SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

J.R. MONTEROSE 「J.R. MONTEROSE」

2009年08月29日 | Tenor Saxophone

J.R.モンテローズは熱烈なファンを持つサックス奏者だ。
彼はちょっと歪んだテナーを豪快に吹く白人である。
だけど私は彼の良さが今ひとつよくわからない。私自身がまだまだだと思う。

このアルバムは、ブルーノートをコレクションしている時に手に入れた一枚である。
だから当時は中身の良さが十分わかった上で購入したわけではない。
ブルーノートの音、そのものが欲しかっただけなのだ。
以前はブルーノートを聴いてさえいれば、正統なジャズに浸っているという実感があった。
それはヨーロッパジャズのような透き通る音ではない。
むせかえるような狭い空間に押し込められた猥雑な音だった。
一言でいえばブルーノートは、最も「人間くさい」音の塊だったのだ。
これが多くのジャズファンを惹きつけた最大の魅力であり、貫禄であった。

このアルバムもそんな雰囲気がたっぷり味わえる。
何せ脇を固めているのが、当時ファンキーブームの主役であったホレス・シルバー(p)初め、アイラ・サリヴァン(tp)、ウィルバー・ウェア(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)という布陣だ。
ブンブン唸りを上げるウィルバー・ウェアのベース、全員を発憤させるフィリー・ジョーのドラミングが特にすばらしい。
J.R.モンテローズもこんな面々に囲まれて、初のリーダー作として記念すべき吹奏を行っている。
「ここは一発、俺なりに堂々と吹いてやろう」
彼のそんな意気込みが全編に渡って感じられるのだ。

但し、冒頭にも書いたが私は彼のサックスがよくわからない。
ソニー・ロリンズのようでもあれば、ハンク・モブレーのようでもある。
まだまだだね~、というベテランリスナーの声が聞こえてきそうだが、そのへんはご容赦願いたい。
ただはっきりしているのは、名盤揃いの1500番台にあって、最もブルーノートらしい一枚であることは確かだ。
でもブルーノートには、なぜこの1枚しか彼のリーダー作がないのだろうか。
だから余計にわからなくなるのだ。

JANET SEIDEL 「SMILE」

2009年08月25日 | Vocal

さらりとした歌声がさわやかだ。
ジャズ・ヴォーカルというと、ねちっこくて絞り出すような歌い方をする人が多い。
一時代前の黒人ヴォーカリストなんかがその典型だ。
もちろんそれはそれで悪くないのだが、こんな生野菜をかじった時のような新鮮さは味わえない。

昨日は車で約3時間かけてお隣の県に出かけてきた。
お天気は最高。日差しは眩しいがぜんぜん暑くない。
カーオーディオからは、このジャネット・サイデルの歌が流れている。
道が川に沿って大きくカーブする辺りで、私が好きな「Rockin' Chair」がかかった。
ハーモニカの音色が牧歌的なムードを漂わせてくれ、身体が徐々にカントリータッチに染まっていくのが嬉しい。
そう、何を隠そう、私はカントリーウエスタンの曲もよく聴く人間なのだ。
特にこんなからりと晴れ上がった日は、カントリーミュージックがよく似合う。
事実、昨日もリアン・ライムスとこのアルバムを交互に聴いていた。
ジャネット・サイデルが性に合うのは、こういうカントリーのいいところをうまくジャズに昇華させているところだと思っている。
どの曲を聴いても懐かしさと澄んだ空気を味わえる人なのだ。

車はやがて山を抜けて広い田園地帯に入った。
かつて旅行家のイザベラ・バードがこの田園風景を見て、「東洋のアルカディア」だといった場所がここだ。
田圃はやや黄色みを帯びてきてはいるがまだ充分に青い。
そこに陽が当たって、きらきらと輝いていた。
私はエアコンのスイッチを切って、窓を全開にした。
秋の匂いが涼風と共に思いっきり入り込んできた。

RICHARD WHITEMAN 「GROOVEYARD」

2009年08月16日 | Piano/keyboard

最近のピアノトリオブームのきっかけをつくった一枚だ。
一頃は市場でずいぶん高値を付けていたアルバムだが、今は一段落ついてきており比較的入手しやすくなってきた。
リチャード・ホワイトマンは、これ以降アルバムを順調にリリースし続け、その実力が高く評価されるようになったピアニストである。
私も久しぶりにCD棚から引っ張り出して聴いてみたが、やはりいいものはいつ聴いてもいい。
とにかくオーソドックスで、妙な味付けやクセがないので安心して聴いていられるところが魅力なのだ。

古今東西、ジャンルを問わず、私たちは「いかに自分の個性を出せるか」が成功のポイントだと思いこんできた。
しかしよくよく考えてみると、個性などというものは意識してつくり出せるものではない。
いくつもの仕事や活動を行っている内に、その人ならではの味が生まれてきて、それがいつしか個性を形成するようになるのだと思う。
もちろん意識的に創り上げて、それがそのままその人に定着する場合もあるだろうが、それって本質的な個性とは呼べないのではないだろうか。
所詮、でっち上げられたものはいつしか消えてなくなる運命にあるのだ。
その点、このリチャード・ホワイトマンという人は類い希な個性の持ち主である。
いつでもどんなときでも、そつなく演奏を行い、聴く者を納得させることができるということがこの人の個性なのだ。
事実、彼のどのアルバムを聴いてみても安定感たっぷりで、全くの初心者からベテランに至るまで、自信を持って推薦できる数少ないジャズメンの一人なのである。
とにかく奇を衒わないで、淡々と弾く。あまり感情を込めすぎたりもしない。
かといって冷たい感じもしない。
弾いている人の顔が見えるというより、曲そのもの、ジャズそのものの本来の形を見せてくれるといった方がいいかもしれない。
だからこの人の場合、作品の中のこの曲がいいとか悪いとかいうような次元では話せないのだ。

ジャズピアノには普遍的な良さがある。
リチャード・ホワイトマンを知って、このことがよくわかった。
ただただ自然体でスイングすること、これが大事なんだ。

SLAM STEWART 「BOWIN' SINGIN' SLAM」

2009年08月13日 | Bass

このノスタルジックなピアノの音。
私にとっては、これがこのアルバムの最大の魅力だ。
一瞬テディ・ウィルソンかと思ってしまうが、弾いているのはジョニー・ガルニエリだ。
ジョニー・ガルニエリといえばレスター・ヤングとの共演を真っ先に思いつく。
ヤングの粋で軽快なムードづくりは、ガルニエリあってこそ成し遂げられた成果だといっても過言ではないと思う。
ここでもそんなガルニエリの知己に富んだ演奏が聴ける。
このアルバムではラストの2曲、彼に替わってエロール・ガーナーが登場しなかなか艶っぽい演奏をするが、私はやっぱり、より軽快なジョニー・ガルニエリのピアノが好きなのである。

私はこのアルバムを聴いて以降、この時期のスイングジャズが好きになった。
これは1944~5年の録音だが、録音状態もそれほど悪くない(特別いいというわけでもないが...)。
1940年代頃のレコードを聴こうとする時にためらう第一の原因は、何といってもチャーリー・パーカーにある。
パーカー全盛期の録音は劣悪なのが多いのだ。
一度聴いてしまうと、「パーカーはもっと聴きたいが、何しろ音がねぇ~」ということになってしまう。
つまり40年代は総じて音が悪いと錯覚してしまい、当時の作品は聴く気になれないわけだ。
私もそんな時期が長いこと続いた。
影響力の強いパーカーならではの弊害である。

それはそうと肝心のスラム・スチュアートはどうした、といわれそうだが、彼独特のハミング演奏(アルコを引きながら、その旋律に合わせてハミングする演奏法)は何度もやられるとちょっとうるさい気がする。
もともとライオネル・ハンプトンの名作「スターダスト」の中で聴かせてくれたハミング演奏が気に入ってこのアルバムを購入したわけだが、その部分だけを切り離してみると、もう少しポイントを絞って聴かせてくれたらいいのに、と思ってしまう。
しかしここから影響を受けたジョージ・ベンソンが、後ほどハミング演奏で大ヒットを生み出すことを考えると、やはり先人の貫禄・独創性は評価されるべきである。

とにもかくにも、40年代のジャズをもっと見直そう。
アルバム全体を通して聴くと夢心地になる。

NAT ADDERLEY 「Naturally!」

2009年08月06日 | Trumpet/Cornett

レコード棚をゴソゴソと物色していたらこんなアルバムが出てきた。
「なんだナット・アダレイじゃないか、こんなところにいたのか!」と思わず旧友に出会った心境になる。
そういえばこのアルバム、店頭で見つけた時に、ジョー・ザビヌルが参加しているのを知って買い込んだのを覚えている。
別にウェザーリポートのファンだったわけでもないが、私は彼のエレピしかほとんど聴いたことがなかったので、デビュー当時の彼はどうだったのかが何となく気になったわけである。
で、聴いてみた感想だが、ジョー・ザビヌルは取り立ててどうということはなかった。
この時点では普通のバップ系ピアニストである。可もなく不可もなし、といったところ。
それに比べると、B面の4曲でザビヌルに替わって登場するウィントン・ケリーのスウィング感はさすがだと思わずにはいられない。
最近はウィントン・ケリーも昔ほど聴く機会が少なくなってしまったが、改めて聴いてみると、やっぱりこうしたファンキーな作品には欠かせない人だということがわかる。
またポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)というお馴染みメンバーのコンビネーションも抜群だ。

それにしてもナット・アダレイという人は地味な印象の人だ。
兄のキャノンボール・アダレイがやたらと目立つ人だったので、その陰に隠れてしまった感が大いにある。
普通兄弟なら、弟の方がやんちゃで明るい印象を持つのが一般的だと思うが、彼らはその逆だ。
良くいえば心優しきナイスガイ。悪くいえばいじけたロンサムボーイ。
しかしこのアルバムには兄がいない。弟だけの純然たるワンホーンアルバムだ。
こんな伸び伸びと吹ききっている彼とはそうそう出会えるものではない。
これは本当の彼を知る格好の作品である。

GERALD WIGGINS 「THE LOVELINESS OF YOU...」

2009年08月02日 | Piano/keyboard

この名盤がオリジナルジャケットで復刻された。
いや~、嬉しいじゃないですか。
このジャケットの写真はピンが甘いし、タイトルのタイポグラフィもかなり精度にかけるものの、やっぱりこのジャケットを手に入れた喜びは格別である。
これはつい最近、銀座の山野楽器で半ば衝動的に手に入れたものだ。
家に帰ってきて、まず5曲目の「The Trail Of The Lonesome Pine」から聴く。
このアルバムは、確か4~5曲目辺りが気に入っていたのを何となく覚えていたからである。
ジェラルド・ウィギンスが弾く小気味良いピアノが部屋中に広がった。
「そう、そう、これ、このスウィング感だよ!」という感じ。
この軽やかで浮き立つような高揚感は彼ならではである。
これは現在のピアノトリオとは一線を画すもので、その時代の優雅さと気品を愉しむ作品だといっていい。

話は変わるが、昨日まで島根県に出かけていた。
出雲空港に降り立つと、辺り一面から森の匂いがした。
何時になっても梅雨が明けないので、周囲の山々に深い霧が立ちこめていたせいだろうと思う。
こうした湿り気が幸いして、いかにも神が宿る出雲の国へ来たという厳かな気持ちになれたのは幸せだった。
空港から車で約1時間半という場所が、今回の目的地だった。
私は車窓に流れる農村風景をぼんやり見ながら、頭の中で出かける前に聴いていたジェラルド・ウィギンスのピアノを思い出していた。
iPodを取り出して直に聴き直してみてもよかったのだが、イヤホンで耳を塞ぎたくなかった。
頭の中には、こびりついたいくつかのフレーズが何度も行き来していた。
その度に押し寄せる郷愁の念を感じた。こうした切ない感情を持てるのも旅の大きな魅力なのだと思う。
せっかくだから俳句の一つもひねり出せばよかったと後悔している。