温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

717.近江ひとり旅④金剛輪寺・百済寺

2018-04-18 | 近江の観音巡り

三月の初旬は萌える新緑には早いし花もこれから。
中途半端でちょっと地味な季節といえる。
おかげで観光客も少ないのでマイペースで静かな観音めぐりができる。

■金剛輪寺

 西明寺から3キロ、湖東山三の2番目のお寺、金剛輪寺に到着。時間は午前11時半。
山門を入り、ゆるやかな石段をのぼっていくと受付所。
600円を払って先に進む。

日本庭園を拝観し、本堂へ。鎌倉期和様建造物の代表例として本堂(大悲閣)は国宝指定されている。
ご多分にもれず、この寺も織田信長による焼き討ちにあうが本堂、三重塔は難を逃れ、700年を超えて今の姿がある。

本堂内はひんやりした気が漂い、ふた抱えもある太い柱が堂を支える。
後陣にまわると重要文化財の仏像が建ち並んでいる。
とりわけ十一面観音立像は何度も見入ってしまった。
やさしい慈悲にみちた顔である。
堂内はもちろん撮影禁止である。なので、あちこちの寺巡りをしていると、どの寺がどんな様子だったか正確には思い出せなくなってしまう。
それでも、金剛輪寺の十一面観音立像は印象深く心に残った。



















■百済寺

びわ湖の東側の山中にある天台の三ケ寺、西明寺、金剛輪寺、百済寺は「湖東三山」を呼ばれ、なかでも最古の寺が百済寺である。
1400年前の飛鳥時代、聖徳太子の発願によって建立されたという古刹である。

喜見院の庭園を愛でたあと、ゆるやかに続く石段を進むとやがて仁王門。大きな草鞋が両側にかかっている。
金剛力士像に挨拶し、さらに歩を進める。
ここは森の中。小鳥のさえずりが絶えず聞こえ、思わず佇んで聴き入ってしまう。木立の向こうで何か動くものがいる。
野生の猿だ。5~6頭いる。小猿もいるのできっと家族だろう。

「仁王門をくぐると、まるで空中に浮かんでいるかのように現れる」(五木寛之)という本堂。

実際に下から見上げるとこれは少しオーバーな表現だなと分かる。
他の寺と違ってここの本堂には寺の関係者がいない。無人ということ。
堂内には秘仏の十一面観音立像に代わって如意輪観音菩薩半跏思惟像二体が出迎えてくれる。
ライトアップされた菩薩像はなかなかになまめかしい。
親切なことに双眼鏡も用意されていて堂内の奥を眺めることができる。

百済寺の最盛期は三百余坊といわれるほどの僧坊を擁し、壮大な大寺院であった。
しかし、1573年、織田信長によって全山を焼かれ伽藍や寺宝を失い、ついに廃寺に追い込まれる。その後、1650年に本堂、仁王門、山門が再建され、今日に至っている。

近江地方は奥深い歴史が刻まれている。



















 


711.近江ひとり旅 ③湖東三山

2018-03-29 | 近江の観音巡り

 

あのー、お名前をもう一度・・・、誠に申し訳ありませんがご予約がないようですが・・

ホテルのフロントマンが困惑した顔でそう言う。
ここは東横イン米原。こっち方面の旅では毎度利用しているホテルなので土地勘はあるし買い物もどこですればいいか良く知っている。
余裕でいつもの駐車場に車を入れ荷物をまとめ、受付まで来たところなのに・・・えっ、どういうこと?

車に戻り、プリントアウトした予約表を見ると・・・・
なんと予約先のホテルが違っている!!
宿泊は東横イン彦根と印刷されているではないか。

そうだ想いだしたよ、湖東三山の寺を巡るには彦根のほうがいいなと思い
米原から彦根にわざわざ変えたのだ
ネットで予約手続きしたのでどうも印象に残らなかったようだ。
勘違いしたままの頭で慣れというか、記憶の刷り込みで東横イン米原に自然と足が向いてしまったにちがいない。

あぁいやだ、いやだ、勘違いや間違えがこの頃多くなってほんと嫌になる。次は糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が収集した「言いまつがい」にある電話でのウッカリ話しのひとつ。

  失礼ですが、どなた様ですか
       ↓
  失礼ですが、どんな玉ですか

訊かれたほうもどう返答したらよいやら、ちと悩むよねぇ、これは。
笑っていたらふと以前書いた「317.金玉の品格」を思いだした。金玉は臭くてなんぼのものだ・・という安彦麻理絵女史の力強いお言葉が脳裏に浮かんだ。

それにつけても、冷や汗をかきながら
フロントマンに謝って車を再び動かし、5キロほど先の彦根へ向かうのだった。もう暗い。

・・・・・・・・・・・・・・

朝、7時に目が覚める。よく寝た。天気もよさそうだ。
ポットで湯を沸かしコーヒーをいれる。
家を出てからここまで約530キロを走ってきた。
このホテルには今日も泊まる予定。つまり連泊。

2階の窓から見ると、彦根駅が眼の前。朝の通勤時間帯なので電車が頻繁に行き来している。
駅向こうに彦根城も見える。大規模な再開発をしたようで駅前がすっきりしている。
ここの東横イン彦根もこの1月オープンとのこと。
Ksケーズデンキとかの大型店もある。
なんか活気ある町のようだ。


ホテルの部屋から


彦根駅前





9時にホテルを出発。
今日は湖東三山といわれる西明寺、金剛輪寺そして百済寺を再訪する。2016年6月以来ということになる。
多賀神社に寄る。立派な神社だ。庭園を拝観する。



朝の多賀神社






10時半、西明寺到着。
時間が早いせいか拝観は私ひとり。
本堂(瑠璃殿)は鎌倉初期の建立で国宝第一号。
なにより本堂内陣の仏像群が圧巻である。

秘仏の薬師如来が納められた厨子の周りを日光・月光菩薩立像、薬師十二神将立像が囲んでいる。
荘厳で静穏な空気、時が堂内に充ち満ちている。
いつまでも佇んでいたい心地よさがある。

同じく国宝の三重塔(高さ23.7メートル)は鎌倉時代後期の建立。塔内の大日如来座像は毎年、4月と11月の第2週に公開される。これは是非とも拝観したいものだ。


本堂内陣 (パンフレットから)







 





 

 

 


709.近江ひとり旅 ②メタセコイア並木

2018-03-27 | 近江の観音巡り

さっき入った近江チャンポンの店、隣に座ったおばちゃんすごく親切だった。
注文した野菜たっぷりの近江チャンポンがくると、はい、とおばちゃんが箸を渡してくれた。
たしかに少し取りにくいところに箸置きがあったのでありがたい。
お礼を云って食べ始める。野菜の甘みがスープに溶け込んで美味い。

あっという間に平らげ、フーとひと息つくと、隣のおばちゃん今度はティッシュを渡してくれた。
口をぬぐい鼻もかみたいところだったので再びのご厚意にこれまたどうも・・と返礼。
ここはいつ来ても混んでるわねぇ、とおばちゃんがポツンとひと言。
  

    「近江ちゃんぽん 写真 イラスト」の画像検索結果    「近江ちゃんぽん 写真 イラスト」の画像検索結果


びわ湖の最北端を回り込んで高島市に入る。
マキノ高原温泉さらさ」の看板が目にとびこんできた。
昼飯食べて少し眠くなってきたし、入っていくことにした。
入浴料700円。透明な♨。
スキー場が眼の前にあるのでシーズン中は混み合うことだろうが、今日はガラガラ。




ここから直線の道を4キロほど南下する。
するといきなりメタセコイア並木が現れた。この並木を知るきっかけはびわ湖周辺に住んでる女性のブログ。

このブログ(「yuzuの記」)にはいつも清潔感溢れる文章が綴られ、そしてなによりプロ並みの写真がとても魅力的。
そのなかに雪のマキノ高原のメタセコイアが載っていた。
これはいつか行ってみたいと暖めていた場所だった。
500本のメタセコイアが2.4キロにわたって整然と植えられている。北海道の景色のようでもある。
ついつい道の真ん中に出て写真を撮ってしまうのだった。

更に8キロほど南下し高島市今津のザゼンソウ群生地を訪ねた。住宅地の一角で開発をまぬがれた感じの湿地にその姿を
見つけた。

メタセコイアとザゼンソウ、赤後寺、石道寺、西野薬師観音動のデジブックアルバムはココ

今は午後4時半。
陽もだいぶ傾いてきた。
ホテルへと向かうことにする。
新幹線米原駅をカーナビにセットして出発だ。




メタセコイア並木






ザゼンソウ


 


708.近江ひとり旅 ①湖北地方の仏像たち

2018-03-23 | 近江の観音巡り

2018年3月13日、朝9時、名神高速の米原ICを下りる。
びわ湖を見たくなって湖岸へと向かう。
明るい朝の日射しがフロントガラスに入ってくる。
気持ちが浮きだってくる。

水鳥公園の駐車場に車をいれ、眼の前の湖岸へ。
びわ湖は広くておおきい。湖水に写る木立とその根元で休息する鳥たち。実に日本画的な風景だ。

今日は目一杯、湖北地方を楽しもうとおもっている。
マキノ高原のメタセコイア並木ザゼンソウの群生地をたずねるのが今日のメイン。
でもまぁこの地区は観音さまの宝庫であるからぜひとも会っておきたい。


びわ湖 



びわ湖を離れ、たんぼ道を走っていると赤後寺の案内標識が目に入った。
あっ、ここは一昨年、長浜市主催の観音巡りで立ち寄った寺だなぁ、とすぐに想いだした。
想い出すと同時に寄り道していくかぁと・・と決めた。
思いつくままの気ままな心にどこまでもくっついていく。
これがぶらり旅のいいところ。

湖北に位置する高月町は鎌倉・平安時代の観音像の宝庫である。その多くは戦乱の下、村人によって大事に守られ、引き継がれ今日に至っている。


赤後寺(しゃくごじ)もそのひとつで、重要文化財の聖観音立像・千手観音立像が厨子に祀られている。
仏像を拝観するには事前に電話予約しなければならない。管理当番の住民が常時寺にいるわけではないからだ。

しかし、ここは門前に専用の携帯電話が置いてあって連絡が取れるようになっている。実に親切な応対だ。
参拝客への町の人たちのおもてなし方が嬉しい。

携帯を置いて10分後、自転車に乗って初老のお父さんがやってきた。挨拶もそこそこに鍵を開け、堂内へ招き入れてくれた。

観音像は二体。
いずれも手先が欠けており痛々しい姿である。
戦国時代に織田信長による焼き討ちから守るため村人が背負い、川に沈めたときに消失したらしい。
最近の科学的分析によると水中に沈んでいた期間はおよそ250年ということが判明したとのことである。


赤後寺


下の資料(写し)のとおり、これらの観音像は長年秘仏であった。
しかし重要文化財に指定されると一般公開しなければならない。秘仏のままでいくか重要文化財の指定を受けるか、非公開か公開か・・・真っ向から対立する意見で村は二分され、結局あみだくじで決めよう、となったとのこと。

これがそのときのあみだくじです、やってみますかとお父さん。
ではということで、四角い長方形の箱を上下にシャカシャカしてくじを引くと・・・・何と「大吉」!!!

この旅はきっといいことがあるような気がしてきた。
カニみたいな格好の変わった観音様があるけど見ていったらいいですよ・・・とお父さんが勧めてくれた。

そのお寺、正妙寺の管理人さんに電話で予約してくれたうえに、
石道寺にも電話を入れて開館を確認してくれた。
ほんとに何から何までありがとうございました。




  (奥びわ湖観光協会 パンフレットから)


 



石道寺は多分4回は訪ねているだろう。
こっち方面へ来たら必ず寄って拝見したい観音像である。
この時季、花が咲くにはまだ寒い。
石道寺への石段はどことなく殺風景なのだが春には枝垂れサクラが華やかさを演出する。
その石段を上がっていくと犬がじっとこちらを見ている。

十一面観音立像と対面。
なんどみても美しい顔立ちだ。唇にほんのり残る紅色が艶っぽい。
座って手を合わせ、祈る。

 


  リハビリに励む野球部OB会長のKさん
  難病に立ち向かっているTさん
  そして友人のIさん・・・皆さんの回復が順調でありますように
  孫たちが元気で成長し
  家族の皆が健やかに過ごせますように

  どうぞどうぞ今回の旅が無事過ごせますようお護り下さい



堂内で観音様のお世話をしているお母さんに訊くと

お堂の当番は半月ごとに回ってくるとか。
子供らは大きくなってここをでていったし、いつまで世話できるか・・・と心配顔だ。
さっき見た犬はお母さんが連れてきたワンちゃんだった。




石道寺 ワンちゃんがお出迎え


3月の石道寺はやや殺風景


石道寺 十一面観音立像(写真集から引用)


カニみたいな像だという「千手千足観音立像」を見に正妙寺へと向かう。午後1時の約束だ。
カーナビに住所をセットして行ってみたが見当たらない。山裾にあるはずなのだが・・・。
田んぼで農作業をしていたおじさんに道を訊くと、すぐそこだという。正妙寺は山中なのでお参りが困難になってきた人が多いので西野薬師観音堂に移設したとのこと。

そこならさっき通った場所だ。駐車場に着くとおじさんが駆け寄ってきて1時に予約してた人ですか、と訊かれる。
遅れたことを詫びながら境内の観音堂に案内される。

十一面観音像と薬師如来
さんが安置されていた。

十一面観音像は金箔がほとんどはげかかり、漆がブラウン色に変色し、あたかもプラスチックのような風合いである。

正明寺はすぐ隣に建っており、一分足らずの距離だ。
お堂内ではおばあちゃんと孫の男の子(1才半)が待っていてくれた。

千手千足観音立像
はちいさな像だ。
高さは30センチくらいか。
ムカデのような、カブトガニをひっくり返したような千足。
なんともユニークな造形だ。
きれいなおばあちゃんと幼な児とも会えて幸せな午後のひとときだった。

さてこれから、対岸のマキノ高原へ向かう。メタセコイアの圧巻の並木道を観に行く。




               (奥びわ湖観光協会 パンフレットから)


 

 


608.鶏足寺・石道寺・横蔵寺

2016-12-06 | 近江の観音巡り

JR米原駅で解散後、西口への連絡通路に紅葉のきれいなポスターがあった。鶏足寺の紅葉だ。
そういえば以前、湖北三山めぐりに来たとき、紅葉が素敵だから是非見に来て下さい、と石道寺でお堂の番をしていたおばちゃんがいってたなぁ、ふとそんなことを想い出した。
よし明日は鶏足寺へ行ってみよう、と決めた。

今年は15日から20日までが見事だったね。ちょっとピークは過ぎちゃったかもね。
昨日は日曜日だったもんで7千人も来られたけど、昨日の北風でだいぶ散ったちゃったわね。

石道寺の裏手から鶏足寺へと続く道をのぼっていくと、協力金を徴収するテントのなかでおばちゃんがそういった。
たしかに枯れた紅葉が道々に降り積もっていて、もう終わりを告げているようだ。
それでも滋賀県内の紅葉スポットとして有名な場所らしく、月曜日だというのにおおぜい見物客が集まっているのはさすがだ。


鶏足寺への道 ここが紅葉名スポット






山道を引き返しふたたび石道寺へ。


あっ、東京からかえってきてますね


そう、向こうに行ってる間はお厨子の両脇がガランとして、すごく寂しかったよう




石道寺
でお堂の番をしていた地元のおばちゃんが、しみじみとそう語った。
この夏、芸大美術館に出張して留守だった持国天立像と多聞天立像がやっと戻ってきたのだ。
両脇を警護する天王がそろったことで十一面観音像もさぞかし安心したことだろう


井上靖の小説「星と祭」で村の娘さんの姿と描かれた十一面観音の飾り気がない清楚な姿はほんとうに心洗われる思いがする。
冬は堂内の水が凍るほど寒いことや高齢者が多くて堂を守る当番がきつくなってきたことなどから暮れから1月、2月は休館するとのことだ。


石道寺にもどってきた




行きたい場所がもうひとつ、岐阜県の両山界横蔵寺(天台宗、801年である。
出発前に自宅で、BS朝日の「五木寛之の百寺巡礼
」をたまたま見たのがきっかけである。紅葉が美しい寺のようだ
石道寺からは約50キロ。野生猿が出没する山道を駆け抜け岐阜へと至る。
しかし・・・・・・・

残念ながらここも紅葉はとっくに終わっていた。10日~12日ころが見頃だったとか、例年23日過ぎは紅葉は完全に終わりとも・・・。瑠璃殿で国指定重要文化財の仁王立像、十二神将、大日如来像を拝観する。

13時横蔵寺を出発。

14時30分 犬山城
16時45分 田縣神社
18時     犬山市民健康会館 さら・さくらの湯
19時10分 犬山国際ユースホステル(泊)


横蔵寺山門へ 石垣が美しい






三重塔


 
犬山城

 


 

 


607."巨根"奉納の田縣神社

2016-12-01 | 近江の観音巡り



田縣神社(愛知県小牧市)

旅の3日目。米原駅前のホテルを出発。愛知県犬山へ向かう。


まだ参拝できますか?


岐阜県小牧市の「田縣神社」。ちょうど境内を通りがかった巫女さんに訊くと大丈夫という。午後4時40分をまわり初冬のこの時刻としてはもう薄暗い。
急いで本殿に向かうと、いました、いました、いや、鎮座しておられました。
太さも長さも超巨大な"男根"
が特製の台座に奉納されているのです。照明のせいでテカテカ、つるつると光り、圧倒的な存在感で迫ってきます。近づいて、つい触ってみたくりなります。が、それはかなわないでのお賽銭をいれ、家内繁盛、旅の無事を祈ります。



田縣神社本殿


神社縁起によると毎年3月15日に巨根を曳き歩くお祭り、「豊年祭り」がある。そうとう賑やかな祭りのようだ。
未だ見たことは無いが川崎市大師地区の「かなやま祭り」も巨根を曳き歩く祭りらしい。
旅先で男根が祀られているのを見たのは、山口県俵山温泉の麻羅神社、秋田県の湯治場である蒸ノ湯、藤七温泉 淡路島の立川平家村民族資料館などである。
しかし、サイズ的には、いずれも田縣神社には負ける。


                
  
俵山温泉麻羅神社  蒸ノ湯の金精様      藤七温泉   淡路島立川平家村民俗資料館

       

本殿からさらに奥宮に進むとここにもたくさんの巨根オブジェが林立している。なかなかの迫力である。もちろん子宝祈願、家内繁盛、子孫繁栄を願って奉納されたものだろう。

・・・・・いつのまにか5時を過ぎてしまったようだ。さっきまで電気が灯いて巫女さんたちの姿があったのに社務所のシャッターが閉まっている。



奥宮にも・・・ 長さはなんと2.5メートル


奥宮では"脇侍"たちが控える


神社の隣にスーパーがある。そのお菓子やさんに写真のような
大小さまざまな飴がワゴンに山積みになっていた。
わたしも土産にひとつ購入(誰へのミヤゲなのか迷うところだが・・)




これ売れますかぁ 
と店のおばちゃんに訊くと

売れますよう、ここは観光バスがよく来るから・・・、週に2回も飴やさんが補充しにくるからね
お祭りの日はクルマで入ってこれないから電車のほうがいいね、うん、明るいお祭りだからね、是非見に来てくださいよ



こんな感じのお祭りらしい(ポスターから)


世の中には珍風景をさがし求めてる人が結構いるんですね。そのなかでも超有名なのが五十嵐麻理さん。
この女性、何がすごいかというと100万アクセスを超えるサイトをいくつも運営しているひとなのです。
そのひとつが全国のB級珍スポットを紹介する「日本珍スポット100景」。
えぇ~!!何これ的な風景、建物ものからちょっとエロチックな秘宝館にいたるまで、ただただ珍宝への愛が感じられる不思議な五十嵐ワールドです。彼女へインタビューしたサイト(2008年8月)をみても年齢不詳、
謎めいたプロフィール
の持ち主ですが知性の高い女性であることは分かります。

今回の旅で田縣神社へ行ってみようかな、とおもったのは実は、昔見たこのサイトを想い出したせいでもあります。
ちなみに、
田縣神社の「豊年祭り」はこんな感じで紹介されてます。
ついでに田縣神社からクルマで5分くらいのところにある「大縣神社」の"姫石"も見ていこうっと。

 


 


606.観音の里・びわ湖長浜

2016-11-29 | 近江の観音巡り

■湖北観音めぐり


11月23日(水)。
この日は朝からよく晴れ、北風が冷たい一日だった(東京では雪)。10時40分、集合場所のJR米原駅東口へ行くとバスが4台待機している。総勢100名の参加者。そのほとんとんが関東からかけつけた人たちだ。4台のバスにはそれぞれに長浜市の職員さんが張り付いて、定刻の11時に出発。車内では学芸員さんが長浜市の観音の歴史的背景、特徴などを専門家の立場で解説してくれた。

赤後寺
刈り取りの終わった田圃が広がるびわ湖の北、古戦場賤ヶ岳の麓にひっそりとたたずむ「赤後寺(しゃくごじ)」を初めに訪ねた。
千二百年前の平安初期の作といわれる聖観音立像と千手観音立像の二体が納められている。いちおうこう書いてありますが(写真撮影禁止)、撮ってもいいですよ・・・と実に鷹揚なふるまいの地元のお父さんから詳しい解説を聞く。ここは別名コロリ観音ともいわれ、何の苦しみも無くコロリとと極楽往生できるんだとか・・。境内のイチョウが陽をあびてまぶしい。

参拝後は境内の休憩所で地元食材を使ったお弁当(井筒屋謹製)と檀家のお母さんたちが昨日から煮込んで用意してくれたカブと油揚のお椀(お講汁という)を頂いた。これがほんとに美味しかった。私はおかわりして二杯も食べてしまった。


赤後寺の堂内で説明を受ける


 おいしいお弁当とお椀



▼黒田観音寺
 びわ湖の北、いわゆる湖北地方は肥沃な田園地帯が広がり、稲作が盛んな土地だ。
柿の朱と稲のゴールデンイエローのコントラストが集落の秋を演出する。やってきたのは黒田観音寺
いわれてみて初めて気がついたが「観音の里 祈りとくらし展」のポスターのモデルがまさに、ここ黒田観音寺の千手観音立像さんだった。いま見ている観音さんと芸大美術館で拝見したときと余りにも印象が異なるのに驚いてしまう。美術館ではたしか宝冠をかぶっていなかったことや、間接照明の美術館でみると”文化財”としての側面が強調されてしまう、ことが理由かもしれない。
やはり観音さんはこの気候風土の中で村人と暮らしてこそ生き生きとしていらっしゃる。ここが京都、奈良の観光寺院の仏さんと決定的に違う点である。
だから、冒頭に記したように、観音さんが少しでも不在だと村人は落ち着かないし、とても寂しいおもいをするのだろう。


ポスターの黒田観音寺・千手観音立像


辺りは田園


素朴な黒田観音寺



▼向源寺
 13時半から15時まで長浜市公民館で「観音の里 祈りとくらし展」の報告会に参加。
長浜市長の挨拶に続いて芸大教授の対談があり、展覧会の裏話し、苦労話しも聞けた。そして最後の訪問地、向源寺に向かい国宝十一面観音像と対面した。今回で私は3回の目となるが何度見てもため息が出るほど美しい。千年以上も前の観音像が地元民の手で脈々と守られ続けられていることは奇跡的なことだ。


芸大の先生(右側)との対談


紅葉が美しい向源寺境内


約100名の参加者の多くは関東からで、埼玉、東京、千葉、神奈川がほとんど、夫婦や女性の参加者が目立った「湖北観音めぐり」だった。そして最後に参加者一人一人に新米コシヒカリ一袋(1Kg)のプレゼントがあった。
長浜市役所の粋な企画に感謝した一日だった。長浜駅、米原駅で解散。私は米原駅前のホテルに泊まり。明日からは、しばらく放浪の時を過ごす。


 


592.鎌倉・建長寺へ

2016-09-23 | 近江の観音巡り


写真展「近江・湖北の御佛」を観るため、鎌倉の建長寺へ行ってきた。
作者は、
お坊さんの写真家として知られる駒沢琛道(しんどう)さん。

一週間ほどまえ、奥さんが

これって近江の仏像でしょ、鎌倉で写真展があるみたいよ

と、毎日新聞を差し出した。
ほんとだぁ、なんかタイムリーだねぇ、と思いながらも
以来すっかり忘れていた。


そして、


今日(22日)の午後なにもないけど どっか行く ?

という奥さんの問いかけに、一瞬、山梨方面をイメージしたが、近場でどっか・・・と考えたとき、
あの毎日新聞の紹介記事を想い出した。
新聞入れからやっとのこと該当記事をみつけ、場所は建長寺で25日までやってることがわかった。


実は我が家から北鎌倉まで意外と時間はかからない。
バス、地下鉄、横須賀線と乗り継いで約40分、雨のあがった北鎌倉駅の
ホームに降り立った。


建長寺・金堂
に入ると、ご本人と奥さんが受け付けをしていた。小柄な方だ。
新聞によれば、
駒沢さんは写真家の仕事を通じて仏像に魅了され、1991年に建長寺で出家得度したとのこと。


堂内に大小39点のモノクロの仏像写真が展示され、向源寺の国宝十一面観音、そして石道寺の観音像もある。
どれもつい先日、実物を見てきたばかりだ。



ほらほら、あったよ、なつかしいねぇ


ほんとねぇ芸大美術館(「びわ湖長浜のホトケたち展」)に始まって、このあいだの近江長浜の旅、そして今日の写真展、これで三部作の完成ね


しかしながら、正直な感想をいうと、
畳大に引き延ばした写真から50センチ四方の写真までいろいろ展示されていたが、私にはどうにもインパクトに欠ける印象の作品ばかりだったように思えた。

仏像写真家でもあった故・土門拳のような作品を無意識のうちに期待していたせいもあるが、
失礼ながら、どの写真もただ撮りましたというような平凡な作品のように思えたのだった。

作品からにじみ出てくる波動力が乏しいので、こちらの内面と共振しないのだ。

ややピントの甘いプリントも、おそらく一眼レフかせいぜい6×6版のカメラで撮影したせいなのだろうと想像される。
そして、ハガキ大のオリジナルプリント(モノクロ)が一枚2万円というのも ? であった。

まっ、辛口の評価になってしまったのは、ついこのあいだ実物の観音像をみてきたばかり、ということもある。
それにしても「写真」というのは誠に難しい表現媒体である。

 




建長寺


金堂


建長寺の樹齢700年のビャクシン


 


 


582.第2回「観音の里~祈りとくらし展~」

2016-07-09 | 近江の観音巡り



上野公園
 

雨上がりの上野公園。

あいかわらず多くの人が行き交っている。

皆やっと傘から解放され、なにげに足もとが軽い。

5日から始まった「観音の里の祈りとくらし展」をみるため、

奥さんと東京芸大美術館に向かっている。




芸大美術館3階の会場に入ると、

今回のポスターにもなっている医王寺の十一面観音像が迎えてくれた。

宝冠や装飾品を外した素の姿である。

いい表情していらっしゃるわね、と奥さん。

ずらりと並んだおよそ50体の仏像はケースに入っていない。

なので、じかに背面もみることができる。

地元の暮らしに溶け込み、見守られてきたここの仏像たちは

普段はお堂や自治会館などに納められている。

戦国時代には土や川などに埋めて戦禍から守ってきたという。

近江人の誇りと気概を思わせるエピソードである。




東京芸大美術館


上野へは地下鉄銀座線で浅草からやってきた

なぜ、浅草なのかというと・・・

うな鐵」の鰻重にさそわれて

きょうは奮発して松

ふわふわと柔らかく適度に脂がのり、

タレのしみこんだご飯をひと口ひと口味わって

しばし幸せのひとととき。





 

 


581.近江観音めぐり旅

2016-06-28 | 近江の観音巡り

コーヒーいれましたからどうぞ・・

湖南三山のひとつ長寿寺。本堂での拝観を終え、緑濃い境内の参道を戻ると入山受付のおばあちゃんにそう声をかけられた。えっ、とすこし驚いたが、ありがたく頂戴することにした。
コーヒーを飲みながら三日間の観音めぐりに頭を巡らせた。



一日目は何はともあれ向源寺の国宝・十一面観音に会いに行く。滋賀県高月町の渡岸寺観音堂(向源寺)は国道8号線から少し脇に入ったところにある。
隣の歴史民俗資料館の駐車場に車をいれ、向源寺で受け付け済ませて本堂に上がる。渡り廊下を通って収蔵庫に行く。

まず感じたのは想っていたよりずっと大きい観音像であることだった。一木彫成で像高は1.95メートルもある。
団体さんが帰って静かになった庫内で小学校の元校長先生かなと想わせる温和なボランティアガイドのおじさんからじっくりと説明を聞くことができた。
少しくねらせた腰のあたりが実に官能的な美しさを放っている。右腕が極端に長いのだが全体としてみるとバランスがとれている。
珍しいことに後ろにまわって背後のお姿も見ることができる。


田圃の向こうに向源寺がみえてきた


向源寺

            向源寺写真集から 国宝十一面観音像





580.近江へ出発

2016-06-22 | 近江の観音巡り

今日(22日)近江への旅にでかける。びわ湖を一周しながら、湖北地方の向源寺、鶏足寺、石道寺で十一面観音をはじめとする古仏群をみる。

近江八幡近郊の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)では国宝の本堂・三重塔を拝観。そして湖南地方の櫟野寺(らくやじ
)では日本最大の坐仏観音像に会うのが楽しみだ。

信楽、大津を周って湖西の朽木谷に入り、今はもう荒れ果ててるらしい十二代足利将軍の造った庭を見てなにを感じるだろうか。
3泊4日の車旅となる。


びわ湖畔


 


578.びわ湖長浜KANNON HOUSE

2016-06-07 | 近江の観音巡り

今年3月、芸術の街、東京上野に観音がテーマの情報発信拠点「びわ湖長浜KANNON 
HOUSE
」がオープンした。滋賀県長浜市から観音像1体が約2ケ月交代で展示されるという。オープン以来、竹生島(ちくぶじま)・宝厳寺の観音様が展示されていたが、今日6月7日から尊住院蔵の聖観音立像に入れ替わった。

雨上がりの午後、京成上野駅近くのビル1FにあるこのKANNON HOUSEを訪ねた館内のスペースには光が射し込まないようにカーテンがひかれ、控えめの照明が落ち着いた印象を与える。
お目当ての聖観音立像は長方形のガラスケースの中に安置されていた。高さ50センチほどの小ぶりな観音さまだ。ぐるりと見てまわったが右側から拝見するのが最も美しい。
ギャラリースペースには長浜の観光映像が流れ、観音像の資料や書籍も展示されている。

たとえば白州正子の「十一観音巡礼」(新潮社)、井上靖を初めとする文人たちの「名文で巡る国宝の十一面観音」(青草書房)などの書籍もある。一緒に並んでいた「1冊で分かる滋賀の仏像」(サンライズ出版)はあとでAmazonで買うことにし、
びわ湖・長浜のホトケたち」(長浜市・東京芸大美術館)は、平成26年3月に開催された「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」に出展した観音さまの図録である。
そのときは21日間で約2万人の来場があったという。来月5日から芸大美術館で開催される同名の企画展はその第2回目ということになる。
受付の女性に訊くと、この本は東京芸大美術館で売っているという。ここから少々歩くけれど芸大キャンパスまで足を伸ばすことにした。

ところでKANNON HOUSEをなぜ上野不忍池のちかくにをオープンしたのだろうか。
不忍池は江戸時代、寛永寺の開祖・天海がびわ湖に見立て、竹生島になぞらえて弁天島を築かせたということを知れば、この場所を選んだことに納得できる。
カーテンを開けてもらうと、蓮で埋め尽くされた不忍池が目に飛び込んできた。竹生島に見立てた弁天島も目の前だから、たしかにここは地理的に長浜ということになる。


パンフレットから KANNON HOUSE 

それにしても、いろいろと調べれば調べるほど滋賀県びわ湖周辺、とくに湖北地方に重要文化財級の観音像が守り継がれていることが分かってきた。
西国三十三巡りで向源寺の十一面観音像重要文化財)を見逃してきたことは本当に残念なことをしたと思っている。途中まで車で向かったのだが33番に着くための時間を考えて引き返してしまったので余計に悔しさがつのる。
向源寺の観音像はこの時代の最高傑作といわれているので必見だったのに・・・、かえすがえすも残念。

さて今日は、上野駅から観音ハウス、上野公園を突っ切って東京芸大キャンパス内の美術館へ、雨上がりで色が映えるアジサイを眺めながら上野公園を上野駅まで戻り、アメ横をブラブラしながら秋葉原駅まで約1万7千歩の都内散歩だった。




不忍池と弁天島を望む



 


577.十一面観音菩薩像

2016-05-31 | 近江の観音巡り

子どものころ、といっても幼稚園か小学校低学年くらいだったと思うが、私の心の中には観音菩薩がいた。天女さま、と自分で勝手に名前をつけていたが、天空に住む天女さまは、私が悪さをして叱られたり、怒られたりして悲しくなったとき、布団を抜け出して空へ駆け上っていけば、いつでも優しく迎えて、慰めてくれたのだった。
そんな心の奥底に沈殿していた記憶が呼び覚まされたのは、秩父三十四観音、坂東三十三観音そして西国三十三観音の3箇所を巡る旅のなかで、たくさんの観音像を見てきたせいかもしれない。

菩薩とは厳しい修行を続けて悟りも近いのに、あえてこの世にとどまり続けて人々を救済する存在といわれる。観音菩薩弥勒菩薩、地蔵菩薩、虚空菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩などがよく知られている。とりわけ庶民から最も慕われたのが観音菩薩、つまり観音さまである。
観音菩薩は、救いを求める人の悩みや、年齢、性別、境遇にあった姿で現れて救うため、三十三種類の姿に変身するといわれている(三十三観音巡りはここからきているようだ)。
観音菩薩は、聖観音をはじめ十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝(てい)観音など六つの造形で表現されている。なかでも最も多く見かけるのが十一面観音である。頭の上に十一の顔があり四方八方に顔を向けてあらゆる人々を救うのである。


井上靖「美しきものとの出会い」(昭和48年)を読むと、琵琶湖東岸地域には41体の十一面観音があるという。この春先に行った西国三十三観音めぐりの旅ではじっくり見て回らなかったため、すこし気残りがある。
こうした十一面観音像は、それを守る地域の人々によって大部分が秘仏として扱われ、そのほとんどは無住の観音堂におさめられてたという。万事物騒な現代では考えられないことだが、それだけ平穏に暮らせていた時代だったといえる。
今の十一面観音は、きっと収蔵庫で守られて暮らしていると想像するが、秘仏であるため何十年かに一度の開帳に恵まれるとかの幸運がなければ、めったにお目にかかれない。

そんななか朗報があった。第30番竹生島・宝厳寺へ渡る船の案内所で下のようなハガキが配布されていた。今年の7月から1ヶ月間ほど東京芸術大学美術館(東京上野)で「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」(主催:東京芸術大学・滋賀県長浜市)が開催される。
楽しみにしている行事のひとつである。




 


573.近江八景

2016-05-12 | 近江の観音巡り

山田流箏曲に「近江八景」という古曲がある。「比良」という名曲もある。いずれも学生時代の邦楽サークルでよく合奏したものだ。
近江八景はお気に入りの曲のひとつで、自分なりにアレンジして演奏していたが、半世紀近く前の当時としては琵琶湖周辺の近江のことも比良山脈を見たこともなく、想像での世界でしかなかった。
今回、西国三十三観音巡りの旅で、ほんの一部ではあるが初めて近江の郷の自然を味わうことができた。琵琶湖は想像以上に広く大きいことに驚いた。
舞鶴から小浜街道、鯖街道を辿り、やっとのこと琵琶湖の西岸、今津に着いた。しかし、残念なことに竹生島への最終便は(午後2時)はとっくに過ぎていた。もう少し調べておけばよかったなと反省したが、仕方が無い。あまりの落胆ぶりだったのか乗船案内所の女性が気の毒がって乗船の割引券をくれた。
湖畔に降り立つと、対岸の町がはるか遠くにかすんでいる。あらためてこの湖の大きさを実感した。


デジブック 『西国三十三巡り(4)』



琵琶湖西岸