SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

WALLACE RONEY 「Intuition」

2008年02月28日 | Trumpet/Cornett

ウォレス・ルーニーはマイルスの後継者と言われる人だ。
確かにバリバリ吹いていた頃のマイルスによく似ている。これがどこかでかかっていたらほとんどの人がマイルスだと思うだろう。
音の伸び、ための利かせ方、曲のムード、どれもこれもマイルス流の硬派なストレートジャズである。
ここまでそっくりだとそれはそれで「オレはこの道を行くのだ」という信念のようなものを感じる。
バックだってそれに充分呼応している。
サックスを吹くゲイリー・トーマスやケニー・ギャレットはウェイン・ショーターのようだし、ピアノのマルグリュー・ミラーはハービー・ハンコックのようにキレがよく、注目の美人ドラマー、シンディ・ブラックマンにはトニー・ウィリアムスのような躍動感がある。唯一ベーシストには本家本元マイルスグループのメンバーだったロン・カーターを起用しており、全体をビシッときめている。

とにかくこのクインテットは真剣そのものだ。
演奏が前屈みになりグイグイと突っ込んでくる。まるで切れ味のいい鋭い刃物のようだ。
これは全編に渡って大活躍しているシンディ・ブラックマンのドラミングに寄るところも大きい。
そういえばこのシンディ・ブラックマンというアフロヘアーの女性、なかなかの才女である。
このアルバムにも2曲ほど曲を提供しており、これが両方ともいい出来映えだ。
彼女はレニー・クラヴィッツのバンドにも在籍しており、彼女をジャズドラマーだとは知らないファンも多いようだ。あの出で立ちで器用に何でもこなすからそれも頷けることではあるのだが。

話をウォレス・ルーニーに戻そう。
マイルスの音楽を受け継ごうとする彼のような人間がいてもいいとつくづく思う。マイルスだってきっと草葉の陰で喜んでいるに違いない。ルーニーを通じて自分のことも再認識してもらえるからだ。
こうやって先人の精神が次世代に受け継がれていく。これでいいのだ。





ORNETTE COLEMAN 「TOMORROW IS THE QUESTION」

2008年02月27日 | Alto Saxophone

このふてぶてしい面構えが好きだ。
やはりただ者ではない、と瞬間的に感じてしまう。
人間、いい顔であるかどうかはそうした「何か」を感じさせるかどうかで決まるのだと思う。

オーネット・コールマンといえばやっぱりフリージャズだ。
フリージャズとは原曲のメロディラインをほとんど消し去り、最初から終わりまで自由な即興演奏を続けるようなスタイルだ。そんな中でサックスやトランペットは金切り声を上げ、ピアノは打楽器になってしまうような激しい演奏が展開される。
私も一頃はこのフリージャズにのめり込んだ。
セシル・テイラーやアルバート・アイラー、この時期のコルトレーンもよく聴いた。
この時代はこういう音が似合っていたのだと思う。今の時代の感覚でいいか悪いかなどを判断するわけにはいかないのだ。
私も60年代は子どもだったので正直言ってその時代の人間とはいえない。ただ子どもは子どもなりに時代の匂いを感じていたことだけは確かである。
世の中は何か空しさや怒りといった歪んだ感情に満ちあふれていた。フリージャズはそれを見事に代弁していたのである。
つまりフリージャズは時代が創り出した音楽なのだ。

ここにご紹介するオーネット・コールマンの「TOMORROW IS THE QUESTION」には、彼が本格的なフリージャズを始める前の姿が記録されている。時代もまだ50年代だ。
彼のアルトサックスといい、ドン・チェリーのトランペットといい、実に「渇いた」演奏だ。
ジャズといえばどちらかというと湿った感覚の音に近いような気がするが、この作品の音からは砂埃が舞い上がるような感覚があって、やはりこれからただならぬことが起きることを予感させる。
そんな風に考えてみると彼の表情にも納得がいく。
彼の目にはやがてやってくる未来が見えていたのだと思う。

NICK WELDON TRIO「LAVENDER'S BLUE」

2008年02月26日 | Piano/keyboard

何といっても2曲目が好きだ。「Sonora」である。
こんなに素敵な曲を書いたハンプトン・ホーズに拍手を贈りたい。
こういった切ないメロディに心が揺り動かされてしまうことが、ピアノトリオを聴く一番の喜びなのである。
しかもニック・ウェルドンのこのアルバム、全体に録音がすばらしいのだ。
特にベースの迫力はなかなかのもので、指で弾いた弦がネックに触れビリビリ震えるあたりは実にリアルである。正に痺れるとはこのことだ。クレジットを見るとそれもそのはず、エンジニアはここでベースを弾くアンドリュー・クレインデール自身が行っている。これで納得。
ドラムはピアノやベースよりもやや奥に配置されていて全体に立体感が味わえる。シンバルを叩くパシーンという鮮烈な音が全体を包み込むのも快感だ。こういう録音は大歓迎である。

このアルバムは全9曲中、7曲がピアノトリオ、5曲目の「Liffey」にはティム・ガーランドの哀愁を帯びたソプラノ・サックスが、ラストの「Lavender's Blue」ではクリスティーヌ・トービンのやや鼻にかかった歌声がいい味を出している。全体を通じて飽きさせないのはこうしたスパイスが利いているからだ。このへんの作り方も上手い。

とにかくいいメロディがたくさん詰まっているアルバムだ。
決して派手さはないものの買って損はない。
そのまんまの表現だが、淡い紫色のラベンダーをガラスに花器に入れて窓辺に飾ってある、そんなさりげなさと可憐さが感じられる作品なのだ。


STANLEY TURRENTINE 「BLUE HOUR」

2008年02月22日 | Tenor Saxophone

黒い、とにかく黒い。
私が持っているアルバムの中でも、これだけ黒い内容の作品はあまり類がない。
....とかいいながら「黒い音っていったい何だ?」と聞かれると即答できないのが情けないところだ。
普段は聴きながら感覚的にそう思っているだけで、突き詰めて考えたことがないからだ。
でもこれもいい機会だからちょっと真剣に考えてみようと思う。

黒い、とは暗いことだろうか。
それも一理あるが、陽気な黒さという言い回しもよくされているのでちょっと違うようだ。本当に暗いのは「ブルー」だろう。
そういえばこのアルバムのタイトルは「ブルー・アワー」だ。直訳すれば「憂鬱な時間」という感じだろうか。
フランシス・ウルフが撮ったジャケットの写真も暗い。わざとローアングルにしてこのブルーな雰囲気を強調させている。
しかしこのアルバムの演奏はタイトルほどの暗さを感じない。
スリーサウンズとの共演ということも頭のどこかにあるからかもしれない。
これはやっぱり青ではなく黒に近い音なのだ。

「黒い」というのは、ひょっとすると黒人らしいということなのかもしれない。
これは何となく当たっている感じもする(決して差別発言ではないので誤解しないでほしい)。
黒人霊歌のようなスピリチュアルな心の動きが表出した音だ。
ジーン・ハリスの弾くブルージーなピアノがその黒に青を継ぎ足していき、出来上がった音が深い青みを帯びた黒なのだ。
私はいつもこの色を楽しんでスタンリー・タレンタインを聴く。
大好きなテナーマンの一人だ。



JACK JEZZRO 「JAZZ ELEGANCE」

2008年02月19日 | Guiter

ナイロン弦のアコースティックギターでストレートなジャズを奏でる。ありそうでなかったアルバムだ。
弾いているのはジャック・ジェズロ。
私が彼を知ったのはビージー・アデール一連のアルバムだった(彼女のアルバムは以前ここでご紹介した)。
彼女の作品はいかにもセンスがよく、私自身とても気に入っていたのでプロデューサーは誰だろうかとクレジットを見たら、彼の名前が載っていたというわけだ。むろん彼の名を聞くのはそれが初めてだった。
世の中には隠れた才能がいるものである。

内容はタイトル通り、実にエレガンスだ。
こんな曲がお店でかかっていたらどれだけ粋な気分になれるだろう。そんなことを思わずにはいられない作品だ。
ビージー・アデールのアルバムもそうだった。よくできたイージーリスニング・ジャズともいえるが、決して安っぽくはない。
自分の部屋をおしゃれに演出したかったなら、このアルバムを手に入れることをお薦めする。
但し、お店ならともかく自分一人で聴くのなら最初から終わりまで垂れ流し的にかけてはダメだ。
その時の気分に合わせて2~3曲選び出すのがコツである。

私は今、4曲目の「Dancing On the Ceiling」を聴いている。
彼の左手はコードを押さえたままフレットの間をスライドしてメロディを作り出している。
ほのかな喜びが湧いてくるような優しく明るい演奏。
彼の弾くナイロン弦のアコースティックギターは、私をふわふわと空の彼方へと持ち上げてくれる。この軽さが何とも快感なのだ。



DAVE PIKE 「Limbo Carnival」

2008年02月18日 | Violin/Vibes/Harp

3日前は瀬戸内にいた。
岡山市での仕事を終え時間ができたので、思い切って早朝にホテルを出て瀬戸内海の直島へ足を運んだ。
知っている人も多いと思うが、この直島は小さな島ながら島中が現代アートに溢れているのだ。ここではベネッセ・コーポレーションが建築家の安藤忠雄氏らと組んで行ってきた一大プロジェクトが今も進行中で、アート好きな私にはとても刺激的な島なのである。
フェリーで港に着くと私はそこから町営のバスに乗った。
農協前でバスを降りて「家プロジェクト」と称されるアーチストによる民家の改修群を見て回る。
狭い路地にユニークな家やお寺などがいくつか点在しているのだが、それが不思議と違和感がないことに驚いた。
しばらく歩いていると路地の奥からジャズが聞こえてきた。
こういう時に好きな音楽と出会うとやはり嬉しくなるものだ。
最初は誰の演奏かわからなかったが、この曲は確かに知っている。明るいリズムに爽やかなヴァイヴの音色。そう、これはデイヴ・パイクだ。
このカリプソ音楽が瀬戸内海の島によく似合っており、家で聴くよりも何倍も魅力的に聞こえた。
瀬戸内ではまだ2月だというのに、空は抜けるような青空で梅の花もあちこちで咲いている。雪国育ちの人間としては何ともうらやましい限りである。

その後、ベネッセ・ハウス~海岸アート~地中美術館と歩いて見て回り、出発点であった港に戻ってきた時は満足感でいっぱいだった。
モダンアートとモダンジャズ、瀬戸内とデイヴ・パイク、これって、ごはんと味噌汁のように相性がいい。


HORACE SILVER 「HORACE-SCOPE」

2008年02月11日 | Piano/keyboard

ちょっと前の話になるが、知り合いのジャズバーのカウンターで酒を飲んでいたら、隣りに座った人がマスターに向かって「〈ニカの夢〉をかけてくれ」とリクエストした。
マスターは手際よくレコード棚からこのホレス・シルバーのアルバムを引き出し、ターンテーブルに乗せた。
ブルー・ミッチェルのトランペットとジュニア・クックのテナーによる生きのいいアンサンブルが店内いっぱいに流れ出した。ラテン調のとてもわかりやすいテーマだ。思わずこちらまでリズムを取りたくなる。
最初にアドリヴを吹くのはジュニア・クック。次にブルー・ミッチェル、ホレス・シルバーと続くが、それぞれの受け渡し部分がキマっている。所謂ドラマチック仕立てなのだ。これぞホレス・シルバーなのだと思う。
ホレス・シルバーのピアノも力強い。左手はまるで叩きつけているかのようだ。このノリがイコール、ハードバップを支えた原動力でありこの時代の象徴なのだ。

私はその隣りに客に「この曲をよくリクエストするんですか」と聞いた。
するとその彼は「ええ、ジャズはそんなに詳しくないんですけど、この〈ニカの夢〉は大好きでね、よくかけてもらうんです」と目を細めていった。
正直言って私はホレス・シルバーの曲ならもっと他にもいい曲があるのに、と心の中で思ったが黙っていた。
彼はスコッチをグイと飲み干して、「まず〈ニカの夢〉っていうタイトルがいいですよね」と切り返してきた。
いわれてみれば確かにそうだ。何だか思わせぶりなタイトルでそこから哀愁が漂ってくる。
「そうですね、何だか絵の題名みたいですね」というと、
「絵ですか、それはいい」とご満悦の表情をした。
その後、曲が終わるまでは一言も話さずに彼はただじっとこの〈ニカの夢〉に聴き入っていた。
私はその彼の横顔を見ていて「大好きな曲が一曲あるということは幸せなものだな」と思った。



LEROY VINNEGAR 「Leroy Walks !」

2008年02月04日 | Bass

私にとってジャズが最も心地よく聞こえる音源、それがウォーキングベースだ。
このベース音が聴きたくて色んな人の色んな作品を買いあさる。
しかしいつだってリロイ・ヴィネガーにかなわないことを悟るのだ。
でもなぜだろう、ジャズ・ベーシストならみんなウォーキングベースを弾いているはずなのに、ヴィネガーのベースくらい気持ちのいい音で響いてくることは希だ。もちろんこれは私の個人的な感情でしかないが.....。
実際ヴィネガーは超がつくほどのテクニシャンではない。上手いベーシストならもっと他に大勢いる。
例えばスコット・ラファロ。ラファロのベースには圧倒的な迫力があった。超人的とも思えるハイ・テクニシャンである。このラファロと比べたらとてもヴィネガーに勝ち目はない。
しかし、しかしだ。
ジャズは凄みだけでは面白くないのである。もっと何か人間的なもの、そう、ヴィネガーが弾き出す心臓の鼓動のようなあのリズムこそジャズの本質であり醍醐味なのだ。

リロイ・ヴィネガーのリーダーアルバムをご紹介するのは今回が初めてだが、ここでご紹介したアルバムの多くの作品にリロイ・ヴィネガーが参加している。
デクスター・ゴードンの「DADDY PLAYS THE HORN」、シェリー・マンの「MY FAIR LADY」、サージ・チャロフの「BLUE SERGE」、ソニー・クリスの「go man !」、ドン・ランディの「Where do we go from here ?」、ケニー・ドリューの「Talkin' & Walkin'」、カール・パーキンスの「Carl Perkins Trio」ベニー・カーターの「JAZZ GIANT」などである。
これらのアルバムの購入動機の半分は、間違いなくリロイ・ヴィネガーの存在である。
要するに私は彼の大ファンだということだ。
あのにこやかにベースを抱えて歩いてくる姿が彼の性格を物語っている。ベースは地を這うように重いが曲想は明るい。彼もまた典型的なウエストコースターなのだ。
ズン、ズン、ズン、ズンと腹に響くベース。このベースが私をジャズの虜にしたといっても過言ではない。


HERBIE HANCOCK 「SPEAK LIKE A CHILD」

2008年02月03日 | Piano/keyboard

美しいジャケットだ。これだけでも買う価値は十二分にある。
「SPEAK LIKE A CHILD」というタイトルもいい。誰だって聴いてみたくなるはずだ。

ハービー・ハンコックはジャズを聴かない人にも知られているビッグネームである。
但しマイルスクインテットに在籍していた頃はそこそこに理解できたが、最近は何をしたいのかよくわからない。まぁマイルスに影響されてか色んなことに手を出すから始末が悪い。
どちらかというとチック・コリアも同じような傾向にあるが、チック・コリアの場合は何をやってもどこかスパニッシュっほい味付けがなされているからハンコックよりわかりやすい。
しかしハンコックのこのアルバムはストレートだ。同じ年に発売されたチック・コリアの「Now He Sings, Now He Sobs」と並んで、この時期の傑作である。

まずハンコックのピアノが美しい。透明感があるといってもいい。
有名なタイトル曲は言うに及ばず、重厚なホーン・セクションとの対比が実に上手くアレンジされている。個人的にハンコックの純粋なジャズピアノを聴きたければこのアルバムがイチオシだ。
それと特筆すべきは強靱なロン・カーターのベースと、鮮烈なミッキー・ロッカーのシンバルワークである。この二人によって全体がガチッと支えられており、こうしたリズム・セクションの重要性を改めて思い知らされる。
録音はややこもりがちで、小さな音ではこのアルバムの良さが引き出せない。ここは思い切ってボリュームを上げてみよう。たったそれだけのことでこれまでのイメージをきれいに払拭できる。
よくよく考えてみれば、全く違った音がそこに生まれるなんて実に不思議なことだ。
オーディオマニアの気持ちがわかる一枚である。