SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

ROSEMARY & BETTY CLOONEY 「Sisters」

2008年12月31日 | Vocal

この歌(I Still Feel The Same About You)が吹き込まれたのは1951年1月である。
この当時はこういったいいデュエット作品が多かった。
事実、ローズマリー・クルーニーもビング・クロスビーとのデュエットで一躍有名になった人だ。

さて一昨日からの話を続けよう。
このクルーニー・シスターズの歌が流れると部屋中の空気が一変した。線香の匂いが吹き飛んで、甘い香水の香りに包まれた。
みんなの顔にも自然と笑みがこぼれる。
あの先輩の表情も穏やかになり、しばらくは聴き入っていたようだ。
但しこういった曲は何曲も続けて聴いてはいけない。なぜかというと単純に飽きるからである。せいぜい2曲か3曲に留めておくのがコツなのだ。
そこで私は「I Still Feel The Same About You」が終わるとすぐに針を上げてもらった。
「コルトレーンの後でこれはちょっと場違いでしたかね」と私がいうと、先輩は「いやいや、こういうのも悪くない」といった後で、「しかしこれはジャズじゃない」と一言付け加えた。
確かにそうだ。ジャズの要素はほとんどない。ローズマリー・クルーニーはジャズシンガーで通っているというだけの話なのである。

それから小一時間が経ちそろそろ帰ろうかと思った時、先輩がおもむろに「これはしばらく置いていけ」と私のレコードを指さした。
意外にも気に入ってくれたことが嬉しく、私は快く了解した。
しかしこれがそのレコードの見納めになった。
あれから既に約30年が経つが未だにそのレコードは返ってこないのだ。
今となってはそれがどんなジャケットだったかもはっきり覚えていない。しかも「I Still Feel The Same About You」の入ったアルバムがどこを探しても見つからないのである。ここでご紹介する「Sisters」にも収録されていない。
それが最近になって、一昨日ご紹介した「You're Just in Love」というアーリーヒッツに収録されているのを見つけたのだ。
私は小躍りして喜び、それを買い込んだ。
レコードはCDになったが、その甘い歌声は変わらない。感動がじわっとこみ上げてきた。
この曲が私の宝物になった瞬間である。

JOHN COLTRANE 「Crescent」

2008年12月30日 | Tenor Saxophone

それにしてもインパルス時代のコルトレーンはすごかった。
これをかけてさえいれば、どこでも本格的なジャズ喫茶のような雰囲気をつくり出すことができた。
なぜかと聞かれても即答できないのだが、コルトレーンが生み出す音には一種独特の匂いがあった。どことなく東洋的な線香のような匂いだ。コルトレーンが好きな人は、この強烈な匂いがたまらないのだと思う。
先輩のO氏もそうだった。

長い長い「アセンション」がようやく終わり、先輩は煙草に火をつけると「どうだ、いいだろ」と得意気に語り始めた。
そこに居合わせた友人たちも、一様に首を縦に振る。
正直言って何がいいのかわからなかったが、私も鬼気迫るようなパワーに圧倒されたことは確かだったし、これが本物のジャズだといわれれば納得するしかなかった。それくらいコルトレーンの生み出すフリージャズは難解で、近寄りがたい精神世界だった。

先輩は次に「クレッセント」をかけた。
これは名作の誉れ高い「バラード」とは一味違ったもうひとつのバラード集である。
相変わらず線香のような匂いはしてくるものの、緊張感から解放された喜びは大きく、とても聴きやすいコルトレーンだった。
この時は全員、心の中で胸をなで下ろしていたのをよく覚えている。

しばらくして先輩はある程度満足したのか、「今度はおまえが持ってきたレコードをかけてやろう」と言い出した。
私はしばし躊躇はしたものの、袋からローズマリー・クルーニーのレコードを出して差し出した。
一瞬、「???」という何ともいえない間があった後、「こういうヤワなのもたまにはいい」と慣れた手つきでレコードにスプレーをかけ、ターンテーブルに乗せて針を落としてくれた。
ロージーとベティのコーラスによる歌声が部屋いっぱいに充満した。
私のアパートで聴くそれとは全然違った音の広がりだった。


...今回も長くなりそうなのでこの続きはまた明日。



ROSEMARY CLOONEY 「You're Just in Love」

2008年12月29日 | Vocal

昨夜は十数名の友人たちと深夜まで〝年忘れジャズパーティ〟を行った。
この会はこれまで何度か不定期で開催しており、ジャズの好きな仲間たちの家に一品持ち寄りで出かける、いわばポットラック・パーティだ。
持ち寄るのは何も飲み物や食べ物だけではない。今回は心に残る1曲をCDで持ち寄った。
いろいろな曲が集まって、自己紹介しながらそれを1曲ずつ聴いていくのはなかなか楽しいものだが、私はこのローズマリー・クルーニーのアーリーヒッツというベスト盤の中から、3曲目の「 I Still Feel The Same About You」を選んで持参した。

この曲は学生の頃、FENで聴いてとても気に入り、その場ですぐさまメモを採って、この曲の入ったLPレコードを探し入手した(レコード名は忘れてしまった)。
ただこの当時は貧乏学生だったために、今のように気に入ったレコードを片っ端から手に入れて聴くなどということは到底できないことだった。だから今以上に愛着を持って入手したレコードを、繰り返し繰り返し聴いていた。
この曲でロージーは妹のベティ・クルーニーと共にデュエットしているだが、これが実にいいハーモニーを奏でており、聴いている時はまさに夢心地であった。

そんな折り、ジャズファンで名が通っていた先輩のO氏の家に招かれる機会を得た。
O氏の家は練馬の石神井公園の脇にあった。
私はローズマリー・クルーニーのレコードを抱えてその家に行くと、思い切って玄関をノックした。
「おう、きたか」と口ひげを生やしたO氏が出てきて、自分の部屋に招き入れてくれた。
部屋にはモノクロのジャズのポスターがあちこちに貼ってあり、大きなJBLのスピーカーからはすさまじい音でコルトレーンがかかっていた。あれは間違いなく「アセンション」だったと思う。
既に他の友人たちも来ていて、一瞬「どうも」という目で挨拶をするものの、みんなこの音楽を理解するのに必死の様子だった。
まぁ、半分は覚悟していたのだが、どうやら私が持参したレコードは完全に場違いのシロモノだった。

....ちょっと長くなりそうなのでこの続きは明日書きます。

JESSICA WILLIAMS 「THIS SIDE UP」

2008年12月26日 | Piano/keyboard

ジェシカ・ウィリアムス、MAXJAZZにおける初のレコーディング作である。
彼女くらいの実力があると、いきなり第1音からその世界を創り出す。
女性だからといって少しも甘くない世界だ。
ピリッと張りつめた緊張感が、曲が替わっても持続していく。そこにはまるで組曲を演奏しているかのような一貫性があって、彼女のアルバムづくりに対する拘りが見て億れる。
言い換えればスタジオ録音なのに、連続して演奏を行っているライヴのような感覚に陥るのだ。
私たちはこの世界にぐいぐい引き込まれていく。

気がつくと4曲目辺りから、緊張感もとれていっていつしかリラックスできるようになる。
5曲目の「セレナータ」は感動ものだ。レイ・ドラモンドのベースも弾けている。
但しこのアルバムで特筆すべきは、その後に登場する3つのトリビュートナンバーである。
6曲目の「マイルス・トゥ・ゴー」はもちろんマイルス・デイヴィスに捧げたナンバー。ところどころでピアノの弦を指で押しつけてトリッキーな演奏を見せる。キュイ~ンと伸びた音が何だかマイルスを暗示しているように感じる。
7曲目はローランド・カークに捧げた「ユーリピアンズのテーマ」。この曲は劇的な構成になっており、タンゴ調のリズムに乗ってカークの思い出が通り過ぎてゆく。
そして8曲目が「アイ・リメンバー・デクスター」。
これはデクスター・ゴードンに捧げた曲で、曲名だけ見ればベニー・ゴルソンの「アイ・リメンバー・クリフォード」を連想してしまうが、ここはデクスターの性格に合わせて、ジメジメしない明るい展開にしている。
彼女はサンフランシスコの〝キーストーン・コーナー〟で、実際にデクスター・ゴードンのバックを務めていたこともあり、デクスターの喜びそうなツボを心得ていたのではないだろうか。
そして9曲目の「イノセンス」。これがまた涙ものだ。ラストの「オフ・ブルー」もいい。
どちらもここまでの出来事を振り返るかのような仕上がりになっている。

ここまで読まれてお気づきだろうと思うが、このアルバムはなかなかに計算されたストーリーになっている。
もちろん誰もが私と同じような感慨を覚えるわけではないだろう。
しかし1曲1曲の出来もさることながら、アルバムはやはり全体を通しての価値を生み出せるか否かが重要なのだと思う。
そういう点でいえば、このジェシカ・ウィリアムスは実に立派なアーチストなのである。

HAROLD LAND 「THE FOX」

2008年12月24日 | Tenor Saxophone

私にとってこれは、もう一つのブラウン~ローチ・クインテットだ。
但しここにはクリフォード・ブラウンもマックス・ローチもいない。しかも録音された場所がカリフォルニアだから、そうしたデータだけ挙げれば、まるで違う作品かもしれない。
しかしこの疾走感といい、安定感といい、ハロルド・ランド一人いればブラウン~ローチ・クインテットのエッセンスが充分味わえる。
嘘だと思う人は、あなたのレコード棚にあるブラウン~ローチ・クインテットのアルバムをもう一度聴き直してみるといい。
確かにクリフォード・ブラウンやマックス・ローチはすごい。しかしそこに登場するハロルド・ランドも彼らに一歩もひけをとらない実力者であることに気づくだろう。
そう、彼こそが名脇役であり、グループにとってなくてはならない存在だったのだ。

彼のテナーは、硬い芯にコイルをぐるぐると巻き付けたような頑丈さが持ち味である。下手なテナー奏者にありがちな「ふらつき」が一切ない。
しかもメンバーとのコンビネーションが抜群にいい。
このアルバム「THE FOX」でも、リーダーでありながら極端に出しゃばるところがなく、みんなにも花を持たせている辺りがいかにも彼らしい。
お陰でエルモ・ホープなんかはどうだ。迷いを吹っ切るようなすごい演奏を随所で聴かせてくれる。自分のリーダーアルバムよりも格段にいい、なぁ~んて書くと叱られるかな。

曲は1曲目のオリジナルである「Fox」、3曲目の「One Second, Please」、4曲目の「Sims A-Plenty」辺りのスピード感が、ブラウン~ローチ・クインテットを彷彿とさせいい出来だが、個人的にはややブルージーな5曲目の「Little Chris」も捨てがたい。
エルモ・ホープの他にも、全編に渡ってフランク・バトラーがマックス・ローチばりの大活躍をしている。
彼の叩き出すリズムに全員がお尻を叩かれているようだ。
これが吹き込まれた1959年はハードバップの全盛期。西海岸だってクールじゃいられなかったのだ。

LIONEL HAMPTON 「STARDUST」

2008年12月21日 | Violin/Vibes/Harp

時は1947年のカリフォルニア・パサディナのライヴハウスへタイムスリップ。
ジャズの歴史的名盤は数あれど、これはその中でも〝チョー〟が付くほどの決定版である。
この作品を知らずしてジャズは語れない(語ってもいいけど、ジャズファンとしてはちょいとなさけない)。

このアルバムはもちろんライオネル・ハンプトンのリーダーアルバムだが、彼はタイトル曲の1曲にしか登場してこない。
実際は何曲も演奏を行ったのだが、それはレーベルの違う3枚のレコードに分けて収録されており、その3枚全てを聴かないとその日の全容が掴めない。つまりそれぞれのレコード会社がバラバラに曲を買い取ってレコード化したためにこんな結果となったのだ。
このへんが何ともレコード業界のいやらしいところではあるが、それくらいこの日の演奏がすばらしかったということなのだろう。

私はこのレコードからジャズの楽しさをいくつも教わった。
まずウィリー・スミス(as)やチャーリー・シェイバース(tp)のユーモア精神である。
あの唸るような吹奏から、ジャズはいかにリラックスすることが重要か、観客との一体になることが重要かを教えられたのだ。
パフォーマンスといえば、続くスラム・スチュアート(b)によるアルコとハミングの合わせ技の妙技にも恐れ入った。こんなベース弾きのスタイルは生まれて初めて聴いた。
これは実際に聴いてもらうよりわかってもらえる手だてがないが、これが実に快感なのだ。お陰で私にとってこのアルバムイメージは、彼のハミング色で染まっているといっても過言ではない。
そして極めつけがラストで転がるように登場するライオネル・ハンプトンの硬質ヴァイヴである。
もともとはドラマーだったということが証明されるような強力なマレットさばきと、次から次へと溢れ出るアドリヴ。いやはや文句のつけようがない。正に息を飲む入魂のプレイである。
これは歴史を超えて今なお輝き続ける名盤だ。
やっぱりこれを聴かねばジャズは語れない。

ERNST GLERUM 「OMNIBUS TWO」

2008年12月19日 | Bass

グレルムの話をしたついでに「OMNIBUS TWO」もご紹介したい。
あの大ヒットした「OMNIBUS ONE」から3年の時を経て出された〝OMNIBUS〟シリーズ?第2弾である。
彼らはレトロバスがトレードマークのようになってしまった。
今回のジャケットに使われている2階建てバスは、既にONEのライナーノーツの中に載っているものだ。ここではちゃんとフロントからテール部分までバス全体が写っている。
なぜ今回のジャケットではトリミングしたのだろう。バスをより大きく見せるためか、はたまた背景の青に対する赤の面積を増やしたかったからなのか、わからない。しかし、よく見ると今回はフォトレタッチされている部分がいくつかあり、ONEのライナーノーツの中で紹介されているものと比べると、色彩もかなり強調されている。いわゆるビビッドに調整されているのだ。これが〝総天然色カラー〟的なレトロさを増幅させる結果を生んでおり、おそらくこれが彼の狙いだったのではないかと思っている。

このようにエルンスト・グレルムという人は、そういったイメージ戦略にかなり拘る人のようだ。
以前、「OMNIBUS ONE」をご紹介したときにも書いたが、彼のウェブサイトを見れば彼本人の趣味がよくわかる。ここにもレトロ調の車や電話機なんかがところどころ配置されていて面白い。
ついでにContact/Linksに並ぶ仲間たちのサイトを見て回ったが結構楽しめた。
蛇足ながら、そこから「Trio Bennink/Borstlap/Glerum」へジャンプすると、2008年10月28日のトリオ演奏がYouTubeで観られるが、ここでのハン・ベニングがかっこよかった。ドラムスなんてスネア一つあれば充分なんだな~、と思った次第である。
エルンスト・グレルムはというと、このライヴ演奏では本来のベースに専念している。
「OMNIBUS TWO」ではもっぱらピアノを弾いているのだが、私は彼のベースをもっともっと聴きたい。それくらい彼のベースには魅力があるのだ。

「OMNIBUS TWO」の内容は「OMNIBUS ONE」を超えている。
今回は大型バスに揺られているような、ある種の浮遊感と力強さ、そしてみんなで旅をするという楽しさが味わえるのだ。
時には緊張を強いられる場面もあるし、リラックスできるシーンも出てくる。
とにかく買って損はないアルバムだ。
「OMNIBUS THREE」があるとすれば、今度はどんなジャケットになるのだろう。それも楽しみである。
個人的にはONEのCDに印刷されたボンネットバスが登場するのではないかと思っているだが....。




IGOR PROCHAZKA TRIO 「Easy Route」

2008年12月16日 | Piano/keyboard

今年リリースされたこのアルバム、なかなかの評判だ。
知らないのもしゃくに障るので早速手に入れたのだが、聴いてみてすぐに見せかけだけのシロモノではないと感じた。
イゴール・プロチャツカ(読み方に自信なし)の弾くピアノはそれほど前に出てこない。
時々、印象に残るフレーズが出てくるものの、全般的に奥の方で流れるようなメロディを刻んでいる。
飛び出してくるのはクリスチャン・ペレスの強烈なベース。
もう最初から終わりまで〝ぶいぶい〟いわせている感じだ。この迫力がアルバム成功の一因である。
フェデリコ・マリーニが叩くドラムスもコントロールが効いていて実に好印象。この人〝おかず〟の入れ方が上手い。しかも気がつけばいつの間にか4ビートのリズムではなかったりする。新しい風を感じるのはこの人のせいかもしれない。
とにかく3人の若さがとびっきり新鮮なピアノトリオなのである。

しかし何といってもこのアルバムはジャケットが人を惹きつける。
場所がスペインだからこういう眩しいくらいの風景はあちこちで見られそうだが、これをそのままアルバムジャケットにしようとするところに斬新さがある。
私がこのアルバムジャケットを最初に見たときは、すぐにエルンスト・グレルムの「OMNIBUS ONE」を連想した。
そう、あの印象的なレトロバスの写真が使われた作品だ。
その時もハッとしてすぐに買い込んだが、中身の演奏もこのアルバム同様、なかなかのものだった。
やっぱり中身の善し悪しは「顔」に出るのだ。

このアルバムの特徴的なもう一つの部分は、僅か35分という全体の演奏時間の短さである。
「あれ、もう終わったの?」ってな感じだが、私はこれくらいが腹八分目でちょうどいい。
これ以上聴いていると無駄な贅肉が付くというものだ。


WYNTON KELLY 「KELLY BLUE」

2008年12月13日 | Piano/keyboard

外で聴くジャズと家で聴くジャズは違う。
このところは家にいるとヨーロッパ系のピアノトリオなんかをターンテーブルに乗せる回数が多い。
本当はそうでもないのもしれないが、あくまでイメージするとそんな気がしてくるのだ。
実際家ではジャズ喫茶のように大音量で聴くことが難しいというのがその理由かもしれない。
だからといってヘッドホンなんかで聴きたくない。難聴になる原因だし、何よりヘッドホンだと音を身体で受け止めるという醍醐味がない。ただ単に音がでかければいいというものでもないのだ。
だから自ずとかけるジャズはおとなしめのものになってくる。
しかしそんな毎日を過ごしていると、やっぱりジャズは大音量でなければダメだ!という感情がむくむくと頭を持ち上げてくる。
で、おもむろにかけるアルバムはというと、バリバリのハードバップである。
このハードバップ・ジャズは大音量で聴いてナンボのものなのだ。
私にとってのジャズ喫茶は、そんな欲求を満たすためだけにあるといってもいい。

このウィントン・ケリーの代表作「KELLY BLUE」は、正にジャズ喫茶の花形だった。
マイルス・クインテットの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」やジャズ・メッセンジャースの「モーニン」等と並び、ジャズ喫茶で最初に思い浮かぶアルバムがこれだ。実に当たり前なことを書いているが、このアルバムからはジャズ喫茶で出される珈琲の匂いがするといっても過言ではないのである。
1曲目のイントロを聴いただけでぞくぞくする。ケリーはもとより、ポール・チェンバースのかっこよさにもノックアウトされた。
さらに2曲目の「朝日のようにさわやかに」。この水がしたたり落ちるようなシングルトーンがたまらなかった。
この曲はソニー・クラークの演奏が有名かもしれないが、私は断然ケリーの演奏が好きだったし、この曲のベストがこれだと今でも思っている。
この曲はピアノトリオで演奏されているが、明らかに今流行りのヨーロッパ系の音とは違う。大音量で聴きたいピアノトリオなのだ。
だからこれが気持ちよくかかってさえすれば、そこはちゃんとしたジャズ喫茶なのだった。
私にとってのジャズ喫茶はアメリカそのものなのである。

渡辺貞夫 「PARKER’S MOOD」

2008年12月11日 | Alto Saxophone

日本のジャズメンの中では、最も知名度の高い人に違いない。
ナベサダのコンサートはもう何回も行った。
何時どこで観ても会場は満席だった。しかもその顔ぶれを見ると老若男女が揃っており偏りがない。
因みに今年79歳になった私の母親もこのナベサダのファンだった。
彼がテレビに出る度に、「この人は日本にジャズなんていう言葉がなかった頃からジャズをやっていた」というのが母の口癖。
「んなわけないだろ」といっても取り合ってくれない。
彼はそれくらい日本にジャズを根付かせた功労者でもあるわけだ。

このアルバムは、大ヒットした「カリフォルニア・シャワー」からしばらく続いたフュージョンアルバムの後に突如出されたライヴ版である。時は1985年。もちろん内容はストレートアヘッド。彼が最も尊敬するチャーリー・パーカーの曲をタイトルに持ってきたアルバムだ。
フュージョン作品をつくるのに飽きたのか、はたまた自分の原点に戻ろうとしたのかはわからないが、私にはとても新鮮に感じられた。
演奏はというと、何といっても2曲目の「Everything Happens To Me」に痺れまくった。
ジェームス・ウィリアムスが弾く静かなピアノソロによるイントロの後で、ための効いたアルトがメロディを奏でる瞬間の快感がたまらない。この強さでこんなにも情感たっぷりに歌える人はそうそういない。こういうところが「世界のナベサダ」といわれる所以かもしれない。

ナベサダは実に笑顔が素敵な人だ。シワの付き方?がいい。
あの笑顔には彼の知性と人柄が浮き出ている。
そういえば彼が吹くアルトサックスからも同様の感情が沸き起こることがある。聴いているとあの笑顔が浮かんでくる時があるのだ。
そんな時、改めて彼の偉大さを知るのである。