SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

BILL STEWART 「Think Before You Think」

2009年01月31日 | Drums/Percussion

かなり細部にわたって気を配る人である。
もちろんビル・スチュワートというドラマーのことだ。
彼は相当な技術の持ち主であり、よく聴いていると常に変化に富んだ演奏をしている。
ストン、パタン、ときて、スカチャカ、ストトト、チチチ....(文字では上手く表現できないが...)、というように一つ一つの音が同じ繰り返しになっていない。
CDだけを聴いているとあまり感じないが、ステージで観るとそうしたドラミングが危なっかしさを感じる時がある。しかし彼は決してひるまない。ひるむどころか涼しい顔をして最後までそれを難なくやり遂げるのである。
見ている方もその緊張感がやみつきになり、目が離せなくなるという塩梅だ。
つまり彼はドラムを通じて歌を歌っているのであり、単なるリズム楽器から逸脱した表現を行っているのである。
しかもそれが決して目立つものではなく、フロントラインを上手く引き立てるための彼なりの手法だということに気づかねばならない。
そんなわけで、彼がバックにいれば誰のリーダーアルバムでも聴いてやろうという気になる。
私はそれくらい彼のファンなのだ。

私が彼を最初に意識したのはニューヨーク・トリオのファーストアルバムである。
スタンダードを情感豊かに紡ぎ出すビル・チャーラップの良さを引き出したのは、他ならぬビル・スチュワートだった。
こんな繊細なバッキングをされたらビル・チャーラップに限らず、誰だって普段以上の力を発揮するだろう。
このアルバム「Think Before You Think」においては、ジョー・ロヴァーノをフロントにおいているが、彼も気持ちよさそうにテナーを吹いている。まるで「よし、ここでこういう風に吹け」とビル・スチュワートに促されているようだ。

ジョー・ロヴァーノはアメリカでは大スターだが、日本ではあまり人気がない人だ。
日本ではどちらかというと、エリック・アレキサンダーやグラント・スチュワートのような人が好まれる、とどこかの評論家がいっていた。
確かにロヴァーノには、テナー特有の「ため」が少ない。いきなりスーッと入って、スーッと消えていくから私たち日本人には今ひとつ物足りないのだ。
しかしこのアルバムでは、その淡泊な雰囲気づくりが逆に功を奏しているように思う。
ロヴァーノを生かすためには、こんな配慮が必要なんだよ、といわんばかりだ。
ビル・スチュワート、今一番の注目株である。

JOHN PIZZARELLI 「Kisses In The Rain」

2009年01月28日 | Guiter

こういう人がいるからジャズがますます面白くなる。
毎日暗くて重いジャズばっかり聴いている人にはわからないだろう。
だいたいギターを弾き、歌も歌うジャズメンを彼らは低く見る傾向にある。
そんな人たちにとっては、「軽い」はある意味タブーな言葉なのだ。
でもそういうバリアを張っている内は、ジャズの楽しさは半分も味わえない。
ジャズはみんながイメージしているよりも、ずっと明るい音楽でもあるのだ。

ジョン・ピザレリはナット・キング・コールを愛するスイング系のジャズメンである。
ルックスもいいからファンも多い。
ただ彼のハイテクニックな7弦ギターを聴いていると、それが新しいのか古いのか皆目わからなくなってくる。
曲調は古いが、曲想は新しい、といった方が適当かもしれない。
歌い方も素直で嫌みがない。
とにかく自分のスタイルをしっかり持った人である。
そういう点で、よく「ビル・エヴァンスのようだ」とか「マイルスのようだ」などと形容される二番煎じのジャズメンにはない品と魅力がある。
ここが彼の評価の対象にすべき最大のポイントだと思う。

このアルバムではジョン・ピザレリの存在もさることながら、レイ・ケネディの軽快なピアノにも耳を傾けるべきだ。
特にハイスピードで驚異的に弾きまくるナンバーは歓喜に満ちた演奏だと思う。
とにかくこの2人の掛け合いが実にダイナミックで爽やかなのだ。しかもドラムレス・トリオの編成がさらにそれを際立たせているからたまらない。
まぁ、初めてだっていう人は一度聴いてみてほしい。
故きを温ね、新しきを知る。
これはまさにそんな精神が息づいた作品なのだ。

ART TATUM & BEN WEBSTER 「ART TATUM / BEN WEBSTER」

2009年01月23日 | Tenor Saxophone

死ぬほど好きな一枚である。
アート・テイタムのイントロを聴いただけでぞくぞくする。
曲のほぼ半ばまでリラックスしたピアノトリオの演奏が続き、満を持したかのようにベン・ウェブスターのテナーが登場する。
この瞬間は、何度聴いても「ジャズが好きでよかった~」と思える瞬間だ。

この作品は、饒舌だがきらめくような輝きに満ちたテイタムのピアノと、とてつもなく大きな優しさに包まれたウェブスターのテナーの対比が一番の聴きものだ。
まるで風に揺れる大木の周りを小鳥たちがさえずりながら飛び回っているかのようだ。
テイタムのピアノはハイスピードの装飾音が多く、それだけを聴いているとやや単調にも感じてしまうのだが、ここにウェブスターのテナーが被ってくると、とてもいい具合に中和されていく。
このへんのコンビネーションが絶妙なのだ。まさにジャズの醍醐味がこれである。
ジャズピアノの父といわれたテイタムはこれまでソロピアノを演じる機会が多かったが、亡くなる間際にこうした見事なコラボレーションの妙技を残してくれたことは、私たちリスナーへの何物にも代え難い贈り物となった。

この二人の巨人の影で目立たないが、レッド・カレンダー(b)と、ビル・ダグラス(ds)の堅実なサポートも忘れることができない。
カレンダーのベースは思ったよりも強靱で全体を引き締める役目を果たしているし、ダグラスは終始優しいブラシでムードを高めてくれている。
曲はというと、どの曲もみんな味があって素敵なのだが、私は「My One and Only Love」が、インタープレイの極致のように思える。
メロディラインの美しさもさることながら、余裕たっぷりのアドリヴラインがたまらなく粋だ。
もう、何度でもいう、死ぬほど好きな一枚だ。



CHRISTIAN JACOB 「CONTRADICTIONS」

2009年01月21日 | Piano/keyboard

ペトルチアーニで思い出し、このアルバムをかけている。
これはクリスチャン・ジェイコブによるミシェル・ペトルチアーニ作品集なのだ。

私も一頃はペトルチアーニに凝って彼の作品を買い集めた。
コンサートにも行った。
ステージに上がった彼は、あの小さな身体からは信じられないほどパワフルでダイナミックな演奏を行った。硬い音質のピアノが会場いっぱいに流れると、観客の興奮も一気に盛り上がったのをよく覚えている。
私を虜にしたのは、同じリフレインの後で急速に流れ落ちるようなフレーズが出てくる瞬間や、時折見せるいたずらっ子のようなユーモア精神だ。
私はそんな人間味溢れるペトルチアーニが好きだったし、そうしたフレンチジャズの自由なムードが好きだったのだ。

クリスチャン・ジェイコブもペトルチアーニを敬愛するフランス人だ。
但し、ピアノの音質はまるで違う。もっとまろやかだ。
しかもドライで、北欧のピアニストのような湿った感じがない。
そんな彼がペトルチアーニの曲を演奏する。当然、曲の雰囲気が変わっていく。
この作品で私が特に好きなのは、ラストの「My Bebop Tune」である。この軽快な曲はペトルチアーニの演奏と比べると、明らかに角が取れて丸くなっているのがわかる。
もちろんどちらがいいかなどと比べるつもりはない。その時々の気分で双方を楽しんでいる。
それよりも大切なのは曲そのものが持つ力である。これは変わらない。
ペトルチアーニの曲は、光が差し込む明るいテラスのようだ。
この明るさ、暖かさがクリスチャン・ジェイコブのピアノからも伝わってくる。
いつの時代もジャズが古びないのは、こういった感覚が持てるからである。


NIELS-HENNING O PEDERSEN 「friends forever」

2009年01月16日 | Bass

デンマークつながりで心暖まる作品をもう一枚。
2005年に惜しまれつつ亡くなったNIELS-HENNING ORSTED PEDERSEN(ニールス・ヘニング・ウルステッド・ペデルセン)の豪華2枚組追悼盤である。
このアルバムは日本では発売されていないもののようだが、彼のファンが多い日本でもぜひ発売してもらって、もっともっと多くの人に聴いていただきたい作品である。
私はこれをデンマークの友人を通じて手に入れた
その友人も、彼はデンマーク国民の誇りだった、と話していたが、私もファンの一人として、彼の若すぎる死を本当に残念に思っている。

この作品は1963年の録音から亡くなる前年の録音まで全34曲も入っていて、これを聴けば彼がどういう人間だったのかが手に取るようにわかる。
私自身これまでニールス・ペデルセンといえば、骨太のゴリゴリしたベースを弾くハイ・テクニシャンというイメージを持っていたのだが、このアルバムを聴いて、そのイメージが払拭されてしまった。
とにかく彼は全編に渡って「優しさ」の塊なのである。
もちろん追悼盤だから、あえてそういう曲を選んで構成しているのはわかっているが、それにしてもこの懐の深さはどうだ。
聞き込めば聞き込むほどに、どの曲からも溢れんばかりの感動が押し寄せてくる。
彼の相手を務めているのは、オスカー・ピーターソンであったり、ケニー・ドリューであったり、ミシェル・ペトルチアーニであったりするが、こういう風に並べて聴いてみても、やはり主役はニールス・ペデルセンなのである。
これほどまでに存在感のあるベースを弾ける人はいない。
彼がいたから、アメリカのジャズとヨーロッパのジャズが共存できるようになったといったら言い過ぎであろうか。
とにかく彼がその橋渡し役になったことはいうまでもない事実である。
「偉大な人」というのは、まさにこういう人を差す言葉である。

DUKE JORDAN 「FLIGHT TO DENMARK」

2009年01月12日 | Piano/keyboard

この季節になると聴きたくなる一枚。
今朝は薄日も差して、窓の外にはこんなジャケットのような世界が広がっている。
こういう景色は雪国に住む私たちにとって半ば日常的なものだが、真っ白になった木々を見ているとやっぱり感動する。
こんな休日は、暖かい部屋にいてゆっくりデューク・ジョーダンのピアノを聴いて楽しもうと思う。

とにかくハートウォームな演奏だ。
もっと突っ込んだデューク・ジョーダンを聴きたければ、彼が若い頃の作品を聴けばいい。パーカーと組んでいた40年代後半から50年代までの彼は、ここでの演奏からは想像もできないくらいアグレッシヴだった。
でも最近は、枯れた味わいのジョーダンに勝るものはないと思っている。
このアルバムと対をなす「Two Loves」でも実にいい味を出している。歳をとったらとったなりの弾き方があるんだよ、というかのように穏やかだ。
特に大好きなのが3曲目の「Everything Happens to Me」と、続くオリジナルの「Glad I Met Pat」。
これを聴いていると、心がじわ~っと温かくなってくるのがわかる。
日頃のイヤのことも忘れて優しくなっていくような気がするから、このアルバムは私にとっては大変な特効薬だ。

以前一度だけこのデューク・ジョーダンのステージを観たことがある。
いかにも地味な感じの人で、ステージ・パフォーマンスもほとんどなかったのだが、最後にちょっとだけ観客に向かって手を挙げ、「うん、うん」と頷くような仕草をしたのが印象的だった。
それから数年後、ジョーダンはデンマークで息を引き取った。84歳だった。
こんな生き方、死に方をしたいと思う。

VIC DICKENSON 「SHOWCASE」

2009年01月10日 | Trombone

これほど長年にわたって愛着が持てたアルバムも見当たらない。
これは中間派ジャズの最高傑作というばかりではなく、ジャンルを超えて、「これぞジャズ!」といえるような名作である。
このアルバムはもちろんCDでも出されてはいるが、タイトルは「The Essential Vic Dickenson」となっており、2枚組レコードの中からチョイスした曲を1枚に構成し直したものになっている。
ただ私の好きな「When You And I Were Young, Maggie」がCDには入っていない。
2枚組では売れないと判断したのかもしれないが、なぜそんな破廉恥なことをするのかわからない。もっと敬意を払ってオリジナルのまま出してほしかった。それくらいこの作品は重要であり、タイトルは絶対に「ショウケース」でなければいけないのだ。

では久しぶりに油井正一さんの解説を読みながら聴いてみる。
冒頭を飾る「Russian Lullaby」だけ、その雰囲気を表現できる範囲でお伝えしようと思う。
最初に聞こえる短いイントロが終わると、もの悲しいエドモント・ホールのクラリネットがメロディを奏で始める。そしてそのメロディはサー・チャールス・トンプソンによる魅力的なピアノソロへと受け継がれ、いよいよリーダーであるヴィック・ディッケンソンが登場する。
彼のトロンボーンはまるでささやきかけるような響きで歌い出し、だんだんとその声が大きくなっていく。この辺りの組み立ては実に見事である。
その後、エドモント・ホールが再度登場しスインギーなソロを聴かせると、抜けのいいルビー・ブラフのトランペットがその後に続いていく。
そしてラストの短いアンサンブルで一気に感動が沸き上がる。このジャム・セッション的なエンディングにはいつも泣かされる。

このアルバムはもちろんヴィック・ディッケンソンのリーダーアルバムではあるが、一番の聴き所は各プレイヤー一期一会の掛け合いにあり、そこにとてつもない人間臭さを感じるのである。
人間臭さといえば、ヴィック・ディッケンソンのトロンボーンほど肉声に近い音はないと思う。
まるで下町に住むだみ声の親父が、常連客を呼び込んでいるように聞こえる。
そうだ、この作品は「ALWAYS 三丁目の夕日」のようななつかしさと感動をもらえる作品だというと、ある程度わかってもらえるかもしれない。
「え? そんな日本の通俗的なものと一緒にするな?」....はい、すいません。



STEFANO DI BATTISTA 「'Round about Roma」

2009年01月09日 | Alto Saxophone

ある種のトリップ感覚に陥る作品だ。
舞台は崩れかかった中世の古城。
遠くから静かに響いてくるバイオリンの響き。そこに絶妙なタイミングでブラシが入り込んできて、ステファーノ・ディ・バチスタのアルトが歌い出す。そう、まさに歌い出すといった感じが適当だ。
彼のアルトは時にフルートのように響いたり、オーボエのようだったりする。
これを意識的にやっているのかどうかわからないが、このアルバムはその音色の変化を楽しむ作品なのだ。

ストリングスをバックにしたアルトといえば、チャーリー・パーカーの「With Strings」を思い出す。
「Just Friend」の出だしは何度聴いても痺れるが、このステファーノ・ディ・バチスタもやはりパーカーからの影響が大である。
実際彼も「Parker's Mood」というパーカーのカバーアルバムを出しており、一頃はインターネットラジオで頻繁にかかっていた。
私が彼の名を知ったのもそうした媒体を通じてである。
名前も印象的だった。
何やらサッカー選手のような雰囲気も漂うが、何より名前だけでイタリアそのものを感じることができた。まぁお得な人である。

さてそんなことはさておき、問題は4曲目の「Romeo and Juliet」である。
これはニーノ・ロータの名曲で、大ヒットした映画の主題曲であるが、良しにつけ悪しきにつけこの選曲がこの作品のハイライトである。
そのスケールの大きさ、メロディのわかりやすさ故に、一見、尻込みしてしまいそうではあるが、彼はこれを大まじめに演じて見せてくれる。この度胸の良さに拍手を贈りたい。
やっぱり彼は純粋なイタリア人なのだ。


AVISHAI COHEN 「Gently Disturbed」

2009年01月04日 | Bass

どういったらいいんだろう。
最初のピアノの音からして普通と違う。吸い込まれそうな鳴り方・響き方をしている。
いきなりこんな印象を持てたのは間違いなくe.s.t.以来だ。
そこには全体に音の重心が低い深遠な世界が創られており、私たちはあっという間に引きずり込まれるのだ。
これは単純にリーダーのアヴィシャイ・コーエンがベーシストだからといったことでは済まされない。
音そのものに彼らの魂が入っているような感じがするのだ。

このアルバムだけ聴いて判断するのも乱暴だが、これはバド・パウエル・トリオ~ビル・エヴァンス・トリオ~キース・ジャレット・トリオときた、歴代ピアノトリオの革新的なスタイルの次なる完成形のように思えてくる。
この完成形はe.s.t.がその土台を創り、このアヴィシャイ・コーエン・トリオが最終的な仕上げを行ったと思えてしまうのである。
ではなぜそんな印象を受けるのだろう。
まず楽曲であるが、これはクラシック的な雰囲気が随所に漂っている。特にメロディラインなどはクラシックの名曲を聴いているような優雅さがあって洗練されている。
もちろん音は完全なジャズである。しかもかなりゴリゴリした力強さが前面に出てくるジャズだ。但し複雑な変拍子が続くので、ロック的・ラテン的な要素もあちこちで感じられ、単純な4ビートジャズではない。しかもそれらが見事に融合されていて、アルバム全体の統一感が生まれているのだ。
しかしそう書くとe.s.t.とどこが違うのかという話になってしまうが、e.s.t.ではやはりピアノが主役だったように感じている。それに比べこのアヴィシャイ・コーエン・トリオは誰が主役という感覚はまるでない。メンバー全員がそれぞれの持ち味やテクニックを駆使して結びついているところにその完成度の高さを感じるのである。

これはe.s.t.同様に大音量で聴きたいピアノトリオである。
ベースが、ドラムスがまるでスピーカーを破って飛び出してくるかのような迫力だ。これは実に快感だ。まだという方はぜひとも聴いていただきたい。
余談になるが、アヴィシャイ・コーエンはエスビョルン・スヴェンソンに雰囲気がどことなく似ている。どうやら現代はこの手の顔に革命児の素質を持たせているのかもしれない。