SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

RICHIE KAMUCA , BILL HOLMAN「West Coast Jazz...」

2007年08月31日 | Tenor Saxophone

今日で8月も終わり。長いようで短かった夏の終わりにこの作品を紹介することに喜びを感じる。
私にとってウエストコーストジャズのイメージは、このアルバムが全てだといってもいい。
リッチー・カミューカとビル・ホルマンによる「ウエストコーストジャズ・イン・ハイファイ」。このアルバムのジャケットはこれ以外にも発売されているが、このアルバムはこのジャケットでなくてはダメなのだ。この夕陽に染まった浜辺を見ながら演奏を聴くと、ウエストコーストジャズの魅力が何倍にもなって返ってくる。
メンバーはというと、フランク・ロソリーノ(tb)、ビル・ホルマン(bs,arr)、リッチー・カミューカ(ts)、コンテ・カンドリ(tp)、エド・リディ(tp)、ヴィンス・カラルディ(p)、モンティ・バドウィッグ(b)、スタン・リーヴィ(ds)で、当時ウエストコーストジャズを支えた面々がずらりと顔を揃えている。
この中でも特に重要なのがビル・ホルマンである。彼はバリトンサックスの演奏もさることながら、アレンジャーとしての手腕を発揮している。ウエストコーストらしい明快な音と曲の組み立ての良さは彼のセンスによるものだ。
針を落として最初に聞こえてくるスイング感たっぷりの明るいテナー、そう、これがリッチー・カミューカだ。彼の音を知り尽くしたホルマンのアレンジがすばらしい。続くホーン・アンサンブルも見事に決まっている。

もう一つ嬉しいことがある。このアルバムには私の大好きな「THE THINGS WE DID LAST SUMMER」が納められているのだ。このことも私の中でこの作品の価値が高まった大きな要因だ。
この曲の入ったジャズアルバムは誰彼かまわず手当たり次第購入しているが、ここでの演奏もなかなかの出来映えだ。
行く夏を惜しむかのような美しいメロディラインに乗って、情感たっぷりのソロとホーン・アンサンブルが展開される。ソロはフランク・ロソリーノのトロンボーンがいい。
う~ん、夏の匂いが消えないうちにもう一度こんな海に出かけたくなってきた。

KENNY DREW 「Talkin' & Walkin'」

2007年08月30日 | Piano/keyboard

何はともあれジャズはベースだ、といわせる一枚。
ベースを弾いているのはリロイ・ヴィネガーだ。どちらかといえばあまり目立たないベーシストである。デリカシーも足りないし、テクニックもそれほど感じない人だ。
しかし彼はウォーキングベースを弾かせたらナンバーワンのウェストコースターである。重いゴムのような弾力を持つベースの弦を強靱な指ではじき飛ばす。その迫力が安定したリズムを生み出している。この単調さが何ともいえない快感なのだ。ジャズのリズムはこうでなくてはいけない。
難しいベースソロなど彼には一切必要ない。
他の楽器が一休みしても彼だけは指を休めることをしない。ただただリズムを刻むことが彼の仕事なのだ。それでいい、それでいいのだと聴きながら頷いてしまう。そんなことを思わせるミュージシャンは少ない。だから私は彼の大ファンなのだ。

このアルバムはケニー・ドリュー初期の作品である。
考えてみれば後期にはニールス・ペデルセンという強力なパートナーを持った彼らしく、ベーシストとの相性が彼の生命線だったともいえる。いいベーシストと出会うと持てる力を100%発揮する、ケニー・ドリューとはそんな人なのだ。
8曲目の「Minor Blues」を聴いてほしい。複雑なテーマが終わってアドリヴが始まると彼のブルース魂に火がつく。彼ならではのフレーズも随所に出てくるが、暗闇をまっしぐらに突き進むがごとくだ。ジョー・マイニのサックスもドリューの魂に引きずられて好演を見せる。そしてリロイ・ヴィネガーの地を這うようなウォーキングベース。完璧だ。

これがジャズだといえる作品があるとしたら、私はこれもその内の一つに加えたいと思う。
地味だけれどもこんな演奏に本物のジャズを感じるのだ。

NILS LANDGREN , ESBJORN SVENSSON 「LAYERS OF LIGHT」

2007年08月29日 | Trombone

あれ?トロンボーンってこんなに広がりのある音を出す楽器だったっけ?と初めて聴いた時に感じた。
ニルス・ラングレンがエフェクトをかけているわけではない。これがトロンボーン本来の音なのだろう。ただ私がこれまでにトロンボーンのワンホーンアルバムをあまり聴いてこなかったからそう思っただけなのだ。楽器の素の音とはこういうものかと感心しきりである。

このアルバムはスウェーデンの人気者2人が組んだデュオアルバムで、この作品の他にも「SWEDISH FOLK MODERN」というスウェーデン民謡を集めた作品も発表されている。どちらも北欧の美しい風景が目に浮かぶような演奏だ。
但し私が持っているこの「LAYERS OF LIGHT」はドイツ版なので、これが果たして日本で発売されているのかどうかはわからない。「SWEDISH FOLK MODERN」は間違いなく発売されているのだが。

彼らの音楽を聴くとイマジネーションが広がる。
このアルバムは、私にとって風の吹く草原のイメージだ。空は曇り空。遠くに海が見え僅かながら潮騒も聞こえる。時々鳥が低くたれ込めた雲の下を旋回している。
私はそこにぼんやりと立ち尽くしている。何にも考えていないし、私の他に誰もいない。そんな風景が目に浮かぶ。
この風景はやはり北欧なのかもしれない。以前スウェーデンにも行ったことがあるので、その時のイメージが頭の中に残っていても不思議ではない。とにかく置き去りにされたような孤独感がたまらなくいい。

エスビョルン・スヴェンソンのピアノは、ニルス・ラングレンの吹くトロンボーンの合間にあって実に効果的に響いてくる。彼のセンスの良さが滲み出た演奏だ。こんな演奏をするから彼をただ者ではないと思ってしまうのだ。
e.s.t.もいいが、彼のファンならこういったリリカルな側面も知るべきだろう。

TETE MONTOLIU TRIO 「Tete a Tete」

2007年08月28日 | Piano/keyboard

これは友人に勧められて買ったアルバムである。
全5曲、テテ・モントリューのハイテクニックが味わえる彼の代表作だ。
「Tete a Tete」とは「二人きり(内密で)」「差し向かいで」といった意味だそうだが、彼の名にも引っかけてつけられたタイトルだ。なかなかよろしい、気に入った。

彼は盲目のピアニストである。
盲目のピアニストはタッチが固い。マーカス・ロバーツ、イグナシ・テラザなど、みんな固い。ここでのテテ・モントリューもカチカチだ。どうかするとピアノではなくハープシコードを弾いているかのように聞こえる時がある。だからというわけではないが、速い曲になると音数の多さも手伝って何となくクラシックピアノを連想してしまうのだ。これがリスナーにとっては好き嫌いのはっきり分かれる部分なのだろうと思う。
彼の身体にはラテンの血が混じっている。これはもちろんスペイン人であるためだが、タッチが固くてもどことなく粘っこさがあって、生暖かい人間臭さを感じるところがテテの個性なのだと思う。この辺りはかなり微妙なニュアンスなので、彼を知らない方はまず聴いてもらうしかない。

このアルバムの魅力は彼だけではない。ベースをニールス・ペデルセンが、ドラムスをアルバート・ヒースが担当しているからである。ペデルセンのブンブンベースは相変わらず迫力満点だし、ヒースのシンバルワークも的を射ている。
全体にはいかにもスティープルチェイス盤といった音づくりになっており、充分にダイナミック感を味わえる。
収録している曲はどの曲も推薦できるのだが、強いていえばラストの「CATALAN SUITE」がタイミングの良さ、3人のバランスの良さでイチオシだ。
但し、「よし、聴くぞ」と気合いを入れて聴かないと、たちまち飲み込まれてしまう。そんな作品だ。

TADD DAMERON AND HIS ORCHESTRA「FONTAINEBLEAU」

2007年08月24日 | Group

タッド・ダメロンを忘れてはいけないといつも思っている。
40年代、ビバップの息詰まるような嵐の中にいて、彼のアレンジは常に優雅だった。まるで良質なミュージカルを観ているようだ。各ソロパートは、ビバップの最もエキサイティングな部分を殺さぬようコントロールされている。この絶妙な手腕がダメロンを単なる演奏者として捉えられない理由だ。
彼はコンポーザーとしても相当なものだ。ビギナーならいざ知らず、ジャズファンたるもの彼が作った曲を知らないとはいわせない。コルトレーンの演奏で有名な「Soultrane」やバド・パウエルが演奏した「Hot House」、バルネ・ウィランなどによる「Lady Bird」などなど、枚挙にいとまがない。
このアルバムも全曲見事な出来であるが、3曲目の「THE SCENE IS CLEAN」に耳を澄ましてみよう。
美しいテーマに沿って整然としたアンサンブルが終わると彼のピアノソロが始まる。彼は一音一音噛みしめながら静かに指を鍵盤の上に重ねていく。こんな弾き方が他にあっただろうか。全員がダメロンの指先に注目している、そんな張りつめた緊張感がこちらにも伝わってくるようだ。この間の取り方はモンクのようでもあり、ジョン・ルイスのようでもある。

タッド・ダメロンは1917年生まれというからパーカーよりもさらに年上である。
彼の元からファッツ・ナヴァロやジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウンらが育っていった。あのマイルスでさえ彼のコンボで演奏していた時期があったことを考えると、やはりこの人には先見の明があったといえる。
しかし彼がリーダーであるにもかかわらず、こうしたビッグネームがアルバムの一番いい場所に置かれていた。所謂不遇の人なのだ。
だからといって私たちはタッド・ダメロンを忘れてはいけない。彼は当時の最重要人物の一人であることは間違いないのだ。

TERENCE BLANCHARD 「LET'S GET LOST」

2007年08月23日 | Trumpet/Cornett

歌モノをもう一枚。
とはいっても主役はテレンス・ブランチャード。彼のトランペットにダイアナ・クラール、ジェーン・モンハイト、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソンといった今をときめく女性ヴォーカルが絡んでいくという何とも贅沢なアルバムだ。
女性ヴォーカルとトランペットの共演といえば、何といってもクリフォード・ブラウンが思い出される。ヘレン・メリルやサラ・ヴォーンとのセッションは、ジャズヴォーカル史上、最も刺激的な出来事だった。
トランペッターなら一度はこうしたクリフォード・ブラウンのような演奏を行ってみたいと思うだろう。しかしこれはかなり勇気のいることだ。どうしても比べられてしまうからだ。しかしそれでもなお果敢に挑戦したテレンス・ブランチャードに「よくやった」と拍手を贈りたい。怖じ気づいていては大物にはなれないのだ。

最初に登場するのはダイアナ・クラール。
相変わらず彼女のクールな歌声が全編に渡って続いていく。ブランチャードはそのムードを壊さないように40%くらいの力でソロを取り始める。ずいぶんと気を遣っているなと感じるが、後半のソロになると短いながらも熱い演奏でラストを盛り上げている。
次に登場するのはジェーン・モンハイト。これ以上ないといえるほど澄んだ歌声だ。彼女のアルバムではこれが当たり前だが、他の3人と比べるといかに透き通った美しい声の持ち主かがわかる。ブランチャードは遠い空の彼方で響くような吹き方をする。この絶妙なバランスにうっとりだ。このアルバム一番の聴かせどころ。
一曲ヴォーカル無しの曲があってその後にダイアン・リーヴスが登場する。彼女の声はソウルフルだ。一番生の声に近いかもしれない。ブランチャードはうねるような吹き方で粘っこさを表現する。なるほど考えた吹き方だ。
そして最後にカサンドラ・ウィルソンの登場となる。もっともジャズヴォーカルらしい深く沈んだ歌い方が通を唸らせる。ブランチャードも流れに乗って自然なアドリヴを展開している。

このアルバム、バックも私好み。ピアノにエドワード・サイモンが入っているからである。
一枚で何枚分も得するアルバムだ。

NANCY HARROW 「ANYTHING GOES」

2007年08月22日 | Vocal

まったりする歌い方だ。
口を横に目一杯広げて歌うと彼女のような歌声になるかもしれない。
どことなくカントリーのような雰囲気もある。彼女の歌声を聴いていると土埃の上がる乾いた大地と強烈な草木の匂いがする。これがアメリカというものかと思う。
この雰囲気を創り出しているのが、ギターのジャック・ウィルキンスだ。
このアルバムは彼を大々的にフューチャーしており、そのギターの音色の上でナンシー・ハーロウが気持ちよく歌っている。

まず1曲目からちゃんと聴く。
ルーファス・リードの魅力的なベースだけを背景にした「ANYTHING GOES」で幕開けだ。ルーファス・リードといえば、レイ・ブライアントやケニー・バロンらと組んだトリオでの演奏が印象的だが、中でもケニー・バロンの「ザ・モーメント」での彼はすごかった。ここでもその時を彷彿とさせる深いベースの音を披露してくれている。
2曲目からはジャック・ウィルキンスを中心としたギタートリオがバッキングに廻る。
お気に入りは「I've got a crush on you」。この曲は最近だとステイシー・ケントも取り上げ、コケティッシュな魅力を振りまいていたが、ナンシー・ハーロウの歌声も実にいい味を出している。半分はこの曲の才能だとは思うが、何度聴いてもいい、そんな気にさせるナンバーだ。

話は変わるが、このところやたら忙しくなってしまい、このブログも毎日はとても更新できる状態ではなくなってきた。仕事柄これからの季節が一番忙しい時期なのである。何とぞご理解いただきたい。
しかし忙しいときにこそ欠かせないのが音楽である。幸いにしてデスクワークが多いのと、好き勝手な音楽を流しながら仕事ができる環境なので、その間も色々なジャズを聞き流している。特にインターネットラジオは重宝する。radioioJazzなどのジャズ専用チャンネルを流していると、知らないアーチストがどんどん出てくる。これをチェックするわけだ。
これが数年前からの私のささやかな楽しみの一つである。

McCOY TYNER 「TODAY AND TOMORROW」

2007年08月18日 | Piano/keyboard

このアルバムはレコードの他にCDも持っている。
レコードではA面3曲が3管編成、B面3曲ががピアノトリオという構成だ。私はこのB面がお気に入りだった。
何年前になるかは忘れたが、とあるショップでこのCDを見つけた。
よく見てみるとピアノトリオの「おまけ曲」が3曲入っている。コール・ポーターの名曲「You'd be so nice to come home to」とカーティス・フラーの「ブルース・エット」で有名な「Five Spot after dark」、そしてタイナーのオリジナル「Flapstick blues」だ。この魅力的なオマケに心が揺れた。
早速購入して家で聴いてみて小躍りした。この3曲が実にいいのだ。レコードに入っている6曲よりもこちらの方がいいように思えた。
中でもトリオで演奏される「You'd be so nice to come home to」は絶品だ。
この曲はテーマ部分をどう弾くかというより、アドリヴをどう展開させるかで真価が決まる。マッコイ・タイナーのアドリヴは実に美しい。ちょっとオブリガードを効かせ過ぎる傾向にあるが、彼のテクニシャンぶりを嫌というほど味わえる。またエルヴィン・ジョーンズのブラシがタイナーのピアノをずいぶん引き立てている。さすがの一言だ。
マッコイ・タイナー・トリオは一聴して彼らの音だということがわかる。
ちょっと曇った全体の音、高音域が多用された軽快なピアノ、どっしりと引きづるように重いベース、ハイハットが印象的なドラム、これ全てがコルトレーンのバックを務めた彼らの持ち味だ。インパルスの匂いもプンプンする。

基本的にCDはレコードと同じ曲の構成にしてほしいと以前から願っていた。そうしないと作者の意図とは違った作品になってしまうからだ。少なくともオルタネイト・テイクをオマケで入れるのはやめてほしいと今でも思っている。
ただ希にこのCDのようにオマケで得をしたと感じるときもある。
もちろんこれはあくまでレコードも持っていたから味わえたお得感なのだ。誤解してもらっては困る。

TUBBY HAYES 「DOWN IN THE VILLAGE」

2007年08月17日 | Violin/Vibes/Harp

このノリの良さ、メロディの明快さ、私のとってのタビー・ヘイズは、この「DOWN IN THE VILLAGE」なのだ。
タビー・ヘイズはイギリスを代表するテナーマンだが、この曲ではヴィブラフォンを叩いている。こうしたスタイルも彼が築きあげた一つの演奏形態で、当時としてはかなり珍しかったのではないかと思う。
彼が演奏するのは典型的なハードバップだ。しかしそこはさすがに紳士の国イギリス。本場アメリカのそれとはひと味違い、ブリティッシュ風に味付けされた洗練されたハードバップになっている。

ここでビギナー向けに「ハードバップ」とは何かということを簡単にご紹介しよう。
...とか何とか言いつつもきちんと説明できるかどうか自信はない。もし間違いに気づいた人がいたら遠慮せずにご指摘いただきたい。
ハードバップは1940年代にチャーリー・パーカーらが一大旋風を巻き起こした「ビバップ」から生まれた。「ビバップ」の演奏スタイルは非常に単純なルールでできている。演奏者は最初に曲のテーマを演奏しさえすれば、それから先はコード進行に沿って自由気ままにアドリヴを展開できるというものだ。但しこれがヒートアップしすぎた原因だ。アドリヴはやたらと複雑化したり長くなり過ぎたりと、ある意味野放図状態になってしまったのだ。
そこで出せる音を制限したり、「1コーラス」と呼ばれる1つのまとまりを作って、その中でアドリヴを展開させることで、コード演奏に秩序を持たせようとしたのが「ハードバップ」である。
但し「ビバップ」も「ハードバップ」も明確な境目がない。「ハード」と冠が付いているからさぞかし荒々しい音楽と思われがちだが、これが意外にも整然としておりきまじめな印象も受けることがある。呼び方にごまかされてはダメだ。
ハードバップはまたブルースを基調とするメロディアスな音楽だと定義する向きもある。要するに洗練された黒人音楽という一面も持ち合わせているのだ。

そこでタビー・ヘイズの話に戻す。彼の演奏するハードバップは、本場アメリカの音を踏襲しながらも白人の持つモーダルな感覚がプラスされている。しかもややジャズファンク的な要素もあり、そこが現代のクラブ系ファンにも人気のある秘密だ。
彼は38才という若さで亡くなった。どうやら心臓に持病があったらしい。
これだけ熱い演奏をした人だからそれも頷ける。
彼の最大の功績は、ブリティッシュジャズを頭でっかちなインテリジャズににしなかったことなのだ。

HORACE PARLAN 「US THREE」

2007年08月16日 | Piano/keyboard

音が気に入っているアルバムをもう一つご紹介しよう。
針を落として最初に聞こえてくるジョージ・タッカーのベースソロ。アル・ヘイウッドのスネアが弾け、タッカーのベースが走り出すと、それを追うようにホレス・パーランが前屈みに疾走していく。この快感がたまらない。
私にとってこのアルバムはこの1曲だけでも充分な価値がある。
音もクリアでそれぞれの楽器がベストな状態で鳴り響いている。特にベースの重心が低く、「これぞジャズ」といえるようなダイナミズムが得られるのが嬉しい。
ピアノトリオも様々だが、これくらい音に厚みがあるとこれが本当に3人の演奏なのかと疑ってしまう。イメージ的にはホーンアンサンブルを聴いているかのごとくだ。これがブルーノート流のピアノトリオなのかもしれない。

このアルバムはジャケットも印象的だ。
数字だけをデザインしたジャケットなんてそうそうあるものではないし、白と黒のコントラストも見事な配色だと思う。
これをデザインしたブルーノート専属のデザイナー、リード・マイルスは実にユーモア溢れる人だった。
この数字だけのレイアウトをよく見てみると「3」の数字だけに斜体になっていることに気づく。一見「5」も斜体がかけてあるように思われるかもしれないが、これは正体だ。
リード・マイルスはタイトルの「US THREE」を印象づけるために、わざとこのような小細工をしたように思えてならない。もちろんこれは私の勝手な推測だ。私たちが無意識のうちに「3」という数字が目が飛び込むのであれば、彼にとってしてやったりというわけだ。おそらく彼にとっても半分は遊び心でやったに違いない。デザインとはそういった視覚心理のゲームなのだ。

このようにジャズの楽しみは奥が深い。様々な観点からアプローチできる総合的な芸術であり娯楽なのだ。
薄っぺらな表面だけの音楽とはわけが違う。時代を超え、国境を越え、ジャンルを超えた音楽なのだ。