SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

FATS NAVARRO 「NOSTALGIA」

2007年06月29日 | Trumpet/Cornett

ファッツ・ナヴァロは蒸し暑い夜なんかに聴くのが最高だ。
まるで当時のライヴハウスにタイムスリップしたような気分を味わえる。ビ・バップは本当に熱いのだ。
私は最近のアルバムを何枚か聴いた後に、こうした古い作品を聴くのが好きだ。どちらも新鮮な思いに浸れるからである。同じ人ばかり、同じ年代のものばかり、同じ系列の音ばかり聴いていると、耳も頭も偏ってしまう。
もちろん好きなプレイヤーをたくさん聴くのはいい。でもあえて時々は異質なものを聴くことによって、常に柔軟な感性を持っていたいと思うのだ。
音楽を死ぬまで楽しむには、ある程度のテクニックが必要なのだと思っている。

さてこのアルバムは3つのレコーディングを一つにまとめた作品である。
最初の4曲は1947年12月5日の録音だ。表題曲にもなっている名作「Nostalgia」で始まり、天を突き抜けるようなナヴァロのアドリヴがその後も続く。これを聴いてクリフォード・ブラウンもリー・モーガンも彼に憧れたのだろうと思う。これこそ間違いなく彼らが目指した理想のスタイルだ。
次の4曲は1947年12月22日の録音。ここでは若きデクスター・ゴードンが大活躍。彼の初期の頂点がここにある。タッド・ダメロンのピアノもなかなか快調だ。
最後の録音は1946年12月18日と約1年前にさかのぼる。テナーはエディ・デイヴィス、ピアノはアル・ヘイグになっており、ドラムスもデンジル・ベストが務めている。ここの録音ではトリッキーなトーンもあちこちで見られ、自由奔放なそれぞれソロとユーモア溢れる掛け合いが味わえる。

全体を通して演奏そのものを楽しんでいることが伝わってくるアルバムだ。
ジャム・セッションとはこういう演奏スタイルを指していうのだと思う。そこがタイトル同様にノスタルジックで痺れるのだ。


【明日からまた出かけ留守にします...】

RUSSELL MALONE 「SWEET GEORGIA PEACH」

2007年06月28日 | Guiter

プロデューサーはトミー・リピューマだ。
彼がプロデュースした作品はポップな仕上がりになる。売れ筋の作品になるということだ。
ラッセル・マローンはそんな彼の傘下に入って一躍有名になった。ダイアナ・クラールと同郷であったことが幸いしたのだ。

このアルバムにおける彼のギターは変幻自在だ。
時にジム・ホールのようであり、パット・メセニーのようであり、アール・クルーのようであり、はたまたジャンゴ・ラインハルトのようでもある。そういう風に仕組んだのはトミー・リピューマなのかもしれないが、全体に爽やかな風が吹き抜けるようなアルバムになった。今の季節にはぴったりだ。
但しラッセル・マローンは本来こうした心地よいサウンドだけを奏でる薄っぺらなギタリストではない。
芯は確かなテクニックに支えられた玄人好みなハートの持ち主である。特にブルースやカントリーをやらせたら若手ナンバーワンの実力だ。それがこうした曲を演奏するとそれなりに仕上がってしまうのだからプロデューサーの影響力は大きい。根は相当ロマンチックな人なのかもしれない。

このアルバムの魅力はバック陣に寄るところも大きい。
ロン・カーター(b)、ケニー・バロン(p)、ルイス・ナッシュ(ds)、スティーヴ・クルーン(per)らがしっかり脇を支えている。
個人的に好きなのは「Someone's Rocking My Dreaboat」。全編に渡ってパット・メセニーのような夢見る世界が拡がっていくが、マローンの方がもっと日常的で牧歌的な感じがする。ケニー・バロンの短いピアノソロも実に美しい。
確かに「SWEET GEORGIA PEACH」の味がする。

JOE FARNSWORTH 「DRUMSPEAK」

2007年06月27日 | Drums/Percussion

個人的な短いジャパンツアー?を終え、帰ってきた。
3日も日記を書かないとそれなりに後ろめたい気がする。そこでそうした気持ちを吹き飛ばしてくれそうなアルバムを取り上げたいとCD棚の前で腕組みをしながら考え、最近購入したばかりのジョー・ファンズワースを取り上げた。
このアルバム、とにかくメンバーが華やかなのだ。
彼の師ともいえるカーティス・フラー(tb)、ベテランのスティーヴ・ネルソン(vib)、レイ・マンティラ(per)、ワン・フォー・オールの仲間であるエリック・アレキサンダー(ts)、ジム・ロトンディ(tp)、デヴィッド・ヘイゼルタイン(p)、そして人気者ナット・リーヴス(b)といった面々が顔を揃えている。
カーティス・フラーに敬意を表するからか、出だしの曲はコルトレーンの名曲「ブルー・トレイン」だ。あの名作が発表されてから既に50年が経っているが、フラーの音色は未だに衰えない。考えてみればすごいことだ。
この曲はカーティス・フラーが参加したために名曲になった。彼の生み出す音色が深くてぶ厚い音の帯を創り出しているのだ。アンサンブルにおけるトロンボーンの重要性を知ったのはこの時が初めてである。
彼自身、あれから半世紀後に若いメンバーと一緒にこの曲を吹くことになるとは思ってもいなかったであろう。ファンズワースの彼に対する思いが痛いほど伝わってくる。フラーは幸せ者だ。

他のメンバーの中ではデヴィッド・ヘイゼルタインがとてもいい。普段はあまり目立った弾き方をしない彼だが、ここでは一つ一つのプレイにキラリとしたセンスを感じる。わざとケニー・ドリューの弾き方に似せているようだと勘ぐりたくなってくるような絶妙なスイング感である。
リーダーのファンズワースも相変わらず軽快なシンバルワークを披露している。
今一番乗っているニューヨークの音を聞きたければこれがお薦めだ。

SONNY CRISS 「go man !」

2007年06月23日 | Alto Saxophone

いやはや何とも品のない演奏だ。
この人のアルトはよくチャルメラ・サックスだといわれるが、全くもってその通りである。「SUMMERTIME」の出だしからして屋台のラーメン屋を思い出す。
しかしこれがやみつきになるからジャズとは不思議なものだ。この作品は圧倒的な人気盤だからやみつきになっている人は数多いのだろうと察しがつく。とても毎日は聴けないが、一度聴くとしばらくはハイな状態が続く。まるでドラッグのようだ。

それにしてもソニー・クリスの吹きっぷりはすごい。
音色は確かにチャルメラだが、アドリヴの凄みはチャーリー・パーカーにも負けていない。
次から次へと浮かぶメロディを何の躊躇もなく吹き続けている。この疾走感が彼の最大の魅力だ。
バラードにおいても彼の魅力は失われない。ソフトな曲をこんなに高らかに吹く人も珍しいからだ。ここに色気を感じるのは私だけではないだろう。

このアルバムが人気盤である背景には、彼の親友でもあるソニー・クラークの参加も大きい。
「AFTER YOU'VE GONE」なんかはクリスの勢いに触発されて、クラークも負けじと突っ込んだ指さばきを見せている。このインタープレイは必聴である。
またベースはリロイ・ヴィネガーと私にとって嬉しいバック陣が揃った。
タイトルも「go man !」、よぉ~し、と思うのである。


【明日からしばらく留守にします...】

ROY POWELL 「SOLACE」

2007年06月22日 | Piano/keyboard

これではっきりした。
私はノルウェーの若手ピアニストに惚れている。
トルド・グスタフセン、ヘルゲ・リエン、そしてこのロイ・パウエルだ。彼らの共通項は「内に向かう耽美」である。
どこの国よりも深い美意識がそこにある。やるせない気持ちをぐっとこらえて歩き続ける感覚だ。この微妙な緊張感が心の琴線に触れる。
こうしたアルバムがあるからピアノトリオが、否、ジャズそのものがやめられないのだ。

ノルウェーにおけるジャズの歴史はまだ浅い。
私が知る限りでは、ヤン・ガルバレク(ts)、カーリン・クローグ(vo)、アリルド・アンデルセン(b)といった人たちがその先駆者であるが、ヤン・ガルバレクやアリルド・アンデルセンらはECMレーベルの顔になっている存在で、そちらの方面が好きな人にとっては馴染み深いはずである。
そういえばロイ・パウエルも彼らと共通した雰囲気を持っている。
どことなく牧歌的で文学的な味わいがあるのだ。そのものずばりECM的だといっていいが、ECMほど寒々とした感じはない。
その点トルド・グスタフセンは素直だがECMなのでやや冷たい。ヘルゲ・リエンは天才的な想像力をもっているがひねくれ者だ。
そう考えてみると、ロイ・パウエルはトルド・グスタフセンとヘルゲ・リエンのちょうど中間に位置する人だということがわかる。どちらの良さも兼ね備えている分、ノルウェーのコンテンポラリージャズを知るには格好の人なのかもしれない。

先日BSでオスロの街を紹介するTV放送があり、じっと食い入るように観てしまった。
整然と並んだ建築物、フィヨルド独特の気候、ムンクを輩出した芸術の都、その一つ一つが特有の美意識を育てたのだろう。
私は頭の中にはっきりノルウェーの音がイメージできる。こんな国も少ない。

LYNNE ARRIALE TRIO「ARISE」

2007年06月21日 | Piano/keyboard

ツンと尖った鼻、透き通った青い目、独特のカーリーヘア、ライヴで見せるインテリ調の眼鏡。
そんなリン・アリエールは今一番人気のある女性ピアニストだ。
このアルバムも手に入れてから既に3~4年は経つと思うが、未だかつて飽きずに聴いている。飽きるどころか聴くたびに「あ~、いいなぁ」と思ってしまう。彼女の作品は全てほしいと思っているほど、個人的にイチオシの人だ。

彼女の音楽はとにかく情熱的だ。
スピード感溢れる曲からもスローなバラードからも彼女の熱い思いが伝わってくる。
しかも曲の配置が抜群にいい。1曲目の「FREVO」でアルバム全体のイメージを伝え、2曲目で女性の意志の強さを表現した「AMERICAN WOMAN」を弾き、3曲目の「ARISE」でそれを包み込むような優しさに換える。私なんかはもうこのへんでノックアウト寸前だが、4曲目の「LEAN ON ME」でポップなところを聴かされ、5曲目の「ESPERANZA」では、燃え上がるような彼女の胸の内を見せつけられる。こうなったらもう立ち上がることもできない。降参だ。

女性が演奏するジャズは思い切りがいい。男にありがちな自分の存在に対する迷いがないからだ。これは本当にうらやましい。
彼女の演奏を聴いていると、男と比べて女ができないことなど何一つないと思ってしまう。逆に言えば女と比べて男はできないことだらけに思える。
もちろん弱さがあって初めて人間的な魅力があるわけだが、弱さを売り物にしてはいけない。その点、このリン・アリエールは芯の強さを感じる。
強い人間は優しい。それがこの作品に現れている。

PIERRE-STEPHANE MICHEL 「BAYAHIBE」

2007年06月20日 | Bass

いかにもヨーロッパらしいやや湿り気のある洗練された音だ。
出だしのピアノはクラシカルなイメージで、人を惹きつけるには充分な魅力がある。
3人とも安定したテクニックを持つ人たちなので安心して聴いていられるが、いざメンバーの名前はというと聞いたことのない人たちだ。しかしその技術力・表現力からいって単なる新人とも思えない。

それにしても澤野工房はこうした人材を見つけてくるのがうまい。
いったい澤野工房の澤野由明氏とはどんな人なんだろうと思う。
彼は「聴いて心地よかったらええやんか、そんな思いで埋もれていた音やミュージシャンを発掘してきた」という根っからの大阪人のようだが、どうも正体不明な人だ。
聞くところによると彼は「さわの履物店」という下駄屋のおやじなのだそうだ。そんな彼が「買いたいジャズのレコードは全部買って、他に日本で買うレコードが無くなったぐらいだ」というくらいジャズにはまり、現在のような澤野工房を立ち上げた。今でも澤野工房の看板はその履物店の上にどんと鎮座しているのが面白い。
また澤野工房は卸屋を通さないことでも有名だ。リスナーと直接つながっていたいのだろうと思う。私も澤野工房のサイトから直接CDを購入したことがあるが、確かに大手とは違った親近感を覚えたのが印象的だった。

澤野工房のアルバムなら目をつぶって買ってもそう失敗しないのではないかと思う。
それくらい私の中では澤野由明氏への信頼が厚い。デジパックの装丁も豪華だし、共通した澤野工房ならではの音があるからだ。
このピエール・ステファン・ミッシェルもいかにもといった澤野工房の音である。このへんのところは言葉では伝えきれないので聴いてほしい。好き嫌いはあるかもしれないが、買おうとする動機にレーベルで選ぶということがあって然るべきなのだ。

JEAN THIELEMANS 「MAN BITES HARMONICA」

2007年06月19日 | Other

最初にジャン・シールマンスと聞いて「あれ?」と思った人も多いだろう。
このアルバムにはトゥーツ・シールマンスとはどこにも明記されていない。そう、この時代の彼はまだハーモニカを吹き始めた頃で、彼自身も自分は純粋なギタリストだと思っていたのだ。
しかし彼のハーモニカに魅了された多くの人(クインシー・ジョーンズなど)によって、彼自身が自分の才能に気づいたのだと思う。
トゥーツという名前はそんな優しいハーモニカの音色をそのまま愛称にしたものである。これで彼の生き方が決まった。

ハーモニカという楽器は実になじみが深い。
トランペットやサックスを吹いたことのない人でも、ハーモニカなら一度は口にくわえて吹いたことがあるはずだ。
あの懐かしい音色は郷愁を誘う。放課後の校庭が夕暮れに染まる頃、どこからともなく静かに流れてくるのが似合っているからだ。
そんな誰の思い出にも共通して存在する楽器がハーモニカなのである。
しかしこれがモダンジャズに結びつこうとは誰も考えなかった。1950年代のアメリカも同じである。彼自身も最初は半信半疑だったに違いない。だがシールマンスは試してみたのだと思う。この楽器をサックスのように、或いはフルートのように吹いたらどうなるかを。結果は満足のいくものだった。ちゃんと思い通りのジャズになっていたのである。しかもどんな楽器のようにも聞こえるし、どんな楽器にも出せない音を創り出せた。

彼を追従しようとするミュージシャンは数少ない。だからこそ彼の偉大さが浮き彫りになる。正にオンリーワンの世界だ。
このアルバムでは、ペッパー・アダムスの重いバリトンサックスがいい対比を生み出している。
比べてみてわかるのだが、シールマンスのハーモニカは明らかにホーンである。だからアンサンブルもピタリと決まるのだ。

HOUSTON PERSON 「To Etta with Love」

2007年06月18日 | Tenor Saxophone

これはもう極上の作品だ。
ヒューストン・パーソンが長年つきあったエッタ・ジョーンズに捧げたもので、彼の思いが痛いほど伝わってくる。
この二人のコンビは60年代後半から彼女が亡くなる最近まで続いていた。
彼女のアルバム「Don't Go to Strangers」なんかは息の合った二人の名演が忘れられない作品だ。
ここでのメンバーもエッタ・ジョーンズと組んでいたときと同じで、スタン・ホープのピアノもポール・ボレンバックのギターも、パーソンのサックス同様に美しく、悲しみをこらえて演奏しているように聞こえる。

それにしてもパーソンのサックスは恐ろしくムーディだ。
バックもエンジニアのヴァン・ゲルダーもそれを引き立てようと精一杯の配慮をしているのがよくわかる。ただチップ・ホワイトのシンバルだけが全編に渡って強調されている。まるで夜空に響き渡るようだ。ここにもヴァン・ゲルダーの意図を感じる。人によっては好き嫌いが分かれるところだろうが、私には高音をしっかり拾うことで広がりを出し、よりパーソンのテナーの音色を柔らかくしようとしているように聞こえる。

私は誰それの追悼アルバムというのは、正直言ってあまり好きではない。
深刻でおセンチな雰囲気が嫌いなのだ。
しかしこのアルバムは私が言うほど暗くも深刻でもない。ヒューストン・パーソンは、亡くなったエッタ・ジョーンズに対して悲しく「なぜ?」と聞かずに、笑顔で「ありがとう」と言っているのだ。
ルイ・アームストロングの名曲「What a wonderful world」を聴けばわかる。この曲はこのアルバムのハイライトであり、彼の生涯の名演である。
だから余計に涙が溢れてしまうのだ。

EDWARD SIMON 「THE PROCESS」

2007年06月17日 | Piano/keyboard

力のあるピアニストだということは、そのムードでわかる。
決して甘くない。笑わない。いつも何か遠くを見つめている、そんな感じの弾き方だ。
エドワード・サイモン、彼はベネズエラ出身である。
デビューしたての頃はアフロ・キューバンに傾倒していたが、その後テレンス・ブランチャードのグループに入って頭角を現した。言うなれば180°転換したような変わり身だ。そこにいったい何があったのだろうかといつも気になってしまう。
事実彼の音楽はかなりストイックだ。それ故に純粋な美しさを感じる。
特にここでは彼のオリジナル曲がいい。全9曲中、オリジナルは5曲ある。
中でも重厚なジョン・パティトゥッチのアルコがフューチャーされた「REPROCESS」での深い味わいは賞賛に値する。続く「TONADO DEL CABRESTRERO」は哀愁を帯びたラテンの曲であるが、これほどまでに沈み込むラテンも少ないだろう。こうした曲を演奏するようになったところが、他のピアニストにはない彼の一番の魅力なのかもしれない。
多少マニアックではあるが、こうした音を愛するファンも多い筈だ。いかにも通好みのしそうな音なのである。

私はこういった新感覚派のピアノトリオを探すのが好きだ。
ピアノトリオの魅力は、楽器を意識することなく心の奥深くまで感情が入り込めることである。
優れたピアノトリオの演奏を聴くと、ピアノの一音一音がまるで風のように雨のように感じられることがある。春なら春のように夏なら夏のように自分の周りの空気を換えてくれる、そんな気がするのだ。
しかも一番シンプルな構成にも関わらず飽きがこない。
よくジャズはピアノトリオで始まりピアノトリオで終わるというが、このアルバムを聴いていると確かにそんな気がしてくる。