SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

FRANCESCO CAFISO 「New York Lullaby」

2009年09月29日 | Alto Saxophone

一昨日まで京都にいた。
今回は仕事で出かけたのだが、せっかく行ったのだからと2日間余計に滞在し、観光客気分であちこちを見て回った。
日中はまるで真夏のように暑い日だったが、夕方になるとさすがに涼しくなるのが早かった。
日もとっぷり暮れた頃、先斗町辺りを徘徊し、川床のある一軒の店を選んで暖簾を潜った。
川床も季節的にはもうそろそろ終わりに近いのだが、こんな日は川風が実に気持ちよかった。この時期は虫もいないのでお薦めである。
私は2点盛のお造りと何種かのおばんざいを頼んだ。
もちろんお酒は京の地酒を冷酒でいただく。「古都銀明水」という酒だ。これがなかなか京料理と合うのである。
これ以上の贅沢はないなぁとか呟きつつ、至福の時を楽しんだ。

無理やりこじつけるわけではないが、こんな先斗町の雰囲気にはアルトサックスがよく似合う。
今回紹介するフランチェスコ・カフィーソなんかは最高だ。
1曲目の「ララバイ・オブ・バードランド」や2曲目の「リフレクションズ」をじっくり聴いてほしい。
テナーほど怪しいムードではないし、トランペットほどの浮かれた雰囲気もない。
ほどよい甘さと、年齢に似合わぬ大人の品格が出ている。
このしっとり感がこの鴨川界隈にマッチしているように感じるのだ。

そういえば狭い路地に林立する電飾の看板や、そこを行き交う人々にもどことなく優雅さが漂っている。
ここはやはり京都なのである。
世界遺産の神社仏閣を見てまわるのもいいが、この街の優雅さを味わうためだけにまた訪れるのも悪くない。
旅とはそういうものだ。

RYAN KISOR 「On the One」

2009年09月22日 | Trumpet/Cornett

昨日は月山に登ってきた。
月山にはもう何度も登っているが、あんなきれいな紅葉は今まで見たことがなかったので大感激した。
暑くもなく、寒くもない快晴の秋だった。
心地いい風が足下を滑るように吹き抜けていく。その風を受けて木道の脇のウメバチソウやリンドウの花が歌を歌うように首を振っていた。
見上げると山は切れ落ちている部分を境目にして、燃えるような赤と黄色が青空にくっきりと浮かび上がっている。
思わず息を飲むとはこのことだ。
こんな雄大な景色を見ていると、小さな悩みや日頃のストレスはあっという間に消え去ってしまう。
これが山登りを止められない一番の原因なのかもしれない。

そんな余韻を残して、今日は自宅でゆっくり休日を楽しんだ。
いつものようにCD棚から一枚のアルバムを引っ張り出してセットした。
真っ先にかけたのは、ライアン・カイザー「On the One」である。
私は1~3曲目を飛ばして、4曲目「Thinking of You」というバラードから聴きだした。
この曲はカイザー自身のオリジナルである。
私はうっとりしてしまうようなこの曲が大のお気に入りだ。
ライアン・カイザーといえば、スピード感溢れるトランペットが売り物のプレイヤーだが、こうした叙情性もしっかり持ち合わせた若者なのだ。
この「Thinking of You」という曲を聴いていると、昨日の月山のような懐の深さを感じる。
まったく山の上から谷間に向かって吹き下ろしているようにクリアな響きだ。
そんな風に考えると、続くマルグリュー・ミラーのソロも沢のせせらぎのように聞こえてくるから楽しい。

今は夏のTシャツ一枚でこのブログを書いているが、高い山の上では着々と秋が深まりを見せている。
私はそうした場所での時の移り変わりが本当の季節なのだと思う。
残念ながら下界の季節は偽物だ。
本当の季節を感じられる暮らしができれば最高なんだけど。

BILLIE HOLIDAY 「Songs for Distingue Lovers」

2009年09月15日 | Vocal

ビリー・ホリディは別格だ。
好きとか嫌いとか、いいとか悪いとかいう以前の存在なのだ。
しかし、だからといって聴く前から冷めてしまうのはいかにも危険だし、何より彼女がかわいそうだ。
今夜はいらぬ先入観を捨てて、じっくり聴いてやろうと思いこのレコードを取り出した。

これはビリー・ホリディ晩年の作品である。
既に若い頃の澄んだ声ではなくなってしまっているが、彼女の持つ一種独特な説得力は少しも衰えていない。
それどころか意外と素直に明るく振る舞っているようで、どことなくお茶目でもある。
気がつけば、バーニー・ケッセルのギターやジミー・ロウルズのピアノもケラケラ笑っているし、ハリー・エディスンやベン・ウェブスターも肩の力が抜けている。
特にベン・ウェブスターが吹くテナーは、ファンならずとも聴く価値が十分にあると思う。
彼の魅力はこうしたタメの効いたバラードフレーズで最高潮に達する。
そんなバックの好演にも助けられたか、ビリー・ホリディは実に気持ちよく歌っており、どの曲も味わい深くムード満点だ。

彼女の歌声を聴いていると、渇いた土の匂いがしてくる。
アメリカ南西部の田舎町のそれだ。
砂埃が風に舞って通りを横切るように、彼女の歌が行ったり来たりを繰り返す。
そこにはどこか日本の演歌にも通ずる郷愁が漂ってくる。
演歌が好きな人は、この侘びしさや哀愁感がたまらないのだろう。
アメリカ人も、彼女の歌からきっと私たちにはわからない匂いを嗅ぎ取っているのではないかと思う。
そんなことを思いつつ、一気に最後まで聴き通した。
また最初から聴きたいという思いが募った。
こんなことは最近あんまりないなぁと思いつつ、もう一度針を乗せた。







TROJA 「Island Sceneries」

2009年09月08日 | Piano/keyboard

実に清々しい秋の一日だ。
青空と白い雲と、窓から入り込んでくる風が絶妙な心地よさを運んでくる。
こんな日は年に何回もない。何だかもったいないくらいだ。

一昨日までは関西~中国地方にいたのだが、向こうはやたらと暑く、行った日が今日のような天気だったらよかったのにと、ちょっとだけ残念に思っている。
中国地方の山間部を車で走っていると、見事な棚田の風景に出会った。
どうやらここも日本の棚田百選に選ばれている土地らしい。看板には「日本一の面積を誇る」と書かれていた。
正に刈り取り寸前だったので、棚田が一番きれいに見える時だった。
ここの棚田はところどころに民家があり、あちこちで落ち葉を燃やす煙が天に昇っていた。
車を降りてしばらく歩いていたら、野良着を着たおじいさんとおばあさんが、家の前でせっせと刈り取りの準備をしていた。
そのおじいさんと目があったので、思わず「精が出ますね」と声をかけた。
おじいさんは「ああ」といって、年季の入った皺をさらに深くした。
傍らにいたおばあさんもにっこりほほえんでくれた。
たったこれだけのことだが、声をかけて良かったと思った。

私は今、Trojaの「Island Sceneries」を聴いている。
今日のような日には、こんな爽やかなピアノトリオがふさわしい。
彼らの演奏にはちょっと寂しさも入り込んでいて、何だか胸がキュンとしてくる。
とにかく切なくなるような美旋律の連続で、私のようなピアノトリオ好きにとってはたまらない出来映えになっている。
まだという方はぜひ聴いていただきたい。最近の隠れた名品だ。

ラストの「home」という曲がかかった。
あの棚田の風景を思い出しながら目を閉じてみる。
優しいメロディが身体の中をスーッと通り過ぎていく。
まるで風になった気分だ。






TAL FARLOW 「Autumn in New York」

2009年09月03日 | Guiter

秋になれば秋の曲を聴く。
下町の鄙びた居酒屋に入って、真っ先にもつ煮込みを頼むのと似ている。
日本に生まれて何が良かったって、そりゃあ、美しい四季があるからだろう。
四季があるから、それに合わせる暮らしが形成され、いつの間にか文化が生まれる。
但し、最近はその季節感が乏しくなってきた。
秋の代名詞だった柿の木や銀杏の木など、実を付ける木は厄介者扱いされ、根こそぎ切り倒されている。
街路樹もメンテのしやすい常緑樹が植えられ、まちを歩いていても今が春なのか秋なのかすら実感できないなんてこともしばしばだ。
片やスーパーに入ると季節外れの野菜や果物、魚介類が所狭しと並んでいる。
いったいどれが旬のものなのかがわからない。
だから季節に対しての関心も低くなる。
これでは日本特有の文化を理解できない人ばかりが増えてしまう。
本当にこれでいいのだろうかなどと思いつつも、自分もついつい買ってしまっていることが情けない。

それはそうとこのアルバムは、間違いなく今が旬だ。
録音も1954年の秋。
リーダーのタル・ファーロウのすばらしさはさておき、まずこのリズム陣がつくり出す粋な音に酔いしれるべきである。
特にレイ・ブラウンのベースとチコ・ハミルトンのドラムに注目してもらいたい。
いつになく軽快でメロディアスなレイ・ブラウン。ベースの第一人者としての本領発揮である。
そして安定感たっぷりで実に品のいいチコ・ハミルトンのブラシ。
おそらくブラシを持たせたら、彼以上の人はいないのではないかと思えるくらいのタッチに魅せられる。
二人とも何も派手なことはやっていないのに、純粋なバックに徹していながらも存在感たっぷりなのである。

タル・ファーロウがつま弾くギターも、テクニックを超えた味わいがそこにある。
これこそジャズギターの本道といえるものだ。
例えば表題曲の「ニューヨークの秋」。1本1本の弦が震える音に、都会の哀愁が漂っている。
またハイスピードで疾走するラストの「チェロキー」では、チコ・ハミルトンとのコンビネーションが見事である。

ジャズギターのアルバムは、ホーンアルバムと比べて地味になりがちだが、その分感情移入しやすいような気がしている。
音そのものが何となく現実的・日常的な雰囲気を醸し出すのである。
だから季節も感じやすい。
私は季節を感じる作品が好きだ。