SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

EUGENE MASLOV 「AUTUMN IN NEW ENGLAND」

2009年03月20日 | Piano/keyboard

これは大推薦のピアノトリオだ。
1992年の録音だから決して新しいものではないが、以前から評判が高かったアルバムだったにも関わらず、絶対数が少なかったことと、それまでのジャケットに今ひとつ品がなかったため(だと思う)、いつしか市場からぱったりと消えてしまい、マニアの間では幻の名盤に数えられていた作品だ。
それが2007年になって、装いも新たに再発されたのが本盤である。
ジャケットが替わるだけで、こうもイメージが違うものかとただただ驚くばかり。
以前は紅葉した葉っぱで埋めつくされていたようなジャケットで、タイトルも安っぽい手書き風のものだった。
そのジャケットでこの演奏内容を想像することは難しい。中身はもっと穏やかで品のある演奏なのだ。
今回新たにつくられたジャケットが必ずしもすばらしいというわけではないが、前回のジャケットの雰囲気を踏襲しつつ、かなり中の演奏をイメージできるようになった。
私はこういうことが大事なんだと思う。つまりジャケットも演奏も録音も一体となった作品が望ましいと考えているのだ。

ユージン・マスロフはロシア生まれのピアニストである。
出すアルバムはどれもこれも質が高いものだ。まぁ通好みの人といっていい。
この人からは、まるでどでかいスピーカーのようなキャパを感じる。要するに生み出す音の広がりや余裕が、半端なピアニストとまるで違うのである。
ピアノタッチが柔らかいというのもその要因の一つかもしれない。
それとこのアルバムは録音のバランスがソフトでとてもいい。
気持ちよく伸びるベースと、やや奥に配置されたピアノとドラムスが、このジャケットにあるような静けさや侘びしさを盛り上げてくれる。
洗練されたジャズというのはこういうピアノトリオのことを差すのかもしれない。

今日のようなどんよりとした曇り空には、こういうジャズが似合っている。
静かな休日の朝である。




LISA EKDAHL 「Back To Earth」

2009年03月16日 | Vocal

いろいろな声の持ち主がいる。
特に女性ヴォーカルはこの声がいかに個性的であるかが生命線である。
私は新旧問わず女性ヴォーカルが大好きなのだが、最近は個性的な声のヴォーカリストが増えてきた。
その先頭に立っているのがダイアナ・クラールであり、ジェーン・モンハイトであり、ステイシー・ケントであり、このリサ・エクダールだ。
ダイアナ・クラールはかなり線の太い声だ。どこか投げやりな感じがいい。またところどころでハスキーな声になる時がある。これが一瞬クラッとくる原因だ。
ジェーン・モンハイトは全く濁り気のない澄んだ声の持ち主である。この清楚な感じがゴージャズな雰囲気を盛り上げてくれるので重宝している。
片やステイシー・ケントは可愛らしい声の持ち主だ。何ともカジュアルな感じが親近感を覚えさせる。まぁお隣のお姉さんという感じ。
そしてリサ・エクダール。
可愛らしさはステイシー・ケントと同じでも、彼女の可愛らしさは子どものようなそれである。小さな女の子がしっとりとした恋の歌を歌っているというギャップが彼女の持ち味なのだ。

私のCD棚にはリサ・エクダールのアルバムが4枚立っている。
内2枚は母国スウェーデン語でポピュラーソングを歌っているアルバムだ。この2枚からはほとんどジャズを感じない。
もっとも最近評判のメロディ・ガルドーやアンナケイからもほとんどジャズを感じないから、このへんはあんまり深く考えないようにしている。
が、このアルバムは違う。
ピーター・ノーダール・トリオがバックを務めているせいもあって、ストレートで実に魅力的なジャズ・ヴォーカルが聴ける。
静寂の中に響くリサ・エクダールのせつなくも幼い声。この声にはやみつきになりそうな毒性がある。

私はこのリサ・エクダールを聴いていると、いつもなぜか女優のレニー・ゼルウィガーを連想する。
この二人は可愛らしさの点で同類なのだ。
そういえばYouTubeに「I will be blessed」を椅子に座ったまま歌う映像がアップされているが、これを見て何も感じない男を私は信用しない。
こんな風に目の前で歌われたら私なんかもうイチコロだ。
もうどうなってもいい、なぁ~んて思ってしまうわけ。


MICHEL LEGRAND 「LEGRAND JAZZ」

2009年03月09日 | Other

ミッシェル・ルグランといえばやっぱり映画音楽。
「おもいでの夏」や「シェルブールの雨傘」は、いつだって鼻歌交じりに出てくるメロディだ。
当時のフレンチ・ムービーは実におしゃれだった。
特にシェルブールの雨傘の冒頭タイトルシーンは忘れられない。
くすんだシェルブールの港から石畳の路面へとカメラが45°に移動する。ちょうど真下を見るようなアングルだ。その石畳の上にやがて雨が降り出す。通る人は思い思いに傘を差し、足早に通り過ぎてゆく。
この色とりどりの傘が行き交うシーンは映画史に残る名場面だと思う。まるでバート・ゴールドブラッドの創り出す世界が動画になったような雰囲気だ。
ここにミッシェル・ルグランの甘いメロディがストリングスに乗せてゆったりと流れる。
映画が始まって僅か数分、もうここまで見れば充分だという気にさせられるくらいの出来映えだ。

ミッシェル・ルグランの音楽を聴くと、そういった意味において常におしゃれな映像が浮かんでくる。
この「LEGRAND JAZZ」もニューヨークを代表するジャズメンを寄せ集めて録ったにもかかわらず、まるでパリでミュージカルを観ているような感覚が味わえる。
ニューヨークを代表する面々とは言わずもがな、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ベン・ウェブスター、ハンク・ジョーンズ、アート・ファーマー、ドナルド・バード、フィル・ウッズ、ジミー・クリーヴランド、ハービー・マン、ポール・チェンバースなどである。
よくこれだけの面子を揃えることが出来たなと思う。
当時ルグランがいかに期待されていたアレンジャーだったかが、この顔ぶれを見てもわかるだろう。

アルバムは3つのセッションを1つにまとめたものであり、それぞれに味わいがあるのだが、ジャズメン個人にスポットを当てると、やはりマイルスの存在が群を抜いて光っている。マイルスはルグランの音世界をさらに広げる役目を果たしており、アルバムそのものの価値を上げている。
嘘だと思ったら「Django」を聴いてほしい。彼が吹くトランペットからは、雨に濡れた石畳と街頭に浮かび上がるヨーロッパの街並み、そこで繰り広げられる人間模様が見えてくる。
概してこういったアレンジ中心のジャズには批判も付きものだが、ここは素直な気持ちになって、そんな映画を見るような感覚で楽しめばいいと思う。
同じジャズのアルバムでも、それぞれに違った聴き方というものがあるということだ。





MARCIN WASILEWSKI TRIO 「January」

2009年03月04日 | Piano/keyboard

この一週間はほとんど家にいなかった。
週の前半は岩手まで出かけていたのだが、片道だけでも優に半日は列車に揺られていた。
以前は長時間列車に乗っているのが苦痛だった。じっとしているのが耐えられなかったからだ。
しかし今は違う。それなりに楽しめるようになってきた。
好きな本を取り出してはそれを読み、眠くなったら寝る。駅弁も楽しみの一つだし、iPodを聴きながら移りゆく外の景色をぼんやり眺めるのもいいものだ。

出かけるときは秋田経由で岩手県に入った。
秋田までは海が見える景色が続く。私はiPodの中から最近手に入れたこのアルバムを選びスタートボタンを押した。確か鳥海山の麓に差しかかった頃だったと思う。
マルチン・ヴォシレフスキーの何とも静かで穏やかでピアノが、海沿いのひなびた風景によくマッチしていた。
彼のピアノはキース・ジャレットから灰汁を取ったような清々しさだ。
或いはトルド・グスタフセンのピアノをちょっと暖めたような優しさだ。
若いのにとても才能のあるポーランド人だと思う。
事実彼が参加しているアルバムはどれもこれも水準以上の出来に仕上がっている。
トーマス・スタンコのアルバム然り、シンプル・アコースティック・トリオ然りである。
彼が出す音には、メロディやテクニック等を超えた不思議な「想い」が入り込んでいる。
上手くいえないが、何か心の奥底から沸き上がってくるような感情が彼の指に伝わって、それが音をつくり出しているような感じさえするのである。
それがECMの魅力なんだよ、といわれればそれまでだが、もしそうだとしたら、これはECMの中でも最高の作品と言っていいかもしれない。

遠くまで来たという感覚と、これから大勢の知らない人たちと会うという期待とが入り乱れて、このアルバムの印象はますます強くなっていく。
これだから一人旅はやめられない。