SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

LEE KONITZ with WARNE MARSH

2009年02月24日 | Alto Saxophone

まるでサックスでおしゃべりしているようだ。
よく同じ楽器同士が対話するという例えを聞くことがあるが、これはその典型的な作品である。
そういった意味において、私はこれ以上の作品を知らない。全く夢のようなアルバムだ。
リー・コニッツがアルトで話し出すと、それに合わせてウォーン・マーシュがテナーで相槌を打つ。ウォーン・マーシュが笑い出すと、つられてリー・コニッツも笑い出す、そんな喜びに満ちた掛け合いが最後まで続く。
その中でも極めつけなのが「Topsy」である。
出だしのコーラスを聴くだけで、誰でもやみつきになること請け合いだ。
トリスターノ派特有のクールなムードといい、白人どうしならではの淡泊さといい、こういう雰囲気はなかなか他では聴けない。
またこの二人の他にも際立っていいのがオスカー・ペティフォード(b)である。彼のベースは人によって好き嫌いがはっきりするが、私は彼のバウンドするような重いベースが辺りに緊張感をもたらし、全体を上手くコントロールしているように感じる。ややこもり気味な録音も、結果的に効果を上げる要因となっている。

またこのアルバム、ジャケットも見事である。
毎度毎度ジャケットのことをあーだこーだというのもどうかと思うが、これはウィリアム・クラクストン撮影による傑作である。
これほどまでに中身のイメージを写し出した例も少ない。
おそらくクラクストンは彼ら二人に密着して撮影を重ね、膨大な点数の中からこの一枚を選び出したのではないだろうか。
私はそういった撮り方がジャズには合っていると思う。
予めイメージをつくり出し、それをスタジオできっちりセッティングして撮影をかけるというスタイルよりも、ジャズメンの一瞬の表情を捉えることで人間性を引き出し、その音に被らせてゆくやり方が最もスマートだと感じるのだ。
ここに写っている二人の自然な表情をじっくりご覧いただきたい。
これが傑作でなくて何なのだ。

HIGH FIVE 「FIVE FOR FUN」

2009年02月20日 | Group

ひさびさにイケてるアルバムに出会った。
2002年に結成されたイタリアのハイ・ファイヴ・クインテットの新譜である。
メンバーはファブリッツィオ・ボッソ(tp)、ダニエル・スカナピエコ(ts) 、ルカ・マヌッツァ(p)、ピエトロ・チャンカリーニ(b)、ロレンツォ・ツゥッチ(ds)の先鋭5人組。
ファブリッツィオ・ボッソは以前にこのブログでもご紹介したが、現在絶好調のトランペッターである。
この作品は彼らのブルーノート・デビュー作になるが、全編に渡って、そのボッソを中心にフレッシュなハードバップを聴かせる。
最初にこれを聴いたときは、ミリアム・アルター・クインテットの「REMINISCENCE」を連想した。私はこの「REMINISCENCE」がここ数年の愛聴盤だったので、一聴してすぐに購入を決めた。
これが大成功!文句なし!
この手のグループとしては、エリック・アレキサンダーを中心としたワン・フォー・オールがあるが、私はこのハイ・ファイヴのちょっと湿った音に、より魅力を覚える。
それはただ単に溌剌としているというだけでなく、そこに充分な都会の哀愁を感じるからだ。
誰かのセリフではないが、ジャズはやっぱり哀愁が漂ってなければいけないと思う。
ハードバップというと粗野なイメージを持つ人がいるかもしれないが、実はその演奏の奥に秘めた哀愁を嗅ぎ取れるようになって初めて、「ジャズがわかる人」になれるのだと思っている。
そういう意味において、このアルバムはある意味試金石かもしれない。まだ聴いていないという方はぜひお試しあれ。

このアルバム、ジャケットもそれなりに斬新だ。
中の雰囲気を充分に伝えているかといわれればそうともいえないが、彼ら独特の新しさと躍動感を表現できているようにも感じる。
とにかく期待させてくれる何かがあることだけは確かだ。
ジャズにもこういうジャケットがもっとあっていいと思う。
これはブルーノート健在なり、ということを証明する一枚である。

JOHNNY SMITH 「Moonlight in Vermont」

2009年02月17日 | Guiter

昨日からまた真冬に逆戻りだ。
ただ単に気温が下がったというだけでなく、雪国はたった一晩で全く景色が違ってしまうから驚きだ。
でもこの時期、これが当たり前の世界なのだと改めて思う。
冬はやはり冬らしくなければダメなのだ。

この時期は仕事も忙しい。年度末だからだ。
やれどもやれども終わらない仕事がたまりにたまって山のようになっている。
日頃からきちんと整理していればいいものを、と自分でも情けなくなる。
まぁ、一つずつ片付けていくしかない。
この仕事に解放されたときが、待ちに待った「春」なのだ。

こんな寒い晩は、心が温まる音楽を聴きながら夜なべ作業をやるに限る。
で、取り出したのがこのアルバムである。
オーソドックスなジャズギタリスト、ジョニー・スミスの傑作だ。
但し、こんな風に紹介すると、ジョニー・スミスに何だか平凡で面白みがなさそうな印象を持たれそうだが、そういう意味ではない。
あのタル・ファーロウだって、ベンチャーズだって、このジョニー・スミスがお手本だったのだ。
彼がポロロ~ンとギターを弾くと、どんな部屋にも暖炉の火が燃える音だけが聞こえる静かな夜が訪れる。
この感覚・雰囲気が好きで、今日のような寒い夜にはよく聴いている。
しかもこのアルバムでは優しいスタン・ゲッツやズート・シムズの音色も聴けるからなおさらである。
曲はというと、名作の誉れ高い「Moonlight in Vermont」もさることながら、個人的には「Stars Fell on Alabama」や「Tenderly」がお気に入りである。
何だか熱燗をグイッと飲み干したときのように、心にじ~んと染みてくる。

おっと、まったりしている場合ではなかった。さぁ、仕事、仕事。


ART FARMER & GIGI GRYCE 「WHEN FARMER MET GRYCE」

2009年02月11日 | Trumpet/Cornett

ジャケットに写るのは1954年の冬だろう。
厚いコートを着た地味な二人の黒人ジャズメンが公園で出会い、しっかり握手する。
まぁ年季の入ったジャズファンなら、これだけでどんな音が流れ出るかを想像できるというもの。
50年代のジャズはこういう楽しみがあるから好きだ。
現代のジャケットには残念ながらこうした味わいがない。
ジャズ批評では数年前から年に一度マイ・ベスト・ジャズ・アルバムを選出しており、その中に「ジャズジャケット・ディスク大賞」という部門を置いている。
私も興味があるから「どれどれ」と手にとって眺めて見てみるのだが、だいたいがっかりする。
「本当にこれがベスト10なの?」というものばかりだ。審査員のセンスのなさにも腹が立つ。
特にお色気たっぷりの女性をあしらった通俗的なジャケットにはうんざりだ。もういい加減にしてくれといいたい。
デザイナーはいつまでこんな手抜き作業をする気なのだろうか。レーベルはいつまでこんなマンネリを続けるのだろうか。
彼らはもっと50年代のジャケットづくりを見習うべきである。

さてこのアルバムは、典型的な初期のハードバップである。
ハードバップ誕生の記念碑的な作品と目されるマイルスの「ウォーキン」や「バグス・グルーヴ」も、ちょうどこのアルバムが発表された時期と重なっており、アート・ファーマーとジジ・グライスが、いかに早い段階でこうした時流に乗ったかを思い知らされる。
ただこの作品はトランペットとアルト・サックスという高音域中心の2管編成だから、どちらかというと軽めのハードバップだ。
アート・ファーマーもこの頃はまだストレートに吹ききっているし、ジジ・グライスも軽快にファーマーと渡り合っている。
全体にハードバップ特有の泥臭さがなく品のある演奏だ。
曲は何といっても7曲目の「Blue Lights(ブルー・ライツ)」が黎明期のハードバップを象徴している演奏だと思う。
フレディ・レッドのピアノも快調だ。
このリズム、この雰囲気が一世を風靡したジャズシーンの幕開けを飾ったのである。



KENNY BARRON 「THE MOMENT」

2009年02月08日 | Piano/keyboard

あの寺島靖国さんが絶賛しているアルバムである。
寺島さんが大推薦している理由は、「FRAGILE(フラジャイル)」という曲の表現と、ルディ・ヴァン・ゲルダーによる録音である。
本を読むと、氏はルディ・ヴァン・ゲルダーの自宅まで行って、このアルバムにサインをしてもらったというから、すごい熱の入れ用だ。
確かに「FRAGILE」におけるルーファス・リードのベース音はすごい。
私のチープなオーディオ装置でも、地響きが起きるようなものすごい低音が部屋中に響き渡る。寺島さんが持っているオーディオ装置で鳴らしたら、さぞかしすごい音がするんだろうなとこれを聴く度に思ってしまう。

さて録音はさておき、この作品はケニー・バロンが「FRAGILE」という曲を選曲したことにより価値が高まったことも事実である。
この曲は皆さんご存じ、スティングの曲だ。
もともとスティングはジャズに近いテイストを持った人である。彼がつくる曲はどれも美しくもの悲しいメロディラインを持っており、ジャンルを飛び越えて万人の心を打つ魅力に溢れている。
ケニー・バロンも単純に「自分が好きだから」という理由で選曲したようだが、ジャズメンはこうしたロックの佳曲をもっともっと取り上げてもらいたいものだ。
実際にこういう曲を取り上げて成功した事例はたくさんある。
例えば、キース・ジャレットの「Somewhere Before」に収録されている「My Back Pages(ボブ・ディラン)」や、ブラッド・メルドーの「Anything Goes」に収録されている「Still Crazy After All These Years(ポール・サイモン)」、アラン・パスクァの「Body & Soul」の中の「A Whiter Shade of Pale(プロコル・ハルム)」などは忘れられない。
コール・ポーターやジョージ・ガーシュインなどが作曲したスタンダード曲もいいが、それ一辺倒だとやはり飽きてしまう。
アルバムの中にたった1曲でいいから、こうした曲を挟み込んでもらいたいのだ。
但し、ロックといってもビートルズはダメだ。ビートルズのカバー曲で感動した試しがない。
おそらく原曲が持つイメージが強すぎるのだろう。ビートルズの曲はビートルズが演奏してナンボの世界なのだ。

そういえばブルーノートに録音されたスティングの曲ばかりを集めたコンピレーション盤、「Blue Note Plays Sting」というアルバムも出ている。
ジャズメンにはスティングファンが多いということの現れかも知れない。
なぜかちょっと嬉しい気持ちだ。

ERIC HARDING 「CAPELTON ROAD」

2009年02月03日 | Piano/keyboard

先日、日本海に浮かぶ小さな島に渡ってきた。
3~4日は時化のためにフェリーも出なかったのだが、何とか天候も落ち着いて久々の出港となったようだ。
そのお陰で港の小さな待合室も比較的多くの乗客で混んでいた。
但し、冬場は日に一本しかフェリーが出ないため、例え10分で済む用事だったとしても必ず宿泊しなくてはいけなくなる。
都会に住む人間には考えられないことかもしれないが、これが離島ならではの時間感覚なのだ。
しかも天候が荒れ、波が高くなると、船の運航はすぐ止まる。
私の友人は1週間も行ったっきり帰って来られないことがあった。
そんなわけで、この時期はある程度の覚悟を持って出かけなければならない。
そこで私は着替えを2日分、文庫本を2冊、そして数十枚のジャズアルバムが入ったiPodを持って船に乗り込んだ。

いくら天候が少し落ち着いたとはいえ、フェリーが港を離れ外海に出ると、船体は大きなうねりのため猛烈に揺れた。
とても立ってなどはいられない。本を読むことはもちろん、こんな状態では眠ることも不可能だ。約1時間半、ただじっとがまんして横になっているしかないのである。
そこで私はできるだけ心休まる音楽を聴こうと、iPodの中からエリック・ハーディングのこのアルバムを選び、ボリュームを最大にしてスタートボタンを押した。
タイトだが、どこか懐かしくて、寂しくて、暖かいピアノがイヤホンを通して響いてきた。
目に浮かぶのはこのアルバムのジャケットにある風景だ。
この土の道を馬車に揺られながら走っていく感じが、船の揺れ具合とダブっていく(もっとも、船の揺れ具合の方がはるかに大きかったが......)。
ちょうどいい曲が「Song For James」というエリック・ハーディングのオリジナル曲だ。
どことなく牧歌的で優しい雰囲気を漂わせつつ、ミディアムテンポで曲が進行する。
最近のピアノトリオの善し悪しは、このくらいのスピードの曲にいい曲があるかどうかで判断している。
熱くなりすぎない、もったいぶらないテンポが重要なのだ。

船はようやく島の入口にさしかかり、到着のアナウンスが船内に流れた。
立ち上がって船内から島の南東部を見ると、島を周遊する一本の道が見えた。
道はまっすぐだった。


JOE HENDERSON 「PAGE ONE」

2009年02月01日 | Tenor Saxophone

いつも無意識のうちにこのメロディを口ずさんでしまう。
口ずさんでおきながら、「あれっ、これってなんていう曲だっけ?」と自問自答する。
そういえばジョー・ヘンダーソンの「Blue Bossa」だと思い出し、一安心。
覚えやすいメロディと、ボサノヴァのリズムが何ともエキゾチックなナンバーだ。
作曲者はケニー・ドーハム。このアルバムにも参加しているベテラン・トランペッターである。
彼のトランペットはかすれた感じが芥子色だ。
ジョー・ヘンダーソンのテナーはちょっと粗めの藍色に近いから、二人は補色の関係にある。
ついでにマッコイ・タイナーのピアノはシルバーに近い象牙色で、ブッチ・ウォーレンのベースは漆黒、ピート・ラ・ロッカのドラムスは金色だ。
以前から私の中では、なぜかこのアルバムの音をそんな風に捉えている。
まぁ、半ば職業病かもしれないが、音を聴いて色が感じられるというのも悪くないものだ。

昔はこのアルバムを聴く動機が「Blue Bossa」を聴きたいということ一辺倒であったが、最近はかなり違ってきた。
1曲目を飛ばして、2曲目の「La Mesha」から聴き始めることが多くなってきたのだ。
別に「Blue Bossa」が嫌いになったわけではないのだが、この曲を聴いてしまうとそれだけで腹一杯になってしまうのがいやなのだ。
その点、2曲目からだと、このアルバムの良さをじっくり味わえるような気がしている。
事実「La Mesha」でのヘンダーソンはいい。
彼はゆったりとしたムードの中で、朗々とテーマを歌い上げている。
その余裕たっぷりなテナーに誘発されて、ケニー・ドーハムもマッコイ・タイナーも美しいアドリヴを展開する。
そういえば、どことなくコルトレーンの名作「バラード」を連想してしまう。
おそらく脇を固めるマッコイの影響が大きいのだろう。

とにかく有名曲の影に隠れたこうした曲にその人の真価が現れている。
もう聴き飽きたと思っていた盤でも、探してみると思わぬところにいい曲がたくさんあるものだ。
しばらく聴いていないアルバムも、もう一度見直してみようと思う。