SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

RICHIE BEIRACH 「WATER LILIES」

2007年10月28日 | Piano/keyboard

今年の春、オープンしたばかりの国立新美術館でモネ大回顧展を観た。
国立新美術館とは最近亡くなった黒川紀章が設計したあの有機的な曲面を持つガラス張りの美術館のことだ。
私が出かけた日は平日、しかも雨という天候にもかかわらず大勢の来館者で賑わっていた。
近くには東京ミッドタウンが控えており、そこから流れてくる人も多かった。都心のど真ん中にできると確かに便利はいいが、アートを観に行こうとする純粋な気持ちが削がれるような気がしてどうもいけない。やはり美術館は郊外に造るべきではないかと思ってしまう。
閑話休題。
印象派はとても人気があるアートシーンである。中でもモネは群を抜いている。後期印象派のゴッホと双璧だ。
なぜ人気があるかということだが、モネは目に見える「もの」の形を描いているのではなく、「もの」の存在を象徴させる光を描いているからに他ならない。要するに我々凡人とは視点がまるで違うのだ。言い換えれば、モネはものの存在とは何かといった本質を描きたかったのだ。それはこの大回顧展に並べられた作品を時代順に見ていけばわかる。彼の美に対する飽くなき探究が「存在の本質を描く」というこの一点に集約されていく過程が見てとれるのだ。だから多くの感動を呼んでいるのである。
そしてモネが最後に行き着いたのが「睡蓮」の連作である。
彼は水面に反射する光の美しさに魅了されたのだ。この睡蓮のシリーズの中でも特に有名なのが、パリのオランジェリー美術館に所蔵されているこのCDジャケットに掲載された睡蓮である。

リッチー・バイラークはこの作品のサブタイトルに「Richie Beirach Plays Musical Portraits Of Claude Monet」とつけた。
私はこのピアノソロを聴いて理解した。
この音楽はただ単に耳で聴くという行為だけでは不十分で、光あふれる風景を見るように感じなくてはいけないのだ。
もともとピアノソロはあまり好きではなく、リッチー・バイラーク以外にはせいぜいキース・ジャレットくらいしか聴かないが、この作品を通じてその聴き方を学んだような気がしている。

TRIO ACOUSTIC 「AUTUMN LEAVES」

2007年10月27日 | Piano/keyboard

この季節になると無性に聴きたくなる曲がある。
「枯葉」だ。何のひねりもなく当たり前すぎる話だが、それだけ名曲だということだ。
誰の演奏を聴いても、このメロディが流れると晩秋の寂しさが滲み出てきて切なくなる。これは曲そのものが持つ力だと思う。
希に曲のイメージを180°変えて演奏するジャズメンもいるにはいるが、大体において失敗している。やはり曲の力をうまく利用して演奏するに限るのだ。
この枯葉という曲、もともとはイヴ・モンタンがヒットさせたシャンソンだが、アメリカにおいてはビング・クロスビーやフランク・シナトラ、ナット・キング・コールらが歌い出しポピュラーな曲になった。
ジャズにおいては、やはりマイルスがキャノンボール・アダレイのブルーノート盤「サムシン・エルス」で演奏したものが決定的だった。ここでのマイルスの演奏が、この曲の力を最もうまく利用した好例ではないかと思っている。
この他にもビル・エヴァンスの「ポートレイト・イン・ジャズ」におけるピアノ演奏や、オスカー・ピーターソンとステファン・グラッペリの演奏などが永遠の名演奏として残っているが、おそらくジャズメンであれば、一度は演奏したことがあるはずの超スタンダードである。いうなればこの曲をどのように料理するかが、一流のジャズメンになれるかどうかの試金石になっているのだ。

で、このトリオ・アコースティックというハンガリーのグループだが、ここではダイナミックな枯葉が聴ける。
メンバーはゾルタン・オラー(p)、ピーター・オラー(b)の兄弟に、若いエミール・イェリネク(ds)とゲオルギー・イェセンスキー(ds)が加わった新進気鋭のトリオである。
とにかく演奏、録音共にものすごい迫力があり驚く。特にベースはゴロンゴロンいいながらスピーカーから飛び出してきそうな勢いがある。この艶めかしい音をどのくらいのボリュームで聴くか、そんなことまで神経を使わなければいけないアルバムなのだ。
ジャケットもなかなか大胆不敵。ありそうでなかったデザインに仕上がっている。
惜しむらくはグループ名がトリオ・アコースティックという何とも平凡で俗っぽい名前であることだ。

YUSEF LATEEF 「EASTERN SOUNDS」

2007年10月26日 | Clarinet/Oboe/Flute

このユセフ・ラティーフの作品を難しく解釈し始めたらきりがない。
これを聴いた多くのジャズメンが東洋音楽に興味を持ったらしい。コルトレーンがその代表格のようだ。
しかし私はジャズメンではないので東洋音楽がどうのこうのといった話はどうでもいい。要するに聴いてみて感動するかしないかだ。
1曲目の「Plum Blossom」、ポコポコいうオリエンタルな打楽器のリズムに乗って、怪しげな木管楽器?の演奏が始まる。この最初の曲がアルバム全体のイメージを決定づけている。初めて聴いたときは正直面食らってしまったが、最近はちょっと快感に変わってきた。但しバリー・ハリスのピアノソロがなかったらこれをジャズとはいえないのではないかと思う。もちろん、この曲が最初にあるからこそフツーじゃないと感じるわけで、それがラティーフの狙いだとしたら作戦は見事に当たっていることにはなるのだが....。

本当のジャズは2曲目以降に始まる。
2曲目はオーボエによるブルース。ラティーフの演奏もさることながら、彼を支えるピアノ、ベース、ドラムスのトリオがすばらしく、それだけでも一聴の価値がある。
3曲目に入ってラティーフは初めてテナーを披露する。
確かにこの演奏を聴けば納得だ。コルトレーンはラティーフによく似ていることがわかっておもしろい。
自信溢れる吹奏は続く4曲目のバラードにも現れているが、この優雅さはコルトレーンにない懐の深さを感じる。
しかし何といってもこのアルバムのハイライトは5曲目の「Love Theme from "Spartacus"」だ。
この一曲でこのアルバムは名盤化したといっていい。彼の吹くオーボエは哀愁を帯びたバリー・ハリスの弾くメロディに乗って、はるか高い空に舞い上がるのだ。

とにかくラティーフのものすごい風格を感じる作品だ。
一歩間違えば陳腐で観念的な作品になりかねないテーマだが、彼は自然体でこのテーマと向き合っている。
様々な楽器がそれそれの曲で生かされているような気もする。
またルディ・ヴァン・ゲルダーによるリマスターはとてつもない迫力を生み出しておりオーディオ的にも大満足だ。
誰でも充分に感動できる名作だと思う。

DUKE ELLINGTON 「THE POPULAR DUKE ELLINGTON」

2007年10月23日 | Group

ビッグバンドに関してはシロウトに近い。
このデューク・エリントンにしろカウント・ベイシーにしろ、それほど多くのレコードは持っていない。
モダンジャズばかり聴いていたので、なかなかこうしたビッグバンドジャズを聴く機会がなかったのだ。
私はレスター・ヤングにしろジョニー・ホッジスにしろ、スモールコンボでその存在を知ったので、彼らがいかにビッグバンドの看板スターだったかなどは知るよしもなかった。ましてや彼らの全盛期の録音は古く、さぞかしひどい音ではないかという印象があって、それも敬遠する要因の一つであった。
しかし、しかしである。
このアルバムは新生エリントン楽団入魂の一枚、しかもステレオ録音ときた。
収録されている曲もベストオブベストといえる内容で、私のようなエリントン初心者にはもってこいだ。
最初に針を落としてまたまたびっくり。
「Take the "A" Train」の前半はエリントンによるピアノトリオではないか。しばらく聴き入った後、絶妙なタイミングで楽団のアンサンブルがなだれ込んでくる。この演出は涙ものだ。本物とはこういうものかと思わずにはいられなかった。
続く「 I Got It Bad (And That Ain't Good) 」は私の大好きなジョニー・ホッジスが、まるで一人舞台のように大きくフューチャーされていく。この粘り気ある艶っぽいアルト、これでますますホッジスファンになっていったのだ。
しかし何といっても圧巻なのは「Black and Tan Fantasy」。ミュートをかけたトランペットとトロンボーンによる怪しげな吹奏とスマートなクラリネットの対比が面白い。エリントンのピアノも実にブルージーだ。

若い頃の私と同じようにビッグバンドジャズに偏見を持っている方にぜひ聴いてほしい。
少なくとも私はこのアルバムで心を入れ替えた。
スティーヴィー・ワンダーの曲に「Sir Duke」という有名な歌があるが、私もようやくスティーヴィーと同じ心境になれたのが嬉しかった。

JON JARVIS TRIO 「Never Never Land」

2007年10月22日 | Piano/keyboard

ジョン・ジャルビスと聞いてすぐ反応した人に出会ったことがない。
しかし知らない名前だからといって、こんなすごいテクニックのあるピアノトリオを見過ごすわけにはいかない。
ピアノトリオといっても彼らはピアノ、ギター、ベースのトリオで、ドラムレスである。昔のオスカー・ピーターソントリオと同じ編成だ。何となく原点に戻ったような懐かしい雰囲気が醸し出されるのはそのためである。
オスカー・ピーターソントリオと似ているのは何も編成だけではない。このジョン・ジャルビスという人のピアノテクニックはオスカー・ピーターソンに勝るとも劣らないのである。高音域でのハイスピード演奏は圧倒的な魅力と個性がある。正確に動く彼の指はまるでマシーンのようだ。どことなくクラシックの素養もある気がするし、ブルースだって完璧に弾きこなす。どうもただ者ではない。
ギターを弾くアンソニー・ウィラーという人もなかなかの逸材だ。一音一音味わいながら丁寧に弦を弾く。私はこうした弾き方が好きだ。しかもセミアコの音色が実にナチュラルで心落ち着く。

結局彼らはこの二人の相性が抜群にいいトリオなのだ。
全体の雰囲気はというと、多少ジャケットにも影響されているのかもしれないがメルヘンチックである。
またスペシャルゲストとしてステファン・グラッペリが2つの曲ですばらしいバイオリンを披露しているが、彼の参加によってますますファンタジックなムードが強められていることも特徴の一つに挙げておきたい。
挿入されている曲は「Man I Love」や「Georgia on My Mind」、「Body and Soul」など、スタンダードも多い。しかし彼ら独特の演奏によって、まるでオリジナルのように響いてくる。これはテーマが崩されているからではない。やはりジャズメンとしての力量があるからなのだ。
私は今、彼らの「Hear No Evil」というアルバムを探している。これを見つけるのが目下、楽しみの一つである。



ERNIE HENRY 「SEVEN STANDARDS AND A BLUES」

2007年10月21日 | Alto Saxophone

やや鼻づまりのようなアルト。
音のタイプでいえばジャッキー・マクリーンに近いかもしれないが、アーニー・ヘンリーの方が先輩である。しかし彼の名がマクリーンのように一般に広く浸透しなかったのは、彼があまりに早く亡くなったためだ。そのために彼のリーダーアルバムは驚くほど少ない。確か3枚だけだったと思う。
この作品は彼が自動車事故で亡くなる直前に吹き込まれたもので、それだけでも感慨深いものがある。

私が彼の名を知ったのはセロニアス・モンクの傑作「Brilliant Corners」での演奏を聴いたときだ。
そう聞けば「ああ、あのアルト奏者か」と思い当たる人も多いのではないかと思う。
「Brilliant Corners」では当時絶頂期だったロリンズもさることながら、アーニー・ヘンリーの存在が大きかった。
彼はモンク独特の音世界を見事に表現していた。
普通のジャズメンなら投げ出してしまいそうな難解なテーマも場面展開も、彼は平然とこなして見せた。ここが彼の真骨頂なのである。
今にしてみれば彼のことをエリック・ドルフィーに近いフリージャズの先駆けにように捉える人もいるようだが、彼のリーダーアルバムを聴くと必ずしもそうした前衛的な演奏を好んでする人ではなかったように思う。
要するに彼には柔軟性があったのだ。環境に合わせて変幻自在になれる人で、郷にいれば郷に従うタイプだったのではないだろうか。
彼が長生きしていたら一体どんなジャズメンになったか、全くもって皆目見当もつかない。

この作品での曲は全部いいが、特にといわれれば3曲目「I've Got The World On A String」が好きだ。
この曲はリタ・ライスの歌などでも知られているが、この明るさ、優しさ、明快さに心惹かれる。ウィントン・ケリーのピアノともピタリと合っている。
ここではアルト・サックスの良さが充分に味わえる。ぜひ聴いていただきたい。

OLIVER NELSON 「THE BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH」

2007年10月20日 | Tenor Saxophone

一気に冬になってしまったような天気だ。
まだ10月だというのに窓を叩く雨音を聞くだけで寒さを感じる。
しかし考えてみればこれからが本当のジャズ・シーズンかもしれない。
今日は降りしきる雨が似合うジャズが聴きたいと思いこのアルバムを取り出した。ハードボイルドな映像を見ているような「Stolen Moments」。そう、この曲が聴きたかったのだ。
この曲では参加メンバー全員がベストなプレイをしているように思う。そういう意味でも実に希有な作品だ。
闇夜に突き刺すようなフレディ・ハバードのトランペット、力強く線の太いエリック・ドルフィーのフルート、サスティンの効いたオリバー・ネルソンのテナー、いつになくドラマチックなビル・エヴァンスのピアノ、そして地面の下から突き上げるようなポール・チェンバースのベースとブラシで全体を引き締めるロイ・ヘインズが堅実なリズムを作り出している。ぶ厚いアンサンブルも圧巻だ。
またルディ・ヴァン・ゲルダーの録音により各楽器が生き生きとした音色を響かせていることも、このアルバムの大きな魅力である。

リーダーのオリバー・ネルソンはサックス奏者でありながら、作・編曲家としての名声が高い。
この作品がコンセプトアルバムに聞こえてしまうのは、そうした彼の資質によるものだ。タイトルからして直訳すると「ブルースと抽象的な真実」だから、それだけでも何となく難しそうな音楽に思えてしまう。
しかし音を聴けば実に明快。ジャズそのものがいかにブルースを土台にして発展した音楽ジャンルであるかを思い知らされる。
オリバー・ネルソン本人が書いたライナーノーツを見ても、彼の自らの音楽に対する真摯な姿勢が伺える。ブルースというスタイルが彼の想いを一番的確に表現できる音楽様式だったのだ。

BOZ SCAGGS 「but beautiful」

2007年10月18日 | Vocal

ここしばらくは車での移動時間が一番ゆっくりジャズを聴けるひとときだ。
今日は車で片道約3時間の距離にある町まで出かけたのだが、こりゃあ、たっぷり聴けるなと思い、昨日から何枚かのアルバムをMDに落とし込んでおいた。
車にはiPodも装着できるのだが、愛用しているiPodが古いせいかどうもこのところ調子が悪い。で、MDになったのだ。
私の車は買ったときから大小合わせて8つものスピーカーが付いていてなかなかの音がする。他には全くと言っていいほど余計なものは付いていないのに、カーオーディオだけが充実しているという変な車なのだ。
まぁ、それはともかく、今日聴いた中で一番グッと来たのがボズの「but beautiful」だった。
彼の歌声は胸がしめつけられるように甘く切ない。
この作品は、1970年代半ばから後半にかけて「Silk Degrees」「Down Two Then Left」「Middle Man」と立て続けにヒットアルバムを出し、AORの代名詞ともいえる存在になったあのボズ・スキャッグスによる、全編ジャズ・スタンダード集なのだ。
そういえば彼とも親交が深い同じAORの大スターであるボビー・コールドウェルも、今や押しも押されぬジャズシンガーになった。
要するにAORは多分にジャズのエッセンスを詰め込んだミュージック・シーンだったのだ。その証拠に、ボズ最大のヒット曲である「We're All Alone」を聴いていても、このジャズ・スタンダード集を聴いていても何も違和感がない。
「最近のジャズヴォーカル自体がすでにポップス化しているんだよ」といわれればそうかもしれないとも思うが、こうしたポップス界の大御所が本格的なジャズのスタンダードを歌うことには心から拍手を贈りたい気持ちだ。

宵闇が迫る高速道路を北に向かってひたすら走った。
遠くの街並みがシルエットになって浮かび上がるのが見えた。
こんなシーンにボズ以外の曲は似合うはずもない、とか何とか車内で一人、目一杯の感動に包まれていた。


DAVE McKENNA 「THE PIANO SCENE OF DAVE McKENNA」

2007年10月16日 | Piano/keyboard

正直いってこのところの忙しさには参っている。
秋は毎年忙しい季節なのだが、たまりにたまった仕事を一つずつ片付けていこうとは思いつつ、どうも思うようにはかどらない。本当に困ったものだ。
こんな時は気分を癒してくれる軽快なピアノトリオを聴きたいと思い、棚からこのアルバムを取り出した。

最初から聴きだして4曲目の「FOOLS RUSH IN (WHERE ANGELS FEAR TO TREAD)」にさしかかると、いつものことながら思わずスピーカーの方を向いてしまう。
何度聴いてもこんなに美しいフレーズやタッチがあったのかと思わせる。そんなデイヴ・マッケンナの演奏は実に素敵だ。
その素敵さを言葉で表現できるほどの文才がないので、どんなピアノなのかを想像してもらうためにはこのジャケットをじっくり見てもらうしかない。彼の弾くピアノは、この色鮮やかなジャケットが一番的確に表現しているように思う。正に夢の中でまどろむような響きなのである。
哀愁漂うちょっとセンチメンタルな冒頭のテーマ部分が終わると、彼の固いタッチはややスピードを上げ見事なアドリヴに入る。この瞬間が何ともいえず好きだ。やがてゆったりとしたテーマがまた現れて静かに曲を終える。
僅か4分足らずの短い演奏ながら、私はこの1曲で充分癒されるのだ。
ただ誤解のないようにお伝えしておくが、このアルバムはこの1曲に限らず全曲推薦できるほどの出来映えだ。どの曲もスインギーで文句のつけようがない。

ピアノトリオは星の数ほどあるが、これくらい愛着のある作品も少ない。
考えてみればズート・シムズの「DOWN HOME」は、デイヴ・マッケンナがバックにいたから傑作と呼ばれるようになったのではないかと思う。
彼の演奏は決して新しくない。典型的なオールドスタイルだ。だからいい。
明日からがんばるぞと勇気が沸いてくる。

HANK MOBLEY 「SOUL STATION」

2007年10月11日 | Tenor Saxophone

ハンク・モブレー30才にして生まれた最高傑作である。
なぜこれが最高傑作かというと数少ない彼のワンホーン作品だからである。誰にもじゃまされずに自分の世界を創り上げているのだ。
こんなリラックスした彼は他にない。まるで何ヶ月ぶりかで帰った我が家でくつろいでいる感じさえする。

私たちジャズファンは、好きとか嫌いとかにかかわらず色々な場面でこのハンク・モブレーのテナーを聴いている。
それは一世を風靡したジャズ・メッセンジャーズだったり、マイルス・クインテットだったりするわけだが、その中にいて彼は常に他の人の盛り上げ役だった。要するに主役になれなかった男なのだ。
彼の周りにはいつも彼より目立つトランペッターがいた。リー・モーガンやドナルド・バード、マイルス・デイヴィスなどがそうだ。人のいい彼はそうしたとんがった連中を目立たせる役目を自ら買って出たのである。
ひょっとすると自分に自信がなかったのかもしれない。ロリンズやコルトレーンがあれよあれよという間にスターダムにのし上がっていくのを目の当たりにしていたはずだからだ。彼自身おそらく相当焦ったに違いない。誰だって頂点を極めたいと思うのは自然なことである。
しかし分をわきまえた彼は、脇役人生に喜びを見出したのではないかと思う。一度吹っ切れた男は強い。
肩の力が抜けてこんな素敵な演奏をする。

ワンホーンなのだからここでの主役はモブレー一人のはずだった。しかし結果的にウィントン・ケリーも主役のように聞こえるのは私だけだろうか。これくらい生き生きしたケリーも珍しいのである。ここでもやっぱりモブレーは相手役に最高の演奏をさせたのだ。
こんなプレイヤーがいてもいいと思う。愛すべき名脇役だ。