SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

MICHEL LEGRAND 「LEGRAND JAZZ」

2009年03月09日 | Other

ミッシェル・ルグランといえばやっぱり映画音楽。
「おもいでの夏」や「シェルブールの雨傘」は、いつだって鼻歌交じりに出てくるメロディだ。
当時のフレンチ・ムービーは実におしゃれだった。
特にシェルブールの雨傘の冒頭タイトルシーンは忘れられない。
くすんだシェルブールの港から石畳の路面へとカメラが45°に移動する。ちょうど真下を見るようなアングルだ。その石畳の上にやがて雨が降り出す。通る人は思い思いに傘を差し、足早に通り過ぎてゆく。
この色とりどりの傘が行き交うシーンは映画史に残る名場面だと思う。まるでバート・ゴールドブラッドの創り出す世界が動画になったような雰囲気だ。
ここにミッシェル・ルグランの甘いメロディがストリングスに乗せてゆったりと流れる。
映画が始まって僅か数分、もうここまで見れば充分だという気にさせられるくらいの出来映えだ。

ミッシェル・ルグランの音楽を聴くと、そういった意味において常におしゃれな映像が浮かんでくる。
この「LEGRAND JAZZ」もニューヨークを代表するジャズメンを寄せ集めて録ったにもかかわらず、まるでパリでミュージカルを観ているような感覚が味わえる。
ニューヨークを代表する面々とは言わずもがな、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ベン・ウェブスター、ハンク・ジョーンズ、アート・ファーマー、ドナルド・バード、フィル・ウッズ、ジミー・クリーヴランド、ハービー・マン、ポール・チェンバースなどである。
よくこれだけの面子を揃えることが出来たなと思う。
当時ルグランがいかに期待されていたアレンジャーだったかが、この顔ぶれを見てもわかるだろう。

アルバムは3つのセッションを1つにまとめたものであり、それぞれに味わいがあるのだが、ジャズメン個人にスポットを当てると、やはりマイルスの存在が群を抜いて光っている。マイルスはルグランの音世界をさらに広げる役目を果たしており、アルバムそのものの価値を上げている。
嘘だと思ったら「Django」を聴いてほしい。彼が吹くトランペットからは、雨に濡れた石畳と街頭に浮かび上がるヨーロッパの街並み、そこで繰り広げられる人間模様が見えてくる。
概してこういったアレンジ中心のジャズには批判も付きものだが、ここは素直な気持ちになって、そんな映画を見るような感覚で楽しめばいいと思う。
同じジャズのアルバムでも、それぞれに違った聴き方というものがあるということだ。





JEAN THIELEMANS 「MAN BITES HARMONICA」

2007年06月19日 | Other

最初にジャン・シールマンスと聞いて「あれ?」と思った人も多いだろう。
このアルバムにはトゥーツ・シールマンスとはどこにも明記されていない。そう、この時代の彼はまだハーモニカを吹き始めた頃で、彼自身も自分は純粋なギタリストだと思っていたのだ。
しかし彼のハーモニカに魅了された多くの人(クインシー・ジョーンズなど)によって、彼自身が自分の才能に気づいたのだと思う。
トゥーツという名前はそんな優しいハーモニカの音色をそのまま愛称にしたものである。これで彼の生き方が決まった。

ハーモニカという楽器は実になじみが深い。
トランペットやサックスを吹いたことのない人でも、ハーモニカなら一度は口にくわえて吹いたことがあるはずだ。
あの懐かしい音色は郷愁を誘う。放課後の校庭が夕暮れに染まる頃、どこからともなく静かに流れてくるのが似合っているからだ。
そんな誰の思い出にも共通して存在する楽器がハーモニカなのである。
しかしこれがモダンジャズに結びつこうとは誰も考えなかった。1950年代のアメリカも同じである。彼自身も最初は半信半疑だったに違いない。だがシールマンスは試してみたのだと思う。この楽器をサックスのように、或いはフルートのように吹いたらどうなるかを。結果は満足のいくものだった。ちゃんと思い通りのジャズになっていたのである。しかもどんな楽器のようにも聞こえるし、どんな楽器にも出せない音を創り出せた。

彼を追従しようとするミュージシャンは数少ない。だからこそ彼の偉大さが浮き彫りになる。正にオンリーワンの世界だ。
このアルバムでは、ペッパー・アダムスの重いバリトンサックスがいい対比を生み出している。
比べてみてわかるのだが、シールマンスのハーモニカは明らかにホーンである。だからアンサンブルもピタリと決まるのだ。

QUINCY JONES 「GOLDEN BOY」

2007年06月05日 | Other

アレンジャーという仕事は映画監督や編集者の仕事と似ているのではないかと思っている。
以下は私が勝手に想像したアレンジャーの作業手順である。
まずアルバム全体のテーマを決め、大まかなシナリオ(脚本)を考える。もちろんシナリオといってもお話を書くわけではないが、起承転結のような大きな組み立てを考えるということだ。
次に各パートの内容を考え、どういった曲をどこに配置していくかを決めていく。これは黒沢明がその要所要所で絵コンテを描いたように、大まかなストーリーの中で詳細なイメージを固めていく作業を行うわけだ。プレイヤーのキャスティングもこの時点で決定する(ここまではアレンジャーというよりプロデューサーの仕事かもしれないが)。
次に個々の曲を編曲していく。イントロや主題の表現方法、アドリヴの順番、ストリングスを入れるか否かといったことまで必要に応じて考えねばならない。
個々の曲がアレンジ通りに録音されると、最後に全体を通してちぐはぐなところなどをチェックし、時によっては曲の順番を入れ替えたり、追加録音を行ったりしながら調整を図ってアルバムを完成させる。

とまぁ、そんな感じかなと思っている。私は全くのシロウトだから、これは実際の仕事とはかなり隔たりがあるのかもしれない。たぶんそうだろう。
ただ私が言いたいのは、こういう一連の仕事はかなり創造的でやりがいのある作業ではないかということである。
普段私たちは作品を評するに当たり演奏者の技術だけをとやかく言う傾向にあるが、作品の善し悪しはプロデューサーやアレンジャーの腕次第といった面が強いのだ。

クインシー・ジョーンズ。
彼は一見バラバラに見える素材から、複雑に絡み合った全ての音のつながりがイメージできる男なのだ。
このアルバムの「DJANGO」を聴いていてそう思った。