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温泉めぐり紀行

メタセコイア並木(滋賀県 2025年5月)

972.旅の6日目 ~米原へ~

2022-04-25 | 旅の空

2022年3月26日

宇多野YHで朝を迎える。ぐっすり朝までよく寝た。

この旅一番の熟睡だ。

顔を洗い食堂へ。

  

  

朝ご飯 

■金閣寺

食事を済ませ、8時50分に宇多野YHを出発。

今日は滋賀県の米原までのコース。泊まりは米原駅前の東横イン。予約済みである。

せっかくの京都なので一箇所だけの寄り道するため、YHから近い金閣寺を選んだ。

9時5分到着。

団体バスがもう何台も来ている。

金閣寺を見る。やはり金閣寺は金閣寺だ、としかいいようがない。

小雨が降ってきたので早々に車に戻る。

9時40分に駐車場を出て次の目的地、滋賀県立美術館に向かった。

■滋賀県立美術館

美術館を訪ねたい目的は

企画展人間の才能~生みだすことと生きること~(1/22 ~3/27)を見るため。

NHK日曜美術館で紹介されていたのを偶然に見て、これは是非行ってみたいと思った。

11時25分、滋賀県立美術館に到着。

広大な「びわこ文化公園」の中にあり、2021年6月リニューアルオープンしたばかり。

入館料1300円。瀟洒なデザインが目をひく。

少し長いが、この企画展の意図をプレスリリースから引用してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしてこんなに 心が揺さぶられるのだろう
              人間に潜む驚くべき創造の力

滋賀県立美術館では 2022 年 1 月 22 日(日)から『人間の才能 生みだすことと生きること』を開催いたします。
2021 年に 6 月にリニューアルオープンした当館の3本めとなる企画展です。(中略)

本展では、時代の流れにとらわれず、つくりたいという真摯な欲求に基づき、独自の方法論で生み出された作品を紹介いたします。「生みだすこと」と「生きること」が一体となっているような人たちの作品の中には、アール・ブリュットと呼ばれるものもありますが、
そうでないものもあります。
本展は、アール・ブリュットを相対的に捉えられる展示構成とすることで、アール・ブリュットという概念は今後も必要か、そもそもアートとは何か、そして人間にとって重要な才能であるつくるとは何かといった問いを、皆さんとともに考える場にしたいと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「生みだすこと」と「生きること」が一体となっているような人たち・・とはいったい

どういう人たちを指しているのか。

私流の理解としては、アール・ブリュットは知的障害あるいは発達障害の人が創り出した

絵画などの芸術作品の総称のようである。

養護施設で暮らすある人は、朝起きてから寝るまで描き続ける姿などがビデオで紹介され

ている。

なかでも横に長大な紙に延々と連なる都市や妖怪を描いた作品には圧倒される。

脳内イメージが外界に爆発してるようだ。

作品のすべてが撮影OKとなっている。これはとても珍しいことだ。

とはいえ、少し遠慮がちに撮影させてもらった。

ひととおり見て回って思った。人の才能というものは無限大なのだなぁ、と

とても

力をもらった気がする。

14時、美術館を出発

16時50分 米原駅前の東横インに到着。1640キロ。雨止まない。

ボタンを縫い付けたお手玉

どこか愛嬌があって可愛らしい 




971.旅の5日目 ~京都へ~

2022-04-23 | 旅の空

■霊山寺

2022年3月25日、晴れ。ここまで1313キロ。

8時15分、ホテルを出発。

ここは徳島なので1番札所の霊山寺をお参りしていくことにする。

9時到着。

霊山寺に来ると、やはり歩き遍路のことを想い出す。

吉野川の左岸に点在する1番から10番札所、そして右岸の11番藤井寺までの道は

ほぼ平坦といっていい。

しかし、このあと八十八箇所で最難関の遍路道が待っている。

12番札所焼山寺までの山道は3~4回もアップダウンを繰り返す屈指の難所なのだ。

このとき偶然にも横浜から来た娘遍路と出会った。

ちょっと風変わりな女性(ひと)だったが焼山寺への難所道では互いに

励まし合いながら登ったことが昨日のことのように想い出される。

霊山寺

■京都へ

昨夜、宇多野YHに宿泊予約の電話をいれておいた。朝食込みで4350円。

これでとりあえず宿は確保できた。

今日の昼食は京料理をおごるつもりだ。

東寺の近くに魚万という京料理の店がある。

これまで2回ほどランチを食べ、とにかくうまかった。

これは6年前に訪ねたとき撮ったランチ

一方、次の写真は3年前のもの。

次にちょっとアップでみてみよう・・おいしさが伝わってくる

3年前のランチ(2019年3月) 手間暇をかけた料理はどれもおいしかった

なので先ずは東寺の駐車場を目指して出発。時刻は9時30分。

鳴門ICに入り、淡路島から新名神をたどり

13時15分東寺に到着。

心弾ませ、魚万へ歩いて行く。

すると、な、なんと店前に予約客のみとの断り書きが・・。

えぇ~、食べられないの!!・・思わず声に出てしまった。

急に力が抜けてしまった。

ここのランチを楽しみに徳島から200キロも走ってきたというのに・・・。

あきらめきれない気持を引きずりながら、東寺に引き返す。

仕方がない、東寺・講堂で立体曼荼羅の仏像を観て気分を鎮めよう。

しだれ桜の開花は遠い

■宇多野YH(ユースホステル)

16時55分 宇多野YH到着。泊まるのはこれで3回目かな。

一度は遍路帰りのとき、そして二回目はと奧さんと京都旅行へ来たときだ。

受付では元気な女性が応対。

明るくハキハキした接遇はYHにふさわしい人材だ。

4人部屋の鍵を預かる。

コロナ対策なのかどうか訊き忘れたが4人部屋に1人なので個室として使える状態だ。

まず風呂に行く。先客が4人。高校生のようだ。

駐車場のマイクロバスに愛媛県の高校のバスケット部の名前が書いてあった。

交流試合かなんかなのだろう、後で食堂にいくと20人ほどの男子高校が集まっていた。

まだ明るいので、受付の女性が勧めてくれたサクラを見に行った。

10分ほどの距離だ。でも残念なことにしだれ桜はまだ固い蕾みだった。

夕食はサンドイッチとoffee、缶ビール。実に簡素!。

食堂には自炊できるコーナーがある。

食器類、ポット、レンジ、冷蔵庫など自由に使える。

このYHはとにかく清潔で綺麗に管理されていて職員さんたちの応対も親切だ。

人気投票したら全国ナンバーワンのYHだとおもう。

中庭でたき火(有料)のサービスを始めたようだ。二組が火を囲んでいる。

疲れもでたせいか、この旅一番の熟睡だった。




969.旅の4日目 ~徳島へ~

2022-04-18 | 旅の空

 

朝6時、目が覚める。

そうだ、ここは梼原町の遊友館だ。

昨夜は一度だけトイレに起きたがまぁまぁよく寝た。

カーテンを開けると、雨は上がり、目の前の山がキリで霞んでいる。

静かな山間の朝。鳥の声がこだまする。

 

布団を抜け出し、散歩に出る。善福寺の千年杉があるはずだ。

校舎の裏側の山道を歩く。

朝霧の向こう側から太陽が上がり幻想的な風景が現れた。

千年杉は堂々たる姿で待っていた。

 

学校の裏側の道を歩く

千年杉   推定樹齢820年 樹高35 m 幹周り11m

 

朝の静かな山村風景を眺めながら遊友館に戻る。

片付けやら資料整理しているうち8時をまわってしまった。

職員さん達も続々と出勤してきた。

 

■須崎へ

お世話様でしたと、挨拶。

よく寝られましたか

ここはお神楽もいいですよ  ぜひ見にきてくださいね

とおばちゃんに励まされる。

梼原、本当にいいところだった。

 

8時30分、出発。天気は快晴。

国道197号線、315号線を走る。

道沿いに時々現れるサクラは二分咲きというところ。

 

10時15分、須崎駅に到着。

8年前の歩き遍路のときだ。

昨夜泊った宿を出て須崎駅前の喫茶店でモーニングを食べた

じいちゃん、ばあちゃんで結構賑わっていたことを想い出した。

みるとお店はまだやっているようだ。なんかホッとする。

一方の宿(市川旅館)のほうは建物はボロボロで廃業が歴然としている。

その日、30キロを越える距離を歩き、雨でずぶ濡れになりながら宿に辿り着いた。

いま目の前に見る宿は、看板も消えかかってるし、廃墟の雰囲気である。

宿の主人は人が良さそうな感じだったけど部屋も設備も古びていたしなぁ、と妙に納得。

 

JR須崎駅

 

駅前の喫茶店                   廃墟化した市川旅館

 

 

■これからどうする?

さっきからずっと悩んでいる。

梼原までは計画どおりなのだが、この後どうしよう・・ということで頭が整理できてない。

高知市内に泊るのも悪くはないがちょっとここからだと近すぎる。

高知市内見物といっても、これまでいろいろ見てきてるし、行くとすれば「ひろめ市場」か。

ひろめ市場だったらカツオのたたきで一杯やるのが定番だろう。

でも今は未だ午前中だし時間が早すぎる。

 

出した結論は・・・・徳島まで行ってホテルに泊る!!だ。

さっそくスマホで東横イン徳島を予約しようとした。

ところが何と満室だ。

徳島駅周辺にはもう一軒、東横インがあるのだがこっちも満室ではないか!。

これは想定外だった。こんなことは初めて。

ホテル予約アプリのagodaで徳島市内の安いホテルを検索し 、やっと予約をすませた。

 

となると後はどうやって行くかだ。

徳島までのルートは二とおり。

室戸岬経由で海岸線を反時計回りに行くルート。

もう一つは32号線で北上し、吉野川に沿って国道192号線をひたすら東に向かうルートだ。

室戸岬経由はいろいろな名所もあるし懐かしい土地もあるのだが何せ5時間を要する。

 

ルートの決め手となったのはカツ丼だった!。

腹が空いてたのでやっぱりあそこしかないだろう、ということでひばり食堂をルート上に

いれることにした。

高知市北部の大豊町のひばり食堂といえば

カツ丼好きの世界で知らない人がいない有名店である。

肉屋直営の店なので安くてボリュームたっぷりの店なのだ。

一切の交通手段を使わず自分の足だけで300名山を踏破したあの田中陽希も

ここのカツ丼食べたさに2回も立ち寄っている店である。

ということでルートは決まった。

                            カツ丼 | 登録なしの無料イラスト エガコ

須崎駅前の観光案内図をみていたら、

近くにクスノキの巨樹があるので、まずこれを見から高知に行くことにした。

 

大谷神社

 

大谷のクスノキとよばれている。

樹齢1300年、樹高25m、幹周り25m で四国最大の巨樹だそうだ。

大正時代に国指定の天然記念物となっている。

樹勢はあまりなく、空洞がめだつ。長いこと生きてきたんだものね。

 

クスノキに別れを告げ、浦ノ内湾の入り組んだ海岸線に入る。

この海岸ルートは8年前の2014年、36番青竜寺から須崎まで延々と歩いた道だ

海を挟んだ対岸までの直線距離は短いのに、そこへ辿り着くまで湾内沿いの道をぐるぐると

歩かなければならない。単調な歩きは疲れを加速させる。

そんな退屈さを救ってくれたのは海の碧さだった。

 

 

ヤマザキショップも健在だった。8年前、ここでパンを買って食べた。

 

 

■ひばり食堂へ

高知市内に入ったので時間短縮のため高速道路を使うことにした。

大豊ICでおり国道32号に出ると店は近い。

ひばり食堂の駐車場に車をいれ、店へ行くと3人が順番待ち。

昼時を過ぎた13時30分というのにまだ行列ができる。ファンが多いのだ。

15分ほど待って店内へ案内された。

 

メニューはいろいろあるがやはりカツ丼だ。ただし、ここで注意がいる。

普通にカツ丼お願いします、と頼むと、

大盛りのご飯にカツ2枚がのってるデカ盛りがでてきてしまうのだ(900円)。

これを食べきるのは実はとても大変。相当お腹を減らしてないと無理な量である。

以前、知らずに注文して結局途中でギブアップ。

なので今回はミニカツ丼(500円)を注文。これが市中の普通サイズである。

 

肉が軟らかくて美味しい。

これは7年前に撮影した時のカツ丼  肉が分厚いこと! うまそう!

メニューが豊富なひばり食堂

 

 

■賀茂の大クス

14時10分、満腹のお腹を抱えて店を出発。天気は相変わらずいい。

国道32号を北上し、大歩危、小歩危を通過。

阿波池田で吉野川にぶつかり、国道192号を川の下流に向かって東へ東へと走る。

 

ふと、賀茂の大クスという看板が目に飛び込んできたので寄り道することにした。

巨樹は見逃すことができない。

その大クスは傘が開いたかのような姿、形のいい巨樹だった。

樹勢があり、まだまだ大きくなりそう。近づいて見るとその巨大さが分かる。

樹齢は推定1000余年、樹高25m、幹周り13m。枝張り東西46m、南北40m。

国指定の天然記念物となっている。

これで今日は3本の巨樹をみることができた。

クスノキや杉は長寿遺伝子が組み込まれてるのだろうか。イチョウも巨樹化するし・・。

 

 

 

■徳島に到着

17時20分。ホテルに到着(「セルフイン徳島東船場」4085円朝食付き)。

川沿いに建つホテルだ。

船場という地名だから昔この辺りは船の往来が盛んだったんだろう。

部屋に荷物を置いて徳島駅に向かって歩く。

徳島駅には遍路のとき幾度か来ているので土地勘はある。

夕食はこってりした徳島ラーメンが食べたくて駅近くの店に入った。

 

徳島銘菓の小男鹿(さおしか)を求めに駅前の富士屋へ行ったが閉まっていた。

和三盆と山芋、そして小豆とうるち米で練り上げた蒸し菓子である。

ほんのりと上品な甘さが口に広がる。

姉が好きなのでミヤゲに思ったのだが残念だ。

阿波踊り大会はここ何年か中止になっているが今年はどうだろうか。

今日の走行距離258キロ。けっこう走った。

 

   小男鹿本舗 冨士屋 - 小男鹿 小(240g) 小男鹿本舗 冨士屋 - 小男鹿 小(240g)    阿波おどりのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

 

前方の山が眉山

ホテルは ♫リバーサイド


 


 


968.旅の3日目 ~梼原へ~

2022-04-15 | 旅の空

 

松山YHは坂の上にある。

とりあえず朝風呂だ。温泉行ってきます、と主人に告げて坂道を下っていく。

5分ほどで道後温泉に到着だ。

道後温泉本館は改修工事の真っ最中である。

カラフルな工事用シートにすっぽりと覆われている。

一部は再開しているものの改修にはあと2年くらいはかかるようだ。

道後温泉本館まえの一六タルト本店でゆず味をミヤゲに2本購入。

 

昨夜と同じ椿の湯に向かう。

昨日は少し待たされたが今朝は直ぐに入れた。

湯釜からたっぷりと温泉が流れ出る広い湯船。地元のおじさんたち3人しかいない。

朝の温泉は気持ちいい。

体がほぐれていく。

温泉の心地よさに包まれながら今日の梼原(ゆすはら)までのコースを思い浮かべる。

 

道後温泉本館の玄関側はこうなっている

本館裏側は工事が終了し、10人ずつ入浴ができる

 

松山YHで簡単な朝食をとり、9時45分出発。

国道33号は朝のラッシュで混雑気味だ。

焼き物の郷、砥部(とべ)あたりまで来るとさすがに空いてきた。

ふと、浄瑠璃寺へ寄り道してみるかぁ、と思った。砥部から近いし・・。

46番札所浄瑠璃寺はとても小さな寺なのだが、なぜか行きたくなる不思議な場所。

遍路旅などでかれこれ7~8回は来ているかもしれない。

般若心経を唱え家族の安全を祈願。

終わる頃、先達さんに連れられた観光客4人がやってきた。

そして先達さんと一緒に経を上げはじめた。白衣を着てはいないが遍路旅のようだ。

寺のすぐ前の遍路宿「長珍屋」はどうやら営業していない。

ビャクシンの巨樹に挨拶し、寺門を後にした。

 

山道をぐんぐんと高度をあげ三坂峠をこえると久万高原町だ。

44番大寶寺を訪ねる。杉の巨木が連なる参道を行く。

参拝する人影もなくしずかなひとときを過ごす。

自然界の空気を吸って生き返るようだ。

 

浄瑠璃寺

大寶寺

 

気温7度。曇り。

12時15分、大寶寺を出発。

30分後、雨が降り出した。

国道440号線は山の懐を縫うように走っている。

単調なので四国カルスト台地の手前でcoffeeを淹れてひと息つく。

 

湯を湧かしてcoffeeタイムとした

 

■梼原(ゆすはら)町を散策

15時、雨の中、梼原町役場の駐車場に到着。なかなか雨がやまない。

あぁ、やっと着いた。

自宅からここまでちょうど1000キロ。

梼原は愛媛県側からも高知県側からも遠い山間の土地。

梼原を初めて知ったのは宮本常一の代表作「忘れられた日本人」(岩波文庫)

読んだときである。表紙の解説にはこう書いてある。

 

昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907-81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。(解説・網野善彦)

 

この本で最も有名なのが「土佐源氏」。

橋の下で暮らす盲目の乞食老人が語った色懺悔を宮本が聞き記したという。

その舞台が梼原なのである。

一編の小説を読むかのように完璧な構成と男女の織りなすドラマ性。

あまりにもできすぎた話しなので宮本の創作だという説もあるけれど真相は

宮本にしか分からない。

 

 

■隈研吾設計の梼原図書館

梼原という地名はそれっきり記憶の底に沈んでいったのだが思いもかけないことから

記憶が呼び覚まされた。

新国立競技場を設計した建築家の隈研吾

彼が木材を多用する斬新な建築設計に目覚めた場所こそが梼原町のシンボル「ゆすはら座」だったのだ。

その木造建築に感銘し、設計思想が変わったという。

その縁で、隈研吾は梼原の町役場、図書館、道の駅など次々と設計している。

とりわけ梼原図書館(2018年完成)が素晴らしい。

 

靴を脱いで館内に入ると、

まず目に飛び込んでくるのが天井からの木組みだ。

一本の柱から枝分かれしたように組まれた120ミリ角の杉材が天井を覆っている。

この特徴的な組み方は地獄組といわれる特殊なもの。

垂直ではない木材を組むために伝わる手法で一度組むと二度と外れないそうだ。

内部空間は段状のステージで起伏が設けられ、腰掛けて寛ぐことができる。

訪ねたときはおひな様が飾られていた。

館内全体が木のぬくもりで覆われ、とても居心地をよくしている。

 

一階のスペースでは子供たちがトランプ遊びをしているし、

おばちゃん達もおしゃべりに興じている。

自由に使ってね、という思想が隅々に行き渡っている。

二階にあがるとテーマごとに小部屋に区切られ、思わず手にとってみたくなる本が並んでいる。あちらこちらと見るだけでも楽しい。

しかも蔵書は感心するほど豊富。心地よい読書空間に満たされて幸せ気分に浸る。

隈研吾はここで「小さな空間をちりばめた」と語っている。

これまで見たこともない図書館にとても感動させられた。

 

泣き声がするな、と思って一階へ降りていくと女の子が泣きじゃくっている。

トランプに負けたらしい。でも職員はそんな様子に寛容である。

くつろげるいい図書館ですね、と、つい職員さんに語ってしまった。

 

図書館の外観

 

ゆすはら座

 

■元小学校の遊友館

旅に出る前、梼原町のホームページをみながらどこか泊るところはないかいな、と

みていたら、越知面という地区に面白い施設があった。

元小学校の教室を宿泊施設としてリノベーションした遊友館である。

予約の電話をした際、16時30までに来てくださいね、といわれた。

図書館を後にし、町の中心部から車で10分ほど走り、

16時15分、遊友館に到着。

 

 

 

事前に電話した際に応対してくれたおばちゃんが出迎えてくれた。

今日の客は私ひとりだという。

素泊まり利用料3300円。

和室に案内してもらった。

一見してきれいだな、と感じた。

教室の窓にはカーテン、床には畳が10枚敷いてある。

エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、湯沸かしポット、テレビもある。

洗濯機も無料で使える。

言うことなしである。

 

 

ひととおり説明を受け、ひと息ついたので

荷物を教室に置いて「雲の上温泉」へ行くことにした。

通常は500円のところ宿泊割引とかで100円安くなる。

温泉はヌルヌルのメタホウ酸泉。

 

充分に暖まって外へ出ると薄暗く、雨がまだ降ってる。気温10度。

宿へ戻る前に夕食を仕入れるため町中のスーパーで買い物。

ビールとかいろいろ買ったのだが良く思い出せない。

 

雲の上温泉 雨が降り続いている

 

遊友館に戻ると管理人さんたちはもう帰ってしまって誰もいない。

玄関の鍵をかけ戸締まりして教室に入る。

あらためて見ると広い部屋だ。広すぎて間が持たない。

とりあえずTVをつけ、2台のエアコンをかけて部屋をあたためビールで乾杯だ。

布団や毛布、シーツも真新しくて気持ちいい。

でも、トイレは教室を出て玄関ホールを抜けていかなければならないし、

この建物の広い空間にポツンと独りだけというのも少し落ち着かない。

それでも布団に潜り込み、この教室で子供達が賑やかに過ごしているのを想像して

眠りについた。

 



 


966.旅の二日目 ~道後温泉へ~

2022-04-14 | 旅の空

 

ここは四国健康村。昨夜はよく寝た。22時から朝の4時までぐっすり。

体が疲れてたのだろう。

トイレに行き、ふたたび寝て起きたのが6時。

先ずは朝風呂だ。

さすがに朝早くから入ってる人は少ない。

そういえば、昨日フロントで受付を済ませ、宴会場を覗くと、

芝居が終わって座員一同が終演の挨拶をしていた。

四国健康村の売りの一つがこの座長公演。健在で何よりだ。

 

    

    

 

 

■朝から雨 善通寺へ

8時50分 四国健康村出発。 いつもながらお世話になりました。

朝飯がまだなので、どうしようかな思ってたら、

以前、歩き遍路をしたとき76番札所・金倉寺の近くのうどん屋さんに入ったことを

想い出した。

長田 in 香の香」という店だ。

行ってみると9時30分だというのに店内は客で一杯。

丼に熱々の釜揚げうどん、出汁が入った大きな徳利がドンと置かれる。

柔らかいけどかみ応えのあるうどん。喉ごしが気持ち良くいくらでも食べられそう。

摺った生姜をいれて味変すると、これまたうまい。

繁盛するわけだ。

 

    

 

10時10分、善通寺へ

雨小止み。ここ善通寺は弘法大師・空海の生誕地。

四国遍路の聖地だといえる。広大な敷地に本堂、大師堂、五重塔が点在している。

コロナのせいもあって遍路する人の姿が少ない。

今回の旅でも4~5人くらいしか見かけなかった。

寺の納経所は通常に戻ってるが遍路宿の方はどうなんだろう。

遍路客が激減して閉めてしまった宿もあるんだろうな、と勝手に想像している。

散りかけている境内の桜に別れを告げて次の地へ出発。

 

 

 

 

■父母ケ浜

今日は松山YHを予約している。

到着時間は20時頃と伝えてあるのでゆっくりしていられる。

なのであちこちと寄り道をしながら愛媛へと向かうことにした。

 

善通寺から20キロのほどの距離に父母ケ浜がある。

水面が鏡面状にみえる南米ボリビアのウユニ塩湖のようだと最近人気の観光スポットらしい。

今の時間は満潮だし、おまけに雨ときているので写真は期待できない。

たしかに夕陽が反射する水面をバックにした写真は見栄えがする。

全国にはウユニ塩湖のようだという名所がいくつもあるようだ。

 

こんな写真が撮れるなら楽しい

 

これが今日の父母ケ浜

 

 

■水の都 伊予西条で湧水を汲む

早々に父母ケ浜を出発し、高速道路の大野原IC に入り、新居浜IC で降りる。

目的地は別子銅山跡。東洋のマチュピチュといわれる場所だ。

掘削した跡の光景がそっくりなんだとか。

しかし現地近くの道の駅「マイントピア別子」で聞くと崖崩れがあって通行止めとか。

残念ながら引き返すことに。

 

14時30分、伊予西条市の水汲み場へ直行。

ここは何年か前に水汲みに来たことがあるので土地勘がある。

図書館近くの湧水地に到着し、5リットルのポリタンに汲む。

石鎚山に降った雨が地下水脈となり、町のあちこちで湧き出している。

地元では打ち抜きと呼ばれている。

図書館の敷地には男性裸像の彫刻2体~股間若衆~が立っているはずだ。

雨風に耐えながらきっと元気にしていることだろう。

 

 

■石鎚神社を参拝

この辺りの遍路道はいやになるほど歩き続けた所だ。

何げない道沿いの風景や町並みをみると懐かしさがこみ上げてくる。

歩き遍路をしていると、道や場所をしっかりと記憶するみたいだ。

頭ではなくて足が記憶している。

あっ、あの店もある、この角道おぼえてる、あの温泉施設も健在だなぁ・・。

 

歩き遍路は1番札所からスタートし、徳島、高知、愛媛、香川と時計回りに歩くのが普通。

ところが今回のクルマ旅は香川から逆回りしているのでどこか方向感覚がずれている。

あれっ、北はどっちだったかな・・なんてことがなんどもあった。

88番札所から1番札所を目指す逆巡り(逆打ちという)は相当に大変だろうなと実感した。

 

 さて、そうこうしいてるうちに石鎚神社に到着。時刻は15時30分。

他に参拝者はなし。石段を上がりきると本殿があり、ここから西条市内が一望できる。

旅の無事と孫の成長を祈願。

実は石鎚神社に来る前にもう一箇所立ち寄っている。

伊曽乃神社である。奈良時代の創建で伊予の国第一の大社だったとか。

門前ではクスノキの巨樹が出迎える。

静謐な雰囲気のある神社である。

 

寒いなと思ったら気温9度。

どこか温泉でも入っていこうと地図を見ると、松山へ行く途中の東温市に

ふるさと交流館さくらの湯」があることを発見。

カーナビにセットし、16時、石鎚神社を出発した。

 

 

 

石鎚神社

 

伊曽乃神社

 

■温泉入る

国道11号線は道もいいし交通量が少ない。運転するのが楽しい道だ。

17時30分、「ふるさと交流館さくらの湯」到着。

夕方のせいもあり、軽トラックが次々とやってくる。

地元の人に愛されている温泉施設のようだ。

入湯料500円。湯に浸かると肌が少しヌルヌルする。

ph=8.6のアルカリ温泉なので皮膚の表面がなめらかなってるのだろう。

 

 

■道後温泉

19時15分、松山YHに到着。

狭い駐車スペースにかろうじて突っ込む。

このYHには何度も何度も泊っているのでホッとする。

全国あちこちのYHが閉鎖、休館しているなかで健在なのはありがたい。

一泊朝食付き3800円。

 

今日は四国健康村を出発して170キロを走行した。

欲張った1日だったなぁ。

部屋に荷物を置いて早々に道後温泉・椿の湯に向かった。

なんたってこれを楽しみに旅に出たのだから・・。

 

 

 

  松山YH

椿の湯に隣接する飛鳥乃湯 女性に人気のようだ



 



 

 


965.旅の1日目~浄土寺~

2022-04-13 | 旅の空

2022年3月21日(月)の午前10時

兵庫県小野市の浄土寺にやっと着いた。

今回の旅を引っ張るのは浄土寺(兵庫県)、道後温泉(愛媛県)、梼原(高知県)の三つ。

ここに行きたいがための旅心がクルマのハンドルをにぎらせ.る。

 

昨日の13時に自宅を出て、21時、340キロ地点の御在所SAで車中泊。

朝方は冷えた(7℃)。寝袋の内側にフリースカバーをいれ暖かさを保った。

SA内のコンビニでサンドイッチとコーヒーで朝食を済ませ、7時に出発。晴れ。

SAのガソリン価格は180円~185円。高い!!!

新名神から山陽自動車道に入って三木小野ICで降りる。

カーナビの示すルートに従ってようやく最初の目的地、浄土寺に辿り着いた。

この地まで530キロ。よう走ってきたもんだ。

初めて降り立つ土地はとてもウキウキする。

■国宝の阿弥陀三尊像

晴れた空にはヒバリが鳴いている。

小高い丘に建つ浄土寺。まわりに住宅地はない。拝観料500円を払って1192年創建の浄土堂に入る。

阿弥陀如来(高さ5.3m)の両脇に観音菩薩、勢至菩薩が圧倒的な存在感で迎えてくれる。

想像よりもずっと大きいのに驚いた。鎌倉時代初期の名仏師、快慶の作。

像は一木造りで台座を貫いて地中まで達している。

あの阪神淡路大震災のときもびくともしなかったという。

浄土堂には天井がない独特な造りとなっている。三尊像の周りをぐるりと見て回ることができる。

夕方、背後の窓を開けると西日が床に反射し、光の中から三尊像が現れる仕掛けになっている。

この荘厳かつ幻想的な寺内をぜひとも体感したかったのだが残念ながら今は午前中だ。

夏にまたいらっしゃい、と受付の女性がいってくれた。

ふの阿弥陀如来像だった。

パンフレットから

■白雪谷温泉~ゆぴか~

11時30分、白雪谷温泉ゆぴかに到着。

どこか温泉に入って寝たいなぁと思い、スマホで見つけた温泉だ。入湯料700円。綺麗な建物だ。

湯船がいろいろある。太陽を浴びながら露天風呂に入る。

昨夜からのロングドライブの疲れが湯にとけていく。

レストランで生姜焼き定食(1100円)のランチ。

■いよいよ四国へ渡る

13時15分、ゆぴかを出発。

再び山陽自動車道・小野三木ICに入り、神戸方面へともどり鳴門自動車道で明石海峡大橋を渡った。

なんだかやたら眠くなったので淡路SAで30分ほど仮眠。

そのまま高松自動車道にはいり志度IC でおりる。86番札所の志度寺にお参りに行くためである。

調べてみると、志度寺には2015年7月14日に参拝している。

境内は相変わらず雑然として荒廃している感じだ。以前と全然変わらない。

それはそれで自然でいい。持参した白衣を身につけ本堂で般若心経を唱える。

孫たちの健やかな成長、それと今回の旅の無事・加護を祈った。

■四国最北端の竹居岬

志度寺を17時10分出発。

海沿いの牟礼町を走り、瀬戸内海へ張り出した半島の突端を目指す。

ときおり現れる集落を横目に見ながら、くねくねとした道をたどる。

坂を下ると海に突き当たった。四国最北端の竹居岬に到着だ。時刻は18時。

目の前が瀬戸内海。

竹居観音のお参りに行く。時間が遅いせいもあり、もう誰も参拝者はいない。

半洞窟の中に本尊が祭られているのだが真っ暗でよく見えない。

でもここから眺める砂浜の景色がとても美しい。

竹居岬を18時20分出発。あたりが薄暗くなってきた。

さぁ、後は今日の宿、四国健康村へ一直線だ。

岬の突端を左旋回するように回り込みながら走る。こっち側の方が開けていて町らしい光景が続く。

四国健康村は24時間受付なので安心して国道11号線を走る。

そして20時15分に到着。温泉+素泊りで2750円。

昨夜車中泊した御在所SAからここまで約430キロを走行した。(自宅から通算770キロ)

高速を使ったからそれほどの疲れはない。

寝心地のいいソファベッドが広い部屋に10個ほど置いてある。毛布を2枚とってきてかける。

あとは湯に入って寝るだけだ。




962.無事帰宅

2022-03-28 | 旅の空

 

昨日27日の夕方6時、一週間ほどのクルマ旅から無事に帰宅した。

 旅の大筋は以下のとおり。

 これから旅の様子を少しずつ書いていく予定。

 

■期 間  2022年3月20日~27日 (7泊8日)

■泊まり  車中泊1、ホテル2、YH2、その他2(四国健康村、梼原遊友館)

■走行距離     2042キロ

■旅のクルマ  N-BOX

■温泉施設 4箇所 

      道後温泉椿の湯(松山市)、

      さくらの湯(東温市)、

                      雲の上温泉(梼原町)

                      白雪谷温泉ゆぴか(小野市)

■参拝した寺  浄土寺(兵庫県小野市)、竹居観音(香川県高松市)、

        東寺(京都市)、金閣寺(京都市)、

        義仲寺(滋賀県大津市)、

        天寧寺(滋賀県彦根市)

       <四国八十八寺> 

        霊山寺(1番)、志度寺(86番)、善通寺(75番)、

        浄瑠璃寺(46番)、 大寶寺(44番)

 

■参拝した神社  石鎚神社、伊曽乃神社

 

■出合った巨樹  千年杉(梼原町)、大谷のクス(須崎市)、

         加茂の大クス(東三好市)

 

加茂の大クス(東三好市)


 


946.百済寺~湖東三山~

2021-12-02 | 旅の空

 

湖東三山の最後に訪ねたのが百済寺。

時刻は午前11時20分。

駐車場が混雑し、しばらく待機。

こんなに混んでいる百済寺は初めてだ。

やはり紅葉の時は特別なんだなと納得。

 

聖徳太子が近江の仏教拠点の一つとして606年に建立。

近江地方で最古の寺院である。

仏教が朝鮮半島の百済経由で伝来したことから寺号を百済寺と称することに。

平安時代中期以後には天台宗寺院として発展し、一千もの坊を擁したものの

織田信長の手で壊滅的な焼き討ちに遭う。

 

古い寺ではあるが本堂には僧はいないし出入りも自由。

緩い雰囲気が漂う、そんなところが魅力の百済寺である。

本堂には如意輪観音が参拝者を待っている。

美しい観音様だ。

 

 

 


 

 

 

  2016年6月参拝

 


 

 

 

 

 

 


945.金剛輪寺~湖東三山~

2021-12-01 | 旅の空

長くてしんどい登りが続く金剛輪寺の参道。

本堂を目前にして、だめを押すように急な石段が待っている。

聖武天皇の勅願寺として741年に開山、行基作の本尊は秘仏・聖観世音菩薩。

源義経が木曽義仲を追討するため近江に来た際、当寺にこもって戦勝祈願をしている。

この寺も織田信長によって火を放たれたが本堂、三重塔、二天門がは難を逃れた。

 

参道の両脇には小さなお地蔵さんが並んでいる。

プラスチックの風車が刺してあるのだが安っぽさが先にたつ。

いっそこれは無い方がいいと思うが昔から変わらない。

本堂では僧侶が寺の縁起を解説している。

信長勢の火の手が迫ってきたとき僧侶の機転で大きなたき火で煙りをあげ、

本堂に火の手が上がったと錯覚させ、火難を免れたという。

 

 


 

 

 

 

 


944-1..西明寺~湖東三山~

2021-11-24 | 旅の空

滋賀県の琵琶湖。

その東に位置する湖東三山と呼ばれる西明寺、金剛輪寺、百済寺。

これまでも幾度か訪ねているが (711. 近江一人旅③、 717. 近江一人旅④)

11月下旬、紅葉の美しさでも知られるこれらの名刹を訪ねた。

初めに訪ねたのが西明寺

平安時代の834年に創建された天台宗のお寺である。

戦国時代の織田信長によって天台宗の総本山・延暦寺が焼き討ちにされた。

その直後、西明寺にも焼き討ちの手が伸びたが幸いにも本堂、三重塔、二天門が火災を免れた。

今にしておもえば織田信長によって仏教文化財がどれだけ破壊されたか計り知れない。

本堂に行くまでに紅葉が迎えてくれる。ちょうど見頃だったようだ。

三重塔を右に見ながら本堂に入る。

内陣のまえに20人ほどの参拝客が座って仏像の解説を聞いている最中だった。

秘仏なので拝見はできないが薬師如来立像が本尊。

その両脇に日光菩薩と月光菩薩、そして左右には薬師如来の守護神である十二神将が脇を固め、

さらに両端に広目天像と多聞天像が睥睨している。

これだけの像がそろっているとなかなかに壮観である。

湖東三山のなかで随一ではないだろうか。

三重塔

本堂

二天門

不断サクラ



942.上高地

2021-11-04 | 旅の空

2021年11月3日(水) 朝の9時。

上高地の大正池にいる。

気温5度。

すっきりと晴れ上がった空に焼岳。

前夜、松本駅前のホテルに泊まり、今朝7時半に出てきた。

民間の沢渡駐車場に車をいれてバスで上高地に入った。

 

 

当初の腹づもりでは駒ケ根の宝剣岳・千畳敷カールの紅葉を撮りに行くつもりだった。

念のため観光案内所に問い合わせたらなんと千畳敷は積雪10センチだという。

紅葉のタイミングを完全に見誤っていた。迂闊だった。

というわけで行きやすい上高地ということになった。奧さんは仕事があるので今回は一人旅である。

 

大正池から河童橋まで写真を撮りながらノンビリ散策。

緊急事態宣言が解除されたせいもあって観光客の姿が多い。

昨夜は冷えたのだろう、枯れ葉が霜におおわれている。

木々の香り、滴、風の音を全身で感じながら木道を歩いていると、

向こうから動物がやってくるではないか。

野生の猿だ。

人の姿を見ても逃げもせず、わたしの眼の前に来て木道に座りこんでしまった。

しばらくこっちの様子をうかがったあと、じゃあねぇ、と挨拶して

竹笹のなかへと消えていった。

なんだかあっけにとられてしまった。

 

あとで奧さんにこのことを話したら、

猿の側からしてみたら自分たちの縄張りへ人が勝手に侵入してきたんだから、逃げるのは

そっち(ひと)でしょ、と思ってんじゃない、という。

それはそうだなと合点がいった。

 

 

 

河童橋までおよそ2時間かけてぶらぶらと歩く。

途中、梓川の河原に降りてお稲荷さんとミカンのランチタイム。

汗ばむような快晴の空。

河原でみなさん思い思いに過ごしている。

河童橋には登山客や観光客でいっぱいだ。いつものにぎやかさが戻ってきたようだ。

環境省・ビジターセンターを覗いてからUターンし、

左岸を歩いてバスターミナルに移動。

沢渡行きのバスは毎時15分、45分発。

 

河童橋

 

12時15分、バスで沢渡駐車場に戻り、マイカーに乗り換える。

トンネルとカーブが連続する国道158号線を下っていく。

まわりの山は錦秋に染まっている。見頃だ。

 

 

松本市内には戻らず、松本電鉄「はた駅」付近からアルプスサラダ街道を走り、

塩尻市街へと向かう。

この辺りは山芋の産地のようだ。あちこちで栽培する広大な畑を見かける。

ふと見ると、道の駅「今井めぐみの里」があったので立ち寄ってみた。

地元野菜はもちろん掘りあげたばかりの山芋がたくさん並んでいる。

太さ6~8センチ、長さ80センチくらいの山芋が2本セットで1000円。

これはいくら何でも多すぎるので半分ほどの山芋を2本、ついでに白菜、ネギを買う。

国道19号線に合流し、その先の長野自動車道の塩尻ICに入った。

 

ところで昨日は松本へ行く前に諏訪湖畔の温泉施設・片倉館へ久しぶりに立ち寄った。

千人風呂といわれる大理石の浴槽は腰まではいる深さ。

その足下は黒い玉砂利がびっしりと敷いてあり浴槽に透明な湯が勢いよく流れ込んでいる。

映画「テルマエ・ロマエ」はここでロケしている。

2階の休憩室に上がってみる食堂が姿を消していた。今年の春に閉店したそうだ。

 

片倉館では受付の女性から今夜(3日)6時半から諏訪湖で花火大会をやると聞いていた。

高速に入ってもどうしようかなと迷ったが次の機会にまわして帰ることに決めた。

ところが道路情報盤に談合坂から小仏峠まで14キロの渋滞とある。

渋滞のなかダラダラ走るのは嫌なので中央道・甲府南ICで降り、「みたまの湯」で

時間調整することにした。

 

片倉館

 

そういえば、もう1箇所、片倉館にくる前に立ち寄ったところがあった。

山梨県・台ケ原の酒蔵、山梨銘醸だ。「七賢」の醸造元である。

同じ七賢でもいくつかのグレードがあるけど、いちばん安いやつを購入

香りよく、すっきりした辛口の日本酒でお気に入りの一本である。

 

 

 

結局、「みたまの湯」には3時間ほど滞在。

夕食はレストランで山梨名物の「ほうとう」で済ます。

2回目の露天風呂に入った夜7時、甲府盆地の夜景はさらに美しさを増した。

 

夜8時、休憩室の客もまばらとなったみたまの湯を出発。

中央高速をすいすいと走って9時55分に家に到着。

2時間切って帰れたのは初めてだ。

 


 

 


941.鹿の湯

2021-10-25 | 旅の空

9月27日に出発した旅も今日(10月3日)で7日目。旅の終わり。

走行距離は1730キロになった。

もう家へ帰るだけなので、のんびり8時に起き出し、結局、ホテルを

出たのは9時45分。

ベッドメイクするオバサンと廊下ですれ違う時間になっていた。

 

■アウシュヴィッツ平和博物館

白河へわざわざ寄り道したのはここへ来たかったからだ。

10時ちょうどに到着。ホテルから約5キロの距離。

アウシュヴィッツ平和博物館は「市民の手づくりミュージアム」としてNPOが運営している。

展示棟の建物は茨城県から移築した江戸中期の古民家。

 

受付の女性の勧めにしたがって先ず30分ほどのビデオを見る。

アウシュヴィッツはナチスドイツが占領地ポーランドに建設した最大級の

強制収容所。ユダヤ系住民の強制収容のドキュメンタリー映像が流れる。

普通の市民がある日突然、強制連行され、収容所に入れられる。

そして選別され、機械的に毒ガス室で大量虐殺される。その不条理さが胸に突き刺さる。

ドイツ民族に限らず人に宿る優生思想と差別。

ときに人は極限まで残虐になる生き物なのだと知る。

 

ビデオの後で犠牲者の遺品、記録写真をみるとなお心が痛む。

なぜ白河市にこの博物館があるのか、と受付の女性に訊いてみたところ、

白河市在住の方が土地を提供してくれたので、ここに博物館をつくったとのこと。

白河市とポーランドに特別な関係があるわけではなさそうだ。

 

玄関をでると陽射しがまぶしい。

午前中からずしんと胸にくる博物館であった。

 

■境の明神、遊行柳

国道294号にでる。旧奥州街道である。実はこの辺りには幾度も来ている。

白河関跡も近いし遊行柳へはこのまま直進すればいい。

遊行柳へ行く前に「境の明神」に立ち寄る。

 

陸奥(福島)と下野(栃木)の国境を挟んで明神が二つ並立している。

陸奥側は玉津明神を祀り、下野側には住吉明神が祀られている。

この辺りは宿場町として人の行き来が多く繁栄していたという。

宿の跡は駐車場になっている。

境内に松尾芭蕉の「風流のはじめや奥の田植え唄」の句碑がある。

 

 

 

■遊行柳

遊行柳は西行がこの地で詠んだ和歌「道の辺に清水流るる柳陰しばしとて

こそ立ちどまりつれ」にちなんでいる。

のちに一遍上人(遊行上人)がこの柳を探したが分からずに迷っていたところ

柳の精霊が現れて唄が詠まれた場所を教えたという。

松尾芭蕉が奥の細道に旅立った1689年は西行の五百年年忌にあたっていた。

  「田一枚植えて立ち去る柳かな」(松尾芭蕉)

そして332年後、わたしは芭蕉と同じ場所に立って遊行柳を見ている。

 

ところがである、

眼前の遊行柳、樹全体に生気が無い。異変といってよい。

枝先が枯れてるようにも見える。

数年前に訪れたとき、大量の毛虫が枝という枝の葉に取り付いていた。

役所へ連絡したところ、応対した若い担当者が困惑気味にこんなことを

云っていた。

薬剤を散布したいのはやまやまなのだが、遊行柳を取り巻く田圃の農家

が反対しているので散布できないのだ、と。

遊行柳の元気の無さはそんなことも関係したかも。

 

■老松温泉

12時15分、遊行柳を出発。

西に進路をとって那須に向かう。目的地は「老松温泉」。

旅館の廃屋跡に湧く温泉である。実は3年前にこの温泉に入ったことがある。

旅館だった建物は完全に崩壊・廃墟化してるが、湧き続ける温泉をいかし

て入浴だけの営業をしていた。気持ちのいいいい温泉だった。

 

那須湯本温泉郷の手前の道を入る。少しわかりずらい道だ。

細い道を上り、空きスペースに車を止める。

前と比べ、草がずいぶんと生い茂ってるように思う。

これは・・と感じつつ歩いていくと、

錆び壊れた軽自動車の残骸が目に飛び込んできた。

こんなの前はなかったなあ・・とおもいつつ廃屋の前にたどり着いた。

 

 

 

なんか様子が違う。

玄関の内側にカーテンがかかっている。前はここで料金を払った。

浴場のある反対側の建物の入り口もカーテンだ。

荒廃感が辺りに漂っているし、人の気配がまったく無い。

こりゃぁ、やってないわぁ。

事態を飲み込むのに時間はかからなかった。

とっても残念。

だが、仕方がない。

行ってはみたものの入れなかった温泉がこれで3箇所となった。

会津みなみ温泉・里の湯、老沢温泉旅館そして老松温泉。

前二つはいずれ再開するだろうが老松温泉はもう二度と入れない伝説の温泉となった。

 

 

人の気配なし

この温泉にもう一度入りたかった 
ついに幻の温泉となってしまった (2018年5月9日入湯・撮影)

廃墟化がさらに進行している

 

道を戻りながらふと見ると「山腹崩壊危険地区」の看板があった。

まさに危険地区の真下にあるのだから、こりゃ、止めざるを

えないだろうな、と納得。おそらく行政からの指導も入ったんだろう。

ここからすぐのところに共同浴場の「鹿の湯」がある。

そこで我慢することにしよう。

 

■鹿の湯

共同浴場・鹿の湯の硫黄泉は強烈だ。

3日経っても洗っても硫化水素の温泉臭がとれない。ぷんと匂う。

この近くには名勝地、殺生石があるので観光客が多い。

そのせいもあって鹿の湯も大盛況だ。入浴料500円。

2メートル四方の湯舟が六つ。40度、41度、42度・・と湯舟ごとに温度設定

されている。最高温度はたしか47度くらいだったかな。

 

 

■最終ラン

14時、鹿の湯を出発。

那須ICへ向かう車で渋滞しているので脇道に入り、宇都宮西ICから東北自動車道に入る。

川口JCから外環に入り大泉ICで降り、環八から東名へ入って横浜町田ICへ。

我が家には21時30分到着。

 

横浜⇔青森の総走行距離2020キロ、6泊7日の旅が終わった。

天気はまずまず恵まれたし、想った以上に収穫のあった面白い温泉旅だった。

相棒のN-BOX、バッテリートラブルがあったけどよく走ってくれた。

ありがとう。

 


■期 間    2021年9月28日(月)~10月3日(日) 6泊7日

■総走行距離  2020キロ

■使用した高速 東名、東北自動車道、仙台南部道路、三陸復興道路(無料区間)

■泊まり    ホテル5泊、車中泊1泊

■入湯温泉   次の11湯

        食堂いやさか・温泉(福島県)、丸一魚店・美山藤の湯(福島県)、
        蔦温泉(青森県)、酸ヶ湯温泉(青森県)、大鰐温泉・大湯会館(青森県)、
        大湯温泉・白山荘(秋田県)、新花巻温泉・蓬莱湯(岩手県)、
        鉛温泉・白猿の湯(岩手県)、西山荘(福島県)、湯ノ花温泉・石湯(福島県)
        鹿の湯共同浴場(栃木県)

                       行ってはみたが休館、閉館だった温泉どころ3か所

         <休館中>会津みなみ温泉・里の湯(福島県)、老沢温泉旅館(福島県)
                        <廃  業>老松温泉(栃木県)

■主な訪問地  杉沢の大杉、岩屋観音、南三陸町さんさん商店街、気仙沼大橋、大槌町
        浄土ヶ浜、達窟窟毘沙門堂、五色沼、円蔵寺、遊行柳、境の明神
        アウシュビッツ平和博物館 

■ガイドブック  「929.へんな温泉本」でふれた2冊(「へんな名湯」)。



 


940.湯の花温泉・石湯

2021-10-17 | 旅の空

2021年10月2日、旅の6日目

今日もゆっくりな朝を過ごす。

8時過ぎに起き出し、ホテル1階の会場で軽く朝食。

 

そういえば、昨日、こんなことがあった。

専用アプリで東横イン福島駅前Ⅱに宿泊予約メールを送ると5分後に、

ホテルから電話があった。

10月1日~11月30日に泊まったカード会員場合、ポイント3倍になります、

このプランで再予約されたらどうでしょうかとのこと。

親切なお電話に感謝し、もちろん予約し直した。

これもコロナで宿泊需要が減ったための対応策かも。

 

9時15分、東横イン福島駅前Ⅱホテルを出発

さて、今日の目的地は次の三箇所。

   ①西山温泉・老沢温泉旅館

   ②電気屋が営む会津南温泉・里の湯

   ③湯の花温泉の共同浴場・石湯

いずれも福島県西部・会津地方の奥地にある温泉ばかりだ。

例の「へんな名湯」で紹介されていた温泉である。

今回の旅のきっかけを作った温泉といってもよい。

 

地図をみる限り今日は山岳道路ばかりの一日になることだろう。

台風一過の快晴のした国道115号をいく。

ガソリンを補給し、福島名物の「薄皮まんじゅう」を買う。

道すがら吾妻山がよく見える。

吾妻富士

 

山道に入り次第に高度をあげていく。

見晴らしの良い「道の駅つちゆ」到着。福島の街が小さくなった。

ここ二日間、天気が悪かったので傘を干したり、寝袋をたたんだり荷物を整理する。

この道の駅からだと岳温泉も土湯温泉にも近い。

 

二本松方面へ下っていけば岳温泉だ。

熱い温泉が特徴の岳温泉は坂の両側に温泉旅館が建ち並んでいる。

そのうちの一軒、「和楽荘」には福島のボランティアに行く際に3回泊まった。

明るくて元気な女将さんがいた。彼女が若い頃、神奈川県内の会社に就職し日曜日ごに

友達と新宿に遊びに行った、楽しかったわ、あの頃・・と夕食時に語ってた。

後継者がいないのでいつまでやれるか、と云ってた・・。

 

                      お世話になった和楽荘(2012年6月)

 

 和楽荘には温泉がなく、外湯の岳の湯に入る  熱い温泉だった

 

 

 

10時25分、道の駅を出発。

11時00分、裏磐梯の五色沼

駐車場から近い沼のひとつだけ見る。小学生の団体旅行や観光客が多い。

12時20分、喜多方ラーメン店「来夢」でチャーシュー麺。

晴れ、気温25度、風やや強い。

 

 

 

 

午後1時20分 円蔵寺(福島県柳津町)

喜多方から会津坂下町をぬけ只見川に沿って走っていると円蔵寺の案内標識があった。

赤べこで有名なお寺だ。去年の6月に立ち寄っているけど寄り道することにした。

どこのお寺もそうだが堂内は撮影禁止。

スマホ撮影はご遠慮ください、と関係者が客に呼びかけている。

 

 

円蔵寺

 

 

国道252号をさらに下る。

あともう少しで只見川橋梁の絶景撮影ポイントで有名な道の駅三島宿だ。

 

(2020年6月29日撮影)

只見線第一橋梁 有名な撮影ポイントである (2020年6月29日撮影)

 

■西山温泉郷

道の駅手前を左折し地方道32号に入ると西山温泉郷の看板が現れた。期待が高まる。

山間部のひなびた温泉地のようだ。西山温泉は「神の隠れ湯」といわれる。

その幽玄な響きに惹かれたのだろうか、あのつげ義春が詳細なペン画で西山温泉を描いて

いるんだとか。私はその画を見たことはないが、おそらく「貧乏旅行記」あたりに描いて

るのかもしれない。

 

13時55分、老沢温泉旅館に到着。

見た感じ旅館と云うより普通の田舎家にしかみえない。

でも玄関に老沢温泉旅館と書いた古びた看板がかかっている。

「へんな名湯」によれば、湯船が3つあって浴室に神社があるユニークな

温泉旅館だとか。すごい楽しみ。

 

玄関で声をかけると、

炬燵でテレビを見ていたおばあさんがこちらを振り向いてこう云った。

今はやってないんですよ、と。

思わず、えぇ~!! ほんとうですかぁ~と叫んでしまった(胸の中で)。

体中の力が抜けてきた。コロナのためずっと休業しているそうだ。

その代わり、この上にある西山荘(せいざんそう)はやってるからそこへ

行ってみたら・・と教えてくれた。

 

 

すごく期待してきただけに拍子抜け。でもまぁ休業じゃあ仕方が無い。

気落ちしたけど教えてもらった西山荘へ向かった。

 

西山温泉郷はほとんどが家族経営ですからねぇ、

コロナだから(休業は)仕方ないですね、

ここは町営でコロナの間もずっと開けてましたよ

 

と西山荘・受付の男性が気の毒そうにいう。入浴料400円。湯は熱めだ。

陽射しが注ぐ露天風呂で過ごす。

 

 

 

<追 記>

のちに調べると、西山温泉はつげ義春ファンには「聖地」であることが分かった。

つげは全国の温泉地を訪ねては多くのペン画を残しているが、好みの温泉だったのか西山温泉の

中の湯」へは3度も訪れている。

ペン画の場所を探し当て、同じシーンの写真を撮るマニアックなファンもいるようだ。

わたしも昔から折にふれて3回も取り上げている。いま読み返してみても面白い。

つげ義春って人は特異な性格の持ち主だがどこかとぼけていて面白い存在でもある。

 

   649.  つげ義春ってやつは・・(2017.5.19)

   30. 初雪(2010.2.3)

   826.温泉三昧(2019.8.28)

 

           (つげ義春コレクション「苦節十年記/旅籠の思い出」/ちくま文庫 から)

               この本の解説を書いている池内紀の文章が秀逸である

 

 

 

14時55分西山荘を出発。

国道401号は山間部を通る林道。

峠越えして昭和村に突き当たり、国道289号を左折。

 

16時20分、会津みなみ温泉・里の湯に到着

ここは電気屋さんが営む温泉。

谷地電気・Panasoniicの看板がある。

その谷地電気と書いてあるドアの下に「里の湯」の文字を発見。

ここだ間違いない。

 

 

近づいてみると、ドアになんか張り紙がしてある。いやな予感がする。


お知らせ 福島県の方だけ入浴できます。

           県外の方はお風呂に入れません」

 

と書いてあるではないか。

えぇ~、はるばるここまでやってきたのに入れない!! なんて・・

これもコロナのせいかいな。

諦めきれずに、受付のおばちゃんに事情をきいた。


「うちは地元のひとが利用するので県外のひとがいると分かると

   (感染するのが嫌なので) 浴槽からみなさん出て行っちゃうんですよ。」

 

そこをなんとか、予防接種も2回済ませているし何だったら証明書も

ありますよ、何とか・・だめですか・・と粘ったが

 

東京から来たというお客さんもいたのですが、申し訳ないけどお断りさせて

もらってます。すみません・

と困った顔でいうばかり。

 

 

さっきの老沢温泉といいここの里の湯といい、コロナのせいでここまで

温泉を入り辛くしているとは夢にも思わなかった。

今日の目的の温泉二つがアウトだ、残念。

これ以上おばちゃんを困らせてもいけないので気を取り直し、

次の湯の花温泉の石湯へ再出発だ。

 

17時00分、湯の花温泉 石湯 に到着

湯の花温泉といっても山間部の地味な場所である。

道沿いの空きスペースに車を駐め、川沿いに歩いて行くと小屋が見えてきた。

どうやらここが石湯らしい。

巨大な石が湯小屋に突っこんでるように見える。

 

 

「へんな名湯」の本によると2年前の台風19号による増水で湯小屋が流され、

石湯は露天風呂になっているとのことだった。

ということは再建できたというわけだ。

無人の共同湯である。料金200円を箱に入れる。湯船はひとつ。

ところが、とってもとっても熱い湯なのだ。

とてもじゃないが我慢して体を沈められる湯ではない。

共同湯というのはどうしてこうも熱いのだろう。

鯖湖湯(福島飯坂温泉)、大湯(長野野沢温泉)も熱すぎてまともに入れない共同湯だ。

仕方ないのでかけ湯で我慢することに。

 

熱い熱い石湯だった

湯小屋が流されて露天風呂だった頃の様子 (「へんな名湯」から)

 

 

17時45分、石湯出発

この時刻だとさすがに山間はうす暗くなり、冷え込んできた。

ルートとしては北に戻る感じとなるけど白河市の東横インを目指す。

どこをどう通っているのか分からないままカーナビの指示するとおりに夜の352号、400号、

121号、280号線を走る。

 

19時50分、新白河駅前の東横イン

今日は案の定、山道がほとんどの290キロの走行だった(通算1728キロ)。

お目当ての温泉ふたつも入れずアテが外れた。

残念ではあったがこれも旅の味というもの。

さて、明日は旅の7日目、最終日。


 

 


 

 


939.鉛温泉・白猿の湯

2021-10-15 | 旅の空

■花巻温泉郷

2021年10月1日(金)、旅の5日目。

朝6時にいったん目が覚めた。再びまどろんでたら7時30分になっていた。

昨日で総走行距離は1135キロ、そろそろ旅の疲れが出てくるころだ。

着替えたシャツ類は袋に放り込んでおいて家に帰ったら洗う予定。

 

■午前8時 盛岡駅前のホテルを出発

国道4号線を走る。昨日からの雨が止まない。

道の駅「石鳥谷」でトイレ休憩。

農産物コーナーでリンゴ、洋梨、ブドウ、有機卵、激辛の唐辛子を購入。

 

       

 

■10時10分 花巻温泉・蓬莱湯

ホテルの日帰り施設である。料金480円。

湯船に客は私ともうひとりのおじさんだけ。43度くらいの熱い湯である。

雨に濡れた「歓迎花巻温泉」のアーケードがさびしくみえる。

蓬莱湯に30分ほど滞在、外は強い雨だ。

餡子たっぷりのあんパンが花巻温泉の名物というので3個購入。

ひとつ持ってみるとたしかに重い。

 

 

 

■鉛温泉・藤三旅館(岩手県花巻市)に到着

 

時刻は11時20分。 雨止まない。駐車場に車を置いて、旅館に向かう。

藤三旅館本館は三階建ての総けやき造り。

玄関先に老舗旅館の風格が出ている。

開湯600年、名湯の誉れ高いこの宿を宮沢賢治、田宮虎彦も愛したという。

そして何よりも四つある浴場のすべてが源泉掛け流しである。

 

 

 

溫泉入りたいのですが・・と声をかける。

帳場から若主人(?)がでてきて700円頂きます、の返事。

赤い絨毯が敷かれた長い廊下を歩く。

館内のたたずまい、雰囲気からも歴史を感じさせる。

 

 

白猿の湯」の入り口に立つ。

憧れの温泉にようやくご対面だ。

引き戸を開けると、数メートル下に小判型の湯船が眼に飛び込んできた。

蔦温泉、酸ヶ湯のいずれも階段をおりたところに浴槽がある。

それらと同じ造りではあるが白猿の湯はもっと深い地底にある。

いやいや、なかなかにユニークな造りではないか。

この石の階段が気に入った 湯へのアプローチ 期待が膨らむ

 

見渡すと客はわたしだけだ。

階段を降りていく。

そして浴槽の端から慎重に体をいれる。

意外なことに浴槽がとっても深い。

あれよあれよと肩まですっぽり埋もってしまう。

しかも反対側に向かっていくとさらに深くなっている。

ついに首まですっぽりと浸かってしまった。

浴槽の底面が斜めになっているのだ。面白い構造だ。

こんな温泉初めて。

駐車場の藤三旅館の看板に「日本一深い、自噴天然岩風呂の宿」と書いてあった理由が

これで分かった。

透き通った源泉が惜しげも無くあふれ出る。気持ちのいい熱さだ。

こんな名湯を独り占めして申し訳ないくらいだ。

 

手前の方が深くなっている

  エメラルドのような湯   透明な湯が自噴し、あふれ出る

 

30分ほど湯と戯れながら白猿の湯を堪能しつくした。

次の露天風呂の「桂の湯」に向かう。

ここも私ひとり。ややアルカリ性なのだろう、肌がつるっとする。

自然の冷涼な空気を吸いながら湯を楽しむ。

 

湯の華が舞っている露天風呂の「桂の湯」  渓流がみえる

 

 

いや~、思う存分名湯を堪能させていただいた。

ありがとうございました。

今回の旅もまた、東北の温泉の実力をおもい知らされた鉛温泉であった。

 

12時45分、藤三旅館を出発。

1時間半近く滞在したことになる。

雨止まない。4号線へ戻る。

 

今夜の宿は4日前に泊まった福島駅前の東横インⅡ。

スマホで東横イン専用のアプリで予約した。宿が取れていると気が楽だ。

東横インを使う最大の理由は安さはもちろんだが何といっても

当日午後4時までに連絡すればキャンセル料が発生しないことにつきる。

私のように行き当たりばったりの旅をする人間には、ありがたいしくみである。

 

13時、道の駅「はなまき西南賢治と光太郎の里」で昼食をとる。

味楽苑という焼き肉店でホルモン定食。

偶然だが前夜に引き続いてのホルモンだ。

満腹で国道4号を走っているうちにすごく眠くなった。

がまんできなくなってスーパーJOISという店の駐車場に車をいれ

30分ほど仮眠。

 

達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂

4号線をひたすら走り、

午後4時10分、達谷窟毘沙門堂(岩手県平泉町)に到着。

達谷窟毘沙門堂はおよそ1200年前の創建。

源頼朝が奥州合戦の帰りに参拝した(吾妻鏡)歴史ある建物である。

たびたび火災にあったもののその都度再建されている。

 

受付で入山料500円を払い、傘を差して見て回る。

といってもさほど広いわけでもない。

面白いのは岩壁に彫られた大摩崖仏だ。

残念ながら今は顔部分しか残っていないので「顔面大仏」と呼ばれている。

 

顔の長さは3.6メートルもある

 

■今宵のホテル

午後4時45分、達谷窟毘沙門堂を出発。

すこし暗くなってきた。

東北自動車道の一ノ関ICに入る。福島まではけっこうな距離だ。

昨夜に続いて、またしても暗くて雨の降る高速を走っている。

交通量の多くないのが唯一の安心材料だ。

 

仙台を通り越して午後7時、福島飯坂ICで降りる。

午後7時半、東横イン福島駅前Ⅱ到着。

今日の走行距離は約300キロ(通算1442キロ)。

それにしても鉛温泉の「白猿の湯」、よかったなぁ・・

 


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