まもなく定年を迎える人、あるいは定年後を心配する人、
そんな退職者や定年予備軍を狙った"定年本"というジャンルがあるようだ。
はるか昔に定年退職した私にはとっくのとうに関係のない本の類ではあるが、
図書館や書店に行くと相変わらず定年に関する本を数多く見かける。
ななめ読みすると、それらの定年本の多くは「~しなさい」のオンパレードである。
「老後資金計画をたてなさい」「できるだけ仕事を続けなさい」「健康管理を怠らないように」
「趣味を持ちなさい」「地域社会に溶け込みなさい」「ボランティアをしなさい」etc.
そもそも日本人はまじめな人が多いので、定年後はこうしなくちゃ、ああしなくては、
といった観念にとらわれがちなのではないか。
定年初心者に同調圧力や強迫観念をあたえるような、こうした"正論"に異議を唱え
懐疑的に思う人がいる。
勢古浩爾(せここうじ、1947年生まれ)である。
今から9年前、このブログの「61.定年後のリアル」で紹介した彼である。
その名のとおり「定年後のリアル」を出版して以後、世の定年本なるものを俯瞰チェックし
ふたたび「定年バカ」(2017年/SBクリエイティブ)を出した。
図書館の書棚でみつけたこの本の裏表紙にこんなことが書いてある。
たかが定年ごときでジタバタするな。
定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。
生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。
しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、
いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?
無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。
「なにもしない生活」だってアリなのではないか。
勢古浩爾の定年後のスタンスは明快である。
「自分の好きにすればいい」。
これに尽きている。
無為でなにが悪いのか、地域活動やボランティアもせず人の役にも立たず、
日々をただテレビを見て公園や図書館でのんべんだらりと過ごす、
そのどこがいけないのか、と著者の立ち位置は実に明快かつ反語的である。
とりあえず世に出ている39冊の定年本をとりあげ、"定年本"の評論家らしくズバズバと
辛口の評価を下している。
目次はこんな感じだ。
1.定年バカに惑わされるな
2.お金に焦るバカ
3.生きがいバカ
4.健康バカ
5.社交バカ
6.定年不安バカ
7.未練バカ
8.終活バカ
9.人生を全うするだけ
どの章も著者の言い分や評論はもっともな点が多い。
まじめバカ定年者の不安とか強迫観念をきれいさっぱりと取っ払ってくれる一冊だ。
勢古と同じようにもどちらかというと私も気の向くままのんびりと暮らしてきた人種なので
彼の語っていることのひとつひとつに合点がいく。
いずれにせよ、
誰にでも当てはまるような上手な定年後の過ごし方など存在しない。
100人いれば100通りの生き方や暮らし方がある。
自分は自分なのだ、という自覚と覚悟がいる。
他人の書いた本など頼ろうとするな、
と、勢古はいっているのだ。
ついでではあるが、「635.ヒマ道楽」を覗いてみることをおすすめする。
ヒマの徳を説きヒマ人であることを認めちゃえば心がかるくなるよ、という詩人を紹介している。
ところで振り返って自分はどうなの?
いまは正直いってこれまでの人生で一番楽しい時間をもらっている。
好きなときにすきなことをし、眠たいときに眠れる幸福感は何にも代え難い。
特に午後の2時半頃にきまって眠気がやってくる。このあと1~2時間の睡眠が
心地良い。夜は夜できちんと眠気がやってくるので問題はない。
そして何よりも奥さんと暮らす何気ない日々がありがたい。
暮らしのペースメーカーは奥さんだ。彼女はなにより健康だし、明るくて元気だ。
音楽ボランティアや演奏活動で多忙な女性(ひと)だが、そんな姿をみて誇りに思うし
尊敬もしている。
だから活動支援のつもりでアッシー君をしたり、料理、掃除、洗濯などもしている。
おかげで料理の腕もあがり家事はすっかり生活の一部として私に溶け込んでいる。
年金暮らしの慎ましい生活だが奥さんの笑顔とともに穏やかに過ごさせてもらっている。
私にとって定年とは・・待ち望んだうれしいことであった。