温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

836.続・定年後のリアル

2019-10-29 | 定年もの

まもなく定年を迎える人、あるいは定年後を心配する人、

そんな退職者や定年予備軍を狙った"定年本"というジャンルがあるようだ。

はるか昔に定年退職した私にはとっくのとうに関係のない本の類ではあるが、

図書館や書店に行くと相変わらず定年に関する本を数多く見かける。

ななめ読みすると、それらの定年本の多くは「~しなさい」のオンパレードである。

「老後資金計画をたてなさい」「できるだけ仕事を続けなさい」「健康管理を怠らないように」

「趣味を持ちなさい」「地域社会に溶け込みなさい」「ボランティアをしなさい」etc.

 

そもそも日本人はまじめな人が多いので、定年後はこうしなくちゃ、ああしなくては、

といった観念にとらわれがちなのではないか。

定年初心者に同調圧力や強迫観念をあたえるような、こうした"正論"に異議を唱え

懐疑的に思う人がいる。

 勢古浩爾(せここうじ、1947年生まれ)である。

今から9年前、このブログの「61.定年後のリアル」で紹介した彼である。

  その名のとおり「定年後のリアル」を出版して以後、世の定年本なるものを俯瞰チェックし

ふたたび「定年バカ」(2017年/SBクリエイティブ)を出した。

図書館の書棚でみつけたこの本の裏表紙にこんなことが書いてある。

 

たかが定年ごときでジタバタするな。

定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。

生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。

しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、

いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか? 

無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。

「なにもしない生活」だってアリなのではないか。

  

勢古浩爾の定年後のスタンスは明快である。

「自分の好きにすればいい」。

これに尽きている。

無為でなにが悪いのか、地域活動やボランティアもせず人の役にも立たず、

日々をただテレビを見て公園や図書館でのんべんだらりと過ごす、

そのどこがいけないのか、と著者の立ち位置は実に明快かつ反語的である。

 

とりあえず世に出ている39冊の定年本をとりあげ、"定年本"の評論家らしくズバズバと

辛口の評価を下している。

目次はこんな感じだ。

1.定年バカに惑わされるな
2.お金に焦るバカ
3.生きがいバカ
4.健康バカ
5.社交バカ
6.定年不安バカ
7.未練バカ
8.終活バカ
9.人生を全うするだけ

 

どの章も著者の言い分や評論はもっともな点が多い。

まじめバカ定年者の不安とか強迫観念をきれいさっぱりと取っ払ってくれる一冊だ。 

勢古と同じようにもどちらかというと私も気の向くままのんびりと暮らしてきた人種なので

彼の語っていることのひとつひとつに合点がいく。

 

いずれにせよ、

誰にでも当てはまるような上手な定年後の過ごし方など存在しない。

100人いれば100通りの生き方や暮らし方がある。

自分は自分なのだ、という自覚と覚悟がいる。

他人の書いた本など頼ろうとするな、

と、勢古はいっているのだ。

ついでではあるが、「635.ヒマ道楽」を覗いてみることをおすすめする。

ヒマの徳を説きヒマ人であることを認めちゃえば心がかるくなるよ、という詩人を紹介している。

 

ところで振り返って自分はどうなの?

いまは正直いってこれまでの人生で一番楽しい時間をもらっている。

好きなときにすきなことをし、眠たいときに眠れる幸福感は何にも代え難い。

特に午後の2時半頃にきまって眠気がやってくる。このあと1~2時間の睡眠が

心地良い。夜は夜できちんと眠気がやってくるので問題はない。

そして何よりも奥さんと暮らす何気ない日々がありがたい。

暮らしのペースメーカーは奥さんだ。彼女はなにより健康だし、明るくて元気だ。

音楽ボランティアや演奏活動で多忙な女性(ひと)だが、そんな姿をみて誇りに思うし

尊敬もしている。

だから活動支援のつもりでアッシー君をしたり、料理、掃除、洗濯などもしている。

おかげで料理の腕もあがり家事はすっかり生活の一部として私に溶け込んでいる。

年金暮らしの慎ましい生活だが奥さんの笑顔とともに穏やかに過ごさせてもらっている。

私にとって定年とは・・待ち望んだうれしいことであった。

 

  

 


 

 

 


835.寂しい知らせ

2019-10-29 | 暮らし

一枚のはがきが届いた。

大学サークルの後輩N君が亡くなったという知らせだった。

差出人はN君の奥さんである

わたしの知る限り、サークル仲間で亡くなったのはNで三人目だ。

20年ほど前に40歳代で亡くなったA、今年、同期のYが鬼籍に入り、そしてNだ。

学生時代を共に過ごした仲間がいなくなるなんて、なんだか寂しい。 

 

年賀状のやりとりはしてたものの最後にNと会ったのは15年くらい前のことだ。

それも次女の大学卒業式の日であった。

式がひと段落した後、あの~○○さんですよねぇ、と声をかけてきたのがN だった。

偶然にも彼の娘も同じ大学に入学していたのだ。

何はともあれ再開を喜んだものだった。

想えば、わたしがサークルの部長をしてた時、一年生でただひとり入部してきたのがNだった。

だから貴重な人材だった。

 

後年、Nが結婚するあたり私が司会を務めることになった。

しかしこれにはちょっと苦い思い出ある。

披露宴に入り、まずはNが在籍した研究室の大学教授の主賓挨拶が始まった。

ところが、この教授、挨拶の域を超えて学術的な話しにどんどんそれていってしまう。

これが長くて長くて、いつまで待っても終わらない。

実に参った。

 

今にして思えば気を利かして司会のわたしが割って入ればよかったのかもしれない。

30分以上続いた挨拶のため、予定していたおじさんたちの余興がぜんぶ流れてしまった。

親族の方たちには申し訳なかったと思っている。

40年以上も前の話しである。

もう時効だよね。

それにしてもNよ、旅立ちが早すぎないか。

 

 


 

 


834.ラグビー・ワールドカップ

2019-10-20 | 暮らし

2019年10月20日(日)。

この日、私たち「歴史散歩の会」のメンバー17名は

神代植物公園、深大寺を巡るコースを歩いていた。

快晴の下、植物園では満開のダリアやバラをのんびり愛でたり、

園内でやっていた打楽器アンサンブルの生演奏を聴いたりと、

いつになくゆったりした時を過ごした。コースが比較的短いせいもあるだろう。

七五三のお参り客などで賑わっている深大寺を抜け、門前の蕎麦屋で昼食。

午後4時ころに出発点の調布駅へ戻ってくると、

驚いたことに駅前はラグビーファンで埋め尽くされ、朝の静かな光景とは一変していた。

午後7時から始まる「日本-南アフリカ戦」の観客と応援の人たちだ。

こんなに人がごった返している光家宇を見るのは久しぶり。

駅前の彼らから試合に向けた興奮と期待の熱気が伝わってきた。

試合は残念ながら日本の負けに終わったが、

ラグビーは強靭な体のぶつかり合いで、格闘技のようで実に面白かった。

初のべスト8へ進出した選手たちにエールを送ろう。


深大寺



 


833.ノーベル化学賞

2019-10-14 | 暮らし

今年のノーベル化学賞を旭化成の名誉フェロー吉野彰(71歳)さんが受賞した。リチウムイオン電池の開発が授賞理由。子供時代、ファラデーの「ろうそくの科学」を読んだことが科学の道に進むきっかけとなったとのこと。科学少年だったわけだ。

ノーベル賞の季節になるときまって少年時代をおもいだす。
小学校の小さな教室。
仲良しだったK君と約束した。大きくなったらノーベル賞をとろうな、と。
教室の女の子たちの前でそう宣言したのだった(PDF:湘南国際村)




室生寺 


 

 


832.人間晩年図巻

2019-10-09 | 暮らし

人間晩年図巻」。
この興味深いタイトルの本は作家・関川夏央が岩波書店のWEBマガジン「たねをまくに連載した記事をまとめたもの。毎日新聞・夕刊に関川夏央のインタビュー記事があり、はじめてこの本の存在を知った。
タイトルから容易に想像できるように故・山田風太郎の「人間臨終図巻(上下)」を意識したものである。

そのWEBマガジンから引用すると、

『国民的スターから市井の人まで、個性豊かな晩年を匠の筆で描き出し、彼らが世を去った〈現代〉という時代を浮かび上がらせる。山田風太郎『人間臨終図巻』の衣鉢を継ぐ、21世紀の新たなる「図巻」がここに。 大好評のうちに幕を閉じた「1990年代編」に続く「2000年代編」、待望の連載開始です。』
ありがたいことに先のWEBマガジン「たねをまくにアクセスすると、「2000年代編」が読める。


ところで
10年くらい前に読んだ山田風太郎の「人間臨終図巻(上下)」は古今東西の歴史上の人物約800人ピックアップし、死の間際を描いている。死亡年令別に整理された人物帳とでもいえる。奇書の類かもしれない。読者の大半は先ず自分の年で死んだ人物から読み始めるだろうから、 年齢別に整理した方法はなかなかに秀逸な考えといえる。
それにしても、よくぞここまで調べたものだと、あきれるほど感心してしまう。
山田風太郎の博識と執念を感じる書籍である。

「臨終」も「晩年」 も、いずれの本も好奇心にかられて読み進んではいくのだが、次第と気分が疲れてくる。どんよりした心持ちに覆われてくる。なんでだろう。
それはね、お前さんはどんな終わりかたをしたいのか、はっきりとその輪郭を描いときなさいよ・・・と、登場する死者たちがつぶやくから。
だから、それらの本を途中で放り出してしまうのは当然の成り行きだった。


新聞に訃報欄があるようにWEB上にも「訃報新聞」というものがある。
感心なことに歴史上の人物から最近亡くなられた方まで広くカバーしている。サイトの運営管理者は、実にまめな人のようで、常に最新の訃報記事を載せている。死亡した日で検索もできるし死因別リスト、国籍別リストなどもある。興味深いのは死因である。ガンなどの病気、自殺、交通事故に加え射殺、斬首、刺殺、討死、切腹、他殺などをあげている。確かに自然死ばかりではないことに妙に納得。なんとも不思議なWEBである。


 

奈良・元興寺(2018年9月)