SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

TEDDY WILSON 「for quiet lovers」

2007年05月31日 | Piano/keyboard

このジャケットを手にとってどれだけ眺めただろう。
ジャケットだけをとったら間違いなく私のベスト10には入る作品だ。
街で楽しそうに手をつないでいる今どきのカップルを見ると「フン」と思うが、ここに写っているカップルにはうっとりしてしまう。これも偏見だといわれれば返す言葉もないが、もしこんなカップルを街で見かけたら拍手を贈るかもしれない。

以前はこのレコードジャケットをいつも額縁に入れ部屋の壁に掛けていた。
重要なのはテディ・ウィルソンの演奏だが、このジャケットを見ながら聴くとなぜかとてもいい気分になった。嘘だと思ったらあなたも試しにやってみるといい。古さ・渋さの中にも何ともいえない哀愁が漂ってくるのがわかると思う。
録音も楽想も古いがテディ・ウィルソンの職人技は永遠に新鮮だ。
いつのことだったかは覚えていないが、このテディ・ウィルソンがジャズクラブで演奏している映像を見たことがある。
彼は姿勢良くピアノの前に座り、ほとんど鍵盤を見ることもなくゆったりと弾き出した。その貫禄たるや圧倒的な存在感があった。さすがにレスター・ヤングやベン・ウェブスターといった大物と渡り合ってきただけのことはある。
この映像で私はイチコロだった。そこにもってきてこのジャケットだ。
こんな嬉しい思いをさせてくれる音楽はジャズ以外にはない。

RON CARTER 「THE GOLDEN STRIKER」

2007年05月30日 | Bass

ベースを抱えている姿が様になる人だ。
トレンチコートにハンチング帽、ウッドベースをケースに入れて肩から下げ、出演予定のジャズクラブに颯爽と入っていく。そんな彼は誰が見ても格好がいい。ベース・プレイヤーはやはり彼くらいの身長がないとダメなんだなとつくづく思う。
但しベース・プレイヤーとしてのロン・カーターはそれほど好きな人ではない。
ベースの弾き方に線の細さを感じるからだ。身体が大きいのだからもっと力を込めてビシバシ弦を弾いてほしいと思う。

彼は以前ジム・ホールとのデュエットアルバムを何枚か吹き込んでいるが、このアルバムもその一連の作品に近い。
ドラムスが入っていないお陰でロン・カーターのベースはいつも以上に前に出てくる感じだ。彼はこうした編成で活きる人だということを実感できる。
また共演者の一人であるラッセル・マローンがすばらしい出来だ。私はこのアルバムで一気に彼のファンになった。
彼のギターはジム・ホールのそれに音色から何からよく似ている。強いて違いをいえばジム・ホールの方がややアコースティック感が強いかもしれない。
もう一人の共演者はマルグリュー・ミラーだ。この人のピアノも実にいい味を出している。
ミラーのリーダーアルバムではやや弾き過ぎる傾向にある人だが、ここではキラリと光るフレーズを効果的に入れている。

曲は何といってもロン・カーター自作の「PARADE」が秀逸。いつもこの曲を真っ先に聴くことが多い。
この曲の途中にコンガが入る。クレジットにはそんなことは何も書いていないので最初は「あれ?」と思ったが、どうやらこれはラッセル・マローンがギターのボディを手で叩いている音らしい。ますます気に入った。




tri o trang 「PLAYS JON EBERSON」

2007年05月29日 | Group

誰にでもお勧めできる作品ではない。
ただ私はこういうのも有りだと思っているし、ひょっとしたら大名盤なのかもしれないとも思っている。

tri o trang、このベトナム語っぽいグループ名を何と発音すればいいのかわからない。誰か正確な発音を知っていたらぜひ教えてほしい。
このグループを知らない人でもヘルゲ・リエンを知っている人は多いだろう。
あの氷のようなピアノを弾く才能に溢れたノルウェー人だ。
このグループはヘルゲ・リエン・トリオとは一線を画した「もう一つのトリオ」である。
トリオの構成も面白い。サックスにチューバ、そしてピアノだ。
一見バラバラのように見えても、それぞれの絡み方には暗黙のルールがあるようだ。決してどれが主になるということではない。あくまで曲によって(或いは間によって)楽器の持つ特性を生かそうとしている。その結果、極端にシリアスになったりユーモラスになったりするが、そこにスリリングな緊張感と美しさがあって面白いトリオなのである。
ただこういう変則プレイが嫌いな人もいるだろう、それはそれでいい。誰も責めたりはしない。

このアルバムはその「もう一つのトリオ」に、ギターとドラムスが加わった編成になっている。
但しギターはメロディを奏でることをほとんどしないし、ドラムもリズムを刻む行為と並行してパーカッション的な要素が多い。そして相変わらずベースは不在のままだ。
これはジャズか?と思える時もあるが、私はこれもジャズだと思う。しかもかなり良質なものだ。
彼らの音楽を言葉で説明しようとすること自体、無駄な行為なのかもしれない。

SONNY CLARK 「SONNY'S CRIB」

2007年05月28日 | Piano/keyboard

ブルーノート1500番台、ソニー・クラークで思い出した。
これは彼の最高傑作だと思っている。
日本でソニー・クラークといえば、「クール・ストラッティン」もしくは「ソニー・クラーク・トリオ」とみるのが通り相場だ。もちろん否定はしない。しかしこの「ソニーズ・クリブ」こそ、彼本来の良さが出た作品なのではないかと思う。

この作品はもちろんレコードでも持っているが、いつだったかCDもほしいなと思い、店頭で見つけた時にすかさず購入した。
これが見事な大失敗だった。後で悔やんだがもう取り返しがつかない。
何が失敗だったかというと、このCDにはオマケともいえる「別テイク」が3曲も入っており、その都度同じ曲を2回ずつ聞かされる羽目になったからだ。これはもうたまったものではない。
「別テイク」とはいわゆる「没テイク」のことであり、実際のレコードには存在しないものなのだ。実際は全5曲の構成が8曲にもなっているわけで、これはもう作者への冒涜だとしかいいようがない。
まぁ、そうとも知らず買った私がバカだったということかもしれない。このジャケットをよく見てほしい。SONNY'S CRIBと記された後に「plus 3」と確かに入っている。これを見落としていたのだ。う~む、返す返すも残念だ。
しかし原版のジャケットを改ざんしてまで入れる価値が本当にあるのだろうか。これじゃあ、まるで偽ブランド商品を買わされたようなものだ。

それ以後、CDを買うときはこの点だけは注意してみるようになった。
ビル・エヴァンスのCDを買い換えた時も、そのせいでわざわざドイツ版を購入したくらいだ。
我々は評論家用の記録資料を聴きたいのではない。純粋に音楽を楽しみたいのだ。本当に何とかしてほしい。

LOU DONALDSON 「BLUES WALK」

2007年05月27日 | Alto Saxophone

ブルーノート1500番台は正にモダンジャズの花形だった。
1500番台とは、ブルーノートのレコード製造番号が1501番から1600番までの100枚を指している。但し1553番は欠番だったため実際は99枚しか存在しない(もっと正確にいうと1592番のソニー・クラークも最初はなかった)。
ここに登場するプレイヤーはマイルスに始まって、バド・パウエル、セロニアス・モンク、ファッツ・ナヴァロ、ソニー・ロリンズ等々、蒼々たる面々が顔を揃えている。

もう相当昔の話になるので定かではないが、私が最初に買った1500番台のアルバムはたぶん1521番と1522番の「A Night at Birdland with Art Blakey Quintet」だったと思う。田舎のレコードショップで悩みつつ2枚まとめて買ったのでよく覚えている。このアルバムでクリフォード・ブラウンらと一緒に熱い演奏をしていたのがルー・ドナルドソンだった。私はその時に初めて彼の存在を知った。
その後、1545番の「Wailing with Lou」や1591番の「Lou Takes Off」、そしてこの1593番「Blues Walk」を手に入れた。
彼はとにかくわかりやすいメロディを魂を込めて吹くことに専念した。このアルバムはそんな彼の良さが最もよく現れている作品だといえる。

その後結局ブルーノート1500番台のレコードは全て手に入れてしまった。
今になってみれば無駄なことをしたものだと思う。
中にはただ持っているというだけで2~3回くらいしか聴いてないアルバムも含まれているからだ。もうこんな買い方はしないだろうとは思いつつ、今でも時々取り出してはカビ臭いジャケットを眺め、悦に入っている自分が情けない。

SPIKE ROBINSON 「Spring can really.....」

2007年05月26日 | Tenor Saxophone

スパイク・ロビンソン。ジャズ通を唸らせる渋くも暖かみのあるテナーマンだ。
日本での知名度は低いが、個人的にもっと多くの人に聴いてもらいたい筆頭格だと思っている。
ただ最近惜しくも亡くなってしまった。ここに収録されている「SHADOW OF YOUR SMILE」などを聴いていると、もう涙がこみ上げてきそうだ。もうこの音色が聴けないかと思うと本当に残念で仕方がない。
彼のテナーはズート・シムズをさらに軽快にした感じだというとわかってもらえるかもしれない。音にも艶があってしっとりとした趣がある。つまり音色で聴かせるタイプなのだ。

このアルバムは85年、イギリス国内におけるライヴを収録したものだ。
拍手を聞く限り会場はそれほど広くない。聴衆との距離が近い分だけ感情も伝わりやすい環境だ。
最初からじっくり聴いてみる。
出だしはまだ少し硬い。空気の出し入れにサックスそのものが馴染んでいないからかもしれない。
ただ5曲目の「LOVER COME BACK TO ME」のあたりから彼本来の音色が出てくる。それまでの音が伸びずにスッと消えてしまう感じがなくなる。テナーが暖まってきた証拠だ。そうなってくるともう彼の独壇場だ。周囲の空気まで柔らかく変化させるこんな美しいテナーを、あなたは聴いたことがあるだろうか。
とろけるようなメロディーラインに甘さをこらえて吹き続ける。それがスパイク・ロビンソンという男だ。
私はどんなことがあっても彼を忘れない。

ROLAND HANNA 「EASY TO LOVE」

2007年05月25日 | Piano/keyboard

結局はピアノトリオが好きだ。
持っているアルバムの半分近くはピアノトリオではないかと思う。きっと多くの人も私と同じだろう。
以前知人に、ピアノトリオのベスト10を決めろといわれて考えてみたが、30以下に絞ることができなかった。それくらい多くのアルバムに思い入れがある。
このローランド・ハナの「EASY TO LOVE」も間違いなくその上位に含まれるものだ。
何がスゴイのなんのって、針を落とした瞬間からせり出してくる迫力あるベースの重低音である。ベン・タッカーだ。アート・ペッパーの名作「モダンアート」や、グラント・グリーンの「グリーン・ストリート」などにも参加しているので、知っている方も多いだろう。
ベースが効いているアルバムは数多くあるが、この作品はその中でもトップクラスだ。これを大音量にして聴くと部屋全体が震え出す。この快感がたまらなくいい。正にジャズを聴いているという実感が得られる瞬間だ。
この恐ろしいまでのベースの陰に隠れて目立たなくなってしまうが、ローランド・ハナのピアノもロイ・バーンズのドラムスもとてもいい出来だ。

ローランド・ハナのピアノは普段とにかく硬い。このアルバムではそれほど感じないが、この硬質感が彼の持ち味である。タイトル曲であるコール・ポーターの「EASY TO LOVE」やガレスピーの「NIGHT IN TUNISIA」などの演奏を聴いていると彼の人気の理由がわかる。とにかくキレがいいのだ。曖昧さがないといった方がいいかもしれない。
ピアノがカキーンと鳴ってベースがドスーンと響く。名作であることの条件はそんな単純なものなのだ。

MARIELLE KOEMAN & JOS VAN BEEST 「BETWEEN YOU & ME」

2007年05月24日 | Vocal

心温まる爽やかな歌声と甘いピアノをお聴きあれ。
ハロルド・メイバーンなどの勢いのある演奏を聴いた後でこれをかけると、リラックス効果は満点だ。
心地よいボサノヴァも要所要所で出てくるので、季節はメイバーン同様に夏。全く涼しげな夏の昼下がりだ。

女性ジャズ・ヴォーカルにはいくつかのパターンがある。
サラ・ヴォーンらに代表される「熱唱タイプ」、ヘレン・メリルのようにセクシーな「ハスキータイプ」、ブロッサム・ディアリーのようにコケティッシュな「甘ったれタイプ」、ニーナ・シモンのように孤独な「うなだれタイプ」、ダイナ・ショアのような「ささやきタイプ」などだ。まだまだあるとは思うが細かく挙げていくときりがないのでここまでにする。
ではこのマリエル・コーマンはどうかというと、癖の無い、とてもきれいな歌を聴かせてくれる。誰に似ているかを強いていえば私の好きなジョー・スタッフォードかもしれない。但し癖が無いといういい方は必ずしもジャズ界ではほめ言葉ではない。個性がないと判断されてしまうからだ。
そこで重要になってくるのが共演者だ。彼女が組んだヨス・ヴァン・ビースト・トリオとはこれが2枚目になる。
ヴォーカルアルバムほど共演者の出来不出来でいい作品になるかどうかがはっきりする分野もない。
典型的なのはヘレン・メリルの「ウィズ・クリフォード・ブラウン」。この作品はブラウンが参加したお陰で何倍も価値が高まった。
このアルバムもこれと同じである。2人が組むことで1つの個性が生まれた。決して大袈裟に言っているのではない。
マリエル・コーマンの足りない分をヨス・ヴァン・ビーストが埋めている。
まるで夫婦のようだ。

HAROLD MABERN TRIO 「DON'T KNOW WHY」

2007年05月23日 | Piano/keyboard

ハロルド・メイバーンは熱い。
私の場合ピアノトリオというと、ゆったりしたい時、癒されたい時などに聴くことが多い。しかし彼が奏でる音は人とちょっと違う。まるでホーン・アンサンブルを聴いているかのような分厚さだ。よって彼のアルバムを聴く時は気合いを入れ直したい時となる。

彼の演奏を季節に例えると真夏だ。カーッと照りつける太陽の下、ちょっと湿った生暖かい風が勢い良く吹いている。彼の演奏を聴いているとついついそんな情景を連想してしまう。
それもそのはずハロルド・メイバーンといえば、ハンク・モブレーの大ヒット作「ディッピン」の「リカード・ボサノヴァ」が有名である。夏の代名詞のような曲だ。一頃はどこに行ってもこの曲が流れていた。今だって夏になればきっとどこかで流れているはずだ。この曲を聴いて燃えない人を私は信用しない。
そういえば前作「キス・オブ・ファイヤー」の出来も上々だった。
彼が育てたといっても過言ではないエリック・アレキサンダーと一緒に、またひと味違った夏の情景を創り出してくれた。やっぱり夏はこれくらい情熱的なのがいい。
今回のアルバムではエリック・アレキサンダーの分も一人で大ハッスルしている。
ラストの「マイ・シャイニング・アワー」を聴いてほしい。ナット・リーヴスのベースもジョー・ファンズワースのドラムスも懸命になってメイバーンに食らいついていく。正に3人の汗がほとばしるようだ。

最近は北欧トリオなどの冷静沈着な演奏を聴くことが多いが、「どっこい、歳はとっても情熱だけは若いもんに負けねぇぜ」といわんばかりのこのピアノタッチ、まだ青いへなちょこピアニストには出せるはずもない音と執念だ。

WAYNE SHORTER 「NIGHT DREAMER」

2007年05月22日 | Tenor Saxophone

一つの時代と一つの時代をつなぐ作品だ。
50年代後半に吹き荒れたハードバップの嵐も止み、マイルスやエヴァンス、コルトレーンなどが追求したモードジャズが当時の主流になっていた。
モードジャズとはマイルスがアルバム「カインド・オブ・ブルー」で確立させた演奏法で、コード進行に囚われていたビ・バップ~ハードバップの限界を破った画期的なものだった。このへんの理論は専門家ではないので詳しくはわからないが、要するにコードによって支配されていた制約(コードに基づく一つの音階のうち元のフレーズから外れた音が使えないなど)を解放し、より自由なアドリヴが可能になったと解釈している。その後このモードジャズからさらに自由なフリージャズが生まれていく。
ウェイン・ショーターはそんな時代の境目に登場した男である。
彼はこのアルバム吹き込み時から約1年後にマイルス・クインテットの正式なレギュラーメンバーとして招かれるわけだが、ここでの演奏を聴くと、なぜマイルスが彼を欲しがったかがよくわかる。
モードジャズは確かに新しい時代の扉を開いたが、演奏技術がかなり高度なプレイヤーでないと極端に単調になってしまう傾向があった。その点ウェイン・ショーターはモードを完璧に理解しそれを表現できていた。それはこのアルバムで共演しているリー・モーガンの演奏と比べるとよくわかる。
リー・モーガンはコテコテのハードバッパーだ。アドリヴも見事である。しかしショーターのアドリヴと比べるといかにもワン・パターンに聞こえてしまう。50年代ならこれで良かったが、この時代にこの演奏は的外れだ。ファンの一人として残念ではあるが、彼はショーターやマッコイ・タイナーのやろうとしていることを理解できずに、ただ従来のアドリヴをいつも通りに展開しているのだ。
但し彼(モーガン)がいるお陰でショーターが何をやろうとしていたか、また時代が大きなステップを踏み出したことに気づくのは皮肉な結果といえる。
ショーターのその後の活躍は言うまでもない。彼のスタート地点は間違いなくここにあったのだ。