SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

BENNY GOLSON 「GROOVIN' WITH GOLSON」

2007年11月25日 | Tenor Saxophone

ベニー・ゴルソンといえばファンキーを絵に描いたような人だ。
どの曲を聴いても「モーニン」を連想してしまうのだから半端じゃない。
これは決して否定的な意味ではないので誤解しないでほしい。こういう人がいるからジャズは面白いのだと思う。理屈なしに楽しみたい時は実に重宝する。大音量で聴いていると落ち込んでいた気分までも高揚する。
このアルバムはメンバーもベストだ。
まずジャズ・メッセンジャーズの親分、アート・ブレイキーがいる。ファンキージャズの場合、彼がいれば文句はない。いつものようにナイアガラロールは快調だ。
ベースはポール・チェンバース、この人もこういう類のジャズには定番だ。この二人のリズムセクションの起用で、アルバムの制作意図は既に八割方成功していると思っていい。
ピアノはレイ・ブライアント。トリオ演奏の「ゴールデン・イヤリングス」などしか聴いたことがない人にとってはちょっと意外かもしれない。しかし、この起用がピタリと決まった。ブライアントはもともとブルージーなセンスの持ち主であるが、その中においても彼独特な繊細さと大胆さが随所に現れており存在感ある演奏を披露している。
ゴルソンの相手役は「ブルースエット」でもおなじみ、コンビを組むカーティス・フラーだ。彼のトロンボーンがいるお陰で全体の音に厚みが増す。この音の厚みこそがファンキーなムードを作り出す原因なのかもしれない。
さて肝心のベニー・ゴルソンだが、彼のテナーは基本的に重心が低い。最初は冷静にスタートするが、吹き続けていくうちに息継ぎのタイミングが伸びていき、フレーズが流れるようにうねり出す。これこそが彼のテナーなのである。これが嫌いだという人もいるだろう。しかしこの吹き方のお陰で聴く者も興奮状態に陥っていくわけだ。少なくとも私は嫌いじゃない。

映画『ターミナル』で主役のトム・ハンクスが最後にもらうベニー・ゴルソンのサイン、まだ健在でいることの証だ。
私もニューヨークで彼の生のステージを観たいと思った。

AL HAIG 「JAZZ WILL-O-THE WISP」

2007年11月21日 | Piano/keyboard

優れたピアニストはその一人ひとりに強い個性があるものだ。何度か聴いているとその特徴が掴めるようになる。
アル・ヘイグはアドリヴの途中に歌心溢れた素早い装飾音を入れ、全体に煌びやかで優雅なピアノに仕立て上げる。
素早い装飾音といってもアート・テイタムのような切れ込む感じのフレーズではない。常に角を丸くしていくような弾き方なのだ。それによって品格が生まれる。この品格を楽しむのがアル・ヘイグの上手な聴き方なのだと思っている。

ジャズを聴き始めた頃は1950年代前半より前の録音盤は敬遠していたところがあった。
単純に音の悪いレコードは聴きたくなかったのだ。曲想を古いと感じていたこともその原因だったかもしれない。
しかし最近は好んで聴くようになった(もちろん限界はあるが)。
音の悪さがあまり気にならなくなってきたということなのだ。加えて曲想も古いとは感じなくなってきた。
なぜだろう。自分でもよくわからない。
最近のジャズが嫌いになったわけではない。新譜もできるだけチェックするようにしているし、新人の登場にも心がときめく。
そういえばビル・チャーラップが登場した時、このアル・ヘイグにずいぶん似ているなと感じたことがある。
チャーラップの弾くスタンダード曲からは古き良き時代の匂いがした。スタンダード曲はもともと古いのだから当たり前じゃないかといわれるかもしれないが、彼の弾き方は若いのにどことなく古風で優雅なのである。
そこではたと思いついた。チャーラップはアル・ヘイグの品格あるピアノに憧れていたのではないだろうかということだ。これはもちろん私の勝手な推測だ。しかしあのための効いた弾き方にはオーバーラップする部分が多いのである。
事実この「JAZZ WILL-O-THE WISP」と同日録音の「AL HAIG TRIO」に収録されている「ス・ワンダフル」のテーマ部分なんかは、チャーラップの出世作である同名のアルバムの曲と曲想がよく似ている。どちらも名演奏だと思う。

心ときめく新人であることの要素は、こうした往年の名プレイヤーの良さをいかにスマートに引き継いでいるかにある。
アル・ヘイグに限らず、往年の名プレイヤーからはまだまだ吸収できる要素がたくさん残っているように思う。だから古い時代の演奏にも新鮮さを感じるようになったのかもしれない。
本物はいつになっても古びないということだ。

CARLO UBOLDI 「Free Flight」

2007年11月18日 | Piano/keyboard

最近とても気に入っているピアノトリオをご紹介しよう。
イタリアのカルロ・ウボルディの作品だ。録音は2006年10月6日とクレジットされているから、まだ発売になって1年そこそこのアルバムである。
1曲目のタイトルはなんと「WELCOME TO NIPPON」。
タイトルだけを見たらあまり聴きたくないイメージに映ってしまうが、この曲が哀愁を帯びていて実にいいのだ。
冒頭から哀しみをこらえたような切なくも美しいテーマが止めどなく流れていく。
これはカルロ・ウボルディのオリジナル曲だ。
彼にとってはこんな旋律が日本という国のイメージなのだろうか。確かにウェットな感じは的を射ているような気もするが、これではいくら何でもちょっと寂しすぎるような気もする。日本人としては嬉しいような悲しいような複雑な心境だ。但しこれが日本の美しさだよといわれればたぶん納得してしまうだろう。
2曲目は有名な「BESAME MUCHO」。
この曲ももともと哀愁を帯びた曲ではあるが、どことなく1曲目のイメージがそのまま持ち越されてきているようで、スペインの曲であるにもかかわらず日本的な美しさを感じてしまう。これまでこんなBESAME MUCHOを聴いたことがない。これも名演の一つだと思う。
この後もいい曲がずらりと並んでいる。
8曲中、2曲でMAURO NEGRIがクラリネットとアルトサックスで参加しているが、それによって全体のムードはより一層寂しさや切なさを増幅させていく。唯一「THIS CAN'T BE LOVE」だけが明るさを保っているが、それも不自然には感じられない。
ラストの「WORLD HYMN」も感動的な曲に仕上がっており、いつまでもその余韻を楽しめる。

それとこのアルバムで特筆したいのが録音の良さである。
ベースの音が深くズーンと響いてくる。これは快感だ。
もっともっといいオーディオ装置がほしくなってくる。ジャズの音はこうでなくてはいけない。

HERB GELLER 「THE GELLERS」

2007年11月17日 | Alto Saxophone

これはお茶の水にあるディスクユニオンで見つけた。
ちょっと薄暗い急な階段を上がると2階と3階がジャズ館になっている。ここは中古のCDとLPが独立したフロアにあるので、掘り出し物を探すときには重宝する店だ。
ディスクユニオンは渋谷にも新宿にもあるが、なぜかこのお茶の水店に愛着があって上京した折には時々覗いている。
私がこういった中古のアルバムを探すときは、ある程度狙いをつけていることが多い。例えば今日は中間派の掘り出し物がないかどうかを最初に探そう、といった具合だ。
もちろん気に入ったものがあるとは限らない。今日は来てよかった、と思えるのはせいぜい3回に1回あればいい方である。
第一のお目当てがなかった場合は、第二希望の商品を探す。私の基準はこうした中古ショップでしかなかなか出会えないアルバムを探すことである。内容の好き嫌いはともかく、それは店内のあちこちにある。それを一つ一つ見ていって購入するかどうかを決めるのだ。決め手は価格も大きな要因ではあるが、私の場合それ以上にジャケットの雰囲気で判断する。
ここでご紹介するハーブ・ゲラーの「THE GELLERS」もそんな一枚だった。
ジャケットの裏面に写っているロレイン・ゲラーの表情に惹かれた。
彼女の録音は少ない。このアルバムが録音された5年後の1960年、30才でその短い生涯を終えた人だから当然だ。こうしたことも購入動機の一つになった。
家に帰ってきてすぐにターンテーブルに乗せる。フレッシュで勢いのあるハーブ・ゲラーのアルトが響き渡るが、それに負けないくらいロレイン・ゲラーのピアノが力強く感じられる。この音だけを聴いていれば彼女のような白人女性がそのピアノを弾いているとは思えないくらいの迫力だ。しかしこれはこれで夫婦の息がぴったり合った演奏であることには違いない。全体に何となくアットホームな雰囲気が漂うのもそのせいだろう。

それにしても美人薄命とはよく言ったものだ。
残されたハーブは彼女の後を埋めることができず相当なスランプが続いたと聞く。
この演奏を聴けばそれも納得できる。色々な意味で感慨深い一枚である。


OSCAR PETERSON 「Walking the Line」

2007年11月15日 | Piano/keyboard

オスカー・ピーターソン、彼は人気・実力共に最高のジャズ・ピアニストといえる存在である。
しかしその大衆性の強さからか、一部で不当な評価をされているのも事実だ。まったく信じられないことではあるが...。
ま、それはともかく、このアルバムだ。
これって本当にCD化されているのだろうか。どこのショップへ行っても並んでいるのを見たことがない(単に私が見つけないだけなのかもしれないが)。もしされていないとなるとこれは由々しき問題だと思う。
私が持っているのはもちろんLPレコードだ。25年くらい前だったと思うが、わざわざショップへ注文し手に入れたのを覚えている。
この堂々としたイラストを見ていると、オスカー・ピーターソンらしい圧倒的な存在感とダイナミックなスイング感が伝わってくる。太い腕の下の黒いスペースといい、タイトルのタイプフェイスといい、それぞれがピタリとはまっておりデザイン的にも大傑作だ。
内容もジャケットに違わずすばらしい演奏が詰まっている。
もともとオスカー・ピーターソンは極端な駄作がないジャズメンではある。マイルスらを初めとする革新派と違って、彼は私たちに「楽しいジャズ」を提供するという常に変わらぬ姿勢で演奏を行ってきたのだから、それもある意味頷けることだろうと思う。
1曲目の「I Love You」から、当時新人だったジョージ・ムラーツの弾けるベースに乗ってピーターソンのピアノは魅力全開だ。ワン・パターンといわれようが何だろうが、彼はこれでいいのである。これこそジャズピアノの醍醐味であり最大の魅力なのだ。

オスカー・ピーターソンの代表作はリラックスした「We Get Requests」かもしれないし、ドライヴ感溢れる「At the Stratford Shakesperean Festival」かもしれない。しかし私の愛聴盤はこの「Walking the Line」であり、「Plays the Cole Porter Songbook」である。
理由は簡単、演奏とジャケットの関係が一級品だからである。

GENE KRUPA 「THE GENE KRUPA SEXTET」

2007年11月13日 | Drums/Percussion

背中を丸め、首を突き出し、観客の目を精一杯意識しながら叩く。
これがジーン・クルーパのドラミングスタイルだ。ドラムという楽器が自己主張を始めるきっかけを作ったのが彼なのだ。
彼はドラムソロになるとフレーズとフレーズの短い間に左手を高く上げ決めポーズをとる。「おいおい、そんなことをしたら肝心のリズムが崩れるじゃないか」と一瞬思うのだが、彼が叩くリズムは驚くほど正確だ。
但し私はこういう彼の姿を見て、スイング・ジャズ或いはベニー・グットマン・オーケストラに違和感を覚えてしまった。何か古い三流コメディ映画を観ているような感覚になるからだった。つまり彼のポーズそのものがとてもギミックに感じてしまったのである。
しかしこのアルバムを聴いて、彼はもちろんのこと、スイング・ジャズへの思いを新たにすることができた。それくらいこの作品は私にとっての重要盤なのである。

まず最初の2曲であるが、この2曲だけは他の曲よりも半年ほど新しい録音だ。
ここでの主役は何といってもベン・ウェブスターである。バラードを吹かせたら彼は当代随一だ。あのすすり泣くようなビブラートはどんなテナーマンよりも個性的である。柔らかなテディ・ウィルソンのピアノや芥子色のミュート・トランペットを吹くチャーリー・シェイヴァースとの対比がすばらしい。あまり目立たないがそれをうまくつなげているのがクルーパのブラシのように思えてならない。私はこの控え目で驚くほど生真面目なドラミングにジーン・クルーパという人の本当の姿を知ったのだ。
3曲目以降はベン・ウェブスターでなく、ウィリー・スミスのアルトがシェイヴァースと共に大活躍。全体が軽やかになって当時の匂いがプンプンし始める。
ジーン・クルーパは肝心なところでスティックを硬めのスネアにカツーンカツーンと叩き込む。この音が実に鮮烈なのだ。
ジャケットのイラストを描いたデヴィッド・ストーン・マーチンは、このスネアに入った鮮烈な音の集まりをモチーフにしたのだと思う。これまた見事な表現である。地色がオレンジなのもいい。
一度スネアを叩き出したらもうスティックの雨あられだ。


CAL TJADER 「jazz at the blackhawk」

2007年11月10日 | Violin/Vibes/Harp

カル・ジェイダーといえばラテン・ジャズというのが通り相場だ。
しかしここで取り上げる「jazz at the blackhawk」は彼初期の作品ということもあってか、純粋なハードバップ(クールジャズ?)の演奏になっている。
しかもこれはライヴという臨場感がうまく出ており、私のお気に入りの作品だ。
彼のヴァイブ(ヴィブラフォン)はミルト・ジャクソンのそれよりも肩肘張った感じがなくて好きだ。ミルト・ジャクソンのバックボーンは重苦しいブルースであるが、カル・ジェイダーのバックボーンは陽気なラテンということだからということかもしれない。もちろん彼がミルト・ジャクソンよりも優れているなどというつもりはさらさらないが、ジェイダーのヴァイブはどことなくユーモラスですんなりと心の中に入ってくるのである。
バック陣もなかなかいい。
特にヴィンス・ガラルディのピアノは秀逸だ。彼の弾くピアノはいつになく感傷的であり、控え目ながら全体のムードを牽引しているように思う。もともとこのガラルディもラテンをバックボーンに持った人なのでジェイダーと相性がいいのだろう。二人の息がぴったり合っている。
またジーン・ライトのベースも強力に響いてくるところが嬉しい。

それにしてもヴァイブはおしゃれな楽器だと思う。
マレットで鍵盤を叩いてポーンと響くと、よどんだ空気が一気に浄化していくような感覚になれるからである。
そういえばおしゃれなインテリアショップやレストランなどでよくミルト・ジャクソンやカル・ジェイダーの演奏を耳にする。耳障りが良く、清涼感があるためだろう。だから私は自宅に人を招いたりするときには、こうした人たちの音楽をBGMとしてかけることが多い。
これからジャズを聴こうという人たちにもヴァイブはお勧めの楽器だ。数あるヴァイブの中でもこの作品は私のイチオシである。このアルバムの中ではラストの「Lover, Come Back to Me」が最高!

JUTTA HIPP 「with zoot sims」

2007年11月09日 | Piano/keyboard

まずジャケットが気に入っている。
このグラフィックを見ていると刈り取られた芝のある庭先を連想してしまう。一見手抜きに見えるかもしれないが、思い切ってこういうデザインを施すところがすごい。もちろんリード・マイルスの仕業だ。彼はもともとこういったフリーハンド的な図形を巧みに使うデザイナーであるが、こうした彼の感性に影響されたデザイナーも数多いのではないかと思う。私もその一人である。
ブルーノートにはアルフレッド・ライオン、フランシス・ウルフ、ルディ・ヴァン・ゲルダー、そしてこのリード・マイルスという才能溢れる人たちが揃っていたためにジャズのナンバーワン・レーベルになれたのだ。

次に特筆されるのが「VIOLETS FOR YOUR FURS(コートにスミレを)」の名演である。
ズート・シムズという類い希なジャズメンの真価がここに現れている。ズートの吹くテナーは実に暖かく、さりげなさの中に見事というしかないアドリヴを展開させている。
この曲はコルトレーンが初リーダー作でも演奏していてそちらもすばらしい出来なのだが、個人的にはズートの奏でる旋律の美しさ、テナーの音の美しさに軍配を上げたい。この曲に限ってはピアノもアルバム「コルトレーン」のレッド・ガーランドより、こちらのユタ・ヒップのソロの方が美しい。
このアルバムにはズート・シムズの他に、ジェリー・ロイドがトランペットで参加しているが、ロイドの存在はほとんど感じない。まるでズート・シムズのワン・ホーン・アルバムのように聞こえてしまう。それくらいズート・シムズの存在が大きいのだ。

最後にリーダーであるユタ・ヒップの存在である。
彼女は2003年の4月、78才でこの夜を去った。
もともと僅か数枚のレコードしか残さなかったために、彼女には若くして亡くなった優秀なジャズメンと同様のイメージがつきまとう。むしろ78才まで生き抜いたことに驚いてしまうのだ。
アルバム「At The Hickory House」には彼女が挨拶をする声が録音されているが、その物憂げな声が頭にこびりついて離れない。彼女は78年間、いったいどんな人生を過ごしたのだろうか。

JOSHUA REDMAN 「BEYOND」

2007年11月08日 | Tenor Saxophone

ジョシュア・レッドマンは頭のいいジャズメンだ。
彼がハーヴァード大学の法学部を首席で卒業したという話は有名である。いや、そんなこと以上に彼のジャズに対する探求心に驚くのである。
私なんかはただ聴いていて気持ちがいいからとか、心が揺さぶられるからとかそんな単純な感覚のみで演奏の善し悪しを判断しているが、彼にしてみればもっと違う次元でジャズという音楽を捉えているのではないかと思う時がある。
そのせいで彼のサックスはいつも何か遠くを見ているように私には響くのだ。
いい方は悪いが、彼は目の前のリスナーのために吹いていない、どうもそんな気がしてならない。だから心底好きになれないミュージシャンの一人である。
とはいいつつ、彼の実力を認めないわけにはいかない。
彼のサックスからはコルトレーンやショーターにも通じる強い精神力を感じる。これは理論とテクニックに裏打ちされた圧倒的な自信をからくるものだろうと思っている。同じ若手のテナーマンでもエリック・アレキサンダーらとは確実に一線を画している存在なのだ。
特にこのアルバムでは変拍子の曲が目立っており、彼自身、明らかに次のステップを踏み出した感がある。曲も全曲オリジナル、ここで初めて彼自身のレギュラー・カルテットが結成されるなど、並々ならぬ意欲作に仕上がっている。こういったある意味挑戦的で神秘的ともいえる音世界が好きな人にとってはたまらない作品なのではないだろうか。
但し私は3曲目の「Neverend」、6曲目の「Twilight... And Beyond」などの夢見るバラードに心奪われる。彼にしか出せない音がこのバラードに隠されているような気がするからである。

彼の作品はどれも重いように見えて実は聴きやすい。それは彼が奏でる一音一音が流れるように繋がっているからである。ここが彼の非凡な点であり、これからの活躍を期待できる最も大きな要因なのだ。

BEV KELLY 「BEV KELLY IN PERSON」

2007年11月04日 | Vocal

歌は決してうまくないが、とても魅力のある人だ。
今はもう閉めてしまったレコード店でこのアルバムを見つけたのだが、彼女のこの笑顔が気に入って購入したのを覚えている。実に単純なものだ。
ベヴ・ケリーはパット・モランと組んだカルテットでの歌声も良かったが、ソロ・シンガーとなってからはますますその魅力に拍車がかかったように思う。これはそんな彼女が1960年にサンフランシスコのThe Coffee Galleryというクラブで録音したライヴアルバムである。

彼女の声質はかなりコケティッシュだ。ここには曲の合間に客への曲紹介などをしている彼女の肉声が収録されているが、その生の声を聞けばすぐわかる。しかしそれを売りにしていないところが彼女の魅力なのだ。
歌い方は意外とダイナミックである。もともと声量がない方なので聴いていて苦しくなる場面もあるが、その分一生懸命さが伝わってくる。そういう点で庶民感覚のあるシンガーだともいえるのではないだろうか。
ただ本当に彼女の魅力を伝えているのは「Then I'll Be Tired Of You」や「My Foolish Heart」、「My Funny Valentine」のようなスローなスタンダードナンバーである。耳元で囁くように歌い始め、徐々に盛り上げていくのが彼女の特徴だ。スローなナンバーだとその愛らしさがグッと際立ってくる。
ポニー・ポインデクスターのアルト・サックスも彼女の歌を引き立てており好感が持てる。

だいたいこういったくつろいだ雰囲気が私のお気に入りだ。
クラブで聴く女性ヴォーカルは、あまりしつこい歌い方であってはいけない。要するに歌や演奏よりもお酒や連れとの会話がメインなのである。そこを理解しているかどうかがいいジャズメンかどうかの分かれ道だといえる。
私はクラシックのような大規模なジャズコンサートは好きではない。もっとこぢんまりとしたステージで観たいといつも思っている。
そんな思いを抱くようになったのも、ここでのベヴ・ケリーに影響されたせいかもしれない。