SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

TILL BRONNER 「OCEANA」

2008年01月27日 | Trumpet/Cornett

正直言って聴く前は彼の存在を低く見ていた。
何となく今風の軟弱な流行り音楽のような気がしていたのだ。
正しく食わず嫌いってやつだ。
大体ジャケットがいけない。これではジャズを聴くぞというモチベーションが下がる。クリス・ボッティらと同じ路線で売り出そうとするヴァーヴの下心だけが見え見えなのだ。
ティル・ブレナーのルックスやファッションもイマイチ気に食わない。こういうモデルのような人が本物のジャズをやれるのかという疑念も生まれる。まぁこれもやっかみ半分だ。

ティル・ブレナーをスムースジャズのアーチストだという人もいるだろう。
確かにメロウな雰囲気が全編に渡って流れていて、実に聴き心地がいい。
但し、よく聴いてみると彼が醸し出す雰囲気はむしろチェット・ベイカーに近いことがわかる。
彼のトランペットからはアンニュイでどこか冷めたようなムードが漂う。ヴォーカルもまた然り。
この作品にはカーラ・ブルーニやマデリン・ペルー、ルチアナ・スーザといったノラ・ジョーンズ系のヴォーカリストをゲストで招いているからますます都会的な感覚が増幅されている。

彼のミュート・トランペットはマイルスをも彷彿とさせる。
どちらかというと曲のテーマ部分をメロディアスに吹ききるタイプではあるが、マイルスに似た独特の哀愁感が全体を包み込んでいる。
考えてみればチェット・ベイカーもマイルス・デイヴィスもその時代を象徴する音を創り出していた。
そういう意味でティル・ブレナーのこの作品も今の時代を的確に表現していると思うのだ。
半ば諦めかけている時、遠くに一筋の光を見つけまた歩き出す。私はこのアルバムを聴くといつもそんな風に感じてしまう。
ウイリアム・クラクストンはこのアルバムを聴いて「海のような音楽だ」といったそうだ。確かにそんな風にも感じる深さである。
やはりこれは純粋なモダンジャズなのだ。


ABBEY LINCOLN 「That's Him」

2008年01月25日 | Vocal

何はともあれバックのメンバーがすごい。
ソニー・ロリンズ(ts)、ケニー・ドーハム(tp)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、マックス・ローチ(ds)。
録音されたのが1957年だから、ロリンズはじめ全員の絶頂期である。だからこのアルバム、悪かろうはずがない。
考えてみればロリンズがこの時期にこうして歌伴を務めるなんてあまり聞いたことがない。
彼はもともとフロントに立つのが似合う人で、その豪快さから誰かの盛り上げ役になるなんてちょっと想像しにくい部分があるのだが、このアルバムを聴くとそれがいかに偏見であるかがわかるのだ。
どの曲もこうしたスーパーなバック陣に支えられて聴き応え充分のアルバムに仕上がっている。

さて主役はアビー・リンカーンである。マックス・ローチの奥さんだった人だ。
本名をアンナ・マリー・ウールドリッジという。このアルバムが発表される数年前には、キャビー・リーという名で歌っていたそうだが、1956年にアビー・リンカーンという名に替えたらしい。何とアメリカ初代大統領の名を拝借したのだ。
このことからもわかるように彼女は強い政治的思想を持った人だった。
マックス・ローチと結婚したのも、ローチが人種差別と徹底的に戦っていた姿勢に共感したためだと聞く。
こうした背景は彼女の歌い方にも影響を与えているように感じる。
どこかビリー・ホリディのようであり、ニーナ・シモンのようでもある。
上記の二人ほど重苦しくはないが、彼女の歌にも情念を感じるのだ。ゴスペルっぽい部分もある。

有名なのは1曲目の「Strong Man」かもしれないが、個人的にはラストの「Don't Explain」が好きである。
押し殺したようにつぶやくリンカーンもいいし、ドーハムのソロにも惹かれる。ついでにポール・チェンバースの替わりに弾いたというウィントン・ケリーのベースが単調ながら印象的だ。
何かと話題に事欠かない希有な作品である。


THE OSCAR PETTIFORD ORCHESTRA 「DEEP PASSION」

2008年01月22日 | Group

オスカー・ペティフォードと聞いただけで何だか背筋がピンと伸びる。
彼くらいのビッグネームになると自然と敬意を払わずにはいられないような気になるから不思議なものだ。それこそ貫禄勝ちである。
そんな彼が当時の人気者を集めてオーケストラをつくり一大傑作を残した。それがこの作品だ。
参加している豪華なメンバーは以下の通り。
オスカー・ペティフォード(b,cello,ldr)、ジジ・グライス(as,arr)、アーニー・ロイヤル(tp)、アート・ファーマー(tp)、ケニー・ドーハム(tp)、レイ・コープランド(tp)、ジミー・クリーヴランド(tb)、アル・グレイ(tb)、ジュリアス・ワトキンス(frh)、ラッキー・トンプソン(ts)、ジェローム・リチャードソン(ts,fl)、ベニー・ゴルソン(ts)、サヒブ・シハブ(bs)、トミー・フラナガン(p)、ベティ・グラマン(hrp)、ディック・カッツ(p)、オジー・ジョンソン(ds)、etc
たぶんペティフォード親分、鶴の一声で招集されたのだろう。そうでなければこれだけのメンバーが一堂に揃うことは難しかったはずである。

曲は必ずしもビッグバンド特有のものではない。むしろスモールコンボで取り上げられる機会の多い曲ばかりである。
要するにビッグバンド形式でありながらかなりファンキーな感じで聴けるということであり、そうした意味においてもビッグバンド初心者の私にはもってこいのアルバムだっだ。
とにかくどの曲もアレンジが効いている。アレンジャーはジジ・グライスであったり、ラッキー・トンプソンであったり、ベニー・ゴルソンであったりするが、エリントン楽団やベイシー楽団などのようなコテコテのビッグバンドとはひと味違った爽快感がある。全編に渡ってペティフォードの躍動感溢れるベースが利いているせいでもあろう。

このオーケストラの決定的な特徴はペティフォードの弾くチェロやベティ・グラマンのハープ、といったジャズに馴染みの少ない楽器を上手く導入していることだ。「I REMEMBER CLIFFORD」や「LAURA」などの優雅さは他に類を見ない。
とにかく大音量で聴いてほしい。身も心も生き生きしてくる自分に会えるはずだ。


ERROLL GARNER 「CONCERT BY THE SEA」

2008年01月21日 | Piano/keyboard

このアルバムは学生だった頃から聴いているから、優に30年を超える愛聴盤だ。
ジャズファンならほとんどの人が知っている有名盤である。
まず「コンサート・バイ・ザ・シー」というアルバムタイトルがいい。何だかとても覚えやすいのだ。
それとこのジャケットだ。最初見たときは「ふ~ん、こんな写真もジャケットになるんだ」と思ったことをぼんやり覚えている。女性のポーズがいかにも50年代のアメリカ的ではあるが、こんな海岸なら私のまちの近くにもある。このギャップにちょっとした違和感を感じたのだと思う。
そして何をさておきエロール・ガーナーの底抜けにハッピーな演奏だ。観客を1曲目からグイグイと自分の世界に引き込んでいく。彼のピアノからは何かオーラが出ているみたいだ。
彼の演奏を演芸ジャズとか称して低く見ている輩も多いようだが、ジャズそのものが大衆音楽だと割り切ると、彼こそジャズの神髄に思えてくるのである。

エロール・ガーナーは4曲目に「枯葉」を取り上げ演奏している。
このコンサートは1955年の時の録音だから、マイルスが取り上げる3年も前のことになる。多くのジャズメンがこの曲を取り上げているが、ここでの演奏も名演の一つに挙げられるはずだ。実にダイナミックで見事な曲の解釈である。これを聴いて誰が品のない演芸ジャズというのだろうか。
このアルバムはライヴ盤だから当然のことのように後半になればなるほど熱気が帯びてくる。
観客も演奏者もノリノリ状態だ。会場全体が溢れんばかりの笑顔に包まれていることが手に取るようにわかる。充実感で満たされているのだ。これがエンターティナーとしてのガーナーの力量だろう。

私は彼のピアノタッチが大好きだ。
普通の人より椅子を高めにセッティングし、かなり上の角度から優しく転がるように鍵盤を弾く。
彼の目線はいつもその鍵盤でなく周囲に注がれている。しかも満面の笑みを浮かべていかにも楽しそうに弾くのだ。
この大らかさと人なつっこさが彼最大の魅力なのである。


FREDDIE HUBBARD 「blue spirits」

2008年01月16日 | Trumpet/Cornett

フレディ・ハバードはブルーノートが似合う人だ。
「Open Sesame」がそうだったように、ジャケットのダブルトーンはこの色の組み合わせこそ彼なのだと思う。しかも彼の場合は横顔の大写しが多い。ここに撮影したフランシス・ウルフの鋭い眼力を感じる。
この表情の奥に何が隠されているかは、音を聴けばある程度理解できるかもしれない。
一言でいってしまえば内向性の強い音なのだ。
このある種の寂しさは単純に曲想がブルージーだからという表現で片付けるわけにはいかない。それは彼の人間的な本質から滲み出てくるものだと思いたい。
彼はもともと吹きまくるタイプのトランペッターである。にもかかわらずここではあまり熱っぽさを感じない。
かといってクールに決めているわけでもなさそうだ。
全体の音の流れに身を任せて沸き上がるフレーズを無心に吹いているような気がする。
この音だけを聴くと、彼がフリージャズに走ったのも何となく頷けるのである。

昨日から本格的な冬になった。
窓の外は今朝から細かい雪が絶え間なく降り続いている。こんな日は家でじっくりジャズを聴くのがいい。
アンプのボリュームは10時方向。私は今、かなりの音量でこの「blue spirits」を聴いている。
音が小さいときにはあまり気にも停めなかったビック・ブラックのコンガがやたらと前に出てくる。しかもかなりアグレッシブなリズムである。
それとジェームス・スポルディングのフルートとアルトもなかなか前屈みで強烈だ。
どうやらこのアルバムの深い色は彼ら2人の存在にも大きく影響されているようだ。ここにメロディアスなハバードとジョン・ヘンダーソン、ハロルド・メイバーンらが絡む。構図としてはそんな感じなのだ。
ブルーノート・ファンにはこれもたまらない演奏だろう。

THE MARTY PAICH QUARTET「featuring ART PEPPER」

2008年01月13日 | Piano/keyboard

針を落としてすぐにわかるアート・ペッパーのアルト。
まるで目の前で吹いているかのようなリアル感がここでも発揮されている。生々しさと天才的なアドリヴ表現においては右に出るものがない。
この作品はアート・ペッパーのリーダーアルバムではないけれども、彼の代表作として位置づけてもいい傑作だ。
有名なのは2曲目の「You and the Night and the Music」かもしれないが、私は5曲目の「Over the Rainbow」がお気に入りである。わざと短いフレーズに区切って表現する彼独特のフレーズに痺れてしまう。

リーダーはご存じマーティ・ペイチ。
アート・ペッパーとは旧友で数多くの共演盤がある。彼はピアニストであるが優秀な作・編曲家として有名だ。特に編曲の妙技は特筆すべきものがあり、以前ご紹介したメル・トーメの「SWINGS SHUBERT ALLEY」や自身の「踊り子」など、大編成のアレンジにも長けている。
ペッパーの天才肌とは少々意味が違うが、彼もまた与えられた天性を見事に開花させているジャズメンなのである。
但しこのアルバムはカルテット形式だから、編曲もさることながらどちらかというと演奏そのものに力を入れているように聞こえる。
よく聴いてみると、ペイチのピアノは実に柔らかく暖かい音を奏でている。まるで全てを包み込むかのようだ。
そんな彼のピアノに後押しされてペッパーが伸び伸びと吹奏している様が見てとれる。この関係が実にすばらしい。

ペイチと聞くと、とてもクールで知的なイメージを抱いてしまう。
どちらかというといつもは主役ではなく、舞台裏の演出家といった感が強いからだ。
私はそんな彼に憧れている。そんな生き方がしたいのだ。


COLEMAN HAWKINS 「THE HIGH AND MIGHTY HAWK」

2008年01月11日 | Tenor Saxophone

長いものに巻かれない中間派ジャズの精神が好きだ。
自分たちがやりたいジャズはこれなんだ、というかたくなまでの姿勢に共感できるのだ。まぁ伝統工芸の職人のような人たちが奏でるジャズだともいえる。
好きになったきっかけを作った作品は、ヴィック・ディッケンソンの「ショーケース」とボビー・ハケットの「コースト・コンサート」。こうしたアルバムのお陰で、それまでハードバップ系のジャズ一辺倒だった自分のジャズ観が変わった。
バック・クレイトンやルビー・ブラフもよく聴いた。
そしてこの大御所コールマン・ホーキンスの傑作「ハイ・アンド・マイティ・ホーク」を忘れるわけにはいかない。

出だしのバック・クレイトンとコールマン・ホーキンスの短いアンサンブルを聴いただけで嬉しくなる。
中間派が好きな人でないとなかなかわかってもらえないかもしれないが、この乾いた音の重なりが広大な大地を感じさせ、私をアーリーアメリカへと連れて行ってくれる。
演奏はここからホーキンスの見事なアドリヴに入る。よほど体調もよかったのだろう、彼はまるで全盛期のように快調に飛ばしていく。
この音を聴く限り、ホーキンスがモダンテナーのパイオニアであることを今更ながら思い知らされる。
続くアドリヴはハンク・ジョーンズのピアノからバック・クレイトンのトランペット、レイ・ブラウンのベースへと受け継がれテーマのアンサンブルに戻る。単純な構成ではあるが全員が貫禄充分だ。

命名したといわれる大橋巨泉さんには悪いが、「中間派」という呼び方には抵抗を感じることも事実である。
本場アメリカで呼ばれる「メインストリーム・ジャズ」の方がはるかに正しい表現だと思う。要するに樹木でいえば幹の部分だ。彼らがしっかりしていたから色んな枝葉が出ても倒れなかったのだ。
これからももっとど真ん中で聴こうと思う。



BOB BROOKMEYER 「AND FRIENDS」

2008年01月09日 | Trombone

夕焼けに染まる海辺のテラスなんかで聴いたら最高だろうなぁ、といつも思ってしまう。
とにかくメンバー全員が心に染み渡る演奏を行っている。

このアルバムは1965年の作品で、リーダーはボブ・ブルックマイヤー(tb)、そして彼の友人としてスタン・ゲッツ(ts)、ゲイリー・バートン(vib)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)らが迎え入れられている。
それぞれがリラックスムードで演奏しているのに、全員の息がぴったり合っているのはやはり実力者揃いだからだ。
特にスタン・ゲッツのテナーとエルヴィン・ジョーンズのドラムスが飛び抜けていい。
ゲッツのテナーは優しい男らしさに溢れている。
2曲目の「Misty」、5曲目の「Skylark」、7曲目の「I've Grown Accustomed To Her Face」なんかは何度聴いてもたまらない。夕焼けの空がブルックマイヤーのトロンボーンだとすると、潮騒がジョーンズのブラシ、吹き抜ける南風がゲッツのテナーだ。
そこに若々しさを感じるバートンやハンコックが絡んでいく。カーターのベースも強靱ですこぶる気持ちがいい。

ボブ・ブルックマイヤーとスタン・ゲッツは何度も一緒に演奏してきた所謂旧友である。
この二人の良好な関係がこの作品の中でもうまく生かされている。要するにこれは二人のリーダーアルバムといっても何ら差し支えない内容なのだ。
当時のゲッツはボサノヴァで大人気を博していた頃だけに、いかにも脂ののりきった感がある。ブルックマイヤーには申し訳ないがゲッツを聴くためだけに買っても損はしない。
とにもかくにもこの作品は、私にとって一服の清涼剤的なアルバムなのだ。

JOHAN CLEMENT 「ON REQUEST」

2008年01月07日 | Piano/keyboard

昨年暮れにオスカー・ピーターソンが亡くなった。
何だかんだいっても私は彼が大好きだった。あの巨体に溢れんばかりの笑顔、ダイナミックでハッピーでスインギーな演奏、彼こそキング・オブ・モダンジャズだった。

ヨハン・クレメントによるオスカー・ピーターソン曲集ともいえるこのアルバムは一昨年(2006年)に発売されたものだ。当然だがこの時ピーターソンは健在だった。しかし皮肉にも今となっては追悼アルバムのように聞こえてしまう。それくらいこのアルバムを聴くと、ヨハン・クレメントがオスカー・ピーターソンに寄せる思いの深さを感じるのである。

それはともかくこのヨハン・クレメントという人、なかなか器用な人だ。
普通オスカー・ピーターソンの曲を演奏すると、どうしても本人の超絶技巧と比べられてしまい萎縮してしまいそうだが、彼の場合そんなことは微塵も感じさせない。まるでピーターソン本人が弾いているように指さばきもスムースだし歌心もある。
但しピーターソン独特の節回しはクレメント流に昇華されていて微妙に表現方法が違う。うまくいえないが、このアルバムはオスカー・ピーターソンの現代版サウンドとでもいった方がいいのかもしれない。そういえばエリック・ティンマーマンというベーシストもどことなくレイ・ブラウンを意識しているように聞こえる。
アルバム全体を通して聴くと、スピード感溢れる曲もいい出来なのだが、4曲目の「When Summer Comes」や8曲目の「Noreen's Nocturne」で思わずジ~ンときてしまう。こういう表現がヨハン・クレメントの真骨頂なのかもしれない。

現代の正統派ピアノトリオを聴きたい人に強くお薦めする。
決して買って損はないアルバムだ。
ついでにジャケットデザインもこれくらいのシンプルさがお気に入りだ。