このピアノトリオ、結構気に入っている。
内容はアントニオ・カルロス・ジョビンの作品集である。
そう聞くと、「なんだ、よくあるボサノヴァ・アルバムか」と思うかもしれない。
しかしライナーノーツにも書いてあるとおり、ピアノトリオにおけるボサノヴァ作品集は極端に数少ない。
一般的にはギタリストかサクソフォニスト、或いはボーカリストのものばかりなのだ。
実際このアルバムを聴いていると、ボサノヴァを聴いているという感覚はあまりない。
実はここがこのアルバムのポイントだ。
つまりボサノヴァのリズムを楽しむのではなく、あくまでジョビンの書いた曲の美しさを堪能するべき作品なのだ。
そんな風に考えながら聴くと、この作品からボサノヴァ特有の夏のイメージを感じることはむずかしく、むしろ枯葉がはらはらと舞い落ちるような今の時期(晩秋)を連想するのである。
とにかく全編に渡ってセンチメンタルで、切なくなるようなピアノタッチの連続だ。
これこそみんなが求めているピアノトリオなのかもしれない。
ステファーノ・ボラーニという人は、リスナーのツボを知り尽くした人だ。
特にメロディラインの聴かせ方が上手い。
しかもここぞという場面を上手くつくり出し、ピンポイントで泣かせるフレーズを繰り出してくる。
タッチも実にソフトで、いらつくような場面はほとんどない。
私はこんなイタリア人の感性が大好きだ。
それはそうと、今日は灰色の雲に覆われた休日だった。
紅葉の季節も終わり、後は白いものが落ちてくるのを待つだけの毎日である。
考えてみれば、一年で最もさみしい季節だ。
今、私の部屋では「Retrato Em Branco E Preto(白と黒のポートレイト)」というソロ・ピアノが響いている。
ピアノの弦を直接手で弾く効果音が、さみしさをより一層際立たせていく。
こういう感覚が、美を構成する一番の源かもしれない。
楽しさよりも寂しさの表現が、ピアノトリオの善し悪しを決めるということだ。