SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

NAT 'KING' COLE 「AFTER MIDNIGHT」

2007年09月27日 | Vocal

ポピュラー音楽界にはどの時代にも最高のエンターティナーと呼ばれるスーパースターがいた。
30年代後期~40年代前期はビング・クロスビー、40年代後期~50年代前期はフランク・シナトラ、50年代後期はエルヴィス・プレスリー、60年代はビートルズといった具合だ。
こうした人たちの歌声は今私たちが聴いても少しも古びてはいない。
ナット・キング・コールも同様だ。時代的にはフランク・シナトラと被っているが、正に双璧といってもいいくらいの人気者だっだ。
ピアノの腕だって超一流で、それだけでも充分有名な存在になった人だろうと思う。事実彼の弾き語りスタイルはその後のミュージシャンに多大な影響を与え続けている。
但しポップス系の歌も多く、「あれっ、この人ジャズシンガーだったっけ?」と思う人もいるだろう。私も彼の歌声を聴いているとジャズを聴いているという感覚が薄れていくことに気づくことがある。要するに気楽なムード、リラックスできる甘さがジャズが持つ特有の苦みを消しているのである。
このアルバムは彼が発表した作品の中でもジャズアルバムの最高傑作として名高いものだ。
しかしこの作品でさえ、聴いているうちにポピュラーミュージックを聞く耳になっていくのがわかる。決して悪い意味ではないが、これが嫌だという人もいるだろう。それを否定はしないが、それがナット・キング・コールの真骨頂であり、この部分を外しては彼の偉大さが理解できないはずだ。

個人的には軽快な5曲目の「IT'S ONLY A PAPER MOON」、ゆったりした6曲目の「YOU'RE LOOKIN' AT ME」、むせかえるようなラテンムード漂う7曲目の「LONELY ONE」、この3曲が大好きだ。いつもこの3曲を聴いて満足している。
バックはスイング系の大ベテランで占められている。
吹き込まれたのは56年だが、これをモダンジャズといえるかどうかは微妙だ。これこそジャンルを超えた傑作なのかもしれない。ジャズファン以外の方にもお薦めしたい作品である。

BUD POWELL「The Scene Changes」

2007年09月25日 | Piano/keyboard

モダンジャズを代表するピアノトリオ作品である。これを知らないジャズファンがいたらお目にかかりたいくらいだ。
何といっても1曲目の「Cleopatra's Dream」が超有名だが、最近若いピアニストがこのアルバムの曲をいくつもカバーしているのを聴いて、改めてこの作品のすごさを感じている。
特にカーステン・ダールがアルバム「MINOR MEETING」で弾いた「Down With It」や「Danceland」には参った。いかにも北欧のピアノといったひんやりしたタッチと透明感がこれらの曲をさらに魅力的に響かせたのである。変にひねくり回さず、バド・パウエル本人のように弾いたのも良かったのだ。
これによってこの「The Scene Changes」というアルバムの価値は大いに上がったように感じている。

考えてみればこのアルバムに収録されている曲は、硬派ながらどの曲も愛すべき旋律を持ったものばかりだ。
2曲目の「Duid Deed」もいかにもバド・パウエルらしいメロディだし、8曲目の「Gettin' There」なんかも恐ろしくいい曲だ。しかししかし、極めつけは4曲目の「Borderick」なのだ。
こんな優しくも楽しいパウエルは後にも先にも存在しない。単純なメロディの繰り返しに終始するこの曲が、このアルバムのイメージを決定づけている。

このアルバムが吹き込まれた時期はバド・パウエルの絶頂期ではない。
絶頂期における彼の演奏はもっと鬼気迫るものがあり、とてもこんな優しげな表情は見せなかった。この時期の彼は心身共にボロボロ状態だった。絶頂期には簡単に弾けたハイスピードの装飾音ももつれ気味で、とてもスムースとは言い難い。
しかしその分人間的で感情移入しやすいのもこの作品の大きな特徴なのである。

ほら、あなたもまたこのアルバムを聴きたくなってきたでしょう?
今夜はみんなでバド・パウエルの優しさにじっくり包まれてみることにしませんか。

CHARLIE ROUSE 「Soul Mates」

2007年09月23日 | Tenor Saxophone

これはジャズファン必聴!と声を大にしていいたい作品だ。
何がすごいか、まずCDをセットして聞こえてくる疾走感のあるベース・リフとシンバルが魅力的なドラムス、そして「ブリッ!、バリッ!」と張り裂くようなバリトンの重短音だ。これを聴いて痺れない人とはジャズ友だちにはなれそうもない。
その後もチャーリー・ラウズの流れるようなテナーとサヒブ・シハブのバリトンのバランスいい掛け合いが続く。ウォルター・デイヴィスのピアノも実に快調だ。
そんなわけで1曲目の「November Afternoon」から拍手喝采を贈りたい。

この1曲目以外にもこの作品は魅力的な曲が数多く取り上げられている点も見逃せない。セロニアス・モンクやレイ・ブライアント、エルモ・ホープ、マル・ウォルドロン、オスカー・ペティフォード、タッド・ダメロンなどの名曲が納められている。そのどれもが推薦曲にしたいほどの出来映えだ。クラウディオ・ロディッティのトランペットもいい。
またこの作品には私の大好きな「Dida」も収録されている。これはサヒブ・シハブ一世一代の名曲だ。サヒブ・シハブの名作「The Danish Radio Jazz Group」での緊張感あるアンサンブルも見事だったが、ここでは肩の力を抜いて演奏されている。ここにベテランの味を感じるのである。

チャーリー・ラウズやサヒブ・シハブ、ウォルター・デイヴィスといえば地味ながら大変な実力者で、この時既に円熟の境地に達していた人たちだが、このアルバムが発表されたすぐ後でチャーリー・ラウズが癌のために亡くなり、翌年にはサヒブ・シハブが、またその翌年にはウォルター・デイヴィスが後を追うように亡くなっている。何とも皮肉なものだ。しかしそれだけにこの作品の重みが増してくる。死ぬ直前にもこんなすごい作品を残せた3人にこれまた拍手喝采だ。
こんな彼らの演奏を聴いていると、死んでも残る仕事をしなければとつくづく思うのである。

TONU NAISSOO TRIO 「With A Song In My Heart」

2007年09月22日 | Piano/keyboard

エストニアと聞いて何を連想するか。
何も浮かばない。ソビエトから独立した国だったような気がする以外何も知らないのだ。
場所もよくわからないし、エストニアへ旅行したという人にも会ったことがない。
それなのに私はこのトヌー・ナイソーというエストニア人の演奏を聴いている。何か不思議な気分だ。
この感覚がヨーロッパジャズの隠し味なのだと思う。
もちろんアメリカのことをよく知っているわけではない。ただアメリカにはヨーロッパのような神秘性がないだけなのだ。
コンテンポラリーなジャズにはこういった神秘性が必要だ。それを感じるようになったのはECMレーベルが設立されて以後のことではなかったかと思う。見知らぬ国への憧れやジャンルを超えた音の広がりの中に、それまでのジャズにはなかった快感を得ることができるようになったのだ。

それにしても澤野工房はこういった隠れた才能を発掘するのがうまい。次から次へと見つけてきてはアルバムを発表していく。
しかし知らないジャズメンだからこそ、購入するにはそれなりの勇気がいる。
私がこのアルバムを購入したのは、1曲目の「ISN'T IT ROMANTIC」の出だし部分が気に入ったからだ。
この曲はビル・エヴァンスなどの演奏でよく知っていたが、ここでのイントロはこの曲のベストだと思っている。曲が持つ優しさやロマンチックな雰囲気をうまく表現しているように感じるのだ。
曲全体の出来でいえば2曲目の「MY FAVORITE THINGS」や4曲目の「WITH A SONG IN MY HEART」、ラストの「IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING」あたりが秀逸だが、個人的にこの作品は「ISN'T IT ROMANTIC」のテーマ導入部が私にとっての全てなのである。
出だしよければ全てよし、それを絵に描いたような一品である。

RED MITCHELL 「SOME HOT,SOME SWEET,SOME WILD」

2007年09月19日 | Bass

愛すべきウエストコーストジャズのB級盤である。
ではA級盤とはどんな作品かということになるが、ウエストコーストジャズに関していえばそのほとんどがB級盤であることに気がつく。つまり誰もが認めるような「超有名盤」がないのだ。
かろうじてアート・ペッパーやジェリー・マリガン、スタン・ゲッツなどがそれに近いものを出してはいるが、どうも決定打がない。しかしこのことが返ってウエストコーストジャズの面白さを引き立てているように思う。
ウエストコーストのジャズメンたちは全員まとめて一つといった印象が強い。要するに個人の人気で支えられてきたものではないということだ。
その典型なのがこのアルバムである。

メンバーがずいぶんと渋い。リーダーのレッド・ミッチェル、トランペットのコンテ・カンドリ、サックスのジョー・マイニ、ピアノはハンプトン・ホーズ、ドラムスはチャック・トンプソンである。このメンバーだけ見たらとても商業的に成功するとは思えない。しかしベツレヘムというレーベルはウエストコーストジャズの特性を熟知していた。決してジャズメンの名前で売ろうとはしなかったのだ。大切なのは西海岸ならではのムードと軽快さ、そして堅実さである。
「Jam For Your Bread」における2管のハーモニー、「Duff」におけるハンプトン・ホーズの軽快さ、そして「I'll Never Be The Same」や「You Go To My Head」でのミッチェルらしい余裕のある強靱なベースソロ、そのどれもが私の心にフィットする。
やはりこれは愛すべきB級盤だ。



WYNTON MARSALIS 「STANDARD TIME Vol.1」

2007年09月18日 | Trumpet/Cornett

どうしても名前に引きずられる人だ。
ウィントン・マルサリスというだけで、何か聴く前から過剰な期待を持ってしまうのは私だけだろうか。
そのせいもあって今まではがっかりさせられたことも何度かあった。駄作が多いということでは決してない、期待し過ぎる私が悪いのだ。
まぁそれだけ彼の名がビッグネームになってしまったということなのだろう。
ジャズの専門誌などを見ると、ウィントン・マルサリスはマイルスやコルトレーン、ビル・エヴァンスなどと肩を並べる現代の巨人として扱われている。しかしいったい彼のどこがそんなにすばらしいのかをきちんと話せる人は少ないのではないかと思う。

彼の一番の功績は、80年当時メインストリームジャズがフュージョンの台頭によって書き換えられようとする動きを阻止したことである。
彼はジャズのリスナーに対して、ストレートな4ビートジャズの良さを強くアピールした若きヒーローだった。その呼びかけにみんなが応え、ストレートジャズが現代に再度受け入れられるようになったのだ。
そうした意味でも彼はジャズ界にとって救世主のような存在だった。
しかし彼は単にオーソドックスなジャズを演じているわけではない。彼の音楽はかなり実験的で挑戦的だ。
このアルバムの2曲目に入っている「April In Paris」を聴いてほしい。彼が吹くテーマとバックのリズムが時間が経つに連れ次第とずれていくことに気づくだろう。これは間違いなく計算済みの行為である。ラストにはまたピタリと合うのだから、いかにコントロールされた演奏であるかがわかる。こうした新しい試みが彼の評判を普通以上の人間にしているのだ。

ウィントン・マルサリスといえばインテリで有名である。ジャズの歴史や楽器の能力、音楽理論等を可能な限り分析し、そこから新たなミュージックシーンを創り出そうとする意欲が見てとれる。演奏の能力も桁外れだ。とにかく努力の人なのである。
ジャズの巨人といわれた人たちはそのほとんどが過去の人だ。となると彼に託された期待と責任は限りなく大きい。それを一番感じているのは彼本人だろう。がんばってほしい。

LARS JANSSON TRIO「hope」

2007年09月14日 | Piano/keyboard

ラーシュ・ヤンソンは北欧のジャズの立役者である。
これまで数多くの作品を発表しているベテランだが、その音楽性は常に純粋で創造性溢れるものだ。よって日本にも多くのファンを持つ。私もその一人だ。
この作品は彼にとって通算9枚目のもの。デンマーク・グラミー賞を受賞した作品ということもあってかベストセラーを記録した人気作である。
全体の印象は心安らぐ大人のピアノトリオといった感じである。
どの曲も美しいメロディラインを持っているが、決して哀しみに満ちた旋律ではない。小さな喜びをかみしめるかのような明るい印象を持つ。どちらかというと休日の朝にコーヒーでも飲みながら聴くのが似合っている。
しかしこうしたピアノトリオはじっくりつきあっていかないとなかなかその良さがわからないかもしれない。ちょっと聞き流しただけではあまりに自然に通り過ぎていってしまいそうなのである。だからといって「よし、聴いてやろう」と意気込む作品でもない。この辺りが大人のピアノトリオと形容した根拠だ。子どもにはわからない。

1960年代、デンマークのコペンハーゲンにアメリカのジャズメンたちが続々と押し寄せてきた。有名なところでいえばベン・ウェブスターやケニー・ドリュー、デクスター・ゴードン、サヒブ・シハブ、ジョニー・グリフィンといった人たちだ。この人たちはコペンハーゲン・ジャズ・フェスティバルに出演するためであったが、そのうちに多くのミュージシャンがこの地に移住することになって、北欧にジャズ人気が生まれた。だから純粋な北欧ジャズが生まれたのはそれ以後のことのようだ。もちろんスヴェン・アスムッセンのような往年の名プレイヤーもいたことはいたが、火がついたのは70年前後のことだろうと思う。

北欧ジャズにはアメリカジャズにはない透明感があった。北欧ジャズを流すと空気まで澄んでくるように感じた。昨日ご紹介した「A Night at Birdland」などとは対極に位置する音だ。だから私はアメリカジャズとは全く違うムードでそれらを聴く。つまりジャズの楽しみ方が北欧ジャズによって幅広くなったと捉えている。
そんな嬉しさを運んできてくれたのがヤン・ラングレンであり、このラーシュ・ヤンソンだった。
私はそんな彼らに感謝の気持ちでいっぱいだ。

ART BLAKEY 「A Night at Birdland」

2007年09月13日 | Drums/Percussion

このアルバムはハードバップが誕生する瞬間を記録した重要な作品である。
この日バードランドのステージに立ったのは、リーダーのアート・ブレイキー(ds)、若き天才クリフォード・ブラウン(tp)、パーカー直系のルー・ドナルドソン(as)、優れたコンポーザー&バンドリーダーで知られるホレス・シルヴァー(p)、名手カーリー・ラッセル(b)だった。
ピー・ウィー・マーケットの甲高い声による挨拶とメンバー紹介の後、いよいよ歴史的な演奏が始まる。まるでボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチが行われるような興奮と臨場感でいっぱいだ。このMCの紹介をしっかりレコードに刻みつけたセンスに敬意を表したいと思う。
曲は「Split Kick」。ソロはドナルドソン~ブラウン~シルヴァー~ブレイキーの順でとられるが、最後のブレイキーのドラムソロはやはりすごい。人によっては好き嫌いが分かれるとは思うが、「ナイアガラ」と称された豪快なロール演法などは彼ならではのものであり、決して他のドラマーが真似できる芸当ではなかった。
続く「Once in a While」はブラウンの魅力がたっぷり味わえるスローナンバーだ。
私はクリフォード・ブラウンといえばこの演奏が一番最初に思い浮かぶのだが、ラストの見事なカデンツァを含め、これはファンならずとも痺れる演奏である。
またブレイキーはこうしたバラードにおいてもすばらしいサポートをするドラマーである。私たちはそのへんのプレイも聞き逃してはいけない。
このアルバムのハイライトは何といっても「A Night In Tunisia」である。10分近いこの熱演が私たちに新しい時代の到来を感じさせたのだ。デイジー・ガレスピーが作曲したこのエキゾチックな曲は、アート・ブレイキーとその仲間たちにとって最も自己表現しやすいメロディだったに違いない。事実、全員が火の玉のように燃え上がって演奏している様子が伝わってくる。特にラストの短いテーマ部分は震えがおきるくらいの出来映えだ。

以前、ブルーノート1500番台で一番早く購入したのがこのアルバム(Vol.1とVol.2)だとご紹介した。当時の私(学生の頃)にとってジャズは正にこのバードランドの夜の出来事が全てだった。このレコードは大音量でもう摺り切れるほど聴いた。そのせいで周りからよく「やかましい!」と叱られたものだ。そんなことを思い出しながらも、死ぬまで聴いてやるぞと決意を新たにしている。

JACO PASTORIUS 「JACO PASTORIUS」

2007年09月12日 | Bass

時々無性に聴きたくなるジャコの神業ベース、聴いてみるといつも新鮮だ。
この作品はチャーリー・パーカーの名曲「Donna Lee」で幕を上げるが、いきなり身体が硬直するくらいのすさまじいベース・ソロが展開される。
最初にこれを聴いたのはこのアルバムが発売されてまもなくの頃だったが、正にベースの概念を吹き飛ばすギターソロのような早弾きでぶっ飛びまくりだった。パーカーもまさか自分の書いた曲がこんな風に演奏されるとは思っても見なかったであろう。誰もがジャコの演奏を聴いて新しい時代がやってきたと思ったに違いない。
「Donna Lee」が終わると同時にすぐさま2曲目の「Come,On Come Over」がスタートするが、当時はこの受け渡しの妙技にも狂喜乱舞した。ぞくぞくするとはこの感覚を差すのではないかと思えたくらいだ。とにかくエレクトリック・ベースのフレーズがカッコイイと思ったのはこの時が初めてだ。

当時私はチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバー(RTF)にはまっていた。
このジャコ・パストリアスと同じくらいに度肝を抜かれたベーシストはそのRTFのスタンリー・クラークだった。エレクトリック・ベースの早弾きに関していえば、スタンリー・クラークもジャコに負けてはいなかった。ただスタンリー・クラークのアドリヴはジャコのように歌い上げるようなスタイルにはなっていなかった。ここに決定的な差があったのだ。
この時ジャコはウエザー・リポートに在籍しており、次々と新しい音楽を創り上げていった。またそんな彼に憧れて多くの新しいベーシストが誕生した。その代表格がマーカス・ミラーである。
マーカス・ミラーはマイルスバンドに招かれ、こちらも数々のヒットを生み出してゆく。ジャコは35才という若さで既に亡くなってしまったが、彼の魂は多くの人に受け継がれているというわけだ。

考えてみれば天才は本当に短命だ。正に一瞬のうちに燃え尽きたといっても過言ではない。
これは天才ジャズメンの宿命なのかもしれない。しかしジャズ界はこのジャコ以来、そうした天才を生み出していないような気がしている。もちろん長生きすることは悪いことではない、しかし素直に喜べないことも否定できない事実である。

AHMAD JAMAL 「BUT NOT FOR ME」

2007年09月11日 | Piano/keyboard

音数の少ないピアニストだ。この微妙な「間」を何と表現したらいいのだろう。
この弾き方に惚れ込んだマイルスが、自分のグループに誘い込んだという話は今さら私がいうまでもないくらいに有名だ。
マイルスは最低限の選び抜かれた音で演奏したかったのだ。これがビバップからの脱却につながる演奏方法だと思ったに違いない。そうしたインスピレーションをこのアーマッド・ジャマルから得ていた。
ということはジャマルがいなかったらジャズ史が変わったといっても過言ではないのだから彼のことはもっともっと評価していいはずなのに、なぜか彼を知らない人が多い。いったいこれはどうしたことだろう。
別にジャズ史なんかを勉強する必要などは全くないが、これだけユニークな感覚のピアニストなのだからジャズファンたるもの知っていなければ損をするというものだ。ぜひじっくり聴き込んでいただきたい。

ジャマルは結局マイルスの誘いを断った。聞くところによればツアーに明け暮れる生活が嫌だったからということらしい。マイルスは仕方なく代役を捜し、見つけたのがレッド・ガーランドだったわけだ。
しかしマイルスは諦めきれず、このガーランドにジャマルの弾き方を研究するようにと強い指示を出している。そのせいか、ガーランドとジャマルには驚くほど似ている点がある。高音域での美しいシングルトーンと重厚なブロックコードによる弾き方である。どちらもジャズピアノの最も魅力的な部分ではある。ただ音数の少なさでジャマルはガーランドのようにカクテルピアニストなどとは呼ばれない存在だった。つまりガーランドの方がより庶民的なピアニストだったということなのだ。

このアルバムはパーシング・ラウンジというライヴハウスで録音された最もポピュラーな作品だ。
ここはアーマッド・ジャマルのホームグラウンドともいえる場所だが、ここにマイルスは入り浸ってよくジャマルの指先をじっと見つめていたらしい。そのことをジャマルも知っていてずいぶんやりにくかったといっている。
こうしたエピソードがジャマルを普通のピアニストではないというような評判をつくっていく。
これが果たして彼のためになったのだろうか。
彼の演奏を聴くたびに、彼もまた自分の望む想いとは別な生き方をしなければならなかった寂しい人なのではないかと感じてしまうのだ。