SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

ROY HAYNES... 「WE THREE」

2007年06月16日 | Drums/Percussion

出だしの曲がいいアルバムは印象に残る。
このアルバムの出だしは「RELECTION」。情熱的なメロディがグイグイと私を惹きつける。一度聴いたら忘れない旋律だ。
ロイ・ヘインズのドラムがたっぷりフューチャーされているところが気に入っているし、フィニアス・ニューボーンのスイング感溢れるピアノも、ポール・チェンバースの存在感ある太いベースもいい。ついでに録音がルディ・ヴァン・ゲルダーだから音的にも充分満足できる。
こうなるともうアルバム制作者の勝ちといわざるを得ない。
これは目立ったプレイヤーが参加していない作品の作り方はこうあるべき、といったお手本のようなアルバムなのだ。

しかしなぜこの3人が顔を揃えて一枚のアルバムを作ろうなどと思ったのだろうか。
私がプロデューサーなら「やめておけ」というに違いない。
フィニアス・ニューボーンJrがリーダーならそれもある程度理解できる。あの目眩くピアノを聴きたいという人もいるだろうからだ。或いは彼のブルースを思いっきり聴きたいという人も多いだろう。
しかしここでのリーダーは彼一人ではない。クレジットを見るとロイ・ヘインズが先にきているから、むしろヘインズのリーダーアルバムと捉えられている作品だ。
そこで気がついた。
ドラマーをリーダーにするということは、リズムに着目してもらいたいアルバムだということなのだ。しかもニューボーンだけが主役ではないよといいたい作品なのだ。
そんなつもりになって聴いてみると、確かに頷ける部分が多い。ピアノも肩の力が抜け、その強靱なリズムの上で滑るようにメロディを歌い出す。なるほどこれならニューボーンをここに参加させたわけがわかろうというもの。彼がリーダーだと一人で浮いてしまうことが多いことに気づいていた制作者は、彼にどうやったら最高の演奏をさせるか悩んだ末、こうした配慮をしたのではないだろうか。
お陰で全編に渡ってニューボーンの魅力満載だ。彼のリーダーアルバムよりずっといい。

JOHN LEWIS 「GRAND ENCOUNTER」

2007年06月15日 | Piano/keyboard

西海岸のパシフィックレーベルにも名盤が多いが、これはその最たる作品だ。
アルバムタイトルが「GRAND ENCOUNTER」で、サブタイトルが「2°EAST-3°WEST」。
これは何を意味しているかというと、東海岸の偉大なプレイヤーが2人と西海岸の偉大なプレイヤーが3人が遭遇した作品だということである。
東海岸からはリーダーであるジョン・ルイス(p)とパーシー・ヒース(b)が登場。共にMJQのメンバーだ。
西海岸からはビル・パーキンス(ts)、ジム・ホール(g)、チコ・ハミルトン(ds)といった名手が顔を揃えている。
となると内容は推して知るべしである。
全体を通じて思いっきりソフト&ウォームな曲が続き、ジャケットの女性のように草原に寝ころんで読書でもしたくなる。

全員がリラックスしていい演奏をしているが、その中でもビル・パーキンスの演奏は彼の最高傑作といわれるくらい充実している。テナーサックスがこんなに柔らかくていいのかと思うくらいだが、決して軟弱さを感じさせない堂々たる吹奏だ。
ジム・ホールもこうしたメンバーに囲まれると、我が意を得たりとばかり自信たっぷりの演奏をする。「SKYLARK」はそんな彼の真骨頂だ。
それもこれもジョン・ルイスという人物の存在があってのことだ。
おそらく彼のコンセプトメイキングが優れていたために、こうした傑作が生まれたのだろうと思う。個々の能力を最大限に引き出してこそリーダーだ。なぜMJQがあんな洗練された音を創り出せたかという難問も、このアルバムを聴くとすぐに答えが出てしまいそうだ。
彼は間違いなく私が知る最高のバンド・リーダーの一人である。

triosence 「FIRST ENCHANTMENT」

2007年06月14日 | Group

99年に結成されたというドイツの若いグループだ。
リーダーはピアニストのベルンハルト・シューラー。このアルバムは全曲彼のオリジナルで埋め尽くされている。
聞くところによると、全て女性をモチーフにした曲なのだそうだ。彼の身のまわりで起きた女性との様々な出来事を思い描いて作曲したのだという。
こんな風に表現力のある人はいいなと思う。私なんかはそんな才能がないので、一つの出来事がただの思い出にしかなっていかない。つまり形として残らないわけだ。これは実に残念なことだ。

このアルバムの曲をそんな気になって最初から聴いていくと、シューラーとはどんな人間なのか、どんな出来事が彼の周りに起きていたのかが自分なりのイメージで浮かび上がってくる。そのイメージをいちいち説明すると陳腐化するのであえていわないが、こういったドラマチックな作品はそういう感覚で聴くと実に楽しいものだ。
よくよく聴いてみると、この作品は小説を読んでいくような味わいがある。
これは計11曲の曲を細切れに聴いていく作品ではなく、アルバム全体で1曲なのだと思う。
但しそれを理解するには忍耐力が必要だ。途中でやめたり途中から聴き出したりしては、本来のストーリーが薄れてしまう。ストーリーの薄い小説はすぐ飽きる。だから最初から最後までじっくり聴く必要があるのだ。そうして初めてこの作品の真価が問えるような気がしている。

若い才能は多分に頭でっかちだ。
自分なりの意味づけを考えて、それをわからせようと躍起になる。自分の存在をアピールしたいという気持ちが強いからかもしれない。但しそれが若いということだから、私はそれを否定しない。むしろ最近はそういったことを受け入れ、楽しめるようになってきた。単純に歳をとったということかもしれないが、こうしたアルバムの聴き方がわかってきたようにも感じているのだ。
同じジャズだからといって全て同じ聴き方をしてはいけない。私はそう思っている。


NICHOLAS PAYTON 「GUMBO NOUVEAU」

2007年06月13日 | Trumpet/Cornett

アーリー・ジャズといえばニューオーリンズ・ジャズを真っ先に思い出す。
あのルイ・アームストロングを生んだジャズのメッカがニューオーリンズである。
ニューオーリンズ・ジャズでは、トランペットやトロンボーン、クラリネットが主役だった。彼らの底抜けに明るい音楽はあっという間にシカゴへと飛び火し、世界を席巻したのである。
しかしあれからかなりの時間が経っているわけだから、さすがのニューオーリンズも当時の勢いがなくなってきているのではないかと勘違いしていた。
ところがどっこい、何年か前、ニコラス・ペイトンの存在を知って驚いた。ニューオーリンズ・ジャズはまだまだ死んではいなかったと実感した。
死ぬどころかますます元気溌剌だ。このアルバムの冒頭の曲、「Whoopin' Blues」を聴けば誰でも頷く。「これだ!」といえるニューオーリンズ・ジャズのエッセンスがたっぷり入った現代版サッチモの登場である。
続く「When the saints go marching in(聖者の行進)」の思いっきりスローな陽気さも新鮮だ。
この他にも往年の名曲「Down in Honky Tonk Town」や「Li'l Liza Jane」、「St. James infirmary」など嬉しくなるナンバーが目白押しで、最後まで楽しめるアルバムだ。
演奏はというと、彼の太く力強いトランペットが全編に渡って流れている。ここでの彼を聴いていると、彼は現代において最も優れたトランペッターの一人だということが確認できる。特にリズム感覚の良さは他の追従を許さない。
バックもなかなか好演しており、聴いていて気持ちがいい。
ニューオーリンズ・ジャズと聞いて退いてしまわずに聴いてほしい。新たな魅力を発見できること請け合いだ。

2005年のハリケーン「カトリーナ」の襲来により、街の約8割が水没するという甚大な被害を受けたニューオーリンズは今も復興のさなかである。ジャズ発祥地の一日も早い全面復活を願うばかりだ。
以下はハリケーン「カトリーナ」募金支援サイトである。覗くだけでもぜひ!
http://office-karasuma.com/katrina/

SVEND ASMUSSEN 「My Blue Heaven」

2007年06月12日 | Violin/Vibes/Harp

以前デンマークの友人宅にホームステイさせていただいた話をした。
彼はデンマークのグラフィックデザイナーで、歳は私より一回り上だ。
彼の趣味はアーリージャズとヨットで、デンマークの短い夏を毎年楽しみにしながら心静かに暮らしている人である。
彼はデンマークの建築家ヨーン・ウッツォンが手がけた集合住宅に住んでいる。ウッツォンといえばあの有名なシドニーのオペラハウスを設計した人だ。たぶんオーストラリアで最もポピュラーな建築物だから誰でも知っているはずである。
私が彼の家を訪ねてみたいと思ったのは、そんなウッツォンの集合住宅を見たかったからである。
驚いたのは集合住宅といっても、きっちりプライベートが確保されていて、どこから見ても一軒家にしか思えない造りになっていたことである。しかも平屋造りで緑が多いため、表通りからはそこに住宅があることすらわからないようにできていた。
そういえばデンマークが誇るルイジアナ近代美術館にも近かったので行ってみたが、邸宅を改築して美術館にしているせいか、通りからは全くその姿が見えないようにできていた。ここいらへんが景観に対するものの価値観の違いだ。日本の何倍も進んでいる。

彼の家は真ん中に庭があってそれを取り囲むような間取りになっていたが、居間にはいつもオールドジャズがかかっていた。
私は最近の北欧ジャズが好きだといったら、彼は笑いながら「それじゃあ、古いのも好きになってもらおう」とこのスヴェン・アスムッセンを聴かせてくれた。
このアルバムは1935年頃から40年代までの演奏を集めたものだったが、そこで聴いたときは少しも古さを感じなかった。
時間と空間の観念が根本的に私たちと違うのだ。
そのへんのことを彼に話すと、「それじゃあ、このCDを日本に持って行って聴いてみるといい、新しい発見があるかもしれない」と思わぬプレゼントをいただいた。
帰ってきて聴いてみた。部屋の中に「On the sunny side of the street」が静かに流れていく。
アーリージャズの魅力を初めて理解できたような気がした。

DUKE PEASON 「TENDER FEELIN'S」

2007年06月11日 | Piano/keyboard

デューク・ピアソン、こういう人のコメントが一番難しい。
彼は歴史的な名盤を残したわけでもないし、彼の周りに特筆するような大事件があったわけでもない。
しかし棚に並んでいるジャケットを見るたびに、何となく「今日も聴いてみようかな」という気にさせる人なのだ。つまり普通にいいピアニストなわけで、最近の商業主義に染まったピアノトリオを聴くよりも絶対的な安心感があるのは事実である。
ジャズファンというのはこのくらいの人を一番に愛する人種なのだと思う。
このニュアンスがわかってもらえるだろうか。要するに地味ではあるが隠れた実力者を愛するのが真のジャズファンなのだ。

ただ彼を聴いてみようかなと思った時は、「彼のあの曲」といった感じではなく、アルバム全体の雰囲気を楽しみたいと思うことが多い。そこで今日はじっくりと最初からこのアルバムを聴いてみることにした。
メンバーはピアソンの他に、ジーン・テイラー(b)、レックス・ハンフリーズ(ds)である。う~ん、地味だ。しかし音楽は人ではない。スタープレイヤーがいないからといって侮ってはいけない。
何曲か聴いているうちにこのアルバムは選曲がとてもいいことに気づいた。
ブルージーな「Bluebird of happiness」や「3a.m.」、哀愁漂う「I'm a fool to want you」、クラシカルな雰囲気の「Golden striker」などどれをとっても一級品だ。ただそれにも増して白眉なのが「On green dolphin street」である。この曲はジャズメンなら必ず演奏しているであろう程の名曲だが、ここでのピアソンの演奏は5本の指に入る傑作だと思う。今度からはこの曲を中心に聴こうと決めた。
彼のピアノは、時折レッド・ガーランドのようにもウィントン・ケリーのようにも聞こえる。彼らのいいところを全て持ち合わせた人なのかもしれない。
だんだんこのアルバムが大名盤のように思えてきた。


ERIC DOLPHY 「LAST DATE」

2007年06月10日 | Clarinet/Oboe/Flute

エリック・ドルフィーと聞いてたじろいではいけない。
今となっては時代の産物と化してしまったフリージャズの最前線にいた人という位置づけではなく、私たちは彼を最高のインプロバイザーとしてもっと高く評価すべきなのだ。
あのコルトレーンに「ドルフィーは私が出会った最も偉大なプレイヤーだった」といわせたほど、彼の音楽的な感は群を抜いていた。特にアドリヴにおける自己表現には圧倒的な迫力があった。まるでエレクトリックな楽器を演奏しているのではないかと思えるほど、一つの楽器で様々なエフェクトを出せる人だった。しかも彼はアルトサックスの他にフルートやバス・クラリネットを巧みに操り、曲によって表現を180°変えることのできる人だった。簡単なようでこれはなかなか難しいことなのだ。

このアルバムは彼が亡くなる27日前のライヴ録音だ。
私の大好きなアルバムで、一頃はもう毎日のように聴いていた。
全曲いいが、その中でも特筆されるのがフルートで演奏された「You Don't Know What Love Is」である。もし聴いたことのない人がいたらぜひにといいたい。コルトレーンの言っていることが少しも大袈裟ではないことがわかる。
こんな演奏を聴かされたらもうファンになるしか道はない。こんな演奏を今まで知らなかったことに後悔したものだ。
アルバムの最後に聴衆に向かって彼が残したセリフは、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. " 「音楽を聴き、終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」だった。
凡人がいったセリフなら「何いってんだか」で終わってしまうが、それが彼の口から発せられているのを聞くと感無量だ。
まさか遺言のつもりではないだろうが、そのタイミングからか深い情念のようなものを感じてしまう。

TOMMY FLANAGAN 「SEA CHANGES」

2007年06月09日 | Piano/keyboard

トミー・フラナガンは名手という言葉がぴったりする人だ。
彼の演奏スタイルからはそれほど大きな特徴らしきものを感じないのに、存在感は誰にも負けないものがある。
彼の弾き方はウィントン・ケリーやバリー・ハリスらと同様にバップスタイルをベースとしているが、ある意味品のないケリーやハリスに比べると気品に満ちていた。それは癖のないなめらかさからきているのだろうと思うが、バド・パウエルを濾過させたような弾き方だいうとわかってもらえるかもしれない。
彼の参加した作品がことごとく名盤になっていくのは、そうした透き通った美しさが主役を引き立てるからなのだ。

彼の実力は脇役に徹したときだけに発揮されたのではない。
初リーダー作である「オーバー・シーズ」がその証である。このアルバムは確かにすごかった。エルヴィン・ジョーンズのすさまじいブラシに引っ張られてフラナガンが溌剌としたプレイを見せている。一頃は幻の名盤の筆頭に挙げられており、手に入れることが難しかった時代もあった。
しかしフラナガンにとっては、そのアルバムを超えることが生涯最大の難関になっていたに違いない。
事実、「オーバー・シーズ」の続編を作ろうと何度持ちかけられてもかたくなに拒んできたようだから、その思いはかなりのものだったようだ。
このアルバム「SEA CHANGES」は、そんな彼がようやく重い腰を上げて取り組んだ「オーバー・シーズ」の続編ともいえる海をテーマとした作品だ。タイトルだけを見れば、バド・パウエルの名作「シーン・チェンジズ」にも似ているので、そうした意識もどこかにあったのかもしれない。
内容はというと彼独特の洗練された音世界が拡がっていて、これならどなたにも安心してお薦めできる。

ジャズは思いっきり癖のあるプレイヤーが常に人気の中心にいるのが普通だが、唯一例外なのがこの人トミー・フラナガンだ。
彼はジャズを品のある音楽にしてくれた最大の功労者なのである。

BEN WEBSTER 「SOULVILLE」

2007年06月08日 | Tenor Saxophone

バラードを吹かせたら当代随一。大ベテランの真骨頂だ。
やれテクニックだの音色がどうのこうのと細かいことを気にしているようでは彼の魅力はわからない。ただじっと溢れ出すダンディズムを感じ取ってほしい。
音を伸ばす時のあのすすり泣くようなビブラートに酔えないようであれば、ジャズファンをやめた方がいいとも思えてくる。
それくらいベン・ウェブスターは別格的存在なのだ。

そんな彼の代表作であるこの「SOULVILLE」は1957年の録音である。
同じモダンジャズテナーの元祖ともいえるレスター・ヤングやコールマン・ホーキンスは、この50年代後半には全盛期の冴えがなくなってしまったが、ベン・ウェブスターは亡くなるまで輝き続けた人だった。
それを実証するのがこのアルバムだ。
これが傑作といわれる所以は、オスカー・ピーターソン・トリオがバックを固めていることも大きな要因だ。
ベン・ウェブスターの演奏の合間に出てくるオスカー・ピーターソンのピアノは明らかに他のピアニストと格が違う。自然体でありながら全体にピリッとスパイスが利いたようなアドリヴには全く隙がない。こちらもさすがといえる演奏だ。
この時ベン・ウェブスターは48才。オスカー・ピーターソン(p)が32才、ハーブ・エリス(g)36才、レイ・ブラウン(b)31才、スタン・リーヴィ(ds)32才だった。

表題曲の「SOULVILLE」もいい出来だが、個人的には3曲目の「TIME ON MY HANDS」、4曲目の「LOVER COME BACK TO ME」が大好きだ。
どちらもベンのテナーが胸の奥深くに染み込んでくる。泣きたくなるくらいの快感だ。



DAVID GORDON TRIO 「UNDIMINSHED」

2007年06月07日 | Piano/keyboard

デヴィッド・ゴードンは懐の深い人だ。
彼はクラシックやラテン(タンゴ、ルンバなど)も巧みに取り込みつつ、独自の作風を築き上げてきたイギリスの実力派ピアニストである。そんな彼が今はなきスイスのZahZahレーベルから出した強力なピアノトリオがこれだ。
レア盤になりつつあるので見つけたら今のうちにぜひ手に入れてほしい。

何はともあれシンバルの音がいい。全体の音の半分はこのシンバルなのではないかと思ってしまうほど高音域が澄んでいる。ドラムスがいくつのシンバルを備えているかが手に取るようにわかる。まるで演奏している映像が見えるようだ。
もちろんベースもピアノも存在感バッチリだ。ベースの時折ゴリン!と転がる音もよく拾えているし、ピアノは鍵盤の端から端まで明確に表現されていてダイナミックな音感を味わえる。何度も言うが、やはり録音がいいというのは絶対的な魅力である。

こんなに音のいいアルバムに出会うと、ついついそちらの方ばかりに気がとられてしまうが、彼らの演奏もすばらしい。
スピード感溢れる曲ではそれぞれの楽器で出せる音を全て出しているかのように目一杯華やかだし、一転してスローなバラードではメロディを大切に扱った進行がなされていく。スタンダードの解釈もオリジナリティが感じられていい。
ただ欲をいえばもう少しアルバム全体のテーマをはっきりさせてほしかったように思うのだが、それも贅沢な希望かもしれない。
まぁ足りない部分は次回作に期待しよう。その方が楽しみがあっていい。