SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

HOWARD McGHEE 「The Return of Howard McGhee」

2007年07月31日 | Trumpet/Cornett

ずいぶん前の話だが、ジャズトランペッターは誰が好き?と聞いたら「ハワード・マギー」と答えた友人がいた。
思わず私の口から「ほぉ~」と驚きの声が出た。
普通ならマイルス・デイヴィスだとか、クリフォード・ブラウンなどと答える人が多い中、ハワード・マギーは予想外の人だったのだ。
もちろん彼の名前は知っている。チャーリー・パーカーのグループに所属し、ガレスピーやナヴァロなどと共にビバップの全盛期を支えたトランペッターだ。
しかしガレスピーやナヴァロほどの個性を感じなかったのは、私が彼のトランペットを充分に聞き込んでいなかったことが原因である。いわば適当に聞き流しただけで知ったつもりになっていたというわけだ。
この友人の一言がなければ今でもそのままだったかもしれない。事実手元にあったアルバムといえば「DUSTY BLUE」が1枚だけだった。そこで買い込んだのがこのベツレヘムの「The Return of Howard McGhee」だ。

まずバート・ゴールドブラッドによる印象的なカバーデザインが目に付く。できそうでできないレイアウトだ。
1曲目はいかにも彼の復活を感じるようなハイスピード演奏。対照的なサヒブ・シハブのバリトン・サックスとの掛け合いが嬉しい。
この録音は1955年だから既に時代はハードバップ全盛期に入ろうとするころだ。その息吹がここにも感じられるが曲想そのものはビバップである。何となく懐かしい雰囲気が漂うのもそうしたせいで、必ずしもメロディだけの問題ではない。
白眉なのは3曲目の「LOVER MAN」や続く4曲目の「LULLABY OF THE LEAVES」、7曲目の「RIFFTIDE」での演奏だ。
特に「LULLABY OF THE LEAVES」はデューク・ジョーダンのピアノソロも見事で一聴の価値がある。

彼のトランペットの特徴を一言でいうと「小気味いい」が適当だ。
常に歌心を忘れず、どんなに早い演奏でも一音一音大切にした吹き方なのだ。この吹き方がクリフォード・ブラウンに決定的な影響を与えた。
友人の気持ちが少しだけわかってきたように思っている。


〈残念ながらまた明日からしばらく留守にします....〉

CLAUDE WILLIAMSON 「THE FABULOUS...」

2007年07月27日 | Piano/keyboard

カクテル・ピアニストという人たちがいる。
もともと「カクテルバーのピアニストのように安っぽい」という軽蔑する言葉として使われた。使われた本人は誰かというと、エロール・ガーナーであり、レッド・ガーランドだった。
耳障りの良い軽めのピアノをそう呼ぶことが多いのだが、一方でこの称号こそ隠れ人気のバロメーターだったから皮肉なものだ。
ここで取り上げるクロード・ウィリアムソンをカクテル・ピアニストと呼ぶ人は少ないかもしれない。
しかしガーランド以上に高音域での転がるシングルトーンは、正に極上のカクテルピアノといっていい。もちろん私は最大の賛辞を送っているつもりだから誤解しないでほしい。
こんなに軽快にスイングされると誰だって振り向いてしまう、これはそんなアルバムなのだ。

クロード・ウィリアムソンといえば、ベツレヘムに残した「ROUND MIDNIGHT」が有名だ。
この「ROUND MIDNIGHT」を聴く限りあまりカクテル・ピアニストという形容詞は相応しくない。
もともと彼はバド・パウエルの影響が最も色濃く出る人の代表格だったから、力強くスインギーなタッチが売り物のジャズピアニストであり、聴いていて心地いいというよりは、ダイナミックな迫力が売り物であった。
それがこの「THE FABULOUS CLAUDE WILLIAMSON TRIO」ではこれが同じピアニストかと思えるくらいに軽快だ。
この演奏を聴いてはっきりすることがある。
ピアノは高音域がきれいに出ないと魅力がないということだ。
考えてみればこれはアート・テイタムに始まる跳ねるようなジャズピアノの最も美味しいところである。これが聴きたいがために様々なピアニストを聴きあさるのである。そうして見つけたこのようなアルバム、その嬉しさは例えようがない。
「あった、あった」「これだ、これだ」と子どものように喜ぶ自分がいることに気づく。
全ピアノトリオファンに捧げたい。これこそ隠れ名盤だ。


〈明日からしばらく留守にします....〉

DOMINICK FARINACCI 「BESAME MUCHO」

2007年07月26日 | Trumpet/Cornett

いきなりのバラード、これは彼の自信の現れだ。
ドミニク・ファリナッチはウィントン・マルサリス以来、久々に登場した天才トランペッターである。
傾向としてはクリフォード・ブラウンに似て、よく歌うトランペットを吹く。ただブラウンよりもやや甘い感じだ。優しいという表現の方がいいかもしれない。
バックも控え目に彼を盛り立てる。このバランスがアルバムの共通するコンセプトだ。
これによってファリナッチのトランペットが見事なコントラストを得て色っぽく浮かび上がる。実に明快な作品だ。

タイトル曲がそうであるように、この作品はラテンフレイバーに染まっている。全編に渡って哀愁が漂っているのはそのせいだ。
以前もお話ししたが、私はラテンの曲が大好きだ。
2曲目の「Caminamos」、4曲目の「Besame Mucho」、6曲目の「Libertango」など、どれもこれも絶品で、とても冷静に聴いていられない。本当にこれが二十歳そこそこの若者の演奏かと思ってしまう。
しかしそれ以上にグッとくるのは8曲目の「Nostalgia」である。
この曲はいわずとしれたファッツ・ナヴァロの名曲だ。いわばトランペッターの登竜門的な曲なのだ。
あのリー・モーガンもデビューアルバムでこの曲を取り上げ、存在感を誇示していたのを思い出す。
この曲でファリナッチは、ピーター・ワシントンのベースだけを相手に静かな吹奏を見せる。「う~ん、こうきたか」といった感じである。この冷静さも彼の特徴の一つだ。

彼がデビューした時の衝撃はマルサリスの時に勝るとも劣らない。
両人ともかなりのインテリであることもオーバーラップする原因だ。
但しマルサリスの場合はインテリであったがために離れていくファンも多かった。トランペッターとは時に感情の赴くまま爆発することも必要なのだ。
ファリナッチにはマルサリスと同じ道を行ってほしくない。若いうちはもっと熱くなれ、と妙なエールを贈っている。

PAUL SMITH 「COOL AND SPARKLING」

2007年07月25日 | Piano/keyboard

辛口でずっしり重いアルバムを聴いた後は、こんな対極にあるアルバムはどうだろう。
あまりの軽さに羽を広げてふわふわと飛んでいってしまいそうな作品である。
こんなことを書くとポール・スミスに怒られそうだが、昼下がりに聴くと間違いなく眠くなる。強烈な睡眠薬だ。だから私は朝に聴く。目が覚めてこれをかけるとこれが何とも爽やかなのである。こんなジャズがあってもいい。
なぜ眠くなるかということだが、それだけ頭の中がリラックスしている証拠である。その原因が特異な楽器編成であることに最近気づいた。
フルートとアルトサックスの組み合わせに柔らかいセミアコのギター、これなのだ。これが室内楽のように品のある高級サロンの印象を与えているのである。ここは聴いているこちらもその気になって背筋を伸ばす。
ジャズはもともと気楽な音楽ではあるが、このアルバムだけはフォーマルな出で立ちで臨みたい、そんな気にさせる音なのだ。

ポール・スミスといえば、歌伴の名手でもある。
エラ・フィッツジェラルドの名作「IN BERLIN」でも確かな伴奏を見せているのでファンも多いはずだ。
彼のピアノがこれまたエレガントなのである。このアルバムでも「A YOUNG MAN'S FANCY」や「ALONE TOGETHER」、「YOU AND THE NIGHT AND THE MUSIC」などなど、確かな指先で甘いメロディを艶やかに奏でている。
彼のテクニックは相当なものだ。それはところどころで聴くことのできる独特な節回しからも感じることができる。しかし彼はそれを一切ひけらかそうとはしない。常に全体のバランスに気を配っている。
要するに彼はピアニストとしてよりアレンジャー向きの人であり、バンドリーダーとしての才能を高く評価すべき人なのだ。

このアルバムはじっくり聞き耳を立てて聴くというような類のものではなく、ムードで聴く一枚である。
これほどジャケットのイメージが内容とオーバーラップする作品も少ない。
甘いシャンパンが口の中でとろける感じだ。

JOHN COLTRANE 「A LOVE SUPREME」

2007年07月24日 | Tenor Saxophone

思い切ってこの作品を取り上げる。
モダンジャズの最高傑作を挙げろといわれたら、このジョン・コルトレーンの「A LOVE SUPREME(邦題:至上の愛)」を挙げる人が一番多いのではないだろうか。
ただこの作品が好きかと聞かれたら、迷わず好きと答える人はそれほど多くないはずである。
要するにこのアルバムは「別格」なのだ。もはや好きとか嫌いとかを超えた次元に存在する作品なのである。
よって誰にでも勧められる作品ではない。ましてやビギナーには危険すぎる。
これはそれくらい手強い作品なのだ。

実際にまた聴いてみると、コルトレーンの神がかった吹奏はさておいてバックの3人が気になった。
まずベースのジミー・ギャリソンだ。
彼はウォルター・ビショップ・Jrの「スピーク・ロウ」で圧倒的な存在感を見せた人だ。この作品においてはムードメイカーをとっている。彼の重いベースリフが全体の屋台骨であり、イメージを決定づける要因だ。
次にドラムスのエルヴィン・ジョーンズであるが、ここでの彼はコルトレーンをも上回る神業を発揮している。こうなるとドラムは単なるリズム楽器ではなくなり、リード楽器のような華やかさが生まれる。
ピアノのマッコイ・タイナーは意外と目立たないが彼もまた重要な存在だ。彼はドラムの替わりにリズム楽器としてピアノを弾いているように聞こえる。普段はやや弾きすぎる感の強い彼だが、ここは慎重に「間」を創り出すことに専念している。少ないソロも鋭い刃物のような切れ味だ。
一見バラバラに見える3人だが、実はかなり高度なレベルでそれぞれが関係し合っている。だからこそコルトレーンが普段以上の迫力を生み出せたのだ。

やはりこれはモダンジャズの最高傑作かもしれない。
異論のある人も、もう一度このアルバムと真摯に向き合ってみてほしい。
やはりダメだったという人はそれでも結構。また何年か経ったら聴き直せばいい。
私もこのアルバムの真価を知ったのは、聴き始めて30年近くも経ってからのことだ。

JOHN HANDY 「IN THE VERNACULAR」

2007年07月23日 | Alto Saxophone

何とも怪しいアルバムだ。
皆さんもこのジャケットを見ただけでそう思うだろう。ジャケットの写真に写っているジョン・ハンディは椅子か何かに腰掛けてサックスを吹いているのだが、その何かが消されているのでまるで尺八を吹く虚無僧のように見えてしまう。
思わず笑ってしまいそうだが、彼の場合はこれでいいのだ。このジャケットを手がけたデザイナーはその方が彼らしいと思ったに違いない。私も同感だ。
怪しい、或いはいかがわしい、そういった言い回しが彼にとってはほめ言葉になるのだ。
この資質を植え付けたのは他ならぬチャーリー・ミンガスである。ミンガスのグループに在籍していたハンディは、ミンガスから一種独特なエモーショナル表現を学んだのだと思う。鬼気迫るというか何かに取り憑かれたような演奏は、より艶めかしいムードでいっぱいだ。

この「IN THE VERNACULAR」は、1曲目に入っている「I'LL CLOSE MY EYES」で有名な盤だ。
この曲はブルー・ミッチェルのヒット作「BLUE'S MOODS」の冒頭にも入っている曲なので知っている方も多いはずだ。
この曲のメロディは実に明るい。しかしながら彼が吹くとブルー・ミッチェルが吹いた曲の雰囲気とは明らかに違ってくる。もっと粘り気があるような演奏なのだ。ぜひ比べて聴いていただきたい。
但し私個人的にはこの「I'LL CLOSE MY EYES」よりも、3曲目の「SUGGESTED LINE」や続く「PROBLEM TOO」の完成度が高いと思っている。ジョージ・タッカーのぞくぞくするようなベースラインの上で、ハンディのサックスはもちろん、リチャード・ウィリアムスの雷トランペットやローランド・ハナの硬質ピアノが、飛び跳ねるようなアドリヴを展開している。
これは典型的なハードバップだが、ここまで迷いがないと聴いていても心が熱くなる。

このアルバムはショップの店頭で購入した。このジャケットだから正直悩んだのを覚えている。
しかし結局この怪しさに負けたのだ。
以来こんなアルバムを店頭で見つけるたびにぞくぞくした感覚を味わっている。

FRANCK AVITABILE 「RIGHT TIME」

2007年07月22日 | Piano/keyboard

ジャケットに写る写真がどことなく友人に似ているので妙な親近感がある。
フランク・アヴィタビレはフランスの若手実力派ピアニストである。ミシェル・ペトルチアーニが彼の才能に惚れ込んで、デビューアルバムをプロデュースした話は有名である。
そんな経緯もあってか彼のピアノはペトルチアーニからの影響が強い。一言でいえば一音一音のタッチが固いのだ。ただ鍵盤を叩く指はとても正確なので、時にはチック・コリアにも似て音に輝きが感じられる。これが彼の特徴である。

このアルバムに厚みを持たせているのが、ベースのニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンの存在だ。
彼のことは今更私がいうまでもないが、ベースの巨人としてジャズ界に君臨した人だ。彼は惜しくも2年前に亡くなってしまったが、ここではアヴィタビレとの熱をこもった共演が聴かれ、その存在感を充分に示している。

アヴィタビレはこのアルバムで98年に亡くなったペトルチアーニを意識してかタイトな曲を中心に選曲している。
ここでの個人的なベストは7曲目の「Cherokee」である。
この曲はどちらかというと最初からハイスピードで高らかに歌い込むような曲だと思っていた。しかしながら彼の曲に対する解釈はちょっと違っていた。スローテンポでゆったりと入り、徐々にスピードを上げていき、思い切り盛り上がったところで最初のテンポに戻りエンディングを迎える。実に感動的な構成だ。
彼は間違いなくこの曲に惚れ込んだペトルチアーニのことを想って演奏している。その感情がこちらにも伝わってくるのだ。
彼の硬質なタッチが空中に漂ってキラキラしているような感覚さえある。
やはり作品づくりには強い想いを持つことが何より大切なのだと思う。またそれを冷静にコントロールできれば一流になれる。
彼の「Cherokee」を聴くとついついそんなことを考えてしまう。

JANE MONHEIT 「Taking A Chance On Love」

2007年07月21日 | Vocal

ジェーン・モンハイトはデビュー作「Never Never Land」から聴いてきた。今から約7~8年前だと思う。
この頃は優秀な女性ボーカリストが次々と現れて、さながら一大ブームになっていた。
ここでも既にご紹介したダイアナ・クラールやジャシンサ、ステーシー・ケントはもちろん、カーラ・ヘルムブレクト、コニー・エヴィンソン、リサ・エクダールといった人たちに混じってジェーン・モンハイトもいた。

彼女のデビュー当時の写真を見ると結構太っている。それが今はどうだ、すっかりスリムになってどこから見ても文句のない容姿になった。こんなことを書くとあちこちからお叱りを受けそうだが、女性ボーカリストはやはりきれいなのに越したことはない。
もちろん彼女の魅力は容姿だけではない。確かな歌唱力を持っている。彼女の歌声を聴くたびに、相当下積み時代に苦労したのではないだろうかと想像してしまう。この歌唱力だけをとったら若手女性ボーカリストのトップに挙げられるだろう。
弾き語りのように楽器一本をバックに歌うとその歌唱力がものをいう。
1曲目の「Honeysuckle Rose」、クリスチャン・マクブライドの何とも魅力的なランニング・ベースをバックに彼女の美しい歌声が始まる。その歌唱力からくる安定感は本当に聴いていて気持ちがいい。
続く「In The Still Of The Night」は一転してストリングスをバックにした爽やかなボサノヴァだ。その後もバラエティに富んだ楽曲を並べて、さながらミュージカルを見ているような華やかさがある。
また「Bill」や「I Won't Dance」「Do I Love You?」等における彼女の歌声は古き良き時代をも思い起こさせる。他の若手女性ヴォーカリストとの決定的な違いはこのノスタルジックな雰囲気にあるのではないだろうか。プロデューサーの仕業か、かなり意識的にそうさせている節がある。これも絶対的な歌唱力があるからこそできることなのかもしれない。
そうした意味合いからしても、このジェーン・モンハイトは古いジャズファンにも新しいジャズファンにも自信を持ってお勧めできる人だ。
女性ボーカルは一度はまるとやみつきになるジャンルである。これからジャズを聴こうかと思っている人は、ここから入るのがいいかもしれない。



SONNY STITT/BUD POWELL/J.J. JOHNSON

2007年07月20日 | Tenor Saxophone

まったく、このアルバムをご紹介しないで何がジャズかと思えるくらいだ。
このアルバムはそんな言葉が少しも大袈裟ではない作品だ。
その原因を作っているのがバド・パウエルの存在である。
ここでの演奏は彼の生涯の中でも一二を争う出来映えだ。目眩く指さばきで鍵盤を走らせる演奏テクニックは正に神業といっていい。彼の演奏を聴きたいがためにこのアルバムを購入する人がほとんどではないかと思う。私もそうだったから今更ながらソニー・スティットには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
しかしこのアルバムを聴いてみて一番驚くのはソニー・スティットのすばらしさである。
彼は本当に実力のある人だ。次から次へ流れるようなフレーズを自信たっぷりに吹いている。そのスムースな吹奏はチャーリー・パーカーと比べても何ら遜色がない。この演奏を聴くと、彼の名前がなぜもっと大きなものにならなかったかが不思議なくらいである。
彼はチャーリー・パーカーと並んでビバップの基礎を築いた人である。
普段はパーカー同様にアルトを吹くことも多かったが、ここでは全編たくましいテナーを吹いている。
ここに納められている曲はどれもこれもすばらしいが、個人的には「Strike Up The Band」「I Want To Be Happy」「Taking A Chance On Love」あたりが好きだ。どの曲もバド・パウエルとの行き詰まるセッションがジャズ魂を揺さぶられる。

途中から雰囲気ががらりと変わる。
バド・パウエルに替わりジョン・ルイスが登場し、J.J.ジョンソンが出てくる。トロンボーンという楽器のせいもあってか、のんびり・ゆったりしたムードが漂う。しかしここでもソニー・スティットは快調に飛ばしている。驚くほどの音色の良さだ。

このアルバムは1949年と50年の録音だ。そう聞くといかにも音が悪そうに聞こえるかもしれないが、これが意外といい。
それもそのはず、クレジットをよく見るとルディ・ヴァン・ゲルダーが再録音し直しているようだ。彼の功績は大きい。歴史的名盤ということで彼も気合いを込めて録音し直したのだろう。
名実共にこれがビバップの最高峰になった。

BILL MAYS TRIO「SUMMER SKETCHES」

2007年07月19日 | Piano/keyboard

夏をテーマにしたピアノトリオの傑作。
ビル・メイズは通好みのベテランピアニストだが、今ひとつメジャーな存在になれないのは世に言う大ヒット作がないからかもしれない。
しかし一つ一つの作品はみんな好感の持てる内容に仕上がっている。その中でもこのアルバムは企画段階から彼らの演奏~録音に至るまでとても良くできた作品だ。
曲目は以下の通り、全てがこの季節のために書かれた曲だ。

1. Summer Night 2. Estate (Summer) 3. Fireflies 4. Indian Summer 5. Summer Sketch 6. (Gotta Go to) Summer School 7. Early August 8. Things We Did Last Summer 9. Summer Serenade 10. Once upon a Summertime

これだけずらりと夏の名曲が揃うと誰しも聴きたくなってくるはずだ。企画の勝利である。
夏の曲には独特の「憂い」がある。うきうきする開放感と同時に一抹の寂しさが同居するといってもいい。
どうでもいい話だが、以前酒の席で「なぜ夏の終わりは寂しいか」という話になり、それだけで一晩盛り上がれたことがあった。ばかばかしいと思うかもしれないが、こういう話題で盛り上がれることの幸せを感じたものだ。

とにもかくにもこういうアルバムが愛すべき存在の典型である。
ビル・メイズは全ての曲において自然体だ。この肩肘張らない姿勢が彼の魅力なのだと思う。
このアルバムが気に入ってくれたなら、次の作品「GOING HOME」もぜひ聴いてほしい。アルバムジャケットも印象的な秀作だ。