SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

BENNY GOODMAN 「BENNY GOODMAN TODAY」

2010年06月20日 | Group

私の大先輩であり、親しい友人でもあった人が急逝したのは3年前だ。
私たちはよくお互いの家に出かけては、ジャズを聴きながら酒を飲んだ。
いつだったか、「最近ベニー・グッドマンに凝っていてね~」と彼はいった。
「ほぉ~、ロリンズ一辺倒じゃなかったんですね~」というと、
「ああ、最近ベニー・グッドマンのベストアルバムを買って聴いたらね、これが思いのほかいいんだ」とえびす顔になっていた。
「そうですか、曲は何がお薦めですか?」と聞くと、
「〈GOODBYE〉なんてもう最高だよ、俺が死んだら葬式にこの曲をかけてもらおうかな」と確かにいった。

彼のお通夜にはソニー・ロリンズの曲が流された。
これは私がもう一人の友人と一緒に選曲したものだった。
ベニー・グッドマンの「GOODBYE」もかけようかどうしようか正直悩んだが、結局かけなかった。
彼の希望なのだから流してやればよかったかもしれない。
でもその時はあまりにショックが大きく、とても「GOODBYE」の切ないクラリネットを流す気になれなかったのだ。
今でもその時のことを思うと、ちょっとした罪悪感に苛まれる。
ましてや、ベニー・グッドマンを聴く度にそのことが思い出され、それまでのような平坦な聴き方ができなくなった。
しかし、それはそれでいいのだと思っている。
音楽とはそれを聴く状況や環境によって大きくイメージが変化するものなのだ。

それ以来私も、自分が死んだらお通夜に何を流してもらおうかなんてことを考えるようになった。
真っ先に思いつくのはジャズではない。
ポール・サイモンの「There Goes Rhymin' Simon」というアルバムに収録されている「American Tune」だ。
他は全部ジャズでいいが、この一曲だけは何としても流してもらいたいと思っている。
私の中では、全てのジャンルを超えた名曲なのだ。
ポール・サイモンの優しくもあの人なつっこい声で歌われると、心静かに眠れそうな気がするのである。

私は今「GOODBYE」をかけている。
この曲は作曲したゴードン・ジェンキンスが後で歌詞をつけている。
その歌詞は、「決してあなたを忘れない...」で始まる。
私も決して亡くなった彼を忘れない。
真っ先に「ありがとう」といいたくなる人だったからだ。



HIGH FIVE 「FIVE FOR FUN」

2009年02月20日 | Group

ひさびさにイケてるアルバムに出会った。
2002年に結成されたイタリアのハイ・ファイヴ・クインテットの新譜である。
メンバーはファブリッツィオ・ボッソ(tp)、ダニエル・スカナピエコ(ts) 、ルカ・マヌッツァ(p)、ピエトロ・チャンカリーニ(b)、ロレンツォ・ツゥッチ(ds)の先鋭5人組。
ファブリッツィオ・ボッソは以前にこのブログでもご紹介したが、現在絶好調のトランペッターである。
この作品は彼らのブルーノート・デビュー作になるが、全編に渡って、そのボッソを中心にフレッシュなハードバップを聴かせる。
最初にこれを聴いたときは、ミリアム・アルター・クインテットの「REMINISCENCE」を連想した。私はこの「REMINISCENCE」がここ数年の愛聴盤だったので、一聴してすぐに購入を決めた。
これが大成功!文句なし!
この手のグループとしては、エリック・アレキサンダーを中心としたワン・フォー・オールがあるが、私はこのハイ・ファイヴのちょっと湿った音に、より魅力を覚える。
それはただ単に溌剌としているというだけでなく、そこに充分な都会の哀愁を感じるからだ。
誰かのセリフではないが、ジャズはやっぱり哀愁が漂ってなければいけないと思う。
ハードバップというと粗野なイメージを持つ人がいるかもしれないが、実はその演奏の奥に秘めた哀愁を嗅ぎ取れるようになって初めて、「ジャズがわかる人」になれるのだと思っている。
そういう意味において、このアルバムはある意味試金石かもしれない。まだ聴いていないという方はぜひお試しあれ。

このアルバム、ジャケットもそれなりに斬新だ。
中の雰囲気を充分に伝えているかといわれればそうともいえないが、彼ら独特の新しさと躍動感を表現できているようにも感じる。
とにかく期待させてくれる何かがあることだけは確かだ。
ジャズにもこういうジャケットがもっとあっていいと思う。
これはブルーノート健在なり、ということを証明する一枚である。

Thad Jones & Mel Lewis 「CONSUMMATION」

2008年11月23日 | Group

時代の匂いがプンプンする作品だ。
今さら私が紹介するまでもなく、サド&メル・ジャズオーケストラは、黒人のサド・ジョーンズ(tp)と白人のメル・ルイス(ds)が1965年に結成した全く新しいタイプのビッグバンドである。
彼らは1978年に解散してしまうが、未だに絶大な人気があり、サド&メルこそ最高峰のジャズバンドだといって憚らない人が多いのも事実である。
では彼らのどこにそんな魅力があるのだろう。
まず特筆されるのがソロパートに対する考え方である。
ピアノにしろトランペットにしろトロンボーンにしろ、ソロを奏でる時間が充分に確保されているという点である。この自由な雰囲気が、コンボを聴く楽しみ方に似ているのではないだろうか。つまりビッグバンド特有の堅苦しさが払拭されているのである。
それと言葉ではなかなか言い表せないが、100mを全力で走りきった時のような爽快感があり、このキレの良さがサド&メルのイメージを決定づけているようにも思える。
このアルバムでいえば、7曲目の「Fingers」でそれが最もよく出ているので聴いてほしい。
ただこのアルバムでは5曲目の「Us」や6曲目の「Ahunk Ahunk」の音がその時代の音であり、よく言えば懐かしい、悪くいえば60~70年代の中途半端な古くささが出ているのが印象的だ。

それとこのアルバム、ジャケットが効いている。
以前ご紹介したボビー・ハケットの「Live at the ROOSEVERT GRILL」と同様、LEO MEIERSDORFFがイラストレーターとして起用されている。ちょっとワンパターンなイラストではあるが、この身体のしなり具合、強調された指など、魅力的なジャズがこのジャケットからも聞こえてくる。
このイラストが好きな方は以下のサイトもご覧いただきたい。
http://meiersdorfforiginals.com/


COUNT BASIE & His Orchestra 「Basie in London」

2008年04月18日 | Group

圧倒される迫力だ。
ジャケットに写っているカウント・ベイシーの豪快な笑顔を見れば中身だって一目瞭然。
パワフル度、スイング度、リラックス度、ハッピー度、いずれも満点である。
私はビッグバンドの大ファンというわけではないが、この作品くらいは知っている。名盤中の名盤だ。

曲は数多く収録されている。
全曲どれもいいが、特に「NAILS」や「CORNER POCKET」「BLEE BLOP BLUES」あたりの出来がすばらしい。
カウント・ベイシーのピアノとフレデイ・グリーンのギター、工デイ・ジョーンズのベース、ソニー・ペインのドラムスがリズム製造マシンだ。そこにサド・ジョーンズを初めとするホーン部隊が時にはソロ、時にはアンサンブルで次から次へと絡んでくる。まるで音のシャワーを浴びているようだ。
観客との関係も実に良好で、臨場感も充分味わえる。こんなコンサートを見られた人は幸せだ。一生の思い出になっただろう。
観客はタイトル通りにロンドンの人かと思えばそうではない。
実はこのコンサートはスウェーデンのヨーテボリ(Göteborg)で行われたものだ。ではなぜ「in London」などというタイトルがつけられたのかはわからない。きっと何か曰くがあるんだろうと思う。ベイシーファンの方で知っている方は教えてほしい。

ベイシーはピアノを実に可愛らしく弾く。
彼がシングルトーンでピアノをぽつりぽつりと引き出すと、辺りは聞き耳を立てる。全員が集中して彼のリズムやメロディを掴もうとするのだ。そしてある瞬間から色々な楽器がなだれ込んでくる。このいわゆる「間」がベイシー楽団最大の魅力ではないかと思っている。
とにかくリズムに合わせて身体が自然と動き出す。
部屋の空気が揺れ動く。
この爽快感はカウント・ベイシーならではのものだ。
ご近所からうるさい!とクレームが来そうな勢いでもある。




THE OSCAR PETTIFORD ORCHESTRA 「DEEP PASSION」

2008年01月22日 | Group

オスカー・ペティフォードと聞いただけで何だか背筋がピンと伸びる。
彼くらいのビッグネームになると自然と敬意を払わずにはいられないような気になるから不思議なものだ。それこそ貫禄勝ちである。
そんな彼が当時の人気者を集めてオーケストラをつくり一大傑作を残した。それがこの作品だ。
参加している豪華なメンバーは以下の通り。
オスカー・ペティフォード(b,cello,ldr)、ジジ・グライス(as,arr)、アーニー・ロイヤル(tp)、アート・ファーマー(tp)、ケニー・ドーハム(tp)、レイ・コープランド(tp)、ジミー・クリーヴランド(tb)、アル・グレイ(tb)、ジュリアス・ワトキンス(frh)、ラッキー・トンプソン(ts)、ジェローム・リチャードソン(ts,fl)、ベニー・ゴルソン(ts)、サヒブ・シハブ(bs)、トミー・フラナガン(p)、ベティ・グラマン(hrp)、ディック・カッツ(p)、オジー・ジョンソン(ds)、etc
たぶんペティフォード親分、鶴の一声で招集されたのだろう。そうでなければこれだけのメンバーが一堂に揃うことは難しかったはずである。

曲は必ずしもビッグバンド特有のものではない。むしろスモールコンボで取り上げられる機会の多い曲ばかりである。
要するにビッグバンド形式でありながらかなりファンキーな感じで聴けるということであり、そうした意味においてもビッグバンド初心者の私にはもってこいのアルバムだっだ。
とにかくどの曲もアレンジが効いている。アレンジャーはジジ・グライスであったり、ラッキー・トンプソンであったり、ベニー・ゴルソンであったりするが、エリントン楽団やベイシー楽団などのようなコテコテのビッグバンドとはひと味違った爽快感がある。全編に渡ってペティフォードの躍動感溢れるベースが利いているせいでもあろう。

このオーケストラの決定的な特徴はペティフォードの弾くチェロやベティ・グラマンのハープ、といったジャズに馴染みの少ない楽器を上手く導入していることだ。「I REMEMBER CLIFFORD」や「LAURA」などの優雅さは他に類を見ない。
とにかく大音量で聴いてほしい。身も心も生き生きしてくる自分に会えるはずだ。


DUKE ELLINGTON 「THE POPULAR DUKE ELLINGTON」

2007年10月23日 | Group

ビッグバンドに関してはシロウトに近い。
このデューク・エリントンにしろカウント・ベイシーにしろ、それほど多くのレコードは持っていない。
モダンジャズばかり聴いていたので、なかなかこうしたビッグバンドジャズを聴く機会がなかったのだ。
私はレスター・ヤングにしろジョニー・ホッジスにしろ、スモールコンボでその存在を知ったので、彼らがいかにビッグバンドの看板スターだったかなどは知るよしもなかった。ましてや彼らの全盛期の録音は古く、さぞかしひどい音ではないかという印象があって、それも敬遠する要因の一つであった。
しかし、しかしである。
このアルバムは新生エリントン楽団入魂の一枚、しかもステレオ録音ときた。
収録されている曲もベストオブベストといえる内容で、私のようなエリントン初心者にはもってこいだ。
最初に針を落としてまたまたびっくり。
「Take the "A" Train」の前半はエリントンによるピアノトリオではないか。しばらく聴き入った後、絶妙なタイミングで楽団のアンサンブルがなだれ込んでくる。この演出は涙ものだ。本物とはこういうものかと思わずにはいられなかった。
続く「 I Got It Bad (And That Ain't Good) 」は私の大好きなジョニー・ホッジスが、まるで一人舞台のように大きくフューチャーされていく。この粘り気ある艶っぽいアルト、これでますますホッジスファンになっていったのだ。
しかし何といっても圧巻なのは「Black and Tan Fantasy」。ミュートをかけたトランペットとトロンボーンによる怪しげな吹奏とスマートなクラリネットの対比が面白い。エリントンのピアノも実にブルージーだ。

若い頃の私と同じようにビッグバンドジャズに偏見を持っている方にぜひ聴いてほしい。
少なくとも私はこのアルバムで心を入れ替えた。
スティーヴィー・ワンダーの曲に「Sir Duke」という有名な歌があるが、私もようやくスティーヴィーと同じ心境になれたのが嬉しかった。

TADD DAMERON AND HIS ORCHESTRA「FONTAINEBLEAU」

2007年08月24日 | Group

タッド・ダメロンを忘れてはいけないといつも思っている。
40年代、ビバップの息詰まるような嵐の中にいて、彼のアレンジは常に優雅だった。まるで良質なミュージカルを観ているようだ。各ソロパートは、ビバップの最もエキサイティングな部分を殺さぬようコントロールされている。この絶妙な手腕がダメロンを単なる演奏者として捉えられない理由だ。
彼はコンポーザーとしても相当なものだ。ビギナーならいざ知らず、ジャズファンたるもの彼が作った曲を知らないとはいわせない。コルトレーンの演奏で有名な「Soultrane」やバド・パウエルが演奏した「Hot House」、バルネ・ウィランなどによる「Lady Bird」などなど、枚挙にいとまがない。
このアルバムも全曲見事な出来であるが、3曲目の「THE SCENE IS CLEAN」に耳を澄ましてみよう。
美しいテーマに沿って整然としたアンサンブルが終わると彼のピアノソロが始まる。彼は一音一音噛みしめながら静かに指を鍵盤の上に重ねていく。こんな弾き方が他にあっただろうか。全員がダメロンの指先に注目している、そんな張りつめた緊張感がこちらにも伝わってくるようだ。この間の取り方はモンクのようでもあり、ジョン・ルイスのようでもある。

タッド・ダメロンは1917年生まれというからパーカーよりもさらに年上である。
彼の元からファッツ・ナヴァロやジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウンらが育っていった。あのマイルスでさえ彼のコンボで演奏していた時期があったことを考えると、やはりこの人には先見の明があったといえる。
しかし彼がリーダーであるにもかかわらず、こうしたビッグネームがアルバムの一番いい場所に置かれていた。所謂不遇の人なのだ。
だからといって私たちはタッド・ダメロンを忘れてはいけない。彼は当時の最重要人物の一人であることは間違いないのだ。

GEORGE WALLINTON 「JAZZ FOR THE CARRIAGE TRADE」

2007年08月12日 | Group

1955年~56年はモダンジャズが最も華やかだった頃だ。
当時は猫も杓子もハードバップに色めき立っていた。
人気グループとしてはマイルス・デイヴィス・クインテットやアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャース、ローチ~ブラウン・クインテット等がその第一線で活躍していたが、このジョージ・ウォーリントン・クインテットも忘れられない存在としてジャズ史に燦然と残っている。
ここでのメンバーはジョージ・ウォーリントン(p)、ドナルド・バード(tp)、フィル・ウッズ(as)、テディ・コティック(b)、ビル・ブラッドレイ(ds)だが、彼らの第1作である「ライヴ・アット・ザ・カフェ・ボヘミア」では、フィル・ウッズの替わりにジャッキー・マクリーンが加わっていた。
この第1作と第2作のどちらがいいかは意見の分かれるところだ。
片やライヴ録音であり、片やスタジオ録音だから、当然好みが分かれて然るべきだが、臨場感はやはり前者にかなわない。ウォーリントンの突っ込んだピアノを聴くだけで嬉しくなるのだが、フィル・ウッズとジャッキー・マクリーンのどちらが好きかということ以前に、ここはドナルド・バードの出来に注目したい。
個人的には第2作のバードが好きなのだ。「カフェ・ボヘミア」の時は何となく存在感が足りなかったバードは、この「キャリッジ・トレード」で自信を取り戻している。見事な吹奏だ。この違いは決定的に思える。
音の響き方も違う。ライヴ版は音の厚みが足りないような気がするのだ。
但し、こんなハードバップは冷静に音を聴くことよりももっと大切な何かがあるといわれれば反論のしようがない。もともとハードバップは熱気溢れるライヴで聴くのが一番なのだ。

このところ連日の猛暑になっている。夜になってもじっとりと汗がにじんでくる。
私は今、団扇片手にこの2枚のアルバムを聞き比べている。
どちらも甲乙つけがたい。それでも私はやっぱりこの「JAZZ FOR THE CARRIAGE TRADE」が好きだ。

CHICK COREA 「Return to Forever」

2007年07月11日 | Group

実に美しいジャケットだ。いつまで見ていても見飽きることがない。
このジャケットでECMは決定的なメジャーレーベルになった。
このアルバムがもたらした効果はそれだけではない。
まずジャズ界に大きな変革をもたらすきっかけを作った。具体的にはアコースティックとエレクトリックの融合である。ここからクロスオーバー・ミュージックという言葉が生まれた。フュージョンの先駆けである。
その心地いいサウンドは、それまでの難解なフリージャズに参っていた多くのジャズファンのみならず、ポピュラー音楽界からも幅広く受け入れられたのだ。その結果このアルバムは大ヒットし、チック・コリアの名前も世界中に知れ渡ることになった。
この大ヒットのお陰で、タイトル曲である「リターン・トゥ・フォーエバー」はそのままグループ名になり、その後も積極的な活動を続けた。
このグループからは人気プレイヤーも何人か排出することになる。例えばこのアルバムから参加しているスタンリー・クラークやアイアート・モレイラ、第2期のアル・ディメオラ、レニー・ホワイトといった面々だ。彼らは全員恐るべきテクニシャンばかりで、もう一つの人気グループ「ウェザーリポート」と人気を二分していた。
ヴォーカルをいち早く取り入れ成功したのもこのアルバムの先進性を物語っている。フローラ・プリムのスキャットはこの作品のイメージを決定づける要因だ。この浮遊感がジャケットのカモメと相まって、私たちを海の上へ滑るように連れて行ってくれるのだ。

いまでこそクロスオーバー・ミュージックなどという言葉は死語になってしまったが、時代を変えた作品にはとてつもない品格と存在感があるものだ。
久々にこのアルバムを取り出し聴いてみて、改めてそのスケールの大きさに驚いた。
古くなっているのは私たちの頭の中にあるイメージであって、レコードはいつまで経っても新鮮なままである。

triosence 「FIRST ENCHANTMENT」

2007年06月14日 | Group

99年に結成されたというドイツの若いグループだ。
リーダーはピアニストのベルンハルト・シューラー。このアルバムは全曲彼のオリジナルで埋め尽くされている。
聞くところによると、全て女性をモチーフにした曲なのだそうだ。彼の身のまわりで起きた女性との様々な出来事を思い描いて作曲したのだという。
こんな風に表現力のある人はいいなと思う。私なんかはそんな才能がないので、一つの出来事がただの思い出にしかなっていかない。つまり形として残らないわけだ。これは実に残念なことだ。

このアルバムの曲をそんな気になって最初から聴いていくと、シューラーとはどんな人間なのか、どんな出来事が彼の周りに起きていたのかが自分なりのイメージで浮かび上がってくる。そのイメージをいちいち説明すると陳腐化するのであえていわないが、こういったドラマチックな作品はそういう感覚で聴くと実に楽しいものだ。
よくよく聴いてみると、この作品は小説を読んでいくような味わいがある。
これは計11曲の曲を細切れに聴いていく作品ではなく、アルバム全体で1曲なのだと思う。
但しそれを理解するには忍耐力が必要だ。途中でやめたり途中から聴き出したりしては、本来のストーリーが薄れてしまう。ストーリーの薄い小説はすぐ飽きる。だから最初から最後までじっくり聴く必要があるのだ。そうして初めてこの作品の真価が問えるような気がしている。

若い才能は多分に頭でっかちだ。
自分なりの意味づけを考えて、それをわからせようと躍起になる。自分の存在をアピールしたいという気持ちが強いからかもしれない。但しそれが若いということだから、私はそれを否定しない。むしろ最近はそういったことを受け入れ、楽しめるようになってきた。単純に歳をとったということかもしれないが、こうしたアルバムの聴き方がわかってきたようにも感じているのだ。
同じジャズだからといって全て同じ聴き方をしてはいけない。私はそう思っている。