温泉めぐり紀行

丹沢の新緑(2022年5月)

214.釧路3日旅

2012-06-27 | 旅の空

「これどうお?」

と奥さんが嬉しそうに肩をトントンとたたいた。差し出された新聞広告に「北海道フリープラン/釧路3日間、ホテル2泊、無料レンタカー付き、3万円」とあった。

即OKして申し込んだのが5月の連休後のことだった。

そして6月16日、予定どおり10時半に釧路空港到着後、レンタカーで釧路市内へ。市内に住む息子夫婦と合流し、

屈斜路湖・和琴半島のレストラン、「オーベルジュSORA」ら1時半頃に到着した。

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オーベルジュSORA

Dscf5886広大な敷地に建つ宿泊もできるレストランだ。青々とした芝に白樺がよく似合う。

息子達は我が奥さんの誕生日と父の日を祝うため、この日を予約し、豪華ランチをプレゼントしてくれたのだ。長男の嫁さんは、私達の誕生日を覚えていていつも細やかに気遣いしてくれる。

北海道らしい開放的な空気の下で頂く料理はどれも美味しく、とても贅沢をさせてもらった。

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鶏肉と地の野菜

硫黄山、摩周湖に立ち寄ってから釧路市内の息子達の住まいにに戻り、一息いれてから近くの居酒屋さんで乾杯。

札幌から転勤で釧路へ来て2年目かな、夫婦仲良く暮らしているようで何よりだ。

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晴れている摩周湖

2日目は朝から一日中雨。釧路から納沙布岬まではけっこう遠く、根室半島では牛を放牧する風景を何度も見た。牧畜の盛んな土地のようだ。霧多布温泉で身体を温めたあと厚岸で名物のカキづくしで夕食とした。

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霧が地を這う納沙布岬

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霧多布温泉                      生カキです


3日目は快晴。20年ほど前、子ども達とキャンプした達古武湖キャンプ場を訪ね、遊歩道を歩いた。エゾハルゼミの鳴き声がうるさいほどだ。この時季は道内のいたるところで鳴いている。

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達古武湖キャンプ場

細岡展望台から広大な釧路湿原を眺めたあと旅の締めくくりとして山花温泉で汗を流し、午後の4時、釧路空港へと向かった。

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釧路湿原

飛行機は定刻どおりに羽田に着いたのだが、バスを待っているとき、職場で一緒だったM山さん夫妻と遇った。台風が心配なので1日早く沖縄を出てきたとのことだった。最後はハプニングで終わった旅でした。

釧路3日間の旅デジブツクをご覧ください。

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213.岩手の温泉(番外編)

2012-06-12 | 温泉探訪

■大槌町を目指し東北自動車道・花巻JCTを経て東和ICで降りたのは朝の7時半。陽射しが寝不足の目にまぶしい。昨夜は前沢SAで車中泊。後部座席を倒し寝袋で寝たが明け方の寒さで目が覚め、もう起きることにした。

金環日食で日本中が大騒ぎしていたその日の朝、田園地帯を突っ切る高速道路をひたすら北上する。東和ICを降りると「道の駅」があり、その隣にとんがり屋根の建物が見えた。東和温泉と書いてある。

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前沢SAで
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のぞいてみると「朝風呂営業中」だ。やったぁ、入ろうじゃないの・・。8時半までだから30分は入れる。先客はひとりだけ。広い湯船に浸かると寝不足でだらしなかった細胞に活力が注ぎ込まれる。北上山系に温泉は湧かないという定説を覆して平成8年に45度、毎分150リットルの湯が確認され、町民の喜びは大きかったようだ。

脱衣場にもどったのが8時半ぎりぎりだったので、おばちゃん二人が既に掃除機をかけはじめていた。

思いがけない朝湯にあずかれて身体も頭もすっきりとし、目が覚めた。この地の観光スポットらしいのだが、東和町成島の毘沙門堂へと向かった。(ここが素晴らしいところだった!)

午前中ののどかな田園地帯。行き交う車も少ない田舎の道路をゆっくり走る。新緑の風に身をまかせ、まどろむような風景に心身が溶けていく。こういうときが旅のしあわせを感じる瞬間だ。耳に心地よいカーペンターズを聞きながらハンドルを握る。毘沙門堂へはもう直ぐだ。

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赤ちゃんの泣き相撲大会で有名な熊野神社。その同じ敷地に建つ毘沙門堂は室町時代後期の建立。国の重要文化財である。自然の風雨と時間が建物の人為を少しずつ枯らし、周りを取り囲む樹木や空気と一体化している。簡素にして高貴な風がそよそよと伝わってくる。

 

 
 
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毘沙門堂                 熊野神社

毘沙門堂からすこし登った場所に建つ収蔵庫。靴を脱いで入ると毘沙門天像が中央に屹立している。大きい。ぐっと見上げる高さだ。正確には4.73㍍である。ケヤキの一木調成仏としては国内唯一とのことだ。

毘沙門天像の左右には吉祥天、二鬼座像が居並ぶ。資料をみると、いずれも重要文化財だ。昨年の大震災で弥勒菩薩が倒れて首が取れてしまった。その修理費用を募っている、と係の女性が云う。毘沙門天像はケヤキの木目を上手に使いこなしていて胸の回りがとてもリアリティーがあります、とも解説してくれた。再び毘沙門堂に戻り、木造建築の素の風合いを確かめるように味わった。

訪ねてみて知ったわけだが、ここは樹齢千二百年もの巨大杉に覆われた鎮守の杜、道奥南部の聖地なのだった。

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毘沙門天像

■「昔、あったずもな・・」ではじまる遠野のむかし話。花巻から釜石へ行く途中に遠野の町がある。

ボランティアが終わったら三陸海岸を回るつもりなので遠野をしっかり見ておこうと思い、民話で有名なあの「かっぱ淵」を訪ねた。

常堅寺(じょうけんじ)の境内を抜けると小川が現れた。どこにでもありそうなその流れが「かっぱ淵」だった。よく見ると釣り竿の先にキュウリがぶら下がっている。カッパの好物らしい。NHKの朝ドラ「どんど晴れ」で主人公の女性がこの淵にドブンと落ちるシーンがあった。きっと冷たかったろうな・・。

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かっぱ淵                    道の駅で見たポスター 

 ■数日間のボランティアを終えて大槌町を離れ、海岸線を走っていたら「夏虫のお湯っこ」の看板を発見。ハンドルを切って海岸を離れ、しばらく山中の道をのぼっていく。

ほんまにあるのかいな、と ? が頭をもたげてくるくらい山道を走り登った頃、やっと「お湯っこ」の建物が現れた。放し飼いらしい鹿が三頭、あたりの草を食んでいて人なつっこく寄ってくる。

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お湯っこは単純泉で湯船から山の新緑がまぶしい。露天風呂はないのが残念だ。食堂でカツ丼を食べたら眠くなってきた。

ふと見るとマッサージ30分1500円とある。通常の半額の料金に、ついふらふらと申し込んでしまった。身体も疲れてもいるし、まぁいいだろう。揉んでもらっているうちに眠気がどんどん深くなっていった・・。

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212.三陸の海岸を行く(4/4)

2012-06-11 | 東北ボランティア

きらりベースの吉田さん、スタッフの女性達に挨拶し、大槌町を後にした。

短い滞在だったが今ではもう大槌町の地形が頭の中にしっかりインプットされている。

これも吉田さんにあちこちと連れて行ってもらったおかげだ。感謝、感謝です。

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さて今回のもう一つの目的は、

釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼そして南三陸町までの海岸沿いの様子を見ておきたいと思っていた。

大槌町や先月訪ねた宮城県亘理町の様子などから想像はしていたけれど、

どの町もその想像をはるかに超える壊滅状態であった。

海岸線に点在する大小さまざまな入江と漁港、集落も流されていて、

復興のテンポが遅いなぁ、と思わざるを得ません。

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大船渡の駅前は未だにがれき撤去が続く

陸前高田市に入ると見渡すかぎり家がない。流されずに残っているのは病院やホテルである。そしてあの有名な一本松はがれき処理場近くに佇んでいた。近くへは寄れないがすでに枯れてしまったようだ。

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高田の松原で唯一残った一本松

次に訪ねた気仙沼でも駅舎が跡形もなく流され中心街だった場所はガランとした平地になっている。

そして驚きだったのは巨大な船が町中に放置されていた。

倒れないように突っ支い棒がしてあるとはいえ異様な光景に写る。

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気仙沼で

海岸線を走り続けて南三陸町へ着いたときはもう5時近かった。

がれき置き場に目をやると巨大な黒い塊が横たわっている。

近づいてみてそれが蒸気機関車だということに気付いた。たぶん広場にでも展示されていたにちがいない。

津波のすさまじさを象徴する姿だった。

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南三陸町で

多くの職員が亡くなられた防災庁舎の傍に車を駐めた。鉄骨がむき出しとなった庁舎前の祭壇に黙礼。後ろを振り返ると川の水位が地面すれすれである。大きく地盤沈下しているのだ。

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破壊された南三陸町・防災対策庁舎

夕方になり、お腹も空いてきた。

本吉街道をすこし走った所に仮設商店街があった。時間も遅かったせいで店じまいのところが多かったが居酒屋風の食堂がやっていた。

奥に座敷、手前にカウンター席と椅子の席。椅子席に座って刺身定食を注文。店内を見渡すと奥の座敷では20人ほどの男衆がテーブル囲んでビールや料理を前に何やら打ち上げっぽいことをやっている。皆さん元気そう。

どうやら商工会関係のメンバーらしい。後ろ向きに座っていたその男性(ひと)の横顔はテレビでよく見る町長さんだ。

復興に向けて皆さん頑張っている様子だった。

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仮設商店街で刺身定食を食す。さすが美味かった。


211.一週間前ほどの防災訓練(3/4)

2012-06-07 | 東北ボランティア

ボランティアの3日目。

最後にどうしても見てってもらいたい場所がある、といって吉田さんがハンドルを握って走り出した。

トンネルを抜けて釜石市内に入り、ある建物の前で駐まった。その白い建物の壁を見ると「釜石市鵜住居(うのすまい)地区防災センター」の名があった。

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今から半世紀以上前の昭和8年3月3日午前2時31分、昭和三陸津波がこの地を襲い多くの尊い命が奪われた。

明治29年6月15日の明治三陸津波から38年後のことだ。だから釜石市では3月3日に防災訓練をして災害に備えてきた。

そして東日本大震災の8日前の3月3日、いつものように鵜住居(うのすまい)地区では避難訓練が行われ、

避難先の「釜石市鵜住居地区防災センター」の2階に参集した。ここなら安心、防災センターへ逃げてくれば大丈夫・・と思って参加したに違いない。

ところが、このことがかえって大変な事態を招いてしまった。大震災の直後、続々と防災センターに避難し始め二階の講堂は大勢の人で埋まった。

今おもえば留まっていれば助かったかもしれないが、わざわざ山から下りてセンターへ避難してきた人もいたという。

そこへ津波が直撃、二階講堂の天井から10センチの高さまで押し寄せて多くの方が亡くなられた。「防災センター」という名と一週間前の訓練がかえって、あだとなってしまった。

**鵜住居地区は、死者・行方不明者579人、全壊1515棟など大きな被害を受けた。

**後に陸前高田市の防災庁舎でも同じ光景を眼にすることになる

一階の入り口に設けられた祭壇に一礼し、内部が破壊された建物に入った。

二階に上がると、窓という窓はすべて破壊され、不慮な死を迎えた大勢の方の無念さをおもうと言葉も出ない。

想定外の巨大津波であったとはいえ防災センターとしては余りにも無力な建物であった。 

その一方、鵜住居地区は震災時に子ども達が高台に避難しほぼ全員が助かった「釜石の奇跡」を象徴する場所でもある。

そして小中学校跡地7ヘクタールに復興のシンボルとしてラクビー競技場を新設する計画があるようだ。

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 震災の現場に立つと、やはり様々な気持ちが去来する。とりわけ鵜住居地区は奇跡と絶望が複雑に交差する町であった。

吉田さんがここへわざわざ連れてきた意味合いがすこしは分かった気がした。

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210.教室で寝泊まり(2/4)

2012-06-03 | 東北ボランティア

きらりベース」は大槌北小学校の教室を活用したボランティアの無料宿泊所です。一階は津波で壊され全く使える状態ではありませんが、幸いにも二階部分は被害を免れました。教育委員会などの行政側ではいずれ取り壊すつもりのようですが、このスペース活用を思いついた人がいた。きらりベースのマネージャー、吉田さん(59才)だ。

 

昨年の3.11震災直後に佐賀県武雄市から復興支援活動に駆け付けた。元々は美容師だったが15年ほどして物販会社を経営、バブル景気の波に乗り多いときは300人を超える従業員を抱えるまでになった。

しかし3.11が彼の生き方を変えた。被害報道を見て、これは現地に行って支援活動しなければ・・・という強い思いが駆け巡り、車に飲み水などを積めるだけ積んで一週間後に被災地に立たせた。

大槌町などに入るボランティアは遠野からバスで1時間半もかけて峠を越えてやって来る。もし大槌町に宿泊場所が確保できれば移動時間が大幅に減るし、活動時間も広がる。

そこで着目したのが小学校の活用なのだった。ビジネスをやっていた人だけに行政相手の交渉に力を発揮された結果、

期間限定で使用が認められ、この五月から本格的な整備が始り、この夏には100人が泊まれるようにと準備をしている真っ最中。

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大槌北小学校                     教室が宿泊スペース

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   吉田さんやスタッフの皆さんと             きらり駅内で馬頭琴のボランティア演奏

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私は、その準備作業のほんの一部分を手伝わせて頂いた。3日間泊まったのだが、同宿したのは鹿島道路の若手社員さん20名。

彼らは大教室に泊まったので私ひとりが教室使うことに。マットの上に布団を敷き持参したシーツを掛けて毛布と掛け布団で寝ました。

何かやはりガランとして寒い。不便なのが水とトイレ。トイレは敷地内の仮設商店街に併設されているトイレ2ヶ所のみ。

なので夜中に行きたくなっても、つい我慢てなことになる。食事ですか?朝食は仮設商店街のスーパーで前夜に買い置きしたパンと牛乳。昼食は、この仮設商店街のラーメン屋か車で五分ほどの復興食堂で。

夕食は隣町の山田町にある無料のお風呂に毎日、吉田さんが車に乗せて連れて行ってくれたので、その帰りに山田町の三七十食堂とか釜石市の食堂で食べました。

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NPO法人が作り、運営する無料の湯