SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

STEFANO BOLLANI 「Falando De Amor」

2009年11月23日 | Piano/keyboard

このピアノトリオ、結構気に入っている。
内容はアントニオ・カルロス・ジョビンの作品集である。
そう聞くと、「なんだ、よくあるボサノヴァ・アルバムか」と思うかもしれない。
しかしライナーノーツにも書いてあるとおり、ピアノトリオにおけるボサノヴァ作品集は極端に数少ない。
一般的にはギタリストかサクソフォニスト、或いはボーカリストのものばかりなのだ。
実際このアルバムを聴いていると、ボサノヴァを聴いているという感覚はあまりない。
実はここがこのアルバムのポイントだ。
つまりボサノヴァのリズムを楽しむのではなく、あくまでジョビンの書いた曲の美しさを堪能するべき作品なのだ。
そんな風に考えながら聴くと、この作品からボサノヴァ特有の夏のイメージを感じることはむずかしく、むしろ枯葉がはらはらと舞い落ちるような今の時期(晩秋)を連想するのである。
とにかく全編に渡ってセンチメンタルで、切なくなるようなピアノタッチの連続だ。
これこそみんなが求めているピアノトリオなのかもしれない。

ステファーノ・ボラーニという人は、リスナーのツボを知り尽くした人だ。
特にメロディラインの聴かせ方が上手い。
しかもここぞという場面を上手くつくり出し、ピンポイントで泣かせるフレーズを繰り出してくる。
タッチも実にソフトで、いらつくような場面はほとんどない。
私はこんなイタリア人の感性が大好きだ。


それはそうと、今日は灰色の雲に覆われた休日だった。
紅葉の季節も終わり、後は白いものが落ちてくるのを待つだけの毎日である。
考えてみれば、一年で最もさみしい季節だ。
今、私の部屋では「Retrato Em Branco E Preto(白と黒のポートレイト)」というソロ・ピアノが響いている。
ピアノの弦を直接手で弾く効果音が、さみしさをより一層際立たせていく。
こういう感覚が、美を構成する一番の源かもしれない。
楽しさよりも寂しさの表現が、ピアノトリオの善し悪しを決めるということだ。


JOE NEWMAN 「and the boys in “the band”」

2009年11月15日 | Trumpet/Cornett

「無人島に持って行く一枚」の候補になるアルバムだ。
その理由は簡単。
寂しさを紛らわすのにうってつけだからだ。
ベイシーがらみのものは、そのほとんどがそうであるように、このアルバムも人目を気にせず爆音で聴きたい作品だといえる。
大音量で聴いていると、リズムに合わせて自然に身体が動き出す。
スイングするということはこうした感覚なのだと思う。
これを聴いていると、いかにジャズは楽しい音楽なのかということが身に染みてくる。

このアルバムは1954年ベイシー楽団がボストン公演に行った際、9人のメンバーが集結して録音した作品である。
もちろんカウント・ベイシーもビル・ベイリーという偽名で参加している。
この作品を聴いていると、つくづく主役のジョー・ニューマンは、根っからビッグバンドの人なんだなぁと思う。
自分のリーダーアルバムにもかかわらず、自分だけが目立つようなことはほとんどしていないのだ。
2曲目の「These Foolish Things」に至っては、最初から最後までフランク・フォスター(ts)の美しいソロをフィーチャーしており、ジョー・ニューマンは他のメンバーと共にオブリガードをつけることに専念している。何とも微笑ましい限りである。
その代わり、ラストに近い「I'm Confessin'」で彼の持ち味が充分に発揮されている。
高らかにメロディを歌い上げるその音色は慈愛に満ちたものだ。
またそんな彼のトランペットを、ベイシーのオルガンがしっとり包み込んでいるのが印象的だ。

そしてそして、忘れてはいけないのが、このジャケットである。
もちろん、バート・ゴールドブラッドのデザインだ。
大胆な構図と、思い切った写真の切り抜き。
これだけでも買う価値が充分にある。
やっぱり無人島に持って行くならこの一枚である。

HELEN MERRILL 「helen merrill」

2009年11月07日 | Vocal

ジャズ入門盤として必ず十指に入る名作である。
これじゃあヘレン・メリルの美貌が台無しだとして、このジャケットが嫌いだという人も多いようだが、私は好きだ。
少なくともクリス・コナーやアニタ・オディのように、大口を開けて歌っているジャケットと比べたらこちらの方が遙かに魅力的だ。
だいたいボーカリストは歌っている姿が生命線。それをどう撮すかはとても大事なことのはずだ。
そういう意味でもこのジャケットは、彼女の感情が高まった一瞬を見事に捉えている。
このアルバムが大ヒットしたのも、このジャケットが大きく関与していると思いたい。
少なくとも私はそう信じている。

この作品が吹き込まれた1954年、当のヘレン・メリルが24歳、脇役として最高の吹奏を見せるクリフォード・ブラウンもまた24歳。アレンジを担当したクインシー・ジョーンズに至っては若干21歳だ。
この若さでこの完成度、この成熟度は正に奇跡的だ。
特にクインシー・ジョーンズの実力は計り知れないものがある。
私が彼のファンになったのは、このアルバムとナナ・ムスクーリの「イン・ニューヨーク」を知ってからだ。
彼は聴く者のハートを射止めるのが実に上手い。
彼のアレンジのうまさを一言でいってしまうと、一つ一つの間の取り方に絶妙なタメを作れることにあるのではないだろうか。
この「間」のお陰で、それぞれの楽器やボーカルがドラマチックに浮かび上がるのである。

そんなことを考えながら、今日はこのアルバムを聴いてみる。
有名な「You'd Be So Nice to Come Home To」はもちろんいいが、5曲目の「Yesterdays」が私のお気に入りだ。
クリフォード・ブラウンの短くも哀愁漂うイントロを皮切りに、ゆったりとしたヘレン・メリルのハスキーな歌声が部屋中を包み込む。やがてシングルトーンの優しい静かなピアノが遠くから聞こえてきて、ここぞというタイミングでクリフォードがトランペットで歌い出す、といった構成である。
初めて聴いた時から既に数十年経っているが、未だに魅了されっぱなしだ。
死ぬまで聴き続けるであろう名盤である。



FRANK ROSOLINO 「Frank Rosolino Quintet」

2009年11月01日 | Trombone

ジャケットのイラストが何となくクラーク・ゲーブルのようだ。
ただ私が持っているこの人の印象は、そんな二枚目俳優ではなく、人気コメディ役者に近い。
いくつかのジャケットから判断して、彼は西海岸の太陽のように明るく、人なつっこい性格のように見える。
だからというわけでもないのだが、私はこのフランク・ロソリーノのアルバムを結構買い集めた。
ウエストコーストジャズが好きだったということと、何より溌剌としたキレのいい音を出すトロンボーン奏者として気に入っていたからだ。
彼のアルバムを好きな順で並べると、
1「Fond Memories Of...」
2「Frankly Speaking!」
3「The Frank Rosolino Sextet」とこの「Frank Rosolino Quintet」
っていう感じになる。
だったら一番気に入っている「Fond Memories Of...」を紹介しろよ、といわれそうだが、この作品はジャケットがひどいのだ。ジャケットの写真を出した時点で、とてもいい内容には感じてもらえそうもないのでやめた。
「Frankly Speaking!」や「The Frank Rosolino Sextet」のジャケットも風格に欠ける(このゆるいキャラが好きだっていう人も多いようだが)。
ということで今回は「Frank Rosolino Quintet」をご紹介することにしたのである。

このアルバムはビル・ホルマンのアレンジの下、リッチー・カミューカとの掛け合いが聞きものだ。
カミューカの名盤「West Coast Jazz in Hi Fi」もこの組み合わせだったが、これはその約1年前の録音である(1957年)。
眩しいくらいの日差しと暖かさを感じるという点においても共通している。
これはウエストコーストジャズの中でも、群を抜いているコンビのように感じるのは私だけだろうか。
この浮き立つようなリズムと若々しいスイング感に魅せられて、一頃は毎日のように聴いていた。
ひょっとしたら私の中でトロンボーンの魅力を一気に引き上げてくれたのが、このフランク・ロソリーノだったのかもしれない。
類い希なテクニシャンでありながら、それをひけらかすことなく、実に人間味あふれるプレイをした。
一言でいえば、それが彼なのだ。