっごいうれしい~~~」
みんなとってもとってもうれしそうで
寒いお作法室で輪になって
お汁粉をいただきました

たくさんある部活の中から
茶道部の門を選んで集まってきたこの子たちは
何を求めてきたのだろう
その想いに
少しでも応えてあげることができただろうか
ふと漏らす言葉の端々に
彼女たちのメッセージがたくさんこもっているわけで
ほんとうに
千の耳になああって~という感じで過ごしたこの一年
怪我もなく
一人も減ることもなく
楽しく終えることができて
しみじみうれしくほっとしています

ギャグもなかなか
人の間違いへの突っ込みもねぎらいも修復も見事
きれいな所作への称賛や
おいしく頂いたお茶への絶賛は
とても素直でさわやかで
きれいに指をついてお辞儀をし
畳を美しく歩いては
ピースをしたり照れてみたり威張ってみたり

さまざまな場面のいくつもの笑顔が思い起こされます
茶室でのひとときが
私にとって素敵な宝ものであるように
彼女たちにとっても
いい時間になっていたらと
切に願わずにはいられません
私からは「ありがとう」の言葉を贈ります

画像は
お花がなかった時に折り紙で工夫してくれた
お床のお花です