DX時代によくある話しだが、このgooブログも9月エンドで終わり。
ほかのサービスに引っ越すか、もう終わりとするか少々考え中だ。
過去の記録として何らかの方法で保存しておこうと思うのだが、なかなか
実行に移せないでいる。
DX時代によくある話しだが、このgooブログも9月エンドで終わり。
ほかのサービスに引っ越すか、もう終わりとするか少々考え中だ。
過去の記録として何らかの方法で保存しておこうと思うのだが、なかなか
実行に移せないでいる。
達磨、蒲鉾、温泉。
金曜日、何もないけどどっか行く?
奥さんの問いかけにすぐさま頭に浮かんだのがこの箱根3点セットだった。
小田原の老舗・達磨で天丼食べて、蒲鉾の鈴廣で土産を買い、
天山か一休の日帰り温泉を堪能する。行きは湘南バイパスから小田原に入り、帰りは小田原厚木を使って帰る・・そんなプランが直ぐにできあがった。
そして達磨には昼頃に到着。土日じゃないから空いてると想いきや、店の前に大勢の人が順番待ちしている。受付名簿をみると10組以上だ。さすが人気の店だ。
このまま順番を待っていたら1時間以上はかかるのでまずは温泉に入りに行こうということになった。
お昼はどっかで済まし、達磨は夕食にまわすことになった。
天山か一休の日帰り温泉に行くつもりで車を走らせてると、「箱根の湯」の看板を発見。
新規開拓もいいわね、という奥さんの言葉に押されてここに決定。
三枚橋を左折し、旧道をくねくねとしばらく走って「箱根の湯」に到着。
結論から言うと、ここを選んで正解だった。
42度~43度ほどの無色透明の源泉が湯舟を満たし、気持ちよく過ごせる。
内湯と二つの露天風呂がある。
食事処があったのが幸いだった。
あったかい蕎麦がおいしかった。(食事処は14時で営業終り)
休憩室もあり、のんびり昼寝もできた。
休憩の部屋
午後4時出発。
いつの間にか雨が降っている。午前中はいい天気で湘南バイパスから相模湾がよく見えたというのに箱根は、やはり天気が不安定だ。
鈴廣で大好きなシソ巻蒲鉾を買って、達磨へ向かう。
店は昼と打って変わって空いていた。
ただ、板前さんの休憩のため3時~6時まで寿司は提供できませんとのこと。
私は当初の予定どおり天丼セット、奥さんは刺身定食を注文。
やはりお刺身、おいしいわね と奥さんは満足の様子。
しそ巻き蒲鉾 茶色いのは軟骨入り蒲鉾
もう4月が目の前だ!
久しぶりの投稿である。
書く頻度が減ってきてるのは、いったいどうしたことか。
要はだんだんと書くのがめんどくさくなってきたのだろう。
風光る雲のきんたまぶうらぶら
早春の雲は乳房を出したがる
(八木忠栄/句集「身体論」から)
8年前の2017年2月、
635.「ひま道楽」(坪内稔典著/岩波書店/2016.12)について書いた。
坪内稔典は1944年愛媛県生まれ。
俳句界では知らぬ人はいないほどの人物らしい。
上の二句はこの本からの引用である。
どこか、とぼけていてほっとする句である。
2月12日、福島県福島市の高湯温泉で源泉の点検で雪山に入った花月ハイランドホテル支配人ら3人が硫化水素を吸い込んで亡くなった。
3人が倒れていた場所はくぼ地で硫化水素ガスが溜まりやすかった場所だったという。夏なら拡散して濃度が薄まるので問題ないだろうが、雪を被ったため高濃度の硫化水素が溜まっていたと思われる。
冬の温泉地でたしか同じような死亡事故があったな、と思い調べてみた。
2005年12月29日、秋田県湯沢市の泥湯温泉で家族4人が死亡する事故が起きた。もう20年も前のことだ。
たしか、ご主人は東大の助手だったと記憶している。奥さんと小3、小1の男の子の4人で旅行に来ていた。逸れたボールを子供が取りに雪に入ったところで倒れ、助けに行った家族が次々と高濃度の硫化水素を吸い込んで亡くなった。いずれも痛ましい事故だ。
咳がとまらない。
今月初めにノドの痛みと咳がではじめた。
同じころ奥さんがインフルエンザA型にかかり40度の熱が出た。
いちおう別々の部屋で過ごし感染を防いだ。
私のほう咳は出るけど熱はないからインフルではないようだ。
医者に行き、薬も処方してもらった。
しかし、治ったかなぁと思ったらまたぶり返す。しつこい症状だ。
年齢を重ねると回復力も落ちてくるんだろう、と納得しているものの、
いつまでも止まらぬ咳に腹筋も痛みだし、本当にまいってしまう。
やっと日常を取り戻しつつある奥さんが「来年は予防注射受けることにするわ」 と反省の弁。
私はこれまで一度もインフルエンザにもコロナにもかかったことはない。
そのせいか免疫力や健康に妙に自信を決め込んでいた節がある。
でもまぁ、年齢とともにそれらが低下し、衰えていることは間違いない。
そのことを自覚して生活しなくてはいけない、と自省している。
※思い返すとちょうど1年前の1月に同じようなノドの痛みを訴えていた
(1047.ノドの痛み 2024.1.14)
ゴホゴホ !!
水仙が見ごろの三浦半島・城ヶ島 2025.2.15
玄関に飾ったロウバイが心地よい香りを漂わせている。
今年に入って群馬県安中市松井田町の「ろうばい園」を訪ねた。
その二日後、今度は神奈川県松田町の「ろうばい祭り」に行ってきた。
前者は奧さんの実家(高崎市)へ行ったついで、後者は丹沢・秦野湧水の水汲みの帰りに立ち寄った。
ロウバイは1月中旬から2月中旬までの約1ヶ月が見頃。
切り枝を買い求め、知り合いの3軒に届け、喜ばれた。
新春の香りがする。
玄関に活けたロウバイ
<群馬県松井田町のろうばい園>
妙義山が目の前
<神奈川県松田町寄(やどりぎ)のロウバイ>
高崎の奥さんの実家からの帰り、どっかの温泉でも入っていこうということになり、玉川温泉(埼玉県ときがわ町)に立ち寄ることにした。関越道の嵐山小川ICを降りて10キロほどで到着。これで今年3回目の入湯かも。時間は月曜日の午後3時半。
入館料880円。
ここは昭和レトロの雰囲気作りが売りのひとつ。
冬なので休憩室には炬燵が沢山用意されていた。これにはびっくり。なかなかのサービス精神だ。
湯船は内湯と露天のふたつ。
内湯はややぬるめで、アルカリ泉ため肌がつるつるとする。
そしてもうひとつの露天風呂は熱い湯が流れ込んでくる。
奧さんの話しでは女湯の露天風呂はそれほど熱くはなかったそうだ。
熱めの湯を好む奧さんには少々物足りなかったようだ。
せっかくなので湯上がりに炬燵に入って「玉川温泉サイダー」を飲む。柑橘系のすっきりした味だった。
5時過ぎ、外へ出ると、もう辺りは夕闇に覆われていた。
山間の冷たい空気が気持ちいい。
さて、これから一般道を走って25キロ先の圏央道・狭山日高ICに入るつもりだ。
自宅に帰り着くまでにはあと2時間はかかるだろう。
11月の半ば、山梨県の身延山へ奥さんと一泊旅にでかけた。
山門近くの駐車場に車を停め、山門をくぐる。
と、目の前に石段が壁のように立ちはだかっている。急こう配だ。
100段くらいはありそう。菩提梯というそうだ。
でも、これを登っていくのはちょっと辛い。
なので、これをパスしてロープウェイまで坂道を10分ほど歩くことに。
この辺りは枝垂桜がとても多い。
春はたくさんの観光客が訪れるようだ。
奥の院からの眺めを楽しんだあとロープウェイを下って本堂の久遠寺を参拝。
でかい建物だ。五重塔とともに存在感が圧倒的。
山の中腹によくぞこれだけの広い境内をつくったものだと感心する。
奥さんはお友達のお土産を選んでいる。
久遠寺へ入る山門
石段の一部が見える
ロープウェイ
富士川が見えた
久遠寺本堂
枝垂桜
春は枝垂桜がみごとですよ。
花見の車で渋滞するから上の駐車場に朝6時くらいに入れて見学するといいわね。9時になったら駐車場行く道は封鎖しちゃうから、早く来て入れないとね。24時間開いてるから早く来ても大丈夫よ。
ここの身延山の高校はね、昔はお寺さんの子息が多かったけど今は誰でも受け入れてるみたい。不登校の子供とかね。
朝のお勤めなんかも全員でやるので生活習慣がつくみたいですよ。
土産物屋のおばちゃんにいろいろと聞きながら奥さんはいくつもお土産を購入。帰り道は女坂で山門まで下ったのだが、結構きつい坂道だった。
さて、今日ひとつめの温泉は山梨県南部町の「もりのなか温泉 なんぶの湯」。
身延線沿いにさらに南下し、あと少しで静岡県かなという町にある。
入浴料980円。館内に入ってまず驚いた。
ハンモックや掘りごたつ型のソファがある。そこでみなさん自由に読書している。
なんか居心地よさそう。
マンガ、本、雑誌などが約8,000冊あるとか。
パソコン、WI-FIも完備されていて申し分ない。
こんな田舎の町(失礼!)でこんなに洒落た最新施設があるなんてほんと驚いた。
お腹が空いたのでまずは食堂で昼食をとる。
地下1,500メートルから湧き出す温泉はアルカリ性単純泉でPH10.3の高濃度温泉。円形の露天風呂が何といっても気持ちいい。
初めて来た温泉だったが、いい温泉を探し当てた気分である。
ところで今日の宿は山梨県中央市の「シルクふれんどりー」。
なんぶの湯からは1時間くらいの距離。いつも行く「みたまの湯」の近くだ。夕方6時ころに到着。部屋に入ると壁紙や畳が新しい。
畳の匂いがプーンとする。
あとで訊くと、この7月にリニューアルオープンしたとのこと。
実は、ここへは10年以上前に、娘夫婦二組とおばあちゃんを連れて一泊したことがあった。孫がまだハイハイしていたころだ。
シルクフレンドリーの湯は日帰り温泉も兼ねている。地元の人も入りにくる名泉である。
温泉は硫黄塩泉を含むPH9.8のアルカリ温泉。
露天風呂が無いのは残念である。
翌日、朝食のあと附近の散歩にでかけた。
紅葉が真っ盛りである。
チェックアウトし、10分足らずで「みたまの湯」に到着。
ゆっくり過ごし、お昼を食べてから適当な時間に出発する予定だ。
シルクふれんどりー
おしゃれな朝食
紅葉真っ盛り
年の瀬である。
今年の3月、うちの奥さんのお母さん(95才)が亡くなった。
先週、喪中はがきを出したところである。
12月に入って奥さんの友人から喪中の葉書が次々と届いた。
ちょうど、私たちの親世代がそんな年齢になってきたんだなぁと実感する。
そんななか、届いた喪中はがきの一枚に目が釘付けになった。
今年46歳になる長男が産まれたころ、我々夫婦は共働きであった。
奥さんが職場に復帰するにあたって一番の悩みは保育園への送り迎えだった。
通勤時間を考えると、8時半、17時の送り迎えは困難だ・
まだ、幼児の長男をどうやって預けたらよいのか、ほんとうに困っていたとき、
「赤旗日曜版」をいつも届けに来ている近所のご夫婦が長男の送り迎えを引き受けてくれることになったのだ。
そのおうちは中学生の3人姉妹なため、まだベビーカーに乗ってる幼児の男の子をとても珍しがって皆で可愛がっていただいた。
朝は7時半ころにお宅に預け、保育園に連れて行ってもらう。夕方5時ころに保育園へ迎えに行ってもらい、私たちが迎えに行くまでお宅で過ごさせてもらった。要は二重保育ということだ。
親身になって2年間お世話いたただいたおじちゃんとおばちゃん。
そしてさっき、
おばちゃんが先月92才で亡くなったという喪中はがきが届いたのだ。
おじちゃんは3年前に亡くなられており、娘さんの今年の年賀状に、おばちゃんは認知症が進んで施設に入っています、とのことだった。
当時、私たち若い夫婦の生活をしっかりと支えてくださったお二人にとても感謝している。心からご冥福を祈りたい。
今年は芸能人の訃報も相次いだ。西田敏行、中山美穂・・。
なかでも火野正平が亡くなったというニュースには驚いた。
春に腰痛が悪化したとのことでNHK-BSの名物番組「こころ旅」が中断し、
繫ぎで田中要次や田中美佐子などが代役をつとめていた。
ふたりの田中も面白い天然キャラだったので、これはこれで楽しい番組であった。
秋くらいには復帰するだろうと楽しみに待ってたのにあっけなく急逝してしまった。74才は若すぎる。
サインもらったり一緒に記念写真を撮った全国の火野正平ファンは、がっかりしているだろう。
火野正平が自転車で訪ね歩いた全国の「こころの風景」。
この番組を見て、へぇ~、こんなところもあるんだぁ、今度行ってみようと何度おもったことか。この番組は私にとって旅の情報源でもあった。
お陰で知られざる名所をあちこちと見て回ることができた。
火野正平は、平気で蛇を素手でつかんだり昆虫、野生の実にも詳しかった。
高い所が苦手で橋を渡るときなど、へっぴり腰で情けない顔をみせ、
ナポリタンにタバスコをかけてむせるシーンはおなじみの光景だった。
旅先ではつい女性に声をかけてしまうし、人生下り坂、最高!! と叫びながら不良老人を演じて生ききった。
お疲れさまでした。
自民党総裁選が毎日のようにTV、新聞、ネットをにぎわせている。
事実上の首相選びだ。
気の早いネットでは小泉首相が確実とみて閣僚候補者まで報じている。
ちょっと待てよ、と思う。
国内の有権者数は約1億130万人。
その0.01%に過ぎない自民党員109万人と自民党国会議員367人だけで国のかじ取りを任せる首相を決めちゃっていいの? ということである。
国民には小泉進次郎の人気が高いという。
いったいどこの誰が彼のどこを評価してのことなのか皆目、見当がつかない。
ここでB層という用語をおもいだす。
あまりものごとを深く考えず、周りの雰囲気や風潮に流されやすい人たちのことを指す世論調査・マスコミ用語である。
話しは横にそれるが、今、コメ不足が問題になっているけれど、
勝手な想像ではあるが、過剰な買い占めに走っているのはこのB層の人たちなのではないだろうか。ある研究では約20%を占めるというから日本全体では2千万人、無視できない塊である。
小泉進次郎が首相に!・・なんていう悪夢は見たくないと思う人もいるだろう。なぜか?
それは「小泉構文」と揶揄される彼独特の言い回しや言動に原因がある。
彼のクセに惑わされずによく聞けば、何ら意味のあることを言っていないことに気付く。中味が空疎で珍妙なのだ。
むかし、TBSテレビ「ひるおび」で政治評論家の伊藤惇夫氏が彼のことを評して「名子役」と喝破していたが、まさに政治家・小泉進次郎の本質を突いているではないか。
つまり、お子ちゃまなのに大人ぶったふるまいをしようとして空回りしている、そういうことである。Adult Children、痛々しい。
そんな小泉進次郎を総裁選の裏で操っているのが菅義偉だとか。
おぞましい光景だ。
かつて自民党内最大派閥の田中派を率いる自民党幹事長であった小沢一郎が
「神輿(みこし)は軽くてパーがいい」といい放ったことがある。
少数派閥出身の海部首相を擁立した時のことだ。
今回も小泉進次郎を選挙の顔として最大限利用し尽くし、たとえ政権ができても、すぐにメッキがはがれて馬脚を現すだろうから、それまでせいぜい1~2年もてばいい・・
「おぬしも悪よのう」の自民党悪代官たちが描く小泉新次郎使い捨てシナリオが透けて見える。
国民はずっとなめられ放しだ。
最近、読み終えてとてもすっきりした本がある。
適菜収著「自民党の大罪」(祥伝社)である。
著者は言う。
『 平成元年(1989)以降、自民党は急速に劣化していった。
昔の自民党が素晴らしい政党だったなどと言うつもりはない。
指摘したいのは、自民党が質的・内容的にまったく別の党になってし
まったことである。
その過程を見るときに、三人の政治家を観察するとわかりやすい。
小沢一郎、小泉純一郎、安倍晋三である。
小沢がまいた種を小泉が悪用し、安倍政権という究極の悪夢に行き着い
た。そして、いかがわしい連中が国家の中枢を汚染し、破壊活動を行なっ
てきた。(略)
謙虚さ、品性、成熟の対極にあるものが、今の自民党である。
自民党はすでに保守的要素はない。
現在の自民党は新自由主義勢力、財界、政商、カルト、反日勢力の複合体
となっている。 』
そして、著者は方法論として、この国を徹底的にダメにした自民党の政治家を個別に検証することで、変容した党の本質をあぶりだすことにした。
自民党劣化を招いた政治家として小沢一郎、橋本竜太郎、小泉純一郎そして安倍晋三を糾弾し、さらに自民党を壊した戦犯として岸田文雄、菅義偉、石原慎太郎、そして政商の竹中平蔵をバッサリとさばいている。
(自民党を日本と読み替えてもいい。)
この本の帯にこうある。
『組織的に犯罪を犯しても「それでも自民党」。
反日カルトとつながっていても「それでも自民党」。
北方領土をむしり取られても「それでも自民党」。
社会を破壊しても「それでも自民党」。
国民のカネをかってに選挙に流用しても「それでも自民党」。
自民党という異常な組織が、生き延びてきた理由がよくわかる。
仏教の宗派ではあるまいし「うちは代々自民党支持だからね」と思考停止
した連中が悪党を暴走させたのである。( 「おわりに」より) 』
わたしは、一度も自民党に票を投じたことはないけれど、
適菜収は、それでも自民党? ですかと、読者に問いかけ続ける。
さらに、
著者は自民党という粗忽長屋に住む住民(議員)一人ひとりの怪しさを暴き、同時に共犯者として新聞、テレビ、保守系雑誌などのメディアにも鋭く迫る。
どんな本なのか、「自民党の大罪」のカバーと目次を引用させてもらうことにする。
そして、小泉進次郎のページも引用させてもらう。
適菜収によれば、小泉進次郎は下半身から先に生まれた男である。
そして、すがすがしいほどの「天性のバカ」なんだそうだ。
後半に引用した毎日新聞日曜版の名物コラム、「松尾貴史のちょっと違和感」とあわせて読むとそのバカの立体像がよく見えてくる。
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・・・・・・・・・・・・・・
ついでに、2024年9月8日、毎日新聞日曜版の名物コラム、「松尾貴史のちょっと違和感」も引用してみよう。ここでも「自民党の大罪」の著者と同様に小泉進次郎に抱く不安感・違和感を書き記している。
もしトラと同じように、もしコイになったらこれからの日本がとっても心配だ。
・・・・・・・・・
さらにもうひとつ紹介。
小泉進次郎を取り上げる一週間前の2024年9月1日、
「松尾貴史のちょっと違和感」は河野太郎もとりあげていた。
河野太郎はマイナンバーカード普及策にみられるように、ともかく強引で乱暴だ。当初、任意性だったのにいつの間にか健康保険証と結び付けられ、マイナンバーカードは事実上の強制となった。ペテンである。
そもそも河野太郎には国民に寄り添う政治家としての基本的素養に欠けている。なのに若い連中に人気があるという。不思議な現象である。
小泉、河野、菅の3人は揃いもそろって神奈川が選挙区だ。
なんだか県民の恥のようで肩身が狭い。
前置きが長くなったが、さっそく引用してみよう。
・・・・・・・・・
奥さんの実家がある群馬県高崎市へ行くとき、関越自動車道を利用する。練馬料金所から1時間、高崎ICに近づくと右手に太陽誘電(TAIYO YUDEN)の工場が目に入ってくる。
この会社名を見るたび、わたしは大学時代のK君のことを想いだしてしまう。
受験当時、都内で工学部のある国立大学は三校しかなかった。
私はそのうちの一校の電気工学科に入学した。ずいぶんと、昔のことだ。
好きなことをやり続けて留年を2度繰り返した在学6年目のことだ。
同期入学の連中はとっくに卒業し、一年後輩にも学年を抜かれ、
これはいかんなぁ、と感じ始めていたころだ。
在籍した研究室の掲示板にはSONY、NEC、日立、NTTなど数百社からの入社募集があった。
しかし、わたしは企業に就職する気はまったくなく横目に流していた。
それよりもっと大事なことが目の前にあった。
つまり、卒業することである。
それにはまず残りの単位を取得する必要がある。
どうにも苦手な電子回路理論などの後期試験を突破しなければならない。
切羽詰まったわたしはクラスのK君に助けを求めた。
試験の答を見せてくれないかと頼んだのだ。つまりカンニングだ。
そんなに親しい関係ではなかったが、彼なら・・と直感したのだ。
K君はしょうがない奴だなぁ、とダメな留年男を憐れんでくれた。
試験本番。わたしの前の席に座ったK君は体を少し左に寄せ、解答用紙を右側にそっとずらした。そしてもうひとつ。電子物性の単位だ。
卒業にはもう単位をひとつも落とせない状況にあった。
ところが、その物性論の試験結果にはちょっと自信がなかった。
わたしは思い切って担当のN助教授の研究室を訪ね、ドアをノックした。
机の向こうで怪訝な面持ちのN先生の前でわたしは単刀直入に云った。
単位よろしくお願いします!
汗ばんだ私の右手にはSUNTRY OLD WHISKYの入った紙袋が握られていた。
今思い返せば、NGレベルのことを大胆にやっちまったわけだ。
若かったとはいえ、人間、追い込まれると何をしでかすか分からないことを証明したようなものだ。Myブラック史に記憶されるひとコマである。
とまぁ、いろいろあって何とか卒業の運びとなった。
でも、肝心の卒業式には出席しないで鹿児島の与論島に遊びに行ってる始末。バカにつける薬はないとはこのことだ。
なのでK君にはとても感謝している。
そのK君の就職先が太陽誘電だったのである。
資本金335億円、従業員2万人を超える通信用デバイス、セラミックコンデンサ等を製造する会社である。また、日本で初めてCD-Rを開発するなど優れた研究開発力を持つ会社でもある。
頭の回転が速いK君のことだ。きっと順調な会社人生を歩んだに違いない。
ところで、わたしが学生当時に描いてた卒業後の夢。
それは高校の教師になることだった。そして物静かな女性と結婚し、ベビーカーを押しながら武蔵野の雑木林を散歩し、穏やかに暮らしている姿を夢想していた。それは、誰にでもある青春の蹉跌の懐いからだったのかもしれない(954.そして今に)。
必要な教科を履修し、東京都教育委員会から教員免許(高校物理)を得ていたので、あとは教員採用試験を受けるだけ。
ところが東京はじめ近県の教員試験は軒並み不合格。
受けても受けても不合格の知らせばかり。
これはまずいと、とりあえず足元の県と市の職員採用試験(技術職)をうけた。そして両方から合格通知が届いた。とりあえず軽い腰かけ気分で市に就職することにした。
面接のとき「わたしは大地の塩になり市民のために働きたい」と殊勝なことを人事課の職員の前で云ったことをよく覚えている。3年経って仕事が面白くなり、公害問題、とりわけNOx(窒素酸化物)による大気汚染対策に取り組むことになる。
コンピューターを駆使して将来の環境濃度をシミュレーションし、目標値を達成するため工場ばい煙の削減量をはじき出して規制基準を策定する。
公害対策審議会・専門部会にこれらの資料を出して審議していただき、答申を得て条例を改正する。
まぁ、ざっとこんな仕事をずっとやってきた。
いい加減な性格の割にはけっこう真面目に仕事をこなしてきたようだ。
K君は今どうしているのかわからないが、彼のお陰で卒業のための準備を整えることができたし、その後のわたしの職業人生も充実させることができた。
そして、もう一つの夢であった結婚。
わたしが二十五歳で市に就職した年、縁あって知り合った二十歳の音大生。
白いミニスカートのスラリとした足がまぶしかった。
3年後の卒業を待って私たちは結婚。そして一男二女の子供を授かった。
わたしは昔からいい加減な性分なので、自堕落な生活にいつ落ち込んでも不思議はなかった。
でも今、平穏に暮らしを送ることができている。
それは、ひとえに心身共に健康な奥さんのお陰である。
彼女の天性の優しさ、楽天的な品性、正直で真っすぐな心にどれほど救われたことか。一緒に暮らすことで私の心のバイアスが少しずつ修正されていった。だから、口にしてないけれど彼女のことを心底からRespectしている。
そして記憶の遠くにいるK君にも感謝している。
先日、自分のブログページを開くと、goo事務局から奇妙な警告文らしきものが張り付いていた。
中味を読むと、あなたのブログの一部はgooの規約違反になるので注意されたし、という趣旨のようだ。
要は、私のブログのどこかに「誹謗・中傷、他人を傷つける行為」にあたる部分があったようなのだ。
単なる憶測だが、当方のブログを目にしたどなたかがgooの通報制度にしたがって「規約違反と思われるブログのURL」を通報したのではないかと推測した。
規約上、「問題があると判断した投稿やブログに対しては「goo blog サービス利用規約」に基き対応をします」とのことなので、
規約どおりgooは措置・対応したというなのだろう。
では、どの記事内容のが規約違反なのか自主点検してみた。
思い当たるフシはないのだが、強いて想像するなら、「1065.がっかりな都民選択」ではないか。
都民、知事を批判的に書いたことが「誹謗・中傷」に該当したやもしれない(私は見当違い、お門違いだと確信するのだが)。
さらに、そこで引用した「1002.市民感覚ずれた政党」として日本共産党を取り上げたことも相乗作用したかもしれぬ。
いずれにしても「誹謗・中傷」の具体的な指摘があったわけでもなく、どうにも消化不良としか言いようがない。異論や批判があって当然の世の中だが、ギスギスと目くじらを立てず、おおらかに人生を過ごしましょう。
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全国高校野球選手権神奈川大会 が始まった。
我が家ではこの季節は高校野球の話題が中心で、じっとしていられない。
息子は高校を卒業して30年近くなるが、私ら夫婦はいつも息子の母校の初戦を観に行くことにしている。
小中高と野球を続け、ずっとショートを守ってきた息子。チームは県大会の予選をいつも無難に突破し、公立高校としてはけっして弱いチームではなかった。
ところが、高3の最後の夏の大会でまさかの初戦負け。
子供らは無論のこと父母にとっても大ショックな夏の大会となった。
大会後、息子は六大学に入ったが野球は続けなかった。10年間やってきて燃え尽きてしまったのかもしれない。
当時の監督さんの定年退職を祝い、多くの野球部OBが集まったのは昨年の暮れのことだった。
初戦負けした同じ球場で今日、試合があるのも何かの因縁かも。
この日のピッチャーはストレートが手元でぐっと伸びる球を投げ、9回まで20個近くの三振をとる好投。3対0で初戦を突破した。
2回戦はTVで観戦。
1対3で負けていた9回表、一気に集中打が出て逆転勝利。3回戦へと進んだ。
その9回の得点シーンをビデオで何度、何度も見てしまった。
彼らにとって嬉しいお宝映像になったことだろう。
息子と同じ6番ショートの後輩
〈追伸〉
このあと3回戦も突破したが、4回戦で強豪校と当たってコールド負けし、今年の夏が終わった。
決勝戦は東海相模高校が横浜高校を6対4で逆転勝ちし、甲子園への切符を手にした。
7月のこの時季、桃を求めに山梨県勝沼にでかけることにしている。
中央道勝沼ICを降りて、約15分、JAの桃共選所に到着。
最盛期なので建物の中ではベルトコンベアなどが忙しく稼働している。10時半、もう7~8人が行列して待っている。
昔は買いに来る人も少なく、すぐに買えたし、試食させてくれたり、おまけの桃を2~3個袋に入れてくれたものだ。
その試食もコロナ騒ぎでなくなり、だんだんと訪れる人も増えてきた。
おばちゃん一人で現金の受け渡しや宅配便の伝票処理をしてるのでなかなか列が進まない。以前はおじさんがいたのだが今年は歳のせいで辞めたそうだ。
大きい桃が13個入っている3,000円の箱を二つ購入。
ひとつは自家用で、もう一つは奥さんのお友達Sさんに毎夏とどけている。
この秋、歩く会で勝沼に一泊旅を予定している。
見学先のひとつとして恵林寺(開創1330年)をかんがえている。
武田信玄、柳沢吉保の菩提寺であり、夢窓国師が作庭した日本庭園が有名だ。
塩山駅から西沢渓谷行きのバスで10分の距離にある。
お昼時でお腹が空いてきたので境内の「一休庵」で「もり蕎麦」を注文。
美味しい蕎麦だった。元能舞台だったところでも食事ができて雰囲気がよい。ここでお昼にしたら歩く会の皆さんも気に入ってくれると直感した。
恵林寺から歩いて10分の花のお寺、放光寺にも立ち寄った。
初夏の今、咲いてるのはアジサイ、キスゲ、蓮の花たちだった。
このあと、ひと風呂浴びに「みたまの湯」へ直行した。
一休庵 ここは元能舞台だった
放光寺
方光寺の境内で