SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

EDDIE "LOCKJAW" DAVIS 「Cookbook, Vol.1」

2010年04月25日 | Tenor Saxophone

ここ数日、コテコテのジャズばかりを聴いている。
コテコテのジャズとは、ずばり猥雑さを感じるジャズであり、下町の強烈な匂いを感じるようなジャズである。
この反対語は、たぶん洗練されたジャズであり、爽やかなジャズである。おしゃれなジャズといってもいいかもしれない。
私も普段は後者の方を圧倒的に多く聴いている。
しかし、考えてみればコテコテのジャズこそ、直球ど真ん中のジャズともいえるのだ。
ここを聴かずして何が本当のジャズファンか、とも思う。

私にとって今回のこのコテコテジャズ・リバイバルは、2~3年のブランクを経て訪れた。
久しぶりに棚から引っ張り出したジャック・マクダフの「The Honeydripper」がそのきっかけだった。
彼の弾くファンキーなオルガンジャズを大音量で聴いたら、熱い血潮が蘇ってきた。
「お~、これだ~~」と一人で感激。
しかもこのアルバムは、グラント・グリーンやジミー・フォレストなど、コテコテメンバー総出演といった感じだから一度火がつくと始末が悪い。もうどうにでもなれ、という心境になるのである。
とにかくどこを切り取ってもねちっこく黒いのがジャック・マクダフである。

で、その勢いを借りて聴いたのがこのエディ・"ロックジョー"・デイヴィスの「Cookbook, Vol.1」だ。
これも今まで持っていたイメージとは違っていた。
いつもの彼ならジミー・フォレストに負けないくらい下品なはずなのだが、ここでの彼はいつもよりコントロールが効いている。
ジェローム・リチャードソンとの掛け合いに緊張感があるからかもしれない。
むしろ熱いのは相棒のシャーリー・スコットである。
彼女はまるでこのアルバムの主役のように振る舞っている。
しかし彼女のオルガンがうるさく感じられないのは、彼女の持つスピード感と暖かみのあるフレーズが起因しているからだろう。
女性だということも関係しているような気がする。
「In The Kitchen」における最初の長いソロパートは、ブルージーでありながらその盛り上げ方に拍手を贈りたくなる。
また「Avalon」の出だしのワンフレーズもキレがあって好きだ。

そんなわけでこのアルバム、めずらしく何度も聴き直した。
こういうアルバムには、まったくドラッグのような中毒性がある。
そんな危険性が、コテコテジャズの真骨頂なのだ。


TOMMASO STARACE 「Plays... Elliott Erwitt」

2010年04月19日 | Alto Saxophone

エリオット・アーウィットという人をご存じだろうか。
世界最高の写真家集団として有名な「マグナム・フォト」のメンバーでもある著名なカメラマンである。
もう既に80才を超えている巨匠だが、彼の写した写真はいつもフレッシュな若々しさに満ちている。
ユーモラスな雰囲気がその若さを支えている原動力だ。
このジャケットの写真も彼の作品である。
但し、この写真はトンマーソ・スタラーチェのアルバムのために撮られたものではなく、あくまでトンマーソ・スタラーチェがエリオット・アーウィットの写真からインスパイアされたアルバムを発表したということである。
私はこういう作品の作り方を面白いと思う。
視覚から得られたイメージを音楽で表現するなんて、なかなかいかしているじゃないかと思うのだ。
この作業って、音楽のイメージに合わせて写真を撮るよりもむずかしい作業なのではないだろうか。
でも出だしの「Keep Moving Please!」、2曲目の「Set Me Free」(どちらのタイトルも泣かせる)を聴いて、トンマーソ・スタラーチェという人の実力がわかった。
どちらも都会的かつ現代的な音づくりになっているが、古いジャズの持っているスイング感やグルーヴ感も失われていないところが気に入った。
特にアルトサックスの音色がいい。
思いのほか線が太いのである。
この安定感が、深いベースの音と相まって、全体をきりりと引き締める役目を果たしている。
彼のことを知らない人には、何となくフィル・ウッズに近い音だといった方が分かりがいいかもしれない。

写真と音楽の関係性もこじつけようと思えばいくらでも可能である。
例えば、6曲目の「Felix, Gladys And Rover」が流れると、このジャケットがいきなりとぼけた口調で話し出してくるような感覚に陥る。
なるほどね、と相づちを打ちながら聴いてしまう。
しかし、彼のプレイは決してむずかしいものではないし理屈っぽくもない。
そういう点でトンマーソ・スタラーチェとエリオット・アーウィットの資質は共通している。
二人とも繊細ではあるものの、どこか大衆的な人なのだ。きっと。

TRIO PIM JACOBS 「Come fly with me」

2010年04月11日 | Piano/keyboard

昨日は友人の結婚披露宴に招かれた。
盛大な披露宴は終始喜びに包まれており、新郎新婦の幸せそうな姿に感動されっぱなしだった。
お陰でこのところの忙しさも忘れて、ゆっくりとした時間を楽しめた一日となった。

最近の結婚式は、ホテルやセレモニーホールのような場所で行われることが多くなったが、今回は格式高い老舗料亭がその会場だった。
障子に写るキャンドルの灯もなかなか風情があっていいものだ。
会場では新郎が入場するまでの間、ピム・ヤコブス・トリオの「カム・フライ・ウィズ・ミー」が流されていた。
このアルバムは以前からの愛聴盤だったのですぐそれと気づいて、一人耳を澄ませて聴いていた。
キラキラと輝くような粒立ちのいいピアノタッチは、こういうシチュエーションにはもってこいだ。
しかも適度なスイング感が心地よさを倍増させてくれる。
選曲したこの料亭のセンスにも拍手したい気持ちであった。

私の好きなジャズは、本来「楽しさ」よりも「哀しさ」の中に多く存在している。
いつも切ないばかりの憂い盤がないかと探し求めているといってもいい。
しかしこの「カム・フライ・ウィズ・ミー」を聴いていると、そのどちらの範疇にも入らない「嬉しさ」を心の底から感じるのである。
こんなアルバムは本当に数少ない。
これは「I'VE GOT THE WORLD ON A STRING」や「COME FLY WITH ME」、「WHO CAN I TURN TO」という喜びに溢れた曲が随所に配置されているからかもしれないが、本来は悲しみの代表曲ともいえる「AUTUMN LEAVES(枯葉)」でさえも、その心地いいスイング感からか少しも暗く感じないことに驚いてしまう。
しかもそこにはちゃんと哀愁が漂っているから、「悲しさ」と「哀しさ」の違いは大きいことにも気づくのである。

私はこのアルバムが気に入って、その後ピム・ヤコブスのアルバムは細君のリタ・ライスのものも含めてずいぶん買いあさった。
またオランダのジャズにも興味を持つようになった。
さらに「嬉しさ」が表現されたジャズも探し求めるようになった。
私にとってはこれこそ最高のピアノトリオである。


PATTY McGOVERN 「WEDNESDAY'S CHILD」

2010年04月05日 | Vocal

この作品、ジャズヴォーカルのファンなら知らない人はいないだろう。
購買動機の半分以上はこのジャケットに違いない。
写っているのはパティ・マクガバンと、このアルバムのコンダクター兼アレンジャーであるトーマス・タルバートである。
逆光になっているため写りもそれほど良くないが、なぜか惹かれてしまう。
二人の立ちポーズが様になっているからかもしれない。
まるで名作映画のポスターのようだ。
パティ・マクガバンが何かをポツリと呟き、トーマス・タルバートが思わず視線を向ける。
そんなワンシーンのように感じるのである。
この何かを言いたげなトーマス・タルバートの姿が何とも粋で、それだけで酔ってしまいそうだ。
とにかくこのジャケットを見て何も感じられないようなら、ジャズファンの資格がない。
この味わいこそが50年代ジャズヴォーカルの魅力なのである。

こうした作品は雰囲気で聴く方がいい。
あまりディテールにはこだわらないことだ。
ひたすらパティ・マクガバンの清楚な歌声を楽しむのである。
とにかく丁寧に丁寧に歌っている彼女の姿が印象に残る。
それとバックに流れるフルートが全体のムードを高めていることにも注目したい。
この作品は、どの曲も聞きこめば聞き込むほどに味わいが出てくるのだが、私は個人的に「Lonely Town」で始まるB面が好きだ(CDなら7曲目以降)。
比較的曲の並びが自然で、すんなり入ってくる感じがするからである。
「ニューヨーク、ニューヨーク....」で始まる歌詞もジャケットの雰囲気にマッチしており、一気にその世界に引き込まれる快感が味わえる。
というわけで、これはジャズヴォーカルは何から入ればいいかという初心者にもお薦めできる盤だといえる。
理由は簡単。
視覚と聴覚、その両方をジャズ的に満足させてくれるからだ。