SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

SELDON POWELL 「Seldon Powell Plays」

2009年07月28日 | Tenor Saxophone

ビッグバンドは苦手、という人にこそ聴いてもらいたい作品だ。
私もその一人だったから、長いことビッグバンドの良さを知らないで過ごしてきた。
そんなある日、都内のジャズ喫茶に一人で行きコーヒーを飲んでいたら、このアルバムが流れてきた。客からのリクエストがあったのかもしれない。
それまではジョニー・グリフィンやブラウン~ローチなどのハードバップが大音量でかかっていたので、そのトーンの違いに思わず聴き入ってしまった。
特に「Love Is Just Around The Corner」の楽しさは格別だった。
青筋を立てて大激論を交わしていたところに、まぁまぁ、そんなに熱くならないで、とにこやかに割り込んできた爽やかな男のような感じなのだ。
飲んでいたコーヒーの味も急にまろやかになった気がした。

ここに収録されている「Why Was I Born」や「Someone To Watch Over Me」、「Autumn Nocturne」といったバラードもまたすばらしい。
このセルダン・パウエルという渋いテナーマンの真骨頂が、これらのゆったりとした曲に現れている。
何の衒いもなく、メロディの美しさを存分に歌い上げているのだ。
音色がどうだ、アドリヴがどうだ、などということには全く無縁な世界に彼はいる。
モダンジャズの世界で、こういう感覚を持てる人はそう多くないのではないだろうか。

このアルバムは、フレディ・グリーン(g)を初めとするベイシー楽団の強者共が脇を固めているせいで、小編成ながらビッグバンドの楽しさが味わえる。
いきなりビッグバンドを聴くのに抵抗のある人も、この作品辺りから聴けばすんなり入っていけるはずだ。
とにかく寛ぎの一枚である。
じーんと心に染み渡るテナーに酔いしれてほしい。


EDEN ATWOOD 「Waves」

2009年07月24日 | Vocal

イーデン・アトウッド、お気に入りのボーカリストである。
私が知る中で、彼女以上にきれいな人はいない(もっとも実際の彼女は知らないが...)。
このアルバムジャケットの裏表紙には、黒いドレスを着て椅子の肘掛けに腰掛け、膝に手を当てている彼女の姿が写っているが、顔立ちといいそのスタイルといい、まぁいうなればパーフェクトな人である。
これを見れば男性はもちろん、女性だって誰しもが憧れるはずだ。
聞くところによると当の本人はいろいろと苦労した人らしいが、外見だけは同じ人間としてちょっと不公平だな、なんて思ってしまう。

それはそうと私が気に入っているのは、何もその美貌だけではない。
こうしたアイドル的な雰囲気とは裏腹に、彼女は実に歌が上手いのである。
とにかく歌い方に説得力がある。
ささやきかけてくるその声が真実みを帯びているといってもいい。
聴く者に向かって「本心からそう思っている」といった歌い方だ。私はこういう歌い方に弱い。
声質はどうかといえば、適度にハスキーな声をしている。
もし彼女の姿を知らないでこの声だけを聞いていたとしたら、ひょっとすると若い黒人歌手ではないかと疑うところだ。

このアルバムはボサノヴァのスタンダード集だが、全体に落ちついた印象があって大人のムード満点だ。
特に夏の愁いを帯びた「Meditation」や「Once Upon A Summertime」が個人的なお薦めである。
こんな演奏を間近で聴いてみたい。
伴奏のピアノもベースも寄り添うようにメロディを奏でており、彼女とのコンビネーションも抜群だ。
ただ彼女のアルバムは、CDにも関わらずどれもこれも高値がついていてなかなか手に入らない。
美女にはそう簡単に近づくなということか。

GEORG RUBY TRIO 「Sepia Days with You」

2009年07月20日 | Piano/keyboard

ガッツプロの作品は音にメリハリがある。
目一杯ボリュームを上げて、まず2曲目を聴いてもらいたい。
この強烈な音の塊に思わずのけぞってしまうはずだ。
特に、まるで金属製のスティックを叩いているかのような、冒頭の迫力あるドラムには参ってしまうだろう。
私もクリスティアン・トーメというドラマーのことは全く知らなかったが、これがなかなかのテクニシャンである。名前をしっかり覚えておかねばと思っている。
ディター・マンデルシャイドというベーシストが奏でるベースもものすごい重量感がある。これもかなり攻撃的だ。
そして満を持して登場するゲオルグ・ルビーのピアノがやけに現実的に響いてくる。アグレッシヴなドラムとベースの間にあって、このピアノの音は安らぎだ。
しかし曲が進むにつれ、そのピアノも少しずつドラムとベースのリズムにかき消されていく。
何とも劇的な構成だが、それもそのはず、このアルバムは1917年から1950年代半ばまで存在していたドイツのウーファという映画会社が制作した映画の主題曲を、ドイツスタンダードとして彼らが演じた作品集なのだ。
この2曲目は「Frauen sind keine Engel(天使なんかじゃない女たち)」というタイトルになっているが、これはどうやら古いSF映画「メトロポリス」の主題曲らしい。
ライナーノーツを読むと、この映画は恐るべき機械支配の未来を描いた作品なのだそうだ。それで全てが納得だ。

この映画会社ができた1917年といえば、ドイツにバウハウス(BAUHAUS)ができる2年前だ。
バウハウスといえば、知る人ぞ知る世界の最先端を行った建築&工芸美術学校である。
学生の頃、私はこのバウハウスに心底のめり込んだ。
この学校には様々な工房があり、どの分野の授業も刺激的であったが、中でもオスカー・シュレンマーが行ったトリアディック・バレエには度肝を抜かれた。
それは立方体、円錐、球体という幾何学形態のコスチュームを着た3名のダンサーが、まるでロボットのように動き回るという、ユーモラスでいながら恐ろしいくらいに未来を感じさせるパフォーマンスだったのだが、私はこのダンスで当時(日本はまだ大正時代)のドイツの底力を感じたものだ。
このゲオルグ・ルビー・トリオのアルバムを聴いていると、ジャケットにもあるような懐かしさと同時に、なぜかそれとよく似た近未来的な感情が沸き上がる。
表面はセピア色をしていても、中身はぴかぴかに磨き上げられたシルバーに近い印象なのだ。




VIT SVEC TRIO 「KEPORKAK」

2009年07月16日 | Bass

愛称「鯨」といえばこれ。
チェコのベーシスト、ヴィト・スヴェッツによる人気盤だ。
いきなり鯨の鳴き声を模したアルコでスタートする。
これがかなりリアルに聞こえるので、いかにもコンセプトアルバムっぽく感じてしまうが、こういうトリッキーな演奏は1曲目の最初と最後のみ。他はいたってシンプルなピアノトリオである。

ここ数年のピアノトリオ・ブームで、私たちの耳はかなり研ぎ澄まされてしまった。
つまりよほどいい演奏でない限りは、心に響かなくなってしまったのだ。
いよいよピアノトリオ・ブームも終わりかと思いきや、こんな優れた作品と出会うと「やっぱりピアノトリオが最高!」なんて思ってしまう。

3曲目「Dreamer」、4曲目「Smilla」におけるMatej Benko(マチェイ・ベンコ)の透き通るようなピアノ。
5~7曲目の「Information」における重厚なベースワークとシンバルワーク。
そして極めつけが4ビートで臨む8曲目の「Blues for Michael」である。
私はこういった4ビートの曲をもっともっと入れてほしいと思っているのだが、突然はっとさせるようなウォーキングベースの登場にいつも大感激させられる。これも演出の一つだとしたら、彼らの思惑にしてやられたり、である。
9曲目の出だしは、チコ・ハミルトンの「ブルー・サンズ」を連想させる。
その個性的なドラムのリズムが遠のくと、実にリリカルなピアノが全編を駆けめぐる。
やがて太鼓のリズムが帰ってきてエンディングとなる。この構成もなかなか見事だと思う。

とにかく最近のピアノトリオに少々飽きてしまった方に強くお薦めしたい。
ピアノもベースもドラムも高水準を行く作品である。







CHARLIE MARIANO「CHARLIE MARIANO」

2009年07月11日 | Alto Saxophone

「ベツレヘムのマリアーノ」の愛称で知られる傑作である。
この時のチャーリー・マリアーノは実にすばらしい。ワンホーンの魅力を目一杯振りまいている。
何よりもまず、アルトサックスの音色がいい。
曇ったところがなく、輪郭がくっきりと浮かび上がっている。まるですっきりと晴れ渡った青空のようだ。
私はこういう音色が好きだ。
アート・ペッパーも、この音色の良さで共通している部分があるから好きなのだ。
全体を通して、いかにもウエストコーストジャズらしい若々しさが感じられる。
50年代のジャズというだけで、何やら加齢臭の出かかったおじさんが聴く音楽というイメージを持っておられる若い方も多いと思うが、これを聴けばそうしたイメージも多少払拭されるのではないかと思っている。

このアルバムはジョン・ウィリアムス(p)が参加している点も大きな魅力だ。
マリアーノのアルトと比べたら録音がちょっと曇り気味ではあるが、こういう音が彼独特のスインギーなピアノタッチを余計に際立たせているようにも思う。
傑作の誉れ高いエマーシーのリーダー作もこういう音だった。
やはり優秀なジャズメンは人それぞれ、自分の音を持っているものである。

それはそうと、このチャーリー・マリアーノも先月(6月16日)、85歳で亡くなった。
仕方のないこととはいえ、輝かしい50年代に全盛期だった人たちが、次から次へと亡くなってしまうのは何とも寂しいものがある。
特にチャーリー・マリアーノは秋吉敏子や渡辺貞夫らを通じて、日本のジャズに多くの影響を与えた人だっただけに残念だ。
しかしこのアルバムがある限り、彼は永遠の若者として生き続けることができるのだ。
まったく素敵なことである。

JOHN WRIGHT 「SOUTH SIDE SOUL」

2009年07月05日 | Piano/keyboard

SOUTH SIDE SOUL、深夜12時を過ぎた頃が似合うアルバムだ。
ボン、ボン、ボンと腹に響くベース音、まるで歩くスピードに合わせるかのようなドラム、そして十分タメの効いたブルージーなピアノ、これがシカゴのサウスサイド魂なのだ。
こういうピアノを弾く人は、常に変わらぬ信念を持っている人に違いない。
ジョン・ライトはきっとまっすぐな人なのだ。
なぜならどの曲からも、黒人ならではの喜怒哀楽が自然な形でこぼれ落ちてくるのを感じるからである。
無理してひねった表現などしないところに好感が持てる。
決して大スターにはなれないかもしれないが、いつまでも心に残るタイプの人である。

よくよく考えてみれば、ジョン・ライトなんていう名は平凡極まりない名前だ。
そういえば先日亡くなったマイケル・ジャクソンも、その生き方に反して名前は実に平凡だった。
そんな意味からも、彼らは全ての黒人の思いや憂いを代弁する人たちだったのかもしれない。
マイケル・ジャクソンは歌やダンスや曲作りでそれらを表現したが、ジョン・ライトはマイケル・ジャクソンほど器用ではなかった。
彼はできる唯一の表現手段として、何も考えずにブルースを演じた。
その結果、まるでキング牧師が、多くの聴衆の前で演説した時のように「思いを伝える」ことに成功したのである。
そういう意味で、この作品は恐ろしいくらいに存在感がある。

ずいぶん前の話だが、サンフランシスコの近郊の町で、小さな教会に立ち寄ったことがある。
牧師の話を真剣に聞いていた黒人たちの目には涙が溢れていた。
ちょっと覗いただけだったので、何の話しをしているのかはわからなかったが、小さな子どもがお母さんの背中に手を当てて、心配そうに見上げていたのが印象的だった。
ジョン・ライトのピアノを聴くと、いつもこの光景を思い出す。
良くも悪くもこれがアメリカなのだ。

KENNY CLARKE 「Bohemia After Dark」

2009年07月01日 | Drums/Percussion

頻繁に鼻歌交じりで出てくるメロディだ。
もちろんオスカー・ペティフォードの名曲「ボヘミア・アフター・ダーク」である。
ファンキーなナンバーの中では一番好きな曲かもしれない。
この曲に刺激を受けたベニー・ゴルソンが、カーティス・フラーの人気作「ブルース・エット」に収録されている「ファイブスポット・アフター・ダーク」を作ったのは有名な話だ。
「ファイブスポット・アフター・ダーク」も悪くないが、私はやっぱり「ボヘミア・アフター・ダーク」が好きなのである。
あの徐々にせり上がってくるテーマ部分が、緊張感たっぷりでたまらない。
正に名曲中の名曲である。

この録音は、本家本元オスカー・ペティフォードのアルバム(オスカー・ペティフォードの神髄)よりも2ヶ月早い録音だ。
私はどちらも好きだが、このアルバムのハイライトは、何といってもキャノンボール・アダレイの鮮烈なデビューが記録されていることである。
ちょうどチャーリー・パーカーが亡くなったと同時に、入れ替わるような形でキャノンボールが登場する。
カフェ・ボヘミアを拠点に演奏活動していたオスカー・ペティフォードは、すかさず彼の才能を見抜き、自分のグループに引き入れると共に、このケニー・クラークのアルバムに参加させたのだという。
つまり、このアルバムこそ、ビ・バップからハード・バップに移行した瞬間を捉えた記念すべき作品なのだ。

見渡せばメンバーだって蒼々たるものだ。
ホレス・シルバー(p)、ハンク・ジョーンズ(p)、ジュリアン・キャノンボール・アダレイ(as)、ナット・アダレイ(cor)、ジェローム・リチャードソン(ts,fl)、ドナルド・バード(tp)、ポール・チェンバース(b)、そしてリーダーのケニー・クラーク(ds)。
彼らの生み出す音から、当時の息吹が手に取るように感じられる。
やっぱりハードバップは、モダンジャズの花形なのである。