県境をまたぐ移動自粛が19日にやっと解禁された。
これで大手を振って出かけられる。旅先は前から決めている福島・山形だ。
体がうずうずして予定の1日前、6月25日(木)夕方に出発。まるで遠足前の子供みたい。
■須賀川の乙字ケ滝
牡丹園・案内所のおばちゃんがパンフレットを片手に教えてくれた。
ここからなら5分くらいで着きますよ。
雨降ってたので増水してるかもしれませんね。
福島県須賀川市の乙字ケ滝は松尾芭蕉も訪れている景勝地だ。
岸辺に立ってみると確かに滝といえば滝なのだが、ちょっと大げさな感じ。
ミニナイアガラというところか。
しかし水は激しく流れ、阿武隈川らしい景観である。
その激しい流れの痕跡を眼前の不動堂に見ることができる。
昨年の台風19号による阿武隈川氾濫で、不動堂は無残にも骨組みだけの姿になった。
本尊の不動明王も流され、3ヶ月後に下流の村で発見された。
この本尊は弘法大師が奥州を訪れた808年に彫って安置されたという。
ひどい被害のため今なお、お堂の再建の見通しは立っていない。
クラウドファンディングで再建資金を募っている。
*Wikipediaによれば弘法大師は留学先の唐から帰国し、808年は太宰府に滞在している。
弘法伝説は全国にあるので諸説ありでいいのだ。
乙字ケ滝
骨組みだけとなった不動堂
氾濫のすさまじさを物語っている
川縁に芭蕉と曽良の石像が立つ
■松尾芭蕉記念館・可伸庵跡
乙字ケ滝に感心した芭蕉と曽良は、奥州街道随一の宿場町、須賀川宿へと向かう。
俳人・等窮の世話で8日間をこの地で過ごし、連句の会を催すなどリラックスした日々を送る。
芭蕉、曽良、等窮の三人の連句は市内の松尾芭蕉記念館で見ることができる。
館内には芭蕉関連の資料、書籍が並び、充実している。
じっくりと館内を見て回っていると、
すみません、これに記入していただけませんか
と職員さんから用紙を渡される。
新型コロナ対策のため名前、住所、連絡先を把握する必要があるようだ。
全国で三番目に陽性患者数が多い神奈川県、しかも横浜市からの入場者だからなぁ、ちょっと複雑。
松尾芭蕉記念館
■可伸庵跡
松尾芭蕉記念館の裏手に可伸庵跡がある。
可伸という僧侶が住んでいた庵跡である。
可伸は等窮の敷地内にある大きな栗の木の下に質素な庵室をこしらえ、世捨て人として暮らしていた。
芭蕉はその欲のない生き方に感銘をうける。西行を尊崇する芭蕉らしい。
よほど気があったのか芭蕉は二日も続けて可伸の庵を訪ねている。その時に詠んだ句。
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗。
可伸庵跡 右の木が栗の木
■岩瀬悠久の里温泉へ
どっか温泉に入って横になって寝たいなぁと思い、牡丹園でもらったパンフレットから温泉施設を探す。
何カ所か候補があったが岩瀬悠久の里温泉に決める。
カーナビに電話番号を入力し、あとはナビにコースを任せる。
東北道を横切り、田園地帯を西へ西へと向かう。
入浴料360円。ここでもコロナ対策が採られていて利用できるのは入浴施設のみで大広間が使用不可。
残念ながら横になって寝られないがしかたがない。
露天風呂は広々して気持ちの良い温泉であった。
ここから今宵の宿の東横イン福島第Ⅱまではおよそ70キロ。
のんびりと田園地帯を抜け国道4号線を北上する。天気は一日雨。
昨日、家を出発したのが午後7時。東名、環八、圏央道を通って東北道へ。
午後11時上河内SAで車中泊。夜中ずっと雨。
午前7時に再出発し、午前9時40分、鏡石スマートインターで降り、須賀川市の牡丹園に到着。ここまで285キロ。残念ながら牡丹はとっくに咲き終わっていた。
5年前の5月に訪れた際は満開状態だった。
岩瀬悠久の里温泉
温泉施設周辺の放射線量 少し高めだろうか 5年前の5月 須賀川の牡丹園