SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

SAM MOST 「Plays Bird,Bud,Monk and Miles」

2009年05月17日 | Clarinet/Oboe/Flute

見るからにいい人だ。
実直で優しく、何でも相談に乗ってくれそうな人に見える。
人は顔ではないとはいうものの、やっぱり顔にはその人の本質が出るものだ。
サム・モストのこの代表作を聴いていると、彼の顔と同様にその性格の良さが目一杯出ているのがわかる。
だいたい数ある楽器の中からクラリネットを選ぶ人にそう悪い人はいない(たぶん....)。
まぁそれくらいこの楽器の音色は暖かい。

サム・モストはフルート奏者、サックス奏者としても知られているが、ここでは全編クラリネットに徹している。
但し彼のクラリネットはボワ~ッという感じではなく、もうちょっとフルートに似て高音部が鋭角的だ。
同じ楽器でもベニー・グッドマンやバディ・デフランコとは一味違った音色なのだ。

さてこのアルバムだが、4人のジャズ・ジャイアントを取り上げ、コンボとビッグバンドで演奏したものが収録されている。
アレンジはどうやらボブ・ドローらしい。
4人のジャズ・ジャイアントとは、いわずもがなチャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィスである。
このアルバムがベツレヘムから発売されたのが'57年だが、当時既にこの4人は別格扱いだったわけである。

この作品は全編に渡って熱気が溢れているが、私はビッグバンド編成の曲がお気に入りだ。
特にマイルスが作曲した「SERPENT'S TOOTH」はいい。
アンサンブルもよくまとまっているし、各ソロパートが実に美しく勢いがある。

考えてみれば、こういうちょっと地味な作品にこそ、ジャズを聴く真の喜びが潜んでいるものだ。
サム・モストといっても知らない人が多いだろうが、顔を見てどんな内容かを判断することも大切なのだ。




Ken Peplowski Quartet 「Memories Of You」

2008年12月04日 | Clarinet/Oboe/Flute

実にハートウォームな演奏だ。
胸の奥にまで染み入るようなサックスとクラリネットの調べ。この季節にぴったりの一枚である。

ケン・ペプロフスキーはクラリネット奏者として有名であるが、テナーサックスを吹かせても超一流だ。
このアルバムは2枚組の大作だが、クラリネットとテナーサックスでの演奏がほぼ半々ずつ入っていて私たちを楽しませてくれる。
ズズズ....ススス....と跡を引くようなビブラートが特徴的な太いテナーと、ホロホロホロ.....と小鳥がさえずるような軽いクラリネットの対比が実に新鮮に響いてくる。
曲もその楽器に合わせてうまく選曲してあるのだが、タイトル曲の「Memories Of You」だけは両方収録されている。どちらも甲乙つけがたい出来だ。彼は曲のテンポを極端に変えたりせず、純粋に楽器の音色によって表現を変えている。このへんが何ともにくいところである。
個人的な感覚でいうと、クラリネットでの演奏では、A-2曲目の「I'll Be Seeing You」、B-1曲目の「Foggy Day」の出来がよく、テナーサックスでの演奏では、A-6曲目の「It Might As Well Be Spring」、B-6曲目の「But Not For Me」が特に際立っているように思う。ピアノを弾くテッド・ローゼンタール やベースのゲイリー・マッツァロッピ、ドラムスのジェフ・ブリリンガーとの息がぴったりと合っているからだ。

話は変わるが、昨日は3時間かけて山あいのある町まで出かけ、茅葺きの古民家に宿泊した。
地元の人と数名で囲炉裏を囲み深夜まで酒を飲みながら話をしたのだが、酔った勢いで外に出てみると、夜空には満天の星が輝いていた。天の川もくっきり見えるし、オリオン座の中にも小さな星がたくさん存在していることに驚いた。正に降ってくるような煌びやかさだ。
雪国の冬は厳しいが、冬ならではの楽しみもある。
季節を感じることのできる生活をしていたいとつくづく思う。

ROLAND KIRK 「the inflated tear」

2007年12月22日 | Clarinet/Oboe/Flute

研ぎ澄まされた感性が必要になる作品だ。
このローランド・カークの「the inflated tear(邦題:溢れ出る涙)」は、一曲一曲がどうだというより、全体を通して振り返った方が的確にご紹介できると思っている。
一番の印象は、どの曲にも漂うある種のやるせなさであり、それが彼の吹く多くの楽器を通して伝わってくる。
どちらかというとユセフ・ラティーフやオーネット・コールマンらに近く、気楽に聴き流せる類のジャズではない。しかしながら不思議と前衛的には感じない。彼の生み出す音は心の奥底から吐き出されるため息のようであり、実に自然で人間くさい音だからだ。

目の見えないローランド・カークには、視覚に替わるある種の特殊能力が備わっていたように思えてならない。
数本のホーンを銜えて演奏できる、なんていう見た目で判断できる単純なことではない。もっと内なるものである。
黒人としてのスピリチュアルな感性を、どの楽器を使っても表現できる希有な人なのである。
事実イングリッシュホーンでは疎外感や孤独感を、フルートでは繊細さと優しさを、テナーではたくましさと力強さを、他のジャズメン以上に迸らせる。しかもそれ全てがカークの人間性と直結しており、彼の考えていることや感じることが手に取るようにわかる気がするのだ。これはすごいことだと思う。

要するに彼の音楽は現代美術館で観るコンテンポラリーなアートに近いのだ。
彼ほど音楽を自己表現の手段として捉えている人は少ないのではないかと思う。
そうして考えてみると、こちらも自ずから鑑賞するときの心構えが違ってくる。
こんなジャズメンは他にいない。
もう少し長生きしてほしかった一人である。


YUSEF LATEEF 「EASTERN SOUNDS」

2007年10月26日 | Clarinet/Oboe/Flute

このユセフ・ラティーフの作品を難しく解釈し始めたらきりがない。
これを聴いた多くのジャズメンが東洋音楽に興味を持ったらしい。コルトレーンがその代表格のようだ。
しかし私はジャズメンではないので東洋音楽がどうのこうのといった話はどうでもいい。要するに聴いてみて感動するかしないかだ。
1曲目の「Plum Blossom」、ポコポコいうオリエンタルな打楽器のリズムに乗って、怪しげな木管楽器?の演奏が始まる。この最初の曲がアルバム全体のイメージを決定づけている。初めて聴いたときは正直面食らってしまったが、最近はちょっと快感に変わってきた。但しバリー・ハリスのピアノソロがなかったらこれをジャズとはいえないのではないかと思う。もちろん、この曲が最初にあるからこそフツーじゃないと感じるわけで、それがラティーフの狙いだとしたら作戦は見事に当たっていることにはなるのだが....。

本当のジャズは2曲目以降に始まる。
2曲目はオーボエによるブルース。ラティーフの演奏もさることながら、彼を支えるピアノ、ベース、ドラムスのトリオがすばらしく、それだけでも一聴の価値がある。
3曲目に入ってラティーフは初めてテナーを披露する。
確かにこの演奏を聴けば納得だ。コルトレーンはラティーフによく似ていることがわかっておもしろい。
自信溢れる吹奏は続く4曲目のバラードにも現れているが、この優雅さはコルトレーンにない懐の深さを感じる。
しかし何といってもこのアルバムのハイライトは5曲目の「Love Theme from "Spartacus"」だ。
この一曲でこのアルバムは名盤化したといっていい。彼の吹くオーボエは哀愁を帯びたバリー・ハリスの弾くメロディに乗って、はるか高い空に舞い上がるのだ。

とにかくラティーフのものすごい風格を感じる作品だ。
一歩間違えば陳腐で観念的な作品になりかねないテーマだが、彼は自然体でこのテーマと向き合っている。
様々な楽器がそれそれの曲で生かされているような気もする。
またルディ・ヴァン・ゲルダーによるリマスターはとてつもない迫力を生み出しておりオーディオ的にも大満足だ。
誰でも充分に感動できる名作だと思う。

ERIC DOLPHY 「LAST DATE」

2007年06月10日 | Clarinet/Oboe/Flute

エリック・ドルフィーと聞いてたじろいではいけない。
今となっては時代の産物と化してしまったフリージャズの最前線にいた人という位置づけではなく、私たちは彼を最高のインプロバイザーとしてもっと高く評価すべきなのだ。
あのコルトレーンに「ドルフィーは私が出会った最も偉大なプレイヤーだった」といわせたほど、彼の音楽的な感は群を抜いていた。特にアドリヴにおける自己表現には圧倒的な迫力があった。まるでエレクトリックな楽器を演奏しているのではないかと思えるほど、一つの楽器で様々なエフェクトを出せる人だった。しかも彼はアルトサックスの他にフルートやバス・クラリネットを巧みに操り、曲によって表現を180°変えることのできる人だった。簡単なようでこれはなかなか難しいことなのだ。

このアルバムは彼が亡くなる27日前のライヴ録音だ。
私の大好きなアルバムで、一頃はもう毎日のように聴いていた。
全曲いいが、その中でも特筆されるのがフルートで演奏された「You Don't Know What Love Is」である。もし聴いたことのない人がいたらぜひにといいたい。コルトレーンの言っていることが少しも大袈裟ではないことがわかる。
こんな演奏を聴かされたらもうファンになるしか道はない。こんな演奏を今まで知らなかったことに後悔したものだ。
アルバムの最後に聴衆に向かって彼が残したセリフは、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. " 「音楽を聴き、終った後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」だった。
凡人がいったセリフなら「何いってんだか」で終わってしまうが、それが彼の口から発せられているのを聞くと感無量だ。
まさか遺言のつもりではないだろうが、そのタイミングからか深い情念のようなものを感じてしまう。

PUTTE WICKMAN & JAN LUNDGREN 「WE WILL ALWAYS...」

2007年06月06日 | Clarinet/Oboe/Flute

ヤン・ラングレンのファンになったお陰でスウェーデンや北欧ジャズのことは少しだけ詳しくなった。
初期の傑作として名高い「Swedish Standards」では素敵なスウェーデン民謡などをたくさん教えてもらったし、彼の相手を務めるイェスパー・ルンゴー(b)、 アレックス・リール(ds)の魅力・実力を知ったのも彼を通じてである。
そしてこのプッテ・ウィックマンもここで初めてその存在を知らされた。
プッテ・ウィックマンはスウェーデンの生んだクラリネット奏者で大ベテランであるが、このアルバムを手にするまでは全く知らなかった。彼もまた残念ながら昨年亡くなってしまったが、北欧にはまだまだウィックマンのような隠れた才能がたくさんいるのだろうと思う。

ウィックマンがいかに国民的なミュージシャンだったかは音を聴けばわかる。
枯れた音というのはいい方が悪いかもしれないが、長年のキャリアが風格となって音に出ているのだ。
もともとクラリネットはまろやかな音を奏でる楽器である。決して濁ったりしない。軽く口笛を吹いているような感じさえする。これは木管楽器の特性であるが、ウィックマンはその中高域を巧みに利用して暖かみのある音を創り出しているのだ。
また親子ほどの年の差があるヤン・ラングレンはというと、ここではあまり目立つような弾き方をせず、終始ウィックマンの引き立て役に徹しているように感じる。このあたりのセンスが人気の原因の一つになっているのだと思う。

このアルバムはスウェーデンの総合アルバムチャートで第3位を記録したヒット作であることが帯に記されている。
いくら人気者二人の共演盤とはいえ、こういう現象は日本では考えられないことだ。
北欧ではいかにジャズの人気が高いかがわかる。優秀な人材が次から次へと現れるわけだ。
日本のジャズファンももっともっとがんばろう!

BUDDY DeFRANCO 「PRETTY MOODS」

2007年02月03日 | Clarinet/Oboe/Flute

クラリネットといえば真っ先に誰を思い出すだろう? ベニー・グッドマン? 北村英治? 私はバディ・デフランコだ。
特にこのアルバムは、デヴィッド・ストーン・マーチンのジャケットデザインと共に名作と断言できる。
一曲目のテンダリーもこのアルバムで好きになった曲だ。
昼下がりのまどろみの中にいるような雰囲気から一転して、イエスタディズでは疾走感溢れるテクニックを披露してくれる。
そのメリハリと安定感が彼の持ち味だ。

日本では彼の評価がイマイチ低いように思う。クラリネットというある種特異な楽器のせいかもしれない。トランペットやサックスのように往年の大スターが大勢使用した楽器ではないので、それもある意味うなずける。
ただ彼も間違いなくジャズ・ジャイアントの一人である。
風格がものをいう一枚。

HERBIE MANN 「Love and the weather」

2007年02月01日 | Clarinet/Oboe/Flute

これはもう何が何でも欲しかったアルバム。しかもLP版で。
ちょっと大袈裟に言えば「中にレコードが入ってなくてもいい」くらいの気持ちで買った。それくらいこのバート・ゴールドブラットによるジャケットアルバムは魅力的だし価値があると思う。

実際に中身の音はというと、ストリングスをバックにした古い映画音楽のようなムードが全編に漂っている。正直言って、これをジャズアルバムだと思って買った人はかなりがっかりくるはずだ。
それでもいい、このあま~い音楽を聴きながらこのジャケットを見ているだけで幸せだ。